Vengeance For Pain   作:てんぞー

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檻の底 - 2

「はぁ……、はぁ……、はぁ……」

 

『うーん、結構消耗しているわね』

 

 抉り抜かれた両目のあったはずの場所からは直接脳へと激痛を伝えていた。どれだけそれを忘却しようとも、まるで神経に流し込み、無理やり反応させるような激痛は収まることを知らず、レフに抉られてから数時間、今の今までずっと激痛を訴えている。どうやら神経からハッキングされたらしく、痛覚を極限まで鋭敏化されている上にそれをシャットアウトできないらしい。おかげで頭が狂いそうなほど激痛がずっと流し込まれている―――苦痛耐性を持っていなければ、一瞬で発狂して廃人になっていただろう。そういう類いの拷問だった。

 

 まだ、半分人形のような精神をしているのが救いだった。まともに形成された人格を持つ人間であれば逆らえない物理現象というのは世の中、どうしても存在する。激痛とはそういうものの一つだ。どれだけ精神が極まっていても、肉体を超越することは物理的に不可能であり、科学的に反応を見せてしまう。だからまだ人形のような精神で助かった。反応する範囲が常人の半分以下で抑え込めるからだ。

 

 とはいえ、この激痛は如何ともしがたい。痛みを堪えるという選択肢以外を脳から忘却させられる。このまま放置されていたら馬鹿になってしまう。

 

「あ、あああ、ぁぁぁぁぁおおおおおおぉぉぉぉ―――!」

 

 激痛に咆哮しながら両手を開放するために力を込める。だが増えるのは激痛ばかりで、血の流れる感触と共に痛みが腕を走る。闇すら見えないこの状況で、地獄を彷徨っているという明確な認識が出来上がっていた。レフはもはや俺をこのまま放置して殺すつもりなのだろうか。どちらにしろ、脱出できなければ自分に未来はない。

 

「ぐぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおお―――!!!」

 

 痛みは耐えられる。そういう風に設計されている。だが死は唯一無二。それを乗り越えることはできない。ゆえに生き延びなくてはならない。たとえこの両手が千切れようとも、生き延びて情報を持ち帰らなくてはならないのだ。ゆえに咆哮しながら激痛を加速させながら、声を響かせる。喉の底から獣のような遠吠えが地下牢を反響しながら埋め尽くす。想像を絶する激痛が自分から思考を奪ってゆく。

 

「ああああああぁぁっぁぁ、ォォォォォオがぁぁぁぁ―――!!!」

 

『がぁーんばれ!』

 

 もはや肉の感触さえ激痛に埋もれて鈍くなって行く中で、徐々にだが鉄杭が抜けてゆく感触が感じられる。或いはこの手の穴が広がっていて、そこから抜けそうになっているのかもしれない。どちらにしろ、想像を絶する痛みが理性を削ってくる。それでも敗北は機能外だった。この体に敗北という機能は搭載されていない。ならば負ける訳にはいかない。生存しているうちはまだ敗北していない。まだだ、まだ生きている。ならばまだ動ける筈だ。肉体の、この魂の寿命さえ削り取って動くのだ。

 

 心が死ななければ限界を超えて体が動くと何よりも信じるのだ(≪聖人:遺失:殉教者≫)―――。

 

「がぁぁぁぁぁああ―――!!」

 

 右手が壁から抜けた。絶叫をのどから響かせたまま、解放された右手を左手へと伸ばし、痛みやダメージのすべてを無視しながら手に刺さった杭を掴む。防犯機能に電流が、魔術的衝撃が走る。それで手が焼かれるのを感じながらも無理やり掴み、引き抜いた。両手を縛っていた杭を完全に抜き去って捨てた。自由になった両手を使い、足元を縛る鎖を掴み、咆哮しながらそれを千切る―――限界を超えた筋力の行使に体が悲鳴を上げ、肉に千切れる音が聞こえ、そこで完全に両腕が動かなくなる。

 

「あ……あぁぁ……くぁっ、あ……!」

 

『そう、それでこそやっぱり男よねぇ。それで、ここからはどうするつもりかしら?』

 

 前のめりに倒れる。冷たく、気持ちの悪い牢獄の湿った床。それを肌で感じながら両手で体を支えようとする。だが目は光を二度と映さない。その為、目の前にある鉄格子さえ見えない。体を支えようにも、まるで力の入らない両手は体を持ち上げることができない。体を起き上がらせようとするが、まったく体に力が入らない。それどころか流れる血と共に体力が、意識が流れて行く。

 

 ―――あぁ、これが死ぬという感覚か……。

 

 それを唐突に理解した。ソレは常にそこにあったのだ。ただ認識しているだけで。そしてそれを迎える瞬間、心は穏やかさを覚えて行く。その感覚を自分は知っている。どこかで覚えている。どこかで経験している筈だ。だがそれが思い出せない。そう、それは焼却されているからだ。完全に消し去れているからだ。この脳から。だが、だったら、なぜ思い出せる?

 

 そう―――そうだ、きっと()()()()()が違うのだ。だが惜しい。それを確認するための眼がない。あぁ、次会った時は殺してやりたいのに、それさえ叶わない。口惜しい。だがまだ―――死ねない。

 

『そう、まだ()()()()のね』

 

 遊ぶようにそんな声を耳にした。妖精の声だった。重くなってゆく体、消えてゆく感触の中で、やけに彼女の声だけがハッキリと届いた。まるで耳元で囁かれているような、くすぐったさと心地よさを感じる、優しい声だった。体から生命が抜けて行く中で、再び、囁かれる。

 

「そう―――じゃあ、一緒に生きましょう」

 

 

 

 

 光が見えた。両足で立っている。目が開いている。景色が見える―――痛みがない。驚きと共に手袋に包まれていない両手を見る。闇よりも深い漆黒の色をした肌は変わらないが、そこにあるはずの傷跡の類は一切存在せず、無傷の状態を見せていた。自分の服装はあの地下牢に収監されていたとき、あの時のままだった。ローブは前が大きく切り裂かれ、フードも役割を果たさない程にばろぼろとなっている。常に被っていた仮面もそこにはなく、

 

 ―――目の前には砂に囲まれた街の姿が広がっていた。

 

 痛みも辛さも感じない中で、自分が記憶遡行の中にあるのだと、気づかされる。死の淵で過去を思い出すのだから、どうしようもない間の悪さだ。そう思いながら無人の砂の街を正面、半透明の影が走って抜けて行く。オルレアンで見た白昼夢―――記憶遡行を思い出し、これもまた、自分の過去を思い出すための一歩であると、そう諦めて歩き出す。砂漠の町、とでも表現すべき場所は自分の過去、中東を彷徨っていた時代の事を思い出す。自分は―――自分はそう、日本を出て、それから何十年も外国を彷徨っていた。

 

 インドで門司と再会し、最後の別れをする前にいた場所が中東だった筈だ。俺はここに、

 

『―――救いを求めていたんだ』

 

 歩いていると声が聞こえる。今よりもはっきりとした人間らしい声。違和感のない声―――自分の声だ。その声が導くように、この砂漠の町の路地裏へと入り込み、迷路のように入り組んだその中を歩いて進んで行く。その最中に、再び自分の声が聞こえてくる。

 

『俺は怒りのまま日本を捨て、そして信仰という行いそのものに怒りを感じ続けた。()()()()()()()()()()()というものだ。信仰にはそれぞれ形があって、信仰にはそれぞれ結論がある。そして信仰にはそれぞれ()()()()()のだ―――それが俺には気持ち悪かった。どうしようもなく、吐き気を感じたのだ。俺は信仰という逃げ道が、どうしても許せなかったんだ……』

 

 言葉が聞こえた。木箱を超えて、砂に沈む足を前へと押し出すように歩き進む。聞こえてくる自分の昔の声、その言葉はまるで足りないピースを埋めるように自分の記憶、思い出、想いを埋めてゆく。足りないパズルピースがハマって行くような、そんな感覚だった。

 

 路地裏を抜けた先には古びたグラウンドがあった。前へと一歩踏み出そうとすれば、先ほどまではそこになかったバスケットボールが転がり、足に当たった。それを拾い上げる。

 

『―――神の存在は信用できない。信仰は()()()()()()。なんであんな根拠もない声を、考えを、偶像を信じられるのだろうか? なぜ確証もない事に人生を捧げられるんだ? 気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い―――気持ち悪い。おぞましく、気持ち悪い。俺は宗教を、信仰を、神々をそう思った』

 

「そう、俺は神という偶像と神秘を憎んでいたんだ」

 

 だからこそ探さなければいけない、という使命感を抱いていた。俺は誰よりも神という形を求めなくてはいけなかった。神という存在を否定しなくてはなかった。

 

『信仰は必要ない、と俺は否定したかったんだ。()()()()()()()()()()()。なんて皮肉な話だろうか。神と信仰を捨てるからこそ神を追い、そして救いを探すという矛盾だった。宗教と信仰に絡まない救いを俺は求めた―――その存在を見つけ出せばきっと、俺は神の必要性、そしてそれがもたらす救いそのものを否定できると考えた。そして俺は旅を始めた』

 

 日本を出て上海へ。上海からベトナム、タイ、モンゴル、ロシア、ヨーロッパ、アメリカ、カナダ、アフリカ―――世界中の国という国を歩いて回った。目的が目的のため、俺は何度も門司と鉢合わせていた。そのたびに互いの成果を披露する、腐れ縁のような関係だった。

 

「……」

 

 その結果が思い出せない―――だから歩き出す。

 

 砂の足場は酷く歩き辛く、歩いているとどんどん体力を最初は消耗してしまい、すぐにヘバったのを思い出す。アレでもかなり旅をして体力には自信があったんだなぁ、という思いがあの頃にはあったのに、砂漠と山岳ではまるで歩き方が違うのだ、と此方の方の砂漠の民に教えて貰った記憶がある。

 

 そうやって過去を思い出しながらグラウンドを抜け、路地裏を抜けると、再び大通りに出る。正面、そこには軽食屋の姿がある。その店の姿は、どこか覚えがあった。どこか、脳裏をちりちりと刺激する懐かしさを感じながら、ゆっくりと軽食店へと近づく。外側から見える店内、複数のテーブルを占領する一団が見える。その中に混じって見えるのは銃を持った男達の姿だった。その姿を見て、ズキリ、と頭が痛みを訴える。片手で頭を押さえながらそうだ、と思い出す。

 

「20XX年、長い間続いた独裁政権に不満が爆発して、民族紛争が勃発して、アメリカが介入したりで大問題になってたんだったな」

 

 思い出すように、自分に説明するように言葉を向けた。そう、そういう状態だったんだ、当時の中東情勢は。だからこそ俺は中東へと来る事を選んだのだ。人が本能と欲望のままに暴れ、神の名を騙って引き金を引くこの中東の情勢は、人の求める救いというものを探すにはちょうどいい状況だった。いつ死んでもおかしくないそんな状況に自分は飛び込んで、そしてどんどんと神経をすり減らしていった。

 

 この軽食店にいる面子もよく知っている。彼らは傭兵だった。ここで一稼ぎをする為に集まった面子だった。

 

「―――何をそんなところでぼーっとしてるんだ」

 

 白衣姿の男―――トワイスがコーヒーを片手に椅子に座っていた。あの男もまた奇妙な男だった。アイツは戦地から戦地へと患者を探して歩き回り、それを無差別に治療する男だった。まるで現代のナイチンゲールとは良く言ったものだった。それに相応しい狂人だった、というのを思い出す。その反対側ではノートパソコンを前に名を思い出せない金髪、ツインテールの少女が苛々した表情を浮かべながら何かを入力していた。それはどこか、懐かしくも見慣れた景色であり、

 

 それを眺めていて、思い出した。

 

 そう、トワイスの()()がここだった。あいつも、この中東の砂漠で命の終わりを、旅路の終点を迎えたのだ。

 

 あぁ、そうだった。

 

 風景ががらりと変わる。

 

 体の欠損した死体。

 

 血だらけのテーブル。

 

 穴だらけの壁。

 

 飛び散った内臓、脳髄、血、肉、人の形だったもの。焦げた臭い。そう、そうだった。そういえばそうだった。

 

 ―――最終的に、自分を残して彼も彼女も、皆、死んだのだった。生き残りは自分ひとりだけだった。自分だけがなぜか五体満足で生き残っていた。それが中東の旅の結末だった。それに嫌気がさすのと同時に啓示があったのだ。西へ、西へと向かえと。ゆえにそれに逆らい、インドを通り、日本を目指したのだった。だけど、なんだったか、何だったのだろう。あの少女の名前が喉元まで来て中々思い出せない。

 

 確か彼女は―――。

 

「別に、私以外の女はどうでもいいんじゃないかしら?」

 

 ―――痛みを感じた。

 

「ぐっ、あっ、がぁっ……」

 

「目を覚ましたか」

 

 全身に感じる痛み、そして喪失された光。再び現実が返ってきた。ただ、体の調子は前よりは少しだけ、マシのように感じられた。どこか感じる魔術の気配に、治療を施されたのだと理解した。右腕は誰かの肩の上を通して固定されており、足を引きずるように運ばれているのだと気づかされた。知らない気配に知らない声。引きずられる足に力を込めて歩き出そうとするが、

 

「無理をするな。貴様の目ではどこへ行くか見えもしないだろう」

 

 気配は人ではなく、サーヴァントのものだ。それはまず間違いがなかった。だがそこには敵意を感じることはなかった。言葉を口にしようとして、しかし、喉をせりあがってくる痛みにそれを躊躇する。だが相手はそれをつかんだらしい。

 

「貴様が知る必要はない。ただ連合側が決して一枚岩ではない事だけを理解しておけばいい」

 

 探ろうとしてにべもなく切り捨てられた。しかし、声と体格は覚えた。目の問題をどうにかしなくてはならない。そう思いながらも荒い息を何とか整えようと苦心しつつ半分引きずるように移動すると、動きが止まった。聞こえてくるのは水の音だった。

 

「これからお前を小舟に乗せる。足元に気を付けろ」

 

 地下水路なのだろうか? 言われた通り、段差を降りるように頼りなさそうな、揺れる感触を足元に感じた。そうやって小舟らしきものに乗せられると、上から声がする。

 

「いいか、貴様を魔術的迷彩で隠す。小舟から姿を出さなければ見つかりはしない。この水路は首都の外へと繋がっている―――だから後は運だ。祈れ。俺に出来るのはここまでだ。借りを返したいならさっさとこの馬鹿騒ぎを止めろ。―――たく、時計塔から解放されたと思ったらこっちで過労死させるつもりか」

 

 どうやら、中々ユーモアのある人物らしい。痛みを押し殺しながらなんとか口を動かす。

 

「すま、ない……助かった」

 

「感謝するな。利害が一致しているだけだ」

 

 それでも感謝の言葉を送りつつ、ゆっくりと小舟が動き出していた。触れずに動き出しているのだから、恐らくは魔術を使っているのだろう。しかし、

 

 ―――なんとも、情けない首都からの脱出だった。




 意外と盲目の聖人の逸話は多く、最も有名なのはロンギヌスの逸話である。それはそれとして、いったいどこのロンドンスター教授なんだ……あ、フレンドのランチ凸エルメロゲフンゲフン借りて種火待ってきますね。オラ、あくしろよ!

 連合首都は割と水辺が近いのよね。船を動かせるのなら陸と海からに方面作戦とかできそう。ただ、途中の島には……。

 それはそれとして、今年もよろしくネ!

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