竜の土地 - 1
浮遊感と全身の感覚の喪失。だけどそれはあの最初のレイシフトと比べればはるかに安定したもので、明確に移動しているという感覚があった。短いその感覚を抜ければ、やがて光が迎える、その終わりを。そうやって気づけば両足で大地に立っていた。鼻孔をわずかにくすぐる草と大地の匂い、晴れ渡る空、そしてどこまでも続いて行く地平線―――それは炎上汚染都市冬木とはまるで違う、平和な時代の風景だった。見える範囲には争いの風景さえ一切見れない、そんな草原の景色が目に映る。
「これが草原か―――」
シミュレーション室で環境適応プログラムを受けたが、実際の本当の自然の中に立つのは記憶上、これが初めてだった。思い出した記憶の中では戦場と、そして学園での記憶しかない為、こうやって何もなく、そして大気汚染されていない正常な空気を吸い込む感覚は言葉としては表せないものだった。なんというか、体の中の隅々まで行き渡る様な感覚だった。
『―――まだ工業化等によって空気の汚染が始まる前の時代だから気持ちよく感じるのも当然よ。カルデアもなんだかんだで空調を使ってそこから空気を取り入れてるけど、現代である以上どこか汚染されているのが当然だし。ま、この先嫌というほど味わうし、今の内に飽きたらつまらないわよ?』
それもそうだ、と息を吐き出してから空を見上げる。そこには光輪が存在していた。超巨大な光輪はまるでこの世界を覆うかのような巨大さを見せていた。さっそく、映像データを取ってそれをカルデアへと送り、解析を頼む。その間に立香とマシュを探して周囲へと視線を向け―――二人を見つける。
「無事レイシフトできたみたいだな」
「あ、はい。ステータスはオールグリーンです。私もマスターも無事です。今回はコフィンを使ったレイシフトなので当然といえば当然なのでしょうが」
「おっとと、レイシフトのあの感覚はなんか慣れないなぁ……」
「フォーウ!」
「あっ」
装備と状態の確認を行っていると、フォウが足元から飛び出してマシュの肩の上へと乗った。どうやらマシュか立香のコフィンに紛れてレイシフトしていたらしい。
『ぐぬぬぬ、災厄の猫めぇ……』
そう呟いて妖精がフォウを睨んでいると、フォウの視線が妖精へと向けられ、フォウフォウ、とまるで煽るように鳴いてからマシュの肩から飛び降り、そのまま妖精へと向かって走って近づいて行く。それを理解した妖精が即座に影の中へと飛び込んで完全に姿を隠し、消した。お前、そんなにフォウの存在が嫌なのか、と思いつつ軽くため息を吐く。
「時代は1431年フランス―――オルレアンの方か、これは。時期的にはちょうど百年戦争の休戦中の出来事だ。本物の戦場に飛び込む必要がなくなったのはラッキーだな」
「ん? 戦争に休みとかあるの?」
その言葉にマシュが答える。
「ありますよ。ずっと戦えるという訳でもありませんからね。ですが最終的に100年続いたので100年戦争と呼ばれるに至っています。確か1431年と言えば―――」
「ジャンヌ・ダルクの処刑があったな」
「あ、それ知ってる。確か聖処女とか言われているオルレアン奪還の聖女だっけ」
立香の言葉に頷く。オルレアン奪還の聖女ジャンヌ・ダルクは歴史的に有名な人物だから立香が知っていてもおかしくはない。その認知度は高く、現代でも広く知れ渡っているのだから。なので自分の脳内に入っている知識から、ジャンヌ・ダルクに関連する情報を引き出し、解りやすく説明する事にする。
「ジャンヌ・ダルクは元々はただの村娘ではあったが、ある時神の声を啓示として受けたと言われている。その結果彼女は女でありながら兵士となって外敵、イギリスと戦うための聖女となった。彼女が戦った戦場で彼女は勝利を捥ぎ取り、そして見事オルレアンの奪還を果たす事に成功した―――しかし、彼女の快進撃もそこまでだった。ジャンヌ・ダルクはオルレアンの奪還後は捕縛され、異端審問にかけられて火炙りの末に殺された。その間は何度も拷問と凌辱を受け、神への信仰を試されたと言われているが」
「彼女はそれを一度も疑う事はなかったんです」
まるでヨブの話だ―――ただし、繁栄の約束は試練の前に先払いされた形ではあるが。しかしその話を聞いていた立香がやや泣きそうな表情をしている。その余韻を砕く様にしかし、と言葉を付け加える。
「ジャンヌ・ダルクに関しては諸説が色々とあってな、その中でも有名なのがジャンヌの
「……ルール破り?」
その言葉に頷きを返す。
「
つまりはそういう事だ。
「
「えぇ……」
「そしてルール破り上等なら同じくルール破るわ、と言ったイギリスがジャンヌを殴り倒して終わった……或いはフランスも流石にこれはイカン、と言ってジャンヌを売ったなんて話もあるな。まぁ、魔術の存在しない通常の社会からすれば神の啓示を受けて快進撃を重ねることは不可能だとしか判断できないだろうから、そう考えるのも当たり前と言ってしまえば当たり前だ」
だけど魔術の世界は違う。神は実在……する。
「だから
「あぁ、そうか……良く考えたら歴史に介入しているんだ、俺達」
『まぁ、特異点が解消されたら行った事は消え去っちゃうんだけどね。それでも歴史に隠された真実の片鱗は見れるかもしれない……特等席でね?』
ロマニからの通信によりカルデアと完全に繋がった。ロマニがあーだこーだ、と薀蓄を披露している間、シェイプシフターを取り出して変形ルーティーンを通してみる。剣、槍、弓、ボウガンは問題なし―――しかし近代の銃火器へと変形させようとした途端、シェイプシフターが変形に応えなくなる。やはり1431年だと現代で利用している類の銃や爆弾は存在していない為、時代的なロックが存在して生み出せないらしい。
これが英霊の生み出した概念的な装備品であれば話は別だが、持ち込みの装備だと時代背景に沿ったものではない限り無理らしい。となると射撃武装はボウガンや弓に限定されるのだろうか、これは。あまり原始的な銃の類を取り出しても結局は弓のほうが魔力の乗りがいい為、使う理由がなくなるのだ。
「さて、そろそろ活動を開始しよう。立香、サーヴァント達を召喚できないか?」
「あ、そうだったそうだった……皆、来て!」
立香が令呪を輝かせると、カルデアで待機していたサーヴァント三人が、一斉に此方へと召喚されてきた。赤、青、そして白の三色の英霊が揃った。彼らはここに存在しているが、同時にコア、命ともいえる霊核は
それがカルデア式英霊使役術。
本来の聖杯戦争であれば唾を吐かれて囲まれて殺されるような仕様だが、
「世界を救うための旅路か……まさかこの私がそんな事に手を貸すことになるとはな」
「ま、こんな機会が巡ってくるとはぁ誰も思っちゃいねぇよ。主義主張は置いて、今は全力で楽しむとするか」
「カルデアから離れたせいか私のソシャゲ用スマホ動かなくなったんですけど」
エミヤとクー・フーリンの視線が謎のヒロインZへと向けられ、笑顔のまま謎のヒロインZが二人に中指を向けた。それを見ていたエミヤが両手で顔を覆った。それを慰めるようにクー・フーリンが背中を叩いている。エミヤのリアクションを見る限り、謎のヒロインZ―――ではなく、アルトリア・ペンドラゴンの方とは面識があったらしい。それがこんな……そう、こんな、としか表現のできない愉快な生物に変貌しているのだから、それはもうそんなリアクションしか取れないだろう。
「解りました解りました。もう少しシリアスにやればいいんでしょう? 仕方がありませんねぇ、エミヤくんちのシロウくんは。でっでーん、ロンゴミニアド二ー槍ー流ー!」
両腕に赤と黒、一本ずつ謎のヒロインZが槍を取り出した。それを見たエミヤが待て、と声を置いた。
「なぜ二本」
「座で私から強奪してきたからに決まっているじゃないですか」
「つまり頑張れば俺も座にいる別の俺からボルク二本目を調達できるのか……?」
「正気に戻れクー・フーリン。アレはバグキャラにのみ許された裏技だ。貴様もアレと同じジャンルに落ちたいのか」
「悪ぃ、血迷うところだったわ」
「うーん、このフルボッコ具合。円卓を思い出します。ランスロットとモードレッドお前ら、絶対に許さないからな。カルデアでアニメを見て思いついたロンゴミニアドを使った新しい奥義をぶち込んでやるから覚悟しろよ―――なんか円卓の気配を感じますしこの国!!」
「いやぁ、ウチの英霊はフリーダムだなぁ……」
おそらくフリーダムなのは約一名だけだと思うのだが。アレほど真面目だった空気はエミヤの胃痛と謎のヒロインZのカオスっぷりによって完全に粉々に砕かれ、どこか緩い空気が広がっていた。まぁ、緊張しすぎることよりははるかにマシである事を考えるとこれでも悪くはないのかもしれない。とはいえ、その内何かやらかしそうで謎のヒロインZは怖いという部分はある。
「はぁ……とりあえず最初は情報収集か」
「そうだな。定石を考えるのであればまずは人の集まるところを目指し、そこで何が起きているのかを聞き出すのが一番楽だろうな―――そら、そう言っている間に此方へと来る集団が見えたぞ」
エミヤの言葉に言われた通りの方向へと視線を向けても何も見えない。おそらくは千里眼のスキルを発動させているのだろう。自分も義眼の千里眼モードへと移行し、遠くへと視線を向ける。そこには此方へと向かって進んでくる集団の姿が見えた。映像をカルデアへと合わせてリンクし、それを共有できるようにロマニから此方へと送ってもらう。ホロウィンドウがマシュや立香の前にもあらわれ、うへぇ、とクー・フーリンが声を漏らした。
「見た目からしてフランスの斥候部隊でしょうか? ここはコンタクトしてみるべきだと思いますが」
「うーん……まぁ、接触を恐れていてはどうしようもないか」
「では私たちは一時的に霊体化して隠れていますね」
「姿もバラバラで警戒させかねないからな」
立香の判断に英霊たちが霊体になって姿を隠す。そうしている間に斥候部隊のほうへと視線を向ければ、徐々にだが近づいてくるその姿が裸眼にも見えてきた。接触する為にも歩いて、近づいてゆく。すでにダ・ヴィンチ制作万能翻訳ツールのおかげで普通に話しても、それぞれの言語に自動変換されて聞こえるようになっているため、コミュニケーション問題に関しては心配する必要はない。だから情報収集のために近づこうとした直後、
「ハロ―――」
「ヒッ、敵襲! 敵襲―――! どこからどう見ても怪しい連中だ! 怪しくないところが全く存在しないレベルで怪しい連中だぞ! しかもあの女はどう見てもイギリス人だぞ! 敵襲―――! どう見ても敵襲―――!」
「……」
叫び声とともに十を超える斥候部隊のフランス人たちが剣を抜いた。その姿をマシュと立香との三人で無言のまま眺めていると、ロマニのホログラムが浮かび上がった。
『あぁ、うん……その……なんというか、ボクらのやっていることはファンタジー小説のようではあるけど一応はリアルでの出来事だしね? なんというか……情報収集用の服装、今度から用意しようかなぁ、と思うんだ』
マシュ、イギリス顔に露出の多い鎧スーツ。
立香、カルデア汎用制服礼装姿。
自分、全身をすっぽりと隠すローブ姿。
そりゃあ怪しすぎる。これで見逃すようなことがあれば無能と罵られるレベルだ。
三人で視線を合わせ、心に誓う。
「―――着替え、用意しようか」
1日1更新と言ったな。あれは嘘だ。
常識的に考えるとお前らその格好でコミュまともに取れると思ってるの? って話。着替えから姿を隠すローブぐらい用意しようよぉ! まぁ、一部特異点はそんな必要ないけどさ。それはそれとしてフリーダム。