「―――検体番号171、肉体良好でアレルギー反応なし。非魔術師の家系でありながら魔術回路の保有を確認。何よりも天然の聖人体質である事をここに追記する」
歯は噛み合わずカチカチと音を鳴らし、手術台に縛り付けられた両手足は自由が存在せず、恐怖で体を震わせようとしても体がそれさえ表現することを拒否して、動く事はなかった。視界に移る世界は多数の機器とそして手術道具、そしてまるで見たこともないようなオカルティックな道具の数々が並べられた手術室―――或いは実験室の姿だった。自由に動かないのに痛覚も、視覚も、聴覚もそのままだった。喉が恐怖で乾いてちりちりとした感覚を訴えてくる。主張したくて口を開きたくても、喉の奥からは不自然に声が漏れなかった。まるで音そのものが堰き止められているかのようだった。
レコーダーの様なものに向かってローブ姿の男が話し続ける。ライトの逆光が当たり、その姿が良く見えない。だが淡々とした、感情を排したような声はしっかりと聞こえてきていた。
「聖人体質。それはかつて歴史に名を遺した聖人、あるいは聖者達と同じ類の体質の持ち主である事を意味する。聖人体質の者は神の秘跡、そしてその奇跡の恩恵を受けやすくなる他、かつての聖人が辿ったその道をその身で再現する事が出来る可能性を秘めている。また、その本質は≪星の開拓者≫と同じ、難行の達成だと理解されている。これからの事を考えるのであればこの上ない宝である」
「―――! ―――!!」
やめてくれ、やめてくれと叫ぶ。しかしその声はまるで届かず、喉を通る事もなく掻き消されてしまった。心が完全に恐怖で支配されてしまった。これから自分が一体何を成されるのか、その周りにおいてあるものを見てその大凡を理解してしまったからだ。正気じゃない。この連中はたったの一人として正気じゃない。助けてくれ、誰か、お願いだから助けてくれと喉を枯らす勢いで叫んでも、
慟哭は空しく、どこにも響かない。
「秘跡や奇跡は信用がならないし、おそらく人が保有できる能力のキャパシティを大きく占領するだろう。故に難行の部分だけを残し、ほかの部分をオミットする方向性で進めたい。聖人体質は世界を探しても片手で数えられる程しか見つからない為、ヴァチカンに感づかれずに手を出せるのは検体171ぐらいだけであろう。失敗は許されぬ為―――」
言葉が続けられる。
「
―――以上、マリスビリー・アニムスフィアによる記録。
それでは、と恐怖に震え、涙すら流せない此方を名前でも人でもなく、検体という道具としてのみ、マリスビリー・アニムスフィアは呟きながら視線を向けた。
「―――施術を開始する。人類の未来の為に必要な貴重な検体だ、無駄にするな」
「―――! ―――!! ―――!」
叫べど叫べど、声は出ない。体は動かない。どうしようもない絶望感と恐怖の中、此方へと向かってくる手が見えた。
「―――検体171に対する施術は非常に上手く行った。ここに経過報告を行う。マリ■■リー・アニム■■■ア所長は多忙の為、代理として■■■■・■■■■■が記録と指揮を取らせてもらう」
「……」
口を開こうとする意思はなかった。声が出ない事はもう既に、痛みを忘却する程に理解してしまった為に。同時に、目を開こうとすることも諦めた―――そこに収められている筈の目玉は、すでにそこにはないという事を良く理解してしまっているから。もはや熱いのか寒いのか、それさえも解らない。ただ理解できるのは頭の中でぐるぐると駆け巡る知りもしない光景、情景、風景、知識の数々だった。
「検体171の人体改造の進みは非常に良好である。既にエー■■■トと神経の置換、全身の骨の■■■■化は完了しており、常人なら発狂して死ぬラインをまだ生きて乗り越えた。精神的な死を迎えないように定期的に■■薬を投与する事で幸福感を脳に直接流し、高揚させて何とか現在は死を免れている。とはいえ、これも何度も繰り返せば耐性が出来上がってしまう他、中毒化してしまう。なるべく早く施術を完全に終わらせるべきだと判断されている」
「……」
声が聞こえる。だがどこか、言葉が歯抜けして聞こえる。
「また、■■■■の強化のために■■■■■から取得した■■や■■を試験的に投与した結果―――」
段々と意識が虚ろになって行く。死にたい。ひたすら死にたい。今すぐ舌を噛み千切って死にたかった―――だがその自由さえ自分にはなく、心はひたすら深海の底へと沈んでいくように闇に染まって行く。何も考えず、ただ従うだけの人形となればこれから解放されるのだろうか? いや、無理だろう。そもそも何に従えばいいのか、何が脳みその中を巡っているのかさえ解らない。
そもそも、自分の名前が何だったのか、なぜ逃げ出そうとしたいのか、生きたいのかさえも解らない。
ただ解るのは、
「―――これは英霊を、神秘を■す上では非常に有用な事であり―――」
英霊―――英霊、英霊。それを殺す為にこんなことをされているのだという。解らない、なぜ自分がそんな事をしなければいけないのか。だが同時になぜ、どういう存在か、その知識を求めようとすると頭に慣れた激痛が走り、そして同時にその答えが出現し始める。まるでネットのライブラリーを調べているような、そんな感覚だった。サーチエンジンそのものが脳に搭載されている様な。しかし、それとともに際限なく溢れ出す知識が脳に過負荷を与え、激痛を脳を通して全身に与えてくる。考えることを放棄すればそれもすぐさま消える。
もはや涙さえ枯れ果てた。考える事さえ許されない。精神だけが死なないように、ギリギリのラインで家畜の様に維持されていた。
「……」
「では検体171に対して引き続き■■を続け■。今回は霊基■■を埋め込むことで疑似的なサ■ーヴ■ント化を―――」
また始まる。麻酔がなく、痛みによる絶叫を求めるような手術が、実験が、地獄が。再び死へと至る様な激痛を死なないように浴びせながら、その一歩手前の綱渡りを繰り返させられるのか。もう頼む、いっそのこと殺してくれ、と願っても願ってもそれは届かない。頼む、だれか、俺を、
殺してくれ。
願い、そして、
『―――それは何故かしら?』
声が聞こえた。直後、激痛を感じた。体を切り刻まれて切開されてゆくグロテスクな感触、また自分が自分じゃない存在に作り変えられて行くという感覚、己という感覚がまた失われて行く消失感のなかで、その場違いな愛らしい声が聞こえた。それは間違いなく、幼い少女の声だったのだろう。今、自分が経験している、激痛の中で朦朧としながらも失う事を許さない意識の中で、それをすべて抜いて迫って来る様な、そんな声だった。
『何故貴方はそんなにも死にたいのかしら?』
まるで此方の様子が理解できないような、純粋に不思議がるような少女の声は絶叫を上げられない、潰れた喉から悲鳴を上げながらも、それを抜いて聞こえてきた。それを聞いてあぁ、なるほど、と理解してしまった。ついに己は狂ってしまったんだ。やっと狂えたんだ。これで漸く、正気から解放されるのだ。幻聴が聞こえるなら完全に意識が吹っ飛ぶのも時間の問題なのだろう―――そうすれば体はともかく、心は死ねる。
やっと、死ねるのだ。
それでこの地獄から解放されるのだ。
『あぁ、成程。貴方はそんなにも痛いのが嫌いなんだ。ふーん、成程成程。ふふ』
まるで面白いものを聞いたような童女の声が聞こえた。狂人の生み出した幻聴なんだから、この状況で笑っていられるのも当然なのだろう。
『え? 違うわよ? だって貴方ったらとても可笑しな事を言うんだもの。言うに事を欠いて死にたい、だなんて。勿体ないわ、実に勿体ないわ! 貴方にはその両手と、両足と、そして今、与えられる全てがあるじゃない。それを置いて死にたいだなんて本当に勿体ないわ』
童女、或いは少女の声には不思議な熱が籠っていた。少女の声を聴いていると不思議と、自分の心の中に湧き上がってくるものを感じていた。少女はそれを感じ取ってかそうそう、そうよ、と声をかけてくる。嬉しそうに、そして同時に楽しそうに言葉を投げかけてくる。
『そうよ、何故恐れるの? 何故死にたいの? その前に抱くべきものがあるんじゃないのかしら? もっともっともーっと正しく、そして正当な感情があるはずよ。だってそうでしょ? おかしいじゃない。だって貴方は自分が何だったのかさえ忘れる程に酷い事をされているのに、失ってから失うだけだなんてとても不幸だとは思わないかしら? もっと、果たすべきことが貴方には存在するんじゃないかしら? ねぇ? どうなの?』
湧き上がってくる、今まで一切感じなかったそれは―――怒りだった。あぁ、どうして俺がこんな目にあっているんだ。なぜこんな事をした。許せるか、許せるものか。覚悟しろ、貴様ら―――絶対に殺す。殺してやる。絶対に地獄に突き落としてやるからな、マリスビリー・アニムスフィア。
―――暖かさも寒さも、体に食い込む金属の温度さえも解らない筈の体が温かさを覚えた。
背後から抱きしめられるように、手が伸ばされる様に手が目を覆った。
『さあ、その眼を憎悪で曇らせましょう。めいっぱい見開きましょう。きっとそこには素敵なものが映るはずよ―――さ、今の貴方なら出来る筈よ』
片目は抉りだされ、眼孔を残すのみとしていた。もう片目は視力を失って光を映さない筈であった。だがゆっくりと開く瞼は少女の手を映し、そしてそれがゆっくりと退けられるのと同時に―――正面、自身にメスを突き立てる男の姿を映し出した。その姿を見て、そして部屋の中にいる連中を全員、見た。激痛を怒りと殺意で押し込み、そして口を開いた。
―――貴様ら全員、絶対殺してやるからな、顔は覚えたぞ……!
喉が声を発するような状態ではなく、声は出ない。だが視線は、睨みは、殺意は通った。心臓を穿つような殺意に、復讐対象達の動きが停止した。
『ふ、ふふふ……ほら、そうよ? 見たかしら? 貴方は実験用の家畜じゃないわ―――猟犬よ。怖くて怖くて鎖で何重にも雁字搦めにされた獣よ。大丈夫。安心して。私が貴方を助けてあげるわ。その牙を何時首筋に突き立てればいいのか、それを教えてあげる。だから今は耐えて―――耐えるのよ。そして彼らに砥がせてあげるの、貴方の爪と牙を』
感じる、背後から抱き着かれる感覚はまるで冥府の女神にしがみ付かれているような、そんな感覚だった。だが体温を失って久しく、その死の抱擁さえも愛おしく感じられた。順調に自分が狂っていくことは理解できても、それでも死ぬという道を自分の中に見つけ出す事はできなかった。ただただ目を見開いて、自分が人から違う
睨み、殺意を向け、殺してやると宣言しても改造は続いた。
抉り取られた眼光には新たに義眼が投入された。人の目ではとらえられない霊体等を感知する為の優れた目が必要だったらしい。体に擬似的なサーヴァント化を促すための霊基の基盤が追加された。デミサーヴァント化実験の結果の一つであり、サーヴァントの持つ性質を肉体が耐えうる場合、それを追加するというものであった。骨格の強化、精神性の強化、脳キャパシティの強化、体力の増強、生き残るためのあらゆる知識のプリインストール―――その結果、肉体はその追加に耐えられた。
何度かに分けられて遂行される人体実験は肉体を段々と人の形をした人外の領域へと踏み入らせていた。
人のまま、サーヴァントの特性を得ようとする施術、実験―――デミサーヴァントと呼ばれる実験が成功しなかったゆえに引き継がれた研究、実験、その成果。その影響によって少しずつ、少しずつ肉体は目標とされる、
英霊と戦い、そして勝利できる人類の
―――だが、それはある日、終わりを告げた。
無人の実験室に入り込んでくる二つの姿があった。一つは疲れたような笑顔を張り付けた優男で、もう一人は黄金律の肉体を誇る義腕の女だった。今まで登場してきた他の者たちとは違い、彼と彼女は此方を見て嘆き、悲しみ、そして怒りを覚えていた。そこで初めて理解するに至った。
助けは存在したのだ、と。
『さぁ、準備はいいかしら? ねぇ? 勿論準備は万端よね? だってずっと待ち望んでいたものね? この時を、この瞬間を、ずっとずっとずっと待っていたものね?』
笑顔のピエロと義腕の女によって漸く、日付さえも忘れ去り過ごした手術台から解放された。
『―――復讐の時よ、アヴェンジャー。存分に血肉に餓えるのよ』
漸く、漸くカルデアによって砥がれたこの爪と、そして牙を突き立てる時が来たのだ。その思いと殺意が心を高揚させ、突き動かす中で、しかし、その思惑はこれから果たそうとする一歩で敢え無く頓挫する。
マリスビリー・アニムスフィア、及びその協力者達は既に死亡していた。
https://www.evernote.com/shard/s702/sh/2049e4d5-89ec-43c6-ac67-c685ba50e49c/9e867c2e599ea79ce3d885d50a9ac5b4
ステータスそのままはっつけると嫌がる人もいるし、これからステータスとかは外部のサイトにはっつけようかと。エバノ、実に便利である。七章が近日開幕という事もあってぼちぼちというかこっそり執筆開始である。