暗い路地裏の中。不良達に潰されそうになっていた春希は、突如頭上から現れた少女に救われた。
少女は春希を庇うように前へ立ち、吹き飛んだ不良たちを警戒している。
ストレートな美しさと言えばいいのだろうか。装い自体はシンプルだが、それこそが彼女の良さを引き立てていた。
髪は茶色い光沢を持った黒髪で、リボンに纏められた髪は羽毛のように柔らかそうだ。不良と春希を交互に見る目は茶色に輝き、穢れという物が一切感じられない。
服は緑のアクセントが入った制服で、赤いスカーフとあわせて明るい彩りを見せている。
だが、一番視線を引くのは小麦色のニットベストに包まれた胸だろう。服の中にあってなお柔らかさを主張する果実はスイカほどの大きさを持ち、それでも形を崩さず卵形を保っている。
かわいらしさに美しさ。女性が持つ陽の印象を最大限に引き出した少女。
そんな印象を与える子だった。
そして春希は、そういう人間離れした美貌を持つ者たちと戦ったことがある。手の軽装籠手や腰の脇差し、先ほど見せた実力もあって、すぐさまソレは確信に変わった。
(―――忍!?)
あいつらの追手が始末しに来たのかと、目を見開き、少女の背中を凝視する春希。
その視線に気づいたのか、少女は動かない不良たちを置いて春希の方を振り向いた。
「あのっ…」
「フゥ―――ッ…!!」
腰をかがめて近寄ってきた少女を警戒し、動物じみた威嚇をする春希。
肘で後退して下がるも、その行為は壁にぶつかるだけに終わる。それに対して、少女は臆することもなく近づいてきた。すると…。
「えっとっ…。大丈夫?怪我は痛くないかな?」
「え?あ、うん、大丈夫」
殺られるかと思ったら、敵(?)に心配された。
突拍子もない答えに春希は呆気に取られ、自分は無事だと言う。言ってしまう。
大丈夫なワケがない。
少女には奪ったブレザーで隠れて見えないが、服の下には無数の切り傷。裾にはぼろ雑巾で作ったようにグシャグシャな腕が隠れているのだ。断じて無事といえる状態ではない。
事実、コンクリートの地面には僅かな血が染み出ていた。
春希は無意識にソレを隠すと、少女の後ろに指をさした。
「それより後ろ」
「あっと、ごめんなさい!よそ見はダメですよね!」
注意された女の子はハッとした顔で胸を振るい、正面に向き直る。するとゴミに埋まっていた不良たちはすでに起き上がっていた。
これでごみ溜め突入は二度目となるクジラは、顔を真っ赤にして怒り狂っている。
「チィ…!アンタ何者だい!?ジャマしやがって!!」
それに対して少女も、下手をしたら殺人になりそうな所業に怒りを示し、頭から湯気を立てて怒った。
「あんな危ないので殴られたら死んじゃうよ!止めるに決まってるでしょう!」
「ハッ!甘ちゃんってかい?怯えるこたぁない!あれは何かのトリックだ!やっちまいな!」
ナメられっぱなしなのが余程イヤなのだろう。不良たちは実力差を見せつけられてなおナイフや木刀を持ち出し、クジラの命令とともに少女に飛びかかる。
それに対抗するため、少女も鞘に納めたままの脇差しを構えて飛び出した。
「うらあああああッ!!!」
「もうっ!いい加減にしてよね!」
しかし、どれだけ粋がろうと相手は一般人。鎧装相手に互角以上に立ち回れる忍の敵ではなかった。
彼女は次々と襲いかかる不良たちに対して跳ねてかわしての足払い、頭突き、首打ち。様々な方法で戦闘不能に追い込む。
その動きには、一つ一つに手心が感じられた。
「……?」
生きるか死ぬかが基本の世界を生きている春希にとって、圧倒的強者が敵である弱者を気づかうなど、理解できない光景だった。
その気になれば殺せるのに、生かしておけば襲われるかもしれないのになぜ? と、首を傾けてしまう。
「これで終わり!」
「ガハッ!?」
似合わない思考に身を浸している間に戦闘は終わった。少女の蹴りで最後の一人が倒れ、残る不良はクジラ一人となる。
「このアマッ…!」
「これ以上戦っても意味ないよ。もう帰って!」
不良を鎮圧した少女は、凛とした声でクジラに怒鳴る。その言葉は正真正銘の最後通告だった。
丸い目が義憤に燃え、クジラを射抜く。
「ちっ…ちくしょう!覚えてなっ!」
このままいたらやられる。容姿に似合わない圧に押されたクジラは、子分を手当たりしだいに取っ掴み、光差す方へと逃げ出した。
「ふーんだ、覚えてやるもんですか。べーだっ」
その様子を、少女は舌をつき出して見届ける。
クジラたちの姿が見えなくなると、少女は春希のそばに寄り、屈んで顔を近づける。
なんだか視線がかゆい。春希が未知の感覚に複雑な感情を抱いて首を引くと、心配そうにする少女が真偽を確かめにきた。
「本当に大丈夫?」
「……大丈夫」
「なんだか顔色が悪いよ?」
「平気だって」
「何があるか分からないよ。一旦病院に――え?」
「あ」
春希を心配して起き上がらせようとした少女は、よりにもよって怪我の酷い手を掴んでしまい、傷を隠していた裾がまくれてしまう。
「ッ――酷い!?」
腕はは見るに耐えない惨状だった。
焼かれた跡、切られた跡、他にも様々な怪我があることがわかる。長い間直視できればの話だが。
少女はそれを見て一瞬体を引かせてしまうも、首を振って自制を取り戻し、緑色のスカートを急いで破く。
突然目の前で行われた服破壊に、春希は目を丸くして驚いた。
「は…?」
「ちょっと待ってて!」
そう言うと少女は胸の谷間から塗り薬らしき物を取り出し、裂いた布に塗りつけて腕に巻きつける。
「うぎッ…!」
「うわわっ!?ごめんなさいっ!しみるけど我慢して!」
怪我に染み込む激痛に思わず腕が飛び出す。少女もそれに驚くが、再度腕を捕まえてしっかりと巻く。
右手は終わると少女はめげずに左手にかかり、同じやり方で手袋状態にした。
「これでよし!私のじっちゃんが作ったお薬だから、きっとすぐ良くなるよ!」
「~~~~~!!!?」
一仕事終えたぜとばかりに額の汗を拭う少女と、怪我と別次元の痛みに苦しみ、目を白黒させて震える春希。
変化の少ない目には、涙が見え隠れしていた。
よほど痛いのだろう。先ほどから気にしていたのもあるが、座り込む姿勢に直した春希は激痛をごまかすために、珍しく自分から声をかけた。
「……なんで…ッ」
「ん?」
「……なんで、あいつらは倒さなかったの……?」
「それって、不良の人たちの事?」
出た言葉は、少女と出会った時からずっと引っかかっていた事だった。
忍のハズなのに侍の自分を助け、格下の不良を殺さず転がして、逃げるチャンスを与えた。
復讐に来るかもしれないのに、それで大切なものが傷つけられるかもしれないのに、手当てまでして。
いつも徳川に暴力を振るわれ、生きるか死ぬか、敵を殺さなくては生きていけない人生を生きてきた自分では間違いなくしない『敵に優しくする』行為に、春希は初めての『疑問』を抱いていた。
自分は大丈夫と気楽に考えているのか、実力が高いと世界はそう見えるのか。
春希は目の前の少女を見つめ、口が開くのを待った。
その質問を聞いた少女はしばらく「うーん」と間を置いた後、にっこりと微笑み、答える。
「そんなの簡単だよ。私はあなたを助けるために来たんだから。倒す必要なんてないって思っただけ」
迷いなく、少女は言った。
「――助け…?」
「うん、私はこの力を、助けるために使うって決めたんだ。だから、人を傷つけるためには使わない――」
ボロボロな手を、少女は優しく包みこむ。すると、痛みが和らいでいくように感じた。
「誰かを『守る』ために、私はこの力を使うの。守ることだって、『力』だよ?」
「守るための、力…?」
春希は、包まれた自身の手を眼下にうつしながら、ただただ聞いている事しかできなかった。
その考えに、未知の衝撃を受けていたからだ。
春希にとって、『力』とはすなわち『暴力』である。
徳川のように対象を恐怖で支配し、敵を消すためのモノ。あるいは生きる為の手段であり、略奪を行い生きていくためのモノだった。
イメージするなら血にまみれた刀そのもので、目の前の明るい笑顔とはほど遠い対極にあるもの。
そんな『力』を使って誰かを守ろうなどと、考えもしなかった。
視線を下げて、正面から自分の手を見つめる。
「何だかいいな…、その力」
そこにあったのは、血にまみれた手ではなく、緑の布で巻かれた暖かい手だった。
その手を見ていると、心が落ち着いて、日向ぼっこをしてるように気持ちが暖かくなる。
「えへへ、正直、じっちゃんから聞いた言葉の受け売りなんだけどね」
春希の率直な感想に、肩をすくめて照れる少女。
その姿を見て、『守る力』についてもっと聞きたい。もっと教えて欲しいと強い欲求が生まれた春希は、口を開こうとする。
だが、それを遮るように少女が首を動かし、上を見上げたまま空に釘付けとなくなってしまう。
「えっ――緊急?」
「?」
少女の漏らした緊急という言葉に、同じ方向を、空を見る春希。
しかし、建築物の合間に見える空は雲がたゆたうだけで、別段異常はなかった。
ならなぜ見上げたままなのか。理解できない春希をよそに、慌て出したは少女立ち上がり、矢継ぎ早に言葉を乱発する。
「ごっごめんなさい!私急に用事を思い出しちゃって!――ええっとどうしよう!近くに病院なんでないし、でも連れていくわけにも――ううう~~!!」
頭を抱えたり、左右にバタバタ回ったりと軽いパニックで目をぐるぐる回している少女。顔中汗まるけだ。
本当に、なぜ彼女が慌てだしたのかはわからない。だか、少女の動揺した姿を見て、春希はいつも通り勘に頼ることにした。
「んん…ッ!」
「あ、ちょっと待って!まだ動いたら――!」
グググッ…と、壊れたロボットのようにおぼつかない足取りで壁に手をつき、立ち上がる春希。
血が足りず、クラクラして視界がぼやける。体が休みたいと叫んでいる。
少女も慌てて止めようとするが、春希の肌色の目がしっかりと少女の顔を見続け、ぐらついた足はビンと立った。
「大丈夫。俺、帰れるから」
「――え?でもっ」
「薬のおかげで大丈夫。ありがとう」
この子は『助けに来た』といっていた。
なら、自分が元気になればここにいる必要はないハズ。
それが、彼なりに導き出した答えだった。
「~~~~ッ!!本当に、本当にごめんね!ありがとう!!」
よほど大事なことだったのだろう。少女は春希の言葉を聞くと駆け出し、何度かこちらを振り向くも、素早い動きで路地裏から走り去っていった。
「……ハァ…」
少女の姿が見えなくなるまで立ち続けた春希は、いなくなったとたん尻餅をつき、無性に頭をかいていた。
帰れるなんて嘘だ。先程のムチャで傷が開き、まともに立てやしない。
薄暗い路地裏の道でで大の字になり、無気力げに空を見上げる。すると大きな腹の虫がなった。
「そういえば、腹減ってたんだっけ。でももう動けないや」
1日抜いたって死にはしない。寝て傷を癒すことに専念しようと目をつむった時、少女が消えていった光の向こうから、見知った影が見えた。
その影は春希に気づくと、急いで路地裏に入り、春希を見下ろす。
「オイ…、マジかよオイ春希か!?」
「……ナッツ?」
善意は巡る。とんでもない幸運に二人は目を見開いていた。
少女との邂逅のあと、徳川の物を質屋に入れようと来ていたナッツと再開し、武者学課の元へと帰還した春希。
死んだと思われていた者との再開に仲間たちは歓声を上げて喜び、生還を祝う。
魚の丸焼き、山菜の盛り合わせ、兎の肉など。前は徳川に献上することが前提になっていた料理は子供たちの口に運ばれ、傷を癒す。
ベッドに入ったまま食べ続けた春希もその騒ぎの中眠りにつき、宴は夜まで続いた―――
○□ △
「いやぁ~、昨日はお楽しみでしたねってかぁ♪ホントザマァ見ろってんだ!あんなに笑えたのいつぶりだよ!」
ガハハハと笑い声をあげるのは、朝早くから鎧装を整備しているナッツ。昨日は親友との再開に大泣きしていた彼も、憑き物が落ちたかのように明るく修理に当たっている。
その様子に呆れ、隅っこで見つめてるのは、ナッツ率いる隊の一員である少年「太陽」。年少組の一人である。
先ほどから気になっていたのか、放置を決め込んでいた太陽はハネッ髪を揺らし、話しかける。
「あのさぁナッツ、上機嫌なのはいいけどソレ直してどーすんのさ?もう俺たち戦えねェんだろ?」
「ああ、これはクセみてぇなモンだよ。それに『依頼』も、もしかしたら徳川が死んでるの知らずに届いてくるかもしんねー。いつまでもお祭り気分じゃいられねぇよ」
そう、そこなのだ。
武者学課は今まで、徳川が依頼を受け取り、それに徴兵される形で金を稼いできた。
町に出て稼ごうにも、義務教育も受けていない彼らではバイトすることすらままならず、だからといっていつまでも自然に頼れるわけでもない。
徳川という窓口を失った彼らは今、袋小路の中に立たされていた。
それを内心、ナッツは危惧している。
「……そのわりには笑ってんじゃん」
「え"?いや
話を反らそうと、ナッツは咄嗟に別の話題を出した。
「そーだそーだ!春希はどうしてんだ?アイツもう起き上がれんだろう?」
回復力だけはムダにあるからなぁ~。と、レンチを回し、横目で太陽を見やる。
「あ―――、春希さんかぁ…。ええっと…」
しかし太陽は頭をかき、複雑な顔をしているだけで言葉を濁していた。
普段と違う違和感を感じたナッツは、手を止めて太陽の顔に首を向ける。
「……アイツに何かあったのか?」
作業を中止し、正面を向いたナッツの言葉に、太陽は苦笑いし、頬をポリポリ掻いて頷いた。
「なんていうか、最近ボ――っとしたりしてるんだよ。春希さん」
「はぁ?」
○□ △
「………」
二人が春希について話しあっている頃、そのご本人は徳川が住んでいた『城』の上で足をプラプラと揺らし、暖かな日差しを浴びていた。
『城』といってもあくまで徳川がつけた名称であり、上にシャチホコがのってたりするが、それ自体はテレビでよく見る武家屋敷を思わせる。
そこは昔、徳川が自らの威厳を見せつけるために無駄な金をつぎ込み、作らせたものだった。
その大きさは歴然で、春希たちが住む所などウサギ小屋当然。
かつてここを支配していた井の中の蛙は、ここで子供たちが取ってきた食べ物を搾取し、虚空の栄光を貪っていたのだ。
しかし、その支配者ももういない。それをいいことに武者学課の者たちはここを新たな居住区にすることを決め、現在は徳川の蓄えた私物を資金とするために、根こそぎ滑車に積み込んでいる最中だ。
下では今でも「この金のワラジみたいなの金かな?」「まぁナッツに任せれば大丈夫だろ」と、せわしなく動く年下たちの声が聞こえる。
念のために言っておくが、春希はサボっているのではなく、交代して休んでいる最中だ。しかし、彼の気分は優れなかった。
「俺、あまり役に立てなかったな」
今にも眠りそうなくらいに目を細め、顔をうつ向ける。その先には、緑の布で手袋のように包まれた腕があった。
「……………」
最近の自分は、どこかおかしい。
自分のことに無頓着な春希でさえ、ハッキリ分かるほどに。
皆でここへ帰還できた時は確かに嬉しかったし、食べることができなかったものを口に入れた時は、その味を忘れはしまいとしっかり噛みしめた。
だが、この緑の布を見るたびに『あの子』の顔が浮かんで、何もかもが頭からなくなってしまう。
なぜ?
徳川の買い集めた高級品を持ち運ぶ時も、ふとこの手が目に入ると立ち止まって、ジッと見つめ続けてしまうのだ。
その結果何度も注意されたが、この布のせいだと思えなかったし、言えなかった。
どうして?
目にするたびに、『あの子』の顔が、ころころ楽しそうに変わる顔が目に浮かぶ。
胸に何か、絞めつけられる感覚がする。
だが、それさえ不思議と心地いい。
なぜ?
「……………」
自身の両手を重ね、眼下に見やる。
顔を近づける。
―――スン―――
「…………んん…」
右手を持ち上げ、太陽の光に当てる。
観察するように、手首を回し、様々な方向から見つめる。
「なんで、こんなことしてんだろ」
わからない。わからない。わからない。
苦しい。楽しい。明るくなり、寂しくなる。
そこまで静かに苦悩し、春希は一つの考えにたどり着く。
「そうだ。俺、『あの子』にお礼言えてないんだ」
春希は、感謝していることを伝えないとスッキリしない性分だった。
焔の時もそうだった。あの時は仲間を見逃して欲しいと、押し付けがましい決闘に答えてくれた焔に対して感謝を伝えていた。
それがどれだけおかしな行為だろうと、それが春希の
だからこそ。『あの子』にお礼を言えばこの気持ちは収まるんじゃないかと考えた。
春希はその思考にたどり着くと、屋根から下りて足を動かす。
「なら、お礼を言わなきゃ前に進めない。進んでもスッキリしない」
行きついた先は、巨大で赤い鉄製のコンテナ。本来なら大型貨物の輸送にて活躍する代物だが、ここではあるものの収納に使われていた。
「俺は、こんな気持ちでいるなんて嫌だ」
春希は、そこの鍵となっている棒に手をかける。
春希は、生きることに精一杯な学のない少年だ。そんな彼にその気持ちの名を伝えるとしたら、こう答えるだろう。
「それは、『一目惚れ』だよ」と。
《第0章 長い、長いプロローグ》 完