激昂した獣が天に吼えた。
それと同時に、雨が振りだす。灰色の雲が空を包み、悲しみに雨が降り注ぐ。
彩りを失い、モノクロのように変わった世界に、赤色という彩りが残っている獣が、モノクロ世界に残っている。
獣の本体である爛は暗闇の中に閉じ込められていた。
「──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────」
抗わない。
吹きあられる狂風に。
苦しまない。
叫ぶようにぶつけてくる凶風に。
人の叫びであるかのように、爛の耳に届いているのは、地獄の叫びと言っても過言ではないのだから。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
黒い影の叫びが木霊する。ここから逃げ出そうと、何処かに走り去っていく。
その影を、爛は理性のない目で見つめるしかなかった。何かをどうしようという気にはなれず、同じ自分であるというのに、爛は黒い影を見つめた。何もできない自分だと、爛は絶望し、だからこそ何かをしようとはしなかった。
自分は初めからいなければよかった。居なければ、あの時から、彼女は罪を背負わずに生きていけた。幸せな日常を過ごすことができた。
それを───
壊したのは──
自分に生きる権利なんてものは無かった。
あったのは、罪を償う命の分だけ。それが終われば、宮坂爛という存在は確実に消滅する。
この命も、罪を償うためだけの命。この命で償うことができたなら、彼女はどれだけ幸せになれるのか。そんなことをずっと思いながら生きていた。
ここで死ねば、罪は次の世代へと移るし、最悪、すぐに生き返ることになる。そして、彼女は悲しんだままになる。
できることは、ここで罪をなくすこと。
彼女には申し訳ないが、もうしばらく、自分の罪に付き合ってもらいたい。
すぐになくなる罪ではないが、この生で、今までの罪を償いたい。
「───────────────────────────────────────────────────────────仕方ないな」
立ち上がった。出口を見つけるために。体は拒んでも、心が動き出したのだ。なら、体はついてくればいい。横にならんで歩けとも言わない。ただついてきてくれればいい。
この絶望した世界を変えるために、この闇から抜け出す。
「■■■■■■■■■■■■■■■■」
獣が睨む。殺してくる視線は、絶対的な恐怖だ。それを、克服しようなんてことはできない。誰もが、死への恐怖を持つ。
(───これは)
純白の気配が、獣を感じ取る。ここまで来るのは視線。死への恐怖を植え付ける視線だった。
(───あの時と、同じ)
剣を持つ手が、震えている。
あの時に感じた、死の恐怖を見た。止めなければ。彼女たちが危ない。そして、大切な弟子が、壊れてしまう。
行かなければ。
「■■■■■■■■■■───!!」
巴に向かって駆け出す。彼女を殺そうとしている。剥き出しとなった本能が、殺意が、溢れだしている。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■」
雄叫び。それらが狂風となり、巴たちにぶつかっていく。
「ッ……!!」
死ぬ。
殺される。
圧倒的な存在が今、目の前にいる。まだ、爛自身の力量を見極めきれていない。この獣が、世界を壊すのか、地球を壊すのか、果てには宇宙を壊すのか。それを知ることはできない。
「なっ……!」
目を疑った。
駆けながらも、赤い刃を展開し、それを放ってくる爛を見て、知能ではなく、戦いの本能、爛自身に根付いたものが行動となって表れている。
「■■■■■■■■■■■───!!」
放つ。放つ。放つ。放つ。
何度も何度も繰り返し放つ。駆けながら、距離を積め、確実に復讐をする。
「速い……!」
今までよりと桁違いの速さ。総司の縮地に及ぶほどの速さ。常人の動体視力、基本的な
「■■■■■■■■■■■■■」
大振りな一閃。しかし、その速さはまさに
破壊力は充分でありながら、可笑しなほどの速さ。隙と言うものが見つけることができない。
「逃げるしかないみたい。ここまで狂うのは思ってもなかったけど、ね。こうなったら、彼女を回収するか、殺しておくか、まぁでも、爛を私のものにしてしまえばいいから、彼女を殺しても問題ないよね」
巴が動く。爛の鋭く、魔力で防御をしていても簡単に崩されるような強烈な一閃を意図も容易く避けてしまう。
しかし、暴走した爛は、殺すために何度も繰り返す。例え、避け続けられるとしても、巴だけは殺さなければならないほど、爛は沙耶香のことを想っていた。妹という大切な存在に、巴は手をつけた。それが、許せない。許せるはずのないものだ。
許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せな許せな許せな許せな許せな許せな許せな許せな許せな許許許許許許許許許許許許許許許許許許許許許許許許許許許許許許───────!!!!
例え刺し違えても、彼女だけは殺す。今、爛を駆り立てている衝動は彼女を殺すことだけ。それだけを考え、抑えられなくなった自身の気持ちに、歯止めをかけることが出来ていない。
「■■■■■■■■■■■■■────!!」
目の前の殺すべき対象にしか目が行っていない爛は、周りの様子など見ることができない。正に、
巴は逃げる速さを上げていく。ただ、爛が素直に真っ直ぐ突っ込んでくることで、巴の策の中に嵌まっていることにさえ、爛は気づいていないだろう。
彼女が向かっていた先は、沙耶香が立ち尽くしている場所。周りが見えていない爛に対して、沙耶香を連れていくことや、始末することは容易なのだ。
「ごめんね。でもこれは、君のためなの」
悲しそうな、何処と無く喜びのあるような表情は、爛にとっては不気味なものだった。何をするかも分かっていない爛は、素直すぎるとも言えるほど、真正面から突っ込んでいく。
しかし、巴が剣を握り、その剣の切っ先の向きが見えた爛は、歯止めの効いていない暴走状態であるのにも関わらず、何をしようとしているのか。それが、分かったしまった。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■──────────!!!!!」
止めねばならない。自分がどうなろうとも、沙耶香にだけは触れさせてはならない。もう失いたくはないと、誰も、傷つかないでほしいと、自分自身から思い、力をつけ、守るための力を持っていた自分が、目の前で、沙耶香が刺されるところなど見たくないのだ。守らなければ、守らなければ!
「■■■■■■■■■■■■■■─────!」
雄叫びをあげる。此方の方が十分だ。間に合う。止めることができる。沙耶香が刺されるよりも前に、此方の剣が巴を切り裂く。例え、王馬辺りから妨害が入ったとしても、沙耶香を守ることができる。
「遅いね。私が対策もなしに、馬鹿正直にこんなことはしないよ」
刃が───止められた。
沙耶香に───剣が刺さった。
目の前が───暗闇の中に包まれる。
絶望に、叩き落とされる。
叩き割れると思っていたものも、自分自身で全てできるために、何もかもを取り入れて、誰よりも強くなって、大切な人を守る力がほしかった。
渇望し続けたその力は、まだ、足りなかった。展開された魔力障壁の質が段違い過ぎる。本来、障壁を形成している魔力の質がいいほど、魔力障壁の力は大きくなっていく。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■────!!!」
暴走をしてもなお、目的を見失わないために、動いていた爛の最後の理性が失われた。簡単に枝を折るかのように、ポッキリと。
最後に残ったのは後悔と、絶望。
叶えられた思いは、復讐すべき相手に折られてしまった。
爛に考える力は今持っていない。戦おうと思う力はない。───を助けようとする思いも、ない。──も、──も、─も、─も、─も、──も、───も、──も、────も、──も、────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────
もう何も、分からない。
記憶が混じり合う。大切な人たちの名前がひとつひとつ消えていく。記憶のなかで、全てがなかったこととされるように、恐怖を消そうとしている。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
これが例え独り善がりな愛であろうとも、この一生だけは、目の前で失わないと、沙耶香が居なくなってから、決めただろう。
なら立ち上がれ。己の全てを振り絞って、助け出せ。この独り善がりの愛を、彼女たちは受け入れてくれた。沙耶香も同じではないか。それで、彼女たちを振り回して、死なせるのか? 死んでいくのか? それだけはさせない。まだ、彼女たちは満足していない。こんなことをさせている自分だ。最後まで彼女たちに付き合わないとじゃないか。譲れない。誰にも邪魔をされてはいけない。
だが、爛の振り絞った最後の気力は、空を切った刀のように、力のないものだった。
「アアアアアアアアァァァァァァアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァアァァァァァァァァァァ───────!!!!」
爛の咆哮は、悲しみに濡れた獣の咆哮だった。それを呼び声に、雨は、赤い雨に変わっていく。爛を濡らし、赤く染め上げていく。
その声は、時を同じくして、爛の神領から出た六花たちにも聞こえた。
ーーー第74話へーーー