時の流れって、無常だ。
こう、どうでもいい時なんかは、まだこれだけしか経ってないのーってくらい、時間の進みがすごい遅い。
例えば、なーんにもやる事がなくって退屈してる時とかがまさにそれ。
なのに焦ってる時だとか、何かを時間までに終わらせなきゃって時は、びっくりするくらい時間が早く過ぎるんだよね。
例えば、
「あ、あぁぁぁうっ……ぁぁぁぁぁぁ」
今の私みたいな状況とか、ね。
「ふぐぅぅぅぅぅ……」
活気溢れる教室内でため息だか呻き声だかよくわかんない声を出しながら、私は机に突っ伏している。
終わってしまった。
今日の授業、どころかHRまで終わって、もう完全に放課後になっちゃったよ。
ど、どういうことなの……。
五、六時間目が体感的には三十分くらいで終わっちゃたんだけど。
いつもはこんなに早く終わらないよね?
あーまだ十分しか経ってないのかー、を五回くらい繰り返して、そんでもってようやく授業が終わるんだ。
なのに今日に限って、まだ十分くらいしか経ってないよねって時計を見たら、三十分以上経ってるんだもん。
絶対、時間の流れがおかしいよ。
特に午後。
というか午後だけ。
……そうだ!
さては、この教室の時計に誰か細工をしたな。
先生と私の目を盗んで時計の針を進ませて、んでもって、スピーカーの配線にも細工を施したりなんかしちゃて。
きっとチャイムの音源は携帯から流したに違いない。
うん、そうだ。
そうに違いない。
だってそうでもなきゃ、こんなに早く授業が終わるはずがないもん。
ふふふ、誰の小細工か知らないけど、その企み見破ったり!
「ふ、ふふふふふ……」
私は机に突っ伏したまま、ポケットに入れている携帯を取り出す。
たとえ、教室の時計を進ませることが出来たとはいえ、携帯の時計までは進ませることなんて出来ないでしょ。
きっと携帯の画面をつければ、そこには五時間目辺りの時刻が表示されているはず。
そ、そうに違いないよ。
よし。
さぁ携帯よ、本当の時間を私に教えて!
「…………」
ディスプレイに映る時刻は、しっかりと放課後に突入していた。
……うん、まぁ放課後だよね。
はいはい、わかってました。
そーですよ、現実逃避ですよー。
でもさ、そうでも思わなきゃさ!
「宿題がぁぁぁぁぁ……」
さっぱり終わってないんだもんんんん!
雪ノ下先輩から出された宿題。
信頼、怠惰、卑怯。
その三色の言葉を混ぜ合わせる宿題。
たった三つの言葉、たった三つの単語。
それを混ぜて、その意味を推理するだけ。
なのに未だ私は、何一つ手ごたえを感じることが出来ないでいた。
これでも五、六時間目の授業そっちのけで考えたんだよ?
頭を捻って、首を捻って、小首を傾げてもこのざまなんだ。
三つの言葉は上手く混ざる気配を、全然見せてはくれない。
「むぐぅ!むぐぅ!むぐぅ!」
さっぱり分からないことへのもどかしさ。
頭を抱えて、それを振り払うようにぶんぶんと首を振った。
机のひんやりとした冷たさが、考え過ぎで熱くなった額にごんごんと当たって気持ちいい。
……いや、やっぱ痛い。
でも、そのジンジンと波打つ痛みのおかげかも。
ほんの少しだけど、ぼやけている頭の中に透明さが戻ってくる。
「怠惰と卑怯はなぁ……」
その二つは簡単に混ざり合う。
何かから逃げる為の怠惰、だらけて怠ける。
そして逃げるだけだから卑怯、勇気がなくて正面から向き合わない。
でも。
「どこに信頼がはいるのぉ……」
信じて頼りにする。
そして、疑わないこと。
「信頼の本質は怠けていること、その行いは卑怯」
雪ノ下先輩の言葉を、もう一度口に出して確認する。
信頼するってことは、だめなことって意味なのかな?
……いいや、それは違う。
そんなこときっと、雪ノ下先輩は私に言わないはずだ。
そんな簡単なことは、絶対に言わない。
「……ん?簡単なこと?」
自分が呟いた言葉。
それに、私は違和感があった。
なんで、今、私はそれが簡単なことだって思ったんだろう?
簡単なことって信頼することが?
信頼することが簡単?
…………。
びゃー!
もうっわっかんない、わっかないほあー!?
「ふんっぬっ!」
次から次へと浮かび上がる謎に耐え切れなくって、意味不明な叫びを胸中で上げ始めた私の頭。
そこに突如、ごんっと鈍い音が響いた。
説明しよう!
これは、ヘッドバッドの音なのである!
狂乱する頭をなんとか鎮圧する為、私は机に思いっきりそれをかましてやったのだ!
以上、説明終わり。
まったく、誰がぼやけた頭に透明さが戻ってきたなんて、テキトーなこといったんだ。
全然戻ってきてないし、それどころかヒートアップしてるじゃない。
ほんと無責任にもほどがある。
本来は気のながーい、聖人と巷で有名ないろはさんもこれにはお冠だよ!
……あぁダメだこの頭、外の冷たい空気でクールダウンしなきゃ使い物になんない。
このままここで考えていても進展しそうにないしって言い訳を追加して、ひりひりと痛む額を擦りながら私は立ち上がる。
いかにも億劫ですよといわんばかりに、ぬるりと動き始めると、急に私へ視線が集まった、
……え、なに?なになに?
集まった視線を辿り、周りを見渡す。
そこには、ドン引きな表情で私を訝しむ周囲の目があった。
ちょっと、いやいや、そんなに引かなくてもよくない?
私そこまで変なことはしてないでしょ?
……はい、変な動きしてましたね、驚かせてごめんなさい。
これ以上、放課後の和気藹々とした空気を壊すべきじゃないよねってことで、友人には口パクで別れの挨拶を済ませ、ぺこぺこと頭を低くしながら鞄を持って教室を去る。
廊下に出て訝しげな視線を振り切ると、ホッと一息ついた。
さぁ外を目指してレッツゴーと意気込みだけは元気に、されど廊下を歩くその足取りはふらふらと覚束なかない。
うぅーかなり頭が疲れてるっぽいなー。
あ、そういえば頭が疲れてる時は確か……。
「んー。……試してみよっかー」
疲れた頭には糖分だ糖分、ってどこかの甘党先輩がいっていたので、いや、あの人いっつも糖分取ってる気がするけどさ。
まぁ効果の程は期待せず、とりあえず試してみようと自販機の方へと舵を切る。
ゆらゆらと風に揺られる草花のように歩くこと、ちょこっと。
前方にひっそりと佇む自販機が見え始めた。
……お、おぉ、オアシスみたい。糖分だ、糖分がとれるよぉ。
砂漠で彷徨っていた旅人のように、息も絶え絶えでミルクティーを買う。
さぁさっそく飲みますか、と口を添えた時、
「あっ!やっはろーいろはちゃん」
なんて、不思議な挨拶が後ろから聞こえた。
ボトルを咥えたまま振り返ると、そこには、紅茶のいい香りと程よい甘みが……って違う違う、ミルクティーの感想いってどうするの。
朗らかな笑顔の結衣先輩が、駆け足で近づいて来ているのが見えた。
「ふぁふぁーろてふ、ひゅぃひぇんはい」
「ば、バッファローですフゥー変態?」
「…………」
いや、確かにボトルを咥えたままだから、聞き取りにくかったかもですけどね。
でも会って早々、そんなこと言う人いないでしょうに……。
それと、なんの謂れがあってバッファローさんは変態だなんていわれてるの。
なんでかテンション上げ気味だし。
……可哀想過ぎやしませんかね、バッファローさんが。
ちなみにやっはろー結衣先輩が正解です。
「あーそうだったんだ。ごめんごめん」
たははーって快活に笑う結衣先輩。
その笑顔に、ついつい釣られて私も笑ってしまう。
「もーそんな間違いフツーしませんよー」なんて言いながら笑い合っていると、ふと思いついた。
結衣先輩ならわかるかもって。
雪ノ下先輩と一番近しい関係の彼女なら、あの宿題の意味もわかるんじゃないかな。
……あーでもなー。
なんだか、それは手を出しちゃダメって感じだよね。
テストでいったらカンニングみたいなもんかな?
こういうのってちゃんと自分で考えて、悩んで、それで雪ノ下先輩にその意見をぶつけるっていうのが大切なんだと思う。
結果じゃなくて、過程が大切ってこと。
なのに、ここで結衣先輩から雪ノ下先輩の真意を聞き出してしまったら、それが台無しになっちゃう。
うん、やっぱりそれは良くないよね。
自分でしっかり考えて、間違っていても答えを探すべきなんだ。
よし、私の考えは決まった!
せっかくだし、その証人としてここで結衣先輩に決意表明を聞いてもらうことにしよう。
びしっと決めちゃうんだから!
「結衣先輩ー!聞いてください相談乗ってください教えてください結衣先輩ーっ!」
……いやほら、先輩も頼ればいいんだよっていってたし、それに頼られないのって辛いからね!
それと雪ノ下先輩に相談して結衣先輩に相談しないってのも、なんだか仲間外れにしてるみたいで悪い気がするし!
「ふ、ふぇ!?な、なに!?急にどしたのいろはちゃん!?」
笑顔溢れるほのぼのとした空気から一転。
突然な私の変化に驚く結衣先輩。
素直に頼るって決めている私は、それをものともせずに飛びつく。
……それは素直とはいわないってツッコみは受付ません。
私は結衣先輩の了承も得ないまま、一人勝手に語り始める。
雪ノ下先輩にも打ち明けた、信頼と不安のこと。
その時に出された宿題についてを。
それと、雪ノ下先輩の時には言っていなかったけど、彼が好きなんだってことを、この話の流れで結衣先輩に打ち明けておこうと思った。
きっと引き伸ばせば引き伸ばすほど、言い出しにくくなるだろうから。
だから、早く言っておこうって。
でも。
いざ、そのことを口に出そうと思ったら、
「あ、あの結衣先輩。それと私……い、いえ、これは違いました。あ、あははー」
私は言えなかった。
ううん、違う。
言えなかったんじゃなくて……そうだ、言わなかったんだ。
雪ノ下先輩に相談した時と同じ。
そう、言うべき時はきっと今じゃないはず。
たぶん今じゃない。
そう、だから私は言わなかったんだ。
× × ×
始めはわたわたと慌てていた結衣先輩が落ち着きを取り戻すのは、そう時間がかかることではなかった。
あれよこれよと怒涛の勢いで語っていた私を上手く落ち着かせ、あの場では人目も多いしってことで、結衣先輩に促されてやってきた校舎の外。
髪を揺らす風はひんやりとしていて寒いけど、乱雑に散らかった私の思考をきゅっと集めて小さくしてくれた。
「んー、なるほどねー」
結衣先輩は口に咥えていたストローを離すと、そう呟いた。
それと入れ替わるように事のあらましを話終えた私は、冷えた身体を温める為に手元のミクルティーへ口を付ける。
温かくて甘い。
それが、激しく起伏していた私の意識にそっと重なって、なだらかな水平線を作った。
一つだけある凹みから目を逸らしたままで。
「……ほぅ」
吐き出すものを吐き出して、落ち着いた。
その息は頭の熱が逃げていくみたいに白い霧になる。
ぼんやりと浮かんだ吐息の跡が、ひっそりと空に溶けて消えるころ。
結衣先輩は顎に手をあてて、目を閉じたまま「んー」と、少し逡巡した後に、
「あのね、いろはちゃん」
ってこれから言うことがあります、みたいな話の切り出し方をした。
ははーん。
この切り出し方だ。
きっと、雪ノ下先輩がいった言葉の意味を、これから解説してくれるに違いない。
さっすが結衣先輩。
私があれだけ時間を掛けてもさっぱりだった宿題を、こんな短時間でばっちし解いてみせるとは。
いつもはおバカキャ―――ん、んん、天然キャラの結衣先輩だけど、本当は頭の回転が速い人なのかもしれない。
うんうん、きっとそうなんだろうな。
この悩み、わけのわかんないことも多くて、頭はオーバーヒートするし、周りの人に白い目で見られるしで悪いことばっかりかと思っていたけど。
でもこの悩みのおかげで、たった今、結衣先輩の新たな一面を発見すことが出来たし、何より結衣先輩と雪ノ下先輩に素直に頼るってことも出来るようになった。
今までの私には、無理だったことが出来るようになったんだ。
そう考えると、この悩みの種も私を成長させる為には必要だったんだと思えてくる。
唯一の心残りは、自分だけの力で宿題を解くことが出来なかったってことかな。
でも、まぁ雪ノ下先輩も鵜呑みにはするなっていってたから、結衣先輩のヒントを元にして自分なりの答えを出すことでよしとしよう。
ということで、さぁさぁ、結衣先輩。
びしっと解説お願いします!
そんな私の期待に満ちているだろう視線に、結衣先輩は力強く頷いてから口を開いた。
「えへっ、あたしもわかんないや」
「ズコー!」
わからないんですかーい!
じゃあさっきの頷きはなんだったんですか!?
結衣先輩はもう理解しているんだ、すごいなーって思ってた私の尊敬の念を返してくださいよぉ!
肩透かしをくらった私は、どたどたとから足を踏む。
その姿は、きっと周りから見ればひな壇芸人さんそのものだっただろう。
やだ、私こっちの才能あったの……?
「あ、でも、ゆきのんが難しい言葉を知ってるんだなーってのはわかったよ」
てへへーって無邪気な笑顔でそういう結衣先輩。
とっても楽しそうな表情だ。
それを見たらもう、小学生みたいな感想を言っていることへツッコみを入れる気分も霧散しちゃって、また私も釣られて噴き出してしまう。
二人でころころと笑い合って。
少し経って、それから。
結衣先輩は「それとね」って、さっきの言葉を続けるみたいに、
「いろはちゃんの気持ち。それもわかるよ」
そう言った。
「……えっ?」
「あたしも、だもん。不安になるの」
意外、だった。
結衣先輩が私と同じで、彼に不安を感じることがあるっていうのが。
だって、そんなの全然予想なんかしてなかったから。
結衣先輩は私よりもっと近くて、それにもっと傍で彼と一緒にいる。
だから、不安なんかそんなもの微塵も入り込む余地がないくらに大きくて、混ざりものの無い透き通った信頼を寄せていると私は疑いなくそう思っていた。
だから。
不安になる。
そう結衣先輩がいった言葉が信じられないくらいには、意外なことだった。
「ヒッキー、それとゆきのんも。少し前までね、二人とも隠そうとばっかりしてたんだよ?」
つらいなーって、くるしいよーって顔して隠すの……バレバレなのにね。
昔の出来事を思い浮かべているみたいに、ぽつりぽつりと呟く。
視線は雲が穏やかに流れる空へ。
そこへ何かを映すように見上げていた。
「今は隠すの、だいぶなくなってきたけど。でも、時々しようとするからさ」
特にヒッキーはまだ油断できないなー、って小さく苦笑いをする。
空へ向いていた視線が、少し落ちた。
その先、校庭の外に敷かれた車道をぼんやりと見つめている。
「信頼してるよ。けど、不安だよ」
でも、それでいいと思うの。
不安だと認めてるのに、でも、それでもいいんだというのは強がりかなって私は思った。
それでいいって、そう言っているのに、見れば瞳の奥は不安そうに濡れていたから。
やっぱり強がりなのかなって思った。
……けど、違ったんだ。
その瞳は確かに不安で濡れてはいるけど、でも不思議な輝きを放っていた。
不安そうなのに。
だけど。
その瞳、その意思は欠片も揺れてはいなかった。
そして、私の疑いを晴らすように、不思議な輝きを宿したその瞳と「あたしは、こう思ってるの」から始まる、
「それは悪いことじゃないって」
その言葉が、強がりじゃないって、嘘じゃないってことを証明する。
新しい色が付いた。
雪ノ下先輩の時と同じで、その言葉は私に見たことのないような色を付ける。
でも。
信頼してる。
なのに、それを否定するみたいな不安を抱く。
それは、きっと心の底では信頼してないってことで、していたとしても不安になる程度しか信じてないってことで。
もちろん、それがきっぱり良し悪しが着くものじゃないとは思うけど。
私はどっちかというと悪いもの、そう思えてしまう。
「……うん。そうなのかもしれないね。私がそう思いたいだけ、なのかもしれない」
私の意見を否定せず、かといって賛成もせずに受け止める。
そんな結衣先輩は、いつしか俯いている。
さっきまで空にあった視線は、もうここまで落ちていた。
「こんなこというあたしを周りの人が見たら、もしかしたら二人を全然信じてなさそうって見えるかもね」
いやな人だって、思うかもしれない。
でもね。
それでもいいんだ、あたしは。
……だって。
「二人とも、ホントに大切な人だから」
その言葉を大切そうに抱いて、宝物をそっと撫でるみたいにして胸へ手を当てた。
俯いた顔から覗く瞼は、柔らかに閉じていて、
「…………」
そんな表情に私は見惚れていた。
目が離せなかった。
彼の笑顔を見た、あの時と同じように。
それは。
優しくて。
それは。
温かで。
そして。
とても綺麗だったから。
「大切だから、不安だよ。他の人じゃ、ならないもん」
とっても、とーっても信頼してるけど。
でも、なくしちゃいけないの。
この不安はそれだけあの二人を、一生懸命に考えてるってことだと思うから。
苦しくて、つらいなーって、悲しいときだってたくさん。
考えるの止めたら、きっと楽になれるってそう思う。
そんな思いしなくて済むと思う。
でも。
それでも、ね。
二人をいっぱい思って、これでもかってくらい考えるの。
途中で諦めたり、楽な道は選びたくないから。
「あたしの信頼ってそんな形をしてるの。……いろはちゃんはどう思う?」
閉じていた瞳をそっと開いて、淡く微笑んで問いかける。
見惚れたままの私はぼーっとした頭で、その問いに誘われて意識を内に向けた。
私の中で三つの色は喧嘩し合っている。
でも、今はそこに新しい色が付いていた。
大切。
その色は他の色を少しづつ、少しづつ合わせて混ぜていく。
大切だからこそ信頼していて。
でも、大切だからこそ不安になって。
それに耐えきれなくなって逃げて。
逃げてるだけなのに、わかったふりをして怠ける。
そして辿り着く、絶対っていう楽な逃げ場。
じゃあ、その不安から逃げなかったら?
どれだけ辛くても、どれだけ苦しくても逃げなかったら?
その先には、なにがあるんだろう。
大切な人のことを考えて、思い続ける。
わかったふりで済ますんじゃなくって、わかろうとすることを止めない。
そんなことをして、その先に、なにか得るものがあるの?
―――たくさん傷つけ合って、傷つき合って、それでも共にあろうとする。
……そうだ、私はもうそれを知っている。
彼のおかげで気付けたんだ。
そこにある絆は、信頼はきっと―――
「―――いろはちゃん」
深く沈んだ意識の中で綺麗な輝きが見えた、その時。
私の開きかけた口を結衣先輩が止めた。
「それ、あの二人にも聞かせてあげよ?」
そういって結衣先輩は「ほら帰ろ」って、私の手を取った。
ちょっと強引に、でも優しくて温かいその手に導かれる。
呆けたままの私は連れられ、辿って行く。
行こうじゃなくって、帰る。
そんな風にいわれる場所へ。
まるで、私の居場所がそこにあるみたいに。
「ただいまー!」
そして、辿り着いた。
もう何度も通って、いつしか見慣れた空き教室。
そこへ結衣先輩はなんの躊躇いもなく扉を開けて、帰る。
「おかえりなさい」
「……ん」
中から聞こえる二つの声。
「えへへーただいまっ!」
それに、もう一つの声が混ざって三つになる。
あるべき場所に、あるべき声が帰った。
カチッと音が聞こえそうなくらい、ぴったりと隙間なくはまったみたいだった。
「…………」
だから、私は躊躇した。
ここへ私が、それ以外が入ってもいいのかな。
余計な色が入ってしまっても、いいんだろうかって。
扉のレールが境界線に見えた。
あの三人と、それ以外を隔てる線。
それを前にして、私は動き出せなかった。
けど、そんな躊躇いも、
「いろはちゃん」
朗らかな笑顔に包まれて溶けていく。
釣られた私は頬が緩んで、自然とその境界線を踏み越えることが出来た。
教室の中は、いつも通り。
微笑む雪ノ下先輩がいて、私を見守ってくれている結衣先輩がいて、頬杖をついた彼がいる。
うん、いつも通りだ。
私が入っても、壊れなんかしない。
「雪ノ下先輩。それと結衣先輩と先輩」
教室を見回してから、三人に呼びかけた。
それに雪ノ下先輩が代表して「何かしら?」って聞き返す。
「私、私は皆さんを……」
目を閉じて、顔を伏せる。
ゆっくりと息を吸ってから、もう一度だけ考えた。
私の信頼を。
それで合っているのかなって。
考えて、それでもやっぱり出た答えは同じだった。
だから、言おう。
「絶対の信頼は、していません」
絶対なんて、そんな簡単な言葉で済ませるわけにはいかない。
絶対なんて、そんな辿る道や行き着く先がわかっている楽な道は選ばない。
絶対なんかで、満足なんてしたくないから。
「だって―――」
閉じた目を開けた。
さっきよりも優しく微笑む雪ノ下先輩を。
少し自慢げな結衣先輩を。
不思議そうに首を傾げた彼を。
しっかりと見つめてから、ありのままそれを口に出す。
「ホントの信頼、してますからっ!」
第八話 翳る信頼その答え 下
お疲れ様でした。
生硬な文章にもかかわらず、ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
後書きのネタが枯渇し始めた今日この頃。
皆様は如何、お過ごしでしょうか?
いやはや、この自分にも「しょうもないことなら、いくらでも書けるなー」なんて思っていた時期がありました。
……え?別に書かなくてもいい?
そ、そう仰らずにぃ!
こほん。
短いですが後書きはここで。
それでは、皆様。
また再来週辺りでお会いできることを、心待ちにしております。
×××裏物語×××
ある空き教室にて。
「…………」
「…………」
「……由比ヶ浜さん遅いわね」
「……もうすぐ帰ってくんだろ」
「…………」
「…………」
「……遅すぎるわ。由比ヶ浜さんの身に何かあったのかもしれないわ」
「スパンがはぇよ。お前は由比ヶ浜のオカンか」
「いいえ?友達だけれど」
「冗談を本気で返すって、それ典型的なコミュ障がすることって言われ―――んんっ。……そんな気になるならお前が買いに行けばよかったじゃねぇか」
「それはそうだけれど、仕方ないじゃない。由比ヶ浜さんが発案したにもかかわらずジャンケンで負けたのだから」
「あの流れ、まさに由比ヶ浜らしいアホさ加減だったな。あれはもう形式美と言ってもいい」
「そもそも、帰りが遅い原因は恐らくあなたが『スポルトップ』なんて頼むからよ。校内の自動販売機で売っているの、それ?」
「以前はあったような気がしなくもない。今は……」
「……比企谷くん、あまりに遅くなるようならあなたが探しに行きなさい」
「ぐ、ぐぬっ。……だが、そう言うなら雪ノ下。お前が頼んだ『野菜生活100いちごヨーグルトミックス』だって売ってんのか?」
「…………以前は見かけていたわ」
「以前は、ねぇ」
「くっ」
「…………」
「…………」
「……あと十五分して戻らなければ探しに行きましょう」
「……了解だ」