どんなものであれ、時間が経過すれば変化していく。
俺だって、いつかは変わるのだと思う。
どれだけ自身の中で頑なに変わることを拒否しようとも。
自身がどうであれ、そんなことは関係なく、周囲から見た俺は変わっていく。
全てが変わり続けるなら、その周囲というやつに俺の在り方はきっと変えられてしまうだろう。
だから。
――――だから俺は変わらない。
俺は変わらない、のだが。
他は変わっていく。
それは生物なんて括りだけではなく、様々なものが変わっていく。
大げさにいえば、地球さえも。
変わって欲しくないものも変わっていく。
暖かく過ごしやすい季節さえ、こちらの都合も知らず寒くなったり暑くなったりする。
そのことを踏まえると、変わることは我儘であるともいえる。
というと、変わらない俺は我儘を言わない素晴らしい人格者であると言い換えることが出来るはずだ。
地球より寛大な俺を崇めて、家から出なくていい環境を整えて欲しいものである。
色々と長くなったが、つまり何が言いたいのかというと、
「……寒い」
その一言に尽きるのだ。
冬休みも終わり、三学期も始まって一ヶ月が経ち、もう二月。
過ごしやすかった秋も今は昔。
春の気配もちらほらと見かけ始めたが、まだまだ極寒の冬真っ盛りと言ったところ。
校内に植えてある桜もまだまだ蕾が固く閉ざされている。
俺ですらこうして学校へと出てきているというのに、あの蕾たちときたらそんな事など露知らず閉じ籠っているのだ。
まったくもって羨ましい。
いやいや、けしからん。
今度からは、その周りを気にしない閉じ籠りっぷりを侮蔑して蕾さんと呼ばせていただきます。
蕾さん、ずっと前からその姿勢尊敬してました。
気温もさることながら北風改め、北極風としてもいいような冷たい風だ。
沿岸部であることも相まって、吹き抜ける風はかなり冷たい。
体感温度としては気温のそれよりさらに低い。
そんな身震いするような寒さの中。
俺はベストプレイスでズボンと靴下の隙間から執拗に入り込むいやらしい風になすすべもなく晒され、身体をカタカタと震わせながらも昼食と洒落こんでいる。
別に教室に居づらくてここへ来ているわけではない。
そんな受動的な理由で、ここへ赴いているわけではないことを声を大にして言っておきたい。
最近の教室は残り二ヶ月となった今学期に焦ったリア充の所為で思い出作ろーだの、クラス変わっても校内で会うよなーだとか、駆け込みコミュニティ強化が頻繁に行われているのだ。
三年生になると進学先が理系か文系でクラスを分けられる。
そのことが、コミュニティ強化が熱を帯びる要因の1つであろう。
分けられたクラスでのグループ形成を失敗した時の逃げ道確保。
そう言い換えることも出来る。
そんな強化月間中の教室で昼食なんぞとってしまったら、全然話したこと無い奴にうっかり声掛けられちゃって。
ほんでもって、いやこいつはないわって思ってるのにこっちから声かけちゃったから体よく話し切り上げる理由を探してそわそわしてる、そんな姿見なきゃならん可能性がある。
それを未然に防ぐ為、こうしてわざわざ寒空の下、ベストプレイスで昼食を食べているのだ。
こちらとしては要らぬ手間を省いてやっているのだ、寧ろ感謝されてもいいはず。
「ぁぁぁああぁ……」
また足元の隙間狙い風が吹き込んできよった。
こやつ、どれだけ狙い撃つつもりだ。
なんだ嗜虐的なのか?
なにどSなの?
このどS野郎、いやどS風め。
……おっと、なんだかフランス料理みたいになっちゃったぞ。
「…………ぇい……ぉ……ぁい……」
……違う。
今のは違う。
今のは俺の声ではない。
さっき聞こえたンミナミィみたいな情熱と不満が混じり合った喋り方は、まぁ、家ならばする。
だが、誰に聞かれるか分からないこんな場所ではしない。
まして、身震いのし過ぎで脳が揺れて、顎にいいのもらったボクサーみたく無意識のうちに口から漏れでたとかでもない。
さっきのは他人の声だ。
何を誰に説明しているのか分からないが、もしかしたら草の茂みに隠れている奴がいて急に俺の声だと断定してくる可能性も捨てきれない。
油断大敵、伏寇在側を心がけるのも、またぼっちの鉄則。
辺りをきょろきょろと見回してみる。
いつも通り、理想的なベストプレイスだ。
俺以外は人っ子一人いやしない。
それどころか、ここを人が昼休みに通りかかること自体が稀。
ふむ、誰もいないってことはいつものか。
この八幡、隙を突かれて接近されたかと思うたぞ。
いつもの。
そう、ここでは頻繁ではなにせよ、それは珍しいことではない。
そして、人がいないのにもかかわらず、どこかから声がするという点も驚くことではないのだ。
もちろん、それは心霊現象だとかいった類ではない。
ここは人通りが、ほぼほぼない。
そのおかげか、話し声だとか雑音が少ない。
そんな環境だと大きくない音でも思った以上に響くし、多少遠くでの音もこちらへ聞こえてくるのだ。
イメージとしては、放課後の人がいなくなった教室。
グラウンドから距離があるのに掛け声なんかが聞こえてくる、あれ。
それと同じことがここではよく起こる。
「…………ぇとかぁ……ちぉ……」
途切れ途切れに流れてくるの声。
発声時点でそこまで大きな音ではないのだろう。
おそらく部活熱心な奴の声ではなく、ただの話し声。
実はいうとこれも、最近発見したここの利点の一つだ。
と言うのも、ぼっちには友人という情報提供者がいない。
情報は全ては自身で集めなければならないのである。
それはテストの範囲から、次の移動教室の場所など多岐に渡る。
もちろん教室での寝たふり情報収集もかかさないが、どうしても自分一人では聞き逃しが出てしまう。
そこで、ここで漂ってくる会話に聞き耳を立てて、虫食い状態の情報を完成させるのだ。
人通りも少ない。
情報BGM付き。
何より戸塚の、天使の舞を拝むことができる。
それらが全て揃っているのは、そう、ここだけ。
我ながら素晴らしい場所を発見したものだ。
昔から隠れる場所を探すのは得意だったが、まさかここまでとは。
自分の才能が怖いまである。
「…………ぃ……ぃね……ん……」
「……ふむふむ」
途切れた声で聞こえてくる情報から推測する。
おそらく聞こえてきた単語は、「ぇいぉぁい」「ぇとかぁちぉ」「ぃぃねん」。
実際、声の届き方がどうだかとかの論文を読んでいるわけではないので、曖昧な主観によるものだが、距離が離れるとどうにも母音が薄れるというのがここで情報収集をする俺の見解だ。
なので、はっきり聞こえる声以外は子音と薄れた母音だけがヒントだ。
それらを元にして推測、復元する。
瞼を下ろす。
暗闇の中、集中して聞こえてきた手がかりを頭の中で反芻、パズルのように組み立てる。
「……せいとかい。せいと……かいちょう。……いちねん、ふむ」
風が運んできたお便りの内容は「生徒会」「生徒会長」「一年」。
生徒会の会長。
それだけでも十分だが、一年とくればそれが誰を指しているか明確だ。
総武高校一年にして、生徒会会長。
可愛くない小町且つ劣化版陽乃さん且つニセめぐり且つ超強化相模且つタイプ別折本にして、非天然ゆるふわ小悪魔系ビッチにして、俺の唯一の後輩。……に、似た存在。
「……一色か」
……あいつ、また話のネタになってんのか。
どこかの誰かさんは、そんな彼女の話をしているようだ。
よくもまぁ、そんなことで話が続けられるなぁ。
なんせ、あの似非ゆるふわ系の話題だ。
やれ何組の誰々に媚を売っているだの、やれ葉山に近づきすぎだの、俺にとってあぁそうですか程度の話ばかりだろう。
そんな話して楽しいのかしら……?
まぁ、恵まれた容姿と数々の男を手玉にとる小悪魔的性格は否が応でも目立つ。
それに今や、一年生生徒会長なんて肩書が付いちゃって。
以前と比べても遥かに、それこそ一年界隈のみに収まらず、城廻先輩、葉山や雪ノ下にも勝るとも劣らない程の有名人。
それだけ目立つ存在だ。
頻繁に話題の一つに上がるのは、わからんでもない。
わからなくはない、けども。
もっと他へ目を向けろよ、と思うのだ。
例えば、そうだな。
気を遣って外で飯を食べてる奴とか。
……べ、別に褒めて欲しくなんかないんだからねっ!
まぁ、そんな何もしなくても勝手に耳へ入ってくる情報だ。
今後、それが必要になることもなさそうだし、このまま聞き流しても構わないのだが。
いや、構わなかったと言うべきか。
そう少し前までは、だ。
現在は違う。
少しだけ。
ほんの僅かだけ、その話題へ耳を傾けるようにしている。
ふわふわしちゃってるしょうもない情報など、本当は1バイトも頭へ入れたくはないところではあるが。
だが、どうにもそういうわけにはいかない理由が出来たのだ。
その理由。
それは、奴から押し付けられる雑用の多さが関係する。
雑用を押し付けてくること自体は、以前から責任だのなんだのと俺の断りづらくなるワードを巧みに駆使して押し付けてきてはいた。
が、近頃どうにもその頻度が増えている。
いや、頻度が増えているなんてレベルではない。
以前と比べて圧倒的に多い。
簡単で単純な事務処理。
女子の力でも簡単に運べる重さの荷物運び。
あまつさえ会議の記録係、議事録作りに至るまで。
内容の難易にかかわらずとにかく扱き使われるのだ。
それに加えて、どんな作業でもあいつの監視下に置かれるわ、纏わり付かれわのおまけ付きだ。
確かに出来る限り仕事はしたくないが……んぅ違うな、絶対にしたくない。
だが、やる気ではなかった彼女を煽って生徒会長に祭り上げたのだ。
その罪悪感がある手前、嫌々ではあるが任されてしまった以上、俺だって投げ出して逃げたりはしない。
だと言うのになぁ。
あいつときたら、いつ逃げるかわからないルパンを監視する銭形警部ばりに離れない。
息抜きがてらマッ缶を買いに行くのも、一色の同伴がなければ行くことができない徹底ぶりだ。
まったく、先輩を信用して敬うってのを覚えるべきだと切に思う。
副会長あたりが先輩とはなんぞや等を、根気強く説いて欲しいものだ。
あっ、副会長被害者側だから言えないよね。
そうだよね、弱者は強者に遜るしかないよね。
そんなこんなで、生徒会長監視下であまりに多く生徒会の作業をこなす俺は、周囲から生徒会役員と間違われている可能性まである。
というか確実に間違えられている。
何故なら、卒業式の運営会議の日程をつい先日、教師が俺へ伝えにきたからだ。
いやはや、あの時は本当に驚いた。
あまりに違和感なく、自然体で伝えてきたのでこちらも咄嗟に、
「いや、えっ?……あっ、はい。了解っす」
なんて間違いを正そうかと思ったのも一瞬で、うっかり受け入れてしまったぐらいだ。
他の役員にも伝えといてくれ、なんて言い残して去っていく教師を見ていると、俺が生徒会役員になっている世界線に飛んでしまったのかと、廊下のど真ん中でうんうんと頭を抱えたのも記憶に新しい。
そんな教師にすら間違われる役員擬きである俺でも、生徒会がどれほどの仕事量を抱えているのかは今一つ把握していない。
あくまで俺は役員擬き。
なので、携わる作業は雑用程度だ。
以前あった海浜との合同クリスマスパーティーのように、生徒会のみでは処理しきれない場合は渋々ながら運営にも携わるが、その時限りでその他はノータッチ。
故に、俺が生徒会の作業量について知る機会は自分から聞き出す以外にまずない。
もちろん、自分から生徒会のことを聞き出すこともほとんどしない。
あくまで俺は部外者であり、助っ人としてきているだけ。
生徒会はあいつらの生徒会であって、俺の生徒会ではない。
なので、余計な口出しは極力しないようにしている。
しているが。
にしても、最近俺に回ってくる作業が多い。
多すぎる。
だからこそ邪推してしまう。
俺に雑用を任せなければならないのでは?
そうしなければ、生徒会の作業が回らないのではないか?
……いや、忙しくなくともあいつは押し付けてくるのだが。
それは実質的なキャパオーバー。
生徒会の処理能力を超えた作業量を抱えさせられているのでは、と。
短期的にはどうにか誤魔化せるかもしれない。
だが、処理しきれない作業は蓄積していき。
そして、いずれは破綻する。
その結果の先は――――
「俺の……っ!仕事がっ……増える……っ!」
由々しき事態だ。
俺的エマージェンシー。
危機的状況であるやもしれないのである。
働きたくない人間の仕事が増えるなんて、そんなおぞましいことが発生するかもしれないのだ。
まるで無職が何万人もいるのにもかかわらず、過労死する人が出てくるような矛盾。
そんな未曾有の事態を、未然に回避しようと生徒会の情報を密に集めているというわけなのだ。
もちろん、直接聴取なんぞヘマしない。
なんせ生徒会のリーダーは、あの一色いろはだ。
就任初期は頼りなくやる気もみられなかったが、クリスマスの件以来、その成長は目を見張るものがある。
本来待ち合わせていた強力なリーダーシップや今までで培ってきたであろう人心掌握術、時折見せていた驚くべき行動実行力をフルに行使して、誰にも文句を言わせない見事な生徒会運営をしているのだ。
その成長っぷりには、雪ノ下ですら素直に感心していたぐらいだ。
かく言う俺も感心すると同時に、俺にはない強さとひたむきさを持つ彼女に憧れに近しい、尊敬の念すらも覚えている。
そんな一色が、だ。
もし邪推した通り、なんらかの理由で生徒会が処理能力を超えた作業量を抱え込まされているとしたらどのような行動を取るだろうか?
おそらく、現状を踏まえて先手を打つだろう。
具体的には、来るべき破綻への対策として労働力の確保を最優先しているはず。
その労働力として、クリスマスパーティーで役立った俺に白羽の矢が立ったといったところだろう。
そう考えれば、最近の一色マンツーマンディフェンスにも合点がいく。
これは生徒会役員だと周囲に誤認させ、有事の際に見捨てて逃げれないようにする策略だろう。
実に見事だ。
先見の明に手際の良さ。
この策略に気が付いた時といったらもう。
後輩の成長に感動してしまい、柄にもなく素直に褒めちぎったような気がする。
ちなみに、初めて小町が補助輪無しで自転車に乗れた時ぐらい衝動的に褒めちぎったので内容はおぼろげである。
たぶん変なことは言っていない。
……よね?
そんな成長した一色に生徒会の現状を直接聞いたところで、はぐらかされるのがオチだろう。
正直なところ、このまま策略に嵌まっても別に構わないと思っている自分もいる。
ここまで見事な謀略だ。
嵌まったとしても清々しいだろう。
だが、こちらとしても不殺ならぬ不働を信条としている。
教師にすら役員と間違われるまで誤認されては、ぼっち一人の力ではどうにもならないだろう。
だが、こちらの敗北は動かないが終わらせるのは手間だぞ精神で生徒会の現状についての情報を集めているのだ。
「…………ぃつ……ぃ……ん…………ぁ……ぉに……ぇん……ぉいっ……ぃ……ょに…………ぅよ……ぇ」
静寂のベストプレイスに次の連想問題が響いてくる。
今度は長文か。
ほほう文系の腕の見せ所だな。
顎に手を添え、少ないヒントを文にしていく。
「……あいつ……最近、か?……あの二年……一緒に、いる」
傍らに置いていた警戒色の缶を手に取って口に含む。
心地いい甘さとほんのり香るコーヒーの風味が午前の授業と、この昼休みの脳トレで疲れた頭を癒してくれる。
さすがマッ缶だ。
コーヒー飲料というのを忘れさせてくれるこの甘さ、たまらん。
さて、あいつというのは会話の流れからして一色のことを指しているのだろう。
それはわかる。
問題はあの二年と言う単語。
……指す範囲が多すぎて候補が絞りきれないんですけど。
とは言っても、一色が雪ノ下や由比ヶ浜以外の二年女子と仲良くしてるってのは一度も見かけていないし、女子ではなさそうだ。
そうなれば二年の男子が濃厚。
本命は生徒会メンバーの副会長、対抗で戸部かサッカー部員ぐらいか?
「…………ぁ……う……ぁさ……ぉ……さぃ……ぇい……な……や……ぅ…………」
「……ほぉ。噂の、最低なやつか」
二年で噂の最低なやつ。
これは、どうやら大穴の万馬券をひいたようだ。
他人事だと思ってのんきに聞いていたが、どうやらこれは。
一年にまだ覚えている奴がいたとは、僕を覚えていくれてありがとうって一周回って感謝するべきなのか?
何の気もなく、あの時のように空を見上げる。
場所は違うが、あの時と似た綺麗な青空が広がっていた。
俺がもっともこの学校で存在を認識されたであろう事件。
その噂の残りカス。
人の噂も七十五日なんて言うが、七十五日も持たずして完全に消滅したかと思った。
だが、意外にも残り火は燻っていたようだ。
まぁ確かに、最近は一色が近くにいることも多いし、一緒にいるなんて勘違いされても仕方ない。
だが、あれは雑用係として使役されてるだけだ。
一緒にいるなんて青春の甘酸っぱい一ページみたいに表現されるもんじゃない。
そこの辺り、認識の違いを是非とも訂正させていただきたい。
そして、この奴隷のように働かされている俺を助けてください。
「…………ま…ぁ……やっ……ぃゃ…う……」
再び缶を傾けようとした時だった。
その聞こえてきた声に、薄ら寒い感覚が体の芯に這うようにうごめく。
―――またやっちゃう?
聞こえてきた声は、おそらくこうだった。
また?何をする?
自身がその声に、その会話に沈み込むように集中していくのがわかる。
「いいねぇ~最近調子乗ってそうだしぃ。じゃ、あの2年と付き合ってることにしてさぁ」
「きゃはは!あの2年と?マジウケる!それ!」
「プッ!そうすりゃあいつもデカい顔出来なくなるしいいじゃんそれぇー!」
「あたしもサンセー!面白いそうじゃ~ん」
さっきまでおぼろげだったゲスい会話が、今は一言一句きっちりと聞こえてくる。
ぼっち必須スキルの聞き耳だが、こうもまで聞こえるとは俺には忍びの才能もあるのやもしれない。
これで履歴書のその他欄にかけることが増えたわ。
「…………ちっ」
迂闊だった。
そう表現する以外ない。
あまりにお粗末な自分に苛立つ。
なんで彼女の立場が、カーストが最上位であると決めつけてしまっていたんだ。
一色は生徒会役員選挙に自らの意思ではなく、勝手に推薦されていたというのに。
友達の悪ノリと誤魔化してはいるが、あれは明らかに悪意ある嫌がらせだ。
最上位ではなくとも、ある程度上位のカーストにはいるだろう。
が、如何せん敵が多すぎる。
つまり一色の立場は盤石ではなく、いつ傾くかわからない不安定な立場なのだ。
そんなこと少し考えればわかる、いつもならば気づいていたはずなのに。
……じゃあ何故気づかなかった?
強かな性格だから?
のらりくらりとかわす処世術を持っているから?
そんな素振りをおくびにもださなかったから?
違う。
どれも要領を得ない。
もっと先に答えがあるはずなのに、霧がかかったようにぼやける。
掴もうとしても空を切る、そんな手ごたえのなさに余計に腹が立った。
―――クシャ。
「んぁ?」
そんな物音でふと我に返った。
視線を動かすと手に持っているマッ缶が凹んでいた。
気づかなかった。
知らず内に力が篭もっていたことに。
危ない危ない。
ソウルドリンクを零す、それすなわち魂を手放すことと同義。
そんなこと千葉県民には、あってはならないことだ。
ふぅっと一つ息を吐く。
強張った身体から力が吐き出した息と一緒に抜けていく。
掴みどころのない苛立ちだけを残して。
だがマッ缶のおかげで冷静さを取り戻せた。
今は自分の迂闊さを嘆いている暇はない。
小生意気で我儘で先輩を扱き使うが、根は真面目でひたむきで一度決めたことは貫き通す。
そんなたった一人の後輩の窮地だ。
そちらが先決。
「……そうか、いつの間に」
こんな時になって気が付いた。
俺はあいつについて、深く考えたこともなかったのだと。
そして俺はこんなにも一色ことをたいせ……重要だと思っていたのだと。
いつの間に、俺の中に入り込んでいたのか。
いかにも彼女らしい入り込み方に小さく噴き出した。
自分が思っていたより、彼女は近くにいたようだ。
「解決策は……」
もうわかっている。
簡単なことだ。
あのゲスい会話をしていた奴らは、一色と俺を付き合っていることにしたいらしい。
一色を陥れようとしているのだ。
それは接点が多いからこその出来る嫌がらせで、接点が少ないなら真実味が薄い噂としてすぐさま立ち消えるだろう。
ならば、俺と一色の接点を―――
ふと浮かぶ不快感。
いや、不快感じゃなく胸あたりにある浮遊感。
焦りにも不安にも似た、それがじわりと手足、体へと滲み広がっていく。
「……?」
焦燥感と虚無感を、ボウルへ入れて無遠慮に混ぜ込んだかのようだ。
……なんだ?なぜだ?
当てもなく、無意識に視線がふらふらと左右へ彷徨う。
まただ。先ほどと同じ。
これの正体がわからない。
何もわからないのだ。
徐々に凍っていく。
表面の氷は奥深くへと。
にじり寄る冷たさから逃げたいのに逃げられない。
その感情の出所も、正体もわからないから逃げようがない。
「っ!」
何かに怯える、声にならない小さな悲鳴が零れた。
二月の気温より吐き出す息が冷たい。
気管を凍らせるのではと錯覚する。
ふわふわなんてよく表現されるが、そんな温いものじゃない。
凍りついているのに無数に浮かんでは沈む。
グラグラと定まらない思考。
殺伐としたその中でもひとつ、おぼろげに浮かんできたものは。
もしかして俺は、彼女との繋がりを絶つことを―――
「…………」
正直、一色に関してはよくわからんと思っていた。
だけれど、あいつへ向けている感情ですらよくわからんとは。
「洞察力に自信がある、か。……はっ」
以前、自分で口にした言葉。
……自分自身もわからない癖に何を言っているんだ。
ぽつりと呟いた時には、無意識に失笑が噴き出た。
鏡を見なくてもわかる。
今、俺はさぞ自虐的な顔をしていることだろう。
第一話 始まり日
稚拙な文を読んで頂き、ありがとうございました。
こういったものを書くの初めてなんですが、かなーり難しいんですね。
描写をなにをどのくらい書くべきかとか要領が掴めず、気づけばこんな文字数になってしまいました。
もう少しくだけた作風にしたかったのですがうまくいかず・・・。
これから努力して行きますので、ご容赦ください。