アリスの自宅に到着した私は、扉をノックしながら呼びかける。
「お~い、アリスいるかー?」
「その声は魔理沙!? ちょ、ちょっと待って!」
何やらドタバタとした音が中から聞こえ、ほどなくして扉が開きアリスが現れた。
「よお」
「やっぱり魔理沙じゃない! 久しぶりね~! 重力異変を起こした時から数えると、大体15年ぶりかしら?」
「あー、もうそんな時間が経ってたのか」
花が咲いたような笑顔のアリスに、私は自然体のまま答える。毎日机に向かい、変わり映えのない日々を送っていた私にとって、15年の時間はつい1年くらい前という感覚しかなかったので、客観的に言われると少し驚く。
「ここで立ち話するのもなんだし入って入って! 今パチュリーも来てるのよ!」
「お、そうなのか?」
アリスにリビングルームへと案内されると、彼女の言葉通り、まったりとティータイムを楽しむパチュリーの姿。彼女は私の存在に気づくと、穏やかな笑みを浮かべた。
「あら、随分と久しぶりな顔がいるわね」
「お前も相変わらず変わってないな」
ここにいるアリスやパチュリーもそうだけど、何年経っても全く姿形が変わらないものだから、150年という時間が経過している事を忘れてしまいそうになる。
「ささ、座って座って。今お茶を入れるわ」
「おお、ありがとなアリス」
台所へと向かっていったアリスを見送り、私はパチュリーの左側、窓際の席に座る。そして持って来た風呂敷を丁寧にパチュリーの前に置いた。
「これ、お前から借りていた魔導書な。ありがとさん」
「この本を今返すという事は……もしかして!」
「おっと、その話はまた後でな」
私は指を口に手を当てるジェスチャーをする。
「紅茶出来たわよー」
ちょうどその時、アリスが台所から現れ、二体の人形を器用に操りながら、紅茶の入ったティーカップを私の前に置いた。
私はそっとティーカップを口に持っていき、紅茶を口に含む。爽やかな果実の香りと程よい酸味が口一杯に広がり、乾いた喉を潤した。
「うーん、美味しいなあ。前よりも腕を上げたんじゃないか?」
「分かる? 今淹れたのはアールグレイという紅茶なのよ。最近紅茶に凝っていてね、他にも色々な茶葉があるの」
「今日もアリスにお茶に誘われちゃってね、はるばるここまで来たのよ。私は家で読書してる方が良いんだけどね」
「パチュリー、たまには外に出ないと健康に良くないわよ?」
「お前相変わらず引き篭もってたのかよ」
「うるさいわね、そんなの私の勝手でしょ」
「そういえばレミリアは元気か? 前会った時はまだ暗かったが」
「最近になって、やっと明るくなってきたわね。少し気持ちが晴れてきたみたい」
「そういえば咲夜が亡くなってからもう140年経つんだっけか。死してもなお主人に想われるなんて果報者だな」
「そうねぇ。でもそれだけ時間が経ってるのなら、いい加減心の整理を付けても良さそうなものだけれど」
「貴女達は元人間だから分からないかもしれないけど、私やレミィのような生まれながらの妖怪はね、〝肉体″よりも〝精神″の比重が大きいのよ。だから、一度大きく精神を乱されると立ち直るのにかなりの時間を要するわ。ましてや、身内の死ともなると……ね」
「まあその気持ちは痛いほど分かるぜ。身近な人間――親しい人の死というのは、思った以上に心にくるからな」
レミリアにはなるべく早く元気になって貰いたいものだ。
「ところで魔理沙はどうしてここへ?」
「実はとうとう私の研究が完成してな。タイムトラベルする前にお別れを言おうと思ってここに来たんだ」
その言葉にアリスとパチュリーは驚愕する。
「えーっ! とうとう完成したの!? 凄いじゃない!」
「とてもじゃないけど、信じられないわね。それ本当?」
「失礼だな! 実際に私は時間移動したんだぞ!」
「わあっ! ねね、実際にやってる所見せてよ!」
「私も非常に興味があるわ」
「分かった分かった」
少し興奮気味のアリスと、珍しく目を輝かせているパチュリーに頷くと、私は部屋の片隅に置かれている振り子時計の時刻を確認する。
「えっと今の時刻は【午後1時50分】か。ちょうどいい。アリス、パチュリー、あっちを見てくれ」
振り子時計の隣に空いた空間を私は指を差す。
その直後、例の魔法陣と共に、未来から来た〝私″が姿を現した。
「「!」」
「お~お~驚いてる驚いてる。ははっ、ほーらこの私がここに居るのが証拠だぜ?」
〝未来の私″が愉快そうに喋るが、アリスとパチュリーは彼女に視線を固定したまま、唖然としていた。
「それじゃあ私は華麗に去るぜ! じゃあな!」
指をパチンと弾くと同時に、彼女はその場から掻き消えた。
「な~んかあの〝私″は妙にテンション高いな。咲夜みたいなことしやがって」
頬杖をついてぼやくその一方で、アリスは興奮していた。
「凄いっ、ありえないモノを見たわ!」
「へぇ~やるじゃない。噓じゃなかったのね」
「まあな。名付けてタイムジャンプ魔法、私の自信作なんだぜ」
アリスとパチュリーの賞賛に私は胸を張る。
「それでな、私はこれから150年前に飛んで当初の目的を果たそうと思うんだ」
「当初の目的って確か……あ~霊夢のことね。懐かしい名前だわ」
遠い昔を思い出すように、アリスはしみじみと話していた。
「……そう。魔理沙、この150年間色々なことがあったけど、貴女と出会えたことに感謝するわ。またいつかどこかで会えるといいわね」
「――はっ、まさかお前からそんな言葉が聞けるなんてな。明日は雪が降りそうだ」
普段はいつも物ぐさな態度のパチュリーから、真っ直ぐな言葉を聞けたことに、私は思わず感動してしまった。
しかしアリスは私達の会話に疑問を抱いたようで、私達を見渡した。
「ちょ、ちょっと。なんでそんな今生の別れみたいな挨拶してるのよ? またこの時間に戻ってくればいいじゃない」
「それはな――」
「魔理沙はね、博麗霊夢を助けるという理由で魔法使いになったのよ。だけど、ここにいる魔理沙が博麗霊夢の自殺を防いだらどうなると思う?」
「え? んーと………………。っ! そういう、事ね」
少し考え込んでいたアリスはパチュリーの含みある言葉の意味に気づき、青ざめた。
「そう、博麗霊夢の自殺という事実が消える事で、魔理沙が魔法使いになる動機が無くなってしまうのよ。人間が150年も生きるのは不可能。それに加えタイムパラドックスが発生してしまうから、もしかしたら博麗霊夢を助け出した瞬間に世界からその存在を消されてしまうかもしれないわね」
「そういう事だ。パチュリー案外詳しいんだな」
「伊達に数百年図書館に引き篭もっているわけじゃないわ。七曜の魔女を舐めないでちょうだい」
「ははっそうだな。思い返してみれば、これまで色々と世話になったな。私からもお礼を言うよ。ありがとう」
「……そんなの今更過ぎるわよ」
「ねえ魔理沙、自分が消えちゃうかもしれないのにそれでも行っちゃうの?」
不安げな表情のアリスに、私はこう答えた。
「悪いな、私はこの為に今まで生きてきたようなもんだ。だから、霊夢を救うことさえできればこの世に未練はないんだ」
「でも……」
「それにまだ死ぬと決まったわけじゃない。この世の全てを解明した訳じゃないが、意外と世界ってのは柔軟に出来ているもんだぜ」
「うん……」
「…………」
アリスはいまいち意味が分かっていないようだったが、パチュリーは私の言外の意味を感じ取ったようだ。
「んじゃ私はそろそろ行くよ。あまり長居すると気持ちが揺らいでしまいそうだ」
私はすっくと立ちあがり、玄関へ向かって歩き出そうとしたが、ある事を思い出す。
「っとそうだ。きちんとアリバイを作っておかないと」
「アリバイ?」
不思議そうな顔をするアリスを横に、私は振り子時計の隣へと歩いて行く。そして心の中でタイムジャンプ魔法を発動して、午後1時50分に遡り、例のセリフを告げて元の時間の30秒後に再び舞い戻った。
「おかえりなさい。もしかしてさっきの?」
「そういう事だ。なるべく早いうちに伏線は回収しておいた方がいいからな」
アリスの問いに私ははっきりと頷き、改めて外に出る。
「それじゃ私は行くよ。二人とも元気でな」
「気を付けてね!」
「さようなら魔理沙。貴女の成功をここで祈っているわ」
お見送りに来てくれたアリスとパチュリーに手を振り、頭の中で術式を組み立てる。脳内には次々と算式と魔法式が浮かび上がり、魔力のラインが体の中に駆け巡って行く。
「タイムジャンプ! 行先は200X年7月20日午後1時!」
目の前が砂時計のようにだんだんと歪んでいき、光に包まれていく――
(眩し……!)
私は眼を閉じ、魔法が収束するのを待った。