――side 魔理沙――
――西暦300X年5月7日――
西暦300X年に再び戻って来た私は、またもや空中に投げ出されていた。
「なんでだぁぁぁぁぁぁぁ!」
妹紅の体から剥がれ落ちてしまった私は、地面に向かって真っ逆さまに落ちていく。
すぐに魔法で飛ぼうとしても、またもや魔力が霧散して使えず、頭の中がパニックになってしまっていた。
「助けてぇぇぇぇ!」
「魔理沙っ!」
そんな私を、背中から炎の翼を生やした妹紅が一気に急降下して受け止めてくれた。
「た、助かったよ。ありがとう妹紅。本当に、助かった」
妹紅の肩にしがみつくように腕をがっちりと回し、涙目になりながらも感謝の言葉を口にした。
ここまで怯えている私を笑う人もいるかもしれないけど、何も縋りつくものがなく重力のままに落ちていくのは冗談抜きで怖い。
一度体験してみれば、私の気持ちも分かる筈だ。
「どういたしまして。てか、どうなってんのこれ? 来る前と全く変わってないんじゃない?」
翼を羽ばたかせ、とても高い位置で滞空したまま周囲を見渡している妹紅。
それに釣られて私もキョロキョロしてみると、辺りには高層ビルがそこかしこに立ち並び、眼下には豆粒のように小さな人々と道路を走る自動車……と、緑豊かで温もり溢れた幻想郷の面影は感じられなかった。
「あの天井が尖がっているビルも、あっちの風車が付いてるビルも、こっちのガラス張りのビルも見覚えがあるんだよね」
幻想郷が500年で発展したのか? と一瞬思ったが、それにしては魔法や心霊の類の気配も感じないし、妹紅の話通り、前回この時間に来た時に見た記憶のある建物があった。
(未来が変わっていない……? これはどうなってるんだ? 柳研究所を破壊して終わりじゃなかったのか……? それとも、計画が完璧ではなかったのか?)
250X年の行動で幻想郷が救われると思っていた私にとって、この事態は予想外すぎて謎は深まるばかり。
そんな思考の海に潜りそうになった私を呼び起こすように、妹紅が話しかけてくる。
「それでどうする魔理沙ー? ずっとここにいると、他の人間に見つかっちゃうかもよー?」
「と、とにかくこのビルの屋上に行ってみよう。もし未来が変わっていないのであれば博麗神社がある筈だ」
私が指さしたのは、真隣に建っている250X年に跳ぶ時に使った博麗ビル。
跳ぶ前に交わした紫との約束もあるし、博麗神社が今も現存するのかどうかを確かめておきたかった。
「分かった。しっかり掴まっていてね魔理沙」
そして私は妹紅に抱きかかえられたまま屋上に向かった。
(!)
と、ここで今更ながら、私はお姫様抱っこのような形で抱えられているのに気づいて少し驚いたが、妹紅は私を真剣に助けてくれたので、そんな些細なことを気にする必要もないだろうと思い、何も言わなかった。
やがて妹紅は翼をバサリとはためかせながら、ビルの屋上に降り立った。
「はい、着いたよ」
「ありがとう」
妹紅にお礼を言いながら、自分の足で屋上に着地した。
やはり地に足のついた場所は素晴らしいな、と思いながら歩いて行くと、博麗神社の拝殿の前に狐色の日傘を指して優雅に佇む八雲紫の姿を見つけ、立ち止まる。
「あ……」
その姿は、さながら深窓の令嬢のようにとてもさまになっていて、荒野に咲く一輪の花のように美しかった。
彼女は私達の気配を察知すると、こちらへ振り向いて、涙ながらに口を開いた。
「500年ぶりね……魔理沙、妹紅。とても懐かしいわ……。あなた達にとってはほんの一瞬しか経っていないのでしょうけれど、私には非常に長い時間だった……。会えて嬉しいわ……」
やつれた顔で、疲れきったような、悼むような声の紫を痛々しく思いながらも、私は近づいて問いかける。
「……一体何があったんだ? ここは幻想郷じゃないのか?」
紫はその言葉に顎を軽く引くように頷き、悲愴な面持ちで答えた。
「ええ、ええ。ここは確かに幻想郷があった場所で間違いないですわ。だけどね、結局のところ結果は変わらなかったのよ」
「え? ……どういうことだよ?」
「あの日、確かに柳研究所は壊滅して、頭を失った研究チームは後日解散したわ。けれどね、西暦282X年に、田中研究所が幻想を解明してしまったの……」
「「!」」
「後はご存知の通り。私の奮闘も虚しく、あのメモリースティックで訴えていた〝私″の言葉通りの結末を辿ってしまったわ。地上に残ったのは私一人だけ……、滅びの時間も20年しか引き延ばすことが出来なかった」
悲痛な面持ちを崩さず語る紫に、私も妹紅も何と返せば良いのかわからず場を無言が支配してしまう。
(クソッ、どうして、どうしてこうなってしまったんだ!)
自分の無力さに対して苛立ちを感じた頃、ふと、藍の姿が見えないのに気づく。
「……そういえばさっき、『地上に残ったのは私一人だけ』って言ってたけど、もしかして藍も……?」
「藍は私を逃がすために犠牲になって……うぅぅっ!」
「……そうか。ごめん」
私の問いかけに答えた紫の目からは、涙が零れ落ちていた。
この反応から予想するに、彼女は外の人間の現代兵器に敗れ、命尽きる最期まで紫のために忠誠を尽くしたのだろう。
私には冷ややかな態度をとっていた彼女だけれど、こうして亡くなってしまった事を知ると悲しい。
続いて妹紅が紫に質問をした。
「……なあ、紫。この時代の〝私″はここには来ていないのか?」
「この時代の貴女は282X年に、永遠亭の蓬莱人達と一緒に月へ移り住んでいったわよ。きっと今も、月で安穏と暮らしてるんじゃないかしらね」
「何!? そうか、地上に残らなかったのか……」
「厳密に言うと私が月へ移住することを薦めたのよ。彼女はね幻想郷が無くなってしまっても、たった一人で研究所の関係者を襲撃していってね、世間では『不死身の超人』という異名と共に国際指名手配、生け捕りの懸賞金に一兆円もの額が懸けられていたわ」
「!!」
「復讐の鬼となったあなたを見つけて説得するのは大変だったけれど、こちらの事情……つまり、あなた達の存在について話したらなんとか折れてくれたわ。今頃月から私達を見てるかもしれないわね」
春の日差しが降り注ぐ空を見上げてみたが、雲を突き抜ける高さのビルは見えても、昼間なので月は見えなかった。
「……私も紫に会わなかったら同じことをしていたのかな」
そう呟く妹紅の言葉には、とても実感が籠っているようだった。
そして再び重い空気が漂いはじめ、会話が止まってしまった中、私はポツリと呟いた。
「……しかし、参ったな。まさか柳研究所を壊しても、今度は別の研究所が幻想を暴いてしまうとは」
「ああ。柳研究所が終わりじゃなかったんだな」
一つの研究所を潰しても、別の研究所が研究を完成させて同じ結論に至る……これは盲点だった。
次こそは、同じ事がないようにしないといけない。
「次は田中研究所を潰せばいいんだな。私達に任せてくれ」
「今度こそ、こんな結末を辿らないようにお願いするわね」
そう言って紫は、メモリースティックを手渡してきた。
「ここには田中研究所についての詳細なデータが入ってるわ。また250X年の柳研究所を壊滅させたあの時間の私に渡してちょうだい」
「分かった」
「それと、次からはマヨヒガにある私の自宅に直接来てちょうだい。あの子……麗華にはあまり心配かけたくないのよ」
「麗華か……」
彼女の名前を呼ぶ時だけより強い感情が入っていた。
これは予想だけど、紫は歴代の巫女を看取って来た中でも、特に麗華とは親しくしていたようなので思い入れが強いのだろう。
私にとってはついさっき出会ったばかりの子でも、この時間ではもう遠い昔の人になってしまっていた。
「よし、こうなったらとことんやってやるぜ! 絶対に幻想郷を救ってやる!」
「ああ!」
藍や麗華、そして紫のためにも、私は自分に言い聞かせるように気合を入れる。
「妹紅、準備は良いか?」
「もちろんだ!」
私はマナカプセルを飲んで魔力を十二分に満たした後、妹紅と抱き合い500年前の5月29日へと跳んだ。