第I話【第262話 (2) 】魔理沙の欠けた記憶 目覚め
――side 魔理沙――
「ん……」
私が目を覚ますと、抜けるような青空が広がっていた。
「んん?」
上半身を起こして辺りを見回すと、地平線の果てまで草原が広がっていた。どこだここ?
「おっかしいなぁ、昨日は確かに自宅のベッドで寝たはずなんだが……」
前日の記憶を思い出してみる。
朝起きてからずっと新しい魔法の研究をやって、午後になって食材が無い事に気付いて人里に買い出しに出かけたんだよな。で、買い物帰りに偶然会った早苗とちょっと喋ってから帰って、夜遅くまで研究の続きをやって寝た筈だ。酒を飲んだ記憶も無いし、二日酔いの感覚も無いから、私はシラフで間違いない。
それに自分の恰好も変化していた。
いつもの魔女服じゃなくて、白いフリル付きのブラウスと黒い花模様のジャンパースカートを着ているし、頭がやけにスースーするなと思ったら魔女の帽子が無くなってて、髪型がポニーテールになっている。勿論こんな服着た覚えが無いし、自宅のクローゼットにも存在しない。誰が私を着せ替えたんだ? アリスか?
ポケットをまさぐってみると、スペルカードと八卦炉と財布があり、それなりのお金が入っていた。う~ん、今の状況だとあまり役に立たなそうだな。
(考えていても仕方ないか。まずはここがどこなのかを探らないとな)
私は服を払いながら立ち上がり、改めて周囲を観察したところで、気づいた点がいくつかあった。
まず空だ。雲一つない青空なのだが、どの方角を見ても太陽が無い。だけど地上は明るく照らされている。この光はどこから来ているのか。
次に気候。今は7月なのに、暑くも寒くもなくちょうどいい気候で、セミの声も聞こえない。それどころか私以外の生き物の気配もない。妙に静まり返ってるし、ここは人工的に作られた空間なのか?
「おーーーーい! 誰かいないのかーーーーーーー?」
声を張り上げて呼びかけてみたが返事はない。まあこんな見晴らしの良い場所に人が居たらすぐに分かるし、当然か。
幸いにも魔法は使えるようなので、私は魔力を使って飛び上がる。いつもの箒があればよかったのだが、無いものは仕方ない。
(おっとっと)
いつもの感覚で魔法を使ったら思ったより勢い付いて、バランスを崩しそうになりつつも、地上が小さく見えるくらいの高さまで上がった所で、再び辺りを見渡す。
「んー?」
私は結構目が良いほうだと自負してるが、それでも景色に変化は無かった。どこまで行っても平坦な草原が続いている。私の知る限り、幻想郷にこんなに広い草原は無かったはずだし、ますます人工的な空間の可能性が高まった。
(こんな芸当ができるのは誰だ?)
私の中の最有力候補はパチュリーだ。最近図書館の本を借りに行った時に、めちゃくちゃ怒ってたからなあ。腹に据えかねて私を閉じ込めた可能性がある。彼女の魔力なら、こんなバカでかい空間を作るのは簡単だろうし。
次に思いつくのはスキマ妖怪くらいだが……特に因縁は無いし、まあアイツがこんなことをするメリットはないだろう。
後は……ん~分からん!
(とりあえず動いてみるか)
人工的な空間なら、何か大きなアクションを起こすことで変化があるかもしれない。私は空に向かって八卦炉を構える。
「恋符「マスタースパーク」!」
虹色の光線が空の彼方まで飛んでいって――見えなくなった。私の全力を叩き込んだが、特に変化は無い。
その後東西南北と地上に向かって撃ってみたが、手ごたえは無かった。でも決して無駄な事ではなかった。私は何者かによって、寝てる間にこの謎空間に閉じ込められたことを確信したからだ。
だって私の全力マスタースパークが地面に直撃しても、衝撃や爆発音もせずに吸収されたんだぜ? こんなの絶対有り得ないだろ。
(それにしても今日は調子がいいな。連発しても全然疲れないぜ)
この空間の影響なのだろうか。今なら研究中の新魔法の実験ができそうだが、まずはここから脱出すべきだな。
さてどっちへ向かうべきか。つか目印になりそうなものが何も無いから方角も分からないんだよな。
ひとまずあっちに向かってみよう。私は地上の様子がしっかり見える程度に高度を落とし、ランニングくらいの速度で飛んでいく。真っすぐ進行方向に向かって飛んでいく……。
(ちゃんと前に進んでるよな?)
しばらく飛んでても代り映えのしない景色がずっと続いているので不安になってくる。
目印をつけようと思ったけど、さっきのように魔法は吸収されちゃうし、草を強く踏んだり、引っこ抜いたりしてもすぐに元通りになっちまう。こんな異変は初めてだ。今日は博麗神社に遊びに行こうと思ってたのに災難だぜ。
(霊夢のやつ、今頃何してるかなー。あいつのことだから、神社でのんびりお茶でも飲んでそうだな)
そんなことを思いながら飛んでいると、遥か前方に建物が見えてきた。思考を打ち切り、急いで飛んでいく。やがて全体を見下ろせる位置まで移動したところで、私は困惑する。
「これは……博麗神社か?」
赤い鳥居に見覚えのある本殿と母屋、高床式の倉庫があり、周囲を森で囲まれている。何度となく見慣れた光景だ。
しかし本来の博麗神社は小高い山の上にあるのに、眼下に見える博麗神社は草原の中にポツンと置かれていて、周囲の景色とは明らかに浮いている。まるで舞台のセットみたいだぜ。
(……行くしかないか)
見るからに怪しいが、他に手掛かりがない現状では調べてみるしかないだろう。虎穴に入らずんば虎子を得ずだ。
私が警戒しながら鳥居の正面の参道に降り立つと、一瞬で空気感が変化した。
けたたましい蝉の合唱がそこかしこから聞こえ、刺すような陽射しと熱波が私を襲い、一瞬で汗が噴き出す。唐突な変化に驚きながら振り返ると、草原が消えていた。
石畳の階段は麓まで続き、獣道が人里にまで繋がっている。更に迷いの竹林、魔法の森、妖怪の山、霧の湖、紅魔館等、普段博麗神社から見えるいつもの光景が広がっていた。
「戻って来たのか?」
あの謎空間について何も解決してない気がするんだが、いったいどうなってんだ? いまいち釈然としないまま、母屋の方に歩いていく。
「お~い霊夢ー!」
縁側から私が呼びかけると、ちゃぶ台の前に座ってお茶を飲んでいた霊夢が立ち上がり、こっちに駆けてきた。
「あら、魔理沙。いらっしゃい! よく来たわね!」
弾けるような笑顔の霊夢が私を出迎えて、「今お茶菓子を持ってくるから、座ってて!」と台所に向かっていった。
私はその後ろ姿を見送りつつ、居間に上がり込む。
イグサの匂いがする畳に、使い込まれたちゃぶ台と二人分の座布団が置かれていて、霊夢の座布団の近くには幣と陰陽玉が置かれている。古めかしいタンスや、壁掛けの時計が設置されて、短針は1、長針は3を指している。
ざっと部屋の中を見た感じ、特に変な所は無い。やっぱり戻って来たんだな。
「はい、お茶どうぞ!」
「サンキュー」
やけにテンションの高い霊夢から湯呑を受け取り、そのまま口に運ぶ。ん? いつもの渋苦い味じゃないな。これは……。
「美味いな。もしかして玉露か」
霊夢は私の隣に座布団を移動してから座ると、「正解! 私、お茶には結構拘っているのよねぇ」
「今日はかなり機嫌がいいんだな?」
今日の霊夢はずっと笑顔が絶えなくて可愛らしく、なんだか私まで楽しくなってくる。普段が不機嫌って訳じゃないけど、いつもこんくらい愛想が良ければ参拝客だって増えるだろうに。
「うふふ、きっと魔理沙が来たからね」
私は思わず目を逸らしてしまう。霊夢、そんな真っすぐに見つめながら言われたら恥ずかしいぜ。
「ねえ、今日は魔理沙の話を聞きたいわ」
「おお、いいぜ」
私は煎餅をつまみながら最近起きた出来事や、現在研究中の魔法について話していく。特に魔法談義が受けたようで、霊夢は目を輝かせていた。
「凄いわ! 魔理沙って天才なのね!」
「そ、そうか?」
「ええ。魔理沙の話っていっつも面白いわ!」
普段なら私が魔法談義をしてもそっけない態度で聞き流しているのに、今日はかなり興奮している様子。
「私ね、魔理沙と友達で本当に良かったと思ってるの。貴女は最高の友達よ」
笑顔で話す霊夢に私は些細な違和感を覚える。
勿論霊夢がそう思ってくれるのは私も嬉しいんだけど、こんなに素直に自分の気持ちを表現するなんて滅多に無い事だ。まるで全てが自分の思い通りにいってしまっているような……。
(そういえばあの謎空間に関してはまだ解決してないんだよな)
そんな思考がふと頭をよぎる。
考えすぎな気もするけど、まあ何も無かったら笑い話にしてしまえばいい。私は一つ試してみることにした。
「なあ霊夢。お前も魔法使いになってみないか?」
この誘い文句は私にとっては特別な意味を持つ。
私が魔法使いとしての道を歩み始めた頃、霊夢にも魔法使いになってみないかと誘った事がある。しかし霊夢は魔法に興味を示すことなく、にべもなく断られてしまった。
更に霊夢のお母さんやスキマ妖怪からも、霊夢には大切なお役目があるのよと注意されてしまい、幼いながらも霊夢は特別なんだなって思ったのを今も覚えている。
それ以来魔法使いに誘うことは無かったわけだが……また紫に注意されたら適当に誤魔化せばいいか。どうせ断られるだろうしな。
「いいわねそれ!」
「……え?」
「一度魔法を使ってみたかったのよね~。魔理沙を見てて、とても楽しそうだと思ってたのよ!」
「だ、だけど巫女の仕事はどうすんだよ?」
「そんなの紫が後任の子を適当に見繕ってくれるでしょ。博麗の巫女が居なくて困るのは紫なんだから」
一人で舞い上がる霊夢を見て私は確信した。この霊夢は偽物だと。
よく誤解されがちだが、霊夢は巫女としての仕事に誇りを持っている。彼女からこんな台詞が飛び出すわけがないのだ。
「魔理沙! 早速修業しましょう! 私に教えてもらえないかしら?」
私は手を握る霊夢を引きはがして立ち上がる。
「お前は誰だ?」
「何を言ってるの魔理沙? 私は霊夢よ」
「いいや、違う! お前は霊夢じゃない! 正体を現せ、偽物め!」
私がびしっと指を指して言い切ると、霊夢は立ち上がり「そう。それが魔理沙の望みなのね」と言い、悲しい笑顔を浮かべて「ごめんなさい。魔理沙を苦しませるつもりは無かったの……」と幻のように姿が搔き消えていく。
偽霊夢の消滅と共に、博麗神社とその周辺も搔き消えていき、元の真っ新な草原に戻っていく。靴脱ぎ石があった場所に揃えられた私の靴が、現実であることを物語っていた。
「……クソッ、何がどうなってるんだよ!!」
偽物だと分かっていても、霊夢のあんな顔は見たくなかった。人の心を弄んで何が楽しいのか。この空間の創造主は間違いなく性格が悪い。
「あれはお前が産みだした理想の霊夢だ」
「!」
唐突に背後からかけられた馴染み深い声にすぐさま振り返る。
「お前は――!」
金髪金目に、白黒の魔女服を着た少女。毎日鏡で見るその顔を見間違える筈もない。
「随分と腑抜けちまったな? “私”」
哀れむような目で私を見つめる“私”が立っていた。