魔理沙のタイムトラベル   作:MMLL

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『』で囲われてる台詞は本来は逆さ言葉ですが
右横書きにすると読みにくくなるため通常通りに書いています。


第254話 (2) タイムホールの影響⑫ side 咲夜 咲夜の結末(後編)(2/2)

 西暦2003年8月12日午後10時12分。夏真っ盛りの夜、幻想郷は紅い霧に覆われていた。

 原因は勿論分かっている。お嬢様が日中で活動したいという動機で発生させた霧によるもので、後世では紅霧異変と呼ばれているわ。

 

「あの時の紅い霧はあそこが発生源だったのね。兎達が興奮して、宥めるのに苦労したわ」

 

 少し遠くに見える紅魔館の上空では、紅色に怪しく輝く巨大な満月を背に、お嬢様が霊夢とマリサ相手に激しい弾幕ごっこを繰り広げている。その戦い方は花火のように綺麗で、この後の結末が分かっていたとしても、見惚れてしまうものだった。

 

「咲夜、魔理沙は見つかった?」

「駄目ね。館内を隅々まで見て回ってきたけれど、姿は無かったわ」

 

 魔理沙の捜索がてらこの時間の私を見かけたけれど、1階の廊下の壁際にへたり込んだまま、ぼんやりと天井を見上げていた。メイド服もボロボロになってしまっていて、我ながら情けない姿だと思ってしまったわ。

 

「そう……。確か今日がスペルカードルール導入後初めての異変だったわね?」

「ええ」

「なら予測は外れたことになるわね」

 

 博麗神社を見張っていても魔理沙が現れなかった事を踏まえ、私達は魔理沙が時間移動する動機を〝過去に起きた異変の観光”と予測を立て、200X年7月20日以前に起きた異変の時刻と場所に向かって――流石に月の裏側は無理だったけど――捜してきた。その中には永夜異変も含まれていて、輝夜は過去の自分と霊夢達の弾幕ごっこを懐かしそうに眺めていた。

 そして紅霧異変は、輝夜が言及したように、霊夢がスペルカードルールを提言して一番最初に起きた異変。霊夢と魔理沙のコンビが異変に関わるようになったのも今日からだ。

 

「予測が外れてしまったのは残念だけど、まだ候補はあるわ。次の時間に行きましょう」

「あら、最後まで見ていかないの?」

「私の中では既に終わった事だから」

 

 紅霧異変については、語ろうと思えば夜が明けるまで語り尽くすことができるわ。けれど、思い出を懐かしむ事はあっても立ち止まることはしない。私の意識は未来に向いているから。

 

「待っていてください、お嬢様。必ずや、貴女のご期待に応えてみせます」

 

 スピア・ザ・グングニルを自分の手足のように振るいながら、霊夢とマリサに立ち向かうお嬢様の勇姿を目に焼き付けて、私は時間を加速させた。

 

 

 

 

 西暦1999年5月4日13時16分。晴れた日の事、私達は博麗神社の境内に立っていた。

 

『まて~! れいむー!』

『あはははっ! こっちだよー!』

 

 すぐ近くには子供用の巫女服を着た幼い霊夢と、黒を基調にした子供服を身に着けた幼いマリサが楽し気に追いかけっこをしている。この時代の彼女達は6歳ね。

 

「うふふ、この二人は幼馴染だったのねぇ」

「ふふ、そうね」

 

 神社の縁側に視線をやると、丈の長い巫女服を纏った黒髪の女性が座り、湯呑を持ちながら駆け回る霊夢とマリサを微笑ましそうに見守っている。

 恐らく彼女は霊夢の先代の巫女なのでしょう。霊夢と違って彼女に関する情報は非常に少なく、吸血鬼異変解決の立役者で、幻想郷のルールが変わる前――人間と妖怪が本気で生存競争をしていた時代――の最後の博麗の巫女ということくらいしか知らない。

 

(こうして直接目にするのは初めてね)

 

 20代前半くらいの柔和な雰囲気の綺麗な女性だけど、身体のあちこちについた傷跡が歴戦の戦士を思わせる。

 私が霊夢と知り合った頃には、既に彼女の姿は無かった。先代の巫女について霊夢に訊ねても曖昧な答えしか返ってこなかったので、恐らく触れられたくない何かがあるのでしょうね。

 

「ところで咲夜、この時間にわざわざ立ち寄るなんて、何かあったの?」

「いえ……多分気のせいね」

 

 時間を加速する最中、私達が良く知る霊夢を見た気がするのだけれど、境内を隈なく捜しても彼女の姿は無かった。本当に見間違いなのでしょう。

 

『あっ! そらににげるのはずるいぞれいむ!』

『ずるじゃないよ! だってそらをとんじゃいけないってきまりはないもん!』

『むむ、くっそー! いつかわたしもそらをとんでやるからなー!』

『霊夢~。あまり魔理沙ちゃんを困らせちゃだめよー? 降りてきなさーい!』

『はーい!』

 

 私ははしゃぎまわっている幼い霊夢とマリサに心の中で別れを告げて、時間を加速させた。

 

 

 

 西暦1993年〇月△日。小雨がしとしとと降りしきる夜。私達は人里の大通りに面する霧雨道具店を訪れていた。

 霧雨道具店は魔理沙の実家で、マリサが営む〝霧雨魔法店”と言う名の何でも屋とは違い、至って普通の道具屋で、私も何度か利用した事があるけれど、品揃えの豊富さに重宝した記憶があるわ。この時代から既に大きな店だったのね。

 現在は閉店中の店内の奥の居住空間には、布団から起き上がった金髪の美しい女性が、元気よく泣いている一人の赤子を抱きしめながら慈愛の笑みを浮かべている。彼女の傍には、若き日の霧雨道具店の主人と産婆が付き添っていた。

 そう、今日は魔理沙の誕生日。タイムトラベルで自分の誕生日を見に行くのではないか――というベタな発想で、この時間と場所に遡っている。魔理沙はお母さんに似たのねぇ。

 新たな命の誕生に歓喜に湧く若き霧雨夫妻を見守っていると、やがて窓の外に輝夜が姿を見せたので、一瞬時間を止めて窓を開き、中に招き入れる。

 

「どうだったの?」

「周辺を隈なく捜したけれど、魔理沙の姿は無かったわ」

「そう……。どうやら当てが外れてしまったみたいね」

 

 やっぱり魔理沙の思考を読み切るのは難しいのかしら。いえ、そもそも魔理沙は父親に勘当されて魔法の森に住むようになったという話だし、寄り付きたがらないのも当然かもしれないわね。

 

「さあ、もう行きましょうか」

 

 私達は一度時間を止めて退出し、時間を加速させた。

 

 

 

  

 西暦1885年3月25日午前10時15分。暖かな日差しに照らされた新緑が映える日の事、私達は博麗神社の境内に移動していた。

 明治時代の博麗神社は新築のようで、私達がいた時代に比べて傷みや汚れも無く、堂々と建っている。境内に目を向けると、梅柄のかんざしで長い黒髪を纏めあげた博麗の巫女が、八雲紫の話に真摯に耳を傾けていた。

 

『紀元前から続いていた旧態依然とした封建社会は、英吉利を発端とした産業革命によって、ここ百年程で急激に近代化が進み、経済と産業に重視をおく資本主義社会に革新しているわ。彼らは利益の追及の為に様々な機械を発明し、科学と技術によって全てを解明しようとしている。これは非常識に生きる妖怪達にとって好ましくないもので、ここ数十年間、幻想郷には近代化の波から逃れるように、世界中の妖怪達が集まっているわ。この国は鎖国していたから、私達妖怪にとって近代化が及ばない最後の楽園だったの。だけど18年前に江戸幕府が倒れ、新たに発足した明治政府が推し進める富国強兵政策によって、西洋の文明が流入して近代化が加速しているの。このままでは、幻想郷は滅んでしまうのよ』

『なるほどね。だから博麗大結界が幻想郷の要になるのね』

『ええ。貴女にはそれを維持する役目があるの。もう既に術式は組んであるわ。かなり複雑だけれど、貴女の能力なら問題なくこなせるわ』

 

 話の内容から推察するに、博麗の巫女としての役割と、博麗大結界の仕組みについて教示を受けているみたいね。更に1時間程、自然経過に任せて過ごしていると、博麗の巫女と八雲紫が互いに深々とお辞儀をしていた。

 

『貴女の提案を受けるわ。私は幻想郷の為にこの身を捧げましょう』

『感謝します。私達は最大限の誠意をもって貴女を迎え入れますわ』

 

 西暦1885年と言えば、幻想郷が博麗大結界に覆われて、外の世界から完全に隔離された年。つまり私達は、博麗大結界の創設、ひいては初代博麗の巫女誕生の瞬間に立ち会っているのかもしれない。

 何となく興味が沸いた私は、しばらく彼女達の会話を聞いていたところ、博麗の巫女のルーツに関する興味深い事実が判明した。

 なんとこの少女――博麗千絵(ちえ)は幻想郷出身ではなく、八雲紫によって外の世界から招かれた人間で、旧名が土御門(つちみかど)という。

 土御門家は、平安時代に活躍した安倍晴明(あべのせいめい)を始祖に持つ由緒正しい陰陽師の家柄で、陰陽道によって代々時の政府を支えていた。

 ところが西暦1870年、明治政府によって天社禁止令(てんしゃきんしれい)が公布され、陰陽師としての存在を否定された土御門家は歴史の表舞台から姿を消し、科学技術の急速な台頭も相まって急激に力を失っていった。今となってはこの少女が土御門家最後の陰陽師みたい。

 そんな都落ちした彼女に八雲紫が接触し、彼女の思想を知り、共感した土御門千絵は初代博麗の巫女になった。もし彼女の末裔が霊夢なのだとしたら、霊夢の類まれなる強さにも納得がいく。

 魔理沙を捜してる最中、思わぬ真実を知ったことに驚いた私だった。

 

(……博麗の巫女についての観察はここまでね)

 

 時間が戻るにつれて博麗神社からは人の気配が無くなり、次第に人里から招かれた大工の手によって解体されて更地となった。ここまで魔理沙の姿は無かったし、恐らくこの時代に彼女は訪れないでしょう。私は時間を加速させた。

 

 

 

 

 西暦1500年代中盤、幻と実体の境界が消えた事で遂に幻想郷が無くなり、有触れた山奥の集落になった。将来人里と呼ばれる集落の外れに建つ小屋の中では、八雲紫と摩多羅隠岐奈が幻想郷を成立させる為の意見を交わしている。

 結局この時間まで遡っても、魔理沙は発見できなかった。もちろん見落としている可能性は否定できないけれど、きっとこの地に拘っていても、魔理沙は現れないでしょう。

 私は輝夜と話し合い、現在の歴史の永琳が語った約1億年前に出現した時間の境界に赴く事に決定する。1億年はかなり長い時間移動になりそうだけれど、お嬢様の期待や幻想郷の為にも諦める訳には行かないわ。例え何年掛かっても、絶対に辿り着いて見せるわ。

 

 

 

 西暦714年7月23日午後1時35分。奈良時代まで遡った私達は、幻想郷があった土地を離れ、遥々平城京の南端上空にまで移動していた。

 輝夜の解説によると、この時代の首都たる平城京は、北端に帝が住まう平城宮を置き、朱雀大路(すざくおおじ)と呼ばれる大路(おおじ)を中心に左京(さきょう)右京(うきょう)に分けられた都市で、当時の(とう)の都を模して造られたらしいわ。現在の時間だと遷都されてから4年しか経ってなくて、南側はまだ造営中みたいだけれど、空から見下ろすとまるで碁盤のように区画整理がされていて、機能的な美しさを感じるわね。

 

「平城京……懐かしいわね」

 

 都全体を見下ろしながら輝夜はしみじみと呟いている。輝夜たっての希望で、私達はこの時間に寄り道していた。

 

「こっちよ、ついてきて」

 

 輝夜に促されて、私は平城京の南端から北東に向かって飛んでいく。眼下には小さな宅地内に寂れた竪穴住居や畑が並び、通りでは商売や造営工事に励む人々や、駆け回る子供達の姿が見える。何時の時代においても、街は活気があるわね。

 段々と北上するにつれて、密集した住居が少なくなり、広大な敷地と、赤を基調にした派手な色合いの宮殿が目立つようになる。輝夜の話ではこの時代の貴族達が住む区域に突入したとのこと。

 やがて輝夜は高度を下げていき、平城宮にほど近く、朱雀大路の右隣の一坊大路(いちぼうおおじ)沿いに建つ讃岐造(さぬきのみやつこ)邸の敷地内に着地する。塀が見渡せない程広大な敷地内には、小さな林に大きな池と橋が架かり、正面には極彩色に彩られた立派な宮殿が建っている。

 宮殿の正面には、赤い髪飾りを身に着け、唐風の華やかな色合いの着物を着たこの時代の輝夜の姿。隣にいる輝夜と全く姿が変わらず、この時代においても美しさが際立っている彼女は、階下で土下座する中年の貴族男性に蓬莱の玉の枝を向け、強い口調で糾弾している。彼の足元には真っ二つに折られた蓬莱の玉の枝が転がっていて、そんな二人を、薄汚れた着物姿の男性が目を丸くして眺めていた。

 ああ、この場面は読んだことがあるわ。竹取物語において、輝夜が求婚してきた五人の貴公子に向けて提示した条件、所謂五つの難題の一つである蓬莱の玉の枝を貴公子が持ってきた場面に立ち会っているのね。

 話の流れとしては、貴公子が職人に精巧な偽物を造らせて求婚を迫り、輝夜が承諾せざるを得ない状況に追い込まれた時、職人が代金を受け取りに押しかけた事で嘘が発覚した……という流れだった筈。確か結婚の条件で蓬莱の玉の枝を指定された貴公子の名は、藤原不比等(ふじわらのふひと)だったわね。藤原……なるほどね。

 私と一緒に来た方の輝夜に目をやると、険しい顔で見つめている。

 妹紅が蓬莱人となったきっかけは、父親が輝夜に恥をかかされたことだと聞いている。きっと今の輝夜の中には、複雑な感情が渦巻いているのでしょう。

 

(輝夜はこの場面を見たかったのかしら?)

 

 私の個人的な感想としては、偽物を用意した藤原氏に非があると思うのだけれど、そう簡単に割り切れる問題では無いわね。

 そんな事を考えていた時、ふと木陰に隠れる少女を見つける。

 腰まで伸びた黒髪に、花柄の上等な着物を纏う少女は、輝夜と藤原氏の会話を静かに覗き見ていた。肌艶も良く、小奇麗な身なりをしていることから貴族の娘だと思うのだけれど、何所から迷い込んだのかしら。それに、彼女とはどこかで会った事があるのよねぇ。

 

「ねえ輝夜、あの女の子の事知っている?」

「え?」

 

 何気なく訊ねてみると、少女を見た輝夜は目を見開いて驚いた。

 

「!! 妹紅……!」

「あら、そうなの?」

「蓬莱人になる前の彼女とは何度か会っているし、間違いないわ……。そう、彼女はこの現場を見ていたのね……」

 

 輝夜は悲し気な顔で呟いている。

 私は改めて若かりし頃の妹紅を眺めてみる。言われてみれば今の妹紅の面影があるわね。蓬莱人になる前の妹紅って黒髪だったのね。

 

「ここで楽にさせてあげた方が妹紅の為になるかしら……」と、妹紅に向かって右手を差し出したので、私は慌てて静止する。

「いけないわ! 私達の目的は――」

「言ってみただけよ。分かっているわ。……私は駄目ね。気持ちが揺らいでしまったわ」

 

 かぶりを振った輝夜は、「もう行きましょう。咲夜、私の我儘に付き合ってくれてありがとう」と未練惜しそうに空に飛び立っていく。

 私は藤原氏を非難するこの時代の輝夜と、それを食い入るように見つめる若かりし頃の妹紅を交互に見た後、輝夜の後に続いて飛んでいく。無言の輝夜と共に平城京が見えなくなるまで離れた後、私は過去に向かって時間を加速させた。

 

 

 

 ――時が加速する最中、遂に西暦から紀元前に突入する。ここに至るまでに随分と長かったような気もするけれど、私達の目標時間には程遠いわ。

 

 

 

 ――紀元前2000万年が過ぎた頃、九州地方とユーラシア大陸が陸続きになったことで、日本列島は大陸の一部になった。輝夜の話では、かつて月人達が地上に築いた文明はユーラシア大陸の東側にあったという。便利な事に、輝夜のタブレット端末は現在時刻だけでなく、人工衛星(GPS)を利用した世界地図と現在地表示に対応しているので、迷わずに辿り着けそうだわ。

 

 

 

 ――紀元前6600万年を過ぎた頃、空は暗雲に包まれ、陽の日差しが届かない暗い世界がしばらく続いたかと思えば、世界全体に衝撃波が走る。山は崩壊し、森はなぎ倒されて、大地は火に覆われる。やがて天高くまで届く巨大な津波が大地を洗いながしていった。

 輝夜の話では、月からもはっきり観測できるくらいの巨大な隕石が落下した事で、恐竜が絶滅しただけでなく、かつて地球に暮らしていた月人達の文明の痕跡全てが破壊されたそうね。まだまだ先は長いわ。

 数えるのも面倒になる程の長い年月を掛けて時間を加速していくと、地上に変化が現れる。鬱蒼と生い茂る森が次第に枯れて、地表面が露わになると、地面が舗装されていき、建物の残骸が発生する。それはやがて形を取り戻し、天を貫く高さの超高層ビルが筍のように生えては街を形作り、摩天楼になる。

 明月(めいげつ)都。かつての月人達が暮らしていた都市ね。

 人気がないゴーストタウンだったけれど、紀元前1億年に近づいた頃、山のように大きな1隻の宇宙船が宇宙から飛来し、ターミナルに着陸する。やがて扉が開くと、搭乗口から続々と人々が降りて街に帰っていく。その中には永琳の姿も確認できたわ。

 在りし日の月人達は、地上に蔓延する〝穢れ”から逃れる為、この星を捨てて月に移住したという。今の私達はその歴史を目撃しているのでしょう。

 目標時刻は近いわね。

 

 

 

 

 ――紀元前1億1520年10月11日21時35分。白亜紀中期、明月(めいげつ)海東(かいとう)区の僻地に建つ時間開発研究所第一実験室にて、異変が発生していた。

 ドーム状の広大な空間の中心には、表側の月面のような大きなクレーターが出来上がり、鈍く光る金属片が部屋中に散乱している。

 隣接する観測室では警報が鳴り響き、白衣を着た研究員があちこちに倒れていて、中には頭から血を流している人も。観測室と実験室を隔てるガラス窓が粉々に砕け、室内の機器類が大きく破損してることから、恐らく実験室で何か巨大な機械が爆発して、その余波で此方の部屋も被害を受けたのでしょうね。

 

「酷い有様ね……」

 

 輝夜のタブレット端末に残された研究記録によれば、今日この時間帯、人工的に次元扉を開く最終実験中だったそうね。

 私が観測室を歩き回りながら状況を確認する一方、輝夜はしきりに辺りを見回している。やがて壁際に仰向けで倒れる銀髪の少女を見つけると、青ざめた顔で駆け寄って座り込んだ。

 

「永琳! しっかりして、永琳!」

 

 輝夜は永琳の身体を抱き起こしながら肩を揺さぶっている。私も早足で歩いていき、冷静さを失っている輝夜の代わりに若き永琳の状態を確認する。眼鏡が割れて苦しそうな表情を浮かべているけれど、幸いな事に目立った外傷は無いし、脈拍も安定している。命に別条は無さそうね。

 

「大丈夫よ輝夜。彼女がここで死ぬ運命ではない事は、貴女も知っているでしょ?」

「そう……ね。ごめんなさい、取り乱したわ」

 

 輝夜は永琳の身体を優しく地面に寝かせると、すっくと立ちあがる。私もお嬢様が倒れていたら、同じように取り乱していたかもしれないし、輝夜の気持ちは分かるわ。この時代の永琳はまだ蓬莱人ではなかった筈ですし、余計に心配なのでしょうね。

 

「研究記録によれば、あと10分程で〝次元扉”が開くそうよ。実験室に戻りましょう」

「そうね」

 

 輝夜は倒れている永琳をちらりと見た後、私と共に実験室の中心に歩いていく。10分後、クレーターの中心に空間を切り裂くように時間の境界が開いた。

 

「遂に来たわね……!」

 

 時間の境界の先は果てしない闇が広がり、中心には女性の人影が浮かんでいるが、ノイズが掛かっていて正体が掴めない。

 

「ねえ! 貴女は時の神なんでしょ!? 私の質問に答えてもらえないかしら!」

 

 私は声を張り上げて呼びかけたものの、女性の人影は砂塵のように掻き消え、時間の境界は閉じられた。

 

「そんな……どうして……?」

 

 

 

 

 ――紀元前1億1520年3月18日15時20分。明月(めいげつ)海東(かいとう)区第1居住区。

 異なる地域・大陸間を結ぶターミナルや、世界中の物品が集まる商業地域、営利企業の高層ビル群がひしめく明月都の中心から南に離れた位置にあり、現代の月の都のような中華風の住居が建ち並んでいる。

 居住区の端には金属製の高い柵が築かれ、柵と柵を結ぶ柱にはレーザー砲が設置されている。タブレット端末に残された情報によると、大型恐竜の侵入を防ぐ為の設備とのこと。随分物々しい警備だと思うのだけれど、柵の向こう側の草原を歩く首の長い恐竜や、鱗が目立つ恐竜の大きさを見ると、仕方ないと思えるわね。

 現在、第1居住区上空には時間の境界が開いていて、住人は全員避難している。時間の境界付近には、政府機関のロゴが入った箱型の宇宙船が複数飛び回り、機体の側面からアンテナを伸ばしている。

 私達は時間の境界に向かって飛び上がって行くけれど、ある一定の高さに到達した所で弾き飛ばされてしまった。まるで見えない壁に阻まれているかのように。

 

「噓でしょ……!?」

「咲夜! もう1度行くわよ!」

「ええ!」

 

 その後進入角度や〝永遠”の解除等、条件を変えて何度も何度も挑戦するけれど、悉く弾かれてしまった。一体どうしたらいいの……?

 

 

 

 

 ――あれからどれだけ経ったのでしょう。

 眼下には鉛色の海が水平線の果てまで広がっていて、水底に沈んでいた隕石が次々と波を引き寄せながら赤茶色に錆びた空へと帰っていく。正常な時の流れから見ると、流星群が海に降り注いでいるのでしょう。

 海鳥や魚の姿は見当たらず、大気は酷くくすんでいる。まるで死の星に迷い込んでしまったみたい。

 

「…………ねえ輝夜。今はいつ?」

「……」

 

 何度目かも分からない質問に、憔悴しきった顔の輝夜が提示するタブレット端末は、やはりB.C.100013051 12/4 18:09:05で止まったまま動かない。この時刻こそが、月人達が高精度時間測定器を発明する瞬間だからだ。

 そんな彼らが文明を築いていたユーラシア大陸も沈没する程の過去に遡った今、最早生命と呼べるものはまだ地球に誕生していないのかもしれない。

   

「私、もう限界なの。あといくつ昼と夜を繰り返せば、時の牢獄から抜け出せるの?」

「……」

 

 虚ろな目のまま口を閉ざす輝夜。

 

「一体どこで間違えてしまったのかしら? 時間遡航を決断した日? それとも魔理沙がいなかったあの日? ……こんなに時間移動が辛いなんて思いもしなかったわ。私は愚かだった! 魔理沙がいる時代まで時間加速する――いえ、そもそも時間遡航して魔理沙に歴史改変してもらうなんて計画、机上の空論もいいところだったわ! ねえ、私は誰を憎めばいいの? このやり場のない感情はどこへぶつければいいの? ああ、お嬢様に会いたい、美鈴の声が聞きたい、霊夢やマリサとお話したい――幻想郷に、帰りたい……!」

 

 後悔の言葉が堰を切ったように溢れ出して止まらない。

 最後の頼みの綱だった明月都の作戦に失敗し、〝永遠”を解除しても正常な時の流れに戻れなかった私達は、いつ終わるとも分からない時間遡航を続けるしか選択肢は無かった。

 

「あぁもう嫌! どうしてこんな目に合わなきゃいけないの!? 誰でもいいから私を助けて……!」

 

 恥も外聞もなく喚き散らしても意味が無い事は理解しているけれど、それでも叫ばずにはいられない。

 幾星霜の時を経て、精神的に消耗した今の私はかつてのような時間操作が満足に出来なくなり、等速の時を過ごす時間が多くなっている。能力の乱れは心の乱れ。きっともう、私はおかしくなってしまっているのでしょう。

 

「……私ね、もう疲れちゃったの。輝夜、この苦しみから私を解放してちょうだい……! これ以上はもう、耐え切れないの」

 

 私は輝夜に縋り付きながら切実に懇願する。

 魔理沙の助けも来ない中、幻想郷で過ごした輝かしい思い出の中に逃げ続けるのももう限界。

 お嬢様への忠誠も、幻想郷の異変も今の私にとってはどうでもいい。私はもう、これ以上頑張れない――

 そんな思いが通じたのか、輝夜の目に光が戻り。

 

「――貴女の苦しみは私が一番分かるわ。今、楽にしてあげましょう」

 

 久々に聞いた輝夜の声はウグイスのように美しく、か弱い花を愛でるかのように私を抱擁する。自然と冷たい滴が頬を伝っていた。

 

「ありがとう、輝夜。そしてごめんなさい。私が貴女を破滅の道に巻き込んでしまった……」

「……そうね。全く恨みが無いと言えば嘘になるけれど、最終的に貴女に協力することを決めたのは私だから。それに、私がこの身体(蓬莱人)になった瞬間から、いずれは同じ結末を迎えることが決まっていたわ。それが早まっただけに過ぎないのよ」

 

 淡々と語る輝夜は私からそっと離れると、ゆっくりと私の胸元に向かって右手を伸ばしていく。私は赤茶色に錆びた空を見上げ、

 

「ああ――どこで道を間違えたのかしら。もし叶うのなら、私にもう1度やり直す機会をください――」

 

 彼女の指先が胸に触れた瞬間、私の意識は途切れた――。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 紀元前38億9999万9999年8月19日午前0時。メビウスの輪の特異点に到着した蓬莱山輝夜は原初の海に浮かんでいた。既に時間の逆行は終了し、正常な時の流れに戻ってきているのだが、彼女は微動だにせず、生気の無い目で虚空を見つめている。

 彼女が十六夜咲夜と永遠の別れを済ませた後に待ち受けていたのは、幾億年にも渡る甚大な時間遡行だった。それは彼女の精神を蝕むには充分な時間となり、自己防衛の為に意識を閉ざした蓬莱山輝夜は、もはや生ける屍と化していた。

 刻々と時間だけが過ぎていく中、変化が訪れる。プロッチェン銀河のアプト星において時間旅行者霧雨魔理沙が起こしたタイムホールの余波が地球に届き、原初の海は荒れ、大気が大きく揺れる。

 結局彼女は間に合わず、メビウスの輪が成立してしまったのだが、何も反応を示さない。自らの殻に閉じこもり、幻想郷で過ごしていた頃の幸せな空想に耽る彼女にとっては、今が夢なのか現実なのか判断できないからだ。このまま揺蕩い続けるかと思われた時、空中に次元断層が開き、閃光と共に時の女神十六夜咲夜が現れた。

 時の女神十六夜咲夜は蓬莱山輝夜の元にゆっくりと降りていき、水面の上に立つと、悲痛な面持ちで彼女に手を合わせる。

 

「ごめんなさい輝夜……。貴女と〝私”は、必ず助けるわ」

 

 時の女神十六夜咲夜は一言呟いた後、時の回廊に帰っていき、次元断層が閉じられた。

 間もなく宇宙から飛来した隕石が蓬莱山輝夜の付近に落下し、津波に呑み込まれて沈んでいく。水底に近づくにつれて酸欠に陥り、リザレクションが発動する寸前、彼女の肉体は幻のように掻き消えた――。

 

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 

 

 

 

「――っ!」

 

 背筋に恐ろしい戦慄が走り、意識が現実に引き戻される。

 目の前には博麗神社。縁側では霊夢とマリサが楽しそうに雑談していて、隣の輝夜のタブレット端末に表示される時刻は『A.D.200X 07/20 13:51』から1秒ずつ減少している。随分と長い時間が経過した気分だけれど、実時間では1秒しか経過していなくて、私は右手で懐中時計を握り、竜頭に親指を乗せる姿勢で立ちすくんでいた。

 

(今の光景は何よ……!?)

 

 夢にしてはあまりにも後味が悪く、現実味を帯びていて、今も激しい動悸が収まらない。私は震える手で懐中時計を仕舞い、胸に手を当てて深呼吸を繰り返しながら、何とか心を落ち着かせていく。

 

(もしかして……私達の未来なの?)

 

 たった1秒の間に、走馬灯のように脳内によぎった身に覚えのない記憶。西暦215X年10月1日午前8時45分の人里で、歴史αからβに改変された時の記憶の想起に非常に似た感覚だったわ。

 もしもこの断片的な記憶が、私の選択の果てに待っている結末なのだとしたら、このまま時間を加速させる行為はとてつもなく危険な予感がする。

 

「ど、どうしたの咲夜? 貴女とても怖い顔をしているわよ?」

 

 今の私には心配そうに訊ねてくる輝夜に返事をする余裕は無かった。きっとここが運命の分水嶺。選択を間違えた先に待っているのは、永遠に続く時間の漂流と、終わりのない絶望。

 私は輝夜の右手を掴んで。

 

「輝夜、時間加速は中止よ! 今すぐ紅魔館に――」

 

 言い終わる前に、誰かが私の背後から右腕を掴んで引き寄せる。

 

「え――」

 

 次の瞬間、時間の逆行現象が解除されて、縁側でマリサと談笑していた霊夢と目が合った。

 

「!? 咲――」

 

 驚いた様子の霊夢が私の名前を言い切る前に、再び目の前の二人は動かなくなり、世界に静寂が訪れる。

 

「捕まえたぜ」

 

 聞き馴染みのある声に振り返ると――

 

「久しぶりだな。咲夜、輝夜」

 

 私の右腕を掴んだまま、屈託のない笑顔を浮かべる魔理沙の姿があった。


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