世界は1秒以前の状態に遡っていく。
眼下を見渡せば、つい先程まで私の話を聞いていた過去の私が、この場に集まった面々に魔法の森の調査結果を報告していた。
「?!――れ逃てし決はらか縛呪の時、ばれけなもで人莱蓬む住に奥の林竹のい迷、後最らたれわ囚。ねのもいしろ恐はと界境の間時……。けだ〝女彼”るす移動を時、はのな能可がれそてしそ。わい無が法方かし化期初の象事かす戻き巻を時、はにす戻り取を姿の日しり在が森の法魔」
(……不思議ね。この私はさっきの出来事を知らないなんて)
「ねえ咲夜、変化はない?」
輝夜に促されて自身の記憶を辿ってみるけれど、違和感はない。
「問題ないわ。そもそも、今私達がここにいる事が答えでしょう?」
「ふふ、そうね」
無事に過去の私への干渉を済ませ、過去から現在にかけて私の連続性が証明できた以上、この時間にはもう用はない。ここから先は定められた未来ではなく、未知の過去なのだから。
「ここにいると魔法の森の消失現象に巻き込まれるわ。紅魔館に向かいましょう」
魔法の森を後にした私達は、ものの数分で紅魔館の庭園上空に辿り着く。途中で門の様子を確認したけれど、美鈴は門柱に背中を預けながら俯いていた。相変わらず寝ているのね、全く。
「ふふ、紅魔館を訪れるのはとても久しぶりだわ。この頃から美しい庭園があったのね。貴女がお世話しているの?」
「いいえ、ここを管理しているのは美鈴よ」
「そうなの……! 今度話しかけてみようかしら」
輝夜は美鈴を気に入ったみたいね。二人がどんな話をするのか、想像がつかないわ。
「さて、今から西暦200X年9月2日まで時間を加速させるわね。輝夜、今の時間を教えてもらえるかしら」
「ええ」
輝夜のタブレット端末を見ながら慎重に時間を加速させていく。季節の移り変わりと共に、中庭でも変化が生じていった。
庭園の手入れを熱心に行う美鈴、四季折々の花々を観賞するお嬢様、日傘を差しながら魔理沙と激しい弾幕ごっこを行う妹様、居眠りする美鈴を注意する私、満足気な顔のパチュリー様と大量の本を抱えて紅魔館から出て行く小悪魔。その他様々な人妖が紅魔館を訪れては帰っていく。
紅魔館全員が集まったバーベキュー大会や、親しい人妖を招いたお茶会等のイベントが催される日もあり、様々な思い出が蘇る。
思い返してみれば、この頃の幻想郷は私の時代に比べてとても賑やかだったわね。弾幕決闘法(スペルカードルール)制定の黎明期ともあって、215X年に比べると異変の発生頻度が異常に多くて、幻想郷の住人になる人妖も多かったわ。
過去に思いを馳せながら時間の加速を進めていき、目的の日時に到着した所で解除する。
現在時刻は西暦200X年9月2日正午。炎天下の中庭には誰もいなくて、蝉の鳴き声だけが響いていた。
「この日は午後から美鈴と出掛ける約束があって、午前中の間に全ての仕事を終わらせるつもりで時間を止めていたわ。そんな時、魔理沙がこの場所から私を呼んでいたの」
実のところ魔理沙と会った正確な時刻はちょっと覚えていないのだけど、昼前だったのは確実。
「魔理沙は霊夢と過ごすためにこの時間に遡ってきたのだけれど、私が長い間時間を止めたままだから、目的を果たせなくて困っていたわ。そこで私は紅魔館の仕事を手伝ってもらう代わりに、この日は能力を使わない約束をしたの」
「つまりこの場にいれば、確実に魔理沙が現れるのね?」
「ええ。それもこの時代の私が時間を止めた瞬間にね」
私達は庭園全体を見下ろせるバルコニーに移動して、じっと待ち続ける。
30分、1時間、刻々と時間が過ぎていく。その間私達に会話は殆ど無く、些細な変化すら見逃すまいと庭園を見下ろしている。この時期は日差しがかなり厳しいのだけれど、永遠になったおかげで全然苦に感じないのは幸いね。
変化が訪れたのは午前10時20分9秒に達した瞬間だった。輝夜の時計が止まり、時を止めた時のえもいわれぬ感覚と一緒に静寂が訪れる。
「この時間の私が時を止めたわ!」
「いよいよ魔理沙が来るのね?」
私達は息を飲んで中庭の中心を凝視する。ところが待てど暮らせど魔理沙は現れない。それどころか、この時間の私の姿も見当たらなかった。
「おかしいわ……どうして誰も来ないのよ?」
「……」
(私の記憶違いだった……? いえ、そんなはずは……)
困惑する私とは裏腹に、輝夜は庭園を見下ろしながら何かを考え込んでいる様子。
「輝夜、私は紅魔館の中を確認してくるわ。貴女はここで魔理沙が来るか見張っててもらえる?」
「構わないわ」
居ても立っても居られなくなった私は屋内に入り、この時間の私自身と遭遇しないように細心の注意を払いながら紅魔館の中を探索していく。
キッチン、浴室、エントランス、応接室……地下から3階に至るまで全ての部屋を隈なく確認するも、鼻歌を歌いながら掃除する過去の私しか見つからなかった。
魔理沙と行き違いになった可能性も考慮にいれて、しばらく過去の私を尾行したけれど、テキパキと日々の雑務をこなすだけだった。
(おかしいわね……。私の記憶では、紅魔館の仕事に慣れない魔理沙に色々指南していた筈なのだけれど)
過去の私を問い詰めたい気持ちになったけれど、当時の私がこの時刻に未来の私に会った記憶は無い。余計なタイムパラドックスを起こすかもしれないことを考えたら、中々決断に踏み切れなかった。
(……輝夜はどうなったのかしら)
思えば彼女と別れてから結構な時間が経ってしまっている。これだけ捜しても見つからないんですもの。もしかしたら輝夜が魔理沙を引き留めているのかもしれないわね。
そんな期待を込めながらバルコニーに戻った私を、輝夜は暖かく出迎えてくれたけれど、魔理沙の姿は無かった。
「おかえりなさい。どう? 魔理沙は見つかったの?」
「仕事中の過去の私しかいなかったわ。其方は何かあった?」
私の問いかけに輝夜は静かに首を振った。
「そうなのね……」
魔理沙はどこへ行ってしまったのかしら?
それから私達はバルコニーで庭園を注視し続けていたのだけれど、何も変化は起こらなくて平穏そのもの。そして遂には止まっていた時間が動き出し、時刻は午前10時19分になっていた。
「結局、魔理沙は現れなかったわね」
「……どういうことなのかしら」
口をついて出た私の疑問は、蝉の声にかき消されていった。
作中の咲夜が話した魔理沙に関する出来事については『第四章第118話 咲夜の世界』にて詳しく描写しています。