魔理沙のタイムトラベル   作:MMLL

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大変遅くなってしまい申し訳ありませんでした。


第233話 (2) タイムホールの影響⑪ 紫の断片的な回想(中編)

 ――西暦2008年4月10日午後1時――

 

 

 

 時刻は午後1時。

 時間の境界が閉じた後、博麗神社のお茶の間に移動した紫と美咲は、ちゃぶ台を挟み向かい合って座っていた。

 

「……これで引継ぎは完了ね。今から貴女が博麗の巫女よ」

「……はい」

 

 博麗の巫女の継承式が完了し、先代の巫女――博麗霊夢――に代わって静かに告げた紫に、美咲はこくりと頷いた。

 彼女は花柄の着物から、脇が開いた博麗神社伝統の巫女服に着替えていたが、その表情は未だに晴れない。

 

「紫様、本当にこうするしかなかったのでしょうか……?」

「美咲。同じことを何度も言わせないで。貴女に役目を果たしてもらわないと困るわ」

「……そう、ですよね。私をここまで鍛えてくださった霊夢様の為にも……。ああ、私の晴れ姿を見て貰いたかったなぁ」

 

 しばらく重苦しい空気が流れた後、美咲は意を決したように立ち上がり、誓いを立てる。

 

「……決めました。私は生涯をかけて霊夢様達を捜します。あんなお別れなんて嫌ですから……」

「私もできる限りの手を尽くすわ」

 

 

 

 

 ――西暦2008年4月12日午後3時――

 

 

 

 ――幻想郷、魔法の森跡地――

 

 

 

 二日後。

 小春空が広がる心地よい日の事。藍の報告を受けた紫は、魔法の森だった場所の入り口に足を踏み入れていた。

 

「ここが……魔法の森なの……?」

「はい」

 

 目の前の光景に唖然としながら問いかける紫に、藍は小さく頷いた。

 かつてマナと瘴気で満ち溢れた奇妙で鬱蒼たる森は消滅し、剥き出しになった大地は砂に埋もれ、雪のように白く染まっていた。

 藍の傍には異変を聞きつけて集まった美咲、隠岐奈、董子、文の姿があり、奥ではパチュリーが顎に手を当てながら歩き回っている。彼女は時折しゃがみ込み、砂地を触りながら考え込んでいた。

 

「一体何があったらこうなるのよ?」

「目撃証言によりますと、今から15分程前、魔法の森上空に大穴が開き、あっという間に全てを呑み込んでしまったそうです」

 

 淡々と説明する藍に対し、董子は興奮気味に語る。

 

「そうなのよ! 私その時たまたま人里にいたんだけど、魔法の森がまるで掃除機みたいに根こそぎ吸い上げられちゃったわ。しかもその中に、森近さんのお店やマリサっちの家も含まれていたのよ!」

「彼女の証言によると大穴が開いていたのは3分程度だったそうです」

「他の住人は無事なの? 私の記憶ではアリスとマリサ以外にもいた筈だけど」

「森近霖之助と矢田寺成美は現在人里に避難しています。事件発生当時は外出していたようで、目立った外傷はありませんでした」

「それは不幸中の幸いね」

「ただ、強い精神的打撃を受けたようで、かなり落ち込んでいる様子でした」

「藍、二人の仮初の住居と当面の生活費を手配しなさい」

「かしこまりました」

 

 藍は人里に繋げたスキマを開き、中に入っていった。

 

「……空に開いた大穴に、全てが消えた魔法の森か。解せんな」

「とんでもないことになりましたねぇ。霊夢さん、マリサさん、アリスさんの失踪といい、ここの所シャレにならない異変が起こりすぎですよ」

「この規模の空間崩壊には必ず前兆がある筈。私が事前に察知できない筈がないわ」

「紫様の認識を超えていたなんて……一体何が起きているのかしら。先週私の神社に開いた時間の境界と何か関係があるのでしょうか?」

「――あ!」

 

 美咲の何気ない呟きに、菫子は思い立ったように声を上げた。

 

「そういえばさっきの大穴、時間の境界に似ていたわ!」

「菫子さん。それは本当ですか?」

「空から写真を撮ったのよ。ちょっと待ってね……」

 

 董子はポケットからスマホを取り出し、操作した後画面を見せる。

 

「ほら、これ見て!」

 

 パチュリーを除く全員の注目が集まった。

 画面には、魔法の森の上空をくりぬく深淵の穴が開き、無数の木々と損壊した建物が宙に舞っている瞬間が収められていた。

 

「私四日前に博麗神社に寄ったんだけど、その時に見た大穴と形が似ていたし、肌に纏わりつくような嫌な雰囲気がそっくりだったのよね」

「確かに、言われてみれば似てますね」

「時間の境界……か。紫、お前はどう見る?」

「この画像だけでは断定できないけれど、私が調べた限りでは、ここと博麗神社上空に開いた境界の痕跡は共通点が多いわ」

「ふむ……」

 

 隠岐奈は難しい顔で考え込んでいた。

 

「菫子さん、明日の記事に使いたいのでこの写真をもらえませんか? 決定的な瞬間に立ち会えなかったので、困っているんですよ」

「構わないわよ。後で印刷して持っていくわね」

「ありがとうございます!」

 

――他に何か手掛かりはないかしら?

 

 文と菫子が約束を交わす中、紫が周囲を見回すと、少し離れた場所でしゃがみ込むパチュリーが目に留まる。彼女は目を閉じながら砂地に右手を当てていた。

 

――あら? 彼女は確か、紅魔館の魔女、パチュリー・ノーレッジよね。

 

 そんな紫の思考を読んだかのように、隠岐奈は口を開く。

 

「彼女は私が呼んだんだ。魔法の森の異常現象なら、専門家の意見を伺うべきだと思ってな」

「ふ~ん……」

 

 紫はパチュリーに歩み寄り、声を掛けた。

 

「調査は進んでいるのかしら?」

 

 彼女はゆっくりと立ち上がり、手の砂を払いながら答える。

 

「あら、八雲紫も来ていたのね。まだ不明な点はあるけれど、魔法の森が砂の大地になった原因は特定できたわ」

 

 彼女の発言に皆が集まり、言葉を待った。

 

「結論から言うと、マナの枯渇が原因よ」

「マナの枯渇……大地の生命力の消滅ということか?」

「ええ。これだけ大規模なマナの流出現象は前例が無いわ」

「元の状態に戻りそうかしら?」

「絶望的ね。自然の法則が根源から破壊されてしまっているから、再生も見込めないでしょう」

「……それは厄介だな」

「そうね。最悪の場合放棄せざるを得ないでしょう」

「え? あの、どういうことなんですか?」

 

 顔を顰める賢者達に対し、美咲が可愛らしく首を傾げながら疑問を口にすると、パチュリーは補足説明を始めた。

 

「例えるなら自然治癒力ね。私達には生まれながらにして怪我や病気を治す力が備わってるわ。それは私達が生きる大地も同じ。特に魔法の森は大気中に溢れんばかりの豊富なマナの影響で、他の土地に比べて生命力が強いのよ。仮に火を放ったとしてもすぐに元通りになるわ」

 

『でたらめみたいな話ね』と感心する菫子をよそに、パチュリーは語り続ける。

 

「けれど今の魔法の森は、自然の法則が破壊されてマナが枯渇した状態――先程の例えで言うと、怪我や病気のまま〝回復″という過程に移行できないのよ」

「風邪をひいたらずっと風邪のまま、擦り傷を負ってもかさぶたができないままってことでしょうか?」

「そうよ」

「そんな……」

 

 美咲は事の重大さを理解したようで、目に見えて気持ちが沈み込んでいた。

 一方で、パチュリーの説明を一字一句メモに取っていた文は、万年筆の尻軸をマイクのように向けながら質問をぶつける。

 

「自然治癒力が失われてしまったのであれば、薬を投与すればよいのでは?」

「私も同じことを考えたけど駄目ね。土台が完全に腐ってしまっている。魔力をつぎ込んでも定着せずにすぐ霧散してしまったわ」

「ふんふん、なるほど」文は再び筆を走らせた。

「こんな事、世界(幻想郷)が壊れる程の魔法か、天変地異でも起きない限り有り得ないわ。目撃者の談では、空に開いた大穴によって魔法の森が呑み込まれたのよね?」

「ええ、そう。これが証拠ね」

「私達もこの現象について議論を交わしていたところでな、先週の5日~10日に博麗神社の空に出現した時間の境界ではないか? という意見が出ている」

 

 菫子はパチュリーにもスマホの画像を見せ、隠岐奈は補足するように口を開いた。

 

「時間の境界……時間…………もしかして!」

 

 画像を穴が空くほど見つめていたパチュリーは何かを閃き、手元に展開した小さな魔方陣から栞の魔符を召喚する。

 

「もしもしレミィ? こっちに咲夜を派遣してもらえないかしら。魔法の森の件で確かめたいことがあるの。……ええ、ええ。すぐに分かるわ。お願いね」

 

 耳から魔符を離して一息吐くと、日傘を差した咲夜が彼女の隣に出現。突然の招集にも関わらず、涼しい表情で訊ねた。

 

「お呼びですか? パチュリー様」

「咲夜、貴女の力を貸してもらえないかしら」

 

 そう切り出したパチュリーは、ここまでの話を簡潔に伝えた。

 

「時間の境界ですか。それで私に白羽の矢が立ったのですね。何をすればよろしいのでしょうか?」

「貴女の能力でこの一帯の〝時間″を調べてちょうだい。もし私の推測が正しければ、〝停止″している筈よ」

「かしこまりました」

 

 咲夜は背を向け、懐中時計を差し出した。

 

「これは……! まさか――」

 

 傍目から見ればなんてことのない動作だったが、異常事態を察知した様子の咲夜は竜頭を押した。

 軽く打つ音の刹那、少し離れた場所に出現した彼女は、難しい顔で砂の大地を睨みつけている。

 

「…………」

 

 その後も、竜頭をひねる音と同時に往来を繰り返し、紫達の視点からは瞬間移動しているような錯覚を与えていた。

 

「一体何をしてるんでしょうかねぇ」

「さあ?」

 

 やがてパチュリーの隣に戻って来た咲夜は、動揺を隠せない様子で口を開く。

 

「……信じられません。パチュリー様の仰る通り――いえ、それ以上のおぞましい事態に陥っていました。〝停止″ならどれほど良かった事か……」

「貴女の見解を詳しく聞かせてもらえるかしら?」

「今の魔法の森は未来が完全に奪われ、時間の終着点に至っています。言ってみれば、この星の成れの果てですわ」

「! なんてことなの……」

「……」

「ちっ、とんでもない置き土産を残していったな」

 

 強い衝撃を受けた様子のパチュリー。静かに目を見開く紫。舌打ちする隠岐奈。

 

「すみません咲夜さん。時間の終着点とは?」

「森羅万象全てが行きつく絶対的な結末。直接的な表現では〝死″という言葉が適切ね」

「なんと!」

 

 深刻そうに語る咲夜に、文と美咲は息を呑んだ。

 

――〝停止″なら動き出せば未来に向かって進むけれど、〝死″の先には成長も停滞も退行も無く、あらゆる可能性が閉ざされる……。

 

 紫は1000年近く旧い昔、生気を吸う桜の木の下で命を絶ち、現在は白玉楼で亡霊となって死後の生を謳歌する旧友を思い浮かべていた。

 

「魔法の森が在りし日の姿を取り戻すには、時を巻き戻すか事象の初期化しか方法が無いわ。そしてそれが可能なのは、時を移動する〝彼女″だけ。……時間の境界とは恐ろしいものね。囚われたら最後、迷いの竹林の奥に住む蓬莱人でもなければ、時の呪縛からは決して逃れ――!?」

 

 咲夜はそう言って言葉を切った。

 紫達に向かって見解を述べていた彼女は、一瞬の内に驚愕を貼り付けた表情で春空を見上げている。この場の誰もが、話の最中に時間を止めた事を理解したことだろう。

 

「どうしたの咲夜?」

「…………」

 

 パチュリーは気遣いの声を掛けるものの、咲夜は目が釘付けになったまま微動だにしない。不審に思ったパチュリーと紫は空を見上げたが、ただの青色が広がっているだけだった。

 

「………………いえ、何でも、ありませんわ。とにもかくにも、今回の異変に〝時間″の影響が及んでいることは間違いないでしょう」

 

 長い沈黙の末にようやく目線を戻した咲夜は、何事もなかったかのように冷静に振舞っていたが、その態度は、親交の浅い紫でさえも違和感を覚えるものだった。

 

――へぇ。

 

「霊夢様達はご無事でしょうか……」

「またお会いできる日が来ればいいですけどねぇ」

「紫、どうするつもりだ? 幻想郷の存続どころか、世界の在り方すら揺るがす〝彼女″の所業は看過できんぞ」

「その結論に至るのは早計よ。まずは事情を聞くべきだわ。マリサの話では、西暦215X年9月22日に時間移動したらしいの。その日になるまで待ちましょう」

「ふん、随分と苦しい釈明だが、現状ではそれ以上は望めないか。やれやれ、随分と気の遠くなる話だな」

「会ってみたいけれど、その時代にはもう私は死んでいるわね」

 

 菫子は遠い未来に思いをはせるように呟いた。

 

「時間の境界が開く場所と、時間が奪われる現象の発生条件が気になりますね。幸い私の神社は無事でしたが、これから先もし人里に開いてここと同じ現象が起きたらと考えると……」

「マナの搾取は生命力の低下を意味するわ。間違いなく全滅するわね」

「残念ながら時間の境界を未然に防ぐことはできないけれど、対策方法ならあるわ。時間の境界が開いた時、私と隠岐奈の力でその地域を異空間に隔離すればいいのよ」

「確かにそれが妥当な方法だろうな」

「これからは今まで以上に幻想郷内の空間強度に目を光らせる必要があるでしょう。監視の目をより強化することにします。美咲。今回の異変は未解決事件として私が預かるわ」

「かしこまりました」

 

 そして紫は全員の顔を見ながら「貴女達、今日聞いた話は他言無用よ。もちろん未来の魔理沙の存在もね」と告げた。

 

 

 

 

 集まった人妖が帰路に就き、先程までの喧騒が嘘のように静寂が訪れた魔法の森跡地にて、一人残った咲夜は、砂の大地を眺めながらしばらくの間思索に耽っていた。

 彼女が醸し出す物憂げな雰囲気は、クールビューティーな風貌と相まってミステリアスな印象を与え、見る者の心を惹き付けてやまない。それはこの場に居ながらここに居ない少女も例外では無かった。

 

「……いつまでそうしているつもり?」

「あら、気づいていたの」

 

 咲夜が警戒心を抱きながら振り返ると、彼女の正面に境界が開き、隠れていた紫が完全に姿を現した。

 

「私に何か用?」

「ねえ、貴女はあの時何を見たの?」

「……何のことかしら」

「ふふ、とぼけても無駄よ。貴女は上手く仮面を被っているつもりかもしれないけれど、まるで見てはいけないものを見てしまったような恐怖、葛藤、苦悩が滲み出ているわ。私だけではなく、紅魔館の魔女も気づいていたことでしょう」

 

 心意を探るような言葉に、咲夜は眉を顰める。

 

「貴女には関係ないわ。そもそも私達は互いに心を許し合うような間柄ではないでしょう?」

「最もね。この質問は私に芽生えた好奇心。無理に訊くつもりはないわ」

 

 敵意を向けられても飄々とした態度を崩さない紫に、咲夜は僅かに逡巡した後に口を開く。

 

「一つ聞かせてもらえるかしら」

「答えられる範囲内なら構わないわ」

「八雲紫。貴女はタイムトラベラーの魔理沙についてどう思っているのかしら?」

 

 警戒するような、見定めるような視線を送る咲夜に、紫は迷わず答える。

 

「先程も話した通り、彼女の事情を聞いた上で適切に処断する――幻想郷の賢者として、然るべき対応を取るだけよ」

「いいえ。私が訊ねたいのは、〝幻想郷の賢者″ではなく、〝八雲紫″という妖怪の私心よ」

「……その問いは無意味よ。幻想郷の存続が私達の使命。そこに私情を挟むわけにはいかないの」

 

 紫は静かに目を伏せた。

 

――そう、たとえ何があってもね。

 

 紫の脳裏には、今から1757年前、まだ無力な妖怪だった頃に触れ合った金髪の少女(霧雨魔理沙)との記憶が思い浮かんでいた。

 彼女は紫が妖怪であると知りながらも、親身になって世話を行い、自立する術を授け、人生の指針を与えた。ひと月にも満たない僅かな期間だったが、紫は彼女を通じて人の温もりを知り、元から抱いていた人間と共に歩む決意をより確固たるものにしたのだ。

 幾星霜を経て、大妖怪として畏れられるようになった今でも、彼女と過ごしたかけがえのない日々は深く心に刻まれている。

 

「……ふふ、そう。どうやら貴女も魔理沙に思う所があるみたいね。いいわ。貴女の問いに答えましょう」

 

 紫の心情を汲み取った咲夜は、信用に足ると判断したのか、警戒心を緩めて微笑みを見せた。

 

「実はあの時――」

 

 咲夜が語った話は、紫でさえも驚きを禁じ得ない内容だった。

 

「なんてこと……! それが事実なら、私達に未来は無いじゃない……!」

「より正確には誰も認識できなくなるのでしょう。タイムトラベラーの魔理沙と、時の回廊の〝私″を除いてね」

「…………」

「八雲紫。私は201X年6月6日の夜、白玉楼で彼女と会う約束をしているわ。その時に問いただしましょう」

「! ええ、そうね」

 

 二人は約束を取り交わし、咲夜は時を止めてこの場から立ち去り、紫は境界の中に消えていった。


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