――西暦215X年10月1日午前8時36分――
――幻想郷、魔法の森上空――
人里で十六夜咲夜が再び世界の時を動かした頃、魔法の森上空では依然として超高層マンション群が降り注いでいた。
その大半は八雲紫が開いた10㎞のスキマに呑み込まれていたものの、範囲外の空域では三人の少女が対応に追われていた。
「旋風「鳥居つむじ風」!」
西の空を飛行する射命丸文が繰り出した10本の竜巻は、超高層マンションを空に打ち上げて切り裂いた。
時同じく、20体の西洋人形を引き連れながら飛行中のアリス・マーガトロイドは宣言する。
「
上海人形から放出された赤色のレーザーは、軌道上の建物全てを消し飛ばした。
「霊符「守護結界」!」
魔法の森スレスレを飛んでいる博麗杏子は、空に向かって弾幕を放つ傍ら霊力で編み出した結界を周囲に張り巡らせ、地上への被害を防いでいた。
遡ること11分前、人里にタイムホールが出現して超高層ビルの落下が始まった時、彼女はすぐさま急行して魂魄妖夢と藤原妹紅と合流し、避難が遅れた人々を守っていた。しかしすぐに茨木華扇、聖白蓮、洩矢諏訪子、豊聡耳神子が人里に駆け付け、彼女達に異変の解決を優先するように説得された為、再びこの場所に戻ってきた。
「文、そっちお願い!」
「まっかせてください!」
二つ返事で承知した射命丸文は、クルリと回転しながら葉団扇を振る。指向性を持った小さな竜巻が弾丸のように射出され、落下途中の超高層マンションをドリルの如く貫いて粉砕した。
それからも彼女達は、無数の弾幕、吹き荒れる竜巻、武装した西洋人形が飛び交うルナティック級に密度の高い空を、自由自在に飛び回りながら次々と建物を破壊していく。
一方八雲紫は、タイムホールから少し離れた全体を俯瞰できる位置に陣取り、小さなスキマに腰かけながら推移を見守っていた。
「……」
魔法の森上空のスキマには、累計で500棟を超える超高層マンションが呑み込まれ、中の亜空間を漂っていた。
「はあ、流石にそろそろうんざりしてきましたね」
「一体いつまで続くのよ。そろそろ人形のストックが切れそうだわ」
「このままでは埒が明きませんね。やはり元凶をなんとかしないことには……」
射命丸文とアリス・マーガトロイドが合流して愚痴をこぼしていた時、文字通り高みの見物を決め込んでいた八雲紫が腰を上げる。
「貴女達早くこっちに来なさい。少しだけ本気を出すわ」
「本気を出す?」
「ここは彼女に任せてみましょうかね」
三人がすぐに集まったところで彼女が軽く指を弾くと、清涼な音が響き渡ると同時に変化が生じた。
タイムホールから落下する超高層マンション群は、地上まで残り30mまで迫った所で突如反転して上昇。新たに顕現しつつあった超高層マンション群と無音の衝突を繰り返し、残った瓦礫も漏れなくタイムホールに呑み込まれていった。
「あやや、これは一体どういうことでしょうか」
目を丸くする射命丸文に、八雲紫は答えた。
「魔法の森一帯の高度30m以上の重力と音の境界を操ったわ。言うなれば、あの超高層マンション群は空に向かって落下しているのよ」
「なんと!」
「ちょっと、そんな芸当ができるのなら最初からやりなさいよ!」
「ふふ、でも貴女達のおかげで興味深い事実が判明したのよ」
八雲紫はスキマからデジタル時計を取り出す。液晶画面には【AM8:40:30 10月1日土】と表記されていた。
「これが現在の時刻。けれど……」
八雲紫は彼女達の目線と同じ高さに小さな三つのスキマを並べて開く。
中には同じデザインのデジタル時計が一個ずつ置かれ、左から順に【AM8:35:11 10月1日土】、【AM8:37:21 10月1日土】、【AM8:44:56 10月1日土】と表示されていた。
「あら、どの時計も時間がずれてますね」
「未来の時刻を指しているのもあるわ」
「左から順に、時間の境界から5m、25m、50m離れた地点に設置していた時計よ。もちろん現在の時刻と合うように設定したわ」
「ふむふむ、これはもしや、時間の流れが狂い始めている……?」
「ええ、そうよ。今はまだほんの数分程度の誤差しかないけれど、もし更に進行したら……」
「ど、どうなるんですか? 紫さん」
「紫」
博麗杏子が恐る恐る訊ねたその時、八雲紫の背中に扉が出現し、摩多羅隠岐奈が現れた。
「貴女は!」
「あら、隠岐奈じゃない。やっと帰って来たのね」
八雲紫は、至極落ち着いた態度で振り返りながら友好的に声を掛けた。
摩多羅隠岐奈は、空に開いたタイムホールを一瞥した後、口を開く。
「緊急事態だ」
「……何があったの?」
彼女のただならない雰囲気を悟った八雲紫は、自然と表情が引き締まった。
「外の世界でも時間の境界が確認された。世界6大陸の各地で甚大な被害が生じている。特に京都*1と横浜*2の状況は深刻だ。時間の境界から出現した未知の宇宙船団と防衛軍が交戦状態に突入している」
「……そう。それは大変ね」
「だがそれよりも問題なのは、この一件で地球連邦*3が動き出した事だ。世界的に発生している時空の歪みの中心点として日本の○○*4が挙げられ、地球連邦の調査部隊が空と地上から此方に向かっている。幻想郷の存在が明るみになることはないだろうが、この状況が続く事は私達にとって好ましくない」
「…………」
「紫。この一件についてどう責任をとるつもりだ? そもそも私は初めから霧雨魔理沙を迎え入れる事に反対だった。タイムトラベラーなど存在そのものが不確定要素の塊、私達の管理の範疇を越えた危険な能力だ。他の賢者連中の反対を押し切ったのは他ならないお前だぞ」
「……裏を返せば、彼女の能力なら条理を覆すこともできる。〝私達″にとっても心強いものではなくて?」
「この有様を見てもまだそんなことが言えるのか!? たった一人の妖怪に幻想郷の命運を握られるようなことがあってはならないだろう!」
タイムホールを指さしながら声を荒げる摩多羅隠岐奈は、更に彼女を問い詰める。
「霧雨魔理沙の行動は明らかに度を過ぎている。幻想郷からの追放もしくは抹殺も視野に入れて厳罰を処すべきだ!」
「それは拙速な判断だわ。まずは彼女の事情を聞いてから慎重に決断すべきよ」
「そうですよ摩多羅さん! あの霊夢様のご友人が幻想郷を陥れるようなことをするはずがないじゃないですか!」
「博麗の巫女が私情にとらわれてどうする! 幻想郷の為に公正な判断を下すのがお前の役割だろう!」
「それは……」
返答に窮する博麗杏子。更に摩多羅隠岐奈の怒りの矛先は八雲紫に向けられる。
「紫も何故そこまで霧雨魔理沙に肩入れする? お前らしくないぞ」
「…………」
彼女が沈黙を貫いていると、アリス・マーガトロイドが仲裁に入る。
「ちょ、ちょっと、今は言い争っている場合じゃないでしょ? まずは時間の境界をなんとかするべきだわ」
「ふん、そうだな。だが――」
「……ええ。分かっているわ。魔理沙には然るべき責任をとってもらうつもりよ」
八雲紫は悲痛な面持ちで唇をギュッと噛みしめた。
「とはいえこれからどうするおつもりです? 時間移動の理論についてはよく分かりませんが、もし妹の魔理沙さんが動いているのであれば、とっくに解決されていてもおかしくないのではないでしょうか?」
「あるいはまだ異変に気付いていないか。紫、お前の力で閉じられないのか?」
「……それができたらとっくにやっているわよ」
「ああ、私はなんて無力なんでしょう。こんな時に霊夢様がいらっしゃったら……」
「杏子さんは本当に霊夢さんが好きなんですね~」
「当然ですよ射命丸さん。あの方ならきっとどんな異変も立ち所に解決してしまいますから!」
「――ねえ、タイムトラベラーの魔理沙だけじゃなくて、マリサも居ないのよね?」
「言われてみればマリサさんの姿もありませんね。彼女の性格なら真っ先に異変の調査に来そうなものですが」
「私も見てないです」
「……もしかして、あの場所かも」
アリス・マーガトロイドがポツリと呟いた言葉に、全員の注目が集まる。
「アリス、何か心当たりがあるの?」
「魔理沙が39億年前の地球にタイムトラベルした時に、アンナって名前の宇宙人の女の子を助けたことがあって、その時に彼女が住むアプト星に招待されたらしいのよ。いずれ行くつもりだって話していたし、多分そこに出かけたんじゃないかしら」
「ということは、時間の境界はその星に繋がっているのですか?」
「幻想郷に落下している建物の構造を見る限り、時間の境界の先は外の世界に匹敵する高度な文明よ。可能性は高いわね」
「39億年前の別の惑星……ですか。いやはや、スケールの大きい話ですねぇ」
「しかしそれでは手の出しようがないぞ」
「失礼します」
八雲紫の近くにスキマが開き、八雲藍が現れる。
「経過報告に参りましたが、隠岐奈様もいらっしゃっていたのですね」
「ついさっき帰って来た所だ」
「聞かせて貰えるかしら?」
八雲藍は頷き、話し始める。
「時間の境界の発生状況ですが、橙の報告によりますと紅魔館、人里、永遠亭、命蓮寺、神霊廟、守矢神社、妖怪の山、太陽の畑で確認されております。残りの地域はまだ調査中ですが、彼岸、天界、冥界、地底、魔界、畜生界では確認されませんでした」
「随分と広範囲に広がっているようですね」
「やれやれ、頭が痛いな」
「そして霧雨魔理沙についてですが……申し訳ございません。懸命に捜索しておりますが、彼女の痕跡すら見つけられていない状況です」
「やっぱり彼女は幻想郷に居ないのかしら。ご苦労さま、藍。引き続き調査をお願いするわね」
「かしこまりました」
一礼した八雲藍は続けて「それとレミリア・スカーレットから言伝を預かっています」
「言伝?」
「『世界はもう間もなく終焉を迎える運命にある。唯一の希望は魔理沙よ』……とのことです」
「どういう意味かしら……?」
八雲紫にとってレミリア・スカーレットはそれ程親しい間柄ではないが、現在の局面で戯言を吐くような人格ではないことは理解していた。
「レミリア・スカーレットって、確か紅魔館に暮らす吸血鬼のお嬢様ですよね」
「ええそうですよ杏子さん。相変わらず粋な言い回しをしますねぇ」
「ふむ、彼女の能力による予言であるなら、無視はできないだろうな」
八雲紫のデジタル時計はAM8:45:00を表示。思索の海に入り、レミリア・スカーレットの真意ともたらされる可能性を推理していたその時、時空の相転移現象が新たな段階に突入。
世界は大きく塗り替えられた――。