――西暦215X年10月1日午前8時25分――
――幻想郷、紅魔館――
博麗杏子達が時間震に襲われていたちょうどその頃。魔法の森のタイムホールを基点とした時空の相転移現象は、紅魔館にも影響を及ぼしていた。
最初に異変に感づいた人物は、紅魔館の門番を務める紅美鈴だった。
午前7時に朝食を済ませた彼女は、この時門柱に寄りかかりながらうたた寝をしていたのだが、不穏な気の流れを察知して飛び起きる。
素早く周囲を見回した後、紅魔館の上空を見上げた彼女は絶句する。
「な、なによあれ……!」
紅魔館の敷地全体を呑み込む規模のタイムホールが空き、その中から77階建ての超高層ビルが徐々にせりだしていた。
この小規模なタイムホールの時刻は協定世界時(UTC)紀元前38億9999万9999年8月19日。座標はアプト星のマグラス海上を飛行する空中都市ニツイトス上空へと繋がっていた。
件の超高層ビルの正体は、空中都市ニツイトスの中枢に建つメインコントロールタワーであり、タイムホールの発生に伴う強力な時空の歪みによって、この時空に転移していた。
「くっ……!」
頭上で起きている現象に理解は追いついていなかったものの、彼女の行動は早かった。
地面を強く蹴ってタイムホールに向かって飛んでいき、超高層ビルの底面に両手を突きだして抑えにかかる。
今にも落ちてきそうなこのタイミングでは、紅魔館の住人全員の避難は間に合わない。しかし超高層ビルを破壊すれば、建物の残骸が地上に降り注いで紅魔館に甚大な被害が生じる。
それらを瞬時に判断した上での選択だった。
「――ううっ……! なんて重さなの!?」
しかし彼女の強靭な肉体をもってしても、5500トンを超える重量の超高層ビルを押し返すことはできなかった。
間もなくタイムホールから全容を現した超高層ビルは、三次元世界の法則――重力に従って落下。みるみるうちに高度が下がっていき、このままでは最悪の結末になることを直感した彼女は、一か八かの大勝負に出る。
まず彼女は地上を見下ろしながら移動を行い、時計台の尖った屋根に着地できるポジションをとる。
続いて『気を操る程度の能力』を最大限に用いて『気』の力を自身に纏い、大幅な身体強化を行う。
そして足元を見つつタイミングを計り、時計台の屋根に足がついた瞬間、彼女は手足を伸ばして超高層ビルを受け止めようとする。
「ああああああっっっ!!」
強烈な圧力に足が屋根に埋まり、肉体と神経が悲鳴をあげながらも死に物狂いで受け止めると、最後の力を振りぼって紅魔館の敷地外、霧の湖の反対側に目掛けて放り投げた。
超高層ビルは弧を描くように門壁の外へ飛んでいき、近くの森の中に突き刺さる。
草木は薙ぎ倒されて土埃が舞い、小規模な地震と轟音が発生。小動物や鳥達が逃げ出していた。
「は、ははっ……! やった……わ……!」
それを見届けた紅美鈴はバランスを崩し、時計台の下、巨大な時計盤を見上げる屋上に落下。仰向けに倒れ込んだ。
自らの限界以上の力を出し切った彼女は、両手両足の骨折に全身の筋肉と内蔵の損傷を起こしていたが、紅魔館を護り切ったことに大きな達成感を得ていた。
しかし安堵するのも束の間、彼女に残酷な現実が突きつけられる。
「そん……な……!」
タイムホールの中から二棟目の超高層ビルの一部分が顕現し、徐々に全貌を現していた。
紅美鈴はすぐに起き上がろうとしたが、火事場の馬鹿力の反動で指先すら動かすことができず、激痛が走る。
「くぅっ……! お願い、動いてっ!」
それでも紅魔館を護るために痛みを無視して起き上がろうとするが、彼女の意志に反して身体は動かない。
この間にも刻々と時間が過ぎていき、全貌を現した超高層ビルが紅魔館へと落下する。
「ああ……っ」
迫りくる超高層ビルに絶望に襲われていたその時、落下途中だった超高層ビルの時間が止まり、空中で停止する。
「これは……!」
「間に合ったみたいね」
紅美鈴は痛みを堪えながら屋上の出入口に顔を向ける。
左手に日傘、右手に懐中時計を持った十六夜咲夜と、赤色のレース柄の日傘を差したスカーレット姉妹が近づいてきていた。
「咲夜さん! それにお嬢様方まで……! すみません、私……」
「謝らないで。紅魔館を守ってくれてありがとう美鈴。貴女のおかげで異変に気付くことが出来たわ」
「よく務めを果たしたわね。あとは私達に任せなさい」
十六夜咲夜とレミリア・スカーレットは率直な言葉を述べた。
今から時を遡る事3分前、紅魔館の清掃中だった十六夜咲夜は、窓の外に超高層ビルが落ちる場面を目撃した。
只事ではないと感じた彼女は、清掃を中断して食堂に急行。妹とブレックファスト・ティーを楽しんでいたレミリア・スカーレットに状況を報告した。
この時、レミリア・スカーレットの運命を操る程度の能力が発動。
紅魔館と世界の運命を垣間見た彼女は朝食を切り上げると、パチュリー・ノーレッジに連絡を取りつつ、妹と十六夜咲夜を連れだって屋上へと向かい、現在に至る。
レミリア・スカーレットは通信用の魔符をどこからともなく取り出すと、口元に持っていく。
「パチェ、緊急事態よ。紅魔館一帯に例の魔法をお願いするわ」
「分かったわ」
地下の大図書館で通信を受け取ったパチュリー・ノーレッジは読書中の本を閉じ、紅魔館の屋上が映された水晶玉を見ながら呪文を詠唱する。
直後、タイムホールよりも高高度の空に分厚い高層雲が発生。紅魔館の敷地全体を覆い尽くした。
「フラン、貴女の能力であれを破壊しなさい」
「任せて!」
日傘を閉じながら快活に返事したフランドール・スカーレットは、空中に固定された超高層ビルに向かって右手の平を掲げる。
「きゅっとしてドカーン!」
弾ける笑顔で決め台詞を言いながら右手を握りしめた直後、超高層ビルは一瞬で木端微塵に粉砕。爆発四散した粉塵はパチュリー・ノーレッジの風魔法で霧散した。
「美鈴大丈夫?」
フランドール・スカーレットは膝を付き、脱力しきった紅美鈴の右手を優しく握りながら気遣った。
「あはは、なんとか……」
紅美鈴は心配を掛けさせまいと精一杯笑ってみせたが、フランドール・スカーレットは彼女の大怪我を見抜いていた。
「咲夜、すぐに美鈴を永遠亭に運んで!」
「かしこまりました」
一礼した十六夜咲夜は、右手の懐中時計の竜頭を押して時間を止めた。
それから懐中時計を仕舞い、ファイヤーマンズキャリーと呼ばれる方法で両肩の上に担ぎ上げた後、空いた右手で日傘を差す。
彼女はたとえ時間停止中であっても、日光から身を守らなければならないため、片手が自由に使える運搬法を選択していた。
「これでよしと」
準備が整った十六夜咲夜が屋上から永遠亭に飛び立とうとした時、新たな異常に気付く。
「あら、建物が増えている……?」
紅魔館上空のタイムホールからは、三棟目の超高層ビルが外に向かって半分せりだしており、この間にも徐々に全容を現しつつあった。
「私の時間停止が効かないなんて、あれは単純な穴では無いわね。このままではお嬢様方が……」
活動を続けるタイムホールを睨みながら一つの仮説を立てた彼女は、時間停止を解除した。
「えっ、ええっ!?」
状況を飲み込めずに驚きの声を上げる紅美鈴をよそに、十六夜咲夜は進言する。
「お嬢様方にお耳に入れたいことがございます」
「あら、どうしたの咲夜?」
「空にあいている謎の大穴ですが、私の世界の中でも活動が続いておりました」
「ねぇ見て、お姉様! また落ちてきそうだわ!」
フランドール・スカーレットは驚きながらタイムホールを指差す。
「……へぇ」
レミリア・スカーレットも好奇の視線を送っていた。
「あくまでも私の推測ですが、あれは私と同系統の能力によって引き起こされた現象かと思われます」
「時間……それはつまり、魔理沙が関与している可能性があるのか?」
「仰る通りでございます」
「ふむ……」
十六夜咲夜の仮説にレミリア・スカーレットは考え込んでいた。
「魔理沙って、前にマリサが話してた妹の魔理沙?」
疑問符を浮かべるフランドール・スカーレットに、十六夜咲夜は頷き。
「私が時間を止めてしまうと、お嬢様方に危険が及んでしまいますので、能力を使用せずに永遠亭に向かいます。ご容赦ください」
「あら、そんな気遣いは不要よ。この私があんな建造物に遅れを取るとでも?」
「お姉様の言う通りだわ。早く美鈴を診てもらってきて!」
「かしこまりました。お嬢様方、くれぐれもご注意ください」
「うう、私のせいで皆さんに迷惑をかけてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいです」
「貴女が気に病む必要はないわ」
「美鈴、早く元気になって帰って来てね?」
「はい!」
「それでは失礼いたします」
一礼した十六夜咲夜は時を止め、紅美鈴を落とさないように留意しながら永遠亭へと飛んでいった。