リビングに降りると、霊夢達の話し声が聞こえて来た。
「――そんなことがあったの?」
「そうなのよ。おかげで最近は忙しくってねえ」
「貴女の式神にでも手伝わせればいいじゃないの。名前は忘れたけど、確か九尾の狐がいたでしょ」
「藍のこと? 彼女は今博麗大結界の維持管理に手一杯だから、こんな些細なことに時間を割けないのよ。だから私が幻想郷を見て回ってるって訳」
「その割にはしょっちゅう私にちょっかい掛けて来るじゃない」
「あらひどい。少ない空き時間を何とか見繕って会いに来てるのに」
「そう言われてもねえ。私よりも、杏子の元に顔を出してあげなさいよ。あの広い神社に一人ってのは、意外と寂しいものよ」
「人間と妖怪のバランスを司る博麗の巫女が住まう土地よ? 気軽に訪れる訳には行かないわ」
「そんなの今更じゃないの。私の時代なんか妖怪神社なんて異名が付いちゃって、後任の子がそれを払拭するのにかなり苦労したんだから」
「……本当のことを話すとね、私の姿を見る度にビクビクしちゃって、居た堪れない気持ちになるのよね」
「呆れた。あんた一体何をやったのよ……」
「それが特に思い当たる節がないから困ってるのよねぇ」
「妖怪が苦手なのかしら?」
「博麗の巫女なのに?」
「いいえ、それはないわね。杏子は私にかなり懐いてるし」
「あのね、ちょっと前に私がふらふら~っと遊びに行った時は、お茶菓子をくれたりしたんだけど」
「それはこいしが純粋だからでしょうね。少なくとも、私はあまり歓迎されてないわ」
「彼女は結構仕事熱心で、人間達からの信頼も厚いみたいね。里に買い物に行くとそんな話を耳にするわ」
「まぁ代々の博麗の巫女は、ある程度自立できるまで私が面倒を見てるからね。当然のことよ」
「霊夢が巫女の時は結構ずぼらだったのにねー」
「う、うるさいわね。昔のことよ昔のこと。サボってるように見えたかもしれないけど、ちゃんとやるべきことはやってたし!」
このまま遠巻きに見守っていても、話が途切れる気配がなさそうなので、私は会話に割って入ることにした。
「なあ、さっきから何の話をしてるんだ?」
「あら、おかえり魔理沙。ちょっと杏子のことについて話してたのよ」
「杏子って、博麗神社に居た目つきの悪い巫女か」
「それ本人の前で言っちゃ駄目よ? 気にしてるんだから」
「お、おう」
「それより魔理沙。その髪型は……」
「どうだ? これなら一目瞭然、どっちがどっちか分かりやすいだろ」
「魔理沙イメチェンしたんだ~」
「髪型一つでここまで雰囲気が変わるのね」
「なんだか新鮮だわ」
「うんうん。それに良く似合ってて可愛いわよ」
「そ、そっか。ありがとな」
関心しているこいし、咲夜、パチュリー、そしてニコニコしている霊夢に気恥ずかしさを覚えつつ、元いた席に戻った。
現在時刻は午後5時40分。マリサが出て行ってから15分以上経っているが、キョロキョロとリビング内を見渡しても彼女の姿は見えない。途中でアリスと目が合ったが、彼女は顎を僅かに下げるように頷き、微笑んでいた。
「マリサはまだ帰ってきてないのか?」
「うん。貴女とアリスが二階に上がってから降りて来るまでずっとここでお喋りしてたけど、誰も来てないわよ」
「一体どこまで行ったのかしら」
「外はもう薄暗いし、もう間も無く夜になるわね」
窓の外を見る咲夜。外は既に日没だった。
「そういえば、咲夜は帰らなくてもいいのか? ――ああ、いや、別にいなくなって欲しいって意味じゃなくてだな、レミリアの世話とかいいのかなって思って」
「貴女が来るってことで、お嬢様から丸一日休暇を頂いたから問題ないわよ。それに私からしてみれば、これからが最も活力の湧いてくる時間だから」
「あ~そっか。お前吸血鬼になったもんな」
「不思議なことに、夜になると気持ちが昂って来るのよね。人だった頃はこんなことなかったのに」
咲夜は姿勢よくソファーに座りながら答えていた。どんな原理なのかは知らないが、背中の羽はソファーから飛び出さないよう器用に折りたたまれている。
「レミリアもそうだけど、昼間に活動する吸血鬼ってどうなのよ? 私達で例えるなら、昼はぐっすり寝てて、夜になってから1日が始まるんでしょ?」
「その理由について、以前お嬢様は『吸血鬼本来の生活リズムで過ごすと、誰とも交流が出来なくなってしまうのよ。それはつまらないわ』と仰ってました。お嬢様、ああ見えて誰かと一緒にいるのが好きなんですよ」
「へぇ~そうなのねぇ」
「それに私個人の理由としては、夜だとお洗濯物が乾きませんから、昼間の方が何かと都合がいいのよ」
自身の意見も交えつつ、咲夜はアリスの何気ない疑問に答えていた。
そんな時、こいしのお腹がぐうと鳴る。
「お腹減ったなー。マリサが帰ってこないんじゃつまんないし、帰ろうかなあ」
「地霊殿って門限とかあるの?」
「門限とかはないけど、あまり遅く帰って来るとお姉ちゃんが心配しちゃうから」
「そうなのね」
「お姉ちゃんたら、いつまで経っても妹離れできなくてさ~。反対に私の方が不安になっちゃうよ」
「私には兄弟姉妹が居ないからそこは分からないけど、やっぱり家族が心配するのは当然のことじゃない?」
「そうかなあ」
「うんうん」
「ま~ここには飯なんか食べなくてもいい奴も居るからな。夕飯の時間とか気にした事もないだろう」
そんな話の最中、続いて霊夢の腹の虫が鳴り始め、お腹を押さえて恥ずかしそうにしながら「……ああ、ご飯の話をしてたら私までお腹減ってきちゃったわ」と言った。
「クス、霊夢って相変わらず食いしん坊なのね」
「そ、そんなわけないでしょ! 変なこと言わないでよ紫」
「でも私と咲夜が用意したお菓子を一番食べてたのって霊夢よね」
「ふふ、丁度いい時間ですし、マリサを待っている間に晩御飯でも作りましょうか?」
「わぁっいいね! 何作るの?」
「なんでも。材料なら時間を止めてさっと用意してきますわ」
「私、シチューが食べたいな!」
「こいしはシチューね。他には意見あるかしら?」
「別に拘りとかないし、何でもいいわよ」
「私も霊夢と同意見ね」
「右に同じく」
消極的な多数決の結果、こいしが投じたシチューの一票で夕食のメニューが決まった。
「そうと決まれば、お店が完全に閉まってしまう前に行ってくるわね」
席を立ち、リビングの奥に置かれていた買い物袋を手に取り、玄関へ向かう咲夜。私も席を離れ「咲夜、私も手伝うよ。どうせ時間が止まってる間、手持ち無沙汰になっちまうしな」と言う。
「いってらっしゃ~い!」
「咲夜の料理楽しみだなぁ。以前ご馳走になった時、とても美味しかったし」
「そうそう。咲夜、私の分は別になくても構わないわ」
「パチュリー、貴女はもっと食べた方がいいわ。見てて不安になるくらい痩せすぎよ」
「……アリスまで霊夢と同じこと言うのね」
「藍に今日は夕飯食べてくることを伝えてこないと」
手を振るこいし、スキマの中に潜る紫。ガヤガヤと騒がしくなるリビング。それらを見てから、咲夜はポケットから懐中時計を取り出し、親指で竜頭を押した。
カチリと捻るような音と共に、私と咲夜以外の全てが停止し、静寂の世界が訪れる。
「さあ行きましょうか。魔理沙」
「おう」
私と咲夜は玄関から外に出て、人里の方角へ向けて飛んで行った。
夜の幻想郷は外の世界と違いネオンの光が存在しないので、月明りや星の光を頼りに進むしかなく、私や咲夜のように夜目が効かなければ、おちおち外に出ることもままならない。しかも今夜は立待月。月出時刻がかなり遅いので、日没直後の今の時刻――午後5時49分――にはまだ浮かんでいない。
それに加え、咲夜の能力によって虫や鳥、獣などの自然の声、空気の流れすら止まった無音無風状態の魔法の森の空は、慣れている筈の私ですら、底知れない恐怖心を掻き立てられる。
「ねえ魔理沙。なんでこんな近くに寄って来るのよ?」
「い、いや。別に?」
「もしかして怖いの?」
「こ、怖くねーよ!」
からかう咲夜を否定するように、人一人通れるくらいの距離を空けたものの、咲夜は私の心を見透かしたように「ふふ、私もこの能力を自覚し始めた頃は夜が怖かったからね。気持ちは分かるわ」と、クスクス笑っていた。
それがなんだか悔しくて、強引に話を逸らすことにした。
「そ、そういえばさ、吸血鬼になってから空を飛ぶ時になんか変わったりしたのか? 羽が生えたわけだし」
隣の咲夜は鷲のように羽を広げ、滑空するように飛んでいて、羽をバサバサと動かして飛ぶ文とは対照的だ。最も、人間だった頃から普通に空を飛びまわってた訳だし、ただの飾りなのかもしれないけど。
「吸血鬼になりたての頃、仕事の合間に、夜の庭園で羽を使って飛ぶ練習をやってたことがあったのよ」
「ほぉ、それで?」
「最初は全然飛べなくて苦労したんだけどね、たまたま通りかかったお嬢様から『肩甲骨の辺りに力を入れるといいわよ』ってアドバイスを頂いたの。その通りにしたら、苦戦してたのが嘘のように軽々と飛べるようになったわ」
「へぇ~そんなことがあったのか」
「今までの飛び方に羽を使った方法を取り入れたら、最高飛行速度が昔の倍以上になったわよ」
少し得意げに話す咲夜は、羽をはためかせて急加速すると、100m以上離れた先で垂直旋回して見せた。ううむ、中々上手いな。
私もそれなりに魔力を使用し、先で待っている咲夜に急いで追いつき、移動を再開する。それを見越して、咲夜は会話を続けた。
「あの頃は人と吸血鬼の食事の違いや、特性の変化に戸惑うことも多かったけれど、今ではそれもいい想い出ね。きっかけを作ってくれた霊夢には、感謝してもしきれないわ」
「霊夢か……」
言い方が悪いけど、霊夢に続いて咲夜までもが妖怪化したのは想定外だった。とはいえ、かつて交流があった友人と元の時代に再会できたのは嬉しい訳で、この歴史を否定することは有り得ない。
「なあ咲夜」
「今度は何よ?」
「咲夜はなんで霊夢と一緒に私を待ってたんだ?」
「どうしてそんなことを聞くのかしら?」
「いや、なんかさ。咲夜って私のことをあんまり良く思ってないイメージがあるし、意外だなあって」
「あら、それは心外ね。私は
「そうなのか?」
「人間なのに、異変を起こした妖怪や神に恐れず立ち向かっていくその勇気、果てしない向上心と飽くなき好奇心。若かりし頃のマリサは、パチュリー様に限らず、お嬢様も一目置く存在だったわ」
「……」
「私の知る人間のマリサは残念なことになってしまったけど、そうではない道を歩んだ魔理沙がいる。貴女にはお嬢様のことでもお世話になった訳だし、会わない理由がないわ」
思い出に浸るように語る咲夜の話を、私は黙って聞いていた。
「貴女ってそんな鈍感な人だったかしら。一々動機を探らないと気が済まないの?」
「う、それは」
「友達を助けるのに多くの言葉は要らないわ。でしょ?」
言いながらウインクして見せた咲夜に、「……そうだな。無粋な質問して悪かった」と答えた。
マリサの横柄な態度や、アリスの本音に影響されたのだろうか。こんなことを聞くなんて私らしくもない。
「せっかくだし、私からも質問」
「なんだ?」
「霊夢から聞いたんだけど、私って元々は時間の神様だったんでしょ? その神様の私について詳しく聞かせて欲しいわ。霊夢達が居る時だと、そんな話ができる雰囲気じゃなかったし」
「もちろん――あ」
快諾しかけた所で、私は以前時の回廊の咲夜から言われたことを、今更ながらに思い出す。
『もし人間の頃の私に出会っても、時の神としての私の存在は内緒にしておいて。幻想郷で過ごしたかけがえのない体験が今の私に繋がっているのよ。だから出来れば私の運命を変えないで欲しいわ』
(……しまったな。200X年で霊夢に口止めしておくのを忘れてた。けどもう今更か。咲夜は吸血鬼になっちゃったし、時の回廊の咲夜も怒ってなかったし)
「どうしたの?」
「いや、何でもない。気にするな」
私は初めて時の回廊で咲夜に会った時から、今に至るまでのあらましを話していった。
「――という感じだ。『宇宙の始まりから終わりまで全ての時を管理している』なんて格好つけたこと言ってたけど、私にはいつもの咲夜でしかなかったぜ」
「改めて聞くと途方もない話ねぇ。驚きの言葉も出ないわ」
咲夜は呆れているのか、驚いてるのか、どちらとも取れる表情をしていた。
「それに未来が見えるのなら、悩む事も迷う事もなく、常に最善の選択が取れるのでしょうね。私にもその力が欲しかったわ」
「でもな、それはそれで辛いと思うぜ?」
「どうして?」
「この宇宙全ての時間を見通せるってことは、言い換えれば森羅万象全てを知るってことだからな。知らないことがない人生ってのは退屈でたまらないだろうさ。今のお前に対しても、『お嬢様に永遠を誓った〝私″は、とても幸せそう』って言ってたし」
「……そうなの。一度でもいいから、会ってみたいわね」
そうして話していくうちに、眼下に広がっていた森の終着点が見えて来た。
「ひとまずお喋りはここまでだな」
「ええ、そうね」
前方に広がる集落に向け、徐々に高度を落として行った。