ややこしくなるので、タイムトラベラーの魔理沙を【魔理沙】、人間の方の魔理沙を【マリサ】という表記にしています。
前回のあらすじ
不穏な空気を感じつつ、魔理沙は霊夢からマリサの話を聞く。
「結論から言うとね、マリサはもうこの世に居ないわ。今からちょうど100年前の205X年1月30日に亡くなったの」
「……」
繁みの中から盗み聞きしていた事なので衝撃はあまり大きくなかった。もし彼女が生きているのであれば、霊夢達の反応もかなり変わってくるだろうし。
「そのマリサは、霊夢から見てどんな人間だったんだ?」
「どんな、って……んーそうね。貴女に比べると、負けず嫌いで中々本心を明かさないひねくれ者だったけど、いつも明るく元気で、異変やトラブルに積極的にかかわっていくような破天荒な人間だったわ」
「彼女の人間関係は?」
「? 幻想郷では顔を知らない人がいないくらいの有名人だったわね。良くも悪くも目立ってたから」
「成程な」
どうやら私の懸念した事柄は全て杞憂に終わったようだ。きっと私も、霊夢が自殺するようなことがなければマリサと同じ人生を送っていただろう。
「マリサの最期はどんな感じだったんだ?」
「……魔法使いらしく研究に没頭する日々を送っていたわ。アリスが自宅で亡くなっているマリサを発見した時も、ペンを握ったまま、椅子から転げ落ちた状態で倒れていたらしいし」
「……そうか」
今は既に面影がないものの、私の脳内ではその時の情景がありありと思い浮かぶ。
(この歴史の私は何を思って生きていたのだろうか……、人のまま死んでいくのを誇りに思っていたのか、それとも……)
「魔理沙、これを読んで」
感慨に耽る私を呼び戻す霊夢の声。彼女の手には古ぼけた封筒があった。その変色具合から、ぱっと見た限りでは数十年近い時間が経っている様子。
「随分と古い手紙だな?」
「亡くなったマリサの遺書よ」
「!」
遺書――それは、亡くなった人が死後のことを考えて書き残す手紙。言葉としての意味を知ってはいるものの、〝マリサがそれを書いた″という事実について驚きを隠せない。
霧雨魔理沙という人間が、死後の事を考えて遺書を残すような性格じゃないと思っているからだ。
「そんな大切な手紙を私が読んでも良いのか?」
「もう私達は既に読ませてもらったわ。それにこれはマリサが書いた事に意味があるの。私達の誰よりも相応しい資格があるわ」
霊夢の言葉に無言で頷くアリス達。その表情に一遍もふざけたものはなく、真摯なものだった。
「――分かった。読ませてもらうぜ」
霊夢から遺書が入った封筒を受け取り、慎重な手つきで中折りになっていた手紙を取り出し、読み始める。
「『霊夢、そして私の親愛なる友人達へ。万が一の事があった時の為に遺書を残しておくので、私が死んだらぜひ読んでほしい』」
「『私はこれまで〝人間の魔法使い″であることを誇りに思い、この道が正しいと信じて今日まで生きてきた。しかしここ最近、『本当にこれで正しかったのだろうか?』『人生の選択を間違えたのではないか?』そんな答えの出ない疑問と迷いが、日に日に強くなっていった』」
「『振り返ってみれば、200X年9月4日の宴会の夜に、霊夢が『私は巫女を辞めて仙人になる』と宣言したあの日からだろう。その時の私は、霊夢は私と同じように人のまま死んでいくものだとばっかり考えていて、大きなショックを受けた』
「『宴会が終わり二人だけになった時、改めて本当の理由を追及した私に、霊夢はSFめいた良く分からない理由を答えて、さらに『一緒に人間を辞めてみない? そうすれば答えが分かるわよ』と誘ってきたよな。その時の私は、お前の話はあまりに突拍子のないものだと感じ、何より、人のまま妖怪達と対等に渡り合っている自負もあって誘いは断った。……この時はそれで良いと心の底から思っていた』」
「『しかし10年、20年と月日が経つにつれ、霊夢が昔と変わらないまま楽しげな日々を暮らしているのを見るうちに、私の心の奥底にはざわめきのような感情が生まれていた』」
「『それがなんなのか考えても考えても分からなくて、その気持ちを振り払うように魔法の研究に打ち込んだ。しかし幾ら凄い魔法を開発してもざわめきが収まる事はなく、焦燥感ばかりが募っていた。そして今、年老いて自分の死期が近づいて来ているとなんとなく悟った時、やっと私の本当の気持ちが分かったんだ』」
「『――ああ、私は霊夢と最期まで一緒にいたかったんだ、と。皆の若さと輝きに嫉妬している自分がいるのだと。認めたくなかっただけで、本当はとっくの昔に気づいていたのかもしれない。いずれにせよ、自分の心に正直になるにはもう遅すぎた』」
「『今の老いた体では捨食と捨虫の魔法を使う体力もなく、人として生きて来たプライドを捨てる度胸もない。それだけ私は臆病者になってしまった』」
「『だから私は、これまでの人生の集大成として、自らの叡智を結集しとある魔法を開発している。これさえ完成すれば私は新しく生まれ変われる筈だ』」
「『しかしやはりというべきか、この魔法を裏付ける理論を構築するのは非常に難しく、私の命があるうちには完成しないかもしれない。……もし本当にそうなってしまったら、どうか私の替わりに意思を継いで過去の誤りを変えて欲しい。それが私の切なる願いだ』」
「『霊夢には今までずっと誤魔化しつづけてきたが、このみすぼらしい姿こそが私の真実なんだ。……あの時は魔女になったと嘘を吐いて済まなかった。お前にだけは絶対に、憐れみの感情を向けて欲しくなかったんだ』」
「『……50年前の宴会の夜でお前が話していた事が真実なのだとしたら、そいつはきっと選択を誤らず、全てが上手くいった〝私″なんだろう。今の心境ならお前の話を信じても良かったかもしれない――』」
「…………な……なん、だよ、これ…………」
甚だしいまでの絶望と後悔が綴られた内容に言葉を失い、腹の奥底からやっとの思いで絞り出した声は、自分でも驚く程に掠れていた。
「……これがね、亡くなったマリサが最期まで研究していた魔法なの」
ショックから抜け出せないまま、震える手で二つ目の封筒を受け取り、中身を確認していく。同じく古ぼけた紙には専門用語と数式が不規則に記されており、さらには未完成の魔法陣と思われる図形が上段中央に描かれていた。
(――おいおい、嘘だろ? こんなことって有り得るのかよ?)
目を疑うような内容だったが、何度読み返してみても文面が変わる筈もなく、書かれている事柄に間違いない。
「……ははっ、何てこった……。これが偶然ならあまりにも運命の皮肉が効きすぎてるぜ……」
「その内容が分かるの? 私達が解読を試みた時は、時間に纏わる魔法ってことぐらいしか理解できなかったんだけど」
言葉を選ぶように慎重に問いかけてくるパチュリーに、私は力なく笑いながらこう答えた。
「ああ、確かにこれは私が使っているタイムジャンプ魔法、それも基礎中の基礎の理論だ」
「うそ……!」
「だがこんなの全体の1%にも満ちてやいない。全く、本当に馬鹿な奴だよ。魔法使いとなった私ですら150年も掛かった事を、死ぬ間際のババアが一朝一夕で出来るわけないのに……。本当に……馬鹿な奴だよ……。あははははっ!」
「…………」
精いっぱい高笑いする私に、開いた口が塞がらない様子のパチュリーとアリス、怪訝な顔つきの咲夜、霊夢に至っては目を伏せていた。
だってそうだろう? 私がタイムジャンプを学んだ動機は、大切な親友の霊夢を自殺から救い、もう一度楽しかった日々を過ごしたかったからだ。なのにこいつは、それを自ら放棄して霊夢と距離を置き、今わの際になってからその選択を後悔しているのだ。こんな惨めで、滑稽な結末を笑わずして何を笑えばいいのか。
気づけば手の甲に一粒の冷たい雫がこぼれ落ちる。目のあたりを拭ってみれば、悲しい水が私の指先を伝っていた。
「は、ははは……おかしいな、涙が止まらないぜ……」
「魔理沙……」
マリサは私が憧れ、狂わしいまでに熱望した理想の〝私″だったのに。どうしてこんなことになってしまったのか。いつ歯車が狂ってしまったのか。
――いや、回りくどいことはよそう。考えるまでもなく答えは決まっている。
(これは間違いなく私の歴史改変の影響だ。私が、マリサの運命を狂わせてしまったんだ)
『――霊夢と魔理沙は最期の時まで親しい間柄だったし、老いてもなお、自分らしく生きてたわね』
『さすがに若い頃のように跳んだり跳ねたりは出来なくなってたけど、亡くなる寸前まで頭も体も元気だったからねぇ。霊夢なんか幻想郷のご意見番みたいな存在になっちゃってさ。彼女の言葉に幻想郷中が注目していたわ』
『魔理沙も最期まで人のまま魔法の道を貫いたわね。老いてもなお、若い頃と変わらず幻想郷中を飛び回って精力的に活動していた。もし捨食と捨虫の魔法を学んでたらどれだけ凄い魔法使いになったのかしら。そこも残念でならないわ』
200X年に跳ぶ直前の時間で、パチュリーとアリスが遠き日の思い出を楽しそうに語っていたのを思い出す。
この時間軸でのマリサと霊夢は年老いても尚充実した人生を送り、皆から別れを惜しまれるような一生を送っていた。
なのに今の歴史はどうだ。マリサの話題になった途端、揃いも揃って重苦しい表情になり、名前を出すのも憚られるような腫物扱いを受けてしまっている。
「……150年前のあの夜から、マリサとの関係は変わってしまった。彼女はどこかよそよそしくて、私に何かを隠しているような感じだった」
「……」
「それでもね、私はマリサの意思を尊重して深く突っ込まなかったわ。あの時みたく拒絶されるのが怖くて……」
「あの時?」
そう聞くと、霊夢は150年前の宴会の夜の後に起きた、マリサとの確執を話してくれた。
「……そんなことがあったのか」
「昔のように心を開いてくれなくなっても、彼女が幸せなら何があったとしても受け入れるつもりだった。でも結果はその遺書に記されていた通りよ。さっきは『マリサの意思を尊重して』なんて綺麗事を言ったけど、本当は心の何処かで〝同じ時間のマリサ″をないがしろにしていたのかもしれない」
「…………」
「お願い、どんな形でも良いから過去のマリサを救ってあげて。こんなことを貴女にお願いするのはとても残酷なことだけど、私はどうしても過去のマリサを助けたい。この事態を招いてしまったのは私の責任だから……」
物悲しい表情で胸に迫るように訴える霊夢は、本心からマリサのことを悼んでいるのか、あるいは後ろめたさからか――。
「一つ聞かせてくれ」
「え?」
「霊夢は私との約束に後悔してないか?」
私は彼女の目を見ながら真摯に問いかける。
拗れてしまった現在の歴史の最大要因。霊夢の答えいかんで、今後取るべき行動が大きく変わって来るからだ。
「後悔なんて有り得ないわ。この150年間、楽しい事も悲しい事も沢山あったけど、その全ての経験が今の私を形作る糧になってる。人生はとても素晴らしいものだからこそ、私は『
「!」
霊夢は凛とした表情できっぱりと言い切った。
(ふっ――そういうことか。霊夢にとってどちらの私も同じなんだな。だとしたら私の答えは……)
「――分かった。マリサの結末を知ってしまった以上、放っておくわけには行かないだろう。元を辿れば、マリサへのフォローをちゃんとしなかった私のせいだからな」
思う所がないと言えば嘘になるが、自分で蒔いた種はきちんと刈り取らないといけない。こんな後味の悪い話はもうごめんだ。
「ありがとう……ごめんなさい、魔理沙」
霊夢は非常に申し訳なさそうに俯いていた。