大海原の小さな島 ~アルダブラ島奮戦記~   作:VSBR

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八話  土産物

 ザフトの本隊が到着してから、すなわち港での爆弾テロが発生してから一週間が過ぎようとしていた。市街地に張り詰めていた緊張感も緩み、夜の人通りも元通りになろうとしていた。もっとも、巡回の警備局員や連合の兵士の姿はいまだ街のあちこちに見え、警戒自体が解かれたわけではない。

 警備会社では個人宅の警備依頼が増え、人手が全く足りないと社長がぼやいている。業務の一部を委託出来ないだろうかと思って訪ねたニッシムは、結局その話を切り出す事無く警備会社を後にした。

「頭が痛ぇな」

「まだまだ序の口ですよ」

 ハンドルを握るナワンがいつもの口調で言う。現在基地周辺と、港の潜水輸送艦が停泊する区画の警備は、ザフトに行ってもらっているが、その範囲を拡大する事も考えなくてはならないだろう。

 海軍部隊にも協力を要請しようとしたのだが、テロ事件の直後に撤収の予定が決まり、それから二日と経たずに大半の兵士が島を去った。今は残務処理のために五十名強が残っているだけである。ソモ・ラマの話によると、撤収スケジュールの遅延がテロ発生の要因であるとプラントから指摘されるのを嫌ったらしい。

 腹の据わらない嫌がらせだと、ニッシムは笑う気にもなれなかった。窓を開け代用タバコを取り出す。

「今さら、処理する残務とかあるのかね?」

「男女関係の清算とかじゃないですか」

「ナワンちゃんも時々キツいね」

 タバコを咎める事はせず、ナワンは続ける。この一週間で、それなりの事は分かってきた。

 テロに使用された火薬は、軍で使用している火薬と同種であり、手製である可能性はほぼゼロだとの結果が出ている。岸壁への設置方法も、爆風が効率よく船に向かうように設置されており、かなりの知識と経験を持った者による犯行だと見られていた。遺留品の多くは爆発と共に海に落下していたため、捜査は難航が予想されていたのだが、面子を潰された警備局が執念ともいえる捜査を続けていたのだ。

 住民説明会の直前に捕まえた重要参考人は港での事件の後、急に協力的になった。それまではほぼ黙秘を貫いていたのだが、事件後は今回のテロへの関与を否定するため積極的に情報の提供を申し出ている。

「ただ、こっちの方はあんまり当てにならない感じです」

「だろうな。組織があったとしても、素人のサークル程度だろ」

 ニッシムの言葉に、ナワンは同意する。連合から送られてきた要注意人物リストに載せられた他の人物との接触もいくつか確認されているが、組織的関与の形跡は見られなかった。

 リストに載せられている他の人物も、過激組織のネットワーク上のコミュニティに参加した事があったり、ブルーコスモス系の出版物の購入や貸し出し記録があったなどという程度のものである。島への出入りは当然の事ながら洗い出されており、アフリカなどでテロ訓練を受けたというような経歴は皆無であった。

「そもそも捕まえてる二人なんか、生まれてからこの島を出た事ないんですよ」

「そりゃ、車爆破するのが精一杯だわな」

 だがそれとて、町中で行えば被害が出る。自動小銃が一つあれば、商店街でダース単位で人を殺せる。そういうテロは、防ぎようもない。ニッシムは朝に読んだ参考人の調書を思い出す。

 裕福とは言えないだろうが、貧しい暮らしではなかったはずだ。ニッシムの知る赤道連合本土の一般生活水準が低い事を差し引いても、テロだの大量殺人だのに追い詰められるような生活ではなかったはずだ。

 市街地を抜け、海沿いの道を基地に向かう。穏やかな海を眺めながら、ここのところ釣りも出来ていないなと思った。ナワンが軽くクラクションを鳴らす。対向車が答えるようにクラクションを鳴らした。見慣れないデザインの車は、ザフトのものだった。

 今日は警備局の方でザフトとの会合が開かれるはずだ。

「今日も捜査権を渡せって話ですかね」

「あの司令官、声はイイのに頭悪いよな」

 ザフトの現有人員で、島全域の警備や警察業務ができるはずもない。だがザフトは、その権限を速やかに譲渡し、連合と警備局はザフトの権限下で動けと要求していた。何度か、段階的な権限委譲で合意しかけているだが、その度にザフトの司令官がそれをひっくり返している。

 典型的なコーディネーター万能主義者で、ザフトの兵士ならナチュラルの二倍三倍の働きが出来ると本気で信じているのだろう。アイシャなど、実際の業務をした事がない典型的な役人と言ってはばからない。

「ルシエンテス副長も大変でしょうね」

「・・・・・・どうだか。銀髪ちゃんより美人で、ロリっ娘より頭良いんだぞ。ありゃ、別格、別次元だ」

 彼女のような人間なら、無能な上司など物の数には入らないだろう。今日も、五つ六つは異なるパッケージの提案を引っさげて会合に出ているはずだ。彼女の提案に沿っていれば、もっと順調に話は進んだと思う。事実その場では、ザフトの司令官も彼女の提案に賛成したりしているのだ。

 とにもかくにも、この一週間の話題は常にアンシェラ・ルシエンテスを中心に回っていた。

 島の各当局者との会合は、常に彼女が議題のイニシアチブを握っている。連合部隊の隊員はこぞって彼女の写真を求め、彼女も気安くそれに応じてくれた。そしてザフトの本隊でも、彼女が現れるたびに兵士達は色めき立つのだ。

 非の打ち所のない人間とは、ああいう人の事を言うのだろう。ニッシムは、その美しさも過ぎる顔を思い出して苦笑した。

 

 

 

 島の真ん中、やや北西よりの場所は大きな池になっている。もともと環礁だった場所が隆起して出来た島であるため、真ん中が窪んだ形をしているのだ。底の方が海と繋がっているらしく干満によって大きさが変わり、満ち潮の時は長い方の直径が500mほど、深さは一番深いところで10m以上ある楕円形の池になる。

 池の北側は山に接しており岩場と崖ばかりだが、南側はなだらかで砂浜も作られている。町から程近く、島のリゾートスポットの一つであった。ビーチパラソルの下、水着姿の女性が身を起こす。

「眩し・・・・・・」

 パラソルの影がいつの間にか動いていた。キャロラはサングラスの下で目を細め、照りつける太陽を見上げた。

 旧世紀の文学は普遍性を持つものではなく、あくまでも地球というローカルな環境でのみ意味を持つ文学である。故に、ナチュラルの文学を殊更持ち上げる必要などなく、コーディネーターこそが真に普遍性を持つ文学を生み出せる。そんな評論が流行った時期があった。

 この太陽を浴びねば、理解できない世界は間違いなく存在する。だが、この太陽を浴びずに作り上げられる世界などあるのだろうか。ノーマルスーツのヘルメット越しに見た太陽は、キャロラに文学を考えさせる事などなかった。

「何、柄にもない事してんの?」

「いいのよ、こういうのはファッションなんだから」

 大きな麦藁帽子にサングラス、傍らの机には色鮮やかなカクテル、文庫本を片手に物憂げな視線を遠くに向けていたキャロラは、優雅なバカンススタイルをあっさりと壊すエルシェに文句を言った。本と帽子を机に置き、キャロラはエルシェを追って池に入る。

 他にもザフトの隊員が、思い思いの格好で休みを過ごしていた。昨日から、基地の外に出る事が許可されたのだ。

 危険性を指摘する声もあったが、これ以上ザフトが萎縮している姿を晒し続けるわけにはいかないという意見や、連合の警備体制に対する遠回しの批判だと取られるのは得策ではないとの意見などから、隊員の外出が許可されたのだ。なにより、今後島を統治していくに当たって島民との関係構築は避けられず、それは基地に引きこもって出来る事ではないからだ。

「外出に反対してたのヤルミラなんでしょ?」

「みたい。お姉ちゃんがぼやいてた」

 池の遊泳許可範囲を示す大きなブイに登り、エルシェは水を含んだ髪を絞る。水に入るのはいいが、後が大変なのだという。

「お姉ちゃんみたいなら良かったのに」

「アンシェラさんは、第一世代なの?」

 エルシェは頷く。彼女は第二世代の両親から生まれた第三世代であるが、アンシェラは受精卵に遺伝子調整を行った第一世代コーディネーターであった。だから似てないのよと、エルシェは言う。

 コーディネーターの出生率低下は今もプラントが抱える大きな問題であるが、それはあくまでも自然出産の場合である。受精卵を調整したのち母体に戻す方法であれば、それまでのコーディネーター出生率と変らない。

 それ以上に問題なのは、第三世代に入って顕在化した「没落コーディネーター問題」である。自然出産による出生率の低下のみならず、第三世代コーディネーターでは有用な遺伝子が十分に発現しないケースが増加しているのだ。特に、レクイエム戦役以後、婚姻統制が緩和された事に伴い、生まれてくる子供が親の遺伝子を十分に受け継げない問題が出ている。

 プラントのコーディネーターが抱えている現在の問題の典型例を形にすれば、きっとエルシェとアンシェラの姉妹になるのだろう。深く考えもせずに余計な話題を振ってしまったと、キャロラは視線を遠くに向ける。

「あぁ、逆にそういう気の遣われ方の方が傷付くから。うちはこれで普通なの」

 彼女は歯を見せて笑うと、ドボンと音を立てて水に入った。思い切り顔に掛かった水飛沫をキャロラは拭う。水面に赤い水着が浮いていた。胸を押さえたエルシェが慌てて戻ってくる。

 ようやく砂浜に帰ってきた二人は、そのまま体を横たえひとしきり笑った。そんな二人の顔を、同僚達が覗きこんでくる。

「夜、街で食事したいんだけど、どっかいいとこ連れてってよ」

「あたしらも、この島全然知らないわよ」

 先遣隊として島に来てから、自由な外出など一度も許可されなかったのだ。ヤルミラが隊長だったからと言うと、同僚も納得の表情を見せた。それでもキャロラは、街で食事をするという提案には乗る。

「エルシェは何食べたい?」

「ゴメン、今日は先約あり」

 ごく普通の答えに視線が集中し、エルシェはたじろぐ。相手が誰なのかと聞いてくる同僚達を、キャロラは半ば強引に更衣室の方へと連れて行く。振り返って意味ありげなウインクをした彼女に、エルシェは首を傾げた。

 使っていたビーチパラソルの下に戻り、エルシェは時計を確認する。クレトとの約束の時間まで一時間ほどしかなかった。今日の髪の毛の機嫌次第では、遅れてしまうかもしれない。荷物をまとめて更衣室に向かう彼女は思案した。

「ま、いっか」

 任務ではないプライベートの用事なのだからと、エルシェは自分を納得させた。いやしかし、奢ってもらうのに遅刻するというのは、流石に失礼だろうか。

 それでも相手がクレトとはいえ、髪も整えず化粧もせずにというわけにはいかないだろう。そうなるとやはり、時間の方は勘弁してもらうしかない。更衣室の鏡の前で、エルシェはドライヤーを動かし続ける。

 

 

 

 上空を通過したスカイグラスパーから発光信号が送られてくる。島の周辺に異常は確認されないとの合図だ。上空の警戒は、朝昼晩の一日三回をザフトのMS二機とスカイグラスパーが順番に行う事に決められていた。事件から一週間が経過し、警戒態勢が緩められているのだ。

 ダガーを港の警戒に当てるのも、今日で最後となっていた。仕掛け爆弾などを使用したテロに対してMSは有効ではなく、威嚇効果も薄れているとの判断であった。ザフトは引き続きジンワスプで、海と港の警戒を続けるようだ。

 ナレインはコクピットハッチを開け、体を乗り出して深呼吸をする。太陽が水平線に触れようとしていた。

「赤いな・・・・・・」

 ブレイク・ザ・ワールドによる影響で、大気中にはいまだ微細な粉塵が漂い続けているという。そのため夕焼けは、それ以前よりはるかに赤く見えるのだ。

 地球連合とプラントの戦争は、地球環境にも多大な影響を与えていた。ましてや社会に与えた影響は計り知れない。大戦の戦場から遠く離れていたこの島でも、そういった影響から無縁ではいられなかった。

 ナレインの部隊でも、ザフトの隊員達との無用な接触を控えるよう通達が出されている。隊員達の外出の自粛を緩和する代わりに出された通達だ。

「無用、か」

 連合の一兵士がザフトの隊員と有用な接触を持つ事など出来ないであろう。ナレインはため息をついて、コクピットに戻った。そろそろ、ダガーを基地に戻す時間だ。

 ハッチを閉じてメインモニターを映すと、接触回線の通信が入っている事が示される。スイッチを入れると、聞き慣れない声がスピーカーから聞こえてきた。

「・・・・・・ますか? 聞こえていますか?」

「大丈夫です、聞こえます」

「よかった。私はザフトのアンシェラ・ルシエンテスです」

 ダガーに繋げてある接触回線は、ザフトの潜水輸送艦からも使用できるようにしていた。通信を受けたナレインは少し考えた後、ダガーを潜水輸送艦が停泊している岸壁へと移動させる。

 物資の陸揚げは既に完了しており、潜水輸送艦はもっぱらジンワスプの運用のために使用されている。MSの運用を前提とした艦ではないが、格納スペースが大きく空いているため特に問題はなかった。

 機体の運用や警備、艦の維持管理のために五十人ほどが常駐しており、基地の本隊とは頻繁に人の行き来がある。ナレインは機体に片膝を付かせ、ハッチを開いた。一人の女性が、手を振っているのが見える。

「ごめんなさい、こんな事を頼んでしまって」

「いえ、構いません」

 ナレインは、少し緊張した声で答える。ダガーのコクピットの補助シートには、アンシェラが座っていた。基地まで乗せていって欲しいと頼まれたのだ。

 もともと潜水輸送艦の方に泊まる予定だったのだが、急遽基地に戻らなくてはならない用事が出来たのだそうだ。あいにく連絡用の車両が全て出払っており、どのようにして基地に向かおうか困っていたのだという。

 横目で補助シートを窺うと、ばっちり視線を合わせられた。慌てて正面を向き直す。彼女の噂は毎日のように聞いていたが、噂以上の女性だった。MSのコクピットの中でさえ、華やかになったように感じる。

「妹が、お世話になっていたみたいで」

「え? あ、じゃあ、やっぱり」

「分からなかった?」

 苗字が同じなのでもしやとは思った、そういう話を聞いた事もある。だがアンシェラを目の前にして、エルシェの事を思い浮かべるのは難しい。補助シートのアンシェラが微笑んでいる気配を感じ、ナレインは彼女の方を見た。年は、自分と同じくらいだろうか。

 肌理細やかな肌の白さに赤い唇が映える。輝くような金髪は、ほんのわずかな仕草でも流れ、それでいて一切乱れる事が無い。ザフトの黒い制服でもその体の線は隠れる事がなく、タイトスカートから見える脚は美しい。それでも、彼女のまとっている空気はとても落ち着いている。自分自身を誇示する事無く、自然にたたずんでいる。

 それなのに、彼女はどこかで彼を刺激していた。ナレインはヘルメットのバイザーを閉じる。

「あ、基地の手前まででいいわ」

 急にアンシェラが身を乗り出し、ナレインの腕に抱きつくような姿勢でメインモニターを覗き込んだ。驚いたナレインはペダルを踏んでしまい、ダガーの姿勢が一瞬だけ崩れる。

 大きく揺れたコクピットで、ナレインが慌ててアンシェラの体を支えると、彼はバイザー越しに彼女の無防備な笑顔を見た。小さく舌を出して謝ると、彼女は補助シートに身を沈める。ナレインは、ダガーに片膝を付かせた。

 連合のMSに乗って帰ってきたなどと知られると煩いのがいる、アンシェラはそう言って笑う。基地のゲートの門衛は連合の隊員が務めているので、そこで降りればバレないだろう。コクピットハッチを開けると、少し身を捩じらせるようにして彼女は補助シートから抜け出した。お尻を突き出すような姿勢になるので、ナレインは顔をそらす。

 そんな彼に気付かない様子で、アンシェラは胸の前に差し出されているダガーの手に体を滑り込ませた。ホッと息を吐き、ナレインは手を地面へと近づけていった。

「ありがとう」

 手を振りながら基地のゲートへと歩いていくアンシェラの姿をメインモニターに映しながら、ナレインはヘルメットを取った。変な緊張が抜けて、汗が出てきた。コクピットには彼女の残り香が漂っている。

 

 

 

 そろそろ食事時なのだろう、店内には多くの人がいた。店内の喧騒がBGMをかき消している。皿とグラスを手にした店員が、テーブルとテーブルの間を縫うように歩く。店内の一角から、大きな笑い声が聞こえてきた。店の奥にはクーラーが置かれているようだが、全開になった窓からは涼しくなり始めた夜風が入ってくる。

「いいのかよ?」

「財布の中くらい知ってんのよ」

 それにこういう店の方が地元の味を楽しめるのだと、エルシェはガイドブックの情報を一つ披露する。何となく納得していない顔のクレトと乾杯し、島で作られているという果実ラム酒を口にした。

 マダガスカルから移住してきた人が製法を伝え、島ではラム酒のためにわざわざサトウキビを栽培しているのだという。サトウキビの搾り汁をそのままアルコールにする珍しい製法で作られたラム酒に、島で採れた果物を漬け込んだ果実ラム酒は、店ごとに独自の製法を持っているのだそうだ。

 小さく息を吐いて笑ったエルシェに、クレトも釣られて笑う。グラスの水滴が、テーブルの木地に染みを作る。

 クレトが思い切って食事に誘った割には、エルシェはあっさりと受けてくれた。コーディネーター住民の多い区域の、もっと高級な店を考えていたのだが、彼女が選んだのはずっと下町の店だった。

 豪快さが取り得の様な料理が、テーブルの上に並んでいく。

「飲みすぎんなよ」

「だからトニックにしたじゃん」

 皿の上に鎮座する海老の殻を剥きながら、エルシェは言う。香辛料の利いた海老は、思った以上に辛く美味い。赤くなった指先を舐めていると、クレトがハンカチを差し出してくれる。

「・・・・・・持ってるし」

「いいから使え」

 口を尖らせてハンカチを借りると、指先を拭いてからバッグの中のハンカチを取り出す。我ながら情けないと、エルシェは素直に反省した。三杯目のグラスを空け、クレトに視線を向ける。

 軽くタダ飯のつもりで付いてきたのだが、こうしてサシで食事をするのは久しぶりだった。アカデミー時代それも留年した三年目は、同じ落ちこぼれ同士で年下の同級生から離れてよく食事をしていたように思う。色々と、彼に助けられた面は多かった。

「ここ、私が払うわ」

「何だよ急に」

 皿の上の最後の一切れを口に入れ、通りかかった店員に空いた皿を渡す。もう一杯注文しようとしたエルシェに最後だぞと念を押し、同じものとつまみになるものを頼んだ。アカデミーでの事を話すエルシェの言葉に耳を傾ける。彼女がアカデミーに入った理由を聞いたのは、初めてのような気がした。

 そういう話題になると、エルシェはいつも適当にはぐらかしていた。確かにアカデミーに入った理由より、明日の試験の方が大事な場面は多かったのではあるが。

「対抗意識、かな・・・・・・私にだって出来るって、お姉ちゃんに見せたかったんだ」

 勝てるわけないのにねと、笑ってグラスを傾けるエルシェは、笑っていなかった。クレトは相槌を打たずに彼女を見る。彼女が手にしたグラスは、もう空になっていた。

 彼女の姉に関する話題を聞かない日はない。部隊を実質的に指揮しているのはアンシェラであったし、連合や島の当局者との会合も彼女が中心となって行っている。その上、人目を引き付ける美人だ。男性隊員どころか、女性隊員にまでファンがいるという話も聞いている。

 クレトは、目の前のエルシェを見つめる。

 褐色の極端なクセっ毛、背は高いが体の線はあまりメリハリが利いていない。少し大きな口に薄い唇、あまり大きくないのに円らな瞳。クレトは、エルシェの手を握った。

「俺のだ」

「ケチ」

 クレトは、エルシェが手を付けようとしていた自分のグラスを傾ける。何か気の利いた事を言いたかった。つまみを載せた皿は、もう空いてしまっている。グラスを煽って、ラムを飲み干した。

「何か・・・・・・」

 クレトが口を開こうとした時、店の一角から大きな音が聞こえてきた。喧騒が一瞬静まり、視線がそちらに集まる。男性客の一人が、テーブルを叩いたらしい。酔っ払いなら珍しくもないと、店は再び喧騒を取り戻す。

 しかし、その男性客はよく聞こえる声で話を始めた。連れの男性は困った顔をしている。どうやら、島の将来に不満があるらしい。

「コーディネーターなんざ、空に帰っちまえばいいんだ!」

「やめとけって・・・・・・すんません、おかみさん、お勘定」

 連れの男性がそういって、騒いでいる男性を無理矢理立たせて店の外に連れ出す。かなり酔っ払っているようで、店の外からも大きな声が聞こえてきた。

 しかし、島がプラントの統治になる事に、不安を抱いている人は少なくない。先日開かれた二回目の住民説明会にも、多くの人が集まっていた。特にナチュラルの人達は、雇用や社会保障の面で不利になることを危惧しているようだ。

 少しだけ静かになった店内でも、男性の言っていた事に理解や納得を示すささやきが聞こえる。それはそのまま、ザフトとコーディネーターに対する不満でもあった。

 何か甘いものでも頼もうかと思ったクレトは、代わりに財布を取り出した。エルシェが財布を出すより早くレジに行き、支払いを済ませる。彼女を促して店を出た。

「七時過ぎ・・・・・・」

「歩いても良さそうだな」

 酔い覚ましを兼ねて、基地まで歩く事にする。繁華街はまだ、宵も口という雰囲気だ。シャッターを閉めようとしていた食料品店で、瓶入りの水を買ってエルシェに渡す。

 彼女の喉が小さく鳴る。エルシェのクセっ毛は、いくつもの小さな貝をあしらったバレッタで留められていた。

 

 

 

 ようやく雨が過ぎ去り、日が照り始める。滑走路全体が白く輝く。その端にたたずむティルトローター機の回りに、整備員が集まり始めた。連絡要員を乗せて、カーペンタリアへと戻る飛行機だ。先ほどまでの雨のせいで、出発の時間が半日ほど遅れていた。

 早朝に出発してディエゴ・ガルシアで給油を行い、その日のうちにカーペンタリアへと向かう予定だったが、この分だとディエゴ・ガルシアで夜を明かす事になりそうだ。その方が体は楽だなと、バルナバは笑った。彼は、宿舎のロビーで飛行機の点検が終わるのを待っている。

 バルナバは、連絡要員とともにカーペンタリアへと戻るのだ。最初からその予定であり、本来であればもっと早くに戻っているはずだった。本隊到着時の混乱などから、十日も予定がズレている。

「奥さん、怒ってない?」

「今からそれが心配だよ」

 ヘルミの言葉に、バルナバは肩をすくめて言った。彼は既婚者で、家族はプラントに住んでいた。カーペンタリアには強力なレーザー通信システムがあり、デブリなどによるノイズは発生するものの、プラントとの通信は可能だった。しかし地球とプラントの距離では、どうしてもタイムラグが発生する。バルナバはまめに家族と連絡を取り合っていたが、なかなかスムーズな会話ができるものではなかった。

 何か土産になるものをと思って、ここ数日島の商店を巡ったりもしたのだが、手頃なものが見つからなかった。ラム酒を買っていこうとも思ったのだが、検疫の手間を考えるとなかなかに難しい。

 プラントと連合の間で、人の行き来は活発になりつつあるが、まだ多くのハードルが残されている。宿舎のロビーに、小さな足音が響く。

「よかった、まだ出発してなかった」

「仕事はいいのか?」

 バルナバの問いに、ノンナは今日の分はひとまずと答える。彼が予定よりも長く島に滞在してくれていた事で、彼女の仕事の負担はずいぶんと軽いものになっていた。実務経験者は、何よりも貴重な戦力なのだ。

 カーペンタリアからの第二陣は行政職員を中心に派遣される予定であったが、宿舎の確保など島の方でやっておかなくてはならない業務が多い。そして、それらの目途がつかないことには第二陣の派遣日程が正式に決定しない。ノンナの肩にかかる荷の重さに、バルナバは同情しかできない。

 ノンナも、今後の事については色々と不安を抱えているだろう。しかし、そんな事はおくびに出さず、彼女は笑顔で小さな箱を差し出す。

「これ、お土産にして」

「?」

 包装もされていないその箱を開けると、敷き詰められた綿の上に淡い桃色の木の枝のようなものが乗せられている。掌に乗るほどのそれは何かの鉱物の細工物のようでもあった。

「珊瑚の欠片だって」

 島を形成している珊瑚より、ずっと深いところで育つ珊瑚で、島の浜辺に打ち上げられるのはとても珍しいのだそうだ。どうしたのかと聞くが、ノンナははにかむように笑っただけだった。

 それで何となく察して、バルナバそれ以上を聞かなかった。ロビーのスピーカーが飛行機の点検終了を告げる。バルナバはスーツケースを持って立ち上がった。足早に飛行機へと向かう連絡要員の後を追う。

 飛行機の脇に、橙色のつなぎ姿のキャロラが立っていた。

「気を付けて、って整備したのは私らだけどさ」

「君らこそ、気を付けてな」

 キャロラ、ノンナ、ヘルミと握手を交わし、バルナバは飛行機に乗り込む。タラップが収容され、ハッチが閉まった。誘導員の車が、キャロラ達を滑走路から退避させる。航続距離を稼ぐため、短距離離着陸モードで離陸するのだ。飛行機が滑走路を滑り始めた。滑走路を使い切るようにして飛行機は基地を飛び立つ。

 目的地に向かうため、機体が島の上空を旋回した。旅客機ではないので、乗り心地に文句は言えない。飛行機のパイロットが、並走している機体が見えるかと聞いてきた。バルナバが窓に顔を寄せると、MSが近づいてくるのが分かる。

 島に来る時に乗ってきたドゥルと、上空を警戒飛行中だったディンが、飛行機に並ぶようにして飛んでいる。

 その二機が、チカチカと信号を送ってきた。バルナバは、それを読んでもらう。

「ディンからは『道中の無事を祈る』、ドゥルからは『いつでも遊びに来い』だそうだ」

 それぞれに返答の信号を送ってもらい、バルナバは改めて島を見る。

 青い海に浮かぶ緑の島、端的に美しい島だった。せっかく地球に来たのに、この島を楽しむ余裕もなく終わってしまった。次に来る時は、この美しさを味わうために訪れよう、バルナバはそう思う。

 やがて二機のMSは離れて行き、飛行機は夕日を背にするようにインド洋を東へと飛び去っていく。




 次回は、十二日を予定しています。

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