大海原の小さな島 ~アルダブラ島奮戦記~   作:VSBR

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七話  姉

 岸壁に二ヶ所、大きな穴が開いている。詳しい調査は現在行われているところであるが、岸壁の破壊ではなく接岸した船への攻撃を意図した爆発だろうとの見立てであった。爆発の衝撃が、岸壁側ではなく海側に向かうように、爆薬がセットされていたらしい。明らかに、ザフトの艦を狙ったものであった。

 爆発時のNジャマー濃度から無線での起爆はありえず、時限式である事はほぼ確定している。爆発時間はザフトの艦の到着時刻に合わせられていたのであろう。

 ザフト艦が港を避けて島に到着した事、ザフト艦の到着に備えて港への立ち入りが禁止されていた事、海洋警備局の本部ビルに詰めていた人達が外に出ていなかった事から、奇跡的にも人的被害はゼロであった。ただ、本部ビルの窓ガラスの多くが破損したため、それによる怪我は何人か確認されている。

「俺は人的被害に入んねぇの?」

 頭に包帯を巻いたニッシムがぼやくように言う。タバコを吸うために本部ビルの玄関先にいた彼は、爆発によって飛ばされてきた木片が頭に当たり、二針縫う怪我をしていた。ナワンは気にせずに報告を続ける。

 ザフト艦はひとまず、海洋警備局の巡視船が普段接岸している岸壁を使用する事とし、既に物資の陸揚げ作業などに着手しているそうだ。MSによる周辺警戒を認めるようザフトが求めてきたので、認めておいたとナワンは言った。大げさにも担架で搬送されその場にいなかったニッシムは、ナワンの頭越しの判断を褒めるしかない。

「警備局は何て?」

「とりあえず、パニックは収まりましたよ。でも、これからが収まらないでしょうね」

 港というお膝元、本部ビルの正面での爆弾テロである。面子が潰れたどころの話ではないだろう。ただ、ザフトが警察権限の早期委譲を求めているため、そちらの方でも揉めそうであった。

 このような事件が起きてしまった以上、向こうが強気に出るのは当然だ。いや自分達の身の安全を確保するためにも、各種権限は握っておきたいと考えるのが自然である。

「連合本部からは?」

「プラントとの調整は既に始めているそうですが、島に直接来る人はいないみたいです」

 実質的な被害が少なかったため、大事にせず従来の枠組みを維持しておきたいということだろう。ニッシムは舌打ちを我慢する。

 今回の件に関しては、完全に自分達の落ち度だ。これほどの爆発を伴うようなテロは今までも発生しておらず、先日の住民説明会を無事に終えた事もあり、油断があったと言われても仕方が無い。

 その油断を、ザフトは艦を港に着けないという形で指摘したのだ。おそらくヤルミラは、最初からザフト本隊へのテロを警戒していたのだろう。住民説明会におけるテロの封じ込めが、ザフト本隊へのテロを誘発する事を予見し、艦を島の反対側に回航させたのだ。

 しかもこのテロは、島の引渡に関する手続きにおいて、ザフトの立場を強くする。彼女がそこまで考えていたのだとしたら、死者が出たらどうするつもりだったのかまで聞いてみたい、ニッシムは涼しげな銀髪を思い浮かべながら奥歯を噛む。

「隊長、時間通りに来て下さい。私だって忙しいんですよ」

「ヴィヴィアン先生~、こいつ俺の怪我は人的被害に入らないって言うんだぜ」

 木造兵舎の司令官室に入ってきたのは、ヴィヴィアン・ジェガセサン。部隊の衛生課を束ねる白衣の美人軍医だ。その場でニッシムの包帯を取り、ガーゼを取り替える。

 白衣を着ていても隠し切れない豊満な胸に、だらしない視線を向けているニッシムに、ナワンは何も言わず司令官室を後にする。

 

 

 

 宿舎としていた別荘は、今日中に引き払う事になった。本隊が基地に入った事と、警備上の問題からである。当初は街に近い事もあり、連合との各種会合に出席する必要のある者を詰めさせる計画だったが、テロが現実となった事で変更を余儀なくされたのだ。

 身の回りの荷物の整理や管理人への連絡など、細々とした用事がたくさんあり、エルシェ達は朝からバタバタとしていた。キャロラが思わず大声を出す。

「さっさと動く!」

 ヤルミラとバルナバ、そしてヘルミが本隊の方に行っているため、残りの四人で宿舎の片付けをしなくてはならない。にもかかわらず、その半数が心ここにあらずといった様子なのだ。

 ノンナは、先ほどから胸に手を当ててはため息ばかりついている。間近で爆発事件に遭遇し、まだショックが抜け切っていないのだとクレトは言うが、この様子は絶対に違うとキャロラはふんでいる。

 もう一人のエルシェは、髪の毛をいじりながら窓の外を見つめている。こっちはこっちで、今まで見た事もないような憂いの表情だ。それを注意しようともしないクレトにも腹が立つので、キャロラは防犯ブザーの配線の片付けに手を付ける。機械類を相手にしている方が、気が落ち着くというものだ。

「結局、役に立たなかったけどね・・・・・・」

 役に立つ時があっては困るのだがと、庭の周りに巡らせたセンサーを回収していく。裏手側のセンサーを取り上げた時、ケーブルがあらぬ方向に繋がっていた。キャロラは息を止め、周囲をうかがう。

 調べるとケーブルが途中で切断され、別の小さな機械へと繋げられていた。センサーに感知されないまま、それを無効化するためのものだ。そのようなセンサーは裏手側に三つ。すなわち、この三つ分のセンサーは役割を果たしていなかった事になる。

 何者かが侵入を図ったか、侵入のための経路を用意したかだ。センサーを設置してから数日、警備員の巡回も行われており、留守中を含めて宿舎に侵入された形跡は全くなかった。何者かが作ったこの侵入経路も生かされなかったという事だ。

 しかしその何者かが、悪意を持ってここに侵入しようとした事は明白であろう。港で起こった爆発事件が、ここで起こったかもしれないという事だ。キャロラの背中を冷たいものが下っていく。彼女は、頬を叩いた。

「何者かじゃない、明確な誰か」

 日差しはいつものように強く、庭の芝生が美しく照らされている。風が運んでくる海の匂いを思い切り吸い込み、キャロラはセンサーの回収を再開した。道に面した生垣で、やってきた管理人に声をかけられる。

「引っ越すんだってね」

「すみません、急な話で」

 管理人はイヤイヤと手を振ると、代わりに発泡スチロールの箱を掲げる。朝釣って来た魚を持っていけと言ってくれた。

 

 

 

 赤道連合の海軍部隊が直前まで使用していたので、兵舎の半分はまだ清掃業者が作業中であった。それでも潜水輸送艦から陸揚げされた物資が基地へと搬入され、それらの設置作業などが急ピッチで進められている。

 行政職員などを含めて三百名が、ザフト本隊の第一陣として島に上陸した。島の引渡しが終わり、連合の部隊と赤道連合の行政当局者が撤収した後、第二陣が派遣される予定になっている。

 輸送艦の警備のため、MS二機と五十名ほどの人員を港に残しているので、基地に入ったのは二百名強であった。兵舎の司令室の窓からは、滑走路に立つディンとドゥルの姿が見える。

「ご苦労だった、ジーノ君。君の進言が我々を救った事は、上層部にも報告済みだ」

 抑揚を抑えた低い声が、艶やかな威厳をもって司令室に響く。コーディネーターらしい若い見た目だが既に初老は過ぎているだろう女性、ラケル・スピアーズは表情を変えずに言った。

 ザフト本隊の指揮を任されているラケルは、ヤルミラに先遣隊の報告を求める。ヤルミラは胸を張って、手にしていたレポートを読み上げていった。

 だが、ヤルミラの注意はラケルに向けられてはいない。その傍らに立つ女性に意識を集中していた。本隊の副隊長という肩書きでラケルを補佐しているその女性は、アンシェラ・ルシエンテス。その美しい金髪は、窓から入る日差しを美しく照り返している。

「なるほど、テロ対策にMSは不適当か」

「はい。現人員から対テロ部隊の選抜・・・・・・」

 ヤルミラが言い終わる前に、ラケルはアンシェラに意見を求めた。ヤルミラの視線に気付かないかの様に、アンシェラはラケルにだけ視線を向けて言う。

「島の引渡し手続きの途上である以上、島の治安権限は連合が持っています。我々が独自で動くと、異なる二つの部隊が連携もなく動く事になるでしょう」

 非効率な上に不測の事態への対応が混乱する可能性がある、アンシェラは連合や行政当局との折衝を速いペースで重ね、一元的な治安維持権限の確立を目指すべきだと言った。それまでは、テロの捜査を含め連合に任せるべきだと付け加える。

 ヤルミラが反論しようとしたのを、ラケルは止めた。

「到着早々この事態だ、まずは隊を落ち着かせよう」

 隊員には順次休息を取らせることとし、ヤルミラとアンシェラには、港と基地の警備体制について連合に確認するよう命じた。二人は、敬礼とともに司令室を出る。足早に立ち去ろうとするヤルミラを、アンシェラが呼び止めた。

「待ってよ、ジーノさん」

「副長は先にお休みになられても構いません」

 口元に笑みを残したまま眉を曇らせるアンシェラは、連合側の担当者との顔合わせだけでもしておきたいという。昨日は寝ていないし休みたいのはやまやまだけどと、アンシェラは笑った。

 ヤルミラは大きく息を吸って、気を落ち着けた。アンシェラの、一点の曇りも無い笑顔が気に障る。小首を傾げるだけで音もなく流れる金髪は、自ら輝いているかのようだ。ヤルミラの苛立ちを、場にそぐわない声が押さえつけてきた。

「お姉ちゃん!!」

「エルシェ、仕事中なんだからその呼び方はやめなさい」

 パイロットスーツのまま駆けてきたエルシェが、飛びつかんばかりにアンシェラの手を取った。

「何で、この部隊に? 聞いてなかったよ」

「派遣部隊の構成表にちゃんと載ってるわ。よく見たの?」

 エルシェのはしゃぎ方に、ヤルミラは完全に気を削がれていた。彼女の視線に気付き、エルシェが恥ずかしそうにうつむく。

「ゴメン、久しぶりなんだ、お姉ちゃんと会うの。昨日は全然話せなかったし」

 エルシェは昨日、ヤルミラを潜水輸送艦に届けた後、即座に港に急行しノンナ達を保護して宿舎に戻ったのだ。

 ヤルミラが二人を見比べているのを見て、エルシェは言った。

「似てないでしょ」

 血縁であっても似ていないのは、コーディネーターにとっては不思議なことではない。しかし、ここまで違うのは珍しいのではないだろうか。似ている部分を探すのも難しい感じだ。エルシェは、適当にまとめただけの髪を触る。

 アクシェラはエルシェの髪型を見て、その髪を留めている二つのバレッタに触れた。そして、青いシンプルなデザインのそれを外す。

「あっ、何?」

「どうしたの? これ?」

「もらったの、持ってたのが壊れちゃって」

 ちょっと似合わないわねと笑って、アンシェラはバレッタを髪に留める。エルシェは、そうかなぁと言って口を尖らせた。

「積もるお話もあるでしょう、連合への確認は私がやっておきます」

「ちょっと待ってって、ジーノさん。ゴメンね、エルシェ。時間が空いたら連絡する」

 背を向けたヤルミラをアンシェラは追いかけていく。エルシェは青いバレッタの位置を直して、ロッカールームに向かった。

 

 

 

 島の住民は一応平静を保っているようだが、やはり雰囲気は硬くなっている。普通なら役場や警備局に掛かってくるような電話が、連合の基地にも掛かってきていた。島の治安に対する不満や不安から爆発事件の犯人を見たという情報まで、種々雑多な電話に対応するには回線数も人員も足りなかった。

 いつまで話中なのだというクレームに、リンタン・フェはひたすら頭を下げる。昼食を取りながらの電話対応だが、スープも紅茶もすっかり冷めていた。ようやく切れた電話に長いため息をつくと、受話器も下ろさずに内線に切り替える。

「隊長・・・・・・じゃない、ケーター中尉? そう、人回してって朝言ったはずなんだけど」

 港での爆発事件で港や基地周辺の警備などに多くの人手が割かれている事は分かっているが、市民対応も立派な任務だ。こちらにも人手を割いてしかるべきだろう。デスクの上の自分の仕事は、朝から何一つ手を付けられていない。

 ニッシムに頼まれていた島の通信記録の解析を進めたいのだが、今の状況がそれを許してくれないのだ。テロの前後で、通信記録に何らかの変化が現れている可能性は極めて高い。リンタンは外線に切り替える。

 受話器の向こうからは、役場にも警備局にも電話がつながらないという老人の声が聞こえてくる。それをここで言われても困るとは言わず、リンタンはひたすら頭を下げる。

「ごめん、シティ。そっちの手は空いたの?」

「ダガーもグラスパーも警戒に出たから、とりあえず戻ってくるまでね」

 MS管制室からやって来たシティ・ハルティナが受話器を取る。テロに関しては全て調査中であり、誰が電話を取っても答えられる事は同じだ。手の空いた者が少しずつオフィス顔を出し、置いてある七つの電話に一人ずつ就いた。リンタンは残った昼食をかき込むと、食器を食堂に返しにいく。

 廊下の窓からは、港から物資を運んできたトラックの姿が見える。見慣れない形なのは、ザフトの車だからだろう。食堂でやかんにお茶を入れてもらって、オフィスへと持っていく。電話対応は、意外と喉にくるのだ。

「リンタン、私抜けるわ。グラスパーが何かトラブったみたい」

「いいよ、それよりシティさぁ」

 リンタンはシティに、ニッシムがシティの交際相手について嗅ぎつけた事を告げる。別に悪い事をしているわけではないのだが、いちいち首を突っ込まれるような事でもない。

「彼氏、近々撤収しないの?」

「一応責任者だから、最後の最後になるって言ってた」

「あぁ。じゃ、下手したら、うちらと同時か」

 その方が遠距離にならなくていいとシティは笑う。逆に隊長の心労が増えるわよと、リンタンは苦笑いを返した。

 未だ二百名近くが残る赤道連合の海軍部隊は、ザフト本隊到着の翌日に百名程度の撤収が予定されていたのだが、今回の事件を受けてそれすら延期されていた。

 

 

 

 宿舎を引き払って基地の兵舎に到着したら、息を継ぐまもなく引継ぎ作業だった。エルシェは機体とともにMS隊に組み込まれ、キャロラもそのまま整備班に配属となった。クレトはディンのサブパイロットとしての辞令を受け取っている。

 港での爆発を受けてザフトの部隊も動揺していたが、とりあえずこなさなくてはならない作業が多い。目の前にやるべき事があるのは、動揺を抑えるには効果的だった。ノンナも、呆けている暇はない。

「実作業じゃなく、実作業を誰にやらせるかを考えればいい」

 心配そうな表情を浮かべるノンナに、バルナバがそうアドバイスをする。彼女は、部隊にいる十名の行政職員を束ねる臨時行政課の課長に就く事になっていた。島の行政を少しずつ引き継いでいかなくてはならない役割であり、前例の少ない困難な仕事だと考えられる。

 ましてやノンナは一級行政職員とはいえ、実務経験もなく部下を持った経験も当然無い。能力の有無と経験の有無を分けて考えないのは、プラントの悪癖といえた。

「バルナバさんは、いつまでいられます?」

「艦の連絡機がいつ出るかだけど・・・・・・この騒ぎじゃ、少し遅れるかもな」

 部隊がある程度落ち着くまでは、バルナバも彼女のサポートに回れるだろう。連合側との折衝結果に関する資料を司令への報告とは別にまとめ、課員との共有情報にまとめておく事にする。

 当面は、連合の持つ治安権限や海洋警備局の警察権限を、どのようにザフトが引き継いでいくかが主な折衝になるだろう。ザフトの部隊の人数を考えると、テロの直後に全権限の即時委譲はありえない。現場の感覚としてはそうなるが、上の考えとなるとどうだろうか。ノンナの表情はますます暗くなる。

 オフィスのドアがノックされた。顔を出した女性に課内が色めきたつ。

「ルルー行政官、リンデン行政官、少しいいかしら」

「ルシエンテス副長。あ、とりあえず、こっちに。すみません、全然片付いてなくて」

 オフィスの隅に間に合わせで作られた会議スペースにアンシェラを案内する。彼女は連合と警備局の担当者に確認した警備状況を報告した。連合の部隊は、ほぼ全てが出払っている状態だ。

 その他いくつかの情報を交換し、今後の方針について意見を交わす。アンシェラも、二人と同じような見立てであった。彼女は苦笑いを浮かべて言う。

「ただ、司令がそこまで分かってるかどうか」

 内線電話がアンシェラに掛かってきて、彼女はオフィスを後にする。バルナバは大きく息をついた。

「えらい美人だな。あれだろ、エルシェのお姉さん」

「それだけじゃないよ。あの人、サーティーンだ」

 ノンナは制服にワッペンが付いていたと言う。

 現在ザフトは、15歳以上でないと入隊出来ない事になっている。有事の際には前線にも出なければならない事から定められた規定なのだが、例外として13歳での入隊が認められる者がいた。

 ノンナも13歳での成人が認められた者であるが、ザフトの13歳入隊はそれよりもはるかに難しい事であった。その条件は明示されておらず、一説には特別な遺伝子検査まで行われているという話である。その13歳入隊を認められた者は、サーティーンなどと呼ばれていた。

 

 

 

 港の爆発現場は封鎖され、今は警備局と連合の部隊が合同で現場検証を行っている。ザフトからも現場検証に参加させるよう要請されたらしく、つい先ほどまで担当者同士が揉めていた。

 物資の陸揚げを行っている輸送艦の方でも、その警備をどこが担当するかで一悶着あった。結局ダガーは、輸送艦の停泊する岸壁から離れた場所で警備についている。輸送艦の傍にいるのはワスプと呼ばれるタイプのジン、水中での行動が可能なMSだ。

 ザフトの本隊に配備されるMSは、このジンワスプが二機にディンが一機、そして先遣隊が使っていたドゥルだ。ジンワスプとディンはどちらも前大戦時から使用されているMSで、今では旧型の部類になるだろう。ドゥルは可変型サブフライトシステムというべき機体で、MSとしての性能は限定的なものでしかない。

 カーペンタリアを出発する時は、インド洋に浮かぶ戦略的に無価値の島に一線級の機体は不要という考えだったのだろう。今でもそう思っているかどうかは分からないが。

「どっちにしろ、こういうテロじゃな」

 MSでどうこう出来る相手ではない、そうつぶやいたナレインはダガーのモニターを望遠に切り替えて周囲を見回す。港のあちこちを巡回する完全武装の同僚の姿に、緊張した空気を感じた。

 コズミック・イラ80年代も終わりに差し掛かっている。連合とプラントの関係は、確実に改善に向かっていた。しかし、その大きな枠組みとは全く異なる枠組みで、世界はこうして今も戦争を続けているのだ。

 ナレインの出身地は、赤道連合と東アジア共和国とユーラシア連邦の参加国が複雑に国境を接する中央アジアの紛争地の近くにある。連合が紛争予防のための軍事介入を試験的に行った場所にも近く、昔はテロだの衝突だのは珍しい話ではなかった。

 今では国境も画定され、軍閥の武装解除や地元政府への行政支援、農業援助を含む産業振興策などの成果が芽を出し始め、ナレインが子供の頃と比べればずいぶんと良くなったと感じる。逆を言えば、貧困という原因さえ何とかできれば、何事も無い地域だったのだ。

「そこなんだよな・・・・・・」

 ナレインは頭の後ろで手を組んで、水筒のストローを咥える。空の水筒がブラブラ揺れた。こんな裕福な島で、何故テロなどが起こるのだろう。

 酔っ払った無職の男が自動小銃を持って町を歩いているでもなく、麻薬の過剰摂取で路地に倒れている娼婦がいるわけでもなく、物乞いが警官に殴られているわけでもなく、口減らしのために職業斡旋という名の人身売買業者に子供を売り渡しているわけでもない。

 豊かな生活を送りながらテロを企てる事のできる、ナレインには分からない理由があるのだろうか。それとも、この島にはナレインにも分かる貧しさが隠れているのだろうか。

 ダガーのセンサーが上空を旋回しているディンを確認した。先ほどまではドゥルが飛んでいたので交代したのだろう。発光信号で、労いの言葉を送っておく。ディンからの返答はなく、ナレインは苦笑した。ちゃんと返してくれるエルシェの方が例外なのだろう。この騒ぎでは、しばらくは彼女に会う事も難しくなる。

 

 

 

 MSはバッテリーを動力源とし、空を飛ぶ場合は推進剤を燃焼させる。翼で揚力を得られる飛行機に比べて、その飛行可能時間は格段に短い。港上空の警戒飛行を行うよう命令されたのだが、二機のMSでは限界があった。警戒をしなければならないのは分かるが、それが可能かどうかは別問題なのだ。

 輸送艦にはカーペンタリアとの連絡用飛行艇が積まれているし、連合は戦闘機を持っている。それらを活用する事を考えた方がいい、クレトはディンの推進剤残量を確認しながら思った。先遣隊として島に入り、その労を労ってもらう間もなくMSのコクピットに座っているのだ。愚痴の一つも言いたくなる。

「ご苦労様の一言でも・・・・・・」

 それを言ってくれたのは、連合のパイロットだけだった。返答しなかったのは、発光信号を送ってきたダガーのパイロットがあの男性だからだ。確証はないが、確信はあった。

 エルシェ好みのイケ面であるし、彼女自身の惚れっぽさも知っている。だが、いつもの事だと放っておく事が出来ない。クレトの勘は、ナレインを危険だと判断していた。ナレインがエルシェを宿舎まで送ってきた時、彼の態度に誠実さが見て取れたからだ。

 自分自身の下心よりエルシェ自身を優先しようとする、ナレインの態度。そこにクレトが気付けたのは、彼自身が同じ態度で彼女に接しているからだ。

「目視、マニュアルでの着陸を」

「ちっ、了解」

 散漫になっていた注意力を集中し、コクピット内の計器に目を走らせる。基地に入ったばかりで、管制施設の使用が上手くいかないのだろう。もっとも、快晴で視界も良好であるため、ガイドレーザーの必要性は感じない。

 滑走路の端に狙いを定めるようにディンを降下させていく。高度20mで、ディンを空中で直立させるようにしてエアブレーキを掛ける。コクピット内の慣性重力に耐えながら細かな姿勢制御を行い、滑走路の中ほどで機体の両脚を着地させる。そのまま三歩前進して停止した。

 なかなか上出来の着陸になったが、MSの離着陸を考慮していない滑走路なので、路面へのダメージは少なからずあるだろう。ザフトの第二陣には、工兵も必要になりそうだ。誘導員に従って、ディンを格納庫に入れた。

「先遣隊にいたパイロット、副長の妹さんなんだろ?」

 コクピットに顔を突っ込んできた整備員が聞く。ツテは持っていないと答えて、クレトは昇降機の手すりに体を預けた。しばらくはエルシェも大変だろうなと、ヘルメットを脱ぎながらつぶやく。

 しかしアカデミーで一緒だった頃も、カーペンタリアに配属されてからも、エルシェから姉の話はあまり聞いた覚えが無い。姉妹とはいえ案外そういうものなのかもしれないと、クレトは勝手に納得していたが、実際はどうなのだろうか。

 MS隊の隊長にロッカールーム前で呼び止められる。エルシェの姉の話だったので、知らないとしか答えられなかった。

 

 

 

 夜になっても、警戒態勢は変わらずにいた。木造兵舎の食堂では、警戒から戻ってきた隊員達が急き立てられるように食事をかき込んでいる。連合の部隊と警備局の局員で、市街地全域をくまなくパトロールする事は、ギリギリ出来なくもない。だがここに、基地と港の警備を加え、さらに島の海岸線での巡回を含めるとなると、完全に人手が足りなかった。

 数日は隊員に無理をさせてでも、今の警戒態勢を維持する事は決まっているのだが、具体的にいつまでかがはっきりしない。隊員のケアの事を考えるとその期間は短い方が助かるのだがと、ヴィヴィアン・ジェガセサンはボールペンを回しながら言う。

 診断書を受け取ったアイシャ・アンウォーは声を潜めた。

「長引きそうですよ、ザフトとの交渉」

「こんなに面倒な任務だなんて聞いてた?」

 連合とプラントの外交部門がお膳立てした文書を取り交わして、そのまま終了するはずの任務だった。せいぜい、撤収の前日に記念式典でも行うくらいが部隊の役割だっただろう。

 それがまさかのテロ事件だ。診断書を書かなくてはならないような事が起こるとは、先日まで考えもしなかった。ましてや、そんな事が今後も起こり続けるとは、考えたくもなかった。ヴィヴィアンは、ポットのコーヒーを注ぐ。

「ザフトの方は落ち着いたの?」

「物資の荷揚げは夕方には終わったみたいです。兵舎の方は、まだみたいですね」

 そろそろ日付が変わる時間だが、眠れないのはこちらと同じようだ。ヘルメットにボディアーマー、自動小銃を持ったザフトの兵士が基地のあちこちを巡回していた。狙われたのはザフトなのだから、警戒するのも当然だろう。

 どの兵士もすっごい若いんですよと、アイシャは呆れたような同情したような声で言う。この部隊も比較的若い兵士で構成されている部隊だが、それに輪を掛けて若いのだ。

 先遣隊のメンバーには子供のような行政官がおり、プラントにしてみれば何も不思議なことではないのかもしれない。だがやはり、ヘルメットの下に幼い顔があるのは、気持ちのいいものではない。

「でも、実際の年齢は分からないわよ。コーディネーターだし」

 大抵のコーディネーターは、加齢に伴う身体面への影響を極力抑えるようにされている。島の住民も、若々しい見た目の人は多い。目尻の小皺で悩んだりしないんでしょうねと、ヴィヴィアンは笑った。

 笑っていいのかどうか判断に迷うアイシャに、あなたもでしょとヴィヴィアンは真顔で言った。

「いえ、私はまだ四捨五入すれば三十ですから」

「だったら、あと三ヶ月で四十じゃない」

二人は仕方なく笑う。

「コーディネーターには、こういう悩みないんですかね?」

「どうかしら。遺伝子いじって解決するほど、小皺の悩みは浅くないわよ」

 そう言ったヴィヴィアンの顔は真面目だった。先天性の遺伝子疾患に対する治療など、コーディネーター技術が人間にもたらした福音は数多くある。だが、その技術は病気を治療する事が出来るだけであった。

 病気を治す事によって、解決できる悩みもあるのかもしれない。

 だが人の悩みとは、病気ではないのだ。病気でない以上、遺伝子をどのようにしたところで解決するものではないだろう。

 

 

 

 暗闇の雰囲気が変わる。あと三十分もすれば、水平線が白み始めるだろう。環礁が隆起して生まれたこの島は、周囲を険しい崖で囲まれている。比較的なだらかな場所には港湾施設が作られ、島の南東部にはわずかながら砂浜があった。

 島の北側は特に海岸地形が急峻で、町からは山を越えなくてはならない場所に当たるので、めったに人が立ち入らない場所である。MS駆逐艇のサーチライトが岩肌を一舐めするが、そのまま走り去っていった。

 崖の裂け目の様になったところ、突き出した岩が防波堤となりその奥まで波が入り込まなくなっている箇所に、一隻の小型クルーザーが停泊していた。

「海軍の撤退が遅れているようだが?」

 個人所有のクルーザーにしては、殺風景な船内。どことなく軍艦を思わせるように、様々な機械が船室の壁面を埋め尽くしている。そこで、数人の男達が額を寄せるようにして何事かを話していた。

「ザフトの動向についても、有用な情報を入手できていないようだな。あの仕掛け、簡単ではなかったのだぞ」

「それは連合も同じだ。ザフトの秘密主義は徹底されているよ」

 ザフトの輸送艦を標的とした港での爆破事件、それが完全に空振りに終わった以上、警備の強化だけを招いてしまった事になる。男達は次の作戦について、その変更点を洗い出していた。

 本来であれば、輸送艦ごとザフトの本隊に打撃を与え、その混乱に乗じて本命の作戦を実行するはずであった。だがザフトの輸送艦はそれを回避し、あろうことか作戦の中心となる物資搬入のために待機していた潜水艦が、ザフトの艦とニアミスをする事態になっていたのだ。何とか潜水艦は離脱に成功したものの、計画は大幅な変更を余儀なくされていた。

 直前の陽動がこれ以上なく上手くいったにもかかわらず、肝心の作戦は失敗したのだ。今後、警備が強化された中でどれだけの事が可能か、多くを期待する事は出来ないと思われた。厳重な警備を掻い潜り、再度の物資搬入を試みる事が出来るのか。

「警備を、どれだけ引き付けられるかだな」

 連合も警備局も十分な人手があるわけではなく、今の態勢を維持し続けられるわけもない。段階的に警備が緩くなっていくはず。そのタイミングを狙って再度仕掛ける事ができれば、隙を生じさせる事は不可能ではないと結論付けた。

 何をどのように仕掛けるか、男達は一様に腕を組む。一人の男が、口元に指を二本当てる仕草をして、船室を出る。

 一服を終えた男は、一つの提案をした。作戦会議は、その提案を元に進められる。

「青き清浄なる世界のために」

 水平線から太陽が昇りきる。クルーザーから見える世界は、海と空に清浄なる青を湛えていた。




 次回は、十日に投稿します。

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