大海原の小さな島 ~アルダブラ島奮戦記~   作:VSBR

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六話  二度目の事件

 釣り道具が置きっぱなしになっているので、基地の外に出たわけではないはずだ。ニッシムがいるだろうと思って覗いた場所には、別の人物がいた。ナワンは挨拶をしてその人に近付く。

 喫煙者の居場所が無いのは海軍でも同じなのだろう、ソモ・ラマがタバコを口から外して挨拶を返す。ニッシムと違いタバコ姿がダンディーだ。兵舎内は全面禁煙となっており、喫煙者は基地内の定められたスペースでしかタバコを吸えない。兵舎から離れた場所にある大きな木のそばに、灰皿が設置されていた。

 ソモが吸っているのは、ニッシムのとは違い本物のタバコだった。ナワンは相手に気付かれないようにしながら、煙のこない風上に立つ。

「ラマ大尉、サーカー中佐を見かけませんでしたか?」

「いや、午前中に一度見かけたが」

 次はどこを探そうかと思案するナワンに、ソモは視線だけを向けた。そしておもむろに申し訳ないと口にする。ナワンは兵舎の方に向けていた視線を慌てて戻した。

 この基地に来て以来、仕事で接する機会は多かったが彼の方から声をかけてくる事などなかった。何の事だろうかと、口にはしないが表情に浮かべて、ナワンはソモの次の言葉を待つ。

「部隊の撤収が間に合いそうにない」

「あぁ、中佐にザフトの予定をお聞きになったんですね」

 本来の予定日からは少し遅れたが、ザフト本隊の到着日が確定したのだ。海軍の部隊が撤収していないとなると、そのザフトの部隊をどこに駐屯させるかが問題となる。

 昨日第二陣の撤収が行われていたが、まだ半数以上の海軍部隊が基地に残っている。撤収の指揮を取るソモには頭の痛い問題であろう。彼の責任ではないので、ナワンもそれ以上の事は言わなかった。だがたとえ社交辞令であっても、別に構いませんよと言える状況でもない。

 ザフト先遣隊が開く住民説明会や、テロリストと目される二人組への対処など、やる事はたくさんあるのだ。ナワンは礼を言って、足早にその場を立ち去る。

 ナワンがサボっていると考えていたニッシムは、ちゃんと仕事をしていた。木造兵舎に隣接する小さな格納庫の隅に設置された専用の通信ユニットの中で、彼は通信担当のリンタン・フェが分析している資料に目を通していた。

「禁煙です」

「いいじゃん、今日は一本も吸ってないんだぜ」

 そのまま禁煙しろというリンタンの言葉を聞き流し、未練がましく火を着けていない代用タバコを咥える。彼女には、島外との通信状況を調べさせていた。Nジャマーの影響がある現在、通信は基本的に有線だ。傍受は容易いといえた。

 通信内容を調べる盗聴は、設備的にも権限の上でも不可能だが、各回線の使用頻度などの調査は可能だった。遡れる限りのデータを集め、分析を行っている。

 ニッシムはいくつかの気になるデータを目に留め、それを重点的に調べるように頼んだ。彼は咥えていた代用タバコを箱に戻すと、思い出したように言う。

「リンタンさぁ、シティの彼氏って、あれホントの話?」

 彼女は、口にしていた紅茶を噴き出しそうになる。この隊長は、馴れ馴れしいだけでなく隊員の噂にも首を突っ込むタイプなのだろう、彼女は非難の視線だけを返した。

 

 

 

 本隊の到着日時が決まり、先遣隊の方でも動きが慌しくなった。住民説明会の準備も重なっているため、事務仕事が増えているのだ。加えて、ノンナが徹底してヤルミラの仕事を手伝わないため、間のバルナバが苦労しているのがありありと分かった。

 そもそも、大量の事務仕事が発生するはずのない任務だったのだ。人手不足は当然といえた。とりあえず、彼女ら三人を家事ローテーションから外すくらいしか、他の者に出来る事はない。

 キッチンで昼食の支度をしているエルシェの回りを、クレトがうろうろと歩いている。手伝える事を探しているのだろうが、邪魔をしているようにしか見えない。それをさらに邪魔する気にはなれず、キャロラは庭に出た。

「説明会って、何するんですかね?」

「? なに?」

 トレーニング中だったヘルミが、イヤホンを外して聞き返してくる。水筒とタオルを渡しながら、キャロラはもう一度同じ事を聞いた。微苦笑を浮かべるヘルミが、小さく肩をすくめてそれを受け取った。

「行政上の手続きとかの事じゃないかしら」

 その説明会がヤルミラの極秘で発案したテロリストを誘い出すための計画だという事も、その計画が彼女の知らないうちに連合に伝わった事も、ヘルミは知っている。だが、口外しないようにとも言われていたので、あいまいな答えに終始した。

 キャロラ自身、説明会には特に興味がないのだろう、納得した顔は見せないが、それ以上聞く事もなかった。代わりに、隊の雰囲気が良くないと言う。

「それは・・・・・・でもね」

「私にも責任があるってのは分かります」

 ノンナくらいはっきりと態度で示す方がいいのかもしれない。だが、彼女にそれが出来るのは、能力があるからだろう。一級行政府職員は、ザフトでも白服同様の待遇を受ける。そういう意味では、ヤルミラより上の立場なのだ。

 自分のような半端な者が、アカデミー出身者に面と向かって何か言うのは難しいと、キャロラは視線を落として言う。エルシェとは仲が良いではないかと言うヘルミに、あれは例外だと笑った。

「アカデミーでも、ああいう子は少ないんじゃないですか?」

「そうなのかしらね」

 私も出身じゃないからよく分からないけど、ヘルミは答えた。知らなかったという表情のキャロラに、あなたと同じだと言う。

「私は小さい頃から大きかったし、格闘技もやってたから」

 ヘルミは、それを生かせる職場としてザフトを選んだのだ。志願兵として兵役を務め、その後専門職としてザフトに入った。普通の会社じゃ格闘技は役に立たないからと、彼女は笑って言った。

「私、適当だなぁ、そういうの」

 キャロラは、庭の芝生に腰を下ろす。そのまま寝転がって空を見た。自分の能力や、やりたい事などを、特に考えずザフトにいる。ヤルミラに何も言えないのは、だからなのだろうか。

 そうは思いたくなかったが、きっとそうなのだ。真っ青な空に落ちそうになり、キャロラは慌てて体を起こす。

 

 

 

 ザフトの本隊はカーペンタリアを出た後、ディエゴ・ガルシアとセーシェルに寄港した上でアルダブラ島に向かう事になっていた。Nジャマー下では無線が使えないため、船が定期連絡を入れるためにはどこかの港に寄らなくてはならないのだ。

 ヤルミラは通信機のイヤホンを耳に当てたまま時間を待つ。本隊との連絡を取る時間だった。暗号化プログラムの作動状況が確認され、通信可能のサインが出る。ヤルミラはメモを片手に、符丁を読み上げる。

「本日の読破リスト、渚にて、真夏の夜の夢、グレート・ギャッツビー」

 他にも様々な符丁を織り込みながら報告事項を伝えていく。定期報告ならば、慣れればそれほど難しくない。しかし、特別に伝えなくてはならない事があると、この報告文を作成するのだけでも骨が折れる。それでも彼女は毎回長文の報告を作り、本隊へと伝えていた。

 本隊からは、今回の報告内容に関してセーシェルに着いた時点で返答するとの答えが返ってきた。よろしくお願いしますだけは普通に言って、彼女は通信機を切った。時計を見ると既に日付が変わっている。

 リビングにはもう誰もおらず、バスルームから聞こえていたドライヤーの音も止まっていた。ヤルミラは残っていた書類を整理する。

「まだ起きてるの?」

 大量のヘアピンで髪を複雑にまとめているエルシェが、テーブルに書類を広げだしたヤルミラに問いかける。明日は住民説明会が開かれる日だ。

「これを片付けたら寝るわ」

「寝不足はお肌の敵よ」

 冷蔵庫から取り出したお茶をコップに注ぎながらエルシェが言う。ヤルミラも飲むかと問いかけると、返答の代わりに質問が返ってきた。

「ルシエンテスさん、お姉さんがいるのよね。何て、お名前?」

「? ・・・・・・アンシェラ、だけど?」

 冷蔵庫のドアをバタンと閉め、コップを勢いよくすすぐ。それ以上は何も聞かず書類の整理を再開したヤルミラに、エルシェは不機嫌な視線を向けた。何故いきなりそのような事を聞いたのか、問い直してみたいとも思ったがやめておく。

 そのままヤルミラには声をかけず、エルシェは自室に向かった。同室のキャロラはもう寝ているのだろう、部屋の明かりは消えている。暗い部屋を横切り窓辺に立つと、カーテンの隙間から外を見る。満天の星空の中で、特徴的にきらめくプラントの光が見えた。彼女はしばらくの間、その光を見つめる。

 ベッドの脇の小さなテーブルの上で、二つのバレッタが星明りに照らされていた。エルシェは、そのうちの一つを手に取る。

 

 

 

 夕方以降雨になるだろうとの予報が出ていた。雨の正確な時間が分からないというのは、なかなか落ち着かないものである。ノンナは何度も空を見上げていた。プラントでは、雨は定められた時間に降るものだ。まだ空は普通に青空がでているので、余計に分かりにくい。

 地球勤務の長い二人なら何時に降り始めるのか分かるのではないかと言われ、エルシェとクレトは苦笑した。MSのパイロットをやっていたので、カーペンタリア周辺の空模様なら何となく分かったりもする。だが、全く知らない土地ではどうしようもない。

 荷物をまとめて置いてある部屋からバルナバが誰かを呼ぶ声が聞こえる。ずっと晴天続きだったので、持って来たはずの雨具も荷物の中に入れっぱなしだったのだ。

「音響と照明の操作?」

 キャロラが素っ頓狂な声で言った。ヤルミラに渡された今日の予定表には、各人の配置も指示されていたのだ。彼女は不機嫌な声で、会場の専門スタッフにやらせればいいと言った。

 住民説明会の会場は島にある文化ホールで行われる。普段は、音楽や演劇などの催し物を行っている会場であり、それなりに設備の整った会場であるらしい。キャロラが指摘するのは、それを何故今になって言うのかという事だ。時間はあったのだから、会場の設備を事前に見るくらいの事は出来たはずだ。

「出来ないって言ってんじゃないの、前もって言ってくれって言ってんの」

 準備が必要な事だとは思わなかったというヤルミラの涼しげな声は、火に油を注ぐようなものだが、エルシェが諦めろという表情でキャロラの背を押した。そろそろ会場に向かわなくてはならない時間だ。

 会場は市街地にあるので、ドゥルを近くに駐機する事は出来ない。当初は上空を旋回させるという案だったのだが、説明会が長引くとバッテリーが持たない可能性がある。町外れの空き地を使うようにと連合の部隊から連絡があり、そこまで機体を回さなくてはならなかった。

 クレトがハンドルを握るスクーターにエルシェも乗る。他のメンバーが乗った自動車を見送って、機体へと向った。

「バレッタのお礼で食事に誘うって、ありだと思う?」

 クレトの耳に口を近づけてエルシェが言う。いつもより風が強めで、声が届きにくいのだ。驚いたクレトはアクセルを吹かしてしまう。スクーターが不意に速度を上げ、エルシェはしがみつくようにクレトの腰に回した腕に力をこめた。

 背中一杯に感じる体温に、クレトの声はかすれ上ずる。

「わ、悪い。俺は別に・・・・・・」

「やっぱあからさまかなぁ。クレトはどんなお礼なら、嬉しくてかつ重くない?」

「食事誘うのも、ありだと思う」

 あっという間に、ドゥルの足元に到着する。ヘルメットをクレトに渡し、エルシェは二つのバレッタを外して頭を振った。ゆったりと広がっていくクセっ毛が、更衣室代わりに使っている人員輸送ユニットの中に入っていった。

 クレトは名残惜しそうにスクーターの向きを変え、説明会の会場に向かう。彼も警備の任務に付かなくてはならないのだ。スクーターのモーターが、音もなく回転数を上げる。

 

 

 

 自動車が、文化ホール裏手の関係者出入り口に到着した時には、既に正面玄関に列ができていた。まだ開始時刻まで一時間以上あるはずなのだが、住民の関心のほどがうかがわれる。役所の担当者に先導され、とりあえず控え室に案内された。

 配布用の資料や説明用の映像素材などは準備が整っているという事で、それらの確認を求められる。ノンナとバルナバがその確認に、ヤルミラは警備会社への連絡のため席を立った。

「結構バタバタしてるね」

 遅れてやって来たクレトが、控え室に残るヘルミに言う。会場の周りには朝から警備局や連合の部隊などが配置に付いていた。目立たないようにしているようだが、それでもものものしい雰囲気は伝わっていた。

 ヘルミは警備局の担当者を呼び、持って来たトランクを開けて中の拳銃を確認する。万が一すらあって欲しくはないが、弾丸を装填しホルスターにしまった。防刃・防弾ベストを身に着け、制服に着替える。ノンナは、住民へ威圧感を与えないようにスーツで出るべきだと主張したのだが、プラントが開催する正式な行為である以上、ザフトの制服を着るのが筋だというヤルミラの主張が通された。

「銀髪ちゃん、いないのかい? まぁ、いいや、とりあえず警備の事だけど」

 控え室に顔を出したのは、連合のニッシム・サーカーだった。会場周りと内部の警備状況を報告してくれる。手荷物の検査はするが、ボディーチェックまでは手が回らないようだ。だがニッシム自身は、ここで何かが起こるとは考えていない。

 可能性をゼロと断言するほど無責任ではないが、現状の警備をかいくぐってテロを行える者が島にいるとは考えにくいのだ。

 この島は、マダガスカルやコモロ島からも500km近く離れている。電波障害の下、小型船でこの島に来るのはそれなりの航海技術が必要となる。しかも港以外は険しい崖が多く、上陸しやすい砂浜はほんのわずかしかない。当然そこは以前から警戒が厳しい場所であり、余所者が島に侵入するのはきわめて難しいのだ。

 ニッシムは警備状況の説明を終えると、ノンナがどこにいるのかを聞く。もう一つ、重要な報告事項があるのだ。

「ルルー行政官。丁度良かった」

 パッと顔を明るくしたノンナが振り向くと、いつものように制服をきちんと着たナワン・ケーターが涼しい笑顔で近付いてくる。資料を配布するために用意したテーブルの周りの人だかりをかき分けるようにして、ノンナはナワンの前に立つ。

「あの、ケーター大尉・・・・・・ノンナの事、その、名前で呼んでもらっても」

「ここではあれなので、少しよろしいですか?」

 赤くなった顔をうつむかせたまま、ノンナはナワンについて人ごみから離れた。人気のない廊下の突き当たりで、ナワンはノンナに顔を近づけた。

「ナ、ワンさん・・・・・・」

「ジーノ隊長が指摘された二人組、どちらも身柄を確保しています」

 住民説明会を標的としたテロを起こす可能性があるとヤルミラが名指しした二人は、警備局が自動車爆発事件の重要参考人として任意で確保する事も考えられていた。だが令状なしに任意での事情聴取では、6時間しか身柄を押さえられない。そこで、連合の部隊が治安維持のために有している権限を使い、昨日の昼過ぎに二人の身柄を確保したのだ。

 ヤルミラはこの場での現行犯逮捕を考えていたようだが、わざわざ危険を放置する必要などなかった。

 

 

 

 機械が並んだ専用のブースの隅っこで、キャロラはガラス越しに会場の様子を見ていた。二千人収容のホールだが満席になっているので、住民の一割が来ている計算になる。人が多すぎて急遽抽選が行われたようだ。各扉にはそれぞれ二人の警察官が立っており、客席に紛れている私服警官もいるらしい。

 ブースではホールの職員が、会場の明かりやマイク音量の調整をしている。キャロラは最初から、何もするつもりはなかった。役所の担当者の挨拶が終わり、ヤルミラ達が出てくる。

 アカデミー成績優秀者に与えられる特徴的な赤い制服の裾を翻して、ヤルミラは颯爽と舞台に上がる。ノンナとバルナバは、ザフトに出向する行政職員に与えられる青い制服だ。ノンナの制服はヤルミラと同じ裾の長いデザインだった。

「こうしてみると、ザフトの制服って子供っぽいよね・・・・・・」

 自分も着ている制服を見て、キャロラはつぶやいた。三人が舞台の真ん中に据えられた席に着き、スクリーンに配布資料が映し出される。客席からは、紙をめくる音が一斉に聞こえた。

 シティ・ハルティナは、胸ポケットの録音機のスイッチを入れる。この説明会の記録は正規の担当がちゃんと記録しているはずだが、彼女は自分の報告用に録音機を持って来ていた。連合の部隊は多くの者が警備に駆り出されているので、彼女が説明会を聞いておくように命令されたのだ。普段の彼女はMSと戦闘機の管制を担っているので、今日に関しては特に仕事があるわけではなかった。

 ダガーとスカイグラスパーも警戒に当たらせようという話もあったのだが、住民に動揺を与えかねないとして、行われていない。ザフトのMSも町外れで待機しているはずだ。

 最初の質疑応答が始まり、パラパラと手が上がる。

「まぁ、男衆が騒ぐだけの事はあるわ」

 銀髪の映えるまだ少女と呼んでも差し支えないくらいの女性は、全くにこやかではない笑顔を浮かべたまま、流れるように質問に答えていく。そんな笑顔でも様になっているのは、掛け値なしの美人だからだろう。コーディネーターはこんなのばかりだと、シティはぞっとする。

 島の住民もコーディネーターは全体的に、美男美女で統一されている。しかしそれはある種の没個性であり、似たような顔が並ぶ不気味さでもある。顔立ちを見れば生まれ年が分かるなどというジョークも、あながち間違いではあるまい。容貌の差は、親の趣味とその年の流行によって決定されるのだ。

 司会役の職員が休憩を宣言した。シティが時計を見ると、そろそろ二時間になろうとしている。時間切れで質疑を受け付けてもらえなかった人が、舞台に近付く。止めに入った職員に食って掛かり、会場の前方が少し騒然となった。

 舞台袖に待機していたクレトとヘルミが姿を見せ、会場全体に視線を走らせた。キャロラも専用ブースの窓越しに、会場の様子を探る。

 会場で警備についている人達の緊張感は一気に高まるが、職員に食って掛かった人は次の質疑応答は最初に指名すると言われて納得したようだ。会場内で不審な動きを見せた人はおらず、座席に不審物を放置して姿をくらませた人もいない。

 

 

 

 暗闇に目が慣れれば、雲間から顔を覗かせる月の光でも、足元が見えない事もない。それでも、岩場を歩いて移動するのは勇気がいった。釣り糸を垂れている人のところまで、どうやって行けばいいのだろうか。ナワンは意を決して足を踏み出した。

 昨日ザフトが開催した住民説明会は大幅な時間延長があった以外は何事もなく終了し、役所が集めたアンケートの結果からも概ね好評だった事がうかがわれる。その意図がどうあれ、行政当局同士のやり取りだけでなく、住民に対するコミュニケーションが行われた事は、結果として正しかったのだろう。ザフトの本隊が到着した後、再び説明会を開催する事も検討されている。

 ただ、ナワンには一つ気がかりな事がある。ヤルミラが、特に何も言ってこないのだ。

「確保した二人ですけど、自動車爆破についてはほぼ黒です」

 ヨタヨタと岩場を歩いてきた割には、息も乱さずにいつもの冷静な言葉遣いをするナワンに、ニッシムは感心した。彼は竿をユラユラと揺らす。ナワンが報告を続けた。

 爆発した自動車から検出された爆発物の材料が、確保した二人の家から発見されている。それだけで、二人が爆発物を作り自動車を爆破したという証拠にはならないが、拘束期間の延長くらいは出来るだろう。警備局も本格的な家宅捜索に着手する予定だった。

「説明会会場の図面や周辺の詳細な地図も出てきてるんですよ・・・・・・」

「こりゃ、銀髪ちゃんは間違ってなかったな」

 会場で逮捕すれば決定的な証拠が挙がったかもしれない、ニッシムは何人かの死人と引き換えにと付け加えて言った。ヤルミラの作戦は、そういった点が何も考慮されていなかったのだ。

 本気で、あんな杜撰な計画を実行するつもりだったのだろうか。態度は悪いが、頭まで悪いとは思えないのだがと、ニッシムは首をひねった。

「それより、基地に戻って下さい。ザフト受け入れの準備、まだあるんですよ」

「だから、こうして新鮮な海の幸をだな・・・・・・」

 ニッシムが竿を握り直す。普段とは少し違った感覚の引きに、慎重にリールを回す。餌にしていた小魚に、大きな海老がしがみついて上がってきた。二人は歓声をあげて、その海老を捕まえる。

 ガサゴソと音を立てるクーラーボックスを担いで、二人はヨタヨタと岩場を後にした。ようやく平らな場所に戻り一息入れると、ニッシムは水筒のお茶をナワンに差し出す。岩が波を砕く音だけが、あたりに響いていた。

 ナワンは乗ってきたバイクに跨り、ニッシムの車の先導をするようにその前に出る。ライトの先に人影が見えた。その人影は一瞬逃げるような素振りを見せたが、ナワンの呼びかけで立ち止まった。

「ラマ大尉じゃないですか」

 車から降りてきたニッシムが驚いたように言う。ジャージの上下にランニングシューズ、以前朝の浜辺で会った時と同じ格好だった。ランニングの邪魔をして悪かったとニッシムが言うと、ソモは構わないとだけ言って再び走り出す。

 ザフト本隊が到着した後、その部隊は今海軍部隊が使っている基地施設をそのまま使用する事になっていた。未だ200名以上が残っている海軍の部隊は、かつて警備局が使っていた古い寮にとりあえず入る事になっている。ザフトの本隊が来る当日までにその引越しを終える予定になっているのだが、色々と気苦労があるのだろう。

 気分転換でもしなくてはやってられない気持ちは、ニッシムにもよく分かった。だが、釣りに比べてランニングはやや生産性に欠けるとも思う。

「ボウズなら釣りだって生産性ゼロですよ」

 いつもの丁寧な口調で言いながら、ナワンはソモが走り去った方向に目を凝らす。車とバイクのヘッドライトに慣れた目には、真っ暗な道しか見えなかった。

 

 

 

 本隊の到着は、明日の夕方と伝えられている。連合の部隊と島の役場には連絡済で、そちらの方は準備が進められているらしい。もっとも、式典が開かれるわけでもないので、特別何かが行われているわけではないだろう。

 プラントと連合にしてみれば、アルダブラ島とダマル島の交換は、長い戦後処理の一環であり、懸案事項解決のためのモデルケースである。いわば地球圏の平和に向けた第一歩なのだろう。

 しかし住んでいる人にしてみれば、平和友好のための記念式典を開催する類の話ではない。昨日の住民説明会でも、根強い不安が残っている事を感じた。

「特にナチュラルの人は、色々と心配してたね」

「え・・・・・・? あ、うん」

 早めの夕食を終え、デッキチェアに寝そべるノンナは夕闇が広がっていく空を見上げていた。住民説明会自体は開催して良かったと言えるし、ナワンが提案したように本隊到着後も定期的にこういった事を行うべきだとも思う。

 しかし、そのための陣容が整っているとは言いがたかった。明日やってくるザフトの本隊はほぼ純粋に島の駐留守備隊であり、ノンナやバルナバのような行政職員は少ない。第二陣以降、順次行政職員や警察部隊が派遣される事になっているが、そのスケジュールは未定であった。

 しかもバルナバは本隊到着後、後任へ業務を引き継ぎ本国へ帰る事になっている。色々と心配事を話すノンナは、隣のデッキチェアにいるクレトが生返事しか返さない事に気付いた。

「聞いちゃいないよ」

 手にしたグラスはカクテルだろうか、キャロラが機嫌の良い声でノンナに言った。

「心配しなくても、連合のパイロットとのデートなんかできるわけないじゃん」

 エルシェは熱心に島の飲食店のガイドブックを見ていたが、連合のパイロットを食事に誘う事など出来るとは思えなかった。エルシェの度胸はともかく、ザフトにそこまでの柔軟性を期待してはいけないだろう。

 逆にクレトを誘うことなら、時間さえあれば出来る。いや、時間さえあればクレトの方から誘えばいい、キャロラはそう言って笑った。

「別に、そんなんじゃねぇよ」

 ノンナまで食いついてきたのを見て、クレトはそう言ってデッキチェアを降りる。二人の意味ありげな視線を背中に感じながら、室内に戻った。リビングのテーブルでは、エルシェがガイドブックを広げている。

 彼女に出会ったのは、アカデミーに入ってすぐだった。彼女に惹かれたのがいつだったかは定かではない。シンプルなバレッタを引き立てるように、色とりどりのヘアピンが髪を飾っていた。

 じっと見つめすぎたのだろうか、視線に気付いたようにエルシェが顔を上げた。その表情に「何?」と大きく浮かぶのを見て、クレトは何も言わずに自室に戻る。

 

 

 

 アルダブラ島に駐留する赤道連合海洋警備局は、中型の巡視船一隻とMS駆逐艇を三隻有している。特に、水中翼による高い機動性と対MS爆雷や高速魚雷などの武装を持つMS駆逐艇は、航続距離が短いながらも沿岸海域ではザフトの水中型MSにも十分対抗できる兵器であった。

 カーペンタリアとジブラルタルを結ぶシーレーンを抱えながら、赤道連合がザフトによる本格的な上陸作戦を受けなかったのは、MS駆逐艇を多数有する海洋警備局の存在があった。少なくとも海洋警備局はそう考えているし、赤道連合海軍がザフトの潜水艦隊に有効な手を打てなかった事も事実であった。

 そのため海洋警備局と海軍の関係も友好とは言いがたいのが、赤道連合の実態である。ナレインはダガーのカメラを望遠に切り替えた。海は穏やかな様子しか見せていない。

 警備局の船はザフトの艦を迎え入れるために出払っており、港にはダガーの他に島の各当局者が乗ってきた自動車くらいしか停まっていない。今日は昼以降、民間人の立ち入りも規制されており、漁船などは少し離れた今は使われていない古い港か、小さな入り江などに退避している。

「何か見えますか?」

 コクピットのスピーカーがナワンの声を伝えた。ダガーには接触回線用のケーブルが繋いである。ザフトから伝えられた時間によると、そろそろ到着してもいいはずだった。

 ダガーの光学センサーは何も捉えていないとの答えに、ナワンは腕組みをする。ニッシムがポケットを探ると、アイシャがあからさまに嫌な顔をした。

「外で吸う」

「自分も、ちょっと出ます。ザフトの人に時間の確認をしておきたいので」

 関係者が詰めているのは、港の灯台を兼ねた警備局の本部ビル。玄関口まで出て、ニッシムは代用タバコに火を着けた。風も無い穏やかな空に、タバコの煙がゆっくりと解けていく。

 基地では朝から、海軍の部隊が慌しく引越し作業を行っていた。出て行った端から清掃業者を入れているのだが、到着までに終わるのだろうかと思う。やってくるザフト本隊の責任者が、少し融通の利くタイプだったらいいのにと、何も見えない水平線を見つめた。

「時間、ですね」

バルナバが時計を見ながら言った。艦艇が電車のように時間通り動くわけではないが、海が荒れているわけでもないのに未だ姿すら見せないのはどういうわけだろう。ノンナは心配そうな顔をナワンに向けた。

「いえ、連合としてはスケジュールの遅延も問題ないのですが・・・・・・」

 何故ヤルミラがここに来ていないのかを、ナワンは聞く。後からドゥルに乗って港まで来るという話だったが、本隊到着の時間になっても姿を見せないのはおかしい。ノンナは振り返ってバルナバを見た。その彼も困惑した表情を見せるだけだ。

 その時いきなり、爆発音が響いた。

 窓ガラスがビリビリと震えるほどの衝撃に、ノンナが悲鳴を上げる。ナワンは彼女の頭を抱きかかえるようにして床に伏せた。

 衝撃に顔をしかめながら、ヘルミは素早く拳銃に手をかけ、ドアの脇で警戒の体勢をとる。直後に再び、大きな爆発音が建物を揺らす。

 

 

 

 ドゥルのコクピットで、エルシェは努めて冷静さを保つよう心がける。サブシートで涼しい顔をしているヤルミラは、興味も無さそうにモニター越しの景色を見ていた。ザフトの本隊が到着する時刻だというのに、まるで気にしていないようなその素振りは、全てを自分だけが知っているという態度だ。

 しかしそんな態度に、ノンナ達三人を先に行かせ自分は必要な書類を揃えて後から行くと、今朝になって言い出した時点で気付いても遅い。彼女は、ずっと前からこの日のために何かを仕込んでいたのだ。

「いい加減、教えてくれない? 港と反対方向に行く理由」

「すぐに分かるわよ」

 舌打ちを押さえて、ヤルミラが指で差しているモニターを拡大する。海面下に影が見えた。

 ゆっくりと移動していた影はやがてその動きを止め、今度はその影が段々と大きくなっていく。海面にも変化が生まれ、海が大きく盛り上がっていった。

「潜水輸送艦!? どうしてこっちに?」

 海面に姿を現したのはマウナケア級潜水輸送艦、ザフトの本隊を乗せた艦だ。港とは反対側の海に姿を現した艦は、レーザー信号をドゥルに向けて発していた。コンテナ部分の天井が一部開放され、ドゥルが着陸できるようになる。

 機体を人型に変形させ、エルシェは慎重にペダルを緩めていく。MSの着艦が想定されていない輸送艦へ降りるのは、それほど簡単ではない。最後の最後で。肩部を壁にぶつけてしまった。

 ヘルメットを脱いで、広がった髪の毛をバレッタ二つで無理矢理まとめる。早く降ろせといわんばかりのヤルミラの様子が腹立たしい。ともかく、彼女が自分達に秘密で本隊と連絡を取り、何らかの意図を持って港ではない場所で接触する事を選んだのだろう。エルシェはそこまで理解すると、大きく息を吐いて気を落ち着かせる。

 昇降用リフトがコクピットの前に着き、二人は輸送艦のデッキに降り立った。集まってきた人の一人に、エルシェは目を丸くする。

「お姉ちゃん!?」

 思わず大声を出してしまい、周囲から失笑が漏れる。顔を赤らめてうつむくエルシェの前に、黒い制服の女性が美しい微笑みを浮かべて立つ。

「ただいまご紹介に預かりました、アンシェラ・ルシエンテスです」

「ヤルミラ・ジーノです」

 促されてエルシェも自己紹介をするが、その声は今にも消え入りそうな小さな声だった。




 次回は、九日に掲載する予定です。

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