大海原の小さな島 ~アルダブラ島奮戦記~   作:VSBR

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三話  軽犯罪

 コクピットハッチを開けて、身を乗り出す。整備員の声を真下に聞きながら、記録媒体をコクピットの機械から取り出した。ダガーを動かすたびに、その全記録は抜き出され別の場所で保管・管理される。例えそれが、ザフトの機体を滑走路に誘導するために動かしただけだとしてもだ。

 MS用の格納庫は使わせてもらえるようになったのだが、兵舎にはまだ海軍の部隊が居座っている。そのため、自分達の木造兵舎に戻るには歩かなくてはならない。露天の簡易ハンガーを使っていた頃の方が楽だった。

 パイロットスーツを着替えるのも面倒で、そのままの格好で兵舎へ向かう。

「アーナンド少尉、媒体だけ預かるわ」

「乗せて下さいよ」

 ナレイン・アーナンドは、自動車から声をかけてきた女性に記録媒体を渡す。部隊の女性兵士全員がこの場に駆り出されていたため、車は既に満員だった。

 走り去る車のテールランプを見ながら、ナレインは何となく笑う。部隊が連合軍に編入され、南の島でザフトへの基地引渡しに立ち会う任務だと聞いた時は、正直不安の方が先行していた。

 彼自身は実戦経験を持たないが、大戦中の話は嫌というほど聞いている。コーディネーターに関する話も同様だ。

「聞くと見るとじゃ・・・・・・」

「ナレイン、データディスクは?」

 後ろから抱き着いてきた整備員に、既に提出済みだと答える。

「誰に? アイシャ姐さん?」

「そうだけど、整備に必要だったか?」

「違ぇよ、ザフトのパイロットちゃんの画像データとか音声データ入ってんだろ」

「メット被ってたよ」

 整備員の女性とその護衛の女性を相手にさんざん騒いでいたのに、まだ足りないらしい。不満を漏らす整備員が、班長に怒鳴られて持ち場に戻った。エルシェ・ルシエンテスというザフトのパイロットの写真なら、ナレインは既に手に入れていた。彼は軽く手を振って、兵舎へと足を向ける。

 そんな兵士達の騒ぎを知っているため、ニッシム・サーカーも手立てを講じないわけには行かなかった。副官のナワン・ケーターは、いつものように折り目正しく彼の傍らに立っている。

 格納庫から戻ってきた五人の女性兵士達が、執務室に集められていた。ナワンが涼しい声で言う。

「ご苦労様でした」

「もっと、心の底から言ってくれませんか?」

「そう思うだろ、アイシャちゃん」

 ファーストネームはやめろとニッシムに言ったのは、アイシャ・アンウォー。部隊の資金管理などを行う会計科の責任者だ。長い三つ編の毛をいじりながら、ニッシムを睨む。250名弱の部隊で女性はこの五人のみ。全員が部隊の後方に所属している。

 ザフトから格納庫の使用を打診された時、ニッシムはそれほど考える事無く申し出を受けた。そもそもこの基地自体、ザフトに引き渡すものだ。MSを持っていないのにMS格納庫を自分達に使わせない海軍に対しても、いい当て付けになると思った。そんなニッシムの考えの軽さを指摘したのが、アイシャだったのだ。

 相手はコーディネーターといえ女性である。狼の群れに羊を放すとは言わないが、いかに狼とはいえ羊の群れを二人で蹴散らす事は出来ないだろう。不慮の事態など、起きてはならないのだ。

「あの騒ぎですからね。アンウォー中尉の危惧は正しかったと思います」

「銀髪ちゃんとロリっ娘がこっちに来たら、たまったも・・・・・・」

「そういうオヤジが一番嫌われるんだよ」

 女性兵士のさげすむような視線に言葉を止めたニッシムに、辛うじてフォローを入れてくれたのはコー・ギョクチュウ。食堂のおばちゃんと呼ばれているが、食事などを担当している糧食科の人だ。

 しかし、今後ザフトの本隊が到着し、自分達の撤退が完了するまで、ザフトの兵士と連合の兵士が接触する機会は増える。そのたびに、こんな騒ぎを起こすわけにもいかなかった。

 ナワンは、現在部隊に出している外出の自粛を取りやめる事を提案する。娯楽も何もない基地に閉じこもっているのが一番の原因だというのだ。

「分かってんだよ、それは」

 街に出れば遊ぶ場所はあり、兵士達のストレス解消も可能だろう。それを自粛という形で制限していたのは、海軍とのいざこざを避けたかったからだ。

 ニッシムの率いる部隊は、連合が編成した軍に赤道連合から編入された部隊である。元々この島に駐留していたのは赤道連合の海軍部隊であり、この二つの部隊の関係ははなはだ微妙なものであった。

 街の飲み屋で双方の兵士が酔っ払い、喧嘩沙汰でも起こせば大問題となりかねない。そのため、可能な限りトラブルを起こす可能性を低めるために、自分の部隊の兵士には基地からの外出の自粛を求めていたのだ。

「門限は厳しくしておくとか、徐々に自粛を緩和していくしかないでしょうね」

 その詳しい内容はナワンに一任した。ニッシムは手帳を開いて、明日以降の予定を確認する。

「あとさ、ザフトとの会合に、女の子もついて来て欲しいんだわ」

「多分、ザフトとのトラブルを起こすのは中佐ですよ」

 アイシャは、あらん限りの呆れた声でそう言った。フレンドリーと言えば聞こえもいいが、ニッシムは基本馴れ馴れしい。権限を持つ立場の重みを、いまいち分かっていないのではないかと思う。

 自分達は、いい加減慣れてもいるし、諦めてもいる。だがザフトの人にそれを求めるのは酷な事だ。ハラスメント予防の小冊子がどこかに無かっただろうかと、アイシャは仕事場の引き出しの中身を思い出していく。

 

 

 

 芝生の手入れというのはどうすればいいのだろう、そんな事を考えながらデッキチェアに横たえていた身を起こす。まだ朝も早い時間だが、晴天の空は十分に明るい。まだ気温が上がっていない空気は、爽やかさをはらんでいた。ヤルミラ・ジーノは傍らのテーブルに乗せてある映像端末に手を伸ばす。

 Nジャマーによる電波障害の影響は甚大である。だが地球においては有線網が発達している事もあり、このような島でもカーペンタリア発の放送を受け取る事ができる。コーディネーターとナチュラルの間にある相互不信を解消するために、また地球に住むコーディネーターにプラントの政策を伝えるために、カーペンタリアでは情報の発信に力を入れていた。

 番組の予約さえしておけば、いつでも好きな時に目当ての番組が見られるのだが、ヤルミラはわざわざリアルタイムでの視聴を心がけていた。テキストを取り出し、放送に耳を傾ける。

「邪魔したら怒られるよ」

 寝起きの顔のまま庭に出ようとしたエルシェを、ノンナが注意する。彼女はバルナバと一緒に、届いた新聞のチェックをしていた。この島で定期購読できる新聞は全て取っているのだ。情報収集の基本である。

 朝食当番のキャロラが差し出してくれた牛乳を一息に飲み干すと、エルシェは顔を洗いに行く。顔はスッキリしたが頭は爆発したままのエルシェが、ダイニングの席に着いた。朝食はヤルミラが番組を見終わってからだ。ノンナがチェックを済ませた新聞を手に取るが、面白そうな事は書いていない。

「あの子、毎朝何見てるの?」

「大学の放送講座よ、何とかって先生の哲学講座」

 ヘルミが教えてくれた。真面目よねと言う彼女の言葉には同意するが、きっとヤルミラと分かりあう日は来ないだろうとエルシェは思う。ヘルミはエルシェの頭を触り、シャワーも浴びてこいと言った。

 広すぎて、少し落ち着かない浴室。大きな窓が付いていて海まで見えるため、さらに広く感じる。スイッチを入れて窓をスモークにした。シャワーの音が浴室の広さを引き立てるように響く。昨日、キャロラが話していた怪談を思い出し、明るいというのに背後を振り返ってしまった。

 何かと目があう。いや、人と目があった。

 エルシェは悲鳴を上げる。咄嗟にシャワーの温度を上げ、そちらに向けた。

「どうした!!?」

 その声を聞いて浴室に飛び込んできたクレトに、エルシェはもう一度悲鳴を上げる。キャロラとノンナが彼を押しのけ、タオルを持ってきてくれた。

「覗き、覗きがいたのよ!!」

 浴室には大きな窓の他に、二つほど窓がある。どちらのガラスも透明ではないが、十センチほど開ける事ができた。開いていた事に気付かずシャワーを浴びていたらしい。そこから、誰かが覗いていたのだ。

 クレトとヘルミが表に回ってみたが、不審者を見つける事は出来なかった。落ち込んでいるエルシェを見ながら、ヤルミラが警備体制の強化を提案した。コーディネーター住民の中には警備員を雇っている人もいるので、別荘周辺の巡回などを頼める人がいないか聞いてみるという。

「いや、そこまで大事?」

「ルシエンテスさん、あなたは被害者なんですよ」

「ま、お尻くらいは見られたかもだけど。でもクレトにがっつり見られた方がショックなのよね」

「不可抗力だ」

 そんな二人のやり取りに、ヤルミラはため息を堪える。これは、単なる覗きで済む話ではない。自分達は、プラントを代表してこの島に来ている。ここはザフトが買った別荘ではなく、プラントの大使館に等しい場所だ。この件は極端な話、プラントの主権が不当に侵されたという事である。

 本来なら、プラントを通じて連合に正式な抗議を行うべきところであろう。だがそれでは、現地の対応能力の無さを露呈する事にもなる。臨時の報告ではなく定期報告での記載に留め、こちらで対策を講じた方がいい。

「警備でしたら、現地の警察か連合軍に要請するべきでは? 引渡条約の中にはこういったケースにおける条項が・・・・・・」

「連合を過信するべきではありません」

 ノンナの提案をヤルミラは取り合わない。むしろ、この件を口実に連合が自分達の行動に制限を加えてくる可能性をも考慮に入れておかなくてはならない。

「ジーノ隊長は、この件を単なる痴漢だとは考えていないという事ですか?」

 食い下がるようにノンナが聞く。声は子供のようだが、その言葉は硬くヤルミラを探るような口調だ。そして、聞こえなかったふりをするヤルミラの態度は、そのまま質問に対する答えだった。

 実際に事件が起きている以上、ヤルミラの言う事を無視する事は出来ない。だが、そのあからさまな敵対姿勢を良いものだという事も出来ないと、皆感じていた。

「その、覗かれていいってわけじゃないけど、こういう事はカーペンタリアでもあったよ。だから別に、特別な事じゃないっていうかさ」

「そういう態度が、次の被害者を生むんです。それは、あなた以外の人かもしれない」

 エルシェは聞こえるように舌打ちをする。正論だけに言い返せない。ただ、視線のぶつけ合いからは逃げなかった。ヤルミラが逸らした視線は、誰の視線とも絡まない。

いきなりキャロラが手を叩いた。

「冷めちゃったけどさ、朝御飯にしようよ」

 

 

 

 島の港は、漁船と個人用クルーザーなどが使用している区画と、定期連絡船の着岸と海洋警備局が使用する区画に分かれている。普段なら警備局の巡視船とMS駆逐艇が停泊している場所に、大きな船が停まっていた。定期連絡船よりも、ずっと大きな船であったため、場所がなかったのだ。

 ハッチが開けられ、トラックなどの出入りが出来るように準備を整えられている。港の隅にはダガーが立っており、船の様子を見守っていた。だが港は静かであり、船に出入りする人も車もまばらであった。

「言ってた通りだな」

 港から少し離れた場所からそれを見て、ナレイン・アーナンドはつぶやいた。ラフないでたちでオートバイに跨っている彼は、もう少し近づいてみるかどうか考える。別に警戒しなければならない相手ではないが、彼らの部隊と港で作業をしている海軍の部隊は仲が良い訳ではない。

 もともとこの船は、海軍部隊の撤収のために派遣されるはずだった。大きな船が来たのも、大型機材を積み込むためである。だが海軍は、民間人の移動を優先させたいと言ってきた。

 島がプラント統治となりザフトが進駐してくるという事で、赤道連合本土に戻る人達がいるのだ。警備局や役場の関係者、その家族を中心とした人達が主で、プラントやザフトに反発して出て行くという人はそれほどいない。

 島の引渡条約では、地元住民の移動は三年の間は自由が保障されるものとされ、引越しその他が負担とならないよう配慮もされている。この日に民間人が一斉に移動するわけではないので、海軍の申し出は意味不明なものだ。

 海軍部隊の撤収を先延ばしにするための言い訳である事は明白だが、民間人優先という建前を突き崩すのは容易ではない。連合本部が赤道連合海軍の部隊に直接命令を出せるわけは無く、海軍部隊の撤収はズルズルとその予定を延ばしている。

「早く出てってくれないとさ」

 いつまでもボロ兵舎から動けないとナレインはぼやく。その上、ザフトの本隊が到着すれば、余計な軋轢を生む事になるだろう。ヘルメットを被ったナレインは、港の岸壁に人影を見つけた。

 パイロットなので、目には自信がある。その人影は、見覚えのある女性だった。オートバイのモーターをそろそろと動かす。

「ルシエンテスさん!」

 呼び止められたエルシェは、満面の笑みを浮かべる。薄い褐色の肌に、彫りの深い整った顔立ち、それでいてどこかあどけなさを感じさせるような表情のナレイン・アーナンドが、オートバイを寄せた。

 ダガーが立っているので任務中だと思ったとエルシェが言う。ダガーは四人のパイロットがローテーションで乗っていて、今日は非番なのだとナレインは答えた。

「ルシエンテスさんはお一人ですか?」

「エルシェでいいですよ」

 そう言って彼女は、ナレインの問いをはぐらかした。本当は一人での行動など許されていない。だが今朝の事で何となく苛立っていたので、哨戒飛行を終えてから一人で島を歩いていたのだ。

 彼とこうして出会えたのなら今朝の出来事も帳消しだと、エルシェは微笑む。不思議そうに微笑み返してくれたナレインが、彼女がこれから宿舎に戻るのであれば送ると申し出てくれた。

 心の中でありがとうございますと叫び、小さくガッツポーズをする。それでも口では遠慮がちに言った。

「せっかくのお休みに、アーナンドさんのご迷惑には」

「僕もナレインでいいですよ」

 ヘルメットの顎紐を締め、エルシェはオートバイの後ろに跨る。流石に密着は出来ないが、彼の腰に手を掛けた。静かに動き出したオートバイは、港に背を向ける。

 夕方と呼ぶにはまだ早い時間で、町中はそれほど混みあっていない。静かに唸るオートバイのモーター音もよく聞こえた。エルシェが尋ねる。

「ナレインさんは、この島に来てどれくらいなんですか?」

「まだ一年くらいですよ、僕らの部隊が到着してから」

 MS部隊といっても、ダガーが一機にサブフライトシステム用のユニットを取り付けたスカイグラスパーが一機しかない部隊。隊員も、訓練を終えたばかりの新兵が中心だ。連合軍という肩書きは付いているが、赤道連合陸軍の後方予備部隊から選抜編成された部隊だった。

 任期は延長されても三年、若者が多いため家族連れも少ない。比較的近い年代の隊員で構成され、家族から遠く離れての集団生活である、どこか全寮制の学校のような雰囲気の部隊となっていた。隊長があの通りの人だからと、ナレインは笑う。

 本当なら海軍の部隊と入れ替わる形で島に駐留する予定だったのだが、と言ったところで口をつぐんだ。これに関しては、あまり話さない方がいい事なのかもしれない。彼は、話題を変えるように聞く。

「エルシェさんは、いつまで島に?」

「私は、本隊が来ても戻らない事になってるんで、しばらくはいると思います」

 先遣隊のメンバーでは、単身赴任のバルナバだけが本隊到着と入れ違いでプラントに戻る予定だった。引渡交渉に問題がなければノンナも戻る予定だが、彼女は問題なく済むとは思わないと言っている。

 ザフトと連合の間でどのような会合が行われ、何がどれくらい進んで進んでいないのか、パイロットであるエルシェには分からないし、そういう事を知る必要のある立場でもない。しかし最初に聞いた話では、ほとんどの問題はずっと上の方で決められているとの事だった。

 パイロットであるナレインも同じ立場だろうから、何が話し合われているかを聞いてみようとは思わない。そんな話題が、彼との距離を縮めるために役立つとも思わなかった。

 エルシェは別の話題を振った。

 

 

 

 連合加盟各国は、コーディネーターとナチュラルの間に生じる問題を解消するために、様々な施策を行っている。しかしそれは、基本的にナチュラルのために行われるものであった。

 プラントはコーディネーター移民の受け入れを積極的に進めているが、地球に住むコーディネーターがプラントに抱く思いは、単純なものではない。プラントとの戦争で犠牲になったのは、地球に住むコーディネーターも同じだ。

 遺伝子改変技術の公開は人類の行動に不可逆的な変化を与え、今後もコーディネーターは生まれ続けるだろう。戦争の影響が存在しようとしまいと、ナチュラルとコーディネーターの能力差は歴然であり、それが両者の軋轢を生む事は当然である。だから、生まれたコーディネーターをどのように遇するかに、各国は頭を悩ませ続けなくてはならない。

 ヤルミラ・ジーノの表情は、まさにその各国の苦悩を象徴するものなのだろう。一旦休憩となった会合の席を外し、廊下の隅の窓際でニッシム・サーカーは代用タバコを咥える。そろそろ雨が欲しいなと思わせるほどに晴天だ。

 赤道連合はもともとコーディネーターの数が多くなく、他の連合加盟国のように様々なコーディネーター政策を採用しているわけではない。無論、それらが不要だという訳ではないが、緊喫の課題でない事は確かだ。

 この島では例外的にコーディネーターが住民の多数を占めているが、本土から遠く離れているため、赤道連合政府も特別区として広範な自治を与え、事実上放置していた。結果、この島のコーディネーターは赤道連合にとりたてて悪感情を持つ事もなかった。

「その辺の機微は、分からんだろうよ」

 ニッシムとて、島の住民の本音など分かったものではない。だが、プラントからやって来た銀髪の少女よりは、人生経験を多少積んでいる。分からないという事くらいは、分かっている。

 彼女と一緒に来ていた男性事務官の方は、その辺を弁えているのだろう。ひたすらに、事務処理として書面と形式を整える事に専念していた。ニッシムは窓から身を乗り出して煙を吐き出す。携帯灰皿に吸殻を入れたところで、その男性事務官が申し訳ないと駆け寄ってきた。

「必要書類が届くまで、もう少し待ってもらえませんか?」

「いいですよ、どうぞどうぞ」

 会合の再開は銀髪ちゃんの不機嫌声から始まるなと、ニッシムはもう一本代用タバコを取り出しながら思う。会議室からは、警備局の課長や役場の担当者がぞろぞろと出てくる。少し早めに昼食かと彼は火を点けるのをやめて、一緒に来ていた副官たちを探す事にする。

 その副官は基地に電話をしていた。届けてもらう昼食が出来ているかどうかの確認だ。届ける時には車一台以上は絶対に出すなと釘を刺しておけと、アイシャ・アンウォーは電話中のナワン・ケーターの後ろから言う。

「一番人気じゃないっての」

 アイシャはトイレの洗面台で思わず毒づいた。ナワンの慇懃なだけの声は、苛立ちを増幅させる機能でも付いているのだろう。ニッシムに言われて会合に付いて来た彼女は、釣り上がっている目尻を押さえる。

 ニッシムが言うには、プラント側との会合の場に女性がいた方が、向こうも緊張せずに済むだろうとの事だった。ニッシムの馴れ馴れしい態度が、ザフトの女性に不快感を与えているようなら問題である。アイシャはそう思って、会合に付いて来た。

 だが相手の女は、連合との会合に緊張するような少女でもなければ、馴れ馴れしい中年に困惑するような乙女でもなかった。自分をタフネゴシエーターと勘違いし、一から十までこちらを疑ってかかる態度だ。

 それ以上に腹立たしいのは、そんな女にあやすような態度で接する男共だった。バルナバ・ファン・デル・リンデンと名乗ったプラントの事務官が、好みの見た目だったのだけが幸いだ。

 後ろを通った女性と鏡越しに目があった。

「昨日は、ご迷惑お掛けしました」

 その女性が挨拶する。口元に微笑を浮かべて丁寧に頭を下げるのは、ヘルミ・キーデルレン。ザフトの護衛の女性だ。昨日はMS整備員の警護のために基地に来ていた。アイシャも慌てて挨拶した。

「いえ、こちらこそ色々と失礼な事を」

 こっちが交渉担当者なら良かったのにと思える女性だ。年齢も交渉担当の女よりずっと上だろう。護衛というのも納得の体格だが、その物腰は柔らかくとても女性的な人だ。

 しばらく無意味に挨拶を繰り返し、二人で笑い合った。立場は違うが、何となく同じような苦労をしているのではないかと思う。アイシャは、島の生活で困った事はないかと聞く。

「あ・・・・・・いえ、別に大丈夫です」

「何か?」

 変に言いよどんだヘルミに、アイシャは再度尋ねる。ヘルミはしばらく考えた後、内密に出来るだろうかと聞く。アイシャは首を縦に振った。だが、ヘルミの話す今朝の話は、内密に済ませていいかどうか分からない話だ。

 同じ女性としてデリケートな話題だという事は理解する。だが、事と次第によっては軽犯罪では済まない問題だろう。責任者には話を通して構わないかどうか確認して、アイシャはニッシムを探した。

 基地から昼食を届けに来た車はトラックで、しかも荷台には隊員を満載していた。未だ写真の入手ができない、ザフト先遣隊の銀髪美女を見に来た連中だ。アイシャは、ヘルミから聞いた話が大問題に発展する可能性を大いに危惧する。

 

 

 

 大々的なリゾート開発はしていないが、この島はユーラシア領だった頃から別荘地として知られていた。赤道連合の統治下に入った後も、高級な別荘が建ち並ぶ区画がいくつか作られている。ザフトが宿舎代わりに買ったのも、そんな区画に建っている別荘だ。

 町中ならまだしも、こういった場所には足を運ぶ理由もないので土地勘もない。ナレインはオートバイの速度を落として、エルシェの指示を聞きながら道を曲がる。シーズンから外れているためか、どこの別荘も静かだった。

「あれです! あの木の角を曲がって下さい」

 かすかにブレーキを軋ませて、オートバイが停まった。後ろに座っていたエルシェが声を上げ、ナレインは何事かと振り返る。ヘルメットを取った彼女の頭の上で、髪が大きく広がっていた。髪を留めていたバレッタが、壊れて弾け飛んだのだ。頬を赤らめながら広がった髪を押さえている彼女に、彼は転がっていたバレッタを拾って手渡す。

 彼女の声に気付いたのだろう、宿舎から人が出てきた。男性が怪訝な顔をしながら近付いてくる。エルシェの名を呼びながらも、切れ長の目の中に光る黒い瞳はあからさまにナレインを警戒していた。

 庭を囲う低い柵に取り付けられた出入り口の扉が慎重に開かれる。

「誰だ? ここは・・・・・・」

「連合のパイロットの人。送ってくれたのよ」

 クレトの誰何を遮るようにして、エルシェはナレインを紹介する。ナレインが差し出してきた手に申し訳程度の握手を返すが、クレトはエルシェの手を引くようにして彼女を、扉の内側に引き入れた。

「うちの隊員を送ってくださった事は感謝します」

「ちょっと、クレト」

 彼が閉めた扉をもう一度開けようと、エルシェが手を掛ける。同時に、けたたましいベルの音が鳴った。

「設定中なんだから、下手に動かすなって言ったでしょ!!」

 キャロラの苛立った声が宿舎の中から聞こえる。しばらくしてベルの音は鳴り止んだが、三人の間の空気は気が削がれたように弛緩していた。エルシェはとりあえず、何の音なのかを聞いた。

 防犯ベルだよと答えるクレトに、ナレインが理由を尋ねた。しまったという感じで口をつぐんだクレトに、責めるような視線を一瞬向けたエルシェは、今朝の出来事を適当にぼかした上で答える。ナレインが表情を厳しくした。

「ほんと、そんな大事じゃないんです」

「ホームセンターの防犯セットで十分ですから」

 二人の言葉に、ナレインはそれ以上の追求はしなかったが、これはきちんと報告すべき問題だと思った。表情を緩めて二人に別れの挨拶をすると、オートバイのモーターを始動させる。

 ナレインが軽く手を挙げてオートバイを発進させる。エルシェが一言声を掛けようと柵から身を乗り出すと、再び防犯ベルが鳴った。宿舎の中では、キャロラが怒りを爆発させたような声を出している。エルシェはがっくりと肩を落とした。最後の最後で台無しといった感じだ。

 恨めしそうにクレトを見ると、彼の表情も不機嫌なままだった。それでも彼女は、一言文句を言う。

「あんな態度なくない?」

「お前の方がねぇよ」

 俺一応護衛って事になってんだぜと、クレトが言う。一人でふらふらと出歩いた挙句、連合の兵士と接触するなど、何か問題が起きてからでは遅いのだ。今朝の事もある、警戒するに越した事はない。ヤルミラの肩を持ちたくはないがと前置きして、彼女と同じような事を言う。

 ノンナの提案で、とりあえず宿舎の周りに簡易の防犯センサーを張り巡らせたのだ。リビングの隅でコントロールパネルを設置しているキャロラが、感度の設定がいまいちだと文句を言っていた。

 エルシェは疲れたような声で、シャワーを浴びてくると言う。キャロラが私もと言って浴室に向かった。

「ちゃんと窓閉めてね」

 ノンナはそう声を掛ける。本隊が到着するまでの数日間、何事もなければそれでいい。彼女はリビングの窓を開ける。今日は一日この宿舎にいたのだが、人影は数えるほどしか見なかった。車もほとんど通っていない。

 今のところ近くの別荘に滞在している人はおらず、管理人が時々見回りに来るだけなのだそうだ。窓の外から聞こえてくるのも、海と風の音だけだ。

 心配のしすぎはかえって良くない、ノンナはそう思う事にする。彼女たちザフトの先遣隊が島に来ている事、そしてこの別荘を宿舎として使用している事は、それほど多くの人間が知っているわけではない。隠されている訳ではないが、報道されている訳でもなく、島のローカルニュースにも載っていない。

 シーズンオフの別荘を狙う空き巣、バカンス時期でもないのに人がいる別荘に興味を引かれただけの野次馬、人気のない別荘地を探検する子供。可能性はいくらでも考え付く。ザフトを狙った犯行だとすれば、今朝の出来事はあまりにもお粗末だ。

 だからノンナは、ヤルミラのように連合が組織だって何かを目論んでいるとは考えない。連合軍が島のテロ発生件数を出さなかったのも、それが軍ではなく警察の管轄だったからからだろう。

「資料、すぐ手に入るかな」

 近年のブルーコスモスの活動状況について、連合が何かの白書で詳細な分析をしていたと記憶している。ノンナはその白書の名前を、記憶の中から探す。

 レクイエム戦役の前後、プラントが仕掛けたプロパガンダで、ブルーコスモスはその組織を弱体化させていた。しかしその過激な遺伝子イデオロギー自体は消えず、通信ネットワークなどを通じてそれに触れた個人が個別にテロ活動を行う例が増加しつつあるという。

 キッチンに立つクレトの鼻歌に、ノンナは歌詞を口ずさむ。目当ての資料は、夕食の後にでもカーペンタリアに頼めばいい。




 次回は、五日に掲載します。

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