大海原の小さな島 ~アルダブラ島奮戦記~   作:VSBR

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二話  イイ人

 車を止めて外に出る。手をかざして見上げる先には、青空を背景に立つMS。動かせる状態かと思ったら、まだ整備中だったようだ。高所作業車が、頭部の高さまで上げられていた。

 だが、作業車のゴンドラと機体の頭部の間には、微妙な隙間が開いている。もう少し近づかないと、センサー類の点検は出来ないだろう。ゴンドラの上から、イラついた声が聞こえてきた。頭上から呼びかけられ、機体を見上げていた女性も言い返す。

「エルシェ! やっぱ立ったままじゃ無理」

「やっぱりか・・・・・・どうすんの今日?」

 哨戒飛行程度でセンサーは壊れないから今回はそのまま行けと、ゴンドラの上の整備員が言う。そのMSのパイロットは肩をすくめながら、ヘルメットをパイロットスーツに取り付けた。

 ゴンドラから降りてきた作業着姿の女性が、ヘルメットを脱いで頭を振る。男のような短い髪に、汗が輝いていた。作業着の上着を脱いでタンクトップ姿になると、パイロットの女性が手渡した水筒の蓋を開けて中の水を被る。汗と水でべったりと体に張り付くタンクトップは、それほどメリハリの目立たない体をも際立たせている。

 コクピットに上がるためゴンドラに乗り込んだパイロットは、もう一度水を被っている女性に声を掛けた。

「キャロ・・・・・・もうちょっと、目立たないところでやんなよ」

「全裸にならないだけ、自制してるのよ」

 MS整備員のキャロラ・シマは、頭から水を滴らせながらスポーツドリンクの入った水筒を傾けている。南の島の炎天下でMSの整備などをやっているのだ、受け答えに疲れと棘が入るのは致し方ない。

 それはキャロラ自身も分かっている事だろう。バツの悪そうな顔をしながら、もう一つの水筒をパイロットに渡す。

 モーターの音を隠す事無く、ゴンドラが上がっていく。そのアームには、この作業車を貸してくれた工事会社の社名がペイントされていた。MS整備の専用車などではなく、ただの民間車両だ。

 MSのコクピットに入って、計器類を確認する。ハッチを閉め、メインモニターとディスプレイを起動させ、表示される文字と数字を読んでいく。キャロラが作業車を移動させたのを見て、スラスターを起動させた。管制官がいるわけでもないが、パイロットの習慣として、一言告げる。

「エルシェ・ルシエンテス。ドゥルで出ます」

 近くの椰子の木を揺らしながらMSは飛び上がると、上空でその形を扁平な航空機状に変える。サブフライトユニットに可変機能を持たせ、限定的なMS戦闘を可能とした機体・ドゥルだ。現在はサブフライトシステムとしての運用はされず、その余剰推力を生かした垂直離着陸機として使用されていた。

 一日一回はこの機体で島の上空を哨戒飛行するよう、エルシェは命じられている。特に連合の基地と港湾施設は重点的にデータを集めるようになどと言われているが、この行為に何の意味があるのかサッパリ分からなかった。

 どうせ今日も、釣り人の姿が画像データとして保存されるだけであろう。片方のペダルを踏み込んで、機体を大きく傾ける。島の名前は、アルダブラ島。何の変哲もない南の島だ。

 

 

 

 アルダブラ島。インド洋の西の端、マダガスカルの北側に浮かぶ島である。旧世紀は島ではなく環礁であり、希少な自然環境の保護区に指定されていたそうだ。だが、旧世紀に一度、そしてコズミック・イラの初め頃に一度、大きな隆起活動があり、さらに地球全体の寒冷化に伴う海面水位の低下と相まって、島となった。

 その後もしばらくは環境保護のための専門家の滞在や、漁民の小規模な移住が行われるだけの島であった。しかし、地球各地でコーディネーターとナチュラルの軋轢が生まれる様になった頃から、様子が変わってきた。

 ユーラシア連邦を構成していた国の海外領土だったため、コーディネーター排斥が強まるにつれ、ヨーロッパからのコーディネーター移民が増えてきたのだ。今では、二万人弱の人口のうちの半分以上がコーディネーターや、そのハーフである。

 島がユーラシア連邦から赤道連合に割譲されたのは、このコーディネーター移民がユーラシアに戻ってくる事を阻止するためだと言われている。しかし現地では、コーディネーターとナチュラルの間に目立った混乱や衝突は無く、大戦中も主戦場から遠く離れていたため、比較的平和な状態が保たれていた。

 自給自足に近い農漁業と、わずかに観光業も行われているが、島に大きな産業はない。そんな島を支えているのは、コーディネーターであった。

 コーディネーターとナチュラルの不幸な歴史の中で、コーディネーターの多くはプラントへの移住を余儀なくされた。そんな中、地球に残る事の出来たコーディネーターは、地球に大きな基盤を有する資産家が多かった。つまり、この島に暮らすコーディネーターの多くは、お金持ちなのだ。彼らを通じて、島の経済は回っていた。

 利子や配当金、その他様々な運用益が島のコーディネーター住民の生活費となり、それが島に存在する様々な商店や会社の売上を支え、雇用を生み出している。この島とカーペンタリア近傍のダマル島との交換条約の際、最も問題となったのがこの島の住民の資産であった。

 住民への課税方式は赤道連合が行っていた方式を維持する事、資産運用等に制限を加えない事など、経済活動については従来のやり方を変更しない事が求められた。他にも、島の行政に関する取り決めや定期連絡便に関する約束など、プラント側に出された要求は多い。

 プラント側の建前としてはコーディネーター住民を保護するというものであるが、現地の人にしてみれば特に問題も起きていないのに大きなお世話といったところなのであろう。交換条約の締結からザフトの派遣まで一年近く掛かっているのだが、そういった点を含めて、現地との齟齬が大きかった事が原因であった。

 そして、それら机の上での議論がようやくまとまり、ザフトの先遣隊が派遣される運びとなったのだ。本隊は一週間後にカーペンタリアを出発する予定となっていた。

 それまでの細かなスケジュールが、会議室のスクリーンに映し出されている。

 

 

 

 軍用の無骨な車と普通の乗用車が居心地悪そうに駐車場に並んでいるのを見て、きっと会議室でもこんな感じだったのだろうと笑う。リアハッチを開けると、積んだはずの釣竿とクーラーボックスがない。

「ナワンちゃん・・・・・・」

「まだあちらの目があるんですから、ファーストネームはやめて下さい。サーカー中佐」

 折り目正しく車に乗り込んだナワン・ケーターは、そう言ってキーを回す。隣の乗用車の運転手に会釈をして、車を発進させた。麦藁帽子を被ったニッシム・サーカーは、助手席の窓を開けるとつまらなそうに代用タバコを咥える。

 せっかく覚えた趣味を忘れてしまいそうだとぼやくニッシムに、ナワンは早く仕事を終わらせればいいという。そして指を上に向けた。

「向こうの子は、真面目に仕事してますよ」

 ニッシムが窓から乗り出すように空を見上げると、扁平な形の航空機が上空を飛び去っていくのが見えた。毎日、ああやって島の上を飛んでいる。パイロットはずいぶん若い女の子だったはずだ。

 いや、先ほどまで打ち合わせをしていた、ザフトの先遣隊の責任者も同じように若い女の子だった。銀色の髪に少し大人びたメイク、居丈高な振る舞いさえなければ可愛らしさもあるのにと思える少女だ。副責任者の子にいたっては、身長も顔立ちも髪型も声も、全てが子供だった。小さい方の女性は青服を着ていたので、ザフトではなくプラント行政府から派遣された人ですねと、ナワンが言った。

「女性・・・・・・まぁ、女性だわな」

「中佐、まかり間違っても女の子とか言っちゃダメですよ」

 下手したら国際問題になりますから、真面目な顔でナワンが言う。

基地のゲートは、詰めている兵士が自部隊の者に代わっているので、顔パスで通れるようになっていた。だが、車が向かう先は小さな木造の兵舎だった。車から出ると、部下がさっと敬礼をする。

 昨日は、ザフトの女性の写真は手に入れたかとか、次は自分を連れて行けなど、大騒ぎをした部下が、今日は真面目な様子である事にニッシムは渋い顔をした。駆け寄ってきた部下の報告を聞いて、足早に執務室に戻る。

 兵舎に届いていたのは一通の声明文であった。アルダブラ島のプラントへの引渡に反対する旨を記してあるその声明文は、差出人にブルーコスモスを名乗っている。

「海軍には?」

「報告はしています」

 語尾に含みを持たせるような言い方だったが、あえて続きは聞かなかった。そちらの方は自分で直接対処する事とする。

 そもそも、このような事態は事前に予測されていた事であり、そのための対応策も複数準備されている。余程致命的なミスでもしない限り、何の問題もなく対処できる。連合本部も、こんな小さな島で国際問題を引き起こしたいとは思っていない。十分な支援も受けられるはずだ。

 それでも、しばらくは釣りを楽しむ事もできないかと、ニッシムは努めて明るく言ってみた。

 

 

 

 慣れるまでは、手動変速機を操作するたびに車をガタつかせそうだ。内燃機関特有の振動を感じながらクラッチペダルを踏み込む。四速には上手くつながった。食用油の廃油を精製して作る軽油で動く自動車、内燃機関の車など地球でも珍しいのだそうだ。島にあるコーディネーター住民の互助組織が、何でこんな車を貸してくれたのかは分からないが。

 バックミラーで後部座席を見た。銀髪の下の厳しい表情をもったいないと思う。傍目から見ても、この隊長が任務に対して気負いすぎているのが分かる。隣に座るツインテールの子供のように、気楽な態度は取れないのだろうか。

「何ですか、スタイナー隊員」

「いえ、そろそろ着きます」

 車を運転しているのは先遣隊の護衛を務める一人、クレト・スタイナー。彼は、車の運転に意識を向ける。宿舎としている町外れの別荘ではなく、島の港に到着した。整備された港湾施設があるのは、ここだけだ。

 沖合いで漁を行う漁船と定期連絡船、そして赤道連合の海洋警備局の船舶が停泊している。海洋警備局は、島の警察機構も担当していた。本部は灯台を兼ねた大きな建物である。

 管理している港湾を含め、軍の施設よりも立派な設備が整っている感じだ。ツインテールの子供が、可愛らしい声で問いかける。

「降りないんですか、ジーノ隊長」

 付近に不審な人影はない。向こうに見える市場も今日の取引は終わったのだろう、閑散としている。しかし、ヤルミラ・ジーノは警戒を緩めていなかった。プラントと連合の関係改善は表面的なものであり、ナチュラルのコーディネーターに対する感情は何ら変わっていないのだ。

 先遣隊の任務として、この港湾施設の詳細な情報を手に入れる必要はある。だが、軽々しい行動は取れない。ヤルミラは、車をゆっくりと走らせるよう言った。上空からの映像と合わせて分析できるよう、カメラも用意させる。

「ノンナはこっち側を撮るんですね」

 カメラを窓の方に向けながら、副隊長の女性が言う。子供のように自分の事を名前で呼ぶノンナ・ルルーは、先遣隊の中でも最年少。だが、プラントの中央行政府職員になるための一級行政府試験を、三級・二級を経ずに一発合格した俊英だ。見た目も声も子供そのものであるが、先ほどの会議での様子を見ていると、彼女の方がしっかりして見えてくるくらいであった。

 窓越しに見えるものに色々と反応を示すノンナの賑やかな声を聞きながら、クレトは苦心して車の速度を低速に維持していた。変速機のギアを上げないとエンジン音がうるさく、かといってギアを上げたまま速度を落としすぎるとエンジンが止まる。

 聞き慣れないエンジン音に代わって、聞き慣れたスラスター音が聞こえてきた。ドゥルが上空をパスしたのだろう。

 

 

 

 哨戒飛行を終えて宿舎としている別荘へと戻ってきたのは、太陽がそろそろ夕日になる時間だった。高所作業車でのドゥルの整備はやはり難しく、連合の施設を借りられるようヤルミラに掛け合ってみようと、エルシェとキャロラは結論付けていた。

 町外れにぽつんと建っている別荘は、たまたま売りに出されていたものをザフトが買い取ったもので、海が見える場所に建っているのに小さなプールまで付いている立派なものだった。カーペンタリアの宿舎暮らしをしていた身にとっては、VIP待遇みたいなものだ。

 バスルームでたっぷりお湯を使って、今日の疲れと汚れを洗い流す。海風で湯上りのほてりを冷ましながら、ビールでも飲みたいところねと冷たいお茶を飲む。室内からいい匂いが漂ってきた。

「今日はバルナバさんの番?」

「そうよ。それより、もうちょっとマシな格好しなさい」

 プールサイドで涼むエルシェとキャロラのもとに、背の高い女性がやってくる。下着も付けず、薄いTシャツと短いパンツをはいただけの二人は、気の抜けた返事をして自室に戻った。出しっぱなしのグラスを片付けながら、その背の高い女性は苦笑する。

 台所でフライパンを振っていた男性が、コンロの火を止めて料理を皿に盛り付けていた。食事はメンバーが交代で作っている。食材などは島のコーディネーター互助組織が届けてくれていて、その時に賄いの申し出もあったのだが、機密管理云々という理由でヤルミラが断っていたのだ。

 グラスを洗う女性に、男性が同情めいた口調で言う。

「苦労するな、子供相手は」

「あの子達も、男性の存在を意識してくれればね」

「クレトじゃ、役者不足か」

 あなたもでしょと言う女性はヘルミ・キーデルレン、このグループでは最年長で護衛の一人だ。男性はバルナバ・ファン・デル・リンデン、行政府職員で既婚の子持ち、カーペンタリアからではなくプラントから直接このグループに単身赴任させられている。肩書き上はノンナの部下という事になるのだが、十年の実務キャリアを持っているため、細かな書類関連は全て担当していた。

 バルナバの料理の手際に感心しながら、ヘルミは食器の準備をする。時計を見ると、そろそろあとの三人も戻ってくる時間だ。連合の部隊との会議と、コーディネーター互助組織との会議、さらには島の各地の偵察と、ヤルミラは毎日びっしりと予定を詰め込んでいた。

 彼女はクレトと交代で護衛の任務についているし、ノンナもバルナバと交代しながらだ。エルシェとキャロラは一応毎日の任務だが、あの二人はそこそこ適当にやっているのが見て取れる。

「この任務ってさ、そんなに重大な事なの?」

「仕事は全て大切な事だ」

 バルナバは笑いを堪えながらそんな事を言う。行政府職員としてプライドを持って仕事をしているが、仕事の重要性を的確に掴むのもまた大事な事だ。そして、このザフト先遣隊の任務はそれほど重要ではないと、彼は認識している。

 国際的にみれば、そしてプラントや連合の中央政府としてみれば、小さいながら重要な案件ではあろう。だがそれは、上の方で全てのお膳立てが出来る案件だという事でもある。現場に出来る事は少ない。

「明るく笑顔で、コーディネーターとナチュラルの友好に努める事が第一だな」

 バルナバの言葉に、ヘルミはそうよねとつぶやく。ヤルミラにその事をどう理解させればいいだろうかと、車のエンジン音を聞きながら考えた。

 

 

 

 鉄筋コンクリート造りの立派な建物は、今のところ赤道連合海軍の基地防衛部隊が使用している。基地の規模自体は小さなものだが、短いながらも滑走路やMSサイズの格納庫も備えた基地である。歩兵部隊に過ぎない基地防衛隊には、過ぎた設備だと思う。ニッシム・サーカーは、自分で車を運転して基地司令官室に乗り込んだ。

 気負う事ではなく、毎日仕事で通っている場所だが、そろそろ遠慮をしている場合ではなくなってきている。顔見知りの部隊長は階級が一つ上だが、今現在のアルダブラ島の軍部隊責任者はニッシムだ。彼は連合軍の制服をことさら目立たせるよう、胸を張って司令官室に入った。

 向こうも、ニッシムが来るのが分かっていたのだろう。秘書が何も言わずに飲み物の準備を始めた。

「どうせ勤務時間も終わる。飲むかね?」

「今日は結構」

 その言葉に肩をすくめた部隊長は、自分にも紅茶をと言う。ニッシムは、既にお聞き及びかとは思いますがと、送られてきた声明文をテーブルに広げた。

「あぁ、たまったものではないな」

「お分かりですか? 犯行予告ではなくブルーコスモスの声明文だと」

 島がこれまで平穏であった事は事実だ。だがこのコズミック・イラにおいて、争乱の影響を全く受けていない土地など、無人の土地を除いて存在しない。この島でも、コーディネーターを狙ったテロやその報復事件などは起きている。

 特にダマル島との交換条約の話がささやかれ出した頃から、ブルーコスモスを名乗る犯行が増えていた。ただ、どれも組織的な背後関係は無く、一匹狼型と呼ばれるテロ事件であるため重要視はされておらず、軍ではなく警察が対応すべきものとして処理されていた。

 部隊長は、今回の声明文もそのようなものの一つか、悪質なイタズラだと言いたいらしい。プラントからザフトの部隊がやって来たタイミングで、島の外部から投函された郵便で送られた声明文。ずいぶんと、手が込んでいるイタズラだ。

「もちろん、警戒はする。なんなら予定を・・・・・・」

「ええ。そちらが予定通りなら、こんなイタズラにも関わらずに済んだはずですね」

 確かにたまったものではないでしょう、ニッシムは努めて冷静に言う。赤道連合海軍基地防衛部隊の島からの撤収スケジュールは、遅れに遅れていた。ニッシム達がオンボロ兵舎にいるのも、それが原因だ。

 連合本部から赤道連合の軍上層部に圧力が掛かったため、撤収スケジュール自体は決まっている。それを遅らせる事は出来ないだろうが、それ以外の事は分からない。

「もちろん、島の治安維持に関しては、最後の兵士がこの島を離れる瞬間まで我々が責任を持つ」

「いえ、既に我々の責任ですのでご心配なく」

 この基地を含め島の全ては連合軍が最終責任を持つ、ニッシムは本部からの言葉としてそう言った。部隊長の表情は変らなかったが、場の空気が固まったのは分かった。この基地を含めてと、わざわざ言ったのだから。

 

 

 

 大型スクーターが、滑るように走る。町中はそれなりに賑やかで、軒を連ねる商店には買い物客が途切れる事無く続いている。信号待ちの鼻先を、何かの食べ物の匂いがかすめていく。基本的に似片寄った街作りがされるプラントとは、全く趣きの違う町の様子だった。

 カーペンタリアも市街地はプラントの街と同じような作りであり、ジブラルタルを含めた地球のザフト拠点は、基地と宿舎と生活に必要な各種施設がコンパクトかつ効率的に配置されているだけだ。町が持つ個性というものを目の当たりにした新鮮さは、なかなかに冷めないものだった。

 エルシェは、スクーターを運転するクレトに寄り道を提案した。ドゥルを整備しているキャロラへのお土産を買うと言う。

「時間通りに戻らないと面倒だぞ」

「堅いなぁ」

 しかし二日酔いの一件以来ヤルミラには何かと睨まれているので、寄り道の提案はひっこめる。今回の件もはなから相手にしてくれなかったヤルミラを、バルナバが色々と取り成してくれたから実現できたようなものだ。二人は、連合の基地に向かっている。

 高所作業車でのMS整備は不便が多いため、基地の設備を貸してもらうよう連合に頼んだのだ。とりあえず今日の哨戒飛行だけはこなし、機体を連合の基地に置いて、エルシェだけ一旦宿舎に戻っていたのだ。

 日が沈んで少ししてから機体を取りに来いと連絡があった。エルシェは、クレトの耳元に口を近づけて聞く。

「そんなに悪い人達だと思う?」

「・・・・・・何?」

 突然だったので、返事も出来なかった。気にする様子もないエルシェが、店先に掛かる変った看板を指差している。クレトは、そんな彼女の仕草より、密着したり離れたりする彼女の体にいちいち反応していた。

 二人は、アカデミー時代からの知り合いだ。成績があまり良くない事を含め、色々と似た境遇もあったため仲も良かった。ザフトに配属されてからもそれなりにやり取りは続けていたが、この部隊で一緒なるとは想定外の幸運だと、クレトは密かに思っている。

 もっとも、アカデミーの時と変らぬ様子の彼女は、そんな事を思ってもいないだろう。

「そのまま、バイクで真っ直ぐ走って下さい」

 基地の入り口の警備兵が、そう言って灯りの点る格納庫を指差す。何故か一緒に写真を撮ってくれとも言われたので、エルシェは快く応じておいた。

 格納庫の入り口から中に入ると、ドゥルの周りには人だかりができていた。何事かと思っていると、それをかき分けるようにキャロラとヘルミがやってくる。その後ろから、連合の制服を着た女性兵士がついてきた。

「モテる女はつらいわ、もうグラビアアイドル状態」

 キャロラの軽口はいつもの事として、ヘルミもまんざらではない様子だ。後ろの女性兵士が、心底申し訳ない様子で謝る。声が震えているのは、怒りだろうか、情けなさだろうか。

 部隊の責任者の男性が、怒鳴りながら集まった兵士を追い払っている中、クレトはこまごまとした書類にサインをしていく。エルシェは、ひたすら謝り続けている女性兵士に聞いた。

「あの、パイロットスーツを着たいんですけど」

「あ、はい、案内します。ヴィヴィアンさん、シティ、そこらへんのバカども追い払って!!」

 格納庫の中の賑やかな様子を見ながら、クレトはサインを終えた書類を手渡す。ニッシム・サーカーと名乗った責任者が、頭を掻きながら言う。

「申し訳ない、部下の躾がなっていなくて」

「いえ、そんな」

「男所帯なものでね、美人に興奮してるんだよ」

 格納庫からは、ようやく兵士達がいなくなった。パイロットスーツを着たエルシェがドゥルの昇降ワイヤーに足を掛ける。彼女がキャロラをコクピットに同乗させ、彼がヘルミをスクーターに乗せて帰る事になっていた。

 格納庫の前にダガーが移動して、ドゥルを滑走路へとエスコートする。クレトはヘルメットをヘルミに渡す。顎紐を締めながら、ここの人達はどう考えても悪い人達には思えないと、彼も思った。

 

 

 

 ノンナは既に寝室に入っており、バルナバは通信機を設置した部屋で、家族への連絡を行っている。連合の基地からはまだ誰も戻ってきておらず、静かなリビングでヤルミラが今日の分の報告書を作成していた。カーテンを風が揺らし、潮騒が微かに聞こえてくる。

 解けた氷で薄くなったジュースを飲み干し、彼女は添付資料の確認をする。島の状況は思っていたより悪い。この島へ派遣される事が決定したのは半年ほど前、その時から状況が激変したわけではないだろう。

 ザフトの情勢判断が最初から甘かったのだ。連合が狙っているのは、現状維持の既成事実化だと考えられる。

「派遣部隊の増派が望まれる、と」

 特に必要とされるのは、MSよりも歩兵と対テロ特殊部隊だ。人的資源が希少なザフトでは、何事もMSで解決しようという傾向が強い。だが、この島で起こっている事を考えれば、MSは問題への対処にはならない。

 添付書類は、今日の海洋警備局の会合で入手した、過去十年分のテロ及びテロ関連犯罪の統計資料だ。MSが使用されるような大規模テロは存在しないが、遺伝的差異が理由と考えられるテロは確実に増加していた。しかもこの資料を、軍は提出しなかった。

「この一件を見ても、連合の背信行為は明白である」

 そもそも、彼女らがこの島やってくる前に、連合は島に駐留する部隊を増やしているのだ。もともと歩兵主体の部隊しかいなかったこの島に、MS部隊を増派している。島の治安維持を名目に、部隊の駐留を継続する事は十分に考えられた。

 それら連合の思惑を阻止するためには、島におけるザフトの能力を十分に誇示するとともに、カーペンタリアや本国からも連合に圧力を掛ける必要がある。そのためには、島で連合がやろうとしている事を明白にし、その証拠を掴まなくてはならない。

「だというのに・・・・・・!!」

 思わず書いてしまったその言葉を消す。ヤルミラは気持ちを落ち着かせるよう、自室からキャンドルを持ってきて火を点ける。爽やかな甘い香りが、ほのかに漂う。しばらくその炎を見つめ、息を吹きかけて消した。

 ヤルミラは再びキーボードに向かう。

 本当は、報告書で隊員達の緊張感の無さを糾弾したいところだった。観光旅行がバカンスにでも来ているような日々の様子に、何度キレそうになったか分からない。

 挙句、連合の基地施設を使用してMSの整備を行うという。ドゥル自体は、民間への払い下げが行われるような機体であるが、だからといって敵地のど真ん中で自らの戦力の一端を晒すなど、ありえない事だ。

 MS整備用の場所や施設を確保できなかった事がそもそもの問題ではある。不十分な整備の危険性を指摘されキャロラの要求を飲んだのだが、だからといって非常識には違いない。少なくともヤルミラにはそう思えた。

「こんな事なら二級TMS整備技師、取っておくんだった」

 勉強中の資格試験を取り終えたら、MS関連の資格をいくつか取っておこうと考える。報告書の推敲をしていると、遠くからスラスター音が聞こえてきた。いつの間にかリビングに来ていたバルナバが、エルシェとキャロラを迎えに行くと言う。

 ドゥルを置いているのは、少し離れた高台の防災避難広場だった。

 

 

 

 町の中心街も、ずいぶんと明かりが減っている。灯台の明滅と港の施設、そして基地くらいしかはっきりと明かりの見える場所はない。まだ日付が変わるには早い時間だが、この島は既に眠りの準備を整えている。

 その分、朝は早いのだが、この島の生活リズムが体に馴染むには、もうしばらくかかりそうだ。コクピットのモニターで、エルシェは夜の島の様子を眺める。ドゥルは少し高度を上げた。サブシートのキャロラが身を乗り出すようにして、下部モニターを覗き込む。

 島の西側を下底、東側を上底とする、東西に細長い台形の島。もともと環礁であったため、その中央部がくぼんだ形になっている。一番の窪みは島の北西部にあり、そこは水が溜った池状になっていた。底の部分の一部が海と繋がっているらしく。潮の満干にしたがって、大きさが変わるのだ。

 暗くてよく見えないと、キャロラがぼやく。

「夜景はそんなに望めない島ね」

「昼は綺麗よ」

 エルシェはペダルを軽く踏んでドゥルを旋回させる。心なしか機体が軽く感じるのは、整備のおかげだろうか。明日からまた高所作業車だと笑うキャロラに、エルシェは応じる。

「向こうの人は構わないって言ってくれてるんでしょ」

「あの子の警戒心が分かんないわ」

 この機体に機密となるようなものはないし、連合の人も機体整備中は格納庫に近付かないでいてくれた。連合はザフトに対して便宜も図ってくれ、配慮もしてくれている。整備が終わってから、ずっと写真撮影になったのは流石に予想できなかったが。ヘルミが意外とノリノリだったとキャロラは笑う。

 コズミック・イラにおける、ザフトと連合の歴史を考えればヤルミラの言う事も分からないではない。だが、彼女らは歴史の中でのみ生きているのではない。現在の現実を歴史の目でのみ見てよいのだろうか。

 エルシェは、つぶやくように言う。

「仲良く、したいよね」

「誰と?」

 つぶやきに食い付いてきたキャロラを無視するが、しつこく食い下がってくる。レバーを押し込んで機体を変形させ、急制動のGで黙らせる。キャロラが抗議の声を上げた。

「隠さなくていいじゃん。ダガーのパイロットさんでしょ、結構イケメンの」

「ナレイン・アーナンドさん」

「名前までゲットしてんだ」

 まだ挨拶どまりだと言って、エルシェは機体の高度を落とす。ドゥルを駐機させている広場に、車のヘッドライトが見えたのだ。




 次回は、4日の投稿を予定しています。

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