空の青と見分けがつかない青い水面。風の凪ぐ時間帯であるため、波のない水面は空の青さをそのまま映しだしているのだ。岩場から足元を見れば、透き通った水が水底を見せてくれる。そこを彩る生き物たちの姿も、はっきりと目にする事が出来た。
釣り糸を垂れる人が一人、動かない浮きを見つめてたたずんでいる。魚を釣り上げることよりも、釣り糸を垂れる事自体に意味を見出しているような雰囲気を静かに漂わせていた。その姿は、もはや風景の一部、海の欠くべからざる要素の一部になってしまったかのようにも見える。
岩場を歩いていた人が、釣り人に尋ねた。
「釣れますか?」
「いえ、今日はサッパリ」
「というか、何故釣りなどしているのですか?」
そう尋ねるのは、地球連合の制服をきっちりと着込んだ男性。およそ海辺には似合わない格好の歳若い男性を、釣り人が麦藁帽子を傾けるようにして見上げる。
「ヒマだからだよ。仕事くれよ」
着崩してはいるが、釣り人も連合の制服を着ていた。そして糸を引き上げると餌を付け直す。少し年嵩には見えるが、まだ老け込むには早い感じの男性は、竿を振るって針を投げ込んだ。
日はようやく傾き始めたようだが、夕刻にはまだ早い。彼らが制服通りの人間であるなら、当然勤務時間のはずだ。若い方の男性がその事を言う。
「なら、お前も同罪だな」
「自分は、中佐を探し出し無事に基地まで連れて帰るという任務を遂行中であります」
年嵩の男性は、文句の代わりにため息を吐き出す。その時、水面の浮きが沈んだ。竿を握りなおすと、予想以上に強い手ごたえが伝わる。年嵩の男性は、若い男性に網を取るように言うと、慎重にリールを巻く。針をくわえた獲物が動き回る気配はしないが、針が珊瑚に引っかかった時の手ごたえではない。
釣りはここに赴任してから始めた趣味であるが、まともな釣果は未だに得ていない。ここで大物を釣り上げれば、今日は自らの趣味の記念すべき日となるだろう。針先のまだ見ぬ獲物との間合いを時間をかけて計り、タイミングを見計らって一気に竿を引き上げる。
釣り上がったそれは、予想していた物とはかなり違った姿をしていた。
「タコ!?」
「網! 早く網!!」
「取るんですかコレ!?」
網に収まったタコは、その足をくねらせて脱出を試みた。二人の男性が大騒ぎをしながら、そのタコをクーラーボックスに閉じ込めようと格闘する。両腕にたくさんの吸盤の跡を残しながら何とかタコの捕獲に成功した二人は、互いの健闘を称えあい、熱い握手を交わした。
意気揚々と基地へと引き返す二人の顔を、インド洋の水平線に沈もうとする夕日が赤々と照らしている。
この時期になるとこの手の仕事が増える、そう基地司令官はぼやいた。ザフトの地球駐留軍を統括するカーペンタリア基地司令、地球での勤務が基本的に歓迎されないザフトでも、例外的な立場の役職だ。
秘書の持って来たアイスコーヒーを一息に飲み干すと、隣室の訪問者を通すように指示する。今日は、着任と離任の挨拶がたて続けに入っていた。丁度、人事異動の季節なのだ。通されたのは、あどけなさをきつい表情で覆い隠しているような女性。連合加盟国の感覚でいえば、まだ少女の年齢だろう。
司令自身、大洋州政府との折衝などでは年齢の若さで苦労しているので、本国には地球派遣者の年齢要件を厳しくするように提言はしているのだが、なかなか本国の方針は変わらないようだ。彼女は勧められたコーヒーを、何も入れずに口にする。その苦さに一瞬眉をしかめた彼女の様子に、哀れさすら覚えた。
「緊張しなくてもいい、地球は初めてなのだろう」
「ご心配には及びません」
先に目を通しておいた資料では、アカデミーでも成績優秀者との事だった。地球への派遣も本人の希望らしい。優秀で、野心溢れる若者に、年齢など関係なくチャンスを与える。言葉だけ見れば立派な事なのかも知れないが、未経験者を現場に放り込むだけの無責任さとも言えた。
ブラックコーヒーに四苦八苦している彼女に、何と言っていいか分からない。無理して飲まなくてもいいと言えば、このきつい表情をした少女のなけなしのプライドをいたく傷つけるだろう。司令は、自分にもコーヒーを出すよう秘書に頼み、たっぷりの砂糖とミルクを入れて見せた。
「先ほど降りてきたばかりだったね?」
「はい。明日には赴任先に飛びます」
彼女の赴任先はどこだっただろうと、目を通した資料の記憶をたどる。現在ザフトは、地球駐留軍の大規模な再編に着手している。そのため、この少女がどこに派遣されるのか、一発で思い出せない。
その点は適当に誤魔化しながら、雑談を交わす。緊張がほぐれてきたのか、少女の表情が少し柔らかくなったところで、次の訪問客が来る。彼女は姿勢よく立ち上がり綺麗な敬礼をすると、美しい銀髪をなびかせるよう颯爽と部屋を辞した。
彼女に出したコーヒーカップの底には、溶け残った砂糖が沈んでいる。これからは、来客用に苦くない飲み物を用意しておかなくてはならないなと、司令は秘書に言った。苦笑いを浮かべた秘書に次の訪問客の名前を聞き、デスクの上の資料のページをめくる。
先ほどの少女の赴任先に関する資料が目に入った。インド洋に浮かぶ、現時点では赤道連合領の島。本国はどういう基準で、新人の赴任先にそんな面倒な場所を選ぶのだろうと思う。やはり年齢要件については、強く改善を要求しなければならないようだ。
次の訪問客のために頭を切り替える前に、司令はその事だけは頭の隅に留めておこうと思った。
基地の姿が見えてきたときには、空に星が瞬き出していた。大戦中の大規模質量物の落下によって、大気中には微細な塵がいまだ多く含まれており、星は前世紀に比べると見えにくくなっているという。それでも、一等星と二等星で構成される南十字座の姿は、夜空を美しく飾っている。
夕食時の町並みを抜けると、途端に明かりが何もなくなる。クーラーボックスを担いだ男性は、慣れた様子で懐中電灯をつけた。時折、クーラーボックスから音がするのは、中のタコが動いているのだろう。
闇の中に浮かび上がる明かりは、基地のゲートの詰め所だ。テレビ番組の音が漏れ聞えるくらいの距離になって、ようやく兵士が顔を出してきた。お互いに、顔パスでいいじゃないかという表情を交わしながら、正規の手続きに従ってゲートをくぐる。クーラーボックスの男性が言った。
「俺、一応ここの責任者だぜ」
「早く一応が取れるといいですね」
若い男性の答えは、きっちりと着込んでいる制服同様に真面目な口調だった。二人は、灯りの点っている兵舎の方には足を向けず、ゲートから程近い別の建物の方に足を向ける。今日の作業は既に終わっているのだろう、人影は見えなかった。
代わりに、星明りの下にうっすらと見えるのは、無造作に屹立している一機のMSの姿だ。簡易ハンガーに立てかけてあるそれは、あらぬ方向を見つめているだけだった。
「露天駐機って、大丈夫なんですか? 錆とか」
「MSも錆びたりするのか?」
「いや、ここ潮風の吹きさらしですし、これ海専用じゃないでしょ?」
「俺の専門は戦車だ、MSの事は他のに聞いてくれ」
小さなカマボコ型格納庫の脇に、さらに小さな木造の兵舎が建っていた。丁度ベルが聞こえ、夕食が開始されたことが分かる。二人は駆け足で兵舎に向かった。
五十人で一杯になるその兵舎の食堂では、食事の時間は30分しか取られない。それでも部隊の全員が食べ終わるまでに二時間かかるのだ。二人は部隊の中でも高い地位であるため、食事は一番最初のグループだった。つまり、ここで食べそびれると、二時間待ちとなる。
「中佐、遅いよ」
「悪いね、おばちゃん。ところで、タコさばける?」
彼の初めての釣果を見ようと、食堂にいた者達がクーラーボックスの周りに集まってきた。その中身について半信半疑の隊員達の前で、彼は自慢げに蓋を開ける。歓声とも悲鳴ともつかない声が食堂を震わし、タコがぬるりと這い出してきた。
逃げようとする人間と、逃げようとするタコと、逃がすまいとする人間が入り乱れての大騒ぎとなる。
結局その場の全員が夕食を食べそびれ、空腹を抱えての二時間待ちを余儀なくされた。
ヘルメットを脱いで頭を振る。くせっ毛の上に量の多い髪は、そんな事では言う事を聞いてくれない。シャワーを浴びて、ちゃんと乾かして、しっかり梳いて、きっちりヘアピンで留めないと、とんでもない髪型で固定されてしまう。
シャワールームで同僚達と軽口を交わしながら、午後の予定を確かめる。送迎会を開いてもらう事になっているのだ。彼女は、明日カーペンタリアを発つ予定だった。
「ギリギリまで仕事する必要なかったんじゃない?」
「有休、あんまり残ってないから」
それにMSの操縦は嫌いじゃないと言って、彼女はドライヤーを手に取る。カーペンタリアに赴任して二年、主に大洋州西岸の哨戒任務に当たっていた彼女にとって、次の赴任先は未知のものであった。
詳しい内容は明日以降に伝えられる事になっているが、パイロットとしてザフトに入り、パイロットとしての任務に就いてきた彼女にとって、それ以外の仕事ができるとは思っていなかった。黒服や青服で颯爽と街を歩く女性隊員に憧れないと言えば嘘になるが、それが様になるとも思っていなかった。
ラフに身支度を整え、送迎会の時間までどう潰そうか考える。荷造りその他は済ませてあるので、特にする事がない。コーヒー牛乳を一息に飲み干した。
「何、そんな格好で行くの?」
「服とか、ダンボールの中よ」
「主役がそれじゃダメでしょ」
「人をダシにして合コンのセッティングした人が言うかな」
もしイイ人がいても一晩限りじゃない、後腐れなくていいわよ、そんな事を言い合いながら、街に服を見に行く事が決まった。教導団のイケメンが来るとあれば、流石に気合を入れざるを得ない。
カーペンタリア基地を中心とした一帯は、プラントが大洋州から租借している土地であり、周辺市街地もプラント風の街並みに整備されている。基地建設時には大規模な戦闘が行われたが、それ以降は戦争の影響を受けず、プラントよりも安全な街として市街地は発展を続けていた。
だが、宇宙進出こそ使命と考えるプラントのコーディネーターは、地球に暮らす事を良しとしない考え方が根強い。街行く人々も、コーディネーターのそういう複雑な感情を抱えて歩いているのだろう。
「少し、静かにしていただけないかしら」
「あ、すみません」
服をあらかた見終え、喫茶店で雑談に興じていた彼女らは、隣席の女性にそう注意された。黒服に銀髪が凛々しく映える、少し年下の女性。硬い表情のままイヤホンを耳に付け、手にしていたテキストを開く。
その態度に気圧されたように、彼女らは喫茶店を出た。友人達は、注意した女性に批難の声を上げている。彼女は、その女性が地球に降りてきたばかりなのだろうと思った。
釣竿が立てかけられた執務室は、エアコンの効きが悪い。木造の兵舎はもともと別の施設だったものを移設、増改築したものであり、老朽化も加わって快適とは言い難いものであった。
インド洋に浮かぶその小島は、一年の寒暖差も小さく、雨も一定して降るため、日々を過ごす分には申し分のない場所だった。それが建物への配慮の無さを招いているのであれば、街の人々ののどかな様子を加味して、これも一つの土地柄として理解も納得も示せるだろう。
しかし、執務室で眺める書類は、このオンボロ兵舎の理由が全く別のところにある事を示している。その書類を黙って決裁するか、しかるべき部門に持っていくか、朝から麦藁帽子を乗せた頭をひねっていた。
「今日も釣れると思うんだよ」
「タコですか? それとも今日はイカですか?」
「美味かっただろ」
アイロンの効いた制服にノリの効いたシャツ、地球連合の制帽まで被った男性が、今日も真面目に相手をしてくれる。柔らかな物腰と爽やかな声は、多少皮肉めいた受け答えも嫌味に聞こえない。
そんな好青年をして、書類の内容には文句の一つもあるのだろう。朝から頭を悩ませているその書類を、連合本部に提出するよう再三にわたって言っている。
「あちらさんだって、出て行かないって言ってるわけじゃないんだぜ」
「・・・・・・むこうの連絡調整官が来るのは週末ですよ」
カレンダーを見ると、その週末まで三日しかない。これ以上結論を先送りしたところで、出てくる結果に良いものが現れる事はないだろう。麦藁帽子を脱いで、着崩していた制服のボタンを留めた。本部の担当者が捉まるかどうかは分からないが、専用回線は映像も付く。釣り人スタイルではいられない。
通信ユニットを置いてあるカマボコ型格納庫に向かうと、兵舎のあちこちで隊員達が週末に向けての準備をしていた。それを見ると、この部隊の平均年齢の低さが分かるようだった。
格納庫の中に置かれているスカイグラスパーも、派手な装飾がなされていた。これから週末まで、この機体はここから出て行かないと宣言しているかのようだ。
「ザフトって、ウェイブばっかなんだろ」
「コーディネーターは美人ばっかりって話、ホントかな」
日々、釣りに勤しんでいる自分の方が真面目なのではないだろうかと思われる会話が、あちこちから聞こえてくる。それでも、軍隊暮らしなどこういった楽しみでも見つけない事にはやっていられないというのはよく分かる事なので、いちいち注意をしようなどとは思わない。
ただ、無用のトラブルが起きないように、細心の注意を払わねばなるまい。どこかできっちり箍を締めなおしておく必要はあるだろう。
格納庫の隅に置かれている通信ユニットに入った。赤道連合本国による盗聴を防ぐための専用通信機である。
正午にカーペンタリアを出航した輸送船は、順調に航海を続けている。プラントのもう一つの拠点、ジブラルタルへと向かうその船は物資とともに人も運んでいる。
プラントは講和条約で、カーペンタリアとジブラルタルの二ヶ所以外の基地を放棄するよう求められたのだが、この二つの基地を結ぶシーレーン上の基地を「両基地に付随する施設」として保持し続けていた。
規模の大きな基地は、条約締結後も続けられた交渉によって返還されたり、その予定が決まったりもしているのだが、規模の小さな施設はまだまだ残っている。それらの施設へ物資と人を送るための輸送船が、カーペンタリアとジブラルタルの間を定期的に航行していた。
男女七人のグループが、輸送船の会議室を借りている。銀髪の女性が、集まった者の顔と資料を突き合わせていく。今回の任務のメンバーの顔合わせだ。銀髪の女性は、その責任者であった。
「二日酔いですね」
「臭います?」
青い顔をした女性が、体調の悪さを隠さない様子で言った。何とかして整えようという意志は見える髪形をした彼女は、MSのパイロットだった。
同僚が開いてくれた送迎会で、なかなか気の合う男性がいたため飲みすぎてしまったのだ。眼を覚ましたのは自室のベッドの上だったので、酒を飲む以上の事は無かったようだ。
彼女は明後日、このメンバーを乗せて目的地に向かい、そのまま護衛の任務に付くのだ。露骨に嫌な顔をされても仕方ないと、テーブルの上の水を飲み干した。メンバーの一人の、妙に甲高い声が頭に響く。自分の分の水を飲み干してしまった彼女は、隣の男性のまだ口を付けていない水をもらえないか聞く。
「好きなだけ飲めよ」
その男性が知り合いでよかったと思いながら、グラスを煽る。銀髪の女性がそれを見咎めた。水差しをこれ見よがしに彼女の目の前に置いて、今回の任務についての説明を始めた。
目的地はインド洋に点在する島の中の一つ。彼女らは、後続の本隊に先行してその島に上陸し現地の状況を把握、本隊の任務遂行を補助する役割であった。メンバーは少人数であり、一人一人が十二分にその役目を果たさねば、本隊をも危険に晒してしまいかねない。
体調管理もままならない者など論外だと、銀髪の女性は強調するように言った。
「申し訳ありません」
お水もらえませんかと、パイロットの女性は言った。既に水差しの中身は空になっている。
土砂降りの雨の中を、装甲車が戻ってきた。雨ガッパ姿の隊員がバラバラと装甲車から降りてきて、兵舎へと走って戻る。雨の激しさを口々に罵りながら、隊員達は雨ガッパを脱いだ。通気性のあまり良くないカッパの下で、制服はじっとりと汗ばんでいる。
それでも、その制服を着崩す事のない男性は、執務室から降りてきた責任者の男性に、出動した件についての報告を行う。彼らは、町の役場から通報を受けて出動したのだ。
「爆弾ですね、自動発火装置って事にされるでしょうけど」
「警備局の案件ね」
まだ仕事ができる状況が整っていないにもかかわらず、面倒事は向こうから勝手にやってくる、そうぼやきながら責任者の男性は執務室に戻ろうとする。それでも、連合本部に送った文書が早くも効力を生んだのか、彼が名実共にこの基地の責任者になる目途はついていた。
それまでに色々と細かな雑務を済まさなくてはならないのだが、今日に関しては別の仕事がこのあとに控えている。男性は、Nジャマー濃度について聞いた。
「あんまり良くないですよ・・・・・・しかも、この雨ですしね」
「とりあえず、サーチライトは用意させたんだけどな」
二人は、雨が打ちつけている窓から外を見た。目視で飛ぶのは無理だと思われるような視界状況だ。コーディネーターというのは、こういう中でも平気に飛行機を飛ばせたりするものなのだろうか。
そんな事を廊下で話していても意味はないかと、再び執務室に足を向けようとしたとき、板張りの廊下を走ってくる音が聞こえる。硬い靴底がたてる音と、板の軋む音が合わさり、今にも廊下が抜けてしまいそうだ。廊下は走るなと、学校のような注意をしなければならない事にうんざりする。
だが、通信兵の持って来た交信記録は、廊下を走るだけの意味があるものだった。もちろん、交信記録といってもNジャマーによる電波障害下で偶然捉まえたに過ぎない無線だ。それでも、その通信を発した者の切迫した状況は伝わってくる。
「サーチライト班に連絡、レーザービーコンは?」
「最大出力で発振させたって、今さっき連絡が。でも、この天気じゃ」
「とりあえず、基地中に灯りを付けさせましょう。警備局にも連絡して、港の方でも灯りを付けてもらって・・・・・・」
「おい、ダガー動かしてんの誰だ!?」
簡易ハンガーに立ててあったMSが、その目を光らせた。格納庫からは、スカイグラスパーが引き出されてくる。この雨の中、空で迷子になっている機体を迎えに行くつもりなのだ。
MSの指揮を部下に任せ、責任者の男性は執務室に向かう。とりあえず、全ての指示を事前に自分が出していた事にしておかなくては、後々面倒な事になる。
風は強くないので飛行は安定している。だが、モニターに映る映像は最悪だった。コンピューターによる画像補正も効果がないほどの雨だ。バッテリーと推進剤の残量をチェックする。この雨を抜けられたとして、自機の位置を確認し、目的地への方位を特定するだけの余裕があるだろうか。ヘルメットのバイザーをあげて、水筒のストローをくわえた。
目的地の島は、カーペンタリアとジブラルタルを結ぶ航路から大きく外れており、彼女がメンバー六名を乗せて飛んでいる機体は、増槽と追加バッテリーを満載して輸送船を飛び立った。計画では使い切っても投棄せずに持ち帰るはずだったそれを、既に捨てている。機体を少しでも軽くして航続距離を稼ぎたいのだ。
輸送船には、目的地周辺の天候が悪いとの情報は入っていた。手前のセイシェルに着陸して、天候に関する情報を確認してから向かうべきだった。飛ぶか否かの最終判断はパイロットの権限なのだ、もっと強く言っておけばよかった。
「あの子、きついんだもんなぁ・・・・・・」
リーダーの銀髪を思い出しながらため息をつく。通信機は動かしっぱなしにしているが、Nジャマー濃度が高い。代わりに入ってくるのは、人員輸送用ユニットからの通信だ。
「そろそろ到着の時間のはずよね」
「・・・・・・こっちのモニターを繋げます」
不時着水の可能性すらある状況だと分かってもらえるだろうか、彼女がそう思った時、センサーに反応があった。モニターに示されたのは微かな熱紋反応。判別不能と表示されるが、熱紋は断続的に検出される。
その熱紋の方向に機体を向けた。通信機の出力を上げ、同時に国際救難チャンネルでの発信も行う。スピーカーが音を拾った。モニターに映っていた判別不能の文字も変化する。低い確率ながら、連合のMSの反応だ。
人員輸送用ユニットに、急制動に備えるよう警告を出した。雨の帳の向こうに、人型が見える。彼女はコクピットのレバーを引いて、機体を変形させた。サブフライトユニット型から人型へと変形したその機体は、空気抵抗で一気に減速すると、目の前に現れた連合のMSに抱きつくように接触する。
「私はザフトのカーペンタリア駐留軍、インド洋方面軍第二艦隊第七任務群、アルダブラ基地特別防衛派遣隊、先遣調査グループ所属・・・・・・」
「今日、うちの基地に来る事になってたザフトの人だね。詳しい話は後で」
こいつ飛び続けられないんだ、と連合のMSパイロットは言った。確かに、高度がぐんぐん下がっている。彼女は慌てて機体を離し、サブフライトユニットに変形させて、そこに乗るように言う。連合のMSとの間で接触回線が開かれ、目的地へのデータが示された。
バッテリーも推進剤も、なんとか足りる距離である事にホッと胸を撫で下ろす。思わず浮かべた笑みを通信モニターに向けると、連合のパイロットも微笑みを返してくれた。
激しい雨の中、隊員達が滑走路で誘導灯を振っている。用意したサーチライトが空に向けて照らされ、その光に導かれるように飛行機の姿が現れた。サブフライトユニットとして使用するための専用パーツを付けたスカイグラスパーが、ダガーを乗せたザフトの飛行機を先導するように、滑走路へと降りてくる。
固定翼機の運用を前提としていないその滑走路は極めて短い。雨の影響もあって、スカイグラスパーはオーバーラン寸前で停止した。果たしてザフトの機体は、ちゃんと止まれるのだろうか。
ダガーが背部のスラスターを吹かしてザフトの機体から飛び降りる。同時に、ザフトの機体は人型に変形した。
「たいしたもんだな、ザフトってのは」
着陸した機体に近づいた通信指揮車から接触回線用のワイヤーが打ち出された。
「自分は、地球連合軍インド洋島嶼等再編委員会、アルダブラ島管理機構、暫定防備及び引渡監視部隊の責任者だ。悪いが、そいつで直接格納庫まで歩いてもらえないか」
コクピットから了解の意志が伝えられ、ザフトの機体はダガーにエスコートされるようにして歩き出す。滑走路の隅にいたスカイグラスパーの牽引も始まり、滑走路の周りに散らばっていた隊員達も機材の撤収を始める。
格納庫はMSが立ったまま入れる高さではない。ザフトの機体は、バランスを崩す事無く人型から扁平な航空機の形態に変形し、自走して格納庫の中に収まっていく。彼我の装備の圧倒的な違いに、うらやむ気も起きない。せめて責任者らしい威厳でも示そうかと、部下の制帽を借りて頭に載せた。
ザフトの軍人と直に会うのは、彼も初めてなのだ。それなりに緊張のようなものは感じる。隊員達も集まって整列を始めた。
連合の部隊が並んでいるのをコクピットのモニターで見ながら、パイロットの女性は人員輸送用ユニットに通信を繋げる。
「ちゃんと並び終わるまで待つんですか?」
「安全の確認が最優先です!」
当初の予定では、この島のコーディネーター住民互助組織が基地まで迎えに来るはずであった。基地の格納庫内など、敵地のど真ん中ではないか。目を吊り上げながらそんな事を言っている銀髪のリーダーにため息をついているのがバレないよう、音声のみの通信に切り替える。
人員輸送用ユニットのモニターにも、熱烈歓迎の横断幕を持って整列している兵士の姿は映っているはずだ。何を警戒する必要があるのだろう。殺したり捕まえたりする気があれば、空の上でいくらでも出来たはずだ。
コクピットのモニターをズームしながら、先ほどのパイロットの姿を探す。コクピットハッチを開いて、昇降用ワイヤーに足を掛けた。整列している人達から、ざわめきが湧き起こる。
最前列の一番端に立っていた男性が歩み出てきた。彼女はヘルメットを取り、敬礼をする。男性も敬礼を返した。彼はさらに歩み寄って名前を名乗ると、握手を求めてきた。先ほど接触回線で聞いた声よりも、ずっと渋い声だ。
「遠路はるばる、ご苦労様です。お疲れになったでしょう、今日のところは・・・・・・」
「あの、ごめんなさい。私、ただのパイロットでして」
うちの責任者は化粧直しに時間がかかっているようですと、未だ開かない人員輸送用ユニットの扉を見上げながら言った。軽い冗談のつもりで言ったその言葉はウケなかったが、嘘にはならなかった。
五分後、ばっちりメイクで装備したリーダーが、銀髪をなびかせながら下りてくる。
コズミック・イラ80年後半に入り、地球圏は新たな秩序の構築を模索し出していた。プラント開発と戦争遂行のために作り上げられた現在の政治経済体制は、今やあちこちでほころびを見せている。連合とプラントの間で起きた戦争は、その最初にして最大のほころびのであったのだ。
幸いにもその後は、連合とプラントが全面衝突を起こす事態は避けられているが、地球圏の各地でテロや紛争がやむ事はない。それらが拡大し、最悪の事態を招く可能性は常に付きまとっている。
連合とプラントは、戦後においても複数の懸案を抱えており、それらを解決するための交渉は、十年以上たった今でも継続されていた。それらの交渉は、一方では未だ解決できない問題の根深さを示すものであるが、一方では話し合い以外による解決は決して望まないという双方の固い意志の表れでもあった。
ユニウスセブン残骸の地球落着や、長距離ビーム攻撃によるプラントの破壊。人類が味わった未曾有の惨事は、二度と再び戦争を起こさないという当たり前のコンセンサスを生んだのだ。
そして、連合とプラントによる交渉の成果として、プラントと赤道連合の間で一つの条約が結ばれた。アルダブラ島とダマル島の交換に関する条約である。
カーペンタリア建造直後、ザフトはバンダ海に浮かぶ赤道連合領の島々を占領している。一時はスラウェシ島で激しい地上戦が展開されるほどまで、ザフトの勢力圏は伸張したのだが、終戦間際には連合も反撃を開始し、マルク諸島を中心に多くの島が奪還されている。
戦後は赤道連合と大洋州の境界画定交渉と平行する形で、小スンダ列島を中心としたザフト占領地の返還交渉が行われていた。バンダ海はカーペンタリアの安全に直結する海域であるため交渉は難航したが、戦前の赤道連合と大洋州の境界線を維持する形で最終的に決着した。
ダマル島の返還は、その交渉の最後の懸案事項であった。
もともと赤道連合が領有していた島だったが、カーペンタリアとの位置関係からザフトは返還に難色を示していた。もちろんザフトとしても交渉の決裂は望んでおらず、ダマル島の返還自体は避けられないとも考えていた。
落としどころとして提示されたのが、インド洋に浮かぶアルダブラ島との交換であった。コーディネーターが比較的多いその島の住民保護が名目であるが、これによってザフトの一方的な譲歩ではないとの形が保たれる事になった。
交渉を仲介していた連合は、島の引渡に関する組織を設置して連合軍を派遣し、赤道連合からザフトへの島の引渡しを監視する事となった。
次回は、三日に投稿する予定です。