大海原の小さな島 ~アルダブラ島奮戦記~   作:VSBR

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 カーペンタリアからマダガスカルまでは、一日一本の航空便が最近就航を始めていた。マダカスカルからは定期連絡船が出ているが、こちらは毎日というわけではない。そのため、現地の観光ツアーなどを組み込みながら連絡船を待つ。バルナバ・ファン・デル・リンデンがアルダブラ島に到着したのは、カーペンタリアを出発して三日目の朝であった。
 これから観光シーズンになるという話を聞いたのだが、たくさんの人が押し寄せる観光地というわけではない。定期船を降りる人達は、誰もが長期休暇の過ごし方を弁えているといった雰囲気だ。
「本当にお金持ちの人が多いのね」
 妻が耳元で囁くのを聞きながら、バルナバは家族の荷物を持ち上げる。まだ眠そうな顔をしている子供は、妻が抱き上げていた。タラップを降りると、風に乗って市場からの声が聞こえてくる。漁港の方ではまだ取引が続いているのだろう。
 旅客ターミナルの建物で軽い朝食を取る。そわそわと落ち着きの無い様子を見せている子供をたしなめると、バルナバは電話を探しにいった。前日にも連絡を入れているはずなのだが、まだ朝も早い時間だ。迎えに来るほうにも都合があるだろう。
「あれ、もう着いたの?」
「昨日メール入れたぞ、電話繋がらなかったから」
「ゴメン、昨日は会合でさ」
 今からすぐ行くから待っていろと言うのはキャロラ・シマ、彼女は今もこの島に住んでいる。泊まる場所や、その他の諸々の事は彼女に依頼していたのだが、今の電話を聞いてもの凄く不安になる。
 それとも、これがこの島のやり方なのだろうか。プラントとは根本的に違う生活様式が存在するのかもしれない。あの時は、そんなものを感じ取る余裕はなかった。この島で暮らすキャロラは、それを身につけているのかもしれない。
 周りの人達を見てみると、誰もがそんな感じだ。ターミナル脇の木陰で寝そべっている人や、テーブルでカードを広げている人。自分のように迎えの車を催促する者などいなかった。
 少し疲れた顔をしている妻を食堂に残し、子供の手を引いて市場に向かう。島の業者用の取引は終わっていたが、旅行者用小売はまだ続いている。今朝揚がったばかりの魚が、無造作な値段で適当に並べられていた。水を張ったプラスチックの箱から大きな海老を取り出して、盛んに売り込んでいる人がいる。
 バルナバの脚にしがみついている子供は、それでも見開いた目を輝かせている。光り、跳ね、うごめく、それらの生き物を、この子は初めて見るはずだ。いきなりまるのままの魚を買っていくのは流石にハードルが高いだろうと、牡蠣を少しばかり買ってターミナルに戻った。
 子供が、牡蠣の入った発泡スチロールの箱を開けて母親に見せている。バルナバは、プラントの新聞がプリントアウトされているのを見つけた。手にとって目を通すと、知っている名前が記事になっていた。アンシェラ・ルシエンテスが評議会事務局の部長に就いたとの記事だ。かなりの抜擢人事であると解説されている。
 新聞を読み終わる頃になって、ようやくキャロラが到着した。島でよく見かけるラフないでたちで手を振っている。
「綺麗な奥さんだね」
「まぁな」
 車に荷物を積み込みながら、泊まる場所の手配などは大丈夫なのかを聞く。任せろと言う彼女の笑顔に含むものを感じ、バルナバの不安は消えないままだ。牡蠣の入った箱を抱えたまま席に座る子供に苦笑を見せたキャロラは、そのブローチに目を留める。
「これって、あれ?」
「あぁ」
 バルナバがこの島を離れる時、ノンナがお土産として持たせてくれた珊瑚の欠片。それをブローチに加工したのだ。彼が島を離れてから、三年が過ぎようとしていた。


十五話 奮戦記

 

 

 

 日が高く昇る時間になっても、基地の混乱は続いている。避難勧告が解除された市街地への住民の帰還の方が、余程スムーズに進んでいるといった感じだ。役場と海洋警備局に市街地の方を任せ、ナワンとノンナは基地に戻ってきた。

 基地の方では負傷者の移送がようやく完了し、損傷した施設の復旧作業などが行われている最中である。移動指揮車から降りた二人に、歩哨に指示を出していたヘルミが木造兵舎の会議室に行くよう言った。

「現時点での状況がこれですね。ルルー行政官の分もありますか?」

 アイシャが渡してくれた手書きと印字が入り混じるレポートを見ながらナワンが言う。会議室には主だった者が集まっていた。いつもとは違うニッシムが、ニコリともせずに座るよう言う。二人が来る前にも断続的に話し合いが行われていたのだろう。会議室の黒板には、色々と書きなぐられた跡がある。

 ナワンが市街地の状況を説明し住民への被害が出なかった事を伝えると、流石に安堵のため息が漏れた。発生したテロの規模を考えれば、奇跡といっても過言ではない。

 海洋警備局の担当者は、本土からの増員がある事、それに伴い行政関係者の派遣もされる事を告げる。さらには赤道連合の軍も、治安維持の部隊を派遣する計画になっているという話が出てきた。ニッシムが話を継ぐ。

「赤道連合の部隊はまだ分からん。連合と上の方でモメてる」

 部隊が派遣される事自体は決定しているのだが、どこの部隊が来るのかは決まっていない。連合本部はただちにビクトリア駐留のユーラシア軍から選抜して部隊を編成すると言っているが、本当にそうなるかどうかは予断を許さない。

 ニッシムが何度も本部に掛け合っているのだが、話は単純ではなかった。彼は低い声で切り出す。

「拘束したテロリストのうち、病院に入っている者以外を、ザフトの潜水艦に移したい」

 反射的に何か言おうとしたヤルミラを、アンシェラが制する。その理由は察するが、アンシェラは説明を求めた。

「赤道連合の軍が派遣する部隊、下手をしたらテロリストを連れ去るためのものかもしれん」

 今度こそヤルミラは激昂した。

「ふざけないでもらいたい! やつらは全員、ザフトがすぐにでも処罰する!!」

 法的根拠がないのよね、とノンナがつぶやくのをナワンは聞いていた。今回の事件で拘束したテロリストを誰がどこで裁くかは、非常に曖昧な問題である。少なくとも現場がどうこう出来る問題ではなく、連合とプラントの外交交渉に委ねられる問題だろう。だからこそ、現状を維持しなければならないのだ。

 海洋警備局による赤道連合本土への移送、連合によるビクトリアないし本部ジュネーブへの移送、ザフトによるカーペンタリアへの移送、ここでどれを選んでも何らかの軋轢を生む。それは間違いなく、アルダブラ島の引渡し手続きに悪影響を及ぼすだろう。

「それはつまり、テロリストが目標を達成するという事ですね」

 アンシェラはそう言ってヤルミラを見た。震える拳を押さえつけるような仕草をしながら、ヤルミラは何度も深呼吸をしている。

 カーペンタリアからは部隊が増派されるという連絡があったのだが、ただちにという言質を得られていないのだ。MSを全て失い隊員に多数の死傷者を出した状況ではザフトが出来る事は少ない。ヤルミラも強硬な主張は出来なかった。

 ニッシムの申し出を受け入れ、そのためのスケジュールを確認するためアンシェラは会議室の電話を借りた。両手に包帯を巻いている彼女は番号が上手く押せない。ノンナが代わりに番号を押す。

 潜水艦の側が電話に出るまでのわずかな時間、ノンナはエルシェとクレトの安否をアンシェラに聞いた。

 

 

 

 市街地にある公立の病院は、事件から一週間が過ぎた今でも、一般患者の受け入れが制限されていた。一部の病棟には治療を要するテロリストが収容されており、厳重な警戒態勢が敷かれたままになっているのだ。拘束したテロリストからの情報で、島に潜伏していた数名のテロリストも摘発されてはいるのだが、警戒を緩める事は出来ないでいた。

 拘束されたテロリストを奪還するため、再度テロ攻撃を仕掛ける能力をブルーコスモスが持っている可能性は低いと連合本部も考えている。しかし、しばらくの間は島全体の警戒態勢を含めて厳しくしなければならないだろう。昨日にはザフトの増援部隊も到着し、増派された連合軍部隊や海洋警備局とともに島の警戒に当たっていた。

 破壊されたMSの撤去や基地施設の復旧もとりあえずは完了し、ようやくテロ事件の混乱は収束しつつある。

「人が増えたおかげで、こっちの仕事は格段に楽になりました」

 ニッシムはそう言いながらパイプ椅子を広げる。何の変哲もない、とは言いがたい病室。窓には鉄板がはめ込まれ、出入り口も金属製のものに取り替えられている。廊下には銃を持った兵士が二人つき、ベッドの怪我人は腰に拘束帯を付けられていた。

「私の移送は、決まったのかね?」

 ベッドに横たわるソモ・ラマは、表情を浮かべずにそう聞く。完治はしていないが、移動に耐えられない重症ではなかった。コクピットハッチをビームサーベルで破壊された影響で両脚に大火傷と骨折を負ったのだが、きちんと治療すれば後遺症もなく治るという話だった。

 彼を含めた治療中のテロリストの移送は、数日先になる予定だった。それ以外のテロリストは、今日中にビクトリアへと移送される。島の沖合いには、連合の艦艇が到着していた。

 連合とプラントの間でどのような交渉があったかは分からない。ただ、テロリストの処罰に関してザフトは関与しないらしいという話だけは聞いていた。おそらく、赤道連合の法に基づく裁判を連合本部主導で行い、プラントには賠償金なりが支払われるという決着ではないかというのが、もっぱらの噂だ。

「ザフトによる処刑は、ブルーコスモスの英雄化を招く・・・・・・といったところか」

 ソモの言葉を、ニッシムは黙って聞く。拘束された海軍部隊の者達は、ソモを含めて尋問に対してもおしなべて協力的だった。彼らがブルーコスモスのシンパである事に間違いはないのだろうが、一方で主義者でもない。シティにしても結局は、ソモ個人に対して協力していたに過ぎなかった。

 彼らがどういった経緯で、どういった動機でこのような事を起こしたのかは、裁判で明らかにされるのかもしれない。赤道連合軍内部にいるブルーコスモス協力者の存在など、詳らかにすべき事はたくさんあるのだろう。

 しかし、ニッシムにはあまり関係のない事だった。今さらそれを知っても、彼自身には何の意味もない。そんなニッシムに、ソモが尋ねた。

「君は、いつくらいから私を疑っていた?」

「状況証拠だけなら、かなり早い段階からですね」

 島外への通信記録の解析や、シティ・ハルティナに対する内偵など、情報の収集は早くから行っていた。島の治安を預かる者の職務として当然に行うべき仕事であったが、同時にニッシム自身が安心したいがための事でもあった。恩人や部下を疑わなくて済む証拠が欲しかったのだ。

 残念ながらその証拠は得られなかった、ニッシムはそういって自嘲するかのように笑う。そしてソモに言った。

「大尉が何を考えていたのか、俺には分かりません。大尉の考えている事が正しいのか正しくないのかも、分からないでしょう。ただ、命の恩人があんな事件を起こした、それがただ悲しいんです」

 あなたに命を救われた者は多い、その者達は今のあなたを悲しく思っている、ニッシムはそう言って立ち上がった。パイプ椅子を片付けると、ドアの脇のインターホンを押す。銃を持った兵士が警戒しながらドアを開けた。

 病室を警護する兵士に敬礼をして、ニッシムはエレベーターに向かう。だが彼は、思い直して階段に足を向けた。屋上なら、タバコが吸えたはずだ。

 

 

 

 ダガーが撃つ弔砲は流石に音が響く。この日のためにカーペンタリアから派遣された楽隊が、しめやかな音楽を奏で終わった。遺体を乗せた車の最後の一台が、港に向かって基地を出て行く。最後の弔砲が発射され、長いサイレンが鳴り響いた。

 テロ事件の犠牲者の合同葬儀は無事に終わる。基地の滑走路にはザフトの制式機であるグレブとダハルが三機ずつ並び、上空には最近ロールアウトされたばかりの空戦MSアデレが舞っていた。カーペンタリアからボズゴロフ級三隻が派遣されてきたのだ。

 ザフトの戦力を誇示するかのような陣容だが、そのほとんどは遺体と共にカーペンタリアに戻る事になっている。この島に、それだけの部隊を駐留させる場所などない。

「これで、一段落かしらね」

 喪章を付けた制服を着たヘルミは、中庭に並んでいる参列者の中から抜け出すと、大きく息を吐き出した。徐々に散っていく参列者の中から、連合軍や海洋警備局の人を見つけ出しては挨拶をしていく。

 テロリストの移送は完了し、葬儀も執り行う事ができた。週明けには最後の入院患者が退院する事になっている。島の住民たちもようやく日常生活に戻り出した感じであり、基地の方でも部隊の増員にあわせた仕事の割り振りが決まってきた。もうしばらくは厳しい警戒態勢が続くだろうが、日常業務が回復しつつある事は確かだ。

「ヘルミは挨拶回り終わり?」

 人だかりを避けて休憩していると、ノンナが水筒を持ってきてくれた。新調されたはずの青い制服が、どこかくたびれたように見える。ノンナの方が、挨拶回りは大変なはずだ。

 カーペンタリアからは行政職員も派遣されており、ノンナと同じ一級行政職員も二人来ているため、責任者としての負担は軽くなっている。それでも、彼女が作ってきた島の各部署との間のパイプは彼女自身が維持しなければならない。

 ザフトだけでなく、連合や警備局の犠牲者を含めた合同葬儀として、広く参列者を募る事が出来たのも、ノンナ達行政職員の尽力あってこそであった。連合軍も警備局も島の役場も、ザフト同様に混乱している中で人手を割いて葬儀に協力してくれた。

 水筒の中身を一気に飲み干したヘルミが、ノンナに労いの言葉を掛ける。

「私は、ザフトの中の話に手を付けてないから」

 大変だったのはアンシェラだろうと、ノンナは言った。

 連合に対して強い姿勢を示そうとするザフト、外交関係の上で連合と融和的な関係を保ちたいプラント行政府、そしてザフトでも連合各国と直接やり取りする必要のあるカーペンタリアの司令部、それぞれ思惑が異なる。それらを短期間で妥協させ、一歩間違えば示威行動になりかねない島での葬儀を、連合との協力関係を確認する場にしてみせたのは、アンシェラの手腕だった。全てのスピーチ原稿に直前まで手を入れていたというくらい、全てを取り仕切っていたのだ。

 サーティーンのワッペンは飾りじゃないねと、ノンナは素直に感心の言葉を述べる。

 部下に呼ばれてその場を後にしたヘルミと入れ違うように、ナワンが挨拶に訪れた。彼も、苦労が続いている一人だろう。いえいえと謙遜する彼を、ノンナはしばらく見つめていた。だが、彼女の甘い時間はすぐに終わる。

「ルルー行政官、何をしているのですか!」

 同じ呼び方なのに、ナワンに呼ばれるのとはえらい違いだと、ノンナはため息をつく。赤い制服をなびかせる早足で、ヤルミラが近づいてきた。見るからに機嫌が悪いのは、葬儀がザフトの当初案とは異なるものになったからだろう。ヤルミラは、ナワンを横目で見ながらまくし立てる様に言う。

 赤道連合の軍部隊が関与したザフトに対するテロ攻撃。その再発を防止するためには、圧倒的な戦力を見せつけると同時に、島の治安維持を万全にしなければならない。ブルーコスモスに協力的な住民の存在も明らかになった以上、戦時と同様の体制が不可欠である。それが、ザフトの基本方針でありヤルミラの意見だった。

 彼女の言った事が、島の実情やカーペンタリアの支援能力を無視したものである事は明白だ。インド洋に浮かぶ小島に、常時複数の潜水空母を展開する事など不可能である。

 また、住民監視体制の構築などを行えば、ザフトが統治する地球上の拠点にも影響が出るだろう。連合には人権などの問題で批判を行う口実を与え、ナチュラル住民の反発やブルーコスモスの活動活発化などをもたらすはずだ。

 しかし、それらはもはや理屈の問題ではなくなっている。ザフトの存在意義や、プラントという政治体がいかに国際社会を生きていくかという問題なのだから。だからノンナは、ヤルミラと口論する気にならなかった。

「ジーノ副長のお考えは、もっともだと思います」

 ナワンが静かに口を開き、ノンナは驚いた表情で彼を見る。彼が、こういう話題で意見を述べるのは珍しい。

「ザフトに安全をもたらすには、それが最良の方法でしょう。ですがその最良は、安心という最善をもたらしはしないでしょう」

「なっ・・・・・・」

「住民を敵として戦争を続けるのであれば、この島は永遠に戦時を脱する事はできません。安全なだけで安心の出来ない日々は終わらないでしょう。コーディネーターから安心を奪う、それはそのままテロリストの目的が達成された事になりませんか?」

 連合とザフトがこの島に来た理由をもう一度考えて欲しい、ナワンはそう言って頭を下げた。

 

 

 

 島に派遣されてきた部隊が増え、基地の収容人数は簡単に突破された。海洋警備局は客船をチャーターして港に停泊させており、ザフトは当面の間潜水輸送艦に隊員を収容する事になっている。連合の部隊は、市街地から外れた場所に野営地を作って対処している。

 どの道、今の状態を続ける事は出来ず、島の安全を確認する方法と部隊を適正人数まで削減する日程は、早期に策定する必要があった。役場からも、軍部隊の一時的な駐留人数増加が、島の経済に悪影響を与えるとの懸念が示されていた。

「確かに、食べる量も増えるしねぇ」

 食堂の白衣に身を包んだコー・ギョクチュウは、トレイの上に手早く食事を並べながら言う。医務室の白衣に身を包んだヴィヴィアンが、少し遅い昼食をとりにきたのだ。

 増派された部隊にも医療班はおり、その方面でヴィヴィアンの仕事が増えているわけではない。だが、事件当時の治療記録の整理や報告書の作成など、書類関係の仕事がなかなか終わらないのだ。

 あの修羅場を記憶をたどりながら記録し、さらには自分以外の者が治療に携わった場合はそれを追跡して報告しなければならないのだ。ギョクチュウにも何度か話を聞いていた。

 それでも、仕事が忙しいという悩みは楽な悩みだとヴィヴィアンは思う。仕事であれば答えは出る、終わりは必ず来る。そんな事を考えながら、一人席に着いた。食堂には、待機時間の隊員が何人か残っているだけである。

「考えても仕方の無い事、なんて無責任な言い方だけどさ」

 リンタンにお茶を勧めながらアイシャは言った。人がまばらになった食堂で、何度目かの話を聞く。

 リンタンが、シティについての内偵を行っていた事は聞いていた。部隊内部の規定に則った事であり、違法な事などしてはいないだろう。だからといって、プライベートに関する通信記録も調査の対象だったのだ、気持ちのいい仕事でない事は確かだろう。

 その上、誰かを覗き見しているという事は、覗き見されている可能性を生んでしまう。その心理的負担は、いかほどのものなのだろうか。当事者と、そうではない者の間には、その感じ方に決定的な違いがあるはずだ。

「それで、成果でも出ればまだしも・・・・・・」

「出たじゃないの。ブルコスの計画通りの奇襲なら、島民への被害も大きかったわよ」

 慰めにもならないと思いながら、アイシャはそう言う。実際、今回のテロ事件がこれだけの被害にとどまったのは、辛うじてであっても先手を打てたからである。現場での対応のみで、これ以上の事など望みようが無い。

 だがリンタンが言うのは、そういった外部からの評価の話ではない。彼女がこっそり仲良くなっていたザフトの隊員も、大怪我をしてカーペンタリアに帰ってしまった。気持ちの悪い仕事に見合った成果を、彼女自身が感じられないのだ。誰一人犠牲者を出す事無く完璧にテロを防いで初めて、意味があったと言えるのではないか。彼女はそんな事を言った。

 軍を辞めると言うリンタンのつぶやきに、アイシャは引き止める言葉を持っていない。

 

 

 

 山の手の住宅街の一画に建つ診療所は、インド洋の小島にしては不釣合いなほど立派な医療設備を有していた。普段は島の裕福な住民を患者としているそこも、テロ事件の時には多くの怪我人が運び込まれている。設備が整っているため、重傷者を優先して運び込んだのだ。

 診療所にしては洒落た外観の出入り口をくぐり、クレトは顔見知りになった受付に挨拶をする。彼自身は既に退院しており、一昨日から通常の勤務シフトを取っていた。ここに来たのはエルシェの見舞いだ。

 明後日には彼女も退院するという話だった。エルシェの乗っていたドゥルは敵MSに上半身を吹き飛ばされたのだが、ドゥルが腰部にコクピットを持つ機体であったため、彼女も九死に一生を得ていた。カーペンタリアへの移送が必要な怪我ではなかったが、彼女の退院は島に残った怪我人の中でも一番最後だった。外出着のクレトが受付表に名前を書く。

「ついさっき、アーナンド少尉も来られていましたよ」

 受付の女性が、意味ありげな笑みを浮かべてそう言う。どんな表情をしていいのか分からず、曖昧な苦笑いを口元に貼り付けて病棟の方に足を向けた。

 今日は外来が午後から休みの日なので、院内も静かだ。クレトが階段を上がろうとすると、降りてくる人と目が合った。彼は足を止める。

「スタイナーさん、どうも」

 少し表情の硬いナレインが、クレトに会釈をする。ぎこちなく会釈を返したクレトが階段を上がろうとすると、ナレインに呼び止められた。今、エルシェの病室にはアンシェラが来ているという。ナレインはクレトに、少し話せないだろうかと言った。

 クレトは上がりかけた階段を無言で降り、通用口の方に足を向ける。病院の裏手の小さな庭は綺麗に手入れされており、花壇には花が植えられていた。植物に興味はないが、クレトは屈みこんでその花を見つめる。近付いてきたナレインに振り返る事無く、その言葉を待った。

「スタイナーさんは、ルシエンテスさんと、その、どういった・・・・・・」

「どう・・・・・・って、学生時代からの、友人・・・・・・」

 いや違うなと、クレトは立ち上がる。そして、不毛な片思いだと言った。適当な笑顔で誤魔化したくなる気持ちを堪えて、真っ直ぐナレインに視線を向ける。視線を落としたナレインが小さく言った。

「私は、ルシエンテスさんの気持ちに応えられそうにない」

「・・・・・・どうして、俺に?」

 飛び上がって喜ぶ場面でも、詰め寄ってなじる場面でもないので、クレトは単にそう聞いた。うつむくナレインの表情は良く分からない。だが、彼の言葉が不誠実なものでない事は、何となく分かった。ナレインとアンシェラの噂を聞いた事もあったが、彼を噂通りの人間だとは思えない。

 ナレインは、部隊の撤収がそう遠くない事を告げる。引渡し作業が順調に進めば、彼がこの島に再び派遣される事もないだろう。

 風が頬を撫で、一雨来る気配がした。クレトは空を見上げ、そのまま視線を診療所へと巡らせる。エルシェのいる部屋の窓には、ただ空が映っていた。

 

 

 

 病室とはいえ、入院期間がそれなりにあれば、何となく乱雑な雰囲気になる。怪我はすっかり良くなりベッドに寝ている必要もないので、エルシェは退院に向けて私物の片付けでもしようかと思っていた。アンシェラが見舞いに来たのは、そんなタイミングだった。勤務後にそのまま来たのだろう、黒いザフトの制服のままだ。

 ベッドから起きだしていたエルシェをたしなめ、アンシェラが代わりに部屋の片付けをしてくれる。個室の窓を開けると、さっと風が入った。流れる金髪を押さえるアンシェラの手を見て、エルシェが聞く。

「手は、まだ治らない?」

「ただの火傷よ、心配いらないわ」

 アンシェラは小さく笑い、椅子に腰掛けた。持って来た手土産の包みを開けようとすると、エルシェがそれを止める。

「すぐ夕飯だから。昨日、体重量ったら、すごく増えてたんだよ」

 アンシェラが来る度に、色々と持ってくるせいだとエルシェは訴える。笑ったのが自分だけだったので、彼女は姉の顔を覗きこんだ。その口に、アンシェラがクッキーを差し込む。

「もぅっ! お姉ちゃん!!」

「エルシェは、もう少し太った方がいいわよ」

「私はお腹が太るの!」

 結局、アンシェラの持って来た手土産を二人で空けてしまう。彼女が入れてくれたお茶を飲みながら、エルシェは退院後のスケジュールを聞いてきてくれたかを尋ねる。復帰後いきなりMSでの警戒飛行を命じられるのであれば、心構えくらいはしておかなくてはならない。

 警戒用の航空機やMSの数が増え、勤務は以前より楽になっているという話はクレトから聞いている。それでも、長い休み明けはそれなりに緊張もするし、周囲に気も遣う。自分が乗る予定の機体も確認しておきたい。

「・・・・・・やっぱり、島に残るの?」

「? うん、言ったよね?」

 事件当時島にいた隊員には、希望するならばプラント本国に転属可能だという打診がされていた。正確な人数は公表されていないが、結構な数がプラントに戻る予定だという話だった。怪我の事もあるので、アンシェラはエルシェに本国行きを勧めていた。

 不安げな顔を隠さないアンシェラに、エルシェは明るく笑う。そして胸を張るようにして言った。

「大丈夫、お姉ちゃんも見てたでしょ。私だって、やる時はやるんだから。次はもっと上手に出来るん・・・・・・」

「次なんてっ! ・・・・・・次が、上手く行くかは、分からないのよ」

 思わず立ち上がったアンシェラは、言おうとした言葉を飲み込み、絞り出すような声でそうつぶやいた。エルシェの驚いた顔にごめんなさいと言い、アンシェラは手土産の入っていた紙袋を畳んで病室を後にした。

 気圧されたエルシェは、バネの力でゆっくりと閉じていくドアを見つめる。窓の外の雨音に気付くまで、彼女はその視線を動かせずにいた。

 

 

 

 アンシェラの足音が階段に響く。その足早な音が消えたのは、彼女が踊り場で足を止めたからだ。外来がないため、階段の電灯は消されている。雨雲が広がっているため、日も陰っている。踊り場は薄暗かった。壁を打つ鈍い音が一つ、聞こえた。

 妹はその無邪気な言葉を、胸を張って誇らしげに発する。小さな子供が褒めてもらおうと、自分のした事をただ報告するように。

 妹は何も疑わない。一番褒めてもらいたい人が姉であり、褒めてもらうと一番嬉しい人が姉である事を。

 雨音が微かに聞こえる。アンシェラはもう一度、壁を殴りつけた。

 エルシェの無事が確認された後、アンシェラはそれをプラントの実家に伝えていた。テロの混乱は収まっておらず、通信回線を確保するために私用の連絡が大幅に制限されていた時であったが、無理を押して実家に連絡した。

 カーペンタリアの高出力レーザー通信施設を経由するプラントとの通信はタイムラグが大きく、デブリの影響もあるため感度も悪い。それでも、通信機の向こうにいる両親の様子ははっきりと分かった。

 島でのテロは、第一報がプラントでも報道されていた。死傷者の存在は報じられていたが詳細は伝わっておらず、両親は心配していたのだろう。アンシェラの声が届いた後、母親はずっと泣いていた。父親は話も聞かず、二人でプラントに戻って来いとひたすら繰り返していた。

 その後も何度か連絡を取っているが、両親はただただ二人の無事な顔が見たいとそればかり言っている。島に残って任務を続けると伝えた時には、母に泣かれ、父に怒鳴られもした。

「あぁぁぁぁぁっ・・・・・・」

 アンシェラは両手で顔を覆った。

 両親が、姉妹を分け隔てなく愛している事は分かっている。妹が、自分を信頼している事は知っている。

 ただアンシェラ自身が、その事を理解出来ないでいるのだ。胸の奥の忌々しいわだかまりが、今この瞬間も疑問に疼くのだ。これからも、このわだかまりは疼き続ける。両親への愛を、妹への信頼を濁し続ける。

 足が崩れ、壁に寄りかかるようにして体を支える。顔を覆う両手の包帯が濡れ、薬の匂いが漂う。人工培養皮膚を貼り付けるための薬の匂いだ。

 エルシェの乗ったドゥルが、その上半身を破壊されて墜落した時、アンシェラは臨時司令部を飛び出して落ちた機体のもとに駆けつけた。MSの戦闘が終了した直後の、まだ誰も救助活動を行っていない時に、彼女は半壊したドゥルのコクピットに取り付き、そのハッチを開けてエルシェを脱出させたのだ。

 戦闘によって高熱を発している装甲に布の軍手一枚で触れたため、アンシェラは両手に重い火傷を負った。後数回は、人工培養皮膚の移植が必要だと言われている。

 

 

 

 港に停泊している潜水輸送艦は、出港の準備を整えていた。乗組員もほとんどが乗艦を終えている。カーペンタリアからの交代要員を乗せてきた輸送艦は、代わりにカーペンタリアに帰る者を乗せて島を出るのだ。アルダブラ島の引渡し作業に伴うザフト駐留部隊は、隊員のローテーションがようやく軌道に乗った。

 島で発生した大規模テロ事件はその検証や分析が今も進められているが、ザフトも連合も本部がより積極的に関与する必要性があるという点では同じ結論に達していた。引渡し作業におけるプラント側の窓口はカーペンタリアの外交部に一本化され、連合本部も赤道連合を介す事無く直接のやり取りを行うための部局を設けている。駐留部隊や行政職員の増員もなされ、島の統治機構の引渡しにも目途がたった。

 ノンナがカーペンタリアに戻る事になったのも、島の状況が改善に向かっている事の証左といえる。輸送艦には他にも、先遣隊として島に入ったメンバー全員が乗り込んでいた。奇しくも、彼女らが島に到着してから丁度一年目だった。

「本当に、ご苦労様でした」

 涼しげな表情から発されるのは、ナワンの穏やかな声。制帽を取って折り目正しくお辞儀をする彼に、ノンナは震える声を抑えて言う。

「ナワンさんには、最後までご迷惑を・・・・・・」

 最後まで言葉を言わずに、ノンナは息を大きく吐く。そんな当たり前のお礼を、最後に言いたいわけではないのだ。カーペンタリアへと戻るスケジュールが決まった時から、言おうと思って来た言葉がある。結局、最後の最後になってしまったが、言わずに島を離れる事は出来ないはずだ。

 ノンナはナワンの顔を見上げるような姿勢で、真っ直ぐに彼を見た。

「好きです・・・・・・ノンナ・ルルーとして、ナワン・ケーターを、愛しています」

 ノンナはそう言うと目を閉じた。その時に見えたのは、ナワンの少しだけ驚いた顔と微笑み。彼女の肩に、彼が手をかけた。そしてノンナは、柔らかなものが額に触れるのを感じる。

 ゆっくりと目を開けるノンナに、ナワンが静かに言った。

「ルルー行政官と共にこの困難な任務に携われた事を、私は誇りに思います。ですから今のは、私が大人としてできる最高の敬意の印しです」

 その言葉に、ノンナは微笑んだ。きちんと大人として扱ってもらい、ちゃんと子供として尊重してくれた。それは、愛してくれたという事に違いない。最後に握手をして、彼女は輸送艦のタラップを駆け足で上がる。ハッチをくぐる前に、一瞬だけ振り返り小さく手を振った。乗艦を促すサイレンが響く。

 艦内の廊下でノンナの晴れやかな笑顔とすれ違ったヘルミは、乗艦が遅かった理由を聞いた。振られたのと言うノンナの声には、一点の曇りもない。

 

 

 

 ザフトが運用する水上艦艇は少なく、地球での活動のほとんどを潜水艦で行っている。宇宙艦と同じ密閉構造はプラントから降りてきた隊員には見慣れたものであり、潜水艦は安心するなどといった意見も多い。

 しかし、一年に渡って水平線が見える生活をしてきた者にとっては、その密閉空間を狭苦しく感じてしまうものだ。そんな意見に同意してもらえるとは思わなかったが、ヘルミは隣に座るヤルミラにそう聞いてみた。潜水輸送艦は明日の正午過ぎにカーペンタリアに到着する。

 艦内に設けられたバーには、他に隊員もいない。バーテンをやっている隊員が勧めてくれたのは、アルダブラ島で仕入れたというラム酒だ。

「慰労だと思ってさ」

 飲めないわけではないだろうと、ヘルミは言う。先遣隊として一緒に派遣されてきたにもかかわらず、ヤルミラとこういう形で飲む事は一度もなかった。真面目といえば聞こえもいいが、ヤルミラの人付き合いの悪さは際立っている。

 今日も、最後の機会だからとかなり強引に誘ってようやく連れて来たのだ。ヤルミラは、グラスを舐めるようにしてラム酒を口にする。ヘルミは、ヤルミラの横顔を見つめた。

 一年もあったというのに、ヤルミラの事はほとんど何も知らないままだった。他の者とは、プライベートに関する事も色々と話していたが、ヤルミラとは仕事関係の話をした覚えしかない。

「そういう事、話したくないの?」

「必要ないので」

 グラスを舐めていたヤルミラは、いつの間にかグラスをあおっていた。バーテンが気取った手付きで空のグラスを下げ、次のグラスを差し出す。ヤルミラは、表情も変えずにラム酒を口にする。

 馴れ合いをいい事だとは言わない。だが円滑なコミュニケーションとは、合理的効率的な情報交換のみを差す言葉なのだろうか。無駄な関係性こそが、新たな可能性に開かれているのではないだろうか。

 ヘルミの言葉をありえないと一蹴するヤルミラは、空のグラスをカウンターに置く。そっと息を吐き出したヘルミは、何も言わずにグラスを傾けるヤルミラを見る。

 そのかたくなさはもったいないと思うが、同時に非常にコーディネーターらしい考え方でもあるし、ザフトらしい態度だともいえた。それは彼女が望む事でもあるはずだ。

 ヤルミラが有能である事は誰もが認めるであろうし、彼女に得手不得手があるのも当然の事だ。彼女は、彼女の有能さを十二分に発揮できる場所で、その有能さを発揮していくのだろう。

 もっとも、そんな普通の活躍を彼女は望まないかもしれない。だが彼女が、いつでもどこでも誰とでも、その有能さを発揮したいのであれば、今のままでは駄目だ。

「だからね、もう少しだけでいいから、他の人とも・・・・・・って、ヤルミラ?」

 ヘルミがヤルミラの肩に触れると、ヤルミラはそのまま崩れるようにカウンターに突っ伏した。ヘルミはバーテンに、何杯飲ませたのかを聞く。バーテンは、気取った仕草で肩をすくめるだけだった。

 微かなイビキをたてて寝ているヤルミラを抱きかかえ、ヘルミはバーを後にした。

 

 




 思わず声を上げたバルナバの横で、キャロラが得意げな顔をしている。彼女が宿泊場所として用意したのは、かつて任務で過ごした別荘だった。アルダブラ島の引渡しが完了した際、ザフトは買い上げていたこの別荘を再び売りに出していた。今は、そこを買い取った会社が貸し別荘にしている。
 親子三人では広すぎる別荘だが、リゾート気分も盛り上がるというものだった。子供と一緒に中を見て回る妻のはしゃいだ姿に、バルナバも微笑んだ。荷物を運び込んで、買って来た牡蠣を冷蔵庫にしまう。
「じゃ、夜に夕飯持って旦那と来るわ」
 キャロラは、そう言って帰っていった。台所のテーブルには、途中で買ってきた昼食が置かれている。週末まで滞在する予定だが、食べる物の買出しも必要になるだろう。バルナバは椅子に座ると、とりあえず明日にしようと思う。
 昼食を終えて一休みすると、どこかに行きたくてうずうずしている子供を連れて、別荘を出た。島の中央の池ではなく、南東側の浜に車を向けた。磯遊びをするなら、綺麗に整備された海水浴場よりもそちらの方がいいはずだ。助手席に座る妻の黒髪が、風になびいている。
 丁度、干潮の時間なのだろう浜は大きく広がっており、大小の潮溜まりが姿を見せていた。車を止めると木陰にレジャーシートだけ敷いて、子供にライフジャケットを着せる。
「さ、いいぞ」
 一気に駆け出していくかと思った子供は、バルナバのズボンの裾をぎゅっと握っていた。彼は笑って子供の手を取る。
 浜ではカニやヤドカリが走り回り、潮溜まりには取り残された小魚が泳いでいる。はじめは恐る恐るだった子供もどんどんと大胆になり、あっという間に水を蹴立てて小さな生き物を追い回すようになった。
 木陰に座る妻のもとに戻ろうかと視線を巡らせると、少し離れた岩場で釣りをしている人がいた。麦藁帽子を目深に被ったその人は、慣れた様子で竿を操っている。バルナバは、見覚えのあるその人に近付いていった。
「・・・・・・サーカー中佐、ですか?」
「? あ、ザフトの・・・・・・?」
 バルナバが名乗ると、その釣り人もちゃんと思い出したようだ。もう退役した身なので、中佐はやめてくれとその人は笑う。
 島での任務が終わるのと同時に、ニッシムは軍を辞めたのだという。責任問題を巡って揉めるより、自分から責任を口にして辞めた方が、軍にとっても自分にとっても好都合だったからと、彼は言った。
 彼の部隊も、その後の身の振り方は様々だった。ニッシムのように軍を辞めた者もいれば、ナワンの様に飄々と出世街道に乗っている者もいる。だが、島に残って暮らしているのは、ほんの少しだった。
「趣味を楽しむには好都合ですから」
 ニッシムが竿を上げると、立派な魚が釣り上がってきた。バルナバが感嘆の声を上げた時、いきなり妻の悲鳴が聞こえてきた。
 何事かと木陰に駆けつけると、目を輝かせた子供が自ら捕まえた獲物をその手に掲げて見せてくれる。大きなアメフラシが、その体を奇妙にのたうたせている。



 そのアメフラシは妻の抵抗もむなしく、バケツに入れられて別荘に連れてこられていた。そんなバルナバの話を聞いて、キャロラがひとしきり笑う。別荘の庭にはコンロが用意され、大きな網に魚介類が豪快に乗せられていた。
「悪いな、色々としてもらって」
 バルナバの言葉に軽く手を振ると、キャロラは網の番を夫と代わる。ビールのコップを片手にトングで魚をひっくり返し、焼き上がった海老を子供の持つ皿に載せる。バルナバの妻が巻貝に苦戦していたので、その身を取り出してあげた。空のコップに夫がビールを注いでくれる。一息に飲み干すと、トングを夫に渡した。
 彼女は、カーペンタリアに戻った直後にザフトを辞めている。テロに遭遇したという事情が考慮され、兵役期間は満了していなかったが特に条件もなく辞める事ができた。そしてプラントの実家への報告もそこそこに、アルダブラ島に戻ってきたのだ。
 そして同じように連合軍を辞めたラーマン・バダウィと結婚し、島で暮らし始めた。テロ事件の時、彼女は撃たれて重傷を負ったラーマンの看護をずっと行っており、その時に結婚の約束をしていたのだ。今は、夫は観光漁船の船長を、彼女自身は島で修理工として小さな店を構えている。
「自転車、家電製品、クラシックカー、船外機、何でも直すわよ」
 魚なら毎日誰かにもらえるし、意外と暮らしには困らないとキャロラは言う。ただ、親には未だにいい顔をしてもらっていないと、彼女は笑った。夕闇が迫る空を見上げ、コーディネーターだからねとつぶやく。
 島が正式にプラントの統治下になった今でも、プラントからこの島に旅行に来る人は少ない。赤道連合の統治下だった頃と比べると、テロの影響も有るのか連合各国からの旅行者も減っているそうだ。
「だからこの前ヘルミにもメールしたのよ、新婚旅行はここに来いって」
 忙しいみたいだぞと言ったバルナバは、他の者とも連絡を取っているのか聞く。
「ヤルミラ以外はね。あの子、何やってんの?」
「本国艦隊の統合司令本部に異動って、先月の官報に載ってたな」
「月軌道艦隊じゃなくて? 飛び級じゃん」
 夫が皿に載せてくれた焼き牡蠣を口に運びながら、キャロラはバルナバに出世の予定を聞く。ないよと笑ったバルナバはコップを傾けた。
「ノンナは偉くなってるんでしょ?」
「いや、逆だな。プラントでの出世コースからは降りてる」
 一級行政職員資格を有するノンナは、本来であればプラント全体を管轄する行政機関で勤めるはずだ。しかし彼女は、カーペンタリアの外交本部で地球連合各国との交渉を行う仕事を選んでいた。
 バルナバも一度だけ相談を受けていたが、その時には既に心を決めていたようだ。だから彼も、その決断を後押しするだけだった。プラントの組織内で出世するよりも優先すべき仕事だと、彼女が考え抜いた結果なのだろう。
「エルシェとクレト、今はジブラルタルだって」
「あいつらは、相変わらずか?」
 どうだかと、キャロラは肩をすくめる。エルシェとは時折メールのやり取りをしているが、他愛の無い話ばかりだ。それとなく、クレトの話題を振ってみたりもしているが、特に反応はない。
 それでも結局は、あの二人でくっ付く事になるのではないだろうか、キャロラはそう思っていた。ズボンのポケットから映像端末を取り出し、この間エルシェから送られてきた写真を呼び出す。バルナバにそれを見せながら、彼女の頭を指差した。
 エルシェの赤茶色のくせっ毛をまとめているバレッタは、たくさんの小さな貝殻をあしらったものである。

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