大海原の小さな島 ~アルダブラ島奮戦記~   作:VSBR

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十話  個々人の軋轢

 町は島の南西部にある港の周辺を中心部として、北側の山手と東側の海沿いに延びている。住み分けのようなものがされているわけではないが、山手の町にはコーディネーターが多く住み、海沿いの町にはナチュラルの住民が多い。

 町外れに建つその建物から見えるのは、クリーニング会社の工場と漁船の修理を請け負う会社の工場だった。ここまでくると住宅はほとんどなくなる。窓の外から、微かな波の音が聞こえた。

「揺れない会議室はありがたいが、大丈夫なのだろうな?」

「子飼いの部下だけを残している、問題ない」

「連合とザフトに尻尾を掴まれていないかという事だ」

 机と椅子しかない小さな会議室で、数人の男達が顔を突き合わせていた。ラフないでたちの者の中に、一人だけ制服を身に着けた者がいる。彼は集まる視線に向けて、実際動いているのは私だけではないかと言い、苛立たしげにタバコを灰皿に押し付けた。

 ザフトが島の住民の情報を収集しているという信憑性の高い噂が広まっている事もあり、この会議室に集まっている者達も慎重な行動を取らざるを得ない。連合やザフトは今のところ、一般住民の中から生じる非組織型のテロを重点的に警戒しているため、そのマークから外れている者が中心となって動かなくてはならないのだ。

 ザフト本隊に対する新たな爆破テロの混乱に乗じて島を奇襲する作戦は変更を余儀なくされ、今は別の作戦が遂行されている。そのため、作戦の中核となる大型機材を陸揚げする必要が生じたのだが、それには成功していた。島の監視体制は少しずつ緩められており、そこに生じた隙を狙って動いたのだ。

「私とて、いつまでもノーマークではいられないだろう」

 火を付けないタバコを指先で弄びながら、制服の男が言う。男は、陸揚げしたものがいつまで隠し続けられるかを確認する。

「エンジニアとしては、ちゃんと陸の上で整備したいところだが・・・・・・十日が限度だ」

 一人の男がそう応じると、全員の視線が壁のカレンダーに向かった。翌週末がタイムリミットになる。連合やザフトの動向を踏まえつつ、最適なタイミングで仕掛けるには、時間が少なすぎた。

 しかし彼らの闘いは、明確な勝利条件を定めての闘争ではない。

 「青き清浄なる世界」を実現するため、コーディネーターを駆逐する。それだけがこの闘争の目的であり、彼らの闘いの意義である。故に作戦を遂行する彼らが、生きてその作戦の成否を見届ける必要はない。一人でも多くのコーディネーターの命を宇宙へと還せばいいのだ。ナチュラルの命はただ大地へと還るであろう。

 作戦決行の日までのスケジュールと、決行日の詳細なタイムスケジュールは、今日中に策定しなければならない。会議室にホワイトボードが持ち込まれ、計画案が書き出されていく。

「オフ会の呼びかけもしておかなくてはならないな」

 男の一人がそう言った。少ない戦力を補えるのであれば、どのような者であっても使う必要がある。

 

 

 

 窓から入る風がカーテンを微かに揺らす。消毒薬の匂いが、湿った風にかき混ぜられて鼻をくすぐる。青空の向こう側に、入道雲がわきあがっているのが見えた。一雨来るかもしれない。

 視線を窓の外に向けたまま、腕を上げて伸びをする。首筋から肩に掛けての強張った筋肉が、軋むように痛みを発する。パソコンのディスプレイに映し出されているチェックリストは、まだ半分ほど残っていた。今朝到着した連絡船が運んできた、医薬品のリストだ。

「やっぱり、薬の減りも速くなってるかい?」

「いいんですか、サボってて」

 ヴィヴィアンは椅子を回す。コーヒーカップを持ってベッドに腰掛けているニッシムに、彼女が呆れた声を掛けた。悪びれた様子も見せない彼は、カップを煽ってコーヒーを飲み干す。

 隊員の健康管理も隊長の大事な仕事なのだと、ニッシムが面白く無さそうに笑う。島の警備体制が緩和されつつあるといっても、隊員の負担は未だ大きく、健康面への影響には注意を払う必要がある。ヴィヴィアンのいる衛生課としても、こまめに報告は上げていた。彼女は黙って次の言葉を待つ。

 ニッシムは、そんな事を話しに来たのではないのだろう。彼が一番の激務に晒されているのだから。

「先生、いくつだっけ?」

「女にする質問じゃないですよ」

「・・・・・・大戦に従軍してた?」

「ブレイクザワールドの時、繰り上げ卒業になって、そのまま軍医です」

 被災地支援として派遣が主だったため彼女が前線に行く事はなく、ザフトとの戦闘に遭遇した事もない。被災地と戦地の比較をするつもりなどはないが、少なくとも一般的なイメージの従軍経験はなかった。

 空になったカップを弄ぶニッシムに、ヴィヴィアンがコーヒーを勧める。ミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーを彼に差し出しながら、言葉を促す。

「隊長は、大戦経験者でしたよね」

「まぁ、ね」

 大戦中の赤道連合の主戦場は、インド洋沿岸の各地と東南アジアの海域であった。シーレーン確保がザフトの目的であったためインド洋沿岸では上陸侵攻こそなかったが、主な港湾は全てが標的になっていた。

 当事、兵士になりたてだったニッシムも、戦場に立っていた。もっともザフトは、水陸両用MSを使用し港湾施設の破壊を目的としたヒットアンドアウェイの戦闘に終始したため、赤道連合軍は満足な反撃も出来ずに、敵の襲撃を指を咥えて見ている事が多かった。

「それでも、一度危ない目に遭ってさ」

 その時、ニッシムのいた部隊を救ってくれたのがソモ・ラマのいた部隊である。ラマ大尉は命の恩人なんだよ、ニッシムは暗くなってきた空に視線を向けながら言った。

 ヴィヴィアンは医務室の窓を閉める。しばらくすると、大粒の雨がガラスを叩き始めた。

 

 

 

 鮮やかな肉の色が、その見事な焼き加減を示している。皿の上で幾重にも重なるローストビーフは、食欲をそそるために咲いた花のようだ。ウェイターが慣れた手つきでソースを添える。

 待ち切れないと言わんばかりにナイフとフォークを手に取った女性は、そんな自分の仕草にハッと視線を上げ、恥らうように両手を彷徨わせた。ナレインは自分もナイフとフォークを持つ。

「ちょっと、行儀良くなかったね」

「構いません、人にマナーを語れるほどいい育ちじゃないんで」

 そう言って肉を口にしたナレインは、思わず嘆息を漏らす。さすがと言うべき美味さであった。目の前にいるのが美人ではなかったら、大騒ぎしてがっついてしまうだろう。彼女の優雅な指先は、美しい所作で肉を切っていた。

 インド洋に浮かぶ島であるため、海産物は豊富だが肉は全て外から持ってくるしかない。だが富裕層が多く住むこの島では、最高級の食材であっても入手可能なのだ。本場からマダガスカルに空輸された食材が、その日の内に高速チャーター船に乗せられて島に到着する事もあるらしい。

 当然、信じられないほどの値段となり、連合軍の一兵士などでは手の届かないものである。この店に入るのもかなり抵抗があった。だが、アンシェラ・ルシエンテスの誘いを断れるものでもない。

「でも、本当にいいんですか? その、いつも、出してもらっていて」

「いいのよ、給料の使い道としては一番有意義だもの」

 彼女は、くっとワインを飲み干す。すかさず、気配すら感じさせずにワインが注がれた。

 窓辺の席から外を見ると、港の明かりだけが暗闇の中に輝いている。少し時間が遅いからか店内の客はまばらで、ピアノの演奏だけが美しく響いていた。袖の無い服を着たアンシェラの二の腕は、浮かび上がるように白い。ナレインは、目の前に肉に集中した。

 はじめは、基地までダガーに乗せてもらったお礼がしたいと言われ、一緒に食事をした。それからも二度三度と、こうして食事に誘われている。その理由は、よく分からないままだ。

 羨ましがる同僚もいるが、逆に気後れしないかと聞いてくる同僚もいた。ナレインもどちらかといえば後者なのだが、こうして目の前にするとそんな感覚すらどこかに行ってしまう。胸がざわめく感覚など、子供のようだと思う。

「妹も色々とお世話になってたみたいだし、遠慮なんかしないで」

「そんな、エルシェさんには俺の方こそ・・・・・・」

「そうなの? あの子と話してると、ちょくちょく君の名前が出てくるよ」

 小首を傾げるようにして微笑んだアンシェラに、ナレインはどういう表情を返せばいいか分からなくなる。まるでその間を察したかのように、ウェイターが空いた皿を下げに来た。

 アンシェラは、少し大仰な仕草でワインを飲み干す。綺麗な喉元から、わずかに開けられた胸元に視線が誘導された。ナレインは慌てて視線をそらす。

 テーブルに置かれたサラダの品の良い盛り付けが、彼の視界に入った。

 

 

 

 島の南東側は、珊瑚が形成する遠浅の海岸になっている。そのため外洋に面しているが波は比較的穏やかで、波打ち際には真っ白な砂浜が続いていた。綺麗な場所なのであるが市街地から遠いため、漁師の小さな集落が近くにある以外は、訪れる人の少ない場所でもあった。

 道路はちゃんと通っているため不便という事はないのだが、町の人でこの海岸まで足を伸ばすのは、釣り人かデートの場所に困ったカップルくらいなものだと、ナワンが話していたのを思い出す。ノンナはハンドルを握る彼を横目に見た。

 本隊が到着してから、ノンナが連合の部隊との会合に出席する事はなくなった。島の役場の関係者との会合は多いのだが、ナワンと正式に会う機会はほぼなくなっている。だから、ナワンの方から接触を求めてきた時は、もの凄く緊張した。

「業務の引継ぎは、どんな状況ですか?」

「ザフトの行政システムが使えないんで、なかなか上手くは」

 もちろんデートの申し込みなどではなく仕事の話であった。

 島の行政は赤道連合が担っているため、その業務の引継ぎに関しても連合軍に所属するナワンが口を挟める話ではない。しかし、連合とザフトによる島の引渡しに関する様々な取り決めと、行政業務の引継ぎは密接に関わる問題でもある。もちろん、公式な手続きをもって、連合軍と行政当局の間の情報共有が出来ているという建前は存在した。

 それでも、そんな建前だけで仕事が回るわけはない。人間の行う仕事は、最終的に人間同士がやり取りをしなければならないのだ。

 ナワンがノンナとの接触を持つのは、先遣隊の時からやり取りを続けていた事と彼女自身の能力が極めて高いという理由であった。こうして車で彼女を連れ出すのは、ナワン自身と彼女の気分転換を図るためである。

「ナワンさんの方が、お疲れじゃありませんか?」

「いや、自分はこう見えていい加減ですから」

 砂浜の方へ少し乗り入れて車が停まる。ナワンに促されて、車を降りた。少し風が強く、ノンナの二つに結んだ髪が煽られる。インド洋の水平線が、ゆったりと弧を描いていた。

 ナワンにこうして浜辺に連れられて来たのは三回目。バルナバに島の土産物として渡した珊瑚も、ここで見つけたものだ。椰子の木陰で、ナワンが手渡してくれた水筒を傾ける。お互いに制服姿の二人は、他人からどう見えるのだろうか。ノンナはそんな事を思った。

 交わす会話は、どちらかといえば苦い会話。進展しない連合とザフトの会合、全く異なる行政システムに右往左往するプラントの職員、そして未だ見通しの立たない島の治安情勢であった。

「拘束準備名簿の件、ありがとうございました」

「いえ、それはこちらが正式に謝罪すべき事です」

 ヤルミラは、島の住民、特にナチュラルの住民を対象にした名簿の作成を行っていたのだ。今後何らかのテロ事件が発生した際、その名簿の分類にしたがって住民を拘束する計画であった。証拠に基づいた犯人の逮捕ではなく、プロファイルに基づく容疑者の拘束であり、テロの予防を名目にした不穏分子の摘発である。

 大戦中に一部ザフト占領地で行われていた施策であり、住民の分類方法や思想信条等の確認手法はマニュアル化されていた。ヤルミラもそれに従って、名簿を作っていたようだ。

 ヤルミラが住民の個人情報を勝手に集めているという話は、ノンナも住民からの陳情という形で聞いていた。だが、その名簿の内容を知った時は、流石に絶句した。

 結局、名簿は連合の担当者立会いの下で破棄され、アンシェラの名前で謝罪の文書を提出する事で決着した。名簿の内容については公表を差し控えながら、ザフトが住民の個人情報を不法に収集していた事については、住民説明会の場でも謝罪する事になっている。

「ヤルミラが謝る事なのに」

「ルシエンテス副長が泥を被ったのですね・・・・・・あの人らしい気はします」

 ノンナの意外そうな視線に、ナワンは意外そうな表情を浮かべた。少なくとも、彼はアンシェラの事をそう評価している。彼女の目から見れば、自分達のやっている事は万事まどろっこしく見えているのだろうと、ナワンは思う。

 組織というものは、個々人の限りある能力では処理できない物事を、多くの人間が集まる事によって効率的に処理するために形成される。だがアンシェラほどの能力を持つ者からみれば、組織など個々人の能力を制限する非効率的なものなのだろう。所属する派閥の面子、人間関係のしがらみ、硬直化した手続き、およそ組織の目的とは無関係の事で組織は動いている。

 その中でアンシェラがもっとも効率的に物事を進めるには、自分一人で動くしかない。それが組織内の人間関係を複雑化させ、さらなる組織の非効率化を招く事が分かっているからこそ、彼女は進んで泥を被るのだ。

「何でも出来る事が当たり前の人は、出来ない周りに合わせて窮屈に生きているのかもしれません」

「そうなの、かな」

 ノンナはつぶやいて、海の方を見つめた。気にならなくなった潮騒に意識を集中すると、砂浜を歩いてくる足音が聞こえた。視線を巡らせると、大柄な男性が数人、こちらに向かってくる。ナワンの腕を掴むと、彼も向かってくる人に気付いたようだ。

 彼はノンナの前に立ち、落ち着いた様子で制帽を取って挨拶をした。

「連合の人だね」

 言葉遣い自体が悪いわけではないが、大きなだみ声は無駄に威圧感を生む。それでも、怯えた様子を見せるのは島の人に対して失礼に当たると、ノンナは平静を保とうとした。ナワンが握ってくれた手に、胸の中で安堵の息をつく。

 男性達は集落の漁師で、海岸で軍の訓練をするなら事前に通告して欲しいと苦情を言っていた。砂浜が荒れたり、珊瑚礁が崩れたりすると、漁に影響が出るのだそうだ。

 ナワンは上手に謝りながら、その訓練が行われた日時と場所を確認する。連合にもザフトにも、この近辺で訓練を行った部隊はいないはずなのだ。詳細な調査と報告を漁師たちに約束する。

「だから補償金とかそう言う話じゃなく、筋を通してくれって事だよ」

 そう言って帰って行った漁師たちを見送ると、ノンナはホッとした笑みを浮かべた。ナワンも微笑みを返したが、その表情はすぐに曇った。夜間に大型のトレーラーを使って、誰が何をしていたのだろうか。

 

 

 

 島の銀行から掛かってきた電話を受け、アイシャは顔をしかめながらファイルを探す。ザフトの本隊が到着してから、物品と資金の管理が格段に複雑になっていた。特にザフトとの間で食料や消耗資材のやり取りが始まってからは、賃貸記録や預かり金、仮払金の記録が積みあがっているのだ。

 それらを、連合本部と赤道連合政府の正規の手続き、連合本部とプラントの外交交渉に則って行えば、ボールペン一本をザフトに貸すために三十枚の書類と五日の時間が必要になる。そのため、大量の簿外記録が生まれていた。

 当然、懲戒処分を免れない行為なのであるが、最後に隊長が全ての責任を取る事になっていた。テロ事件が発生した時点で、ニッシムは自分のクビを覚悟している。アイシャは受話器を下ろすと、会計課に顔を見せたリンタンと目を合わす。そのリンタンの声には、疲れた棘が混ざっていた。

「ねぇ、隊長知りません?」

「釣りじゃないの?」

「道具一式が残ってんですよ」

「じゃ、先生のところで鼻の下伸ばしてんのよ」

 パソコンのディスプレイに視線を戻しながら、リンタンの愚痴を聞く。通信その他を受け持つ部署にいる通称電話番の彼女も、ザフト本隊が到着してからの事務量増加に悩まされている者だ。

 連合とザフトの間で行われるやり取りは、その全てを記録しておく事が決められている。何らかのトラブルが起こった場合、その原因を調査し責任の所在を明確にするためには必要な事である。しかし、そんな事をいちいちやっていたら、進む仕事も止まってしまう。

 建前上、ザフトからの接触はリンタンの部署に一旦全て集めて記録し、その上で担当部署に繋ぎ担当部署が作成した記録をリンタンの部署で管理する事になっている。

「バカ正直にやってる人はやってる人で面倒だけど、勝手に連絡方法教え合うのもどうかと思うんですよ」

 何かあった時にまず問題視されるのは自分達だと、リンタンが頭を抱えて言う。

 ザフトは連合が使用していた宿舎を使っているため、内線電話がそのまま使えるのだ。そのため、直接内線電話でザフトの担当を呼び出し、事務を進めている者が多い。警備局や島の行政職員を加えた私的なワーキンググループや対策会合は、それこそ把握できないほど存在した。

「いや、せめて議事録は残してるじゃん」

「アイシャさんはマシな方ですよ。ナワンさんとか、何もしないんですから」

 そのくせナワンは、ザフト側との会合前にはしっかりと根回しを済ませている。その有能さに疑いの余地はない。

「シティみたくトラブるよりいいじゃない」

「・・・・・・アイシャさんは、コーディネーターの事、どう思ってました?」

 ナチュラルがコーディネーターをどう思うか、それは人それぞれとしか言いようがない。逆もまた然りであろう。遺伝子差異に基づく差別感情が両者の間にあり、それがコズミック・イラを揺るがした戦争の遠因とされているとしても、一人一人がどう思っているかは全く別の問題だ。

 日々の生活が存在し、毎日の仕事に追われている者にとって、それこそが優先すべき問題であり、自分自身がコーディネーターの事をどう思っているかは二の次以下の問題である。その優先順位を間違う者は、仕事を滞らせ周囲に迷惑をかけ、影で無能と呼ばれるのだ。

 何より今彼女達の目の前にいるのは、コーディネーターという姿形の曖昧な集団ではなく、一人一人に名前がある共に仕事をする同僚だった。会計課の課員が、受話器を掲げてリンタンを呼ぶ。

「ザフトの彼氏?」

「違います」

 流石に内線でやり取りはしないと言って、リンタンは受話器を置く。ニッシムからの呼び出しだった。彼女は大きなため息をついて立ち上がる。アイシャが、彼女の憂鬱そうな表情に、同情の視線を向けてくれた。

 だがリンタンの憂鬱の原因は、隊長からの呼び出しにも、自分の業務量の膨大さにもなかった。テロ事件の後、彼女は部隊内の特定の人物に関わる通信記録の分析を命じられているのだ。同僚に疑いの目を向ける任務であり、その心理的負担は大きい。

 

 

 

 今回の定期連絡でも、カーペンタリアから予定が提示される事はなかった。ザフトの第二陣がアルダブラ島へ派遣される予定はいまだに未定である。第一陣を預かるラケル・スピアーズは、椅子を回して窓の外に視線を送った。

 ザフト本隊を狙った大規模爆弾テロが発生した以上、カーペンタリアやプラント本国が警戒心を強めるのは理解出来る事だ。ラケルとてカーペンタリアにいれば、島の安全性が十分に確保されるまで、第二陣の派遣は停止するように言うだろう。現場の感覚を失っているなと、彼女は一人つぶやいた。

 もっとも第一次ビクトリア降下作戦で負傷し、それ以降は後方勤務続きだった彼女が持つ現場の感覚というものは、非常にあやふやなものではある。現在、隊が機能しているのは、優れた部下に恵まれているからであった。

「ジーノ副長には、もう少しがんばってもらいたいのだがな」

 先遣隊の責任者であり、現在は副隊長格で隊の運営に参画させているヤルミラ・ジーノは、本隊を乗せて来た輸送艦を標的としたテロを察知し、それを回避させるという優れた判断を見せてくれた。ザフトの理念を信奉し、コーディネーターの理想を掲げる彼女の姿勢は、ラケルにとって好ましいものであり、島での任務にも深く関与してもらおうと考えていた。

 だが日が経つにつれ、彼女の実務能力には目に見える差が見え出していた。もちろん、13歳でザフト入隊が認められた天才と、13歳で一級行政職員資格を持つ俊英が、同じ隊にいる事を考慮しなければフェアではない。それでも彼女を、連合との折衝や島の住民に関わる業務からは外さざるを得ない状態になっていたのだ。

 連合に対する譲歩を厭わないアンシェラや、島の住民を積極的に行政に関与させるノンナのやり方を、ラケル自身が快く思っているわけではない。しかし、わずか300人の部隊で、島に必要とされる業務をこなすには他に方法がないのだ。その他にない方法をとれないヤルミラがこなせる任務は少ない。

「コーディネーターは人でしかない、か」

 ラケルは立ち上がって窓辺による。赤い制服姿に銀の髪が映える女性が、中庭にいるのが見えた。数名の隊員を引き連れているようだ。ヤルミラに人望がないわけではない。

 むしろ彼女の厳しい姿勢は、一部の隊員からは熱狂的ともいえる支持を得ていた。彼女らから見れば、今の隊の状態はナチュラルにおもねる惰弱な組織運営でしかない。アルダブラ島は正式にプラント領となるのである、ザフトが一元的に管理運営し、その統治を完遂させなくてはならないはずだ。

 ましてや、ザフトを標的としたテロが現実に起こったのである。島は戦時状態にあり、ザフトはそれに対応する必要がある。テロを未然に防ぐためには、潜在的なテロリストであるナチュラルに対する警戒を怠るわけにはいかない。

「ですが、そのための名簿は・・・・・・」

 傍らの隊員が悔しそうにつぶやくのを聞き、ヤルミラは表情も変えずに心配はないと応じた。連合との関係に悪影響を及ぼす可能性を危惧し、ナチュラルをその危険性に応じて分類した名簿は破棄される事になっていた。現に、プリントアウトしたものは焼却され、電子データは全て削除されている。

 しかし、名簿の件が何者かにリークされる危険性は考慮してあった。バックアップを記録として残す事は出来なくとも、記憶に留める事まで止められはしない。ヤルミラの頭の中には、最も危険性の高い人物としてリストアップされている数百人分のデータが一言一句違わずに収められている。

 後は、そのデータを元にテロリストを拘束するだけでいい。

 

 

 

 海の中をMSで進むというのは、空を飛ぶのとはまた違った緊張感がある。水はMSの動きを極端に鈍らせ、モニターの映像はコンピューターによる補正が幾重にも掛けられているにもかかわらず容易に歪む。ほんの少し深度を下げただけで光は来なくなり、水圧は音もなく装甲を締め上げていくのだ。

 ただ水中ではソナーを利用できるため、空より格段に広い範囲を警戒する事が出来る。反射音は自動で解析され、サブモニターには海の中にある様々なものの影が映し出されていた。

 クレトがモノアイを振ると、ジンの眼前をウミガメが泳いでいく。映像記録を確認し、あとで個人用に確保しておこうと思う。

「港の突堤を確認。潜行モード解除、浮上航行に切り替え」

 マニュアルに沿って、コクピットのレバーを操作していく。彼にとって水中MSの操縦は不慣れであり、操作の一つ一つを確認しながら行っているのだ。

 ザフトのMSパイロットは全領域での操縦が出来るよう訓練されている。だが実際には、配属される部隊によって乗るMSが限定されてしまう。クレトもカーペンタリアでは、もっぱら空戦用MSに乗っていたのだ。

 島ではMSパイロットの数も少ないため、ローテーションの順番によっては不慣れな水中用MSに乗らなくてはならない場面も出てくる。ディンに慣れていない同僚のパイロットは、自分と同じ事をディンのコクピットの中で思っているだろう。

 港の灯台からの発光信号が見え、センサーを合わせるとレーザー通信が繋がった。クレトはホッと息をついて、操縦桿から手を離す。ストローで水筒の中身を吸い込むと、ヘルメットを取って汗を拭う。

 周辺海域の警戒は連合軍ではなく海洋警備局の管轄であり、ザフトも海洋警備局と共同して警戒を行っていた。灯台にはMSのための専用管制室が設置されている。レーザー通信が繋がれば管制室の方からジンの誘導ができるため、あとは自動操縦に任せておけばいい。

「基地の方も、これくらいスムーズにやってくれれば楽なのにさ」

 水筒をラックに戻したクレトはそうつぶやく。ジンワスプの操縦には不慣れであっても、海の警戒の方が楽だと彼は感じている。空の警戒を受け持つ基地では、毎日のように管制塔で細かな問題が発生していた。

 ザフトと連合と警備局が空中警戒の可能な機体を出し合い、タイトなローテーションで島の上空を回っているのだが、その管制を受け持つ部局がどうもうまくいっていないらしいのだ。

 クレトの上司が、重大な事故が発生する前に状況を改善するようにと申し入れているのだが、連合との関係であるだけにザフトとしても強く出られないのだそうだ。連合側の管制部局が運用規定の厳格な適用を求めているらしく、ザフトとしてもルールを破れとは言い辛いのだろう。

 しかし簡単なスケジュール調整や単純な伝言まで、部隊司令官を通して行うなど、およそ現実的ではない。それに、今空を飛んでいる機体の安全を確保するために、現行の運用規定を一時的に逸脱する必要性も出てくるだろう。書類の決裁を待つ間に機体が墜落しては本末転倒だ。

 輸送艦の格納庫に備え付けられたハンガーにジンを固定し、クレトはコクピットを出る。格納庫を歩いていたパイロットに声を掛けた。

「ホントなら、そこまで含めた規定を用意しなきゃならないんだろうけどな」

 輸送艦の食堂で軽食をつまみながら、クレトはため息混じりに言う。丁度輸送艦に来ていたエルシェが、コーヒーを口にしながら頷いていた。

「でもなんか、そういう話じゃないみたいよ」

 エルシェが声をひそめて言った。連合の部隊の中にいる極端なコーディネーター嫌いが、コーディネーターと直接口を利きたくないがために運用規定を盾に取っているという噂があるのだそうだ。

 子供じゃないかと、クレトは肩をすくめた。彼は、エルシェが誰かの名前を出そうとしてやめたのを気付かないふりをし、話題を変えた。

「エルシェもシフト明けだよな。基地に戻るなら途中で飯でも食わね?」

「ゴメン、先約あり」

 

 

 

 BGMが変った。聞きなれないその音楽は、この辺りの民族音楽なのだろうか。ウェイトレスがテーブルに置いたのはラム酒のカクテル、空いたグラスを下げてもらうと、キャロラは唇を湿らせる程度にカクテルを口にする。

 彼女らが来ているのは、基地で評判になっていた蒸し牡蠣を出すダイニングバー。植物を編んだ籠の中で蒸された牡蠣に、大きな青い柑橘が添えられている。牡蠣の濃厚な旨みに柑橘の果汁が爽やかさを加え、その大振りな身を際限なく口に運んでしまいそうになる。

「難しいんでしょ、牡蠣の養殖って」

「さぁ?」

 間をつなぐようなキャロラの言葉に応えたのはヘルミだった。一緒に来ているもう一人、エルシェはグラスの氷に瞳を向けている。自分から飲みに誘った手前、杯のすすむエルシェにもう飲むなとは言いづらい。せめて何か食べるようにと、ヘルミはせっせとエルシェの皿に料理を取り分けていた。

 店は島内でもコーディネーターが多く住む地区にあり、客層も落ち着いた雰囲気の人が多い。ザフトの隊員もよく利用しているようで、見知った顔がチラホラ見える。基地の外に出かける隊員は、メンバーが固定されてきていた。

 プライベートをどこで過ごそうと各人の自由であるし、島の状況を考えれば基地にいる方が安全なのかもしれない。基地の食堂でも島の産物が出てくるようになっており、それらもプラントでは食べる事の出来ない珍しいものだ。それでも、基地から出ないのはもったいない事だとキャロラは思う。

 プラントという居住空間。それは人の英知の結晶であるが、同時に人が生み出したものに過ぎない。そこにある物はすべて、人が考え得る物だ。完璧に計算され、設計され、全てが人の考えの中で作られた必然の世界。

「この島は、何もかも全部が偶然ですよね・・・・・・」

「偶然、か。その方が綺麗ね。ここはノイズだらけで気持ちが悪いって言ってた子がいるわ」

 不満そうなキャロラに、ヘルミは理解は出来るでしょと言う。プラントのコーディネーターにとって、それは当然の感覚である。自分達の存在そのものが、ノイズを排除して生まれてきた者なのだから。

 人は今や偶然生まれてくるだけの存在ではない。必然として生み出される存在でもあるのだ。それが人類に何をもたらしたのかを論じたところで、今こうして存在するコーディネーターを否定する事は出来ない。

「ほら、いい加減飲みすぎよ」

 ウェイトレスを呼んだエルシェを、ヘルミがたしなめた。キャロラは代わりにジュースを頼む。

「単に噂じゃん。そういうのって、大げさに騒いでるだけだよ」

 キャロラがこうしてエルシェを食事に誘ったのは、部隊内で囁かれている話が理由であった。アンシェラが連合のパイロットとデートしている姿が、何度か目撃されているという内容であった。そのパイロットの名前までは分からないのだが、様々な話を総合するとナレインである可能性が極めて高い。

 男女の話は、部隊の中でも色々と流れている。アンシェラの噂もその一つに過ぎず、誰が目撃者かも定かではない。それでも、キャロラとしては気を回してみたつもりなのだ。エルシェのくせっ毛を留める青いバレッタに視線を止める。

「別に気にして・・・・・・なくないけど、お姉ちゃん、綺麗だから」

 運ばれてきたフレッシジュースの色を目に映しながら、エルシェは言葉を探すように話す。口を開こうとしたキャロラを、ヘルミが目で制する。

「お姉ちゃん、賢くて強くて綺麗で、私が小さい時からずっと凄くて・・・・・・」

 憧れであり、誇りであり、眩しく慕わしい姉であった。エルシェにとってアンシェラは、見上げる先の全き存在であった。

 だから、その噂を耳にした時も驚きはしなかった。ただ、そうなるのが当然のような気がしただけだ。アンシェラと自分の間に比べられるようなものはないのだから、エルシェはそんな事を言った。

 ジュースを口にしたエルシェは、視線を落として笑った。アルコールのせいか、目が潤んでいるように見える。ヘルミは、小さな声で聞いた。

「お姉さんの事、苦手だったりする?」

「・・・・・・大好き」

 視線は上げないまま、エルシェはっきりと言った。そして、店のBGMに消えてしまいそうな声で続ける。

「大好きで、大好きで・・・・・・お姉ちゃんの事が、好きすぎて、自分の事が嫌いになっちゃう」

 それが凄く嫌なんだ、エルシェは最後にそうつぶやいた。一瞬の沈黙の後、彼女は立ち上がる。店員に手洗いを場所聞いて、店の奥の方に歩いていった。

 キャロラはジュースを飲む。絞りたてをうたうそれは、南国の果物特有の重く濃い舌触りだ。グラスの氷を一つ、口に含んだ。ヘルミと視線を合わせる。彼女の表情にも、戸惑いが浮かんでいた。

 もしかしたら、触れるべきところではなかったのかもしれない。迂闊だったと、ヘルミは思う。きっと普段なら、エルシェはここまで話さなかっただろう。だが、今日は色々とタイミングが合い過ぎたのだ。

 戻ってきたエルシェは、さっぱりとした表情だった。

「最後に、甘いもの頼んでいい?」

 いつもと変らないエルシェの明るい声に、キャロラは明るく応じる。トロピカルフルーツパフェが三つ、テーブルに並べられた。




 次回は、15日に掲載します。

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