大海原の小さな島 ~アルダブラ島奮戦記~   作:VSBR

10 / 17
九話  現場の苦労

 島の上空での警戒飛行は、周辺海域の監視が主である。島でのテロ行為に外部勢力が関わっている場合、その連絡や物資の輸送は船によって行われるしかない。そのため、周辺海域の監視が何よりも重要なのだ。海洋警備局の船とザフトのジンワスプは、対潜哨戒を受け持っていた。

 ザフトが持っている航空機は、ディンとドゥルの二機。これで周辺海域の二十四時間監視などできるわけが無い。連合のスカイグラスパーと海洋警備局の救難飛行艇を使って、何とか警戒態勢を維持していた。

 そのため、上が権限の委譲で揉めている間でも、現場レベルでは否応なく連絡体制が構築され、協力関係が成り立っていた。今日もそのために、ザフト・連合双方のパイロットも参加しての会議が開かれている。

「ナレインさんも出席ですか?」

「えぇ、自分もグラスパーに乗る事があるんで」

 笑顔のエルシェにナレインが応える。そのまま彼の横に座ろうとする彼女の手を、クレトが引っ張る。一応、席は決まっているのだ。各組織の現場責任者が入室し、会議が始まる。現状の警戒態勢をいつまで続けるかが、目下の課題であった。

 機体もパイロットもギリギリの状態で回しているため、現在の態勢をいつまでも続けられない。少なくとも現場では限界が見えている。そのため、現場から見える限界を上に伝えなければならないのだ。

 そういう配慮は上が真っ先にしなければならないのだがと、連合の責任者がため息混じりに言う。ザフトの整備責任者が消耗部品の在庫を報告し、警備局の責任者が補給船のスケジュールを発表した。

「どうでした、使えそうな部品あります?」

「部品は絶望的ですね。ただ防塩剤や洗浄液はありがたいです」

 MSの稼働率が想定より高いため、整備用部品の消耗が早いのだ。連合や警備局から融通してもらっている物資も、かなりの点数に及ぶ。その他、パイロットのローテーションについての問題点や、警戒海域の広さについて変更点が議論された。

 そして最後に、これをどうやって上に報告するかが検討された。現在、ザフトと警備局が激しく揉めている最中であり連合はその真ん中で右往左往している。現場からの要望を素直に受け入れてくれるとは、考えにくかった。

 全員が押し黙った会議室で、ナレインが発言する。

「連合から提案するのが、やっぱり筋なんじゃないですか?」

 唇を噛んでいる部隊責任者に、ナレインが促すような視線を送った。連合の提案を素直に聞き入れてくれるだろうかと、誰かがつぶやくのが聞こえる。

「それなら、あの、ルシエンテス副長に、話を通してみていいですか?」

 エルシェがおずおずと手を挙げて発言する。彼女なら現場の状況も正確に理解してくれるはずだと、エルシェは言った。

 他の妙案があるわけでもなく、二人の意見が通る。議事録をまとめた文書を作って、双方に渡す事となった。ホッとした表情のエルシェの視線は、微笑みかけてくれるナレインを捉えていた。

 

 

 

 1Gの重力が維持する薄い大気層。しかしそれが、この天井の無い高い空を生み出している。大気は、太陽光から凶悪な放射線だけを遮蔽し、わずかに肌を焼く光だけを届けてくれる。

 窓から吹き込む風の潮の香りには慣れてしまった。視線を外に向けると、わずかに見える水平線の向こうで積乱雲が沸き立ち、絵に描いたような空の風景が出来上がっていた。ヤルミラ・ジーノは基地の廊下で足を止める。

「蒸し牡蠣? 何それ、美味しそう」

「絶品よ、しかもとんでもなく安いの」

 すれ違った女性隊員の会話が耳に入った。ザフト本隊が到着して二十日あまり、初日の混乱を立て直した後は、隊の運営に大きな問題は生じていなかった。もっとも、連合との折衝は続いており、こちらはかんばしい成果を出せていない。ザフトの隊員数の少なさを理由に、連合は警備などの権限を手放そうとしないのだ。

 基地や港の周辺などはザフトが警備を受け持っているが、町での警戒活動や周辺海域の哨戒などは、未だに実現していない。上空の警戒飛行も、連合と共同で実施している状態だ。

 明確にザフトを狙ったテロが発生した以上、警戒が厳重すぎるという事は無い。隊員の外出など、本来であれば許されない事だ。ヤルミラは奥歯を食いしばる。

「アンシェラ・ルシエンテス・・・・・・」

 この状況下で隊員の外出が許可されたのは、彼女が司令官を丸め込んだからに他ならない。確かにこの基地は、部隊運用のための最低限の機能しか持ち合わせず、カーペンタリアのように隊員の生活の全てを基地内で完結させられるような場所ではない。だからといって、わざわざテロの標的になる可能性を増やす必要などないはずだ。

 早期に警察権を掌握し、行政当局と連携して住民の各種情報を把握、外部勢力との通信を捕捉しテロ犯の検挙と背後組織の壊滅を行わなくてはならない。それがない限り、隊員の安全など確保できない。

 ヤルミラは司令官室の机を叩きながら言った。

「どうして全面的な権限の委譲ではないのですか!! 条約では・・・・・・」

「期限は明示されていません、つまり現場の状況に応じて良いという事です」

 島の巡回警備に、ザフトも参加する事が決まったとの報告があった。アンシェラの心底困った顔が、ヤルミラの苛立ちを助長する。連合や海洋警備局とザフトの間で、指揮命令系統をどうするかの調整に手間取ったというアンシェラの言葉も、言い訳にしか聞こえない。

「指揮権は全面的にこちらが握り、連合が我々の指揮下に入」

「出来ると思いますか? ザフト内部の話ではなく、連合軍やその加盟国の行政機関との関係なのですよ」

 ヤルミラに最後まで言わせず、アンシェラは冷静な言葉遣いで言う。だがその言葉に、ため息が混ざっているのは確実だった。激昂しかけたヤルミラの言葉を留めたのは司令官の言葉だった。

「ジーノ副長から具申のあったテロ対策のための部隊、編成を進める事になった」

「本当ですか!」

「改めて辞令を出すが、責任者は君だ。キーデルレン護衛官を補佐につける」

 司令官室を出て行ったヤルミラを見送り、アンシェラは司令官に頭を下げた。ヤルミラが報告に反発する事は折込済みだったため、テロ対策部隊の話題を出すように頼んでいたのだ。

 司令官はアンシェラも下がらせると大きな息をついた。退役前最後の任務、南の島での楽な仕事だと聞いてきたのだが、どうやら違ったようだ。

 

 

 

 港の中のザフトの潜水輸送艦が停泊している区画は、連合とザフトの部隊が厳重な警戒を行っている。テロの現場も未だ封鎖されている。しかし、それ以外の場所は通常の運用に戻されていた。きちんと整備された港は島に一つしかなく、漁港や市場としての機能も持っているため、いつまでも閉鎖しているわけには行かないのだ。

 銃を担いだ兵士が巡回し、すぐ傍にはMSが立っている光景も、一週間ほどで普通の光景になっていた。水揚げされた魚の取引も、そろそろ終わりの時間だ。車の窓を開けると、魚の匂いが押し寄せてくる。

 ニッシムは胸のポケットをまさぐるが、出てきたのは空箱だった。小さく舌打ちして窓を閉める。警備局との打ち合わせの最中に、全部吸ってしまったようだ。

「増えていませんか?」

「そろそろ現場から突き上げられるタイミングだぜ、タバコくらい許せよ」

 ナワンのストレス解消法は何なのだろうと、ニッシムは横目で彼を見る。そんなニッシムの疑問に興味はないとばかりの落ち着いた声で、ナワンは昨日リンタンが上げてきた報告書について問う。

 島と外部との通信状況の変化を追跡させていたのだが、やはり島の外部の何者かとの頻繁な通信が記録されていた。特に、本土ではなくマダガスカルを経由した通信が多く、通信記録もアフリカ大陸に入ってからは追跡が難しくなっている。

 確たる証拠とそれに基づく令状がなければ通信内容の傍受が出来ないので、通信先の記録は状況証拠にしかならない。それでも、いくつかの怪しい団体が浮かび上がっていた。

「うちの電話番は有能だからな」

「やはり、ブルーコスモスですか?」

 ニッシムの軽口を流すように、ナワンは問い掛けた。確証はないと答えたニッシムは、島の何者がそれらの通信を行っているのかを考える。固定の端末で行われているはずがなく、公共施設や大きな飲食店などの共用接続点に端末を繋げて通信を行っているのであろう。怪しげな通信に関わる全記録と、防犯カメラの全映像を付き合わせるのは現実的とは言いがたい。商店の防犯カメラの映像など、保存期間自体が短いのだ。

「停めてくれ、タバコ買う」

 軍の補給品からタバコが消えて久しい。基地に戻ってもタバコは置いていないのだ。町でもタバコを扱っている店は少ないため、店主の老人とはすっかり顔なじみになっていた。何も言わずに、いつもの代用タバコが一カートン出てくる。

 その場で吸っていいか尋ねると、店主は黙って店の奥を指差す。灰皿の前の先客に頭を下げてライターを探す。先客が火を差し出してくれた。

「こりゃ、どうも・・・・・・って、ラマ大尉じゃないですか」

 海軍部隊が宿舎を移ってから疎遠になってしまった喫煙仲間に出会い、ニッシムは思わず笑顔になった。私服だったので最初は分からなかったが、相変わらずの渋い顔だ。しばらく雑談に興じ、二本目に火を付ける。

 現在、島に残っている海軍部隊は五十名弱。町外れにある、今は使われていない警備局宿舎で寝起きしている。残務処理という名目で残っているのだが、ほとんどの隊員が今まで通りの訓練をしているらしい。

 どの道、ザフトと連合に対する抗議の意思を示すという海軍のパフォーマンスを、最後までやり遂げろなどという命令を受けているのだろう。彼の引いた貧乏くじにニッシムは同情する。

「海軍さんが残っていてくれれば、警備などの分担も頼めたんですけどね」

「それに関しては、申し訳ない」

 非難めいた言い方になってしまったのを、ニッシムは慌てて詫びる。そして海軍部隊の方でも警戒をして欲しいと言った。テロリストの狙いは、ザフトにのみ向いているわけではない。

「こちらの事なら心配はない。むしろ一般市民を標的とした無差別テロの方が」

「それなんですよ」

 いわゆる地元生まれの一匹狼型のテロは、ハードターゲットではなくソフトターゲットを狙う事が多い。その上この島では、標的となりうるコーディネーター住民が多い。警戒すべきはそちらだというソモの指摘はもっともなものである。

 ザフトを標的としたブルーコスモスと目されるプロによるテロと、島の住民の中から突然に現れるテロ、この全く異なる二種類のテロを警戒しなくてはならないのだ。ソモがタバコを灰皿に押し付ける。

「ザフトの兵士が町をうろつくのは、よくないな」

 不愉快に思う者も多いだろう、そう言ってソモは店を後にした。ニッシムは頭を掻いて、タバコを一吹かしする。非番の人にする話題ではなかった。

 車に戻ると、ナワンは怒るでもなく始動キーを回す。流石にタバコ二本分は長かったかと、ニッシムは素直に謝った。ナワンは、店から出てきた人物について聞く。

「あぁ、ラマ大尉がいたんだよ。それで話し込んじまった」

「元からお知り合いなんですか?」

 言ってなかったかと、ニッシムは助手席の窓を開けながら言った。続きを促すようにナワンが視線を向ける。仕事とは関係の無い話に食いつくのは珍しいなと思いながら、ニッシムは少し長いしつまらないぞと前置きした。

 できれば簡潔に要点だけを、とはナワンも言わない。ただ、車のスピードを制限速度きっちりに落とした。

 

 

 

 ザフトは地球上に占領地をいくつか有している。そのほとんどが基地とその周辺の土地であり、そこに住む人は基本的にプラントの人間である。占領地に元から存在した行政組織は解体され、プラントと同じ行政組織が新たに立ち上げられるという形で、占領地行政は行われていた。

 しかしアルダブラ島は、戦争で軍隊が占領した島ではない。交換条約で、現状の島の行政制度を尊重する事が求められているため、行政組織も大部分はそのまま維持される。そのため、ザフトの行政担当者に対して膨大な業務の引継ぎが発生していた。

 島の行政職員は赤道連合の公務員であるため、島の引渡完了後に赤道連合の本土に戻ってしまう。職員の異動スケジュールを勘案しながら、引継ぎスケジュールを考えなくてはならない。

「課長、お客様です」

 島の行政担当者との間で不要業務の洗い出しを行っていたノンナは、時計を見上げる。思った以上に作業が長引いていた。次の会合までに詰めておくべき点を決め、慌しく担当者と別れる。

 来客を待たせている応接スペースに駆け込み、遅くなった事を詫びる。客は、先遣隊が宿泊地として使っていた別荘の管理人をしていた人だ。連れの男性にも挨拶をして椅子に座ると、とりあえず水に口をつける。

「忙しそうですね」

「え、えぇ、まぁ」

 用件を聞こうとしたノンナに、管理人が出来れば人のいない場所の方が良いと言った。オフィスの隅にパーテーションで仕切っただけのスペースでは、話しにくいのだという。ノンナは空いている会議室に二人を案内した。

 管理人は、別荘だけでなく不動産の管理などを手広く行っている会社の社長で、連れの男性はその会社の労働組合の委員長をしている人だった。

「島のナチュラルの互助会の面倒も見させてもらっています」

 委員長はそう言って額の汗を拭った。小太りの冴えない風貌だが、きちんとしたスーツ姿で、少し緊張しているのが分かる。ノンナに用があるのはこの人だった。

「社長が、ザフトの高官にツテがあると聞きまして・・・・・・」

「いえ、高官だなんて」

 ノンナはそう言うが、実際は島のザフトの中では上から数えて五番以内入る高官だった。階級や序列を嫌うザフトだが、そういうものがないと仕事が回らないのが組織である。

 そのザフト高官に直接要望を届けに来たという事は、表敬訪問のような話ではないのだろう。わざわざ人払いまでする必要のある話題だ、ノンナは息を詰めるようにして委員長の話を聞く。

 一通りの話を聞き終えると、ノンナは自分自身を落ち着かせるようにコップの水を飲み干した。努めて冷静に、声を硬くしないよう気をつけて話す。

「早急に対処します。経過等の報告もきちんとさせて頂きます」

「いえ、あくまで陳情として、ザフトの方々に聞き置いて下されれば・・・・・・」

「条約上も、プラントの法制上も、根拠のない事です。これは行政府として放置出来ない事ですので、すぐにでもザフトに申し入れを行い、事態の改善に努めます」

 ノンナは立ち上がって頭を下げた。

 恐縮して何度も頭を下げながら帰っていく委員長を見送り、ノンナはとりあえず管理人からもらったトロ箱一杯の魚をどうしようか考える。手土産の類は基本的に断るルールになっているのだが、生物を持ち帰れとは言えなかったのだ。

 つい先日、外部からの食糧調達についてその安全性をいかに確認するかでずいぶん揉めたと聞いている。今晩の食事に、この魚を出す事が果たして許可されるのであろうか。兵舎の廊下で逡巡するノンナを呼び止める声が聞こえる。アンシェラが小走りで近付いてきた。

「丁度良かった、ノンナも聞きたい事があったんです」

 ひとまずアンシェラにトロ箱の中身を説明すると、食堂に聞いてみるしかないと言われる。ノンナは先ほどの来客から聞いた話を、アンシェラに確認した。彼女は苦い顔をする。

「やっぱ、ホントだったのね。ジーノ副長には聞いた?」

「アンシェラさんも、この事知ってたんですか?」

 匿名の通報があったという話を、アンシェラは警備局との会合で聞いていた。匿名の通報では確証もなく正式な議題にはならなかったが、島の住民がザフトの行動に懸念を抱いている事は確かだろうと、会合では言われた。アンシェラの表情が固くなっているのを、ノンナは見つめる。

 島に着いてからのアンシェラの働きぶりについては、ノンナもよく分かっている。コーディネーターに望まれている全ての事を体現しているような働きなのだ。本隊到着時にテロが発生するなど、本来であればもっと混乱していいはずの現場がまともに機能しているのは、ひとえに彼女の働きによるものだと分かる。ノンナをして、このようにありたいと思う人なのだ。

 それでも、アンシェラの能力は無限ではない。対応策を練っているであろう彼女の固い表情に代わって、ノンナが提案する。

「カーペンタリアの外交局か、プラントの外交本部に連絡して、ザフトへの正式な要請を出したいのですが」

「・・・・・・待って、正攻法じゃこじれるわ。これはあくまでも」

「ヤルミラの独断です! ここのところ、おとなしいと思ってたら・・・・・・」

「分かってる、私もジーノ隊長に直接言うつもりはないし」

 アンシェラはノンナが言葉を収めたのを確認すると、大事にはしない方が良いと言った。ザフトとプラントは、複雑な二重構造を抱えたままになっている。ノンナが提案したような正式なやり取りは、その二重構造を刺激するのだ。

 ザフトはプラントの要請を聞き入れる義務があるのか、プラントにザフトの方針に異議をとなえる権限があるのか。処理すべき案件を目の前に、そんな神学論争に巻き込まれては意味がない。

「でも・・・・・・こんな事」

「ザフトだって、今は認めていないわ。だからここは私に預けて、ザフトとしてきちんと対応するから」

 ノンナはそれ以上の追求をしない。アンシェラなら、何とかしてくれるだろう。出来るだけ早くとだけ念押しして、ノンナは食堂に足を向けた。ふと足を止め、ノンナはアンシェラに聞く。

「ちゃんと、休まれてますか?」

「大丈夫、要領だけはいい方だから」

 

 

 

 連合の部隊は、今も木造の兵舎を使用している。本来であれば、ザフトの本隊が到着した時点で、木造兵舎を含む全基地施設を引き渡す予定だったのだが、警備や各種会合の利便性を考慮して、引き続いての利用が認められていた。

 一応、両者の境界にはロープなどが張られているのだが、若者の好奇心をそれで抑えられると考える方が愚かである。ナチュラルとコーディネーターの間にある様々な隔たりや葛藤も、個人単位で見れば著しい温度差があるのだ。

「はい、サイン。いつもありがとね」

 食堂のおばちゃんこと糧食課のコー・ギョクチュウは、食材を運んできた市場の運転手に伝票を返すと、台車を押して食堂に入る。そして課員を集めると、確認と分別の作業を開始する。今日運ばれてきた分の半分は、ザフトの分の食料なのだ。

 食料に毒物を忍ばせるなどのテロを警戒し、ザフトが調達する食糧の安全確保の責任を連合に負わせるという理由であった。不満顔の課員に、ギョクチュウは苦笑いを浮かべる。

 そのような疑われ方をして愉快な気分にはなれないが、同時にその警戒ももっともだと思う。ギョクチュウ自身、前大戦で従軍した経験があり、ザフトとの戦争を間近で見ているのだ。自分がもし、プラントでの食糧調達を命じられれば、同じような警戒をするだろう。

「ザフトの兵舎にはあんたたちが運んどくれよ」

 ギョクチュウの言葉に不満顔の課員たちは色めきたった。境界線のロープを、合法的に越えられる機会は少ないのだ。ちなみにロープ越しにザフトの兵士に声を掛ける者はロミオと呼ばれ、それに応じてくれる兵士をジュリエットと呼んだ。

 戦争が終わって十年以上が過ぎた。ギョクチュウくらいの年になれば十年など最近の話としてしまうが、彼女の部下にとって十年前など子供だった頃の思い出話となるのだろう。そのような差があれば、ザフトやプラント、コーディネーターに対する感覚も、全く違うものになっているのかもしれない。

 戦争の記憶を忘れてはならないだろう。だが、恨みや憎しみを語り伝える必要はない。それらの感情は、個人が個人に対して抱いていればいいだけの話だ。

「ロリコン趣味は感心しないね」

「俺らはあくまでも、連合とプラントの平和友好の架け橋としてですね・・・・・・」

 付き合ってられないよと、ギョクチュウは腰を叩きながら立ち上がる。巡回から戻ってきた隊員が、ばらばらと兵舎に戻っていくのが窓から見えた。そこに紛れるように、私服姿の女性がいる。

 シティ・ハルティナは私物のスクーターが置いている場所に足を向けた。非番を利用して人に会いに行くのだ。ここのところ忙しく、ろくに会う時間も作れなかった。そのため、メイクにも気合が入ってしまっている。彼女は、食堂の裏手にある屋根だけ付いた駐輪場から、スクーターを引き出した。

「あの、いいですか?」

 そう呼びかけられて、シティはヘルメットを付けながら振り返る。ザフトの制服を着た子供が、申し訳無さそうに立っていた。住民説明会で見た事のある顔、確かザフトの先遣隊として来ていた行政官だ。

「ここは連合の基地施設です、勝手な立ち入りは」

「許可は得ています。食堂の搬入口がどこか分からなくて」

 どうしてザフトがそんなところを訪れる必要があるのか、シティは問いただそうとする。その時、ギョクチュウの大きな声が聞こえた。

「こっちだよ、こっち」

 子供は礼を言うと、頭を下げて食堂の方に駆けていく。シティは舌打ちをした。子供が当たり前のようにいる軍隊、それを歪と言わずして何と言うのか。それはそのまま、コーディネーターが形成するプラントという社会と、遺伝子に手を加えたコーディネーターという存在の歪さだろう。

 コズミック・イラに生じた争乱の原因は彼らの存在であり、彼らの歪さがこの世界を歪ませてきたのだ。彼らの存在は、テロと同じように容認できないものだろう。

「久しぶりのデートの前に・・・・・・」

 浮き立った気分が吹き飛んでしまった、シティはそう思いながらスクーターを発進させる。

 

 

 

 ザフトの赤い制服は目立つ。アカデミーで優秀な成績を修めた者にしか与えられない制服であり、特定の役職に就いていない時にだけ着る事の出来る制服だ。特定の役職に就くと、白や黒の制服を着る事が求められる。赤い制服は、あらゆる任務に就く事ができる能力と立場を示すものなのだ。

 だからこそ、もったいないと思う。制服の裾をはためかせながら歩くヤルミラに背中に、ヘルミは視線を注いでいた。彼女が赤い制服を着る事に、疑問を呈する者などいない。だが、彼女自身はどうなのだろう。

「管理人さんが釣ってきたやつでしょ、私達だって普通に食べてたじゃない」

「状況は大きく変わっています。ザフトを標的にしたテロが発生した今、リスクはより厳格に管理されるべきです」

 ノンナが手土産にもらった魚を食堂で調理しようとしたところ、たまたまそれを見かけたヤルミラがストップを掛けたのだ。安全性に疑問がある物を、隊員に食べさせるわけにはいかないという事だった。

 抗議するかと思ったノンナはあっさりと引き下がったのだが、魚を処分するよう命じたヤルミラの言葉には従わなかった。彼女はそれを、連合の部隊に持っていくと言って食堂を出て行ったのだ。その時のノンナの表情は、軽蔑の一言であった

 ヤルミラのやる事に悪意など無い。おそらく、この部隊の中で誰よりもザフトの事を考えて行動しているのが彼女だろう。それなのに、どうしてその想いをこんな形でしか表現できないのだろうか。不器用とかそういう次元を超えている。ヘルミは小さくため息をついた。

「キーデルレン護衛官、部隊の編成」

 ヘルミで構わないと、ヤルミラの言葉を遮るように言う。そして、要望には応じられないと答えた。テロ対策のための特別部隊の編成、ヤルミラの構想は五十人でスタートし早期に百人体制を目指すというものであった。

 ザフトの第一陣は行政職員を含めて三百人強。その要求する規模が過大である上、何を目指す部隊なのかもよく分からない。ヘルミが改めてそう言うと、ヤルミラは足を止めて振り返った。

「容疑者の迅速な制圧と確保を可能とする部隊です」

「容疑者・・・・・・? 捜査機関を立ち上げるなら、それこそ行政府と」

「それには及びません、既にリストの作成には着手しています」

 どういう事か聞き返そうとしたヘルミは口をつぐむ。理解できないのであればただ従えと、ヤルミラの目が言っているようだった。つぐんだ口の中で、奥歯を噛み締める。

 現在の隊員数を考えれば、特別部隊の人数は最大でも十人が限度だとヘルミは言う。何らかの有用な技能を有する隊員を選抜するには、それなりに時間が掛かる事も付け加えた。ヤルミラは構わないとだけ言って、再び歩き出した。ヘルミはため息を飲み込んで、その後に付いていく。

 

 

 

 宇宙と地球では、過酷さの質が違う。ザフトのMSは、宇宙での活動を前提として開発された機体が元になっているため、宇宙という過酷な環境への対応を第一に考えられていた。そのため、地球での運用を前提としたMSは、新たに地球という過酷な環境に対応する必要があった。

 地球侵攻に際して、ザフトは十分なシミュレーションの元で各種MSを開発していたとされている。プラントのコーディネーターの優れた技術であれば、それで十分だと考えられていたし、現在でもそれは信じられている。実際、ザフトが投入した地球用のMSは、前大戦でも大きな戦果を上げている。

 しかし、現場で実際にMSを運用している者にとってはそうではない。ザフトのMSが地球でも活躍できているのは、ひとえに自分達の努力の成果であると考えていた。しかもそれは自負や誇りとは無縁の感情、現場を知らない指導者や技術者への尽きる事ない愚痴である。

「まずいです、77番があと一箱しかない」

 ドゥルのメンテナンスハッチから頭を出した整備員に、キャロラが部品を差し出しながら言う。当初の想定をはるかに上回る頻度で機体を動かしているため、消耗品が早くも底をつきかけていた。

 ザフトの勢力圏に無いアフリカ大陸に近く、カーペンタリアとジブラルタルを結ぶシーレーンからは離れているアルダブラ島は、ザフトにとって補給が困難な場所なのだ。大型の輸送機を飛ばそうにも、島の滑走路はその離着陸に使える規格ではない。

「お家芸だよ、補給の薄さは」

 部隊の中では珍しい年配の整備員が、苦々しい顔で言った。大戦中も、こういう事はしばしばだったそうだ。前線が破竹の進撃をしようとも、結局MSの部品が届かずに立ち往生するという事が、あちこちで起きていたようだ。

 そのまま昔話になりそうだったので、キャロラはそっとその場を離れた。今の愚痴ですら一杯溜まっているのだ、昔の愚痴にまで付き合ってはいられない。キャットウォークの端っこで水筒のストローを咥える。

 今、島の上空は連合の機体が警戒飛行を行っている。次の警戒飛行に備えて、ドゥルとディンの整備が進められていた。連日のオーバーワークは、確実に部隊の士気を下げている。キャロラのいる班の班長がしきりに怪我に注意するよう言っていた。

「下じゃなくて、上に言うべきよね・・・・・・」

 だが、部隊の幹部の中でMS運用の現場を直接見に来る者はアンシェラしかいなかった。今も彼女は、別の班の班長と話している。

 専用の消耗品に関してはどうしようもないが、工具や安全用品、一般の消耗品に関しては島でも入手できるものがある。それらのリストアップと手配を同時に進めているのだ。アンシェラは班長に礼を言った。

 ハンガーから出て行こうとする彼女を、呼び止める声がある。パイロットスーツを着たエルシェが、はにかむような表情で近付いてきた。

「だから、お姉ちゃんはやめなさい、仕事中なんだから」

「はーい、ルシエンテス副長」

 アンシェラは、コツンとエルシェの額を小突く。小さく舌を出して笑うエルシェに、アンシェラも微笑みを返した。しばらく、そうやってじゃれあうように言葉を交わす。

「ほら、ふざけてないで。何か言いたい事あるんでしょ」

「あぁ、そう。正式な要望は、あとから上がってくるんだけどね」

 エルシェは、現在の警戒態勢の見直しがMS隊の中で求められている事や、連合の部隊や海洋警備局との連携強化が急務である事など、会議で話された内容を説明して、概要を記した紙を手渡した。コクピット周りの調整にパイロットが駆り出されるくらいに忙しいのだと、彼女はため息混じりに言う。

 アンシェラは、紙全体を記憶に焼き付けるようにして内容を読み取った。手にしていたバインダーにそれを挟みながら、彼女は聞く。

「どうしてあなたが?」

「え・・・・・・何ていうの、根回し? 連合の側からいきなり提案したら揉めそうだって聞いて、だったら私からお姉ちゃんに言ってみるって」

「会議でも、お姉ちゃんって言ったの?」

「言わない」

 そこまでバカじゃないよというエルシェの頭を、アンシェラは撫でる。子供にするようなその仕草を嫌がるエルシェを、アンシェラは笑う。そして彼女は、エルシェが付けていたバレッタに触れた。

「やっぱり、似合わないわ。デザインが落ち着きすぎてる」

「いいの、貰い物なんだから」

 エルシェが口を尖らせると、ハンガー内にサイレンが響いた。休憩時間になり、整備員たちがバラバラとキャットウォークから降りてくる。アンシェラは腕時計を見た。

「もう、行くわね。この要望は、ちゃんと通すわ」

「あ、待って、お姉ちゃん」

 最後に一つとアンシェラを呼び止めたエルシェは、次の休みはいつか聞いた。一緒に食事がしたいとの提案に、アンシェラは困ったような笑顔を見せる。

「ゴメン、次のお休みは予定入れちゃってるの」

「そう・・・・・・」

「デートってほどじゃないんだけど、この間港から基地まで送ってくれた連合のパイロットさんにお礼を兼ねてね」

 その次の休みなら多分大丈夫だからと言って、アンシェラは小走りでハンガーを出て行った。エルシェはキャロラが声を掛けてくれるまで、その場でアンシェラが走り去った方を見つめていた。




 次回は、13日に掲載します。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。