暁が食事を終えて自室へと戻ってからすぐ後。静かに戸を開けて帰ってきた鈴仙に輝夜は尋ねる。
「彼は?」
「眠ってます。私が呼びに行った時も寝てましたし……多分、極度の疲労かと」
「それは…………そうでしょうね。平然と
途中で言い淀みながらも暁を気遣う輝夜。
彼女の隣では永琳が口元を引き結んでいた。
「…………私の責任です。掃除も彼に任せて、あまつさえ荷運びまでやらせるなんて……彼の事情を考えれば、問答無用で数日休息をとらせて当然なくらいです。だというのに、そんなことにも気がつかなかったなんて………」
「し、仕方ないですよ。私も掃除手伝いとかしましたけど、ずっと平気な顔してましたし。しんどそうな様子なんて、全然……」
後悔と罪悪感の苦い味を噛み締める師に慰めを言う鈴仙。
その場しのぎのデタラメというわけでもなく、彼女自身も暁があそこまで消耗していたのにまったく気づいていなかった。
自然体な彼に感覚が麻痺していた。
だがその慰めは意味を成さない。
「そんなこと関係無いわ。彼の話を聞いた時点で気づいてしかるべきことよ。仮にも薬師を名乗っている者が犯す間違いじゃない……!」
これは彼に対する負い目だけでなく、自分のプライドの問題でもあった。
やりきれない様子の永琳。
彼女に言葉をかけられない鈴仙はオロオロとする。
「落ち着きなさい」
静かに諭す声。
発したのは輝夜だった。
「どうするべきだったか、なんて、今さら後悔したところでどうにもならないでしょう。それよりも、これからどうするかを考えなさい」
「…………姫様……」
永琳は俯いていた顔を上げる。
「彼は疲れてる。そして寝てる。それで? 次にあなたにできることは何?」
「それ、は………………彼を、癒すこと」
「他にはある?」
「謝ります。自分の至らなさを」
「そう。なら、今考えるのは彼を癒すこと。それだけでいいじゃない。疲労回復の薬は?」
「確か、いくつかあったはずです」
「じゃあ彼が起きたらそれを飲ませましょう」
ズバズバと切り込んでいく輝夜。
永琳は受け答えをしながら自分の心が少し軽くなるのを感じていた。
「自分の知らないところで勝手に落ち込まれてたら暁だって困るでしょ。まずは彼自身について考えなさい」
「…………申し訳ございません」
遠回しに、自分本位な考え方だと指摘された彼女は項垂れて、謝罪する。
それを見て困り顔になった輝夜は声を張り上げた。
「私にあやまったってどうにもなんないでしょ…………それに、そもそもの話!」
「……なんでしょう?」
「気づかなかったのはあなただけじゃないんだから! 私や、イナバだって気づいてなかったの! あなただけが悪いみたいな空気出すのやめなさいよ! なんか気まずいじゃない!」
聞きようによっては逆ギレである。
しかし、その言葉が自分を励ますためだと理解していた永琳は、ほんの少しだけ笑う。
「……そうですね。その通りです」
「だから明日一緒に謝るわよ! イナバ、あなたもよ?」
「は、はい。もちろんです」
鈴仙はコクコクと頷く。
それを確認した輝夜は大きく息を吐き、立ち上がる。
「…………ならこの話はおしまい。私はお風呂に入って寝るわ。あなた達も、早く寝なさいよ」
それだけ言い残し、部屋を後にした。
残された二人は顔を見合わせ、苦笑する。
「……姫様に御説教されちゃいましたね、師匠」
「…………そうね。私もまだまだ、ってことかしら。あなたはこれからどうするの?」
「もう一度彼の様子を確認してきて、その後寝ます。 何か問題があるようなら師匠に報告します」
「わかった。お願いするわ。私は薬を探しておくから」
「はい。それでは師匠、おやすみなさい」
「ええ、おやすみ。うどんげ」
こうして、彼の幻想郷での一日目は、預かり知らぬ所で何人かを振り回す結果となったのだった。
ガバッと身を起こす。
朝だ。
感覚的に、ずいぶん寝ていた気がする。
暁は目をこすりながら、自分にかかっている布団をずらし、いつものようにベッドから足を下ろそうとし————
——ドンッ。
と、踵が床に当たる。
「いてっ……あれ? …………ああ、そうだった」
まだ少し寝ぼけていた頭が覚醒し、自分の置かれている現状を思い出す。
ここはいつもの自室ではない。
こわばる体をほぐすように軽い運動をし、彼は何事もなかったかのように立ち上がり、母屋へと向かった。
「おはようございます。良い天気ですね」
「ええ、そうね。おはよ…………え?」
真っ先に出会った輝夜に挨拶をし、そのまま隣を通り過ぎる。
輝夜も自然に返事をし、すれ違——おうとしたところで彼を二度見する。
スタスタと歩いていく暁の姿がそこにあった。
「ち、ちょっと!」
「はい? どうかしました?」
さすがに見過ごせず、焦りながら呼び止める。暁はきょとんとしながら振り返った。
「どうって……いや、え? 何? 何なの?」
「…………あの、どうかしちゃいましたか?」
予想外すぎる事態に混乱するあまり支離滅裂なことを口にする輝夜に胡乱な目を向けて、若干ニュアンスの違いを漂わせながら彼は尋ねる。
「えと、その、えーと……え、立てるの?」
「はい」
何を言い出すんだコイツは、とでも言いたげな目になりながら彼は頷く。
「歩ける?」
「…………馬鹿にしてます?」
「なんでよ!」
昨日言われたことをそのまま返しただけなのだが、何故か猛る輝夜。
「あ、あなた、昨日あんだけボロボロの状態だったじゃない!」
「ボロボロって。ああでも、そうですね。昨日は確かに疲れてました。さすがに色々とありすぎましたからね…………」
「そうそう……って、違うわよ! なんでもうそんなピンピンしてるのかって話よ! おかしいでしょ!」
しみじみと語る暁に一瞬流されかけた輝夜は我に返り、彼に鋭く指をつきつける。
「なんでって。そりゃ、休めば疲れはとれるでしょう。筋肉痛はありますけど、立ったり歩いたりくらいはできますよ」
当然のように語る暁に絶句する輝夜。
表面だけ聞けばもっともらしく聞こえるが、実際のところ、常人なら何日寝込んでもおかしくないくらいの疲労のはずだ。
それをコイツは、一晩寝た程度で回復したと言うのか。
いくらなんでも異常過ぎる。
鍛えているとか、そんな次元の話ではない。よしんば体は鍛えているとしても、精神的なショックがこんな短時間で回復するはずが……いや、彼が持つ能力が何か関係してるのか————
「それじゃ、失礼します。朝食をいただきたいので」
「………………あっ、ちょ、ちょっと!」
考えこんでいた輝夜が気がついた時には既に暁は歩き去っていた。
呆然とした後、頭を抱える輝夜。
「き、昨日の心配とか諸々はいったいなんだったのよ…………!」
多分、なんでもなかったのだろう。
「おはよう鈴仙、おはようございます永琳さん」
暁は昨日夕食を食べた部屋に入り、中にいた二人に声をかけた。
途端、何事かを話し合っていた彼女らは凍りついたかのように、そのまま固まってしまう。
その様子を見ていなかった彼は離れた場所に置いてあった二人分の朝食——おそらく片方は話に聞いた「てゐ」という人のぶん——のうち一つの前に座り、箸を取る。
「いただきます」
そう言って彼が食事を始めた頃、ようやく停止していた永琳と鈴仙は活動を再開した。
ゆっくりと向き直り、暁の方を見る二人。
——彼は美味しそうに朝食を摂っている。
信じがたい光景に瞬きし、再度自分が見ているものが現実か確認する二人。
——彼はご飯を咀嚼し、味噌汁を啜っている。
もう一度。今度は目をこする。
——今度は焼き魚に箸を伸ばしている。
…………。
……………………。
つかの間、静寂の中に食器と食器とが当たる音だけが響く。
そのまま誰も発言することなく時が進み。
「……ふう。ご馳走様でした」
「「いや、ちょっと待ちなさいよ」」
彼は満足げに完食した。
「え、いや、何? 何なの?」
「あ、そのくだりさっきもうやってきたから。食器は運んどくよ」
「あ、うん。台所はそっち————じゃなくて!!」
「え? 違うのか? じゃあこっち?」
「だから違う! いや、方向は違わないんだけど、『じゃなくて』っていうのは、そういう意味の『じゃなくて』じゃなくて!」
「…………? 鈴仙、疲れてるのか?」
「————ッ!!!!」
まっっっったく、噛み合わない。
声にならない苛立ちのあまり、ダンダンと地団駄を踏む鈴仙を暁は心配そうに眺め、いたわるような言葉をかける。
「昨日、結局手押車も手伝わせてしまったからな。悪かった。今日は俺一人でなんとか頑張るから、鈴仙はゆっくり休むと良」
「なんで! 私が! 休まないといけないのよ!! 百歩、いや億兆歩譲って! 仮に私が休むなら、アンタもここにいないとダメでしょうが!!」
「なんで、って。どこからどう見ても疲れてるだろ……わかった、少し落ち着け。わかったから。どこにも行かないから。なんだったら、寝つくまで手を握ろうか?」
自分の言葉がことごとく空回りし。
あろうことか、まるで自分が寂しくて暁を離したくないかのようなことを、子供をあやすような調子で言われ。
マジマジと生暖かい目で見つめられ。
結果、鈴仙は発狂した。
言葉にならない何かを喚きながら壁を執拗に殴りつける鈴仙からそっと目を逸らす。
彼女はもう手遅れかもしれない……
そこに永琳の声が聞こえた。
「ね、ねえ…………暁」
「はい、どうかしました?」
振り返ると、極めて複雑そうな表情をした永琳がいた。
「……元気?」
「…………なんですか、その『親戚との電話で出す当たり障りの無い話題』みたいな質問。……見ての通りですよ。筋肉痛はありますけどね。昨日はご心配をおかけしました」
「いや、その、元気ならいいんだけど……本当に大丈夫? 一応、疲労回復の薬とか用意してたんだけど、必要なら……」
「そうだったんですか。じゃあ、後で貰っておきます。ありがとうございます」
頭を下げる暁。
「い、いや、頭を上げてちょうだい。むしろ私が頭を下げて謝らないといけないのに」
「はい? 謝る? 何にです?」
「何に、って。昨日あなた、疲れすぎて倒れちゃったでしょう。それなのに私はそんなことにも気づけずにあなたを働かせるなんてことを」
「ああ、そんなことでしたか」
あっけからんと言う彼に目尻を吊り上げる。
「そんなこと、で済むような話ではないわよ! 医療に関わる者としてあるまじき失態よ! 何事もなかったから良かったものの、万が一にも何かあれば……」
軽い気持ちで発言したことに対し、かなりの剣幕で怒られる。彼としては本気で些細なことだと思っていた以上、永琳の反応には少々狼狽させられた。
「えっ、と…………すいません。まさかそこまで心配させていたとは、思ってもみませんでした。だけど本当に気にしてませんから。疲れることにはもう慣れっこなので。休めば治りますし、今まではもっと楽でしたし」
以前はペルソナを使って自分で回復もできたし、現実世界でもマッサージを受けられた。
だが幻想郷にいる現在、その両方ともが使えない。そのことを考慮せずに普段通りに行動しようとした自分のミスだ。
彼女が気に病むことではない。
「俺の自己管理がなってなかったのが根本的な原因ですし、永琳が謝る必要なんてないですよ。……ただ、心配をおかけしたのは本当に悪かったです。今後同じことは起こらないようにするので…………」
永琳はやや焦りだしながら謝る彼に一周回って呆れてしまう。
気が緩み、小さな笑いが溢れる。
「まったく……あれこれ考えて悩んでたのが、馬鹿馬鹿しくなってきたじゃない。…………やれやれ、なんなら私まで疲れた気分よ」
ため息をつく。
「……わかった。これからはあなたも自分の調子を鑑みて行動する。私もあなたのサポートをちゃんとする。落とし所はこれぐらいでいい? いつまでも謝りあってても仕方ないし」
「はい、そうですね。それで大丈夫です」
「ならこれで終わり。後で薬持って行くわ。…………それと」
彼女はいったん目を閉じ、開くと同時にあの悪戯っぽい笑みを浮かべた。
警戒するように後ずさりする暁に指を一本伸ばし、からかうように言う。
「どさくさに紛れて、
「えっ」
呼吸が一瞬止まる。
少し前の自分の発言を必死に思い返し——
『——永琳が謝る必要なんてないですよ』
ザッと血の気が引く思いをする。
「す、すいません! いや、その、慌てるあまりついうっかりというか、間違えた というか、とにかくわざとじゃなくて」
「いいわよ、別に」
「だから、とにかく、すいません……へ?」
何度も頭を下げながら必死に弁解しようとする暁だが、途中でかけられた言葉に
思わず顔を上げる。
「だから、永琳でいいと言ってるの。私も下の名前で呼んでるし。それに、いつのまにやら鈴仙とは互いに呼び捨てになってるじゃない」
「あれは、そういうアレではなくて、単純に…………」
「とにかく」
なおも続く言い訳を遮り、強い口調で念押しする。
「永琳でいいから。いえ、永琳と呼びなさい。わかったわね」
「え、えっと……」
「わ、か、っ、た?」
「はい、わかりました…………永、琳」
抵抗しようと試みるが、妙な迫力のある永琳の笑顔に気圧され、潔く諦める。
それでもやはり言いにくそうにする彼に追撃がはいる。
「敬語も外しなさ」
「さすがにそれは、それだけは勘弁してください……永琳さ、じゃなくて永琳」
本気で懇願する暁。
なんとも間抜けな姿にクスクスと笑う永琳は、そこで手打ちにしてやることにした。
「仕方ないわね……とりあえず『今は』、敬語でもいいわ」
「ありがとうございます……」
力無くぐったりとする暁。
昨晩あれだけ振り回されたのだ。これくらいの意趣返しはしても許されるだろう。
「それじゃ、また後で」
「はい…………」
心なしか煤けて見える背を向けて、暁は離れへと戻っていく。
それを笑いながら見つめていた永琳も、やがて踵を返して薬の置き場へ向かう。
————そして、壁を殴り続ける鈴仙だけがその場に残された。
メンタルリセットォ!(GACKT様並感
ムダにシリアスになりそうだったので途中からギャグに逃げました。仕方ないね、ギスりたくないからね。そのせいで今回は「屋根裏のゴミ」の名に恥じない主人公()状態。
心の仮面を切り替えるワイルド能力持ちは、きっとメンタルの切り替えも速いということで。
今回の鈴仙はポプテ◯ピックの「オ゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ッ!」のイメージで。どんな状態かわからない人は検索頼むぜ。
あの先生の漫画本当面白い。センス尖りすぎだろ。