人里の有力者、稗田家。
その関係者達は予想もしていなかった事態に困惑し、頭を悩ませていた。
「あははっ! あははははっ!」
笑顔の少女は心底楽しそうに広い庭を駆け回る。
門の外側からその様子を窺う門番二人の表情には喜びと困惑、そして不安が均等に共存していた。
「………………本当に楽しそうでいらっしゃる。自分の足で走ることなど、当たり前のことのはずなのに」
「里の中でも噂になっているらしいな。数日前に阿求様が外出した姿を見た者も多かったらしい。……それだけで話題になるというのも不憫な話だ」
「…………そうだな」
そこでいったん会話は途切れる。
二人は久しく見た記憶の無い、自らの主の幸せそうな姿を見て、胸が暖かくなるのを感じる。
しばし感傷に浸る彼らだったが、やがて片方がおもむろに口を開く。
「しかし、わからんな」
「ああ、皆目検討がつかない」
このところ稗田家の人間が何度も繰り返してきた議論。彼らもその例に漏れず、同じことを考えていた。
「お体の優れなかった阿求様があの騒ぎでついに倒れなさったかと思えば、むしろこんなに元気に……」
「いったい何が起こったんだろうな。阿求様本人もはっきりとした理由はわかっていないそうだし」
「はっきりとした、っていうことは思い当たる節があるのか?」
「いや、それが……『きっとあの怪盗が病弱な私も盗んでいったのね』、なんてことを冗談めかして言っていた」
「………………わからんなぁ」
「さっぱりだよ」
何度も繰り返されてきた議論が落ち着くのは結局同じ場所だ。
いや、答えの出ない問題とわかっていても考えずにはいられないだけだろう。
原因を解明することを諦めた彼らは職務に戻ろうと前に向き直る。
すると、歩いて稗田家へと近づいてくる存在が彼らの視界に入る。
彼らがどこかで見覚えのあるその顔に思い当たる前に、その人物は口を開いた。
「……噂をお聞きして参りました。ご当主、
————そして。
「着いたわ。ここが永遠亭よ。どうする? 下りる?」
「はい。ここからは自分で歩きます。ここまで運んでいただき、ありがとうございました」
先に歩きはじめた鈴仙についていく阿求。
「もう一度確認しておくけど。師匠があなたの体を検査する代わりに、研究材料としてそのデータはこちらが貰う。それでいいのよね?」
「大丈夫です。体のデータなんて私が持っていたところで無意味だし、それが何かの役に立つならむしろ本望です」
「じゃあ問題無いわね。早く行きましょ。あなたを待ってる奴もいるから」
その言葉に歩きながら不思議そうな顔をする阿求。
「私を、待っている……? あの、それはどういう」
「ほら、アレ。……暁! 連れてきたわよー!」
鈴仙が指差す方向に視線を送ると、ちょうどこちらを振り返る眼鏡をかけた少年の姿があった。
彼とその周囲をよく見ると、どうやら薪割りをしていたらしい。
一列にズラリと並んだ兎達がどうやってか抱えている薪を少年の前に置き、少年が割り、そしてそれを兎達が運んでいく……その場の状況から、そんな光景を思い浮かべる阿求。
黒く禍々しい斧を担いだ少年は鈴仙と阿求の姿を目視し、斧を持っていない方の手を振る。
「お疲れ、鈴仙。彼女を連れてきてくれてありがとな」
「仕事の一環でもあるから別にいいわよ。あ、でもお礼に何かくれるって言うなら遠慮なく……ん? どうしたの?」
鈴仙が袖を引かれる感触に視線を下ろすと、そこには戸惑いの表情を浮かべた阿求がいた。
「えっと…………あの人は誰ですか?」と小声で尋ねる阿求。
「………………え? 知らないの? 知ってるでしょ?」と驚く鈴仙に首を振って否定する。
「いえ……少なくとも、私が記憶する中では見たことが…………」
「……ちょっと、暁。あんな人知らないって言われてるわよ」
困惑した阿求の言葉を呆れた調子で少年へと伝える鈴仙。
それを受けて少年は一瞬固まり、遅れて苦笑いする。
「あー……彼女にはこっちの姿を見せてないからな。あっちの姿しか知らないんだよ」
「ならとっとと自己紹介しなさいよ。ほら、困ってるじゃない」
「わかったわかった」
そこで少年の視線が阿求へと移る。
斧を地面に置き、困惑したままの阿求に恭しく一礼する少年。
「……招待に応じていただき、誠にありがとうございます。あの時の
「……? ………………あぁっ!!」
説明になっていない、と思った阿求は少年が顔を上げた瞬間に全てを理解する。
仮面をつけ、不遜な雰囲気を漂わせる彼は紛れもなく————
「——来栖暁。またの名を、『ファントム』。……久しぶりだな。元気そうで何よりだ」
あの時の、怪盗だった。
衝撃のあまり言葉が見つからず絶句する阿求にウインクし、元の姿に戻る暁。
事態を受け止めきれずに思考が停止しかける阿求の両肩にポンと手が置かれる。
「いろいろ整理が追いつかないと思うけど、ひとまず検査を終わらせましょ。その頃には冷静になれてるでしょうし」
「…………」
関節が錆び付いたかのようにぎこちない動きでなんとか頷いた阿求は鈴仙に手を引かれ歩きだす。
自分の見ているものが現実かどうかを確かめるように何度か振り返るが、暁の姿は依然としてそこにあった。
それからおよそ一時間後。
検査は終わり、阿求は緊張した面持ちで椅子に座っていた。
今ばかりは怪盗のことも頭から抜け、自分の体がどうなっているのかで頭がいっぱいだった。
対面に座る永琳は書類をパラパラとめくっている。
「…………結論は出たわ」
そう告げて、永琳は視線を書類から阿求へと移動させる。
さらに緊張が高まり体が強張る阿求だったが、それでもこわごわと口を開いた。
「……どうでしたか」
「そうね…………一言で言うと、なんら異常はなかったわ。完全な健康体よ」
「そ、れは……!?」
目を見開く阿求に頷いてみせ、にこやかに笑う永琳。
「ええ。正真正銘、健康そのもの。よかったわね。私は占い師じゃないからあなたの寿命はわからないけど、今の状態なら数十年は保証できるわ」
「————!!」
一気に溢れる安堵と喜びがそのまま口から出そうになり、口元を抑える阿求。
ギュッと目を瞑るが、それでも堪えきれない涙が目尻から流れる。
その姿を微笑ましく思いながら見つめる一方、永琳はどうにも納得がいかないことがあった。
(……以前彼女を診た時も今回も。まるで原因がわからない。突然元気になったという話を小耳に挟んだから鈴仙に連れてこさせたけど……ダメね。『結果』がわかっても『過程』がさっぱり)
内心でため息をつきながらボヤく永琳。
(まったく、自信無くすわね……研究しようにも取っ掛かりすら無いし、一般的なデータとの目立った差異も無い。過程もわからずに結果だけ利用するなんて三流もいいとこだけど……どうしようもない、かぁ)
永琳な葛藤を割り切って立ち上がる。
そして阿求のもとへ歩み寄り、優しく彼女の頭を撫でる。
「好きなだけ泣いていいわよ。ほら、ハンカチ。私は席を外すから、落ち着いたらいらっしゃい。お茶の用意をしておくから」
「はい……! はいっ…………!!」
何度も頷く阿求の返事を聞いた永琳は静かに部屋から退出し、阿求は一人で喜びを噛み締めながら涙を流し続けた。
ひとしきり泣いた後、ようやく落ち着いた阿求は永琳から受け取ったハンカチで目元を拭いながら部屋を出る。
案内された時の道を辿りながら歩いていくと、脇の部屋から鈴仙が出てくる。
「あ、終わったのね。じゃあ……縁側にでも行きましょうか。天気もいいし、暖かいでしょ」
「お願いします。…………それで、あの、さっきの……えっと…………」
何かを言い淀む阿求の様子から言いたいことを察した鈴仙。
「もちろん暁も連れてくるから。話したいこともあるでしょ?」
「…………はい。その、どうして彼がここに……?」
「まあ、こっちにも事情があってね。その辺りも本人に説明させるわ。ひとまずついてきて」
苦笑する鈴仙は踵を返して歩きはじめ、阿求もそれについていく。
二人は少しの間歩くとすぐに中庭に面した縁側へと到着する。
「あいつを呼んでくるわね」と言い残してどこかへ去っていった鈴仙を見送り、ぼんやりと日光を浴びる阿求。
未だに信じがたいことだが、自分は普通の体になったらしい。
寿命が短いからと諦めていたことも、諦める必要がなくなった。……昔から「元気になったらやりたいこと」はたくさん思い浮かべてきたものだが、いざ実現できるようになると何からやればいいのやら——
そんなことをつらつらと考えていると、横から声をかけられた。
「お、いたいた。隣座っていいか?」
そちらを見るとあの少年、いや、怪盗? ……がいた。
黙って頷くと彼は自分の隣に座る。こうしてみると、かなり身長差があることがわかる。
何を言えばいいかわからず口を開いてまた閉じることを繰り返していると、彼の方から口火を切った。
「んじゃ、改めて……来栖暁です。よろしくな」
「え、えっと、稗田阿求です。こちらこそ……」
笑いかけてくる暁に慌てて頭を下げる阿求。
そのまま世間話でもするように暁は話しはじめる。
「あの夜以来だな。元気にしてたみたいでよかったよ」
「は、はい。おかげさまで……」とぎこちなく返す阿求はそこでふと彼に尋ねることを思いつく。
「あ、あの! 私、普通の体になったみたいなんです! 寿命も、長くなってるって……」
「おお、そうか。それはよかったじゃないか」
特に驚いたようにも見えない無い暁に阿求の疑念は確信に変わる。
「…………いったい、私に何をしたんですか? 稗田の寿命については誰にも解決できなかった無理難題なのに。……あなたはいったい何者なんですか?」
食い入るように見てくる阿求の眼差しに視線を合わせ、暁は困ったように首を傾げる。
「何をした、ねぇ。俺は何もしてないさ。強いて言うなら、手伝いかな」
「手伝い?」
「そう。手伝い。俺は手伝っただけ。お前の体が治ったのはお前が自分でしたことの結果に過ぎず、俺は偶然それを助けた。それだけさ」
「……意味不明です。私は何もしてないじゃないですか。ただあの晩、あなたと話をしただけで……」
納得のいかない阿求の不満げな表情を見て自分の首に手をやる暁。
自分でもはっきりとした確証があるわけでもない説明を、何も知らない彼女にして理解してもらえるとも考えにくい。
「あー……まあ、なんでもいいじゃないか。結果オーライ。とにかく元気になったんだから」
「そんな、適当なっ」
「…………それに」
真剣な話をしているのにまともにとりあおうとしない暁に憤慨する阿求は、そっと彼の指で口を閉じられる。
「——俺はあくまで怪盗。盗みの専門家だ。治療に関してはただの門外漢さ」
だからこれ以上聞いてくれるなよ、と言外に滲ませて彼はニヤリと笑った。
「それより他の話をしよう」と言った暁にしぶしぶ従った阿求はいつしか自分から積極的に話を切り出していた。
「………………そうか。引き継ぐんだな」
「はい。あなたは『弾幕ごっこによって人間とそれ以外は共存できている』と言いましたね。それは間違いではありません。が、全面的に正しくもないのです」
阿求は真面目な顔をして耳を傾ける暁に自分の考えを語る。
「弾幕ごっこ自体、安全というわけではありません。時と場合によっては命を落とすこともあります。それだけでなく、弾幕ごっこを介さず人間を襲う妖怪もいます。そんな妖怪は発覚次第、博麗の巫女が対処しますが……」
息をつき、自分の中の言葉を整理する。
「とにかく、まだ人間は妖怪への恐怖を忘れてはいけないのです。『幻想郷縁起』は必要となります。……私はこの義務を背負います。これまでとは違い、自分から望み、選択します」
「…………なら、俺が口出しすることは無いな」
決意をありありと感じさせる阿求の顔を見た暁はそう言って肩をすくめる。
「選ぶしかない」と「選ぶことができた」では天と地ほどの差がある。彼女がそう決めたのなら、それは言祝ぐべきことだ。
「今の私は自分でこの道を選んだと、はっきり自信を持って言えます。それもこれも、あなたが私を縛る鎖を断ち切ってくれたからです。本当に感謝してます」
「だから、俺は何もしてないって」
「それならそれで構いません。私が勝手に感謝するだけですから。それはあなたにも止められないでしょう?」
「……その通りだな。一本取られたよ」
くすくすと笑う阿求に苦笑いを返す暁。
阿求の緊張もすっかり解れて、二人はそれからもしばらく会話を楽しんだ。
いろいろと書きたいことがあって何から書けばいいのやら……
えー、まず、前回の後書きについて。
「評価バーの色を戻すことを目標に精進します」と言いました。…………はい。既にお気づきの方もいるでしょう。結論から申しますと、更新から一時間で赤くなってました。
…………いや、もう、マジでどうしようかと。もっと長期的スパンの計画だったのが、一瞬で崩れ去りました。さすがに一時間で筆力を伸ばすのは無理です。不可能です。
きっと評価を入れて下さった方は「僕/私は応援するよ」という意図がおありだったと思うのですが、もしかすると「おう、評価するから面白い作品書くんだよ、あくしろよ」……的な方もいたかもしれません。
前者の方々、本当にありがとうございます。ほんっとうに嬉しかったです。
そして(いないと信じたいですがもしかしているかもしれない)後者の方々。すいません。無理です。もう少し待ってください…………
とはいえ、これは何かしなければと焦った結果。読者サービスに特別編を書こう、と思いつきました。
ちょうどいい時期ですし、バレンタインスペシャルを書こうと。そう思いつき、急遽今回の話と並行して執筆を開始しました。
するとどうしたことでしょう。
両方の執筆がまったく進みませんでした(白目
筆者は同時に二つの話を考えられるほど器用じゃありませんでした……
一応他にも理由はあるんですけどね。
やってるソシャゲがスタミナ半減キャンペーンに加えて、たまにくる美味しいイベントを重ねてきたこととか。死にそうになりながら走ってます。
あと、本を22冊買ったって言いましたが、追加で10冊買いました。
最近アニメ化した某戦記全巻とラノベ3冊です。
面白いけど分厚いんですよ……幼女戦記……全7巻読むのに金曜日の午後を全部消費しました。
そんなこんなで遅れたことをお詫びします。
(この言い訳だけで800文字をオーバーしましたが些細なことですよね!)