人が踏み入ることもない深い森の奥。
野生の動物や妖怪のテリトリーであるその場所を歩く二人がいた。
より正確にいうならば、歩く一人に肩車されるもう一人。
「あはは! いけいけー!」
「……お前が楽しそうで俺も嬉しいよ…………」
彼は不安定な足場をいとも簡単に歩きながら頭上からの声にそう返し、大きなため息をついた。
時は一時間ほど遡る。
こいしの爆弾発言に凍りついた空気に困惑しながらも、暁はおそるおそる近くに座っていた輝夜に尋ねる。
「あの、古明地さとり……とは?」
「(…………悪名高い妖怪よ。相手の心を覗きみるという覚妖怪で、その胸元にあるサードアイと呼ばれる器官で心の中を読み取る。そして読み取ったことを平然と口にするっていう、究極の無神経さも兼ね備えてるらしいわ。その能力と性格からお近づきになりたくない相手候補の筆頭に挙げられることもあるとか……)」
「………………」
家族だというこいしに一応配慮はしたのか、ヒソヒソと小声で説明する輝夜だが、その内容は遠慮容赦のないものだった。
相手の心を読み取った挙句、その内容を口にする。
その内容が大したものじゃなくても、そんなことをされたら大抵は嫌悪感を覚えるだろう。
まして、それが人に言えないような秘密だったりすればなおのこと。
なるほど、彼女達が敬遠するような表情になるのも無理はない。
(……というか、『サードアイ』か。『器官』というなら妖怪としての体の一部なんだろうけど……)
自分の持つ能力と同名の単語に反応する暁の傍らで、てるが口を開く。
「別に疑うわけじゃないけど……あの古明地さとりがあんたの姉だって言うなら、あんたも覚妖怪ってことなんだよね?」
「うん! そうだよ!」
「……じゃあ、あんたのサードアイってのはどうしたの? 特にそれらしきものは見当たらないけど」
訝しげにこいしの全身を眺めながら尋ねるてゐ。
「あぁ、今はしまってるだけだよ」
「…………しまってる?」
「うん。いつも出してても邪魔なだけだし。ほら、コレ」
こいしがあっけからんと言い放ったその瞬間、彼女の胸元に野球ボールくらいの大きさの球体が現れる。
触手のような管で彼女と繋がっているそれはまさしく閉じた瞳そのものだった。
驚いたてゐや輝夜、永琳は反射的に彼女から離れようとするが、暁は物怖じせずその球体に顔を近づける。
「へぇ、これがサードアイか。出し入れ自由なんだな。これで心を覗くのか?」
「うん。でも、私はできないけどね。閉じちゃったから」
「閉じた? 確かに今は目を瞑ってるみたいに見えるが……開くことはできないのか」
「閉じたっていうか、封印? 人の心とか見たくもないもの見てても楽しくないから。そしたら代わりに無意識の能力が目覚めたの」
「へえ、そういうものか。能力っていうのは後天的に獲得する場合もあるんだな」
特にその説明を不思議に思うこともなく納得する暁。
驚いていたてゐ達も冷静になって再び元の位置まで戻る。
「本当にあの覚妖怪の妹らしいね。ただ心を読むことを拒絶した……か。覚妖怪が自分の本質を否定してよく存在を保てたね」
「…………え? そんな深刻なことだったのか?」
てゐの嘆息に耳を疑う暁。
単に喫煙家が禁煙するようになった、くらいのニュアンスだと思っていたのが存在云々になるほどのことだったと知り、こいしを見やる。
「うーん、まあ妖怪ってのはそういう『決まり』みたいなのに縛られるからねー。お兄ちゃんが戦った鬼とか、まさにそんな存在でしょ? ケンカ好きで酒飲みで……みたいな。そういう『らしさ』から妖怪は離れることができないの。最悪の場合、消えちゃうからね」
「…………なのに、サードアイを閉じたのか?」
「なんとなくいけそうな気がしたから! で、無意識に目覚めた! 大成功!」
真剣な面持ちで尋ねたのに底抜けに明るい笑顔のこいしにペースを狂わされる。
彼女が決めたことに怒る筋合いもなく、何より、既に終わったことである。
ぶいぶいー、と言いながら両手でピースサインをしてくる彼女に暁は苦笑するしかなかった。
(エキセントリックすぎる…………)
予想以上にヘビーな境遇だったにも関わらず、そのことを一切感じさせない無邪気さ。
言ってしまえば、どこか歪ですらある。
しかしそんな穿った見方も、彼女の纏う天真爛漫な空気の前には霧消してしまう。
結局彼女の本質というのは、どこまでも無垢で純粋な『子供』なのだ。
あれこれ言わず、黙って今のこいしを受け入れるのが一番いいだろう。
彼がそんなことを考えているその脇で、永琳がこいしに質問する。
「これからどうするの? 地霊殿に帰る?」
「まっさかー! そんなわけないじゃん」
「そんなわけない、って……じゃあどうするの?」
「もちろん、
「「「「…………え?」」」」
全員の声が重なり、視線が彼女に集中する。
「無意識を見ることは私にもできるけど、ペルソナ……だっけ? あんなの出したり体に纏ったりなんてできる人間なんて初めて見たもん! こんな面白そうなこと、みすみす逃すわけないよ!」
「……よかったわね、暁。人気者で」
「………………」
平坦な声で心にもないことを言う輝夜に反論もできず、頭を抱える暁。
どこからツッコミをいれたらいいのかわからない。
「……あー、その、こいし。俺は……」
彼はとりあえず、こいしをなんとか説得しようと口を開く。
が、しかし。
「それに、しばらくは私が一緒にいないと暁お兄ちゃんが
こいしは第二の爆弾発言をする。
「…………それは、どういう……?」
「ん? そのままの意味だよ? お兄ちゃんはまだ不安定な状態だから、いざという時のためにも私がそばにいた方がいいでしょ?」
「ふ、不安定?」
「うん。あれ、もしかして元通りになったとか思ってた? 無意識と完全に融合する一歩手前まで行ったんだよ? そう簡単にいくわけないじゃん!」
次から次に吐かれる衝撃的な事実に唖然とするばかりの一同。
特に張本人である暁のショックは大きい。
「……え!? じゃあこいしがいない状態で俺がこのまま過ごしたらどうなるんだ!?」
「どうなる、かー。うーん……じゃ、お兄ちゃん。今からペルソナってやつを出してみて? ……心配しないで、大丈夫。ただ、今のお兄ちゃんの状態がよくわかるようになるから」
昨日の今日でペルソナを使うことに強い忌避感を覚え、表情が強張る暁だったが、こいしはなだめるようにそんな彼の手を握る。
ここまで言われて臆するわけにもいかず、逡巡しながらも彼はこわごわとペルソナを呼ぶ。
「ペルソ、ナ…………!?」
「ね? わかった?」
こいしに握られたままの自分の腕を凝視し、絶句する暁。
怪盗服を纏った彼の腕。
そこまでならいつもと変わりはない。
…………ただ、今の彼の腕と重なるようにして、【
両者は重なるように存在しながらも、完全に同期して動く。
位相がズレているのか、暁自身の腕に触ろうとすると【アルセーヌ】には触れられず、逆に【アルセーヌ】に触ろうとすると内側にある自分の腕には触れられない。
彼は唖然を通り越して呆然とする。
「一応私がいなくても前みたいに自我が混ざったりはしないと思うけど、しばらくは私が手伝ってあげないと、この力が変な感じに体に定着しちゃうよ。ずっとこんな状態ってのは嫌でしょ?」
腕を見下ろす暁と同じように、絶句してそれを見ている永琳達。
こいしは肩をすくめ、おどけたようにそう言う。
「ちゃんと意識すれば今だって普通に分離はできるよ。お兄ちゃん、いつもペルソナを呼び出す場所をイメージしてみて」
「………………」
「お兄ちゃーん? 聞いてるー?」
「……………………あ、ああ。悪い。ちょっと衝撃的すぎて……」
呆然としていた彼はこいしの呼びかけで我に返り、言われたとおりにペルソナが自分から離れた場所に出現するようにイメージする。
次の瞬間、彼の傍らには【アルセーヌ】が出現する。
【アルセーヌ】と重なっていた腕は彼自身のものしかなくなっており、彼女の言うことが全て正しいと示していた。
「……今のお兄ちゃんはペルソナと自分自身の境界が曖昧になってるからこんなことになってるの。だからそこを自分で調整できるように、私がサポートするってこと。そのうち安定してくるはずだから、そこまで心配しなくていいよ」
自身の状態をしかとその目で確認した暁はペルソナを解除し、再びこいしの話を聞いていた。
「安定と言っても、自分で好きなようにどちらにもなれるってことだからむしろ自由度は増したんじゃないかな? よかったね!」
「…………いや、さすがにそこまで前向きにはなれないけど……少なくとも、しばらくすればもうこれ以上おかしなことになる心配はなくなるってことか?」
「そういうこと! ……私がいれば、だけどね! ふふーん!」
ここぞとばかりに胸を張り、自分の有用性を主張してくるこいしから視線を永琳と輝夜に向ける。
完全に死んだ目から送られる視線。
その視線から二人は彼の言いたいことを読み取る。
————どうしますか?
(…………いや……)
(…………どうするって言われても……)
二人は暁の視線からそっと目を逸らす。
……彼からの視線が湿度を増すのを感じるが、視線は合わせないまま。
((なんでもいいから、今はこっちを巻き込まないで))
彼女達の言葉にしないその思いが伝わったのか、瞑目する暁。
全てを諦めたように、深い深いため息をつく。
鍛えられた肺活量から生み出される十数秒にも及ぶため息の後、依然として死んだままの目を開く。
「……………………これからよろしく頼む…………」
「やたー!! こちらこそよろしくね、お兄ちゃんっ!」
本人からの許可をとったこいしは両手を上にしてぴょんぴょんとジャンプし、喜びを全身で表現している。
微笑ましいはずのその光景。
それを暁は死んだ目で見つめ、そんな暁を他の面々は気の毒そうな目で見つめていた。
その後、なんやかんやあり。
彼はこいしと一緒に地底にむかうことになっていた。
————幻想郷にあるそれぞれの勢力。その一角である『永遠亭』が『地霊殿』の関係者を無断で拉致するような行為はよろしくない。だから、挨拶くらいはしてきなさい——
永琳の言葉を思い返しながら何度目になるかもわからないため息を吐く。
致し方ないとはいえ、絶対に行きたくなかった地底に行くしかなくなった。
さらに彼の憂鬱な気分を加速させるように、ガサガサと大きな音を立てて何かがすごい勢いでこちらに近寄ってくる。
これも何度目になるかわからない。
もはや無表情のまま、音の正体を確かめようとすらせずに彼は歩き続ける。
やがて、茂みをかきわけて現れた何かが獰猛な咆哮とともに飛びかかってくるが——
(………………)
そちらを一瞥すらせず、腕を無造作に振る。
その軌道をなぞるようにして闇を凝縮したようなエネルギーが放出され、その何かを茂みの中へと吹き飛ばす。
暁は怪盗姿になっているわけでもない。
だが、その腕の一部分だけが【アルセーヌ】のものに変化していた。
(……………………うん、まあ……便利では、あるんだよな………………)
その事実を認めるのはどうにもモヤモヤさせられるが、事実は事実。
釈然としないながらも、体の一部だけにペルソナを纏わせる感覚に着々と馴染んでいく暁。
——こうも早く新しい技術に慣れはじめてきたのは、やはりこの少女の助けもあってのことだろうか……
改めて肩に乗せている少女の存在を意識する。
そんなことはつゆ知らず、彼女は楽しそうに鼻歌を歌っている。
「ふんふんふ〜ん♪ ふふんふふ〜ん♪」
ポンポンと暁の頭を叩いてノリノリなこいし。
彼はどこまでも自由な彼女に脱力しながらも、足元と頭上に注意して彼女が危なくならないよう気をつける。
彼女の道案内が正しければ、この先に——
「…………あ! 見えたよ! あれが地底への入り口!」
「……おお、あれか」
目ざとくそれを見つけたこいし。
一拍遅れて暁も目的地に到着したことを知る。
深い森の中、唯一開けた場所。
そこにある地面にぽっかりと空いた、直径二十メートル以上の大穴。
それこそが地上と地底を結ぶ唯一の通路だった。
こいしを下ろして大穴のふちまで歩み寄り、下を覗き込む。
穴は底が見えないほど深く、どこまでも続いているように思える。
「…………ここなんだよな?」
「そうだよー。ね、ね! はやくいこ! お兄ちゃんに地底を案内してあげる!」
「ちょ、こいし、あんまり引っ張るのは——」
「………………えいっ!」
グイグイと暁の腕を掴んで穴へと引っ張っていたこいし。
彼女はそのまま躊躇なく穴へと飛び込み————
「やめ…………おわぁぁぁっっっ!?」
畢竟、それに引きずられるようにして、暁も大穴の中に落下することとなった。
そんなこんなで次の舞台は地底に。
舞台といっても、今回は怪盗として働くわけではありませんけどね。
ペルソナと同化してるっていうのは、要はジョジョの『スタンド』みたいな感じをイメージしていただければ。
設定を練っていた当初、ペルソナもああいう使い方ができるか悩んだのですが、やはりペルソナと本体はそれぞれ独立してるだろうという結論に達しました。
そこから逆に、どうすればスタンドみたく使えるようになるか……を考えた結果、「一度ペルソナと同化する」という流れになりました。
序盤に萃香と戦う必要があったというのはこれが理由です。ペルソナと同化させられそうな能力を持つのは筆者が思いつく限りでは彼女か紫しかおらず、紫は当分登場しない予定だったので。