「そらぁっ!」
引き寄せて、殴る。
単純だが、重機さながらのパワーを持つ萃香のそれは極めて強力な攻撃となる。
ジョーカーはその拳を時には躱し、時には迎撃することによって防いでいく。
無論、彼もやられるばかりではない。
引き寄せられる勢いを利用してすれ違いざまに両手のナイフで斬りつける。
それ自体のダメージは微々たるものだが、一度の交錯で生み出される傷は片手で数えきれないほどであり、時間が経つにつれて着実に蓄積されていく。
だが、それでもほとんど効果は無いに等しい。
表面にどれほど傷をつけたところで、鬼の肉体は揺るがない。
「どうした! その程度か!」
萃香はジョーカーを引き寄せながら、自分からも踏み込んで距離を詰める。
あまりに近すぎる距離に回避は間に合わず、彼は受け流しを選択する。
鈴仙との組手の時のように、手刀で弾こうとする、が——
「甘いっ!」
「っ!! グゥッッッ!!!?」
踏み込みによって勢いづいた萃香の拳、その威力を見誤り逆に手刀を弾かれてしまい、彼の腹にモロに拳がめり込む。
彼女はそのまま左拳を一気に振り抜き、ジョーカーは水平に吹き飛ばされる。
水切りの石にでもなったかのように、地面で数回バウンドし、近くに生えていた木の幹に叩きつけられて止まる。
——決まった。
そう確信した萃香。
だが…………
「…………」
「……今日は本当に驚かされてばかりだ。人間だとか言ってたけど、人間は今のを喰らって立てやしないよ?」
少しよろめきながらもあっさり立ち上がるジョーカーに、それは間違いだったと思い知らされる。
彼は吹き飛ばされた拍子に口の中を切ったのか、少量の血を吐き捨て、口元を乱雑に拭う。
「……………………」
「……つれないね。女の会話につきあう器量くらい持ち合わせてないの?」
「……普段ならつきあってもいいんだが、どうやら貴女は舐めてかかっていい相手じゃないらしいからな」
「へぇ? 嬉しいねぇ。そうまで言ってもらえると、鬼冥利に尽きるってもんだよ」
そっけなく言い放つジョーカーに愉快げに笑う萃香。
だが彼女の目は冷静に相手の様子を観察していた。
(…………今のは確かに手応えがあった。並の人間とはかけ離れた力があるのは既にわかってる。さらに、なんらかの手段でそれを強化してる。それを踏まえた上でなお、今ので沈んでてもおかしくないはずなんだ。それなのにこうも簡単に立ち上がった。……まだ何かあるってことか。さっきから何度かあった背後からの不意打ちとも関係あるのかな?)
萃香はそう考察する。
そして右腕をふりかざし、これ見よがしに能力を発動しようとした。
すると……
「うぐっ!」
思ったとおり、背後から鋭い一撃を見舞われる。
だが、それを予測していた彼女は即座に反応して振り返る。
そこには、今まさに虚空に消えようとする異形の怪盗の姿があった。
今まで自分を襲っていた一撃はこれが放ったものだったというわけだ。
「…………なるほど。つくづく妙な能力だ。身体強化、弱体化、そして召喚術か……ずいぶん多様だけど単なる魔法じゃないのは確か。魔力が無いから。謎だらけだね」
「……」
攻撃を誘われたと気づいたジョーカーは苦い顔をする。
できる限り伏せてきた手札だったが、ついに見破られてしまった。
これ以上時間をかけるのは得策ではない。
効果が薄いと判断したナイフをしまい、徒手空拳の格闘に切り替える。
単純な腕力では分が悪いが、打撃で彼女の肉体の内側にダメージを与えないと勝てない。
「……〈チャージ〉」
一言呟き、萃香までの直線を一瞬で駆け抜ける。
それに反応が遅れるようなこともなく、萃香は左手を前にかざす。
すると、今にも直撃しそうだった彼の膝——否、体が弾かれたように彼女から引き離される。
「なっ……!? 」
予想外の事態に空中で体勢を崩したジョーカー。
その瞬間、再び発動する萃香の能力。
今度は一気に引き寄せられる。
「しまっ————!」
「はい、よっ!」
ガードもできず、上にむかって蹴り飛ばされる。
蹴り自体の衝撃、そしてものすごい速度で重力に逆らっている圧迫感が彼の体を苛む。
その彼の高さまで
今度は真下にむかって彼を殴りつけ、叩き落とす。
————ドッッゴォォォォン!!!!
あまりの衝撃に地面が割れ、土埃がもうもうと舞い上がる。
そして萃香はそのまま重力に身を任せて落下する。
着地の瞬間、ズンッと音を立てながらも平然としたままだ。
常人が受けたら死ぬどころか、爆散するのではないかとも思える威力。
そんな攻撃をした彼女だったが、相手がこれで死ぬとは微塵も思っていなかった。
未だに立ち込める土煙を能力で散らす。
そして、ヨロヨロとしながらも、立ち上がったジョーカーの姿を目にする。
それに驚きもせず、静かに告げる。
「『密と疎を操る程度の能力』と言っただろ?」
「…………ゴホッ、ゴホッ……ペッ…………そう、だな。引き寄せる『密』ばかりに気をとられて『疎』の方をすっかり失念していた…………」
彼は萃香の言葉に応じながら、せり上がってきた胃液を吐き出す。
さすがに今の攻撃はかなりのダメージが入り、足元が少しおぼつかない。
(…………当ててもどれほどの効果があるか怪しいのに、当てることすら難しいなんて相当キツい。あの能力、近距離戦闘ならほぼ無類の強さを発揮するな)
〈チャージ〉を上乗せした渾身の一撃とはいえ、当たらないならば無意味。
それどころか、カウンターでこの有様。
近距離でまともな手段でやりあって勝てる相手ではない。
(なら、距離をとってペルソナで戦うか……? 既に【アルセーヌ】の存在はバレている。普通に使ってしまうのもアリかもしれないな……)
中〜遠距離でスキルを撃って戦うことを考える。
これは弾幕ごっこではない。
いっそこうなってしまえば相手に直接〈エイガオン〉なりなんなりをぶち込み続けるのも———
(……まずい。〈ヒートライザ〉と〈ランダマイザ〉がそろそろ切れる。かけ直さないと…………)
「……【メタトロン】」
「なっ——!?」
唐突にジョーカーの傍らに出現する巨大な天使——メタトロン。
白く硬質な輝きの翼に、彫像のような顔と全身。
それを見た萃香は面喰らう。
その隙に彼は萃香を指し示し、【メタトロン】に言う。
「〈ランダマイザ〉……!」
「うぐっ…………また弱体化か……!」
それと同時、萃香にあの脱力感が襲いかかる。
そして彼はさらに自身に補助魔法をかける。
「…………〈ヒートライザ〉」
切れかけていた身体能力上昇の効果が上書き、延長される。
——稗田家の一件。
それが新聞によって一気に拡散したことにより、人里以外でも怪盗への『認知』が増えた。
それにより、ジョーカーは召喚できるペルソナの数が増えていた。
……と言っても、まだ一体だけだ。
どのペルソナを使えるようにするか悩んだ彼は、輝夜との模擬戦を思い出した。
あの時は自身の強化の時間切れによって幕引きとなった。
苦い経験であったが、そのことが彼に決断させた。
補助魔法に特化させたペルソナにしよう、と。
そして〈
主要な補助魔法は全て覚えさせていたのがこのペルソナ、【メタトロン】だった。
「…………次から次へと……飽きさせないねぇ」
「…………!」
笑う萃香。
それに返事をすることもなく、地面を蹴ったジョーカーは一瞬で彼女の懐まで潜り込む。
てっきり何か違う方法をとってくると思っていた萃香はそれを訝るような表情になるが、また同じように能力を発動させる。
同じ極の磁石が反発するかのように強引に引き離されるジョーカー。
そして彼女の能力が発動、引き寄せ——
「【アルセーヌ】! 〈ブレイブザッパー〉ッッ!!」
「っ!? ——がぁぁっっっ!!!?」
——二人の間に割って入るように出現した【アルセーヌ】の貫手が、無防備な萃香の腹に突き刺さる。
未だ効力を失っていなかった〈チャージ〉によってさらに上乗せされたその威力は、鬼の豪腕にも引けをとらない。
すさまじい衝撃が彼女の体を奔り抜け、今度は逆に萃香が吹き飛ばされる。
さきほどのジョーカーと同じくらいの勢いで飛んでいく彼女だが、途中でバランスを取り戻し、空中に自分を固定するようにして強引に止まる。
空を自在に飛べる者達にしかできない方法だ。
「……今のは、なかなかキたよ。ぐっ…………衝撃を、貫通させるとはね……」
「…………本来なら、
地面に下りると腹を押さえて苦悶の表情になるが、それでもなお楽しそうに笑う萃香。
それを見てうんざりしたような声でジョーカーはぼやく。
【アルセーヌ】に【メタトロン】。
どちらも戦闘以外に特化させたペルソナで、メインで戦うには物足りない。
純粋に戦闘に特化させたペルソナを使いたいところだが、今は呼び出せない。
手詰まり。
そんな言葉が脳裏をよぎる。
(打倒することは諦め、隙を見て逃げようか。いや、あの能力を使ってこられたら逃げようがない……)
次の一手を決めあぐねる彼に、萃香が話しかける。
「…………ずいぶんと便利だね、ソレ。いつでも出し入れ自由でいろんな能力を扱えるってわけか。召喚術にしては、ちょっと万能すぎる」
「…………」
それなりの一撃を見舞ったはず。
それなのにどこか余裕がある萃香に警戒を強め、ジョーカーはいつでも反応できるように構える。
彼女は悠長に話を続行する。
「————確かに今日はいい日だ。長いこと人間ってのを見てきたけど、こんな珍しいものは初めて見るよ。ねえ、ファントムとやら。手品のタネ、なんとなくだけど見えてきたからさ。答え合わせしてよ」
「…………」
「私にかけた弱体化やら、そっちが自分にかけた強化。それはさっきからちょくちょく召喚してる、そいつらの力ってわけだ。魔法じゃない、何か固有の能力。そして呼び出すタイミングも座標も、自由に指定できる」
ジョーカーのペルソナの特性を次々と見抜いていく萃香。
ペルソナの存在が露見した以上、今さら見抜かれたからと言ってそれ自体にそこまで問題はない。
だが……何かを企むような彼女の表情に危機感を煽られる。
「…………何より面白いのが、そいつらは
「…………!!」
——ペルソナの本質まで見破られた。
「私も自分の存在を散らしたりしてるからさ。なんとなくわかったんだ…………自分の受けたダメージをそいつらと共有し、分散することによって軽減する。いや、本当に便利だね。万能で、しかも強い」
「…………お褒めに預かり恐悦至極」
慇懃無礼に言葉を返す。
ある意味彼女の推察が正しいと肯定したようなものだが、もはや誤魔化しは効かないと判断した。
「それでさ。そいつらの気配を探ってみた。するとどうだ、お前とほとんど重なるようにして薄く体を覆ってる。普段はそうして『消えて』いるわけだ。…………だが、確かにそこに
…………彼女の言葉。そして、彼女が持つ能力。
その二つを並べた瞬間、不意に彼の明晰な頭脳は彼女が考えていること、そしてやろうとしていることを理解する。
してしまう。
ジョーカーの顔から一瞬で血の気が引く。
まずい。
まずい、まずい、まずいまずいまずいまずいまずいまず————ッ!!!!
「別々に分かれることでダメージを分散し、軽減。そして自分から離れた場所にも攻撃ができる」
「…………
萃香は微笑み、一言。
「————————
能力が発動する。
彼女の『密と疎を操る程度の能力』が。
ジョーカーと、彼が纏うペルソナ——同一でありながら別々の、
「…………グァあア嗚呼あゝぁァ阿亜ァあッッッッッ!!!!!?」
「————なっ!?」
絶叫するジョーカー。
声帯が張り裂けんばかりに出すその苦悶の声はもはや人間のものとは思えなかった。
まず彼を襲ったのは猛烈な
自分という存在に何かが入り込んでくる、その耐え難い苦痛に声にならない悲鳴をあげ続ける。
全身の怪盗服がギリギリと彼の体を絞るように締め付け、同時にどこからともなく生み出された鎖が彼に巻きつき、そしてその両方がズブズブと
顔を覆っていた仮面も同様にして顔の奥へと入っていく。
固体が強引に肉体の中に押し込まれるようなもの。
彼が味わっているのは激痛などというレベルではない。
しかし、彼はその痛みに気づくことすらなかった。
(ヅゥゥゥ————ッッッッッ!!!!)
ショックのあまり視界が純白に染まり、七転八倒して苦しむジョーカー。
……いや、ジョーカー
倒れた拍子に彼のナイフが二本とも地面に散らばった。
——自分であって自分ではない、
自分の存在そのものが剥ぎ取られ、バラバラにされるような苦痛の前に、肉体的な痛みなど存在しないも同然。
尋常ではないほどに苦しみ始めたジョーカーにたじろぐ萃香。
彼女は単に「分身と本体を一つにしてやればダメージの分散もできないだろう」という目論見で能力を行使しただけ。
しかし、結果はコレ。
——明らかに越えてはいけないであろう、禁断の一線を踏み越え
焦る萃香は慌てて能力を解除する。
…………だが、能力を解除されたはずの彼は苦しみ続ける。
彼女が能力を解いたところで、既に入り込んでしまったペルソナが彼の中から引っ張り出されるわけではない。
(まずい! 何が何やらさっぱりだが、このままじゃこいつ
とにかくなんとかしようと彼に手を伸ばすが、無尽の苦痛の中にありながらそれを察知したジョーカーは本能のみで飛び退く。
まともに立つこともできず、よろめくジョーカー。
——彼の全身からは不規則に蒼炎が噴出し、歪な黒翼が体を割るようにして現れ、また体の中に引っ込んでいく。
「お、おい! いったいどういう」
「—————————ッッッッッ!!!!!!」
「…………ッ!!」
無音の絶叫。
苦悶を絞り出すようなその咆哮に鬼であるはずの萃香は気圧され、怯む。
その瞬間。
踵を返して跳躍した彼は、転がるようにして石段の下に落ちていく。
一瞬の硬直から立ち直った萃香は、すぐにそれを追って石段の上から下を見る。
…………そこには彼自身はおろか、その存在の痕跡すら残っていなかった。
彼女は呆然としたまま、その景色を見下ろし続けていた————
最悪の一日。
萃香の能力でペルソナと自我を一緒にされるっていうのは前々から予定してました。
なんだか萃香が悪者っぽくなってしまいましたが、決して悪気があったわけではありません。
彼女からしてみれば、軽くジャブを放ったつもりが内臓破裂して苦しみ始めたようなものですので……