「……落ち着いたか?」
「…………はい。ありがとうございます……」
怪盗は阿求にハンカチを手渡してやる。
彼女はそれで顔を拭い、怪盗に礼を述べる。
「…………少しは気分が晴れたか?」
「……はい。胸のつかえがとれたような感じです。……こんなに思いっきり泣き喚いたのは、歴代の中でも私が初めてです」
「それでいいんだ。お前はお前なんだから。ようやく、お前自身がはっきり見えるようになったよ」
恥ずかしそうに笑う阿求。
泣き腫らした目は未だに赤く、頬も紅潮している。
彼女から仮面を受け取った怪盗は頷き、見透かすような目で阿求の顔を眺める。
「……私自身、ですか?」
「ああ。『稗田』じゃない、ただのお前の姿が。今までは『稗田』という『理念』に縛られていたお前という一個人が」
「……そう。そうですか。なるほど、私は今の今まで、『阿求』ではなかったのですね……」
彼女はその言葉に目をぱちくりとさせる。
そして両手を見下ろし、開いてまた握ることを繰り返す。
自分が自分であると再確認するように。
その様子を優しく見守る怪盗。
その一方、彼の頭脳はさっきの現象についての仮説を立てるために稼働していた。
(…………さっきのは間違いなく、ペルソナの炎だった。だが、彼女はペルソナを使えるようにはなっていない。普通の人間のままだ。力が感じられないし、視えない)
(……じゃあさっきのは、やはり……)
彼女は自分の「お前がはっきり見えるようになった」という発言が比喩だと思ったようだが、それは正しくない。
いや、もちろんそういう意味でもあるのだが、それ以前に自分はありのままを伝えたのだ。
最初にサードアイを使って彼女を視た時、本来ならあるはずの彼女の『核』が何も見えなかった。
彼女の中ではおぼろげな何かが無数に渦巻き、それが内側から彼女を圧迫していた。
(あれは歴代の記憶、『稗田』そのものだった。そして、それを
彼は納得いく仮説を立てるといったん思考を打ち切り、立ち上がった。
「……さて、それでは失礼する。そろそろ眠らせた者達も起きてくる頃だ」
「え……あ、そ、そうですよね。もう、お別れですよね……」
彼の言葉で我に返った阿求は名残惜しげに呟く。
どことなく寂しげな表情になる彼女に微笑み、怪盗は一枚のカードを渡す。
「…………これは?」
「予告状……いや、違うか。この場合は……なんだろうな。名刺、みたいなものか?」
赤と黒で構成されたデザインのそれを受け取った阿求。
怪盗は首を傾げる彼女に言う。
「いくつかやって欲しいことがある。もしよければ頼みたい」
時刻は昼前。
人里を歩く一人の天狗の姿があった。
「いやー、予想以上に手強いですね。怪盗についての情報は集まりましたけど、肝心の盗まれたものについて何もわからないとは。……よし、今日行って無理だったらそこは諦めて記事にしましょう。ふふ、これだけのネタなら充分に話題になることでしょう…………!」
彼女は射命丸文。
怪盗騒ぎについて調べ、記事にすることを目論むブン屋である。
一昨日の夜起きた事件を昨日知り、一日中さまざまな人間に取材して情報を収集していたのだが、被害者である稗田家の関係者からは一切情報を引き出すことができなかった。
ダメ元で今日も稗田家にむかってはいるが、彼女の頭は既に新聞の見出しを考えはじめていた。
取らぬ狸の皮算用をしながらニヤける文だったが、稗田家に到着すると表情を引き締める。
「すいませーん。一昨日のことについてお話を伺いたいのですがー」
「げっ、またアンタか……いい加減しつこいぞ。何度聞かれようと俺たちは何も知らない。他をあたれ」
「まあまあ、そうおっしゃらずにー」
文に気づくと露骨に嫌な顔をする守衛の二人。
その片方が追い払うような仕草をしながら諦めるように説得する。が、文は引き下がらない。
「ちょっとだけでいいですから、ね? お願いしますよ。ご当主に話を通すだけでいいですから。それでもダメなら大人しく帰ります」
「…………おい、どうする?」
「気は進まないが……このままずっとここに居座られるのもな……」
「……だな。仕方ないか…………おい、天狗さんよ。一応聞いてきてやってもいいが、それで無理なら本当に諦めるんだよな?」
「もちろんです! いやー、ありがとうございます! 」
「ったく……」
昨日も延々と絡まれていた二人は文のしつこさを理解していたので彼女の言葉に折れる。
最初に追い払おうとした男が踵を返し、屋敷へと入っていく。
文はそれをニコニコしながら見ていたが、内心ではまったく期待していない。
そんな彼女を胡散臭そうに眺めながらもう一人の守衛は自分の職務に専念する。
やがて、中から守衛が戻ってくる。
「どうでした?」
(……ま、無理ですよね。さーて、帰って記事をまとめないと——)
既に諦めている文だが、形式上男にそう尋ねた。
「……お会いになるそうだ」
「…………へ?」
目をぱちくりとさせて聞き返す。
それに対して男は自分でも理由がよくわかっていないような表情で同じ言葉を繰り返した。
「だから、阿求様がお会いになるそうだ。何度も言わせるな」
「ほ、本当ですか!?」
「疑うなら自分で確かめてくればいい。ほら、通れ」
男はそっけなく言いながらも、彼女が通れるように道を譲る。
「あ、あやややや! ありがとうございます! それでは行ってきます!」
思わぬ展開に目を輝かせ、文は屋敷へと駆け出していった。
それを見送りながら、立っていた方の守衛は男に尋ねる。
「…………本当か?」
「…………ああ。理由は見当もつかんが、天狗が来たと報告した瞬間に『通しなさい』、と」
「…………今日の阿求様がやけに上機嫌に見えたことと関係あるのかね」
「さあ。ま、どのみち俺たちには関係ないことだろ」
「違いない」
それっきりその話題に興味を失い、二人は元のように職務を粛々と遂行した。
「いらっしゃい。私が稗田家九代目当主、阿求です」
「これはこれは、どうもご丁寧に。幻想ブン屋、射命丸文と申します。本日は、一昨日あったという騒ぎについてお聞きしたくて参ったのですが……」
「ええ、承知しています。具体的には何を?」
「…………ずいぶんとあっさりと教えていただけるんですね。昨日はどれだけ粘っても取り次いでもらうことすらできなかったのですが」
あまりにもトントン拍子に進む話に逆に警戒心を煽られ、文は目を細める。
「……恥ずかしながら、昨日は人様にお会いできるような余裕がなかったので。申し訳ございません」
「え、や……あ、謝られることじゃないですよ! こちらこそ、不躾なことを……!」
それに対して素直に頭を下げる阿求。
その反応に焦った文は慌てて首と手をブンブンと横に振る。
「本日は昨日と違い、気持ちの整理もできておりますので、どうぞお好きなようにお尋ねください。私のできる限り答えます」
「そ、そうでしたか。わかりました」
コクコクと頷き、居住まいを正す。
途端に表情が真剣なものになり、目も鋭くなる。
「……まずは、盗まれたものが何だったのかを」
「『幻想郷縁起』、その草稿です。あなたならご存知だと思いますが、どうでしょう」
「ええ、もちろん存じ上げて……えっ!? そ、それが盗まれたのですか!?」
「はい」
驚愕する文に平然として頷く阿求。
文はその様子を見てますます驚く。
「た……大変じゃないですか!」
「そうですね。だからこそ、昨日はお会いできませんでした」
「そ、そうじゃなくて! なんでそんなに落ち着いていられるんですか!?」
ある程度の事情を知る文は、盗まれたものが阿求にとってどれほど大事なものかがわかっていた。
だというのに、平然としたままの阿求に酷く困惑する。
「どうして…………ですか。気持ちの整理ができたから、とは言いませんでしたか?」
「そ、そんなに簡単に割り切れるものではないでしょう!? なんでこんな短時間で……」
「そうですね。いくつか理由はありますが、とりあえずの理由としては『
「……………………なんですって?」
耳を疑う文に阿求は微笑んで懐から一枚のカードを取り出し、それを文にスッと差し出した。
訝しげにしながらそのカードを矯めつ眇めつする文は阿求に尋ねる。
「…………これは?」
「一種の犯行声明のようなものでしょうかね? 怪盗が残していったものです」
「なっ!?」
文は目の色を変え、手の中のそれを食い入るように観察する。
そこに描かれていたのは赤と黒の同心円と、その中央にシルクハットと仮面のデザイン、そしてその下に——
(
「盗まれたものと一緒にそれが私の部屋に置かれていました。いかがです? なかなか面白いでしょう?」
「……非常に興味深いお話ですが…………置かれていたというのはどんな状況ですか?」
「そのままです。いつの間にか私の枕元に草稿をしまっていた桐箱がまるごとありました。もちろん中身も全て揃った状態です。そしてその上には……」
「……このカード、ということですか。なるほど、なるほど…………!」
阿求の説明を聞きながら思考を加速させる文。
脳内で予定していた記事の構成を目まぐるしく変更していく。
「……よろしければ、このカード、お借りしたりとかは…………」
「…………すぐに返していただけるのなら」
「今日中には返却可能です! 印刷に使いたいだけですので!」
「…………わかりました。どうぞ、持って行ってください」
「ありがとうございます!! あなたのおかげで我が文々。新聞はさらなる飛躍を遂げることでしょう! このご恩はなんらかの形でお返しします! それでは、失礼します!」
早口で礼を述べ、部屋から出ていく文。
逸る気持ちに任せて縁側から一気に飛び立ち、一目散に飛び去っていく。
それを座って眺めていた阿求はクスリと笑った。
「……ふふっ、予想通りの動きね。これで彼にも少しは恩返しできたかしら」
——新聞を発行しているという天狗を煽り、派手な記事を書かせて欲しい。
昨晩の怪盗の頼みを思い返しながら、自分の計略がうまく運んだことを喜ぶ。
なんらかの方法でまた会いに来る、と彼は言っていた。
あの言葉を信じ、今はゆっくりと時が経つのを待とう。
天狗の新聞を読むのも楽しみだ。いったい、どんな記事になるのだろう。
「…………時間がもっと速く流れたらいいのに」
短い自分の残り時間を惜しむことは数あれど、時間の流れをもどかしく思うのは初めてだ。
らしくもなく心が浮き足立つのを自覚しながら、彼女は笑顔を崩さなかった。
そして数時間後、天狗は新聞を完成させる。
「号外、号外ー! 今回の文々。新聞は特ダネ、『怪盗事件』についての記事ですよー! 読まなきゃ後悔すること間違いなし!」
幻想郷の各所を飛び回り、新聞をあちこちに投下していく文。
そして、それを拾う者達。
——天狗が拠点とする、妖怪の山にて。
「まったく、あの人はまた勝手に……今回は何を……」
ため息をつき、落ちていた新聞を拾い上げる狼の耳が生えた少女。
——幽霊が集う冥界にて。
「…………またあの天狗ですか。何の役にもたたない新聞なんか、火の焚付けにでも……ん? …………怪盗?」
新聞の一面を見て怪訝そうな顔をする二本の剣を携えた白髪の少女。
——危険な動植物が跋扈する魔法の森にて。
「騒がしいわね……あの天狗か。今回の新聞はいったいどんなデタラメが書かれてるのかしらね? 魔理沙はどう思う?」
「……そんなことより、相談があるんだ」
「はいはい、わかったわ。まったく……いきなり来てそんな深刻そうな顔されても困るわよ」
新聞を持ったまま振り向いて肩をすくめる金髪の少女と、俯いたままのもう一人。
——満開の花が咲き誇る花畑にて。
「…………」
興味なさげに記事を一瞥する女性。次の瞬間、彼女の手の中で新聞は灰になる。
——山奥のとある神社にて。
「ん? あ、新聞。今回は何の記事かなー?」
箒で境内を掃除していた緑髪の少女は走って新聞を拾いに行く。
——霧が立ち込める湖畔の館にて。
「お嬢様。またあの天狗が新聞を落としていきましたが、如何いたしましょう? …………? どうなさいました?」
「……運命が、見通せない。…………いや、違う。『行き止まり』……?」
険しい表情をして虚空を見据える主に不思議そうな顔をするメイド。
——妖怪が住む寺にて。
「おや、天狗の新聞ですか。とりあえず聖に渡しましょう」
ところどころ黒が混じった金髪の少女は天から落ちてくる新聞を掴む。
——地面にぽっかり空いた大穴にて。
「……いてっ。何だろ? ……新聞? 地上のあの天狗が落としてったのかしら」
穴の中央に網を張って寝ていた少女は、頭に落ちてきた新聞に首を捻る。
——人間達が暮らす里にて。
「おい、あの怪盗とやらについての新聞だぞ!」
「あ、俺にも見せてくれ!」
「俺もだ!」
「俺も!」
いくつも落ちてくる新聞に群がっていく人々。
——そして。
無数の竹に囲まれたとある屋敷にて。
「…………なかなか上出来じゃないか。個人が趣味で発行している新聞なんて聞いた時はどんなものかと不安になったが、悪くない」
「あ! それ、あの天狗の新聞でしょ! 私にも見せなさいよ!」
新聞を大きく広げてニヤリと笑う少年と、彼に駆け寄ってくる少女。
————こうして、『怪盗』は幻想郷全体に知れわたった。
彼が現実に帰還する未来は、まだまだ遠い。
文が英語を読めるかというのは悩みましたが、とりあえず読めるということでお願いします。
実を言うと英語に限らず、カタカナ語とかもどこまで通じるか悩みながら書いてます。
もしそういう点でどこか引っかかる箇所があってもどうかスルーしてください……
どうしても筆者の語彙では漢字系の言葉だけでは表現できない部分が出てきますので………