「……じゃあ、始めましょうか。イナバ、準備はいい?」
「はい、大丈夫です。お手柔らかにお願いします」
「今回は暁に弾幕ごっこを見せるだけだからね。適当にやるわよ。暁は?」
「こっちもオッケーです。お願いします」
すったもんだあった後、彼らは中庭に出てきていた。
暁に弾幕ごっこがいかなるものか、その目で確かめさせるためだ。
時刻は既に夕方過ぎ。あたりに宵闇が迫ってきている。
縁側で座り、二人にサムズアップする暁を見た輝夜と鈴仙は向き直る。
「じゃあ、やりましょ。先攻は譲るわ」
「わかりました。…………では!」
その言葉と同時にふわりと宙に浮き上がる鈴仙。それに合わせるように輝夜も浮く。
そして、彼女達の弾幕ごっこは始まった。
交差する色とりどりの光弾に光線。
それはまるで、空に描かれる鮮やかな絵画。
楽しげに笑いながら、踊るように宙を舞って互いの弾幕を避けあい、撃ちあう少女達。
「波符『
「おっと残念、イナバもまだまだね!」
使用する技を宣言し、一枚ずつ「スペルカード」と呼ばれるらしいそのカードを消費していく。
最初は単に笑って眺めていたその光景を、ただ、黙って見上げる。
美しかった。
自分が今まで見てきた光景の中で、何よりも美しかった。
パレスというのは、まさに欲望の塊。
一見綺麗に見えるものであろうと、その本質は汚らわしい欲望によって生み出されている。それを理解している以上、どれだけ美しく見えるものであろうと、素直に美しいとは思えなかった。
例外としては、一人の少女が生み出したピラミッドのパレス。欲望ではなく、心ない大人に植え付けられた自責の念によって生み出されたもの。
静謐な雰囲気のあれだけは、その造形美に文句無しに感嘆できた。
しかしそれとはまた異なる美しさ。
悠久の時を経てなお不変のピラミッドとは対照的に、一瞬一瞬で千変万化する花火のような光景。
「…………どうかしら? これが幻想郷での決闘、弾幕ごっこよ」
「……………………」
いつの間にか、永琳が傍らにいた。
彼女の問いに無言を貫く。
いや——
「暁? どうかしたの? …………!」
————何も、言えなかった。
雫が頬を静かに伝い、流れ落ちる。
無表情で、黙りこくったままで、輝夜と鈴仙が生み出す光の芸術を見上げ、涙を流す。
永琳は暁の様子に驚き、口を閉じる。
宙を舞う二人の笑い声だけがしばらく聞こえる中、暁が小さく声を漏らす。
「本当に、綺麗ですね…………」
「…………そうね。私も、そう思うわ」
他人には推し量れない、万感の想いが篭った呟きのようなその言葉に、永琳は静かに頷いた。
その時彼女は不意に納得できた。
彼は特別であっても、特別ではない。
ただ自分が強くあろうとし、そう努力しているだけの人間なのだ。
理解はしていても、納得はしていなかったその事実は、ストンと胸の奥に収まった。
暁は言葉を紡ぐ。
「……俺は。俺達は」
「……ええ」
「ずっと、ずっと、生死を賭けて戦ってきました」
「……ええ」
「死なないように、そして……
「…………ええ」
きっと、返事なんて期待されていない。
それでも、相槌をうつ。
「無数のシャドウを殺して。殺して。殺して」
「……ええ」
「そしてパレスの主と戦って、その欲望の核を盗んで」
「……ええ」
「パレスの主だって、最初は……殺すつもり、でした。偶然、殺さない手段が見つかった。ただ、それだけ」
「…………ええ」
「それを悔いるつもりは無い。恥じるつもりも無い。俺達のやってきたことを、自分達で否定することはないし、他の誰にも否定はさせない」
「……ええ」
「
明確に区切られた言葉に、つい暁の顔を見る。
暗がりの中、弾幕の光で照らされる、その表情は。
「美しくて。平和的で。——こんな手段で、
今にも泣き出しそうな、笑顔だった。
ひとしきりスペルカードを使用し、適当なところで弾幕ごっこを終えた二人が下りてくる。
「いやー、やっぱスッキリするわねー」
「ですね! 私も久々に姫様のお相手を務めましたけど、楽しかったです!」
「…………弾幕ごっこ、しかと見せてもらいました。ありがとうございます」
手を組んで上に伸ばす輝夜に、はしゃぐように弾んだ声の鈴仙。
暁は立ち上がって、彼女らに礼を言う。
「いやいや、これしきで……って、どうしたの暁? なんか、若干目が赤くない? まあ、イナバほどではないけど」
「なんで私と比べるんですか……あれ、でも本当ですね。暁、なんかあった?」
「ははっ、いやー、二人の弾幕ごっこがあまりに綺麗で。思わず感涙しちゃいましたよ」
尋ねられた彼は至極軽い調子でそう返す。
それは事実そのものだったが、自分が聞いた彼の言葉の本質が、そこには無いと永琳は思った。
「そこまで言ってもらえるとなんだか嬉しいわね。良かったわね? イナバ?」
「だからなんで私に振るんですか……まぁでも、悪い気はしないですね。あ、師匠もご覧になってたんですか」
「……途中からだけどね」
笑顔の鈴仙に合わせて薄く微笑み、そう返事をする。
今の彼の言葉について追及するつもりも、そのことを輝夜と鈴仙に教えることもなかった。
「なかなか良かったと思うわ。あなたもちゃんと成長してるわね」
「そ、そうですか! ありがとうございます!」
師からの素直な賛辞に嬉しげな様子の鈴仙。
彼女を微笑ましく見つめながら、隣で話す暁と輝夜の方を横目で見る。
「なんならあなたもやってみる? ……っていうか、一応できるようになっておかないとダメじゃない? これから行く場所で戦うことになったりするかもしれないでしょう?」
「確かにそうですね。じゃあ……あ、でも問題が」
「え? 何?」
「俺は飛べません」
「…………あー……」
呑気なやりとりをする彼に、先ほどまでの儚げな雰囲気は一切残っていなかった。
永琳が気にかけていることも知らぬ彼はそのまま輝夜と話を続ける。
「こっちでは弾幕ごっこできる奴らは全員飛べるからね。そこを失念してたわ」
「一応、ペルソナは浮いたり飛んだりできるので、それに掴まるなり乗るなりすればできなくもないかもしれませんが……」
「なるほど。じゃあそれで練習してみる?」
「それでもいいんですが、今のを見る限り、人間サイズ同士というのが前提ですよね? 俺とペルソナの大きさだと、どうしても避けきれないと思うんですよ。多分」
「あー、そうか。困ったわね……じゃあ飛ぶのは諦めて、地上で避けられるかだけやりましょうか」
「ですね。それならなんとかなると思います」
暁との話が一区切りついて、 輝夜はくるりと永琳に向き直る。
彼女と目があった永琳は一瞬動揺するが、それをすぐに押し隠した。輝夜も気づいていない様子だ。
「それはさておき、今はとりあえずお腹空いた。永琳、食事はもうできてる?」
「……ええと、まだです。でもあと少しでご飯が炊き上がると思うので、それで支度は終わります」
その返答に頷いた輝夜は踵を返した。
「そ。なら先に行ってるわね。暁も行きましょう?」
「わかりました。あ、そうだ。今度俺が料理作ってみてもいいですか? お世話になってますし、ちょっとは恩返しみたいなこともさせて欲しいんですけど」
「お、いいアイデアね! 一応聞くけど、料理の腕は?」
「これでも飲食店の料理を任されるくらいの腕前ではありますよ」
「ほー、期待させるじゃない。いいわ。今度お願いね。外の料理とか、何か食べてみたいわ」
「任せてください。かのかぐや姫の口にお合いする料理を作ってみせましょう……」
「それはそれは。楽しみね〜……」
輝夜とそれに追従する暁の声は次第に遠ざかり、廊下の先の角を曲がったあたりで聞こえなくなった。
(……さっきまでの雰囲気が、全部私の気のせいだったと錯覚してしまいそうなほど、普段通りの様子ね。普段……と言えるほどの付き合いでも無いけど、とにかくさっきと今ではまるで別人みたいに見えるわ。……つくづく不思議な人間ね…………)
しばらくそちらを見ていた永琳は鈴仙に向き直る。自分達も行こう、と言うつもりだったが、なにやらソワソワしている鈴仙が気になった。
「うどんげ? どうしたの?」
「あ、あの、成長したって、具体的にはどのあたりですか?」
若干不安そうでありながら、期待に満ちた目でこちらを伺ってくる。
…………どうやら褒められたのが相当嬉しかったらしい。
「あー、そうね………」
「ぜひぜひ教えてください! 今後のためにも!」
適当に返すわけにもいかず、しばらく鈴仙のことを構っているうちに、暁について考えていたことはすっかり頭から抜けてしまった永琳であった。
「…………ごちそうさまでした」
「あら、もう食べたの? やっぱり男は違うわねー」
「いやいや、料理が美味しかったから箸が進んだだけですよ」
箸を置いて手を合わせる暁。他の面々はまだ食べ終わっていない。
恐縮したように輝夜に頭を下げ、食器を台所へ運ぶ。
そのまま部屋を出ていこうとするが、戸に手をかけたところで思い直したように立ち止まる。
そして振り返り、輝夜に声をかける。
「輝夜さん」
「ん? どうかした?」
「いや、お風呂の場所をまだ聞いてなかったと思いまして」
「ああ、なるほど。離れに向かう廊下の角を逆に曲がって、まっすぐ行った突き当たりが風呂よ」
「そうですか。お先にいただいても良いですか?」
「どうぞどうぞ。永琳、もう沸かしてある?」
「てゐの配下の兎がさっき薪を抱えて準備してましたから、大丈夫かと」
「だ、そうよ」
「ありがとうございます。それじゃ申し訳ないですがお先に——」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
ポンポンと進む会話を半分聞き流していた鈴仙だったが、内容が頭に入ってくるとともに会話に割って入った。
「いきなりどうしたの、うどんげ」
「どうしたって、え、いや、その。彼をお風呂に入れさせるんですか?」
「……風呂に入れさせないってなんの嫌がらせよ。イナバも意外と鬼ね…………」
「……私もあなたがそんな成長をしているなんて思ってなかったわ……」
ドン引きする輝夜と永琳に慌てて首と手を横に振る鈴仙。
「い、いや、そうじゃなくて! 寝床は別々にしたのにお風呂は良いんですか!? そっちも別にした方が……!」
「別って。さすがにウチでもお風呂は一つしか無いことくらいイナバも知ってるでしょ。何を今さら言ってるの」
「そ、それはそうですけど……あっ、暁も気がひけるんじゃ」
彼女は呆れたように返された正論に怯みながらも、別の道筋で説得を試みる。
「いや、最初はそうだったらしくて、風呂もなんとかしようとしてたらしいとは聞いたんだけどね? なんか心変わりしたらしくて。なら問題無いじゃない」
「いつですか!?」
「ついさっき。二人でここに来る途中」
それが事実か確認しようと勢いよく振り返った鈴仙に暁は頷く。
「ああ。霖之助さんにも何か風呂について助けてもらうつもりだったんだけどな。必要なくなったから途中で止めたんだ」
「……それって」
昼間のことを思い出す。
『一応、頼もうかと思ってたことはあったんですが、大丈夫そうです』
『へえ、何だったのかちょっと気になるね』
『ははは、まあ、ちょっとしたことですよ————』
…………確かに、そんなやりとりがあったような気はする。
「で、でもなんで!?」
「まあ、ドラム缶風呂とか作るにしろ、燃えカスとかが地面に残るし、結局は迷惑がかかりそうだった、っていうのが一つ。もう一つは——」
そこでチラリと輝夜を一瞥し、目配せする。
輝夜もそれに気づいてウインクを返す。
「あ、そういえば! ね、永琳。最近、ウチのイナバにお友達ができたそうよ〜?」
「ほう……詳しくお聞かせ願います」
「ちょっ!? 姫様っ!?」
ニヤリと笑ってわざとらしく永琳に話しかける輝夜。永琳も同じような笑みを浮かべてそれに乗っかる。
慌てた鈴仙は振り向いて輝夜を止めようとする。
「いや、それがね〜? 私も今日知ったんだけど〜?」
「姫様っっっ!!!! し、師匠も聞かなくていいです、というか聞かないで!!」
必死になった鈴仙がなりふり構わず輝夜の口を塞ぎにかかる。それをひょいひょいと避けながらなおも口を開く輝夜と、それを面白そうに聞いている永琳。
暁はその光景を笑って眺め、静かに戸を閉めてその場を後にした。
そしてしばらく歩き、賑やかな彼女達の声がようやく届かなくなった頃、廊下で一人立ち止まって呟く。
「——気恥ずかしいのはお互い様だけど……
シリアス。
鈴仙の友達発言は暁の風呂問題を解決する伏線だったのさ!
……伏線と呼ぶのもおこがましいレベルですね。いつか壮大な伏線を張れるようになりたい。