人造人間の彼とは、バンカーヒルに到着するとすぐに別れた。
彼はなにやら名残惜しそうではあったが、ここにつくまでの間に彼から知りたいことをすべて聞きだしていた僕にはその感情はなかった。
一人でこの中を、あてどなく半日ほど歩き回ってみた。
その間に人々の会話を、噂を、建物の位置や防衛力について探ってみた。
自分は思った以上に鋭いのだろうか?彼らの暮らしぶり、彼らの期待するもの、彼らが必要とするもの。
結論は意外に早く出せてしまった。
この場所が商人の町、というのはそれほど間違っていないようだ。
商人たちが自分たちのために安全なこの場所を通貨であるキャップで生み出した。例えるならばそれは台風の目であり、大海の中に浮かぶ小さな孤島であり、流れに生まれた澱みである。
ここでの力とは商人であり、キャップだが。それは明らかに外の暴力の世界とは相容れない考え方だ。
大きな歪みが、はっきりとここには存在している。
その被害者がここに集まる傭兵達だ。
商人は彼らを自分を守る盾ぐらいにしか考えていない。商人にキャップで命を買われるが、契約を逆手に彼らを全力で守る以外の選択肢を与えられることはない。
商人は風向きが悪いと感じれば、平然と傭兵を使い捨てようとするし、それ以上の損益を嫌っている。
ひどい話だ、とは思うが。残念ながら僕がそんな商人を責めるのも筋違いであった。
そもそもにしてこんなおかしな話になったのは、どうもプレストンが所属するミニッツメンが、レイダーに怯えて助けを求めた商人たちを見捨てたことが始まりらしいとも聞いた。
頼れるものが頼りにならず、商人が自分たちでどうにかしようと歯を食いしばった結果が、今のこの町の姿なのだろう。僕はヒーローでも、救世主でもない。自分のことだけで精一杯な無力な存在なのだ。それはちゃんと理解している。
夜になって営業を終えてしめようとする店先で、この意外な結論に顔をしかめている僕に話しかけてきた商人がいた。
「アンタ、店を閉める前だけど、品物を見ていかないかい?」
「旅人が必要なものが、置いてある?」
「そりゃもちろんさ。キャンプで火をつけるとき、この携帯バーナーがあれば便利だろ?」
ふざけたことを口にする彼女の名を、デブと言った。
脳内でなぜか日本語にしてしまったので、噴出しそうになってしまったが。これは読み方を短くしたのでそうなっているだけなのだろう。笑ったら失礼になる。
「この町のことを聞いて来たんだけど。考えていたものと違ったんだ」
「へぇ」
「それで……途方にくれている。まいったよってね」
「どんな場所だと思ったんだい?」
「だからそうだな――普通の町だよ。人がいて、暮らしがあって、活気もある」
「ここにはないかい?」
「ここは――確かに大きな市場だね。すべてが商売、それに必要な人を求めてる。俺には、物足りない町だけど」
「傭兵かい?」
「俺?払いがいいなら、時には真似事で。なにかある?」
「あるけど、そんなのに話して断られるのは愉快な話じゃないからねぇ」
なにやら頼みごとがあるような口ぶりだが、ここはいい人になる理由は自分にはない。
それに気がつかなかった風を装い、鈍感のふりをして話の方向を変える。
「俺が求めるような町って、連邦にはないのかい?」
「ダイアモンドシティは?」
「やっぱり、そこか――」
「あとは……グッドネイバーかな」
「グッド?」
「グッドネイバー。ハンコック市長が治めるおっかない場所さ」
僕の目的地が新たに更新された。
「その町のこと、教えてよ」
「無料で?」
「まさか。そのかわりにそのソールズベリーステーキ、もらおうか」
デブは以外にいい人であったようだ。
約束どおり買い物を終えると、丁寧にグッドネイバーへ安全に向かう道を教えてくれた。
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トラブルしかない町、それがグッドネイバーなのだそうだ。
別名には犯罪者の町とも言うらしいが、考えてみればそいつらだって人並みのサービスを受けたいときがあるわけだし。そういう場所があっても、別におかしいことではないのかもしれない。
そして僕は、彼らから見れば正直面白くもない獲物にしか見えないのだろう。
「おい坊や、ちょっと――」
次の瞬間には、僕の手が握るビッグ・ジムを相手のこめかみに叩きつけていた。
外ならそのまま興奮に任せて頭蓋が砕けるまで殴りつけるところであったが、さすがに町の入り口でそれをやっては目だってしょうがない。
僕は一発で白目をむいて動かなくなった相手の体をまさぐると、最後は下着も残さずにすべてを奪うと目の前にあった店のカウンターの上に載せた。
「これ、いくらで引き取ってくれる?」
「いらっしゃい。かわいい顔して、よくやるね。いいよ、バッチィのも全部買った。その代わり、そんなに高くはならないよ?」
「それでいいよ」
僕は出来る限り満面の笑みを浮かべてみせる。
「だってそこで拾ったばかりだ。新鮮だからモノは悪くないはずさ」
確かにたいしたキャップにはならなかったけれど、そいつの武器も防具も服も。全部売れた。
店を出ると、無防備にも股をおっぴろげて局部をさらすポーズをとらされているそいつはまだ入り口で寝っころがっていた。
彼は僕の記憶の中で、初めて”殴って”も死ななかった男だ。このまま無事に風邪を引いたとしても、この危険な町で生き延びてほしいものである。
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ジョン・ハンコックはグッドネイバーの統治者であり、支配者である。
だがそう呼ばれることはたぶん本人は喜ばないだろう。
だから――彼は、名前の後に市長とよばれるべきなのだ。
この時の彼もそうであった。
本当に珍しいことに、いつもは誰かに振舞ってやれるほど抱えているはずのジェットを切らしてしまい。それを補充するのに、ほかの誰でもなく自分だけのブレンドで作りたいからと。大通りの片隅で自らそれをコツコツと科学の錬金術を駆使して大量に生み出そうとしていた。
その背中はがら空きで、町の住人は見かけるが作業の邪魔はしたくないのか特に声をかけるでもなく通り過ぎていく。
いや、そうではなかった。全員ではない。
まだ若く、見たとおりならば無法者となって日が浅い若者がいつからかパイプ銃を構えて立っている。まだ人を殺すことに慣れていないのだろうか、唇は乾き、両目を見開いて様子にどこか落ち着きがない。
だが、彼が抱いた野心を果たすことはなかった。
興奮を抑え、殺意をまとめ、震える銃口が止まり、引き金に置かれた指に力が入る前に、四方からサブマシンガンが若者に向けられていた。
見回りらしき汚れたスーツ姿の男が現れる近づくと、悔しそうな若者の手から銃を取り上げ。まだそれに気がついてないらしい市長の背中に声をかけた。
「殺されるところでしたよ、ハンコック市長」
「――ああ?」
「いや、だから。こっちです」
「なんだよ、俺がこれからみなに愛されるオリジナルレシピのジェット100発を一気に生み出そうって時に、なんでそれを邪魔しようと考える奴がいるんだ?」
「そいつは本人に聞いてください。こいつです」
いらだたしくかき回すためのガラス棒をビーカーに投げ込むと、ハンコックはようやく暗殺未遂で終わってしまった若者の顔を見た。
「グッドネイバーの市長を狙う若者か、教えてくれ。俺は何か、お前にしたことがあったのか?親や友人を殺してしまったとか」
「ない!だが、あんたを殺せば。俺がここをもらうんだ」
「おいおい、聞いたか?お前たち、こんなに野心あふれる若者がここに現れるなんて。この連邦はまだまだ捨てたもんじゃないな」
冗談なのか本気なのか、そういうと若者の前に立つ。
「それで、失敗に終わってしまったが。これからどうする、若者よ?」
「お前を殺す!俺がこの町を手に入れるんだ!」
「まるで駄々をこねる赤ん坊と一緒だな。だが、いいだろう。若者はそれくらい元気であったほうがいい。
おい、お前ら賭けを始めろ。
この野心にあふれる若者が、最悪の市長ハンコックとの決闘に勝利できるか?どうか?」
「なぁ、市長。そりゃ賭けにはならないぜ。こんな若造、あんたに勝てるはずもない。賭けは成立しないさ」
スーツの男がそういって笑うと、周囲のマシンガンの向こう側から大勢の笑い声が漏れてくる。その声に若者は怒りと羞恥心で顔を真っ赤にさせているが、動くことができないでいる。
口では否定はしたものの、男はハンコックの指示に従い、懐からスイッチブレードを取り出すと若者に差し出した。これで市長を刺してみろということらしい。
「おいおい、お前らなんて薄情な奴らなんだ?こんな若者、なかなかいないぞ?よし、いいだろう。俺が彼に賭ける。若者が市長を倒すのに、このジョン・ハンコックは賭けるぞ」
「へぇ、いくら出します?」
その問いかけを待っていたかのように、間髪いれずに地面に一枚のキャップが音高く落ちた。
それが合図となり、若者はいきなり動いた。
汚れたスーツ男の手からスイッチブレードを取り上げ、目の前の市長の心臓めがけてつきたてようとしたのだ。
ハンコックは慌てていなかった。
先ほどまでの演技じみたそのままで、若者の足を見事に払うと。相手は派手に地面に体をたたきつけてしまう。それでも、まだあきらめきれなかったのだろう。
腰を上げようとしたが、今度はハンコックがそれを許さなかった。
立ち上がりかけた若者の後方に大胆に体を移しながら、いつの間にか握られていた己のサバイバルナイフで若者の髪をつかみ、容赦なくあごの下を半分までパックリと簡単に裂いてしまった。
ヒューヒューという音にあわせて、流れ出た血が若者の白いシャツをあっという間に真っ赤に染め上げていく。
苦しみながら武器を落とす若者の頭を、ハンコックは両手でやさしく挟むと静かに優しい声でささやいてやった。
「いいんだ。もうすぐ終わる、お前はよくやった、もうすぐ眠れる――」
その言葉に従ったといううわけでもないだろうが。若者は地面に横になると、そのまま静かに息絶える。賭けはやはり成立しなかったようだ。
市長は若者が動きを止めると、立ち上がり背中を向けた。
「市長、こいつどうします?」
「ん?なんでそんなことを俺に聞くんだ?」
「いえ、念のために。聞いておこうかと」
「考えもない、名前も知らない馬鹿者が死んだだけだぞ。さっさとゴミを町の外に放り出しておけ。ミュータントかフェラルが綺麗にしてくれるのはいつものことじゃねーか」
「そうですね。そうでした」
つまらぬ横槍で興がそがれてしまい、市長室へと戻っていく。
だが、そこでもなにか気に入らないことがあったようだ。
「おい、俺のボディーガードは?」
「え、先ほど出て行きましたが――」
「まったく。今日はどうなっているんだ?」
首を横に振ってハンコックは嘆いた。
今日のグッドネイバーはなにやら騒がしくなりそうだった。
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興味のつきないグッドネイバーの中で、僕が引かれたのはメモリー・デンと書かれた看板の店であった。
中に入るとそこは瀟洒な雰囲気を漂わせる内装がなされていて、それなのにラウンジにはそこには似合わない何かの装置が並んでいる。
「あら、あなた。新しいお客さんね?」
気がつかなかったが正面の舞台の上に蝋人形のようなこの世のものとは思えぬ雰囲気を漂わせたご婦人が、僕の存在に気づいて声をかけてきていた。
「悪いけど、うちは今。お客は十分に抱えているの、悪いけど――」
「これ!この装置は、戦前は脳の追体験をすることで精神治療に使っていた装置、だよね?」
「よくわかるのね。学者さん?」
「いや、違う――と思う」
「ん?どういうこと?」
「俺には記憶が――記憶がないみたいなんだ。何かの後遺症だと思う。日常生活に必要なこととか、どこかで学んだと思う知識は。次々浮かんでくるけど、自分の過去が。どんな暮らしをしていたのかの記憶だけがない」
「あら――」
「この装置も見て思ったんだ――。戦前では、精神治療としても使われていたような気がするなって。違う?」
「どうかな。でも下にいるアマリはそれを信じていたみたい。昔もあなたと同じことを言っていたわ」
僕の口が、不思議なことに勝手に動いていた。
「なら、それを試してもらえないかな?僕の記憶を、この頭の中から掘り出してみたいんだ」
Vault111に残してきた謎。その答えを、ここでいきなり手にすることが出来るかもしれない。
ああ、この時の僕はそんな甘いことを考えてしまったんだ。
そんな簡単なことではないと、理解しておくべきだったのに――。
目を閉じた後で、最初に見えてきたのは真っ白な世界だった。
上も下もない。左も右も、視点は動かせないのか、動いてないのかもわからない。
だが、すぐにフレームの外から僕と同じ顔をした、やはりそこと同じ白のぴっちりした服を着ているらしい紛らわしい格好の3人が飛び込んできた。
そのどれもが無表情で、白く塗りつぶされた世界にわずかに見せる頭と手と膝の肌色だけが。不規則に、バタバタと、痙攣というにはあまりにも強く動かしている。何かの表現だろうか?
なぜかはわからないが、僕は同じ顔をしたこの3人をこのまま見続けることがなぜか恥ずかしいと感じていた。目を閉じたかったし、顔を背けたかったが。許されなかった。
次の場面はいつそうなったのかはわからないが、今度は真っ青で透明なものが見えた。
視界は今度はゆっくりとズームアウトしているようだが、そこに何があるのかはすぐには理解できなかった。そしてやはり視点は動かせない。
真っ青な空と、そこにたゆたう雲だろうと思ったがそうではなかった。
ズームが終わると、それが水の入った給水タンクのようなもので。だが、底には綿飴のような白いもやがうねり。透き通る水には寄生虫らしき2つの屹立する棒状のそれが、忙しく留まったまま左右に回転をしているようであった。
これはなんだ?
問いかける前に、僕の後頭部を突き抜けて男の手がのび。水の入ったタンクの表面に触れると、妙にいとおしげにその表面をなで始める。
たったそれだけのことなのに、僕は急にそれがなにか”恐ろしい”ものだと感じ始めていた。
血が逆流し、背筋が寒気で凍りつき、パニックの前兆らしきものもある。
だが、こんなものになぜ恐れなきゃならない?
何か情報はないかと目を凝らすが、やはりわからない。見たままのそれが、目の前にあるだけだ。
それでも諦めず。なにかないかと目を凝らす。
広がり始める恐怖心に抵抗しようという僕の試みは、視界にまたあの白い世界で不気味にうねる3人の僕と水槽とを瞬きのたびに交互に見せるようになっていた。
こんな、訳がわからない。
これが俺の――僕の記憶だというのか?どういうことだ?
すべてが凍りついたのはまさにこの瞬間だった。
白い3人の僕が、おかしな動きをいきなりやめると顔だけこちらに向け。同時に声で問いかけてくる。彼らはずっと観察する僕の視線を知っていた!?
――これはナンダと思う?
重なる3つの声で問われた瞬間に、僕は答えがわかってしまった。
少なくとも目の前の透明なタンクの中の水の意味を、正確にその真実を理解してしまったのだ。
これは俺で――これは僕なのだ、と。
体どころか、五感も許されなかったこの僕の――いや、そうじゃない。
いとおしげに触れるこの手の持ち主の”情け”で、ようやく世界を見るという。視覚を許されたばかりの原初の俺自身の姿がこれだった。
つまり、つまり――。
僕は、俺は、この正体は……。
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メモリー・デンは今や大騒ぎとなっていた。
イルマの話に、内心ではガッツポーズを決めてよいサンプルが手に入ったと機嫌よく上階へあがってきたドクター・アマリであったが。
アキラの脳のもっとも反応の良い部位に刺激をわずかに与えると、すべてが一変してしまった。
これまで見たことのない信じられない量の情報があふれ出てくるとイメージを読み込む処理が間に合わず、それはあろうことかアキラの生体に対して逆に強烈な負荷をかけ始める。
さらにそれは一ヶ所から脳内のあらゆるところに拡散して、同じようなことをそこでもやりはじめたのである。
さすがにこれまでプロとしてこの装置を使ってきた者として、慌てはしたが。それでも冷静になろうと勤めつつ、アマリはなんとかこの事態に対処しようと出来る限りのことはやった。
だがこの時点では最悪、アキラは脳死状態に陥ると思われ、助けることは出来ないのではないかとひそかに考えてもいた。
異常を起こしてから8分後。
もはや限界だと思われた矢先、負荷は突然にしてゼロとなる。
記憶というか、脳内を駆け巡っていた大量の情報らしきそれが、暴れるのをやめると今度はどこにも残っていないのだ。
アマリはてっきり手遅れだったのかと一瞬は絶望したが、続いて出てきた患者の状態が平常と表示されて安堵と同じく疑問を抱いた。
「どうなの、アマリ?落ち着いた?」
「ええ、どうもそうみたい。おこってしまったことが信じられないわ」
「それで、この若い子はどうする?目を覚ますの?」
「そうね。そうしないといけないと思う。でも、あれだけのことがあったからなにかしらの症状が出ているかもしれない。それに、本人にも自覚症状がどう出ているか」
そういうとありったけのメンタスを注射器の中で混ぜ合わせてから、アキラの皮膚下に投薬した。
「これからどうなるの、アマリ?」
「数分以内に目が覚めるはず。でも、どうなっているかはわからない。この事態が、本人にどれだけ影響を与えているのか。そこが心配だけれど、目を覚ましてみないとわからないの」
眠っているアキラを2人は心配そうに見ている。
そして予定通り、90秒を過ぎたあたりでアキラの両目がいきなりカッと見開かれると、一動作で飛び起きる。
アマリは慌てて声をかけた。
「落ち着いて、落ち着いて頂戴。もう終わったの、これは現実」
「は?はぁっ!?」
「大丈夫、大丈夫だから。一時は危険な状態にまでなったけど、もう心配はない」
「???」
「よく聞いて、あなたの頭部に眠っている記憶のようなものがあったの。でも、それは記憶じゃなかった。
大量のなんらかの情報だった。それがあふれ出てしまって、あなたの脳を傷つけようとしたの。こんなことになるなんて思わなくて――」
「情報?記憶じゃない?」
「ええ、そうよ。記憶じゃなかった。それがなにか、あまりに多すぎてモニターしていた私にもそれはわからなかったけれど」
「記憶じゃない。記憶は、ない?」
「え?」
「記憶がない人間はいない。記憶がない、僕は。人造人間?」
「なんですって!?それは違う。そうじゃない」
「違う?人造人間じゃないって?どうして?」
「だって――違うのよ。彼らの脳とも違う。あなたのは――」
必死に言葉を重ねようとするアマリの前に、スッとイルマが体を入れて言葉をさえぎってきた。
(それ以上はもういい、アマリ)
これは想定外のことだったのだ。アマリ達にしても、こんな騒ぎになるとは思っていなかった。それを目覚めたばかりで興奮と混乱状態にあるアキラに悟られることは、良いこととは思えない。
「ごめんなさいね、本当に。こんなつらい思いをさせるとわかっていたら、進めたりしなかった」
「つらい、思い?」
「謝るしかないわ。許して頂戴」
アキラの視線は相変わらず怪しげで、イルマが謝罪をするとヒッヒッと過呼吸気味になりながら2人の顔を交互に見ると、震える指を持ち上げ。彼女達を指差ししながら声を張り上げる。
「こっ、こんなことになって!ただ、謝って済むことだと思っているのかよっ」
「そうね。仰るとおりだわ」
イルマはアキラの抗議の声に逆らわずにあっさりと同意を示すと、キャップの入った袋をとりだしてその手にすばやく握らせる。
「失礼とは思うけど。キャップで支払わせて、本当に今日のことはごめんなさい」
「うっ、あっ、ええっ?」
昂ろうとした感情が押さえつけられて処理できないままのアキラ。イルマは素早く若者の手をとるとメモリー・デンの入り口まで誘導しようとする。アマリも彼の荷物を拾い上げてそれに続く。
「後日、なにか”ひどい後遺症”が出るようなことがあれば来て。ちゃんと応対するつもりよ」
「えっ、あれ?」
「足がよれてるけど、大丈夫よね。さっ、しっかりと歩くの」
そう口にしながら入り口の扉を開くと。ついてきたアマリの手からアキラの荷物を奪い。それを本人の胸に抱かせて、そのまま外へと放り出してしまう。
熟練の客を扱う店主の凄みがそこにあった。
後ろ手で扉を押さえ、めったにしない鍵をかけてもう今日はここを開けないとでも考えているのかもしれない。
「イルマ――」
「これでまずは一安心。あの子、この後は大丈夫だと思う?」
「正直わからない。千鳥足だったけれど、時間とともに落ち着いていくはず。でも覚醒するのにメンタスを大量にチャンポンしたやつを入れてしまったから」
「そうね。マズイわね」
「意識はしっかりしているはずだけど、まだ数時間は激しい躁状態が持続するでしょうね……」
多少の罪悪感はあったが、それでも今から追いかけて保護しようという気にはなれなかった。
目覚めてからの異様な興奮状態の中にある若者は、いつなにがきっかけでこちらに牙をむくのかわからない。もう、このことは忘れるべき案件にしなくてはならなかった。
「いいわ、アマリ。このことは終わりよ」
「でも――」
「彼、人造人間ではないんでしょ?」
「ええ、そう。あんなもの、これまで見たこともなかったし。それにインスティチュートが、自分の生み出したものにあんなに処理できないほどの大量の情報を押し込むなんて。考えられない」
「なら、私たちの出来ることもないわ。これはオーナーの決定、忘れなさい」
メモリー・デンはこうして騒ぎからいち早く手を引いた。
だが、グッドネイバーからアキラは離れるつもりはまったくなかった。
目つきは妖しく、混乱と完全覚醒という異様な精神状態のまま。彼はふらふらとグッドネイバーの華、地下鉄を改修して作られた酒場サードレールへと降りていく。
この日、グッドネイバーを騒がす若者はちょっとした伝説をうちたてる。
それは市長を暗殺しようとしてあっさり返り討ちにされた愚か者のことではない。そう、それは連邦にあるVault111からやって来た、一人の若者のしたことなのだ。
(設定)
・デブ
バンカーヒルの商人、ゲームではジャンクを売ってくれる。
えげつない商人たちの町だが、彼女は悪くないクエストをくれるので悪い気はしない。
・ジョン・ハンコック
グッドネイバーの市長にしてグール。
水滸伝でいうところの好漢といったらわかるだろうか。主人公のコンパニオンのひとりであるが、この物語では以外に重要になっていくと思われる。
・アマリ
グッドネイバーの医者、だと思う。科学者のほうが正しいのか?
イルマの店で客に記憶の追体験をさせる商売をしている。かなりの理系脳なのか、ジョークでペースをとられ。毒舌で返すようになる人。