小一時間程経っただろうか。
わたしは発令所に呼び出された。
今回、同時出撃が予定されている筈の綾波レイは待機のまま。作戦が決定したのであれば、彼女も呼び出されているだろう。つまるところ、要件は大体の予想がつく。
ていうか、木崎ノボルがわたしの状態を報告していたし、間違いない。それは保安部の義務だからと、彼を止めなかったのはわたしだ。何がどう転んでも大丈夫だと思っているからこそ、釘を差す必要が無かった。
木崎ノボルと共に自動ドアを潜れば、三階層が吹き抜けになった解放感のある空間へ。しかし、使徒襲来中の今、当然ながら発令所の空気は重たい。吹き抜け部分にある大型スクリーンにも『警告』の表記があり、物々しい雰囲気だった。
ちらりと目をやれば、ラミエルの穿孔状況の図形が表記されている。
ひし形の物体が真下へ向けて管を伸ばしているような風で、デッドラインまでの推定時間が割り出されているが……数式のままなので、流し見の状態だと分かりづらい。ただ、ネルフ本部へ向かって管を伸ばしているのだけは、確かだった。
わたしの到着に、葛城ミサトと赤木リツコが揃って手を止めた。
今しがたやっていた事を中断して、オペレーターの三人組へ任せている。
特にこの二人の動向に興味の無いわたしは、ちらりと頭上を見やった。しかし、そこに憎き碇ゲンドウの姿はない。彼の腹心である冬月コウゾウの姿も見えなかった。居たら難癖つけてやろうと思ったが……まあ、別にいいか。
「呼びつけて悪いわね」
低く、淡々とした声に振り向く。
普段の体たらくがまるで嘘のように、大人な顔を見せる葛城ミサト。
その隣で資料を捲っている赤木リツコも、落ち着いているように見えた。
数時間に及ぶ会議、作戦の試行錯誤をしていた筈だが、二人の顔に疲れはない。
おそらくどだい現実的ではないヤシマ作戦のようなものしか、現状の手立ては無い筈だが、果たしてその顔付きは余裕があるのか、はたまたまだ危機感が足りていないのか。
わたしは挑発的な笑みを浮かべて、改まった。
「ハロー。こっちのわたしじゃあ、初めましてね。お二人さん」
目には目を、歯には歯を。
ポーカーフェイスにはポーカーフェイスを。
わたしが茶化して返せば、葛城ミサトは意に介した様子もなく、ゆっくりと腕を組む。
今の顔付きだと中々様になっている指揮官様は、わたしに対抗するように、片目を吊り上げてにやりと笑う。
「随分な余裕ね? その調子で自己紹介をしてくれるかしら」
「あら。碇レン以外に、名乗る名前はないわよ?」
腹の内を読みあぐねているのだろう。
葛城ミサトは「ふーん」と、何の役にも立たない言葉で虚勢を維持していた。
少なくとも、碇レンからしたわたしは敵。わたしにそのつもりが無くても、そう見えている筈だ。
彼女から話を聞いている葛城ミサトからすれば、わたしは何をしでかすか分からない懸念要素。作戦を定めたところで、わたしがそれを守る保証がない以上、下手をすれば出撃をさせない選択だって選ぶ必要性がある。しかしながら、前回、前々回の出撃時の言動からして、わたしの気性が安定しているようには見えていまい。
大事な玩具を取り上げられた時、わたしが碇レンの身体を傷つけないか――それを気にしているといったところか。
となると、素直に聞いてくれた方が楽なんだけど……。
「率直に聞きましょう」
と、赤木リツコ。
資料に目をやりながら、淡々と続けた。
「貴方は前回、前々回と、司令部の指示を反故にした経緯がある。その上で、今回対峙している使徒が強敵と分かっていて、我々の指示を呑む事が出来るのかしら?」
成る程。
話が早くて助かる。
わたしは赤木リツコに向き直ると、肩を竦めて返した。
「非効率な指示を寄越す上官には真っ向から盾突くわ。だけど有効的だと思ったら、ある程度の従順さは見せてあげる。前回の使徒戦でライフルを撃ったみたいにね?」
すると、赤木リツコがこちらを尻目に見やる。
睨むように映るが、彼女は冷静さを取り戻すように目を瞑り、資料を挟むバインダーの端を、ペンの頭でこつこつと叩いた。やがて思考が纏まったのか、再びこちらへ向き直ってくる。
「МAGIが出した作戦では、当てにならないと言いたのね?」
その言葉は疑問形だったが、赤木リツコ自身、解答を知っているようだった。
分かりきった事だろう。
『わたし』は訓練を受けていない。だから彼女達は、わたしの詳細データを持っていない。わたしが持つパフォーマンスは、彼女が持つ碇レンのデータとはかけ離れ、出来る事も、質も違う。それは過去二戦のデータからして、明らかだろう。
まあ、だからと言って訓練なんてかったるい事を、受けてやるつもりはないが。
沈黙は肯定。
そう捉えたのか、葛城ミサトが僅かに前に出てくる。
「じゃあ、貴女はどうしたいの?」
改まった問いかけに、わたしはくすりと笑う。
答えは決まっているが、そのまま言ってまさかその通りにしてくれるとは思わない。
わたしが己の考えを言って、『じゃあその通りになさい』と言う程、この組織は子供染みてはいない。
故に、少しばかり濁して答えよう。
わたしは醜悪だと自覚する程に、人相を歪めて笑った。
「出来る限り残虐に。あの使徒をぐっちゃぐちゃにしてやりたいわね」
閉口。
わたしの発言で凍り付いたように、二人の唇が閉じた。
それもそうだろう。
わたしの発言はパイロットの役目を越権している。
使徒を殲滅する事が目的である以上、それより先の行為は完全なる無駄。それに掛かるエヴァの稼働に関する金銭的事情や、街の被害、窮地に陥った使徒の抵抗を考慮すれば、許されて然るべきではない。
しかしながら、その言葉が本音である可能性と同時に、わたしは前回の使徒戦で、己の狡猾さを見せつけた。
この発言を、ただの子供の我儘だと捉えるには、些か無理があるだろう。そこに裏があるのではないかと判断する。
そうして掘り下げれば、わたしが敢えて危険思想をぶちまけた理由は、簡単に推測出来る筈だ。
――わたしは、勝手にやる。
だけど、そこに行きついたところで、次に挙げられるのが、前回の使徒戦での結末。洞木ヒカリ達を助けた理由だ。
わたしは碇レンの破滅を望んではおらず、使徒の殲滅自体は間違いなく行うつもり。
これに行き着くだろう。
つまり、わたしと司令部の利害は一致している。
その上で、指示にある程度の柔軟性を寄越せと言っているのだ。
何処まで読めたかは知れない。
しかし、葛城ミサトが次に口にしたのは、「具体的には?」と、話を深掘りするものだった。
僥倖。
その言葉が、わたしに発言権を与えた。
手玉にとれた訳じゃないだろう。
あくまでもこの二人は大人。その中でも、特別優秀だと言われている一握りの人材だ。
先を知るわたしからすれば『無能』と罵ってしまえる相手ではあれ、節目節目のやり取りで欺けるとは思っていない。特に赤木リツコに関しては、今回の問答すら、わたしという異物の手綱を握る為の材料にするだろう。
それで良い。
ある程度の発言力、ある程度の自由を許してくれるのなら、わたしは最高のパフォーマンスで返すだけだ。
思惑通り、作戦に口を出す権利を得たわたし。
それから数時間、葛城ミサト達と共に、作戦の考案に携わった。勿論、だからと言って全てが自由になる訳ではない。あくまでも口を出す権利と、その正当性を得ただけだ。どんな提案をしたとしても、МAGIが算出する仮想データによるテストが行われ、期待値の低いものから削除。最適化が行われていった。
しかしながら、今回は思ったよりわたしの意見を呑んでくれた。
作戦の大筋こそ碇シンジの記憶と大差なかったが、細部は色々と変更点があったのだ。
元々表のわたしにその才能があったのか、碇シンジの記憶による補正が大きかったのか、わたしの射撃技術は、碇レンが持つものを、そこまで大きく上回っている訳ではないらしい。それに対し、接近戦における反射神経、判断能力、そして最も重要な胆力については、間違いなく表のわたしを凌駕しているとされた。
加えて、わたしのATフィールドが中々に強固なものであった事も挙げられた。第四使徒戦ではATフィールドを中和されこそしたが、その反発率は大きく、使徒の触腕が初号機の胴を捉えるところまで潜り込めなかったらしい。碇シンジの記憶を辿ると些か疑念も残るが、まあ、そう解釈してくれる分にはありがたい。
シンクロ率の差がある以上、それでもわたしの射撃技術は綾波レイを上回っている。しかし、初号機のシンクロ率を九〇パーセントで想定した場合、合理的な理由のもと、役目が変わった。
何せ、狙撃手はわたしであれ、綾波レイであれ、MAGIのサポート下における命中率は僅かにしか変わらない。想定される使徒からの反撃を考慮すると、わたしが前線に立つ方が、数発余分に撃てるという判断に至ったのだ。
更に、わたしのシンクロ率であれば、あの使徒をして、接近戦に持ち込む事すら可能であるらしい。
ATフィールドの中和というのは、現実的ではない。近付く前に、使徒の放つ荷粒子砲で蒸発してしまう。碇シンジの記憶ではそう言われたものだが、九〇パーセントを上回るシンクロ率をもってすれば、耐熱光波防御盾とATフィールドを併用した際、使徒の荷粒子砲を『四七秒間』、防げるという想定に至った。
敵、荷粒子砲の有効時間自体は『三〇秒以上』という実に不安な結果だが、砲撃を中断すると、リロードまでには相応の時間がかかるらしい。一回の発射から次の発射までに、敵のATフィールドの中和が出来るのであれば、使徒が三発目を発射するまでに、距離を詰め切る事が出来ると言われた。
荷粒子砲への対策は、無論、陽電子砲。
よって、初号機による接近戦と、零号機による超長距離射撃の二段構えによる作戦が決定された。
本命は零号機による射撃ではあるのだが……仮に零号機へ射線が向いた場合、初号機の行動には余裕が出来る。中々に良い作戦だろう。ただし、盾は一枚しかなく、零号機は無防備だ。最悪の場合、撃たずに退避する事も推奨されたので、決して安全な作戦ではない。
成功率が最も高いだけの、非道徳的な作戦とも言えた。
深夜二三時。
結局、第五使徒迎撃作戦、通称ヤシマ作戦は、碇シンジの記憶と変わりない時間のものとなった。
というのも、作戦に大規模停電が必要だった為だ。国民の生活との兼ね合いがある以上、どうしても日中には難しかったらしい。地球の存続をかけていると言っても過言ではない一大事。悠長に思えるかもしれないが、初号機が撃破されなかった分、作戦の準備時間にはゆとりがあったらしい。
ポジトロンスナイパーライフルの用意をするにも、戦自に対してきちんとした交渉を経たとか。はたまた盾の支度も、わたしが覚えている以上の仕上がりだとか――まあ、後者については、わたしのATフィールドの強度が碇シンジのそれとどの程度の差があるのか分からないので、確証はないのだが。
何にせよ、碇シンジの記憶より、余程ゆとりがある時間に、わたしは綾波レイと肩を並べて、二子山山頂にて待機していた。
昨日の昼間、予約投稿誤爆しました。
もしも万が一、通知設定入れておられる方がいらっしゃったら、すみませんでした。