新世紀エヴァンゲリオン 連生   作:ちゃちゃ2580

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6.She vomited lie.

 休憩にしましょう。

 リツコさんの言葉が鶴の一声になって、一同は各々肩の力を抜きます。綾波ちゃんも上がって良いと言われ、素直に了解していました。

 

 スクリーンに映る白いプラグスーツに包まれた少女。

 LCLが排出されていくうち、彼女は珍しくふうと息をついていました。

 

 そんな風景を茫然と見守っていると、わたしに近寄って来る気配が一つ。

 その人物の影が視界に留まって、思わず振り向きます。そこには薄らと笑顔を浮かべているミサトさんの姿。

 何時もの赤いジャケットに身を包んではいるものの、休憩と聞いて気が抜けているのか、本部でよく見られるような厳しい顔付きではありませんでした。家でぐうたらしている時のように、眉尻が下がっている呑気な顔です。

 ほんと、もうすぐ使徒が来るってのに、豪胆というか、何というか……。

 思わずふっと微笑めば、彼女はにっこりと微笑み返してきます。「どう? 退屈だったっしょ?」と聞いてくるあたり、わたしが思案に暮れているところを見られていたのかもしれません。わたしって考え込むと俯いちゃう癖があるので……寝ているように見えた事でしょう。

 

 わたしは首を横に。

 何事も問題ないようで良かった。と、当たり障りない返事をしました。

 

「お昼食べるでしょ? レンちゃんも自分のお弁当用意してたわよね?」

 

 呆れる程、気の抜けた顔付きで問い掛けてくるミサトさん。

 この後使徒が襲来する事なんて、まるで気にした様子の無い表情ではあるのですが、それこそ彼女が言った『気にしても仕方無い事は気にしない』という事を体現してくれているのかもしれません。

 

 わたしはこくりと頷いて、先程の思考を一旦忘れます。

 気にしても仕方無いんだから、わたしも忘れましょう。

 

「うん。何処かでゆっくり食べたい気分です」

 

 とすれば、まるでわたしの思考を見透かしたかのように、ミサトさんはにっこり笑顔で頷くのでした。

 

 管制室を後にして、向かった先は特務機関ネルフ本部における数少ない憩いの場。

 多くの職員が利用しているこの食堂は、三階層分の吹き抜けで、一方の壁が全面ガラス窓となっています。広大なジオフロントの風景を一望出来、尚且つ広々としている空間は、実に開放的です。加えて自然光――といってもジオフロントのそれも人工の太陽ですが――をそのまま明かりとして利用し、最低限の電力しか使っていないのですから、機材の相手ばかりをしなければならない職員達にとって、中々好評なようです。

 この日も人気は多く、時間も時間なだけあって、八割がたの席が埋まっていました。

 

 利用している職員は作業員から保安部まで、実に様々。

 当然ながら、パイロットであるわたし、ネルフの重鎮にあたるミサトさん、保安部の職員にとっては出世人の木崎さん、の三人が歩いていれば、やけに人目を引きます。見知った顔でない職員に挨拶をされたと思えば、敬礼までされてしまったり……まあ、この三人内、全員の顔を知らないという職員は早々いないでしょう。食事中の職員に改まって挨拶をされると、何処か申し訳無い気持ちになりますね。

 

 ともあれ、二階席のひとつに、四人掛けの空席を確認。それを確保。

 近場の職員がぎょっとしたような顔をしていましたが、気がついたミサトさんが「こっちは気にしないでいいわよー。休憩時間なんだし」と、声を掛けていたので、ホッと息をついたように見えました。

 まあ、ミサトさんは兎も角、リツコさんにしろ、お父さんにしろ、ネルフの重鎮って厳格な人達が多いですし、職員の反応も当然かもしれません。その点で言えば木崎さんも厳格な上官なのでしょうか……今は一線を退いている訳ですが、割りと便利に職員を使っている節もありますし。そう考えると部下思いで有名な重鎮って、副司令ぐらいでしょうか? ミサトさんは適当なだけだし。

 

 真っ白なテーブルの上に、お弁当の包みを広げます。

 ミサトさんと木崎さんも同じように包みを広げていました。

 

 ふとテーブルの上を改めて認め、胸の内がじわりと温かみを覚えます。

 各々のお弁当箱を包むハンカチは、大した洒落っ気のないものです。ですが、色こそ違えど、お揃いの柄。それが何処と無く『家族をしている』という気になって、安らぎに似た感覚に包まれるのです。

 

 なんか……良いなあ。こういうの。

 

 漠然とした温かみに促されて、ふと視線を上げます。

 辺り一帯の職員達は、多くが吹き抜けの三階部分にある食堂で食事を購入しているようです。その中でお弁当を広げているのは、些か浮いた気分にもなるのですが、こちらを認めた職員の目には、どう映るのでしょう……。家族のように、見えてくれるのでしょうか?

 

――うん?

 

 感慨深い心地に浸っていれば、ふと視界の端に水色の服を着た女の子を認めます。

 あれ? と思うや否や、わたしは彼女が誰かを素早く察して、瞬きを数回。彼女の周りに誰も居ない事を確認して、今に頂きますをしそうな二人へ「ちょっと、ごめんなさい」と断り、席を立ちました。

 

 お盆を持って、二階から一階へと降りていこうとしている女の子。

 彼女は先程スクリーンに映し出されていた白いプラグスーツ姿ではなく、第壱中学校の制服を着用していました。休憩が終わればすぐに今一度着替えなければいけない筈ですが、濡れたプラグスーツで動き回るのも可笑しな話。わたしだったとしても着替えている事でしょう。

 

「綾波ちゃん」

 

 声を掛けてみれば、思いの他あっさりと足を止めてくれました。

 何の気無しな様子で振り向いてくるその目は、わたしを認めて僅かに見開かれます。意表をつかれたようにも見えました。

 

 身体ごと振り返ってくれた彼女の手には、三階の食堂で注文しただろう料理が乗っています。

 湯気を立てるそれは、まさかまさかのラーメン。一瞥しただけで豚骨だと分かる程、ぎっとぎとな脂と肌色のスープ。おまけに振り返っただけでふわりと香るのは、正しくにんにくの香り。……い、意外とジャンキーなものを。い、いや、でも、確かに彼女はある時それを食べていた覚えがあります。『にんにくラーメンチャーシュー抜き』だったっけ……正しく彼女のラーメンにはチャーシューが入ってませんでした。

 普通、これからエヴァに乗るという時に、にんにくを食べるというのは、割りと勇気が要る事ではないでしょうか。仮にアスカなら先ず食べないでしょうし、わたしも絶対に食べません。……綾波ちゃん、恐ろしい子。いや、彼女が自分の体臭に気を使っていない事なんて、考えたら分かる事ですけど。

 ぶっちゃけ何の躊躇いもなく注文している様が、容易く想像出来てしまいます。

 

「……なに?」

 

 薄切りのにんにくを注視していると、綾波ちゃんは無表情のまま小首を傾げました。

 その声で思考の海から引きずり出されて、わたしはハッとします。

 

 そうだ。

 そうでした。

 

 と、言わんばかりに軽く拍手を打って、彼女に微笑みかけます。

 てっきりお昼はお父さんと上官用の食堂で食べるものだとばかり思っていた。と、断りを入れて、背後を指差し、視線を促します。とすれば、席の方でこちらを認めているミサトさん達。わたしの思惑を察したのか、微笑ましげな顔で手を振っていました。

 二人も問題無さそうなので、わたしは今一度綾波ちゃんを振り返ります。

 

「もし嫌じゃなければ、一緒に食べよ?」

 

 すると綾波ちゃん。

 お盆を持ったまま、再度小首を傾げました。

 

「……何故?」

 

 無垢な表情で、ぽつりと零された辛辣にも聞こえる返答。

 『何故』とは純粋な疑問を表す言葉。しかしながら、誘いに対する返答としては、『貴女と食べる事に何の意味があるの?』という解釈をしてしまえるもの……まあ、あまり嬉しくない言葉ですね。とはいえ、彼女の生い立ちを理解していればこそ、彼女の『何故?』は純粋な疑問のみを表していて、決して嫌味たらしい言葉ではないと分かります。

 

 わたしは彼女に微笑みかけました。

 

「わたしが一緒に食べたいから」

 

 わたしもわたしで、可笑しな返答をしたものです。

 そうは思うものの、無垢過ぎる程に無垢な綾波ちゃんには、これぐらいド直球でないと、好意は伝わらないでしょう。

 

 与えられた『親切』を、ただの『親切』として受け取ってしまう。それが綾波レイという女の子なのですから――って言うと、凄く上から目線ですが、事実上、妹みたいなものです。色々と知っていたら放っておけません。加えて、シンジくんが彼女を好きだったっていう贔屓目のようなものもありますから、さしずめわたしは『妹を狙うレズ姉』というところ……うわあ、我ながら気持ち悪い。いや、ダメでしょ。色々とダメでしょ。

 ちょっと自重しなさい。わたし。

 

「そう」

 

 そんなわたしの気持ち悪い妄想なんて知ったこっちゃない様子で、綾波ちゃんはてくてくと歩きだします。その行く先がわたし達の席の方向である事に、何となくホッと胸を撫で下ろすような気分になりました。

 

 いやはや、綾波ちゃんに手を出すようになったら、流石に死のう。朝のあの一件と言い、冷静になって思い起こせば思い起こす程、我ながら頭が可笑しい。バイセクシャルってだけでも生き辛い世の中だろうに、何で母親の遺伝子が使われた妹的な子に発情しているんだ。

 ああ、でも、今ふとすれ違った時に、にんにくに紛れてシャンプーの匂いが……って、待て、わたし。待て。いい加減にしなさい。

 

 イエス、綾波ちゃん。

 ノー、タッチ。

 

 よし、これでいこう。

 己を律する大事な文面だ。帰宅したら一〇〇回はノートに書き取りしよう。

 

「レイ……あんた、随分どぎついの食べるわね?」

 

 綾波ちゃんに続いて席に戻れば、ミサトさんが彼女のラーメンを見て、苦笑していました。そこで彼女が「何か?」と、さも自分のチョイスが当然であるかのような返答をするものですから、さしものミサトさんとて言葉に困った様子です。

 とすれば、そこで助け舟。「午後の起動実験の際、LCLに匂いが混ざるのでは?」と、木崎さんがフォローしています。

 

「そう……」

 

 目を伏せ、眉尻を僅かに下げ、少しばかり悲しげに見える表情でラーメンを見詰める綾波ちゃん。

 言われて『確かに』と思っているのでしょうか。それとも自分のチョイスが間違いだったと思っているのでしょうか。どちらにせよ、一目見たわたしは何処とない憐憫(れんびん)の情を覚えます。

 とすれば、ふと綾波ちゃんの視線がわたし達のお弁当の方へ。決して強請っている訳ではないでしょうが、何となく物欲しそうに見えました……って、そう言えば特務車の中でもわたしの鞄見てたっけ。もしかして、お弁当を期待してくれてたのかな?

 

 幸いな事に、昨日残った炊き込みご飯は朝食で食べきりました。なのでお弁当のそれは何時ものふりかけご飯。昨日の小鉢が中心のおかずは、幾つかお肉が入っているものの、除ければ良いだけです。

 この後、使徒が襲来するのは夕方になる前。しかし前情報を持っているミサトさんは威力偵察から行うとして、実際に迎撃するのは夜になる頃合でしょうか……。うーん、微妙な時間帯。というか、アウトかも。にんにくの匂いって翌日まで残るものですし。とはいえ、話に挙がってしまったものですから、此処で無視しちゃうのは可哀想ですね。っていうか、相手が綾波ちゃんなのですから、無視するのは有り得ない。彼女の好感度はわたしの中での最優先事項です。……あくまでも姉的な立場として。

 流石にわたしも匂いが気になるところではありますが……まあ、いっか。

 

 わたしは良しと言って拍手を打ちます。

 向かいに座る綾波ちゃんに、自分のお弁当を差し出しました。

 

「綾波ちゃんが良ければ、交換しよっか? 嫌いなものは残してくれて良いから」

「おやぁ? お優しいことで」

 

 ミサトさんが嫌らしい笑みを浮かべて茶化してきます。

 わたしは暗に『あんたの所為でしょ?』というメッセージを籠めて、にっこり笑顔で応答。

 

「じゃあ、ミサトさんが食べ――」

「おおっと! 今日のお弁当も美味しそうよ。貰っておきなさい。レイ!」

 

 現金な奴だ……。

 帰宅したら冷蔵庫のえびちゅ全部ペンペンの冷蔵庫に入れておこう。

 

 まあ、レイちゃんの後押しをしてくれたのはファインプレーです。促された彼女は極々自然に頷いて、「分かったわ」と答えました。お弁当を渡して、わたしの前ににんにくラーメンチャーシュー抜きを受け取ります。

 いざ目の前に持ってくると、存在感が凄い。

 こう言っちゃ悪いけど、一四の女の子が食べるものじゃない気がする……。

 小山を作っているスライスにんにくは勿論の事。背脂でぎっとぎとなスープも見逃せません。一応、『食堂のラーメンと言えば』というアンケートの上位を占めそうなほうれん草ともやしは入っているものの、果たしてこれらの食材が持つ美容効果が、一目に明らかな程凶悪なスープと、にんにくという女子力を大きく損なうものを前に、どれ程の功を奏すというのでしょうか……。

 

 い、いやぁ……覚悟はしていたけど、相当ヤバイ。

 涎が出るよりも、冷や汗が出そうです。

 

 とすれば、不意に横から現れた手が、にんにくラーメンが乗っている盆をひょいと持ち上げます。

 えっ? と思っていると、隣から黒い包み。その上に乗っているのはわたしが今朝作ったお弁当。

 ハッとして振り向けば、まるで何事も無いかのように木崎さんが手を合わせていました。「あれ? え?」と、わたしが状況を呑めないでいると、短いいただきますの後に、こちらをちらり。

 

「お気になさらず。にんにくは好物です」

 

 その姿は窮地に駆けつけた一人の勇者如し。

 

 わたしは唖然としつつも、瞬時に理解しました。

 本当ににんにくが好きなら、わたしの前に持ってくるより早く、彼は進言しているでしょう。わたしがエヴァに乗る予定が無くとも、女性らしさに気を使っているのは彼の知るところなので。とするなら、さしもの彼とて躊躇する一品だった訳です。だと言うのに、彼は顔色ひとつ変える事無く、割り箸を割り、ラーメンへぶっこみました。そしてそのまま止める間もなく……ずるり。

 麺が口に入った瞬間、彼の箸が止まったように見えました。

 しかし、次の瞬間にはずずずっと麺を啜っていきます。

 

「ちょ、あ……あの……」

 

 不意に凄まじい罪悪感を覚えます。

 彼の好物は『にんにく』ではないのです。むしろ、食卓を共にするにあたって、嫌いな物を聞いた時、彼は『匂いのきついもの』がダメだと言っていました。おまけに好物はあっさりとしたものだった筈……。

 にんにくが入った豚骨ラーメンなんて、彼の好物とは対極に位置する食べ物でしょう。

 

 しかし、わたしがおろおろとしていれば、木崎さんは箸を止め、こちらをちらりと一瞥。そのまま視線で正面へ促してきます。とすれば、示された先には、お弁当を前に俯く綾波ちゃん。

 仮にわたしが木崎さんに向けて、仰々しく謝罪をすれば、きっと綾波ちゃんも罪悪感を覚えるでしょう。

 彼の視線はそれを示していました。事実、彼女も少しばかり困った表情で、ちらちらとわたしや木崎さんを改めています。

 

 心の中でごめんなさい。

 言葉は無くとも、伝わると信じて、木崎さんの心意気を汲む事にします。

 わたしは綾波ちゃんへ笑いかけました。

 

「木崎さんも綾波ちゃんと同じだって。……ほら、食べて食べて?」

 

 すると漸く、綾波ちゃんは頷きました。

 ゆっくりとお弁当を一口食べて、咀嚼。ごくりと呑んで、彼女は暫し制止。唇が小さく開いて、何事かを呟いたようでしたが……わたしの耳には聞こえませんでした。




裏レン「木崎さんぐっじょぶ! マジぐっじょぶ!!」

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