新世紀エヴァンゲリオン 連生   作:ちゃちゃ2580

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5.Another self alone.

 

 右手に握り締めた筒が、ぴしぴしと音を立てて軋む。視界の端に認められる腕は微かに震え、万力に匹敵するような力を籠めていくよう。やがて何処かしらから亀裂が入り、そこを中心にして、蜘蛛の巣を描くように広がっていった。橙色の液体が亀裂から漏れ出して、地面に向けてぽたぽたと零れ落ちた。

 しかしそれを以って尚、赦されることはない。神の依り代は絶対悪を赦さず。この世から廃絶せんと、借りた玩具の腕に力を籠める。子が抗う姿など、まるで気に留めちゃいない。

 歪む音が徐々に変化した。ぱき、ぱき、と、今に臨界を越えようとしていた。

 

 ああ、あああ……。

 止めろ。止めてくれ。

 

 縋るわたしの声は誰にも届かない。

 幾つもの亀裂が同時に臨界を越え、数多の破裂音を鳴らす。幾重の音は一つに纏まって、ぐしゃりという呆気ない音に聞こえた。その音を最も鋭敏に知覚しただろう少年が絶叫し、言葉にならない声を上げる。悲痛な声は、まるで救いの無い物語を嘆くようにも聞こえた。

 

 ぷつん。と、目の前の風景が唐突に消える。

 同時に少年の慟哭も消え、わたしの意識は次なる明るみを求めて、広大無辺な暗闇を彷徨った。その果てに、小さな光を見つけて、そちらへと意識を向ける。接近するにつれて肥大化していく光が視界を埋め尽くせば、わたしはまるで別な世界に行き着いた。

 

 嵐のような風が吹き荒ぶ中、わたしは黙して佇んでいた。

 手に持った大切な人の形見をぎゅっと握り締め、彼女と最後に誓った約束を果たさなければならない事を、脱力するばかりで動けない身体に向かって、必死に言い聞かせていたのだ。そう。分かっていた。最期まで自分の味方として、葛城ミサトという人間は死んでしまったのだ。

 

「うぅぅ……」

 

 何人も、何人も死んだ。一時は自分も凶器を突きつけられていた。

 死に麻痺する感覚が、脳に強力な麻酔をかける。もう誰かの死を嘆いている状況でなければ、大切な人を自分の所為で死なせた事を、後悔する暇もない。ごめんなさいと言う事すら、憚られた。

 それよりも……決死の思いで戦線を確認しようと面を上げる。

 先に戦っている仲間が居たのだ。彼女だけは何としても救わねば、自分の為に死んでいった人々に、報いる事が出来ない。『戦え』ミサトさんはそう言って、決して果たされない約束を交わし、死んでいったのだ。戦わねば、自分が此処に居る意味がない。

 しかし、辺り一帯は、何がそうさせるのか、暴風と言う他ない風が吹いていて、舞い上がった粉塵の所為で何も見えない。

 これは、この嵐は何なんだ。そもそも此処はジオフロントなのか。はたまた地上なのか?

 疑問に促されるように、頭上を見上げた。

 

 すると、天を舞う九つの影が目に留まった。

 それは一見すると鳥のようにも見えたが、果たして鳥にしては大きすぎる。仮にそれが鳥だとするのなら、この地球上には存在しない程の大きさであるのは、遠目にも分かった。むしろ使徒や新型のエヴァだと言われた方が、納得出来る巨大さだ。

 と、そこで不意に疑問を持つ。

 

 新型の……エヴァ?

 そうだ。アスカは一体何と戦って――。

 

 何とは無しに、その巨大な鳥のような生き物の動きを注視する。それらは一様に何かを食み、捕食するような動作をしていた。一体何を食べているのか……改まってみると、それが持つ何かは既に原型を留めていない。だが、所々に見覚えのある色が見えた。

 注視する内、自身の瞳孔が開いていく感覚を覚えた。

 嫌な予感――強いて言えば、知覚してはならないものを見ているような気がした。

 

 最早原型を留めない程に、ぐちゃぐちゃにされた臓物。腸を曝け出している肉体の表皮は、赤いカラーリングが特徴的だった。脳漿をぶちまけた頭部にも、覚えのある赤。顎のラインは、特に印象的なものだった筈だ。瞳が四つある機体も、わたしは『それ』しか知らない。

 血の色は――紫色だった。

 

 瞬間、脳裏を茶髪の少女が過ぎる。

 

「うぁ、ああっ……」

 

 LCLを余分に吸い、それでも足りなくて、過呼吸を承知で尚も吸い込む。

 理解をしたくなくて、顔を背けたかった。しかし、全身が震え上がっていて、とても出来そうになかった。

 

――バカシンジ。

 

 何処からか聞こえた彼女の声が、わたしの喉を引き裂いた。

 

「うぁあああぁぁあああああ!!!」

 

 絶叫。

 絶望。

 

 終わった。

 全ては終わってしまった。

 アスカを……ミサトさんが最期に託してくれた事を、守れなかった。間に合わなかった。

 

 格納庫でぐずぐずとしていた所為で。

 自分が逃げ出していた所為で。

 アスカが、ミサトさんが……。

 

 恐怖に震えるわたしは……『ぼく』は……此処に至って、目の前の現実を、自分の所為じゃないと嘆く事が出来ない。偶然自分に訪れてしまった不幸な出来事だと、思えない。

 全ては必然。自らの選択がそうさせた。

 『仕方無い』では済まされない。ぼくの心が強ければ、ミサトさんはぼくを助けに来る事は無かった。アスカを守る事だって、出来たかもしれない。つまり……ぼくが二人を殺したも同然なのだ。

 

 気が付いた。

 気が付いてしまった。

 

 いいや、そもそも――。

 

 トウジが足を失ったのだって、カヲルくんが死んだのだって、ぼくが居たからじゃないか。ぼくが居なければ、トウジはパイロットに選ばれなかったかもしれないし、カヲルくんが死ぬことも無かった。

 皆ぼくの所為で傷付き、ぼくの所為で死んでしまった。

 

 ああ、そうだ。

 そうだよ……。

 

 ぼくが、ぼくさえ生まれて来なければ――。

 

 

 それまで見ていた景色が白ばんでいく。やがて少年の声が遠くなれば、睡眠状態だったわたしの意識が、唐突に覚醒する。まるで二つの中間をすっ飛ばしたかのような目覚めは、しかし意識ばかりが夢の中に囚われたままだった。

 フラッシュバックする光景。脳を支配する絶望感。

 目を見開いたまま、わたしはわなわなと唇を震わせる。

 徐々に理解していく『目覚め』に対して、わたしの意志は夢が促すままに、どん底へと突き進んで行く。目に見える見知らぬ天井とは別に、凄惨な最期を遂げた知人の姿が、わたしの視界を支配する。聴覚なんてまるで機能していなくて、脳には今しがた消えた筈の少年の声ばかりがこだましていた。

 

――死んじゃえ。

 

 不吉な言葉に、思わず本能的に、勢い良く身体を起こす。耳を押さえて蹲るも、閉じた瞼の裏側には、焼きついて消えない凄惨な光景。塞いだ筈の耳の奥で、少年の声は消える事無くこだました。

 途端に爪先から頭の天辺までを、串刺しにされたような衝撃が襲ってきた。途方もない恐怖心。絶望感。死へと誘うかのような、強い意志。片手に剃刀でも持っていれば、迷い無く自らの首を裂いてしまいたいと思う程だった。やがてその衝動は、開いた唇から、溢れんばかりに飛び出した。

 

「い、いゃぁぁああああああ!!」

 

 取り繕う事すら忘れた叫びは、誰に届ける為のものではない。助けを乞うものでもなければ、誰かに訴えかけるものでもない。強いて言うなら、これはわたしの心の断末魔そのものだった。

 

 わたしの異常への対処か、身体がぐいと引っ張られる。「レンさん!」と、オールバックの髪型をした男性が、大きな声を上げていた。肩を掴むその手を振り払って、わたしはこの苦痛から恒久的に逃れられる術を模索する。ひたすら奇声を発しながら、もがき続けた。

 しかし、その男の力は強い。すぐに両手を取られ、身動き出来ないように押さえつけられた。

 それでも尚じたばたと暴れるわたしの様子を見てか、彼は「医者を。医者を呼んで来い! 早く!」明後日の方向に叫んでいた。

 

 その時になって、わたしは漸く理解する。

 目の前の人物は木崎ノボル。わたしによく配慮してくれる護衛だ。つまり、『此処』は現実だ。

 

 そう察するや否や、深い絶望感から、急浮上するような感覚を覚えた。その衝動は大きな熱の塊となって、頭の中でばんと弾ける。とすれば、身体中が汗でぐっしょりとしている不快感や、此処が何時かの記憶で覚えのある『病室』である事等、様々な情報が押し寄せてきて、脳の中で溢れかえった。

 それらは全て、此処が現実である証明。

 わたしは死ななくて良いし、まだ誰も殺しちゃいない。

 

 ふとすれば、途方もない程の安堵を覚えた。

 それはふうと息をつけば済むような感覚ではなく、まるで虚無の彼方を彷徨った末に、漸く同胞に出会えたかのような感動となって、わたしの身体を衝動的に動かした。

 

 先程は振りほどけなかった腕を強引に払って、目の前のスーツ姿の男性へと、しがみ付く。

 堰を切った衝動が、再度口から溢れ出た。

 

「うあああぁぁっ。ぅわぁぁあああああん!!」

 

 気が付けば、涙が止まらない。

 途方もない絶望感から回帰したわたしは、『夢で良かった』という安堵感の促すまま、ひたすら泣き続けた。そんなわたしの心情を知ってか、知らずか、木崎さんは優しく抱擁してくれて、「大丈夫です。大丈夫ですよ」同じ言葉を繰り返し言って聞かせてくれた。

 

 温かい。木崎さんの身体は、とても温かかった。

 それは彼の体温が高いのか、わたしの身体が冷たいのか、はたまたようやっと訪れた安堵がそうさせるのか、明確には分からなかった。ただただ尊くて、遠く久しい感覚だと思った。

 

 けれど、押し寄せてくる情報が処理しきれない内に、脳裏にフラッシュバックする光景があった。

 赤いヤリイカのような形状をした使徒。それと対峙した自分。その最中、起きてしまった不測の事態。そして、それに対する自分ではない自分が出した冷酷な決断。

 未だ此処が何処か、自分がどういう状況なのか分かっていないと言うのに、『それ』ばっかりはよく理解出来た。

 

――そう。

 わたしは碇シンジと同じ道を行こうとしていたのだ。

 

 世界の為だなんて、高尚な建前を隠れ蓑にして、ヒカリちゃん達を見捨てようとした。正しい行いだとか、エヴァのパイロットとしてやるべき選択だとか、そんな事の為に、大事な友人を見捨てようとしていたのだ。しかしその本懐は、世界の為でも、正義の為でもない。単純にあの時のわたしが、そうしたかったからだ。そうする事が一番楽で、一番確実だろうと思ったからだ。

 つまり、己の保身だった。

 そんな姿は、つい先程見ていた碇シンジの愚行と、一体何が違う。鈴原トウジに癒えない傷を負わせた事や、渚カヲルを殺してしまった事に、『僕は何もしない方が良い』と、大事な場面で全く動こうとしなかった彼と――一体何が違う!

 

 わたしは木崎さんの腕に抱かれたまま、腹の下にぐっと力を籠めて、彼の服を引っぱった。

 嗚咽が静まらず、震える喉で、小さく彼の名を呼んだ。

 

「きさき……さん」

 

 すると、彼は小さな反応を示す。

 どうやら胸に抱いたわたしへ、向き直ってくるようだった。

 

 わたしは祈るような心地で、彼に問いかけた。

 

「さんにん……。ひかり、ちゃんたちはっ……ぶじ、ですか?」

 

 すると、今一度彼は抱き直すようにして、背中を叩いてくれた。

 こくり、こくり、と、二度頷いたような気配があった。

 

「大丈夫です。レンさんのクラスメイトは、三人共、無事ですよ」

 

 良かった……。

 本当に良かった……。

 

 裏の自分の決断に対する罪悪感は、未だ胸に明確な痛みを訴える。彼女が思い止まってくれた事に対する安堵感も、ひとしお身に染みた。

 けれどそれは、絶対に忘れてはいけない事。

 これから先、明確な懸念要素になる事柄だった。

 次の使徒戦からは、必ずと言って良い程、誰かと共闘する事になる。碇シンジの記憶と相違なければ、第五使徒戦からは綾波ちゃん、第六使徒戦からはアスカが合流するのだ。今回のこれをそのまま放置しておくという事は、この先同じリスクを仲間達に支払わせると言う事だ。

 

 そんな事は許されない。

 誰が何と言おうと、わたしは『おかえり』って言ってくれる人達を、見捨てちゃいけないんだ。

 その為に、此処に居る。

 此処で、戦っている。

 

 思考の整理がつけば、胸の内で沸々と滾るものがあった。

 それは、わたしの意向とは真逆の道を行こうとする裏のわたしへの、明確な怒りだった。

 

――絶対に、止めてやる。

 絶対……誰かを見捨てるなんて事、させない。

 

 木崎さんの服を握る手に力を籠めて、わたしは強く決意した。


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