カートレインで地上へ出て、三〇分程走ったでしょうか。
ルノーは市外のとある駐車場に着いていました。
二階部分は建物の床になっていて、周囲は吹き抜けになっています。広さは学校のトラックの半分程。混み具合は密集して
無事に目的地へ着いた事にふうと息を吐いて、わたしは胸を撫で下ろします。ミサトさんがさあてと声を上げて降りていくのに続いて、ゆっくりと車外へ。
ちらりと横目にルノーを見やって、帰りもこのガタガタと揺れる車に乗らなきゃいけないから、腹八分を心掛けようと肝に銘じます。……揺れるだけならまだしも、ミサトさんは運転が荒いし、わたし自身もそんなに酔い難い体質じゃないし、気をつけないと。
鼻歌混じりに先行するミサトさんに続いて、わたしはゆっくりと歩きだします。シンジくんの記憶を辿っても覚えが無い場所ですが、どうやら彼女は慣れた様子です。向かう先は駐車場を出た所にある階段でした。
付かず離れずの距離で着いて行き、ガラス戸を二度、抜けます。
普通に普通のレストラン。
何処にでもあるようなチェーン店のお昼下がりは、騒がしい程ではなくも、ある程度繁盛しているようでした。その証明ではないのでしょうが、活力に満ちた小粋な声でいらっしゃいませと歓迎されます。
「二人。禁煙でお願いね」
「畏まりましたぁー」
やけに語尾が間延びした女性に案内され、わたし達は窓際の奥の席へ。只今お水をお持ちしますと言って、そのウェイトレスはさがっていきます。その頃を待っていたように、ミサトさんが「ちょっと」と声を掛けてきました。
ソファーに腰掛けたばかりのわたしは、キャスケット帽を取り上げながら目線を向けて応えます。すると彼女は口に手を添えて、内緒話でする風な雰囲気で唇を開きました。
「大丈夫? 顔、青いけど……」
「……へ?」
言われてわたしは目を瞬かせます。
帽子をテーブルの隅に置きつつ、「そうですか?」と小首を傾げて更に聞き返しました。
するとミサトさんはうんと頷きます。何か思うところがあるのか、罰が悪そうに頬を掻きました。
「やっぱ、車早めに修理出すべきかしらねぇ?」
そしてそうごちます。
その言葉でわたしは「ああ」と声を上げて、得心いったと表しました。どうやらミサトさんはわたしが車酔いをしているのではないかと思っているようです。言われてみれば何となく倦怠感を覚えます。
わたしは薄く笑って見せました。
「気分が悪くなる程酔ってませんよ」
するとミサトさんは尚も罰が悪そうに視線を逸らし、「ならいいんだけど……」と続けます。
と、そこでまるでタイミングを見計らったように、足音が近付いて来ます。ゆっくりと視線をやれば、先程のウェイトレスがお盆を片手にやって来ていました。
「お冷をお持ちしましたぁー。ご注文がお決まりになられましたら、そちらのスイッチにてお呼び下さいー」
机に二つのお冷と、おしぼりを置いて、優雅な礼と共にさがっていきます。
ミサトさんがお礼を言って彼女を見送りました。わたしはその間にお冷を取り上げ、ごくりと一口。喉を冷たい水が下りていって、身体に宿る若干の倦怠感を晴らすような気分です。
「……車、苦手なの?」
そんなわたしへ、同じくお冷を口にするミサトさん。
迷う事無く首を縦に振って、わたしは答えます。
「嫌いです。絶叫マシンとかも大っ嫌いです」
「……でも前にN2兵器が来るって窓から身を乗り出したりしてたわよね?」
「そりゃあ、まあ……命懸かってたら頑張るでしょ」
わたしは肩を竦めて返しました。
腑に落ちない様子のミサトさんでしたが、「じゃあ」とわたしが声を挙げれば、彼女は改まった様子で小首を傾げます。
「ミサトさんは車の運転手がどれくらいの確率で人身事故を起こすか知ってます?」
「……へ?」
思わぬ問答を受けたといわんばかりに、彼女は唖然とした表情になりました。その後すぐに考えるような素振りをしていましたが、答えは否。「わかんないわね」とそうぼやきます。
わたしは溜め息ひとつ。
ほらみろと言って、肩の高さに両手を挙げて、首を横に振りました。
「一年間に一〇〇人のドライバーの内、一人が事故を起こすんです。そんで、その内三人に一人は死んじゃいます。……三〇〇人のドライバーが居たら、毎年一人づつ死んで、二人づつ大なり小なり怪我するんです」
「……よく知ってるわね?」
「嫌いだと思ったら、克服する努力ぐらいはしようと思って、調べたりしますから」
――結果は真逆。更に大嫌いになりましたが。
一旦そう締めて、わたしはお冷を一口飲みます。冷たさが身体中に行き渡るような感覚を覚えて、思わずふうと息を吐きました。
改めて顔を上げ、ミサトさんに肩を竦めてみせます。今一度唇を開きました。
「んで、自ら運転するものをそんなに危険だと知らない理由って何でしょう? わたしからすればそれって、ドライバーにとって厳禁だと言われる『自分は事故を起こさないだろう』の感性にしか見えないんですよね。言っちゃ悪いけど、そんなアマチュアがプロの証たる免許を持って走ってるんだから、乗りたくなくて当然でしょ?」
「……随分ボロックソに言ってくれるわねぇ」
何処か煤けたように見える笑い方で、ミサトさんは悲しげに呟きました。哀愁が漂っていますが、それはもう自業自得。他人を同乗させる以上、命を預かっているという感性をしっかり自覚して欲しいものです。
「まあ、ミサトさんの運転技術自体は信用してますけどね。……だけどルノーは早く修理に出して下さい。整備不良で事故ったら洒落になりません」
「……はーい」
がっくりと肩を落とすミサトさん。
憤然とした態度に見えているでしょうし、わたしは改まる思いでふうと息を吐きました。
このままじゃ折角のご飯が美味しくなくなるでしょうし、明るい話題でフォローしましょう。
「で、第三新東京市って今日の夕方に避難解除なんですっけ?」
するとミサトさんはハッとした風に顔を上げて、頷きながらそうだと返してきます。
片手でメニューを取り上げ、それをミサトさんの前に開いてあげながら、わたしは「じゃあ」と話題を掘り下げます。
「明日には漸く家に帰って寝れるって感じですか?」
「ありがと。……そうね、そうだと良いんだけど」
自分用にもメニューを取り上げ、手前に開きます。視線を落としつつ、再度唇を開きました。
「ペンペンにご飯あげには帰ってたんですよね?」
すると目の前で「え?」と声を漏らすミサトさん。
何でそれを知っているのとでも言いたげでしたが、わたしは構わずメニューを吟味します。シンジくんの記憶だとは説明せずとも、すぐに気がつくことでしょう。
さて、シーザーサラダにするか、キノコピザにするか……。
値段的にはサラダの方が安いし、これぐらいでお腹一杯にはなるのですが、別にダイエットしてる訳じゃないんだから炭水化物が欲しいとも思います。だけどピザなんて食べたら、帰り酔っちゃいそうだよなぁ……。あ、ドリアも美味しそう。値段も手ごろだし、ちょっと熱そうだけどこれにしようかな。
メニューを決めて顔を上げれば、ミサトさんは首を傾げてわたしを見ていました。
うん? わたしがシンジくんの記憶を持ってる事、忘れちゃったのかな?
そう思って唇を開こうとすれば、先に彼女が「ちょっち聞いて良い?」と問いかけてきました。
特に断る理由もないので頷いて返します。すると少し言い辛そうにしながら、彼女は再度唇を開きました。
「……シンジくん、だっけ。もしかすると彼とあたしって……デキてたの?」
「どうしてそうなった」
思わず突っ込みました。
わたしの夢については忘れていなかったようですが、あまりに突拍子がありません。何処をどう解釈すれば、そういう話になるんだかさっぱりです。思春期男子でももっとマシな回答に行き着くよ。この変態!
「なはは。いやぁ、ほら、他にも色々考えてみたけど、つまりアレよね? やっぱあたしとシンジくんは懇意……てか同居してたのよね? そうなるとまさかあたしが一四の男の子を引き取るとか考えられないし」
「そのまさかだよ! て言うか一四歳を彼氏にする方がよっぽど有り得ねえだろうが!!」
もう歯止めが利かずに叫びました。
するとミサトさんは誤魔化すような笑顔を浮かべたまま硬直します。
後頭部を掻く右手が憎たらしいね。その手で誰をナニしようってんだ。この痴女め! っていうか、結果論から言って手は出されたよ。この性犯罪者め! ディープキスって手を出された内に入るよね?
「……はぁ」
思わず溜め息ひとつ。
「そんな事より早く決めて下さい。さっさと店員さん呼ばないと、お冷で粘ってるみたいじゃないですか」
そしてそう言ってミサトさんへ細めた目を向けます。
が、彼女は先程の表情とは一転。何か考え込むような表情で、視線をメニューから逸れた所へ向けていました。
「ちょっと」
思わずわたしがそう声を掛けると、途端に彼女は顔を上げます。そして澄んだ黒い双眸で、こちらをジッと見てきました。
何か変な事を言っただろうか。
それとも言いすぎて怒らせただろうか。
ハッとして視線を逸らそうとしたわたしですが、それより早くミサトさんは唇を開きました。
「一緒に、暮らす? 暮らしたい?」
そしてそう問い掛けてきます。
思わず「へ?」と声を漏らし、逸らしかけた視線を再度彼女へと向けます。
目をぱちぱちと瞬かせて、わたしは小首を傾げます。
「良いんですか? そんなあっさり」
「別に良いわよ? 女同士なら特に気にする事もないし」
「で、でも――」
思わず否定の言葉で繋いでしまいます。
それは確かに言って欲しい言葉でしたし、わたし自身それを交渉するつもりで来ました。
ですが、わたしは自分で言うのも可笑しな話ですが、辛辣な物言いばかりが目立つ人間です。笑顔を心掛けていますが、これだってまだまだ自然体で出来るようなものではありません。いつも表情が硬くて、自分でにっこり笑っているつもりでもぎこちない風に見えるとよく言われます。
左腕には決して人から好まれるようなものではない痕がありますし、夜中には見るに堪えない夢の所為で悲鳴を上げながら飛び起きる事だってあります。それだってミサトさんの知るところの筈。
わたしは顔を伏せました。
自分が望んでいる事なのに、いざそれに触れようとすると、何だか背徳感と似たものを感じます。
こんなわたしで良いのか。
こんなわたしが家族と呼んで貰えるのか。
こんなわたしに、家族になろうと言ってくれるのか。
手が震え、唇が震え、鼻がつんと熱くなるような感覚を感じます。先程まで馬鹿みたいにはしゃいでいたのに、そんな事を一瞬で忘れてしまうかのようです。……ダメだ、泣いちゃいそう。
そんなわたしを見てか、ミサトさんはくすりと音を立てて笑ったようでした。
「……引越しは明日で良いかしら?」
胸にずんとした重みを感じて、わたしは思わず双眸を細めます。
こくりと一回。
頷いて返すので、精一杯でした。
章的には此処で終わりですが、一応おまけがあるので解説はそのあとがきで。