新世紀エヴァンゲリオン 連生   作:ちゃちゃ2580

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5.Past and future.

 副司令はお母さんの担当教諭だった過去があるそうです。いや、大学なので『教授』なのかな?

 そんな経緯を懐かしむように話して、わたしと会った頃の話を教えてくれました。

 

「あの頃は……そうだな。ユイくんが健在で、碇も君の愛らしさに相好を崩していた」

 

 そんな言葉と共に、昔を懐かしむような副司令。

 お父さんが相好を崩していたという言葉には思わず本当ですか? と問い返してしまいましたが、彼はそんな不躾なわたしの言葉を気にした様子は無く、微笑みながら執務用の机の上にあるポットを弄っていました。

 

「お茶が良いかね? 珈琲が良いかね?」

「あ、お構いなく」

「何、気にする事は無い。長く語らえば喉も渇くだろう。……それとも、つまらない静寂と、笑い話のひとつさえ出来ないような、作業的なやりとりがお好みかい?」

「……すみません。珈琲でお願いします」

「うむ」

 

 わたしが返事をすれば、副司令は実に満足そうでした。

 

 ポトポトと音が聞こえ、次いで香ってくる香ばしい匂い。そんな庶民的なものに何処か安堵を覚えて、わたしは改めてこちらに背を向ける副司令を見やります。

 するとまるでその視線を察していたかのように、彼はわたしに背を向けたまま、顔を僅かに上げました。

 

「……ユイくんはよく甘いジュースを飲んでいたな。珈琲は専ら眠気覚ましだったようだ。よく赤木くん……と言っても赤木博士の母にあたる女性だが……彼女が淹れる珈琲に苦いと文句を言っていたよ」

 

 副司令はそう言ってから、ゆっくりと振り返ってきます。

 わたしがどう反応して良いか困っているのを見越していたようで、済まないと首を横に振りました。

 

 両手で盆を持ち、その上に湯気を上げるカップが二つ。

 それを机に持ってきて、「砂糖とミルクは?」と問い掛けてきます。

 

 わたしは首を横に振りました。

 

「ブラックで頂きます」

「……そうかい」

 

 短いやり取りを交わすと、そのまま副司令はわたしの対面にあるソファーへ腰掛けます。どうやら彼もブラックで飲むようで、砂糖とミルクは用意されませんでした。

 

 頂きますと言って、受け取った珈琲に口を着けます。

 淹れたては少し熱く感じました。豆を挽いたものではないので、味も香りも何処か洒落っ気がありません。ただただ苦いだけ。全然美味しくありません。

 

 ですが、何処か温かい。

 そう思わせるのは、おそらく副司令の懐かしむような眼差しの所為なのでしょう。

 

 わたしはカップを受け皿に戻すと、副司令に微笑みかけました。

 

「似てますか?」

 

 誰と――なんて言葉は要らないでしょう。

 

 副司令はわたしの言葉を正しく理解したようで、首を横に。

 

「お世辞無く言うならば、似ているのは顔だけだ。ユイくんはもっと子供っぽい面が多かった」

「……そうですか」

 

 返って来た感想に、わたしはそう呟きます。

 そして座ったまま、閉じた膝の上で組んだ両手へ視線を落としました。不意に浮かぶ表情は、安堵を表す微笑み。

 

「彼女と似ているのは……嫌かね?」

 

 するとそんなわたしの意図を汲みかねたのか、副司令は僅かに悲しげな声で問い掛けて来ます。

 

 わたしは首を横へ。

 しかし唇は「でも」と、否定に否定を重ねます。

 

 顔を上げて副司令を見据え、唇を開きました。

 

「わたしは碇レンで、お母さんじゃありません。固執するつもりは無いんですけど、こう……なんて言うか……」

 

 そしてわたしの視線は自分の左腕へ。

 視界の端で副司令も倣うように視線を落とした姿が見えました。

 

「…………」

「……ああ」

 

 思わず言いよどむわたしに、副司令は頷きます。

 そして顔を上げなさいと諭してきました。

 

 わたしは言われるままに視線を上げます。すると副指令は目を瞑っていて、あまり力を入れずに腕を組んでいました。

 その動作が示す事は分かりかねますが、どうやらわたしが言いたい事は伝わったように見えます。

 

 自分の命を何度も絶とうとしてきたわたし。

 そんな人間が、母を良く思っていそうな副司令に母と似ていると言われると、それが申し訳なくなるのです。今更行為自体を後悔してはいませんが、呑気に「お母さんと似てるでしょう?」なんてやって良い筈はありません。

 

 だからわたしはわたしとして見て欲しい。

 だけどそう見えないならそう見せるだけの自戒はするつもりです。

 

 本当はわたしだって、ブラック珈琲なんて苦手なんですから。

 

「レンくん」

 

 やがて三〇秒は経ってから、副司令は落ち着いた声色で声を掛けてきました。

 はいと答えます。

 

 すると副司令は優しげな笑みをたたえ、首を横に振りました。

 

「本当なら君に伝えるのはもっと後にしようと思っていたが、此処で伝えておこう」

 

 そしてそう前置きして、話はお母さんの遺言だと告げてきます。

 わたしはこくりと頷いて、姿勢を正しました。

 

「生きていれば何処だって天国になる。それが彼女が君に残したかった言葉だろう」

 

 告げる言葉はゆっくりとしていて、昔を懐かしむようでした。

 果たして彼がわたしへ向ける視線の先に、誰の面影を見ているのかは言わずもがなでしょう。

 

 わたしは僅かに俯きました。

 胸にちくりとした痛みを覚えます。

 

「生きているのは辛いかね?」

 

 副司令は問い掛けてきました。

 まるで面影から、わたしを見詰め直すように。

 

 わたしは視線を伏せたまま答えます。

 

「……辛かった。です」

「今はどうかね?」

 

 更に深堀りされ、わたしは顔を上げて、副司令と視線を合わせます。

 

 ちくちくとした痛みを覚える胸に、じんわりとした温かみを感じました。

 まるで促されるように、わたしは薄く微笑みます。

 

「……ちょっと、楽しい。です」

 

 すると満足したように副司令は頷きました。

 

「なら、しっかり楽しみなさい」

「はい」

 

 それはお説教でした。

 間違えてきたわたしへ、お母さんが言うであろう言葉でした。

 

 怒るではなく、叱るというもの。

 言って聞かせるという、落ち着いた印象のある副司令らしい振る舞い。

 

 とても、温かいものです。

 

「今一度聞こうか。砂糖とミルクは要るかね?」

 

 そしてお説教の締めはそんな問い掛け。

 にこやかな副司令に、わたしも微笑んで返します。

 

「砂糖二つと、たっぷりのミルクでお願いします」

 

 その後「ユイくんは甘党でもなかったよ」と呆れられたのは別のお話です。

 

 

 時刻は夕暮れ。

 別にジオフロントに日は射していませんけども。

 

 わたしは副司令のもとへ向かった時と同様に、木崎さんに案内されてリツコさんの研究室を訪ねました。

 副司令執務室とは違って黒服は待機していませんが、扉には猫をモチーフにした看板が掛かっています。その看板には横へスライドさせるプレートが着いていて、今は青い文字で『在室』と表示されていました。

 

 木崎さんは例の如く部屋の前で待機するようなので、わたしは扉を二度ノックをした後に、副司令執務室を訪ねた時と同じ名乗りをします。「どうぞ」と返ってきて、一人で入室。

 

 ふわりと香ってくる嗅ぎ慣れない匂い。

 何だと思って、匂いの理由を目で見て探せば、宙をたゆたうように紫煙が流れていました。

 ああ、そうだ。と気がつきます。

 リツコさんは愛煙家なのです。

 

 入ってすぐの脇にコの字型のデスクがあり、その人は相も変わらずの白衣姿でそこへ向かっていました。忙しなく手を動かしている様は、何だかタバコが似合っているようで、似合っていないようにも見えました。

 

 部屋の様子は()()()()()()研究室だとある通り、やはり私室っぽさが強く表れています。

 デスクに資料が山積みになっていれば、コーヒーメーカー等の私物も置かれています。そこを明るく照らすのが、まるで診察室にあるようなレントゲンを貼る板――シャーカステンって言うのだとか――で、その光の所為で動きが少ないらしい部分には埃が積もっているように見えました。

 とはいえ散らかっているのはデスク周りのみです。ゴミ箱に投げ入れようとして外れたらしい紙くずが床に転がっていたりはするのですが、壁は綺麗なままだし、参考文献を置いているらしい本棚はきちんと整理がされています。

 成る程。おそらくリツコさんは汚す部分を一箇所だけにして、そこ以外は定期的に掃除するタイプのようですね。

 

「そこ、座って頂戴」

 

 中を見渡していると、リツコさんにそう声を掛けられます。

 向き直ってみれば、デスクに向かったまま、手に持ったペンで後ろにある丸椅子を差していました。二つ返事で了解し、そこへ腰掛けます。

 

 少し待って欲しいと言われ、わたしはしばし待機します。

 ちらりと見やれば、リツコさんはデスクの脇にある灰皿に向かって煙草を押し付けていました。

 

「煙草。ごめんなさいね」

「いえ……」

 

 未成年の身で吸おうとは思わないし、嗅ぎ慣れない匂いではあれ、別段不快感はありません。

 

 むしろ香ばしい匂い自体は好きです。

 『加持さん』も吸っていたからでしょうか、嫌いになれません。

 

 わたしがそんな事を考えていれば、やがてリツコさんはふうと息を吐いて、椅子をくるりと半回転。こちらへ向き直ってきました。

 

 申し訳ないと示すように眉をハの字にして、肩を竦めて見せてきます。

 

「待たせて悪いわね。誰かさんの所為で状況が遅れてしまっていて」

「……いえ、本を正せばわたしの所為ですし」

 

 揶揄するのが誰の事かを察し、わたしは首を横に振って返します。

 するとさも当然な風に「そうね」とリツコさんは零しますが、「だけど」と続けました。

 

「本来は三時間で終わる仕事をずるずると引っ張ってるのはミサトよ。貴女の買出しだって明日でもよかった筈。貴女に責任は無いわ。……ま、そんな訳だからさっきエレベーターで言ったお小言は冗談よ」

 

 そう言って話を締められます。

 その様子は終始淡々としていて、わたしの『左腕』を恥じる心に配慮してくれたミサトさんの心境を全く鑑みないものでした。

 

 思わずムッとする心地になりますが、大人には大人の都合があるのでしょう。ミサトさんが仕事を遅延させているのが事実なら、わたしが何を主張したところで事実は事実と言い包められて仕舞いです。

 わたしは今一度念押しをする心地で謝罪こそしましたが、特に言及はしませんでした。

 

「さて……」

 

 リツコさんは机の端からファイルを取り上げます。

 ごった返して見えるデスクですが、どうにも彼女の中では何処に何があるかはきちんと把握されているご様子。取り上げたファイルも迷う事なく捲られていき、すぐに目的としたらしいページが開かれます。

 

 向かいからパッと見ただけで理解しました。

 それはわたしの『カルテ』

 前に住んでいた所で受けた受診記録でした。

 

 それを一瞥し、リツコさんはふうと息を吐きます。

 

「解離性同一性障害……まあ、先の第三使徒戦の際に見ているのだから、疑う余地はなさそうね」

 

 おそらく報告書から挙がっているわたしの普段の様子と比較したのでしょう。リツコさんは確認するように述べます。

 

 それ自体は正解かもしれませんが、大きな間違いです。わたしの別人格として挙げられるのは碇シンジで、第三使徒を倒した際の可笑しなわたしではありません。

 ですが、此処に至ってそれを言及するのは藪を突くと言うものでしょう。仮に理解を得たとしても、わたしはシンジくんの記憶をリツコさんに話すつもりは無いので。

 

 故にこれ幸いと、わたしは頷きました。

 するとリツコさんは特に疑う様子も無く、「では」と続けます。

 

「貴女が見る夢と言うものは?」

 

 と、したところでまさかの誤魔化したと思った事を問われました。

 あくまでも疑った様子ではないのですが、カルテに書いてあったらしい単語を問い掛けて来ます。

 

 どうしたものか……。

 思わずそう迷いました。

 わたしが言葉に詰まれば、リツコさんが「質問を変えましょう」として、改まります。

 

「碇シンジとは……誰なのかしら?」

 

 思わず胸がドキリと音を立てます。

 懸念していた事が、大丈夫なように見えて、その実やっぱりアウトでした! と言われた正にその瞬間です。

 

 どうしよう。どうしよう。

 と、思わずわたしは思案します。

 

「えっと……」

 

 とりあえず何も言わないのは状況的に可笑しいと思い、口ごもったような言葉を吐き出しました。

 

 何を何処まで知っているのか。

 先ずそれが分かりません。

 

 対面から見たカルテは『碇レンの知識』では読めない字……多分ドイツ語で書いてあって、『アスカ』と()()()()補完した記憶を思い起こしてみても、読み方はわかりませんでした。単語単語は分かるのに、文章が上手く繋がらない上に、達筆すぎて所々読めない。そんな感じです。

 ああ、中途半端な知識が凄く呪わしい……。

 

 そんな風にわたしが返事に困れば、まるで何かを察した風に、リツコさんは肩を竦めて微笑みます。

 

「そんなに緊張しなくてもよくってよ。……まあ、無理があるかもしれないけれど」

 

 と、如何にもわたしの気負いを解そうとするかのようにそう零しました。

 

 そこでわたしは『あれ?』と、疑問を抱きます。

 無理があるかもしれないとは、きっと此処に至るまでの碇レンとの接点を踏まえた上での発言でしょう。急にパイロットとしてエヴァに乗れという件に口火を切ったのは彼女ですし、その後のミサトさんとのドライブの件も含めて……。

 ですが、もしもわたしの記憶を全て知っているのなら、彼女はそんな風に言うでしょうか?

 

 うーん、分からない。

 

 思わずわたしは眉根を寄せ、視線を伏せます。

 するとリツコさんは仕方無いと言って、椅子を回転させました。

 

「珈琲、飲む?」

 

 そしてまたも思わぬ発言。

 わたしは目を丸くしてしまいます。

 

「……へ?」と返せば、リツコさんは肩越しに振り返ってきていて、紅茶もあるわと付け足してくれます。

 

「あ、えと……珈琲を頂きます」

「分かったわ。ドリップだから少し待って頂戴」

 

 そしてリツコさんはカルテを机に置いて、手を伸ばします。

 コーヒーメーカーの水を入れるケースを取って、更にその後ろからペットボトルに入った飲料水を取り上げます。その水を注ぎ入れつつ、彼女は微笑みました。

 

「昔から拘りがあってね……。珈琲には手間を掛ける派なのよ。わたし」

「そ、そうなんですか……」

 

 冷や汗をダラダラと流しつつ、わたしは凄まじい速度で思考をしながら生返事を返します。

 

 そうしているうちにも水は入れ終わり、リツコさんはそれをコーヒーメーカーにセットしました。カチリと音をたててスイッチを押して、彼女はふうと一息。

 肩甲骨の間を解すように肩を回して、疲れたような表情でわたしへ向き直ってきました。

 

「貴女がわたしを信用しきれないのは無理もないわ」

 

 そして核心を突いたような一言。

 思わず心の中で、ぎゃあと悲鳴を上げました。

 

――が。

 

「医者の真似事をやっているけど、医者ではない。わたしは研究者」

 

 続いた言葉でわたしは『うん?』と再び疑問を持ちます。

 

 リツコさんは気にした風も無く続けました。

 

「本来ならカウンセリングなんて一番向いていないのにね」

 

 そしてそう言って笑いかけてきます。

 

 どうやら危惧した内容ではない様子に、わたしは内心ホッとします。

 勿論表情には出さないように努力していますが、リツコさんの発言は本当に心臓に悪くて、露呈していても不思議じゃありません。

 芝居は得意だけど、ポーカーフェイスに自信は無いんです……。

 

 しかし、リツコさんの発言は、同時にわたしへ一縷の希望を持たせるようでした。勿論彼女が意識したであろう形ではなく、ですが。

 

 わたしは改まって問い掛けます。

 

「すみません……。色々、不安になって……。えっと、カルテって()()()()()から残ってますか?」

 

 少し質問に工夫をして、わたしは暗に『貴女は何処まで知っているんだ』と問い掛けます。

 するとリツコさんは安堵したように薄く笑って、端的に答えました。

 

「五年前よ」

 

 回答を聞いたわたしは心の中でガッツポーズ。

 加えてそれ以前のカルテは既に処分されていたと聞き、シンジくんの記憶の詳細は、彼女に伝わっていないんだと確信を持ちました。

 

 わたしが人様にシンジくんの記憶を詳しく話していたのは小学生になるかならないかの頃まで。それ以降は誰も信じてくれないと諦めて、『親友』にさえ話していませんでしたから。

 『碇シンジ』の名が残っている理由は、その夢を見たと言う報告だけで、それ以上でも以下でもないでしょう。内容は全て『人を殺した』とか、『化け物を殺した』とか、とても漠然としたものの筈です。

 

 本来は治療中の受診記録は五年以上前のものも残っていないといけないらしいのですが、最近はこういう事も珍しくないのだとか。特に精神科なんてものはセカンドインパクトの所為で受診患者が増える一方だったらしく、患者一人一人に対する診察の質はそれ以前と比べると見るも明らかに劣化しているそうです。

 

 だからこそ、此処で改めてリツコさんがわたしを診断し直そうというのです。今一度病状を一から教えて欲しい。と、そう言われました。


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