異類恋花譚   作:四聖堂
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死の秘薬

 今は昔の物語。

 コーンウォールの地に勇猛果敢な騎士があり
 彼の者の名はトリスタン。
 弓取れば失敗は無く、槍を手にすれば名だたる騎士を打ちのめし、剣を携えれば敵の大将を討ち取る。
 勇者の常と降りかかる苦難の数々を乗り越えて、出会いたるはアイルランドの美姫・金のイゾルデ
 如何なる毒をも消し去る王女は美しく、コーンウォールのマルク王は彼女を欲するようになる。
 王の命ならばとアイルランドに乗り込んだトリスタンは、竜を倒しその褒美としてイゾルデを与えられる。
 万事は順調、姫を連れ国に戻るトリスタン。
 しかして婚姻の祝祭を眼前にし、トリスタンとイゾルデは葡萄酒と薬を間違えて飲んでしまう。

 目にした侍女が悲鳴を上げる


「なんという事をしたのです! 貴方達が飲んだそれは、死そのものなのですよ!」


 誉れも高き円卓にその名を連ねる事になる英傑の
 どこにでもある、ありふれた破滅の物語




               *  *  *





 晩秋にしては暖かく、さりとて一重にはつらく日が落ちれば寒さが厳しくなるであろうと確信できる……
 要は、この頃においてはさほど珍しくは無い陽気の日に、さりとて珍しい人が珍しい場所にいた。
 人里の一角にある庵の中で、相対する一組の男女。
 女の方は何より目を引く銀の髪に日がさして、白く煌く。座しているのみだがその作法は一目見て貴人と解る。
 しかして、その鋭い視線は貴人のそれにしては大いに厳しく刃の如く眼前の男につきつけている。
 男は悠然としているが、その冷たさに気が付いているのかいないのか。
 いずれにしろ、この様な八意永琳を前にしてこの態度、人によれば豪胆極まりないと褒めたたえるかもしれない。

 さてこのような場所でなぜこの様な事になっているのか。
 事情の発端はいささか時間をさかのぼり、場所を変えねばならない。



 そう、時は数日、場所は竹林。
 幻想郷で竹林と言えば、一つしかあるまい。

 人里離れた迷いの竹林。
 妖兎共の住まいであるここに永遠亭という屋敷がある。
 屋敷にいるのは姫君一人と医師一人、そして弟子が二人。
 と言うのが人々の知るところであるが、この最近、弟子が一人増えた。

 柔らかな、蜜色の髪に大きな赤いリボン。
 赤黒いエプロンドレスを身にまとい、小さな小さな妖精のような何がを従えた、とても愛らしいお人形だ。

「ありがとう、兎さん!」

 進み方を知らぬ者以外は例外なく迷うからこその迷いの竹林。
 新しい弟子であるメディスン・メランコリーは竹林の進み方を知らない故、こうして妖兎に案内をしてもらう。
 小さな体で精いっぱい手を振って、妖兎に礼を述べると、ごめんくださいと永遠亭の戸を叩く。

「あら、いらっしゃい」
「鈴仙、永琳いる?」
「いるわよ、いつも通り奥の書斎」
「それじゃあ、お邪魔します」

 ペコリと一つ頭を下げて、遠慮も無く永遠亭に上がる。
 竹林では迷うが永遠亭では迷わない、既に勝手知ったると言っても良いぐらいだ。
 勝手知ったるほどに来てるわけで、ちょくちょく顔見知りにもなっている兎達に声をかけながら、まっすぐ向かうのは八意永琳の書斎。
 襖の前にたって、襟を正して正座をする。
 スカートがちょっとひっかかったので、手で直してから一言。

「失礼します」
「……いらっしゃい」

 奥から、いつもの涼しい声がする。
 そこでメディスンは引手に手をかけて、襖を開ける。
 もちろん、一気に開けたりはしない、少し開いて、縁に手を伸ばしてからさらに開くのだ。
 部屋に入って閉める時もまた然り。

 その様子を見て、八意永琳は満足げに頷く。

 外見だけでなく、生まれて数年しか経たぬメディスンに礼節を教えたのは他ならぬ永琳だ。
 毒の事を学びたい、と永琳に教えを乞うたのはメディスンだが、知識を教える前にまず礼を仕込む。
 師と弟子の関係を仕込み、貴人に対する礼節を仕込み、周囲にたいする気遣いを仕込む。
 礼を欠くのはいかぬ、メディスンがこの先、どのような道行を行くにしろ、礼節は大事だ。
 礼を尽くせば敵を生まず味方を作る、礼を身に着ければ敬意を知り、己を悟り相手も悟る。
 無礼無頼を豪傑の性と讃えるものもいるが、そのようなものは礼も敬意も知らずにやっても愚かなだけだ。

「今日もよろしくおねがいします!」
「えぇ、よろしく」

 花の蜜のような少し甘い声を大きく出して。
 そんな弟子を永琳はなかなかに気に入っている。
 小生意気な処もあるが、学ぶ姿勢があるの言うのは好ましい。
 鈴仙もその姿勢を持つが、どうにも月の出身という気位の高さから知識に慢心しがちな処があるし
 てゐのやる気は上っ面だけである。
 さすれば、永琳にとってこのように真摯に学ぶ弟子など、いくばくぶりか。
 依姫に師事していた頃を思い出す。

「ねぇねぇ、永琳、今日は何を勉強するの」
「そうね、今日は化合した薬物の……」

 と、そこで永琳は奇妙なものに気が付いた。
 メディスンの胸にある、花をかたどった一つの飾り。 

「メディ、それ、どうしたの?」
「あ、気が付いた? どう? 似合ってる?」

 いつもと違う装いを自慢するように、その場でくるりと一回転。
 胸の飾りがその存在を主張するように揺れて、メディスンはとても上機嫌だ。

「その飾り、どこで手に入れたの?」
「貰ったの」
「貰った?」
「そうよ」

 メディスンの語る処によると、何時ごろからか無名の丘に人間が訪れるようになったらしい。
 普通は毒の花粉が舞う無名の丘に来るようなものなどまずいるはずがなく、メディスンは興味本位で話しかけてみたとの事。
 幾度か会い、何度か会話を交わす内に、なんだかんだと仲良くなり、その人間からこの飾りを貰ったというのだ。

「駄目でしょう、メディ、知らない相手に話しかけるなんて」
「でも、いざとなれば毒殺できるもの」
「だからと言って油断しては駄目よ」
「はぁい」
「それで、ちょっと見せてもらえる?」
「うん、いいよ」

 そういって、メディスンが飾りを外して永琳に手渡す。。
 手に取って観てみれば、派手さはないが凝った造の良い代物だ。
 里の雑貨屋ではない、ちょいと良い店で売っているような。
 ……女に送る品物としてはまず及第点だろう。
 故に、永琳はいささか不愉快になる。

「どうしたの、永琳」
「メディ、この飾りをくれたのはどんな人間だったの?」
「どんな? うーん、普通の人間よ。無名の丘に来る時は毒を吸わないように頭巾被ってるし」
「ふぅん」
「何か気になるの?」
「少し、ね」

 別段、怪しいとかそういう訳では無い。
 ただ、自分の弟子にちょっかいをだすようなのは如何なるものか、と気になっただけだ。

「じゃあ、会ってみる?」
「会ってみるって、いつ来るかわかるの?」
「ううん、家を知ってるの」
「家を?」
「映姫が見聞を広めなさいっていうか、その人間の事に関しても見聞を広めようとおもって」
「あのね、メディ」

 少しばかり、めまいがする。
 言われた事をそのままに受け止める素直さは美徳であるが、それが仇になる事てある。
 ましてや不審な人間の後にほいほいついていくなど、危険極まりない。
 そう説いて、メディスンを諫めようとする。

「そうなの?」
「そうよ」
「でも、悪い人間じゃなかったわ」
「今回は偶々よ」
「そうなのかしら」
「そうよ」
「うーん……わかった、今後は気を付ける」

 悩ましそうにしても、ちゃんと言う事を聞いてくれる。
 先の美徳は、このような時に発揮されるものだ。
 永琳の白い指先が、メディスンの金髪に触れ、そのまま頭を優しくなでる。
 それをくすぐったそうに気持ちよさそうにメディスンは目を細めた。

「でも惜しいな、お気に入りだったのに」
「えぇ、よく似合ってるわ……ところでメディ」
「なぁに?」
「メディ、その人間、男なの?」
「そうよ」
「そう…………」
「永琳?」
「メディ、今度、その人間の家を教えてくれるかしら?」
「どうして?」
「ちょっと、興味があるの」
「? ふぅーん、いいよ」

 メディスンは、特に何も気がつかない風に簡単に答えるが、姉弟子たちならばきっと口ごもっていただろう。
 なにせこの時の永琳の瞳の奥になにやら剣呑な色が光っていたのだから。




* * *



「ここね」
「うん」

 永琳とメディスンがいるのは、里にある一件の庵だ。
 里のはずれ等にあれば格好が付くのだろうが、近くにはいくつかの民家があり、いささか場違い感がある。
 こういう場所が変わり者が住むには似つかわしいのであろうか。

「こーんにーちわー」

 そんな奇妙な庵にむかって、メディスンの声が響く。
 まるで友達の住まいを訪れたときの様に、気軽な声で。
 そうすると、「はーい」と帰ってくる声があり、それと共に若い一人の男が庵の奥から顔を覗かせた。
 作務衣に身を包み、すらりとした体つきの……しかし、細いようで華奢ではない、着衣の上からでも筋肉質の体が見て取れる。
 特に、右腕の筋肉が大きく盛り上がっている、それにも関わらず一瞬細身に見えたのは所作涼しげなと評しもしよう身のこなし故だろう。
 しかして、永琳からしてみれば気障ったらしい、というものに写るのだが。

「メディ、今日はどうしたね……おや」

 男が、永琳に気がついて会釈をする。
 永琳も、礼儀である故に会釈をする。

「もしや、八意永琳殿ですか?」
「あら、名前を?」
「えぇ、メディが良く話してくれましたので」
「……仲がよろしいのですね」
「……えぇ」

 良くない空気がその場に流れる。
 胡乱な視線を向ける永琳と、それに気がついたであろう男。
 両者の狭間から、なんとも息苦しい空間が広がってきて
 それがお互いを刺す前に、男が男が動いた。

「軒先で立ち話ではいけません。どうぞ奥で茶でもいかがですか」

 男が、庵に招く。
 不躾な客に対する、挑発のつもりでもあろうか。
 しかし、元より男と対決するつもりである永琳からすれば、望むところであろう。
 故に、彼女は素直(?)にそれを受けた。

「戴ましょう」

 薄っすらと、笑みを浮かべて。
 まるでケダモノの巣に立ち入るかのようである。
 男はそれを観て、涼しく笑うと奥へと向かう。
 永琳もまた、足を運ぼうとして、スカートを何者かが引っ張っていることに気がついた。
 見てみると、そこには不安げな顔をしたメディスンである。

「ねぇ、永琳、私、なにか悪い事した?」
「……どうして?」
「だって、永琳、なんだか怖いんだもん」

 そこでようやく、永琳も少しばかりトゲを張りすぎていたのに気がついていたのだろう。
 先ほどとは違う、いつもメディスンに向けるような表情にもどり、スカートを掴んでいる手を取る。

「大丈夫よメディ、貴女は何も悪いわけでは無いの」
「でも」
「少し、少しだけ、あの人と『おはなし』があるだけよ」

 できるだけ、穏やかに、怖がらせないようなトーンで。
 まだまだ小さな弟子の、鈴仙ともてゐとも違う慎重な扱いが必要な弟子に語り掛ける。
 そうだとも、浮世の渡り方を知っているあの二人とは違うのだ。
 そんな弟子に付く様な悪い虫は、取り除いておくに限る。

「だから、『おはなし』が終わるまで少しまっててもらえるかしら?」

 そんな感情をおくびも出さぬ、優しい声色。
 だから、すっかりメディスンも警戒を解いてしまう。

「うん、わかったわ」

 金と白銀の、微笑ましい笑顔がそこにはあった。



 ……そのまま、笑顔のまま時間が過ぎれば良かったのだろうが、残念ながらそうはいかない。
 時は斯くして冒頭に至り、場所もまた冒頭に戻る。

 即ち、二人の男女が庵の中で相対している。

 お互いの前には温かい茶が置かれているが、永琳は手をつけようとはしない。
 さて、そうした黙した時間が幾ら流れたであろうか、最初に口を開いたのは以外にも男の方である。

「……お師匠殿は、いかなる御用でここに?」
「さて、貴方に『お師匠』と呼ばれる謂れはないのだけれど」
「失礼、では、八意先生とお呼びすれば?」

 永琳は黙したままである。
 それを、同意と取るか、そも名を呼ばれたくもないと取るか。
 尤も、後者の意味以外で採るような愚か者は早々にいないであろうが。

「……単刀直入に、あの娘にちょっかいを出してほしくはないのだけれど」
「メディに、ですか?」
「そうよ」

 この男が、「メディ」と気安くあの子の事を呼ぶのが気に入らない。
 メディスンがこの場にいないのを良い事に、永琳はそのいらだちを隠そうともしなかった。

「ちょっかい、などと言うほどの事はしておりませんが」
「どうかしら。人間がわざわざ無名の丘に行くというのがどうにも怪しいのだけれど?」
「ちょいと頼まれごとをされまして」
「どのような?」
「大したことじゃありませんよ、蛇を探しに行っただけです」
「蛇?」
「そう蛇です、近頃、田畑を荒らす蛇が出るようになりましてね、裏作にそこそこの被害が出ておりまして」
「わざわざ無名の丘にまで?」
「いやぁ、万が一にでもという事がありますから。まぁ、結局は見つかりませんでしたが」

 いう事がいちいち胡散臭い。
 嘘か真が知らないが、とりあえずはそれを問うつもりは無い。
 ここで確かめるすべは無く、証明を求めても無駄な事だ。

「どちらにしろ、小さな子供にあんな贈り物をする、というのは感心しないわ」
「只の贈り物じゃありませんか」
「下心が無い、とは言えないのでは?」
「……そんな趣味の者に見える、と」

 さすがに男の眉間が険しくなる。
 先ほどまでの悠然としていた様は何処へやら、憮然として永琳を睨みつけていた。

「永琳先生は、あの子を文字通りの操り人形にしたいおつもりかな」
「あら、そのように見えると」
「弟子が可愛いのは当然でしょうが、生活にいちいち口を出すのは過分なのでは」
「そうかしら、弟子に悪い虫がつくのを防ぐのは師の務めというものよ」
「……つまりはメディを信用していないと」
「ある意味では」
「あの子も、童形とは言え妖怪で、自分の力で生きているのでしょう、ならばその意思を尊重……」
「まだ11になるかどうかよ」
「………は?」

 間抜けな、実に間の抜けた声が漏れる。
 それほどに、意外であったのであろうか。
 なれば、と永琳は言い聞かせるようにもう一度口にする。

「まだ11になるかどうかよ、あの子は。人付き合いを含めれば実際にはさらに幼いでしょう」

 男は、しばし目を見開いて茫然としていたが、やがて得心したように大きく息を吐く。

「なるほど、八意先生が怒るのも解りました。今回の事、悪いのは私だ」
「ご理解いただけたようで」
「全く、申し訳ない」

 そういって、男は深々と頭を下げる。
 おそらく、この男はメディスンの年齢を見誤ったのだ。
 幻想郷の妖怪は外見と年齢が一致しない。
 童形と言えど人より長く生きるものもいる。
 そういう手合いは知識と経験と精神の均衡がとれていない、特に子供のように振る舞いふと気がつくと大人の様にも見えることがある。
 だから、この男もそういう対応の仕方をしようとしたのだろう。
 子供相手の様に、しかしてある種大人として扱う。
 悪くは無い、ある種、正しいが、相手が妖怪であるという思い込みが邪魔をして、まさか本当に正真正銘の子供なのだと思ってもいなかったのだ。
 外見に惑わされぬというのは、褒めてしかるべきなのだろうが。

 さて、釘は刺したし、あとはどうするべきか。
 と、その時であった。

「ねぇ、もういい?」

 背後から、声がする。
 振り向くまでもなく、メディスン・メランコリーとわかる声だ。

「おはなし終わった?」

 二人が話をしている間、待っているのが退屈になってしまったのだろう。
 いい加減に待ちくたびれたと言いたげである。
 永琳は、苦笑しながらもそれに応える。

「えぇ、終わったわ」

 メディスンの顔が、ぱっと明るくなり、ぱたぱたと駆け寄って永琳の隣に座りこむ。
 永琳が正座をしている為か、行儀よく澄ました様子で。
 そんな小さな花の様を観て、永琳の苦笑は微笑に変わった。

「ねぇねぇ、二人で何を話してたの?」
「うん、少し、いや、かなり八意先生に怒られてしまったよ」

 男が、少しばかりバツが悪そうに、しかしてはっきりと言ってのけた。
 対するメディスンは、びっくりしている。

「怒られたの?」
「うん、怒られた」
「どうして?」
「メディに、贈り物を上げただろう?」
「うん」
「それに関してね」
「なんで、それで怒られるの?」
「メディ、自分の歳は言えるかい?」
「レディに歳の事を聞くものじゃないわ」
「ははは、確かにそうだ。けれども、今回は無礼を承知でお尋ねするよ、教えてくれるかな」
「……ぅーん、えーっと、いくつだっけ? ねぇ、永琳知ってる?」
「……11よ」
「あ、うん、11よ!」
「うん、それでだね、あの飾りは11の女の子に贈り物をするような私が迂闊であると八意殿は怒った訳だ」
「迂闊?」
「そう、迂闊だ」

 男はそこで茶を一口含み、唇を濡らす。
 今や場はすっかりメディスンと男の問答に占拠されており、永琳も勢いに飲まれてつい答えてしまった。
 二人はそんな永琳をさらに置いてきぼりにして、更に問答を続ける。

「メディ、男と言うのはだね、良からぬことを企む者がいるものなのだよ」
「男だけじゃないわ、女もよ、私、いっつもてゐに意地悪されるんだもん」
「ふふふ、そうなのかい。まぁ、とにかく、良からぬことを考えている奴がいる訳で、八意殿は私をそのような輩だと思ったのだ」
「……でも、ちがうんでしょう」
「勿論」
「じゃあ、いいじゃない」
「処がそうはいかない、私はメディが11とは知らなかったからね、私自身にその気が無くとも、メディを傷つけてしまう事があるかもしれない」
「歳で何か違うの?」
「違うとも。メディ、君は八意先生の元で勉強をしているのだから、いろいろと知っているだろう?」
「勿論よ、薬と毒にはちょっと詳しいんだから」
「うん、しかしだ、相手がそれを知らず、君の知識を軽んじて扱ったらどうだろう、君は怒るし嫌な気分になるだろう?」
「……うん」
「それと同じだよ、私は君をしっかり者のお嬢さんだと思っていたし、今も思ってるからその飾りを贈った。けれども私は君をちゃんと知っていなかったし、そんな男がいたのでは、君を傷つけるのではないかと八意先生は心配したのさ」
「そうなの、永琳」
「えぇ、まぁ」
「永琳は心配性ね」
「ふふふ、それだけ、君の事が大切なんだよ」

 男が、笑う。
 屈託のない、良い笑顔だ。
 そんな笑顔で、永琳にとって大切なのだと言われて、きっとメディスンもくすぐったい気持ちになったのだろう。
 照れたように、永琳の後ろに隠れてしまった。

「メディ、そろそろ帰るから、先に玄関で待っていてくれる?」
「はぁい」

 照れ隠しに丁度良い口実を得て、メディスンは入って来た時と同じように部屋を後にする。
 その後姿を見送って、改めて永琳は男に向き合った。

「弁が立つのね」
「そうでしょうか」
「少し、見直したわ。もう少し、年甲斐の無い者だと思っていたから」

 言われても仕方がない、と男は苦笑する。
 誤魔化すように再び茶を啜り、一息を吐く。

「私もメディから、話は聞いていましたので八意先生が立派な方だと」
「あら、それは光栄ね」
「しかし……実際に会ってみて、メディが思うよりも情が深いのだなと知りました」
「そうかしら」
「えぇ、メディを思ってここに来る様、それは師匠というより、そう……親御殿というべきでしょうか」
「………そうかしら」
「私の勝手な感想ですので」
「まぁ、他人から見てそう見えるのなら、そういう面もあるのでしょう」

 そこで、ようやく永琳は茶に手を伸ばし口を付ける。
 すっかり冷めてはいたが、それでも乾いた喉には丁度良い。
 外は未だに明るく、風も無い。
 今からなら、日が暮れる前に永遠亭に帰れるだろう。

「それでは、邪魔をしたわ」
「いえ、飛んだご迷惑をおかけしました」
「……メディの事」
「はい」
「一応、貴方を信じましょう」
「……ありがとうございます」

 親、と言われたならばある種、親として振る舞って……見守る立場というのも悪くは無いかもしれない。
 基より、メディスンの付き合いを永琳が管理する道理は無いのだから。
 今回は、なにやら怪しげな男の気配がするのでたまたま口をだしただけだ。

 全幅のとは言わぬが、決して悪性の者ではないと解ったのだから今日この時は、これでお終いであった。




             * * *



 迷いの竹林とは、それ即ち静寂の世界である。
 竹生い茂るこの林は、その名の通り天然の迷宮であり、一度飲まれればその腹より抜け出すことは難しい。
 しからば立ち入るものは竹林そのものを生活の場とする獣か、迷宮を抜ける知識と能力を持つ者ぐらいで、そうした者は往々にして分をわきまえて竹林を騒がせるような真似はしない。
 世説新語に語られる俗世の陰気を嫌い、人世の手より身を隠した七賢人の如く、この竹林は誰にも邪魔されず暮らすには丁度良い。
 止まれぬ事情により、以前程に静かでは無いの否定はしないし、また時折、騒ぎが起きるのも事実ではあるが。

 まぁ、何が言いたいのかと言うと、ようは永遠亭で騒ぎを、宴会をしようと言う話が持ち上がったのだ。
 それは別に良い事であろう、姫と医者と兵士と兎。
 それなりに平和に愉しくやってはいるが、楽しみとはいくらあっても困るものではない。
 と、言うよりも幾等でもないと色あせて足りなくなってしまうのが楽しみというものだ。
 なればこそ、酒の席は良い楽しみになる。
 大いに飲み大いに喰い、永遠亭の空気を入れ替えるのは良い事だ。

 その、良い事を思えば準備の苦労も苦労にならぬもの。
 苦労にならぬ……
 いや、やはり大変なものは大変だ。

 酒と、食い物の発注を人里を巡っていた永琳は、その事を改めて噛みしめる。
 年の暮れも迫るこの時期、幻想郷のあちこちで宴が起こる。
 呑気者の人妖共はタダ飯タダ酒をたらふくご馳走になれると、遠慮も無く誘いもしないのに聞きつければ寄ってくる。
 顔見知りばかりである為、まぁ当然と言えば当然だが。
 それでも屋敷の備蓄を一日で食いつぶされては堪らない、ましてや永遠亭は妖兎達も勤めているのだ、持て成す側とは言え、宴会のお零れがなければ不満も出よう。
 なればこそ、当日までにこうしていろいろと準備が必要なのだ。
 普段は鈴仙にも手伝わせているが、年の瀬は何かと忙しく、あの娘もなかなかに手が回らない。
 というか、永遠亭はこの冬空のように懐が厳しいのだ、鈴仙には薬売りで金子を稼いでもらわねばいろいろと困る。
 事実上、永遠亭を取り仕切っている者として、弟子に過度な負担をかけるのを永琳は良しとしない。
 無茶な事を言うのと、無理なことを言うのは違うのだ。

 そんなこんなで、荷物を背負って永琳が人里を歩いていると、何か声が聞こえる。
 聞き覚えのある声である。
 はて、どこで聞いたか、と思い出す前に、今度は「にゃあ」と鳴き声が。

「失礼しますよ、ご婦人!」

 猫が、降りてきた。
 人も、降りてきた。
 永琳は呆気にとられた。

 猫は解る、身軽である故、どこぞの屋根からか降りてきたのだろう。
 しかして、人は何故降りてきた。

「おいこらまて、おとなしくつかまりなさい!」
「にゃーお」

 猫が逃げ、人が追う。
 人の手に捕まるまいと、猫は永琳の周りをぐるぐる逃げる。
 人も猫を捕まえようと永琳の周りをぐるぐる負う。
 走ったり止まったり、逆に回り込もうとしたり足の下を潜り抜けたり。

 なんだ、これは。
 回転数では幻想郷随一の永琳の頭脳がピタリと止まる。
 このような喜劇事、日の昼間におきるものなのか。

「ふにゃあお!!」

 猫が大きく一声鳴いて……いや、これは一種「吠えた」のであろうか。
 兎に角、男を拒絶するように、永琳の胸元に飛び込んでくる。
 反射的に猫を抱きかかえ、哀れな猫は逃げようとしてとうとう捕まってしまった。

「いやいや、ありがとうございます八意先生」

 いかにも助かったと言わんばかりに、男が息を切らせてやってくる。
 よほど男から逃げたいのだろう、猫は永琳の腕の中でもぞもぞを身を捩っていた。
 と、そこでようやく永琳の頭脳が動き出す。

「……何を、やってるのかしら」
「えぇ、猫を探しておりました」
「猫を」
「猫を」
「この前は、蛇を探していると言っていたわね」
「アレとコレは違います。こいつは近所の飼い猫なんですがね、出かけたまま帰ってこないから探してほしいと頼まれまして」
「動物探しが仕事なのかしら?」
「いえいえ、流石に仕事という訳では。あ、いや、蛇は仕事か」
「それよりも、貴方、今、どこから降りてきたの?」
「あの塀の上です」

 男が指したのは、どこかの屋敷の塀の上。
 あぁ、なるほど、あそこからなら降りてこれるだろう。
 いや、そうではない。

「なんで、塀の上に?」
「猫がいたので」
「猫が」
「猫が」
「その、つまり、猫を捕まえようと塀の上に?」
「えぇ、登らなければ捕まえられないでしょう、それに外から脅かして稗田様のお屋敷に入られては困りますし」
「塀の上に上るのは問題ないの?」
「あ、お屋敷の方には話しているので」
「あぁ、うん、そう」

 この場合、言っていることがおかしいのは永琳であろうか男であろうか。
 いや、どう考えても男がおかしい、幻想郷基準でもやはり男がおかしい。
 幻想郷では常識に囚われてはいけないというが、やはり物事の基準としての常識は幻想郷流にある訳で……

 いや、よそう、私の思考で私を混乱させたくない。

「八意先生は何故里に? 荷物なんて背負って」
「少し、買い出しをしているだけよ」
「……荷物、運びましょうか?」
「貴方の手を煩わせるつもりはないわ」
「しかし、女の手には余る量でしょうそれは」
「手には余っても背負うにはこまりません」
「なるほど」

 上手い事を言って、やんわりと断る。
 これぞ幻想郷流である。

「それよりも、この猫の方が手に余るのだけれど?」
「ははは、それでは引き取らせていただきましょう」

 猫の鼻をつつこうとしたのだろう。
 男が、ちょいと顔を近づける。

「全くこいつめ、散々てこずらせてくれて」


 次の瞬間、しゃっと鋭い爪が、男の鼻先を引掻いていたのであった。






 呆れた、まったくもって呆れた。
 何故こうにも滑稽本みたいな事が起こりうるのか。

「本当に、呆れて言葉も無いわ」

 男の住まいの庵の縁側で、永琳が男の鼻に絆創膏を張り付けて嘆息する。

「面目ございません」

 男はいつぞやの様に、しかしてあの時よりも何故か神妙に頭を下げた。
 神妙なくせに、どこか芝居がかっている。
 それがまた、永琳の嘆息を誘う。

 猫と男の漫才にあっけにとられ、なぜかどうにか巻き込まれて稗田家を騒がせた謝罪だの
 猫探しを依頼した家への報告だのに付いていき、そしてこうして大した傷でもないものにわざわざあの八意永琳が軟膏を塗って手当をしている。

 そうして気がついた。
 この男は割と他人を誑かすのが上手い。
 口が回るのもそうだが、行動に嫌味や裏表がない。
 猫を捉えるのに塀に登ってしまうのも、パフォーマンスだとかではなく本当に大真面目に猫を捕まえる為にやったのだ。
 考えてもみればそうであろう、メディスン・メランコリーというのはあの外見と素直な処があるのでせいで忘れがちだが、人間を好むような子ではない。
 むしろ人形の解放という目的の為、人間を障害と認識している子だ。
 そういう子が、懐くとしたらどういう人間であろうか。
 おそらく、大の大人の癖に人形を大切にできるような者だ。
 そう、この男のような。

「道理でね」
「は?」
「いいえ、なんでも無いわ。あなたが里で割と慕われているのが意外なだけ」

 子供を誑かすような人にねぇ、と嘘の嫌味を混ぜて煙に巻く。
 男は苦笑し、何も言えない。
 だがしかし、塀に登って猫を追いかけまわしたにも関わらず「すみませんでした」の一言で「いいよ」と済ませる稗田の面々
 猫を受け取り、「ありがとう、またお願いね」と何度かその手の事を頼んでいたのであろう老婆。
 里の道々でも、気軽に声を掛け合うというのを観れば、確かにこの男は慕われているのだろう。
 永琳の知る者達は、余り他者とは関わらない連中ばかりだ。
 カリスマ気取ってふんぞり返る小娘に、賢者と嘯き従者一人の冬眠女。
 わざわざ幻想郷に逃げ込んだくせに自分たちを追いやった力を根拠もなく利用できると思い込む頓珍漢な女神。
 地下に引き籠った挙句に動物だけを侍らせて更にその奥へと引き籠った二重の引き籠り。
 挙げればきりも無くロクデナシ、元より妖怪とはそういうもので、竹林にこそこそと隠れ住む自分たちだって彼女たちと同類だ。
 だからこそ、こういう人間が時折羨ましい。
 永琳が罪悪感と忠誠心から屋敷の中に閉じ込めてしまった姫君の輝きを、何の躊躇も憂いも無く振りまく人間が。

「さて、こうも付き合わされたのだから、なにか礼を貰わなくては割に合わないわ」
「えぇ、自分にできる事なら、何でも致しますよ」

 ふっ……と何か硬いものが抜けるような息を吐いて、永琳は一つ微笑む。

「なら、買い出しの荷物を運んでもらいましょう。まだまだ増える予定だから覚悟して頂戴」
「大丈夫です、力仕事は得意ですよ」

 あぁ、そうだろうとも。
 相当に鍛えこんでいるのは知っている。
 これでも八意永琳は三千世界随一の医者なのだから。
 この男が、実際の処、何故猫探しなどをしているのか不思議でならないぐらいの存在なのかと首を傾げている。

 まぁよい、と永琳は気にかけたそれを捨ててこの時はこの男の調子に引き込まれたのを体よく使ってやろう、と考えたのであった。





                    *  *  *




 その日は、また一段と寒い日であった。
 宴が過ぎて、始末も終わり、あとは余所の宴に顔を出しながら年の瀬を待つばかりのそんな日である。
 夕刻が近づき、永琳は自室の書斎で今年一年の間に書き留めた様々な事柄をまとめている最中だった。
 類まれなる頭脳と知識を持つ永琳であるが、ただ時を無為にすごすという訳では無い。
 弟子たちに教え込んだ事、自分が試してみた薬の事、一年の帳簿の事。
 ただ記録しておくだけでなく、この先に役立てる為にしっかり解りやすくしたためておくのは大事な事である。
 頭の中だけで留めておけばよいというものでもない。
 何せ、自分は他者に物事を教えるのは向いていないと言われてしまっているのだ。
 曲がりなりにも弟子を持つ身である以上、なんとかそれを補えるようにしておかなくては。
 ……てゐ辺りに裏で色々と言われるのを想像すると割と腹が立つ。
 なんだかんだ言って、小狡さにかけては自分よりもてゐが上だし、地上生活の先輩としていろいろと世話になる事もままある。
 反面、自分の事を師と呼びながら、その実、自分が作る薬に左程に興味関心も無く、出来も「まぁまぁなんじゃない?」程度にしか思ってないというのも知っている
 そういう相手が、「あいつ、こういう処ダメなんだよねー」とか普通に話していると思うと結構堪える。
 見返してみたくなる。

 そんな、いささか年甲斐もない小娘のような念で仕事を進めていた時であった。

「お師匠様」

 噂をすればなんとやら、てゐの声である。
 しかして、様子がおかしい。
 いつもの誰も彼も揶揄っているような音色が無い。
 何か、あったのだろう。

「どうしたの」
「はい、里に妖怪が現れて暴れている、と」
「……蛇の妖怪でしょう」
「もうご存知なんですか?」
「以前から蛇がでると耳にしていたから」

 そう、初めてあの男に会った時、蛇を探していると言った。
 蛇のせいで裏作に被害が出てるとも。
 この凍える季節に、蛇が出るものか。
 出るとすれば、単なる蛇の領分を超えたものだ。

「怪我人が出てるのね」
「そうです、鈴仙が一人じゃ対処しきれないから、師匠にも来てほしいと」
「鈴仙は無事?」
「集会場で怪我人の手当てをしてるとの事です、竹林まで里の若い者が鈴仙の言伝を伝えに来て」
「巫女はどうしてるの?」
「里から伝令が走ったようですが、詳細は……」
「蛇はまだ里に?」
「いえ、自警団衆が追い出したとの事です」
「判ったわ。てゐ、兎達を集めなさい、万が一という事もあります」
「はい」

 時間が惜しい。
 行動を決めれば、それを実行するのは極めて迅速である。
 保管庫に向かい、持てるだけの薬と治療器具を鞄に詰め込んで、永琳が深呼吸を一つする。

 そして、そこでまた声を掛けるものが一人

「永琳」
「輝夜」

 この、永遠亭の真の主、蓬莱山輝夜である。

「仔細はてゐから聞いたわ」
「えぇ、留守をお願いするわね」
「あら、本当にお願いしてるのはてゐに対してで、私には大人しくしていろっていうのが本音じゃない?」
「よく解ってらっしゃる事」
「私だって、今回は茶化して楽しむ類じゃないという空気ぐらい読めるもの」
「まぁ、『なりたて』風情では竹林を抜ける事すらできないでしょうけど」

 然り、相手の妖怪がどれほどか知らぬが、所詮は幻想郷の法を解さぬ愚劣な生まれ立て。
 天地がひっくり返ろうと、八意永琳の護りを超えて来ることなど出来ようはずがない。
 万が一にも、それをすり抜けようと永遠亭の護りは十重二十重、弾幕ごっこの縛りも無ければ、幻想郷にてここを突破できるものなどいるものか。

「永琳、気を付けて」
「後れを取るとでも?」
「まさか、でも荒事にでる臣下を激励するのは君主の常識よ」
「なら、普段からもっと君主らしくしてくれると嬉しいのだけれど?」
「それはまず無理な相談ね」

 口元を隠してくすくす笑う姫君と、諦めたように苦笑する医師。
 大事の前に、このような事を口にできるのはやはり余裕がある為だろう。
 それは、とても肝心な事だと二人は考えている。

「いってくるわ」
「えぇ、行ってらっしゃい」

 それより数分後、永琳の体は竹林の遥か上空に飛び上がっていた。


 空を舞う者に、竹林と人里の距離など無きに等しい。
 眼下にある里の明かりを目指そうとして、永琳はまた別の明かりに気がつく。

 里から外れた場所で、幾つもの炎が踊り狂っている。
 瞬時にそれが何か理解した永琳はその炎の元へ向かう。




「囲め! 囲め!」
「むやみに近づくな、呑み込まれるぞ!!」

 男たちの怒号が響く。
 それぞれ手に槍や鉄砲や、篝火を持ち、中央に渦巻く敵を睨みつけていた。
 彼らの視線の先にあるのは、一匹の大蛇である。
 しかして、その大きさがケタ違い。
 全長はおおよそ壱拾壱間(約20メートル)、胴の太さは3尺(90センチ)にもなろうという化け物だ。
 アレでは動くだけで人を捻りつぶすなどたやすい事だろう。
 ましてや、牙をむいて威嚇する様は人間達にとってどれほどの恐怖だろうか。

 そこに、幾つもの輝きが飛散する。
 輝き、霊撃による礫は大蛇の体を直撃し、大蛇は身を捩った。

「怯むな! もっと火を焚け! アイツの動きを封じるんだ!!」

 男に混じる、凛とした女の声。
 永琳はそれを知っている、里で子供相手に勉強を教えている上白沢慧音だ。
 そう、たしか教師だけでなく自警団の纏め役もやってた事を思い出す。

 慧音の声に応え、男たちが荷車から藁束をもち出して火をつけたソレを投げつける。
 藁束と言っても、大の男が両の腕で抱える程の大きさで、それに火が灯るのだ。
 当たれば焼かれ、当たらずとも地に落ちた火は大蛇の行く手を阻む。
 火は怖い、火は熱い。
 歳重ねた妖怪とて、おそれる火の力を、大蛇ではどうしようもない。
 火の塊が投げつけられるたび、大蛇は追い詰められていく。

「よし、後は、視界を封じて……!」
「まかされて」

 男が一人、大蛇の前に躍り出る。
 背に矢束を、手には弓を持って。
 嗚呼、見間違えるはずもない、あの男だ。

 彼は、大蛇を恐れる風も無く、矢を引き抜き弓をつがえる。
 大蛇と彼の目がぶつかり合う。
 冷たい無機質な表情の見えるはずもない蛇の瞳に殺意が宿り
 しかして、彼は一歩も引かない。

「南無―――」

 蛇が牙をむき、彼を飲み込もうとしたその時であった

「―――八幡大菩薩」

 神への祈願と共に、弓が鳴る。
 日も沈み、炎が狂乱の舞う場に、悲鳴が上がった。
 聞くも悍ましき、蛇の悲鳴。

 おお! なんという事だろう! 放たれた矢は、違う事なく蛇の片目を捉え貫いたのだ!!

 美事―――!
 そう、永琳は驚嘆する。
 怪物を前に恐れもせず、正確に目を穿つとはなんたる胆力、なんたる妙技。
 鍛えているとは見抜いていたが、よもやこれほどとは!

 すかさず彼は二射目をつがえ、容赦なく撃ち放つ。
 外すことなどあるまいと、その矢も残った目に突き刺さり、大蛇は光を失う。

「今だ! かかれ!!」

 慧音の号令が響く。
 その号令が空に消えるよりも早く、猛き雄叫びがさらに空を揺るがして、男衆が大蛇に躍りかかる。
 槍で突き、鉛玉を撃ち込み、火で炙る。
 無論、矢も霊撃もまるで季節外れの五月雨の如く降り注ぎ、大蛇はたちまちのうちに血だらけになった。

 しかして相手は蛇である、こと生命力、しぶとさにおいては右に出るものは無い。

 大きく身を捩り、凶暴な筋力の塊である己の体を振り回して、たまらず自警団衆は距離を取った。
 その隙を狙ったと言わんばかりに、蛇は暴れながら包囲網を抜け出そうとする。
 なにしろあの巨体だ、人の身で止めきれるものではない。

「逃がさん!!」

 彼が、蛇を追おうとし、他の自警団衆も後に続こうとした、その時である。
 八意永琳は、自分の体が地面に向かって真っすぐに落ちていることに気がついた。
 否、これは落ちているのではない、あるものをめがけて、飛びかかているのだ。
 何を、と問う事も無い、この場で狙うは一つしかない。

 しからば、細身の女のそれとは思えぬ轟音を立て、永琳の掌底は蛇の頭蓋の頂点を精確無比に叩きつけられていた。

 いかに強靭な蛇とは言え、脳天をこうも激しく揺さぶられては堪らない。
 先の暴れぶりが嘘のように、その場で気を失ってしまった。



「八意先生!」



 名を呼ばれて、永琳ははっと我に返る。
 振り返れば、彼が驚いた表情をしていた。
 幻想郷で人が空から降りてくるのは珍しくもないが、それでも顔見知りとなれば以外にも思う者か。
 いや、違う、これでも一応、永遠亭の医者と弟子は人間で通しているのだ。
 迂闊な事をした、と永琳はわずかばかり後悔する。

「八意殿」
「あぁ、上白沢先生」

 しかし、済んだ事はしょうがない。
 気を取り直して、自警団を率いていた慧音と向き合う。

「ご助力、感謝します」
「いえ、いいのよ、里に向かう途中で火の手が見えたものだから」
「里に? なるほど、怪我人の手当てに」
「えぇ、鈴仙だけでは手に余ると言うから」

 里の怪我人も気がかりではあるが、妖怪と戦っているのならばこちらでも怪我人が出るかもしれない。
 そう考えてここに来たわけだが、どうやら杞憂であったようだ。
 皆、少々の傷があるが急いで手当しなければならない程ではない。

「では、急いで里に」
「えぇ、そうさせてもらうわ」

 そう言って、改めて里に向かおうとした時である。

「慧音先生、この蛇はどうするんです?」

 自警団の一人が、大蛇の処遇を問う。

「こいつ、まだ生きてますぜ」
「こんなデカい蛇がいたんじゃ安心して眠れん」
「この場で殺してしまおう」
「そうだ、里に被害も出てる、守矢も文句は言うまいよ」

 男たちは、どうやら蛇を殺す方向で話を纏めようとしているようだ。
 それはいかぬ、と永琳は彼らを制止する。

「待ちなさい、この蛇を殺してはならないわ」
「あぁ、私も賛成できない」

 同調したのは、上白沢慧音である。
 対する男衆は、なぜかという疑問を表情に浮かべた。
 たしかに、このような化物、殺さずに放置はできまい。
 しかして、殺してはならぬ理由がある。

「蛇の怨根はその生命力と同じくしぶとく執念深いもの。ここで大蛇を撃ち殺しては、怨霊と化して里を祟るでしょう」
「妙蓮寺や博麗ならば怨霊を打ち倒せるだろうが、骨が折れる仕事だろう。その間に犠牲がでてはかなわない」
「それでは、どうするんで?」
「……里に犠牲者はでているの?」
「いえ、怪我人だけで死人までは」
「よろしい、ならばこの蛇は私がなんとかします」
「八意先生が、ですか?」

 弓を背負った彼が、眉根を顰める。

「危険では?」
「私はいくばくかの法術も嗜んでいます、蛇を調伏する程度ならば問題ないわ」

 先の技を見たでしょう? と、わざと得意気に振る舞う。
 本当は、いくばくか程度では済まないが、そんな手の内を明かす必要もない。
 あくまで、自分は法術を学んだ医者として通すのだ。

「私は異存ありません、八意殿ならば安心してお願いできる」
「……先生がそういうのなら」

 慧音と彼が承服し、二人がそういうのならばと他の自警団の面々も頷く。
 この場にいるすべての者の了解を取ったと、永琳が口の中で小さく呪を呟きながら、蛇の鼻先に触れた。
 するとどうであろう、蛇の体がみるみるしぼんでいくではないか。
 あっという間に、まるで脱皮した抜け殻の様にぺしゃんこになってしまう。
 自警団があっけにとられていると、大蛇の口の隙間から、小さな蛇が這い出してきた。

「里を襲った罰よ、その姿でこれからは生きて行きなさい」

 永琳が蛇に向かって冷たく言い放つと、蛇はそれに怯えたように身をすくめて、茂みの中に逃げ込んでしまった。

「こりゃあ、すごい」

 感嘆の声が上がると、自警団の面々からも永琳の術に対する称賛の声が上がる。
 やれ胡散臭いと思っていたのが悪かっただの
 さすがはあのネズミ除けを作った薬師の師匠だの
 しかし、永琳からしてみればそのどれもがどうでもいい。
 先の介入からの流れでついやってしまっただけだ。
 蛇退治の手助け自体が余計で失敗だった、本来は怪我人が出たときに手当だけすればよかったのに。
 この始末とて、関わってしまったからには中途半端ではまた面倒になるという判断からにしかすぎない。

「ありがとうございます、八意先生」

 けれども、この一言にだけは応じようとした。

「いいのよ」

 これだけだったが、弓を背負った彼が笑うのを見て、永琳も悪い気はしない。

「さぁ、里のけが人の手当てをしないと」
「はい。さぁ皆、あと始末だ、火を消して、里に戻るぞ!」

 大蛇を倒したとだけあって、自警団の調子も明るい。
 藁束を積んでいた、荷車から、鍬や鍬を持ち出して、穴を掘り始める。
 そこに火の塊を落として土を被せて消すつもりなのだろう。
 無論、彼も弓から農具に持ち替えて、消火作業に参加しようとする。

「待ちなさい」

 その後姿を、永琳は呼び止める。
 それが、やってはならぬ事だと、蛇退治よりもはるかに大きな失策である、と心の中で理解しているのに。

「はい、なんでしょう」
「……先の弓、見事だったわ」
「ありがとうございます」
「それで……」

 言葉が途切れる。
 言ってはならぬ。
 それを、言ってはならぬ。
 言っては、ならぬはずなのに。

「私も、弓を嗜んでいるの」
「先生はなんでもできるんですね」
「まぁ、いろいろとね。それで…少し、教えてあげられるかもしれないわ」
「先生が?」
「えぇ、だから暇なときに永遠亭にいらっしゃい」

 断ってくれ。
 今言ったのは、明らかに過ちなのだ。
 あれほどの弓の腕、矜持があるならだれかに教えを受けるなど必要ないなど言えるだろう。
 だから、断ってくれ。

 嗚呼でも、でも、本当は。

「えぇ、今度、お伺いいたしますよ」

 その言葉を言ってほしかった。





                 *  *  *





 肌を突き刺す凍える大気。
 夏は日の光と熱気を遮る竹の影も、冬においては更なる寒風を呼び込む檻となる。
 そんな寒気を切り裂くのは弓の弦とと矢の飛翔。
 一射・二射・三射と、絶え間なく放たれる。
 そして、よくよく耳を澄ませれば、一つの矢と並んでもう一つ矢が放たれている事が判るだろう。

 八意永琳と並び、一人の男が永遠亭の庭先で弓を競う。
 既に、ハリネズミのようになっている的に、二人は構う事なく矢を射かける。
 どれほどに矢を撃ったであろうか。

 カツンと、小気味良い音を立て、矢が突き刺さるが、惜しくも正鵠を外す。
 次いで、撃たれた矢はまた見事に正鵠を射る。

 男が、ほぅ…と深く深く呼吸をする。
 さながら、今まで体内に留めていたものを吐き出すように。

「お見事です、八意先生」

 冬とは思えぬ程に、額に汗を浮かべ、男は永琳の腕前を称賛した。
 対する永琳も、その自慢げな微笑こそ涼し気だが、やはり汗が滴る。

「貴方も、ここまで私に食らいついてこれるとは思わなかったわ」
「弓ならだれにも負けない自信があったのですが」
「でも、その腕、誇ってよいわ。さながらに源頼政みたいよ」
「八意先生にそういわれるなら、悪い気はしません」

 男は笑い、永琳から手渡された手ぬぐいで、汗を拭く。
 一意専心。例え、生死関わらぬ競い合いと言えど、一射一射に全身の力を籠め全霊の念を凝らしたのであろう。
 額から首から、腕や腹や背まで、汗でぐっしょりと濡れている。

「……貸しなさい」
「え?」
「手拭、背は拭けないでしょう」
「あ、いや、大丈夫ですが」
「この寒空で、半端に濡れていたら風邪をひくわ」
「ちょ」

 やや強引に、永琳は手拭を奪って、彼に背を向けるように指示する。
 少し、というかかなり恥ずかし気に戸惑っていた彼であったが、上着をはだけてしぶしぶ永琳に従う。
 そうして、永琳の手が、彼の背に触れる。

 熱くしなやかな彼の背の感触。
 彼もまた、永琳の細い滑らかな指先を感じる。

 永琳は、一つ指をなぞらせると、その背を丁寧に拭き始める。
 弓の名手として鍛え抜かれたその背を慈しむように。

「あの、八意先生……」
「何?」
「いえ、やはり自分で」
「あらダメよそんなの」

 永琳が、何か口を開く前に、違う声が聞こえた。
 二人が振り返ると、そこには一人の貴人。
 そう、永遠亭の姫君・蓬莱山輝夜であった。

「姫様」
「これは、お姫様、見苦しい処を」

 男が、慌てて衣を直そうとする。
 しかし、輝夜は実に面白そうな笑みを浮かべてひらひらと気にするなと言いたげに手を振った。

「いいのよ、風邪をひいたら大変でしょう? 先に終わらせてしまいなさいな」
「しかし、ですね」
「あら、恥ずかしい?」

 男が、赤面して黙りこくる。
 輝夜は、ますます愉し気にする。

「そうよね、永琳だものね。こんな美人に体を拭いてもらえるなんて男冥利に尽きるというもじゃない」
「姫様、お戯れを」
「でも、そうでしょう?」
「いや……えぇっと……」
「んー、その反応は正直でよろしい」

 こほん、と永琳が一つ咳払う。
 心なしか、顔には朱がさしている。

「姫様、今日は寒うございます。そろそろ屋敷の中に」
「いいじゃないの」
「中に」
「ふぅーん、そういうことを言うんだ。ふぅーん」
「……姫様?」
「ねぇ、貴方」
「は? はい」
「永琳の体、拭いてあげなさいな」
「「はぁ!?」」

 何を言っているのだこのトンチキ姫は!
 声には出さぬが、二人の心はピタリとあった瞬間であった。

「いいじゃない、私が認めるわ」
「いえ、流石に女人の体を、とは」
「遠慮しないの」
「いえいえいえ、ご勘弁ください」
「えー、いいじゃない、永琳ばっかりズルいでしょう? それにもっとラブコメの波動を観てみたいの」
「…………らぶこめ?」
「ひ・め・さ・ま」

 ありったけの、ありったけの威圧感を込め、青筋を立てて永琳が輝夜に迫る。
 けれども、それをあっさり受け流して、輝夜には通じていそうにない。

「はぁーい、潮時ね」

 言葉だけは神妙(?)に、足取り軽やかに屋敷に戻るかしまし姫。

 男は、ちょっと呆気にとられ、永琳はこめかみを抑えてため息を吐いた。

「ははは、お姫様はいつも朗らかですね」
「……それで済ませていいのかしらね」
「良いのでは? 永遠亭があの方がいるだけで明るい感じがいたします」
「そうね、それは認めるわ」

 最近、彼が永遠亭に通うようになってから自分を揶揄う頻度が物凄い勢いで増えたのが悩みの種ではあるが。
 まぁ、昔からああだった、今更言っても仕方ない。

「……それで、八意先生の背は……いえ、なんでもございません」

 本気か冗談か揶揄いかはたまた話の種か。
 どちらにしろ、彼の言を人睨みで黙らせて、永琳は改めて彼の背に手拭を当てたのであった。


 これが、あの夜以来の永遠亭の日常である。
 彼が弓の師事を乞う日は、大抵このようになる。
 永琳が弓を教え、時にこうして競い合い、そしてまた時には語り合う。

 それだけだったが、素晴らしい、空が灰色に染まるこの季節に不釣り合いなほどに、彩られた日々。


 その様に、鈴仙は混乱し
 メディスンは目を輝かせて歓び
 てゐは馬鹿にしたように鼻で笑い
 輝夜は、ただ微笑んだ

 どれもこれも、当然の反応だった。
 鈴仙が知る永琳ならばこんな事をするまい、だから鈴仙が混乱するのは当たり前だろう。
 メディスンは依然から彼を知っている、友人が共に学ぶというなら、あの子は素直に喜ぶだろう。
 てゐは永琳を見抜いている、永琳の行動に呆れ果て侮蔑するのも致し方あるまい。

 輝夜は……
 輝夜は、永琳の全てを理解している。
 だからこそ、微笑む。

 そう、今まさに永琳の目の前でそうしているように。


「偶には、いいのではないかしら」


 故郷の月を透かせた簾を背に、輝夜は呟く。
 何を、と永琳は問わなかった。
 それと同時に、決して同意もしなかった。
 輝夜が言っていることを、永琳はよく解っている。
 事の起こりが永琳にあるのだから、それを永琳が解らないのでは滑稽では済まされない。
 それでは、今進んでいる事は唾棄されるべき三流の悲劇だ。
 尤も、これは芝居では無い、観客など誰もおらず誰もが当事者の悲劇に一流も三流もあるまいが。

「永琳だって、このままで良いとは思ってないでしょう」

 無論である。
 本当ならば、あの炎の夜に、別つべきであった。
 冷たく、突き放すべきであった。

「あら、それは無理よ」

 永琳の様を、輝夜は嗤う。

「月人は地上人に憐れみを抱くわ、同情し見下し慈しみ……そのどれも、一方的に差し伸べて触れるだけ。そうよね、そのどれも見返りなんか必要ないんだもの」

 けれども触れれば傷つく。
 触れられた者も、触れた者も。

「そう、だから貴女はそれを否定し続けてきた。憐れみなど抱くべきではない、と。けれども、今のあなたが抱くものは憐れみじゃない」

 知っている。

「えぇ、触れれば触れてほしい、見つめれば見つめ返して欲しい。貴女は、正しくその想いを得てしまった」

 だからこそ、やってはならぬ事をしてしまった。
 無残な事を。
 触れる程、触れられるほど、ますます残酷になっていくのに。
 解っていながら、触れてしまった。

「えぇ、そうよ八意永琳。貴女は残酷な事をしてしまった」

 月の明かりが、寒さを増す。
 千年幻想の重みそのままに、凍てつく夜は二人に突き刺さる。
 そして、いかなるものであれ、光は真実を照らす。

 だからこそ、輝夜は真実を口にする。


「貴女はいずれ、あの人を殺すわ」


 然り。
 八意永琳は、彼を殺す。
 触れた故に、触れられるからこそ。
 殺すのだ、殺さねばならなくなる。
 何故かと問われれば、それが八意永琳だからだと答えるより他にない。

「そうね、貴女の忠誠、貴女の罪悪、貴女の後悔、その全てを貴女は私の為に使ってくれている。今までも、これからも」

 蓬莱山輝夜の為に、生きる事こそ八意永琳の定め。
 永琳自身が課した罰であり使命である。
 何物も、それを犯す事は許さぬ。

「……貴女には感謝しているわ。永琳、私と言う存在は貴女がいなければ成り立たなかった。私が今ここで私として生きていられるのは貴女のおかげ」


 だからこそ、と
 だからこそと、輝夜は告げる。
 蓬莱山輝夜だからこそ、言う権利と義務がある。


「永琳、貴女の心を自由になさいな」
「……輝夜」
「貴女の心は、貴女が思うほどに弱くも貧しくもない、私以外の誰かが居ても、貴女の私への忠が変わる事は無い、それを私は保証できる」
「たとえそうだとしても、私はそれが許せない」
「けれども、貴女の中にはもう彼が居る。とてもとても小さいけれど」

 だからこそ、永琳は過ちを犯した。
 彼の心の輝きを、あの弓鳴る美しい姿を見て、思わず惹かれてしまった。

「このまま、小さな居場所に閉じ込められるかしら? いいえ、きっと無理。心を真に御せるのは覚者の類、私たちは所詮が俗物。どんなに傲り高ぶろうと心を思うがままになどできようはずもない」

 だからこそ……いずれ来る未来にて、八意永琳は彼を殺してしまうだろう。
 彼の存在が、どれほど大きくなろうとも、それが輝夜を上回ることなど無い。
 けれども、永琳の心惑わす存在にはなりかねない。
 万が一にも、それが輝夜を護る上での障害にもなりかねない。

 それは、永琳にとって看過できる事ではない。

「……そう、やはり彼を殺すのね」
「その前に、切り捨てればいい事よ」
「貴女の術で?」
「忘却の手段などいくらでもあるわ」
「……なら、その前に一つ、試してみたらどうかしら」

 永琳は一つ首を捻る。
 試す、とはいかなることか。

「簡単よ、彼の心を試すの」
「言っている意味が解らないわ」
「人の心は複雑怪奇、もしかしたら、貴女が思うような悲劇にはならないかもしれないわ」
「……八方丸く収まる、とでも?」
「まさか、未来なんて判らない。だからこそ、貴女は彼を殺すのでしょう? 薬や術で忘却させるのも結局は同じことよ」
「なら」
「いいから、貴女の殺意を向けてみなさいな。もしかしたら、貴女が思うような悲劇にはならないかもしれない。それに私個人として、貴女の想いがそんな形で終わるのは許しません」

 相も変わらず、とんでもない事を言い出す姫だ。
 永琳は目を丸くして、言葉に詰まる。

「あら、ふふふ…貴女もそんな顔をするのね」
「全く……前々から悪い子だとは思っていたけれど」
「えぇ、私は悪女よ、五人の皇子を誑かし、帝を惑わした世紀の悪女かぐや姫だもの」
「教育を間違えたと今また痛感したわ」

 輝夜はけたけたと笑い、試す方法は貴女にまかせるわと部屋を後にする。
 残された永琳は、一つため息を吐くと、しかして筆と紙をとりだして、何かを認め始めていた。









 そして、数日が経った。








 竹林の奥深くにある永遠亭の前に、一人の男がいる。
 弓使いの男が永琳の手紙を受け取ったのは昨日の事。
 八意永琳から、たまには酒でもどうかという誘いであった。
 はて、珍しい事もあるものだと男は首を捻ったが、使いにきた少女が必ず来てくれと念を押すので、それに押し切られてつい承諾してしまった。

「ごめんください」

 玄関を開け、声が永遠亭に響く。
 ややあって、出てきたのは昨日使いにやってきた少女、そう因幡てゐとよばれていた少女であった。

「お待ちしておりました。師匠は奥でお待ちです。さぁ、どうぞ」

 てゐに案内され、男は屋敷の奥へ足を進める。
 弓術を学ぶ彼はの修練の場は屋敷の庭で、中にしかも奥にまで行くのは実は初めての事であった。
 竹林と同じく静かな廊下をいくら進んだであろう、てゐが立ち止まり、襖の向こうに声を掛ける。

「師匠、お連れ致しました」
「入って頂戴」

 襖の向こうから、いつもとまた違う永琳の声色。
 男は僅かながらに躊躇う。
 そんな男を、てゐはじっと見つめると、ぽつりと一言呟いた。

「……大丈夫じゃないかな」
「はい?」
「いいえ、なんでもございません」

 そういって、てゐは襖を開ける。
 どうぞ、と促され、男が部屋の中に足を踏み入れた、その時である。

 男は、まるで、夜の真っただ中に放り出されたかのような錯覚を受けた。

 無論、時刻が唐突に変わった訳でも無い。
 違う場所に飛ばされたわけでも無い。
 月が天に上るには早い時刻で、場所は確かに永遠亭の一室である。
 では、何故そのような錯覚を受けたのか。

 それは、八意永琳のその姿にあった。

 いつもはまとめている豊かな銀髪を振りほどき、星をあしらった青と赤の衣装とは違う真っ白な着物を身に着けていた。
 ただそれだけであるが、銀の髪が、永琳の肢体を流れるその様は夜天にかかる天の川を強く思い起こさせる。
 用意された小さな酒宴を前に、横座りで座する永琳の気は男ならず女までも呑み込みかねぬ。

「いらっしゃい、そんなところに立っていないでこちらにいらっしゃいな」

 永琳の声で、ようやく正気に戻った男は、誘われるまま永琳の前に座す。

「お誘いいただき、ありがとうございます」
「……さて、礼を言うには早いと思うのだけれど」
「ほぅ、なにか他に目的が?」

 少しばかり驚く男を余所に、永琳は杯に透明な液体を注ぐ。
 香り高い、一目見るだけで良い清酒と判るそれを、男に差し出す。
 そうして、男がそれを受け取ったその時であった。

「…………それは、酒では無いわ」
「は?」
「それは、薬よ。口にすれば、惨たらしく死ぬ、死を呼ぶ薬」

 肉が苦しみ心は裂ける。
 そんな、恐るべき薬だと、永琳は告げる。

「……私を、殺すおつもりか」
「その為に呼んだのよ」

 男と永琳は、視線を外さない。
 睨みあうようで、見つめ合うようで。
 しかし、ややあって、男は、その薬を一口一気に呷った。

 まるで酒のようなその薬の喉を焼く様な心地よい感触に男は一息吐く。

「……ためらいもしないのね」
「えぇ」
「嘘だと思った?」
「本気にしましたとも」
「正直に言いなさいな」

 正直に。
 裏を返せば、嘘は吐くなと。
 八意永琳の手にかかれば、たったこの一言に呪をかけて、相手に嘘を許さぬ呪法となる。

 そして、男は微笑んで。

「本当ですよ、本気にしました」
「では、何故?」
「何故…と…そうですね」

 男は瞳を閉じて、万感を込めるように、とても優しい満たされた風にこう口にした。


「貴女のような人に殺されるなら、それはそれで良い人生なのではないか、と思いましてね」



 沈黙が降りる。
 ほんの僅かだが、言葉を紡ぐのを許さぬ時間が確かにそこにあった。
 そうして、その時間が過ぎて、永琳は悪戯じみて笑う。

「ふふっ、まったく貴方と言う人は」
「おかしいですか?」
「えぇ、とても。冗談を真に受けて」
「冗談だったので?」
「もちろんよ」

 当たり前でしょう? と永琳は杯を手にして男に差し出す。
 男はそこに薬を、否、酒を注いだ。


 八意永琳は、その酒を見つめ想う。

 物語の騎士は過ちによって薬を飲んだ。
 それは騎士に苦悩と破滅を誘った。
 なら自分は?
 そう、自分は。

 自分は金のイゾルデ。
 心を犯すこの毒を、私はきっと消すことが出来る。

 嗚呼けれども愛しい人-トリスタン-、貴方が心を奏でるならば。
 いずれきたる破滅を、破滅と思わぬ貴方の強き心が、私を過ちに誘う。

 ならば私はきっと白のイゾルデ。
 自分の心の為にあなたを欺き、その躯を抱くだろう。


 だからこそ、この一口は貴方にとっての死の秘薬。
 私にとっての、口してはいけなかった愛の秘薬なのだ。



 八意永琳の前には空の杯。
 そして一人の男。
 かくして女は恋に堕ちる。





















































 そうして、また数日が過ぎ。
 幾度目かの男の訪問と、また幾度目かの二人の弓の競い合い。
 一射また一射と、互いに的を撃ちあうのがこの上なく愉しくて。
 二人は、物陰から様子をうかがう陰に気がつかない。


「で、どう見るの、てゐ」
「あ、全然大丈夫だと思うよあの二人」
「ふふっ、そう、宣託言霊と祝福の権能を持つ貴女がそう告げるなら問題なさそうね」
「だいたいさーお師匠様、硬く考えすぎなんだよね」
「いいの、それが永琳の良い処なんだから」
「やれやれ、苦労させられるわ」
「えぇ、これからもお願いね」


 さて、どうやら、ありふれた破滅、とはならないようであった。






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