丁嵐の狙いと真意。
料理しようにも材料の少なすぎる現状に、私も大淀さんも半ばお手上げ状態であった。時間だけが刻一刻と過ぎていく。
私は光の入らない暗闇の中で、ただ大淀さんの深い呼吸を聞いていた。押しては引く波のような緩やかな波長は、このような状況下において、良くも悪くも私の心を落ち着けてくれた。
カーテン一枚隔てた先から、雑音の多いラジオの実況が耳に入ってくる。大淀さんの腕時計がカチカチと定刻を刻む音が、そこに一定のリズムを添えていた。
それら全てをかき消すかのごとく、ガラリと勢いよく扉が開く。大淀さんの呼吸が乱れ、心臓の音がほんのちょっぴりテンポをあげた。
ベッドの横で靴の固いかかとが鳴る。声を聞かずとも相手は想像がついた。
「思ったより元気そうで安心したわ」
気遣いの声は軽い。しかしその言葉が誰よりも場違いで、何より無意味なのだとここにいる誰もが知っていた。
椅子の足が床をこする。私は手を持ちあげて大淀さんを制した。
「大淀さん、銃を収めてください!」
指先に銃口が触れている。ホルスターから銃を抜く音は聞こえなかった。もしや私が眠っている間、ずっと引き金に指をかけていたのか。
「よその将官に銃を向けるなんて、躾がなってないわね松崎」
真っ黒な銃口を向けられても、丁嵐の声には一ミリの動揺すら感じ取れない。
「どの口が!」
「大淀さんっ!」
私の叱咤を受けて、銃の部品がこすれる音がした。銃を下したのか、撃鉄を戻したのか。何にしろ大淀さんが落ち着くのを待ってから、私は丁嵐のいる方向に顔を向けた。
「お互いの秘書官が提督を暗殺なんて、笑い話にもなりませんからね」
「お互い、ねぇ?」
声色が少し低くなる。声の雰囲気から感情が読み取れるかもしれないと、お茶会でそこに注目しなかった事にほんの少しだけ後悔した。
「うちの古鷹がどうしたって?」
「私の傷。医療艦によれば、全治3ヶ月との事です。顎の骨折と視力の著しい低下、内臓破裂多数。私の体を調べれば、古鷹さんが実行犯だというのは簡単に判別がつくでしょう。そこはどう弁明なさいますか?」
ふっと息が漏れる。鼻で笑ったのか、胸をなでおろしたのか、今の弱った視力ではそれすらも判断できなかった。
「そんな荒唐無稽な妄言を垂れ流す気違いを収容しておける施設が
「貴方にしては随分と強引な方法ですね」
ここまで大がかりな事件を起こしておいて、丁嵐の声にはだいぶ余裕があるように聞こえた。演技かもしれないが、この短時間のやり取りでそれらを判断するのは困難だ。
「自分の首を絞めるかもしれませんよ?」
目が見えない以上、言葉で吐かせるしかない。
私の言葉選びは、軟な上級官僚を追い詰めるには十分な圧力を備えていたはずだ。発言を誤れば殺す。暗にそう言っていた。
「…迂闊な発言は控えさせてもらうわ。「録音」でもされてたらたまったもんじゃないからね」
丁嵐は揺るがない。
私にできないと思っている訳では無いだろう。言質を得られなければ殺せまいと高をくくっているのか。それとも目を覚ましてからずっと向けられている「二人分」の視線が、丁嵐の護衛も兼ねているのか。
「では何の用です?」
素直な疑問で話を繋いた。少なくとも情報提供のサービスに来てくれたわけではなさそうだが。
「観艦式の招待客が「体調を崩された」とあっては責任者として様子を見に来るのは当然でしょう」
まったくもって白々しい。たぶんだが、彼は今実に不愉快な笑みを私に向けている事だろう。大淀さん、歯ぎしりめっちゃうるさい。
「私はこの後何をすればいいんです?こんな体なので無理は控えたいのですが…」
丁嵐が少し息を吸った。
一瞬心臓の音が途切れるが、息を吐くと同時にフラットなテンポを取り戻した。動揺とは言えない、わずかな間。表情は動いただろうか。もしかしたらあえて大きく動揺を顔に出したかもしれない。
「物わかりが早くて助かるわ」
「カンですよ。昔馴染みのカンというやつです」
理論であった。危険を冒してまで丁嵐がここに来たのは「見定める」為だ。私が働けるような状況なのか、古鷹は
そう考えれば、こうやって彼と軽口をたたいている時点で、彼の目的は達成された事になる。あと二・三言で彼は病室を去るだろう。情報が欲しい。彼の真意を導き出すヒントが欲しい。
「私は…」
丁嵐は「悪役慣れ」していた。人に嫌われる事に抵抗も、嫌悪感も持ち合わせていない。挑発するには、彼の本心に踏み込む必要があった。
「私は貴方を軽蔑しています。過剰なまでに艦娘に入れ込み、組織の本質を見失う。貴方の暴走は醜いエゴに過ぎない。提督失格です」
一息にまくしたてる。
彼の持つ「安いプライド」に賭けた。こんな大事を動かす背景は、きっと彼自身も笑ってしまうような「安いプライド」に支えられていると思ったからだ。
ではそれは何か?
『防衛の荷を背負わされながら、無知なる大衆を演じさせられる屈辱』
丁嵐の昼の発言から、彼が艦娘の境遇に大きく不満を持っているのは間違いない。しかし、兵器である艦娘を人と同等に扱うなどという夢物語を追いかけるほど愚かではないはずだ。見た目ほどロマンチストな男ではないのだ。
こちらが得た情報は。
『古鷹の忠義』
『かつてAを助けた』
『艦娘の現状』
『丁嵐の不満』
導き出されるキーワードは…。
「貴方は、うすっぺらい『愛情』で艦娘に同情しているだけです」
しん、とあたりが静まりかえった。
つばを飲み込む音が嫌に大きく聞こえる。
閉じられた視界の先で、空気が歪むのを感じた。丁嵐の立っているはずの空間が、まるでぽっかりと穴が開いたかのように消失した。無言の圧力と「虚無」の存在感。
後ろの大淀さんが「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。
暴風のような圧力に見下ろされ、無意識に口元が痙攣する。「目が見えなくて良かった」という安堵の笑みであった。
「アタシはアタシなりの答えを見つけただけよ。
威圧感とは裏腹に、丁嵐の声は落ち着いていた。
背後で大淀さんの歯がカチカチと鳴っている。どうやら、落ち着いているのは声だけのようだった。
「その為にどれだけの物を犠牲にするつもりですか?」
私も怯む訳にはいかなかった。せっかく崩した丁嵐の牙城だ。無理矢理にでも顔を笑みの形に整えて、追撃を試みる。
しかし、丁嵐の圧力はふっと風の様に消えてしまった。背後でガシャンと大淀さんが椅子に崩れ落ちる音が響いた。
丁嵐の雰囲気は、別人のように落ち着いていた。いや、「冷めた」というのが正しいのだろう。
「舌戦でアタシをやり込めようなんて舐められたものね。本調子じゃないなら大人しくしてなさい。仕事はもう少し先よ」
それだけ言い残して背を向ける。
さすがにその背中に追撃戦を仕掛けられる体力は、もう残っていなかった。どっと汗が湧き出してくる。早く包帯を取り変えたかった。
疲弊した私の横顔を見て、大淀さんが問いかける。その声も重苦しい疲労の色がにじみ出ていた。
「い、命を削ったかいはありましたか?」
目を瞑って(元から瞑ってるけれど)少し考える。収穫はあった。頭の中は先ほどまでとはうって変わって見通しが良かった。
「丁嵐少将は黒です」
言い切る。
少し驚いたように大淀さんが身を乗り出した。
「彼は自分の目的の為に無関係の他者を貶める人間です。奴は真っ黒です」
動機はわからないが、行動の筋道は見えた。私の予想が正しければ、航空戦艦の行方を巡って丁嵐と大本営の間で何か「いざこざ」があったのではないか。そしてこの観艦式を通してそれは動き続けている。
航空戦艦・観艦式・公開演習
大本営が丁嵐と交わしたやりとりの詳細が知りたい。知りたい。知りたい、が。
「ぐあ…」
腹部に強い痛みが走る。あわてて大淀さんが私の背中に手を回した。
「松崎少将!ご無理はなさらないでください!」
「お、大淀さん…」
無理が祟った。もともと起き上れるような状態では無かったのに、度重なるプレッシャーにより全身に限界が来ていた。全身の力が抜けていくのがわかる、思考がぐらぐらと渦を巻く。手足のしびれ、頭痛、迫り来る嘔吐感、高熱が全身を支配した。
私は渾身の力を振り絞って、ズボンのポケットに手を伸ばした。中から取り出した紙切れを大淀さんに握らせる。
「こ、これで…私の変わりに…」
「松崎少将!」
――――そこで意識を手放した。
・・・・・・・・・・
大淀はこと切れた松崎を残し、再び観艦式の喧騒と向かい合っていた。その瞳は強き決意に彩られている。
手には松崎から渡された紙を握りしめている。それは、くたびれた一万円札であった。
『こ、これで…私の代わりに…』
「松崎提督…あなたの想い」
駆ける。
ベビーカステラの屋台は演習場の先だ。
「あなたの想い(カステラ食べたい)は必ず届けて見せます!」
(あと、アイスも…)
「あとアイスー!」
眼鏡の少女は太陽の下で風を切る。
有能秘書の明日はどっちだ――――――!
「外伝」はこれにて終了です。
次回更新以降、日向の公開演習を舞台にした【最終章】に入ります。
【どうでもいいこと】
製本作業進行中
※活動報告更新しました。