「松崎の状態は?」
「一応生きてるよー」「命令だから…」
間延びした声の伊14と、消え入りそうな声の伊13。同時に喋る二人の声を個別に聞き分け、丁嵐はやっと正しい状況を把握した。
松崎は鎮守府の施設で「生かしてある」。
いくら丁嵐といえど、他鎮守府(よそ)の将官を殺害して、うやむやに処理するなんて事は出来ない。しかも相手は良くも悪くも「有名人」の呉の亡霊。今更ながら、手荒に処分するなんて事は出来なかった。
松崎はまだ利用価値がある。その為の準備も整った。古鷹の暴走は予定外だが、結果オーライだ。時間稼ぎはどんな手を使っても必要な事だった。それが「成せた」のは大きい。
結果生じた新たな問題と言えば…。
「古鷹は演習は棄権ね…」
公開演習の出撃割を眺めながら呟く。今日の航空戦艦の対戦相手である金剛率いる「横須賀第一大戦隊」。その中に古鷹も名を連ねていた。横須賀の「最強軍団」であるこの部隊に彼女は必要不可欠な存在であった。しかし…。
「あの体じゃ、しばらくは入院」
松崎との交戦の後に運ばれてきた彼女は酷い有様だった。右肘の炎症、右耳の鼓膜に亀裂、両手首にビー玉大の穴。頭皮に激しい裂傷、頭蓋骨損傷。左肩に銃痕。弾丸は二発とも筋肉を裂き、骨に突き刺さったまま。あごの骨の骨折、それらに伴う大量失血。
こんな傷にも関わらす死んでいないのは「奇跡」であり、「当然」であった。
古鷹は艦娘の基礎構造である筋力強化や投薬による痛覚調整こそ「ほどこされていない」ものの、妖精たちの絶対的な加護がある。妖精たちは何があっても絶対に古鷹を守る。それは彼女たちなりの愛情表現であり、古鷹を蝕む「呪い」でもあった。
だからと言って、無理なものは無理だ。古鷹は今まさに「生きているだけ」の状態であった。
「重巡枠は鳥海に頼みましょう。あのコも戦闘狂だけど、根は優しいからついて行けるかしら」
呟きながら時計を見る。時刻は14時半を回ろうという所だ。航空戦艦隊はもう準備の最終段階に入っているはずだ。
「仕事よ〝ムーアズ〟。松崎の病室を監視して。怪しい動きがあれば秘書の方を殺していいわ」
「おけー」「おっけ…」
二人は丁嵐の命令でのみ動く。司令室のドアまで数歩歩くうちに、二人は完全に重なって「一人」になった。ドアノブに手をかけるのはたった一人の少女。部屋の中にいるのは丁嵐を含めた二人だけ。それがムーアズ。死を孕む荒野。「おぞましい二人」。
司令室のドアを開け、視線をあげる。外には出ずに、目を伏せて数歩後ずさった。体の小さな伊14を押しのけて部屋に入ってきたのは、全身から伸びるチューブを引きづった古鷹であった。
傷だらけの体に足を引きずり、ぼさぼさの髪の中で両の瞳だけがぎらぎらと血走っていた。
唖然とする丁嵐には目もくれず、机の隅に潜んでいた妖精を呼び寄せた。それを手の中に抱き、無言で部屋を去る。
「ちょ、ちょっと待ちなさい。古鷹!」
完全にあっけにとられていた丁嵐が、今にも崩れ落ちそうな背中を呼び止めた。古鷹は振り返る事すらせずに、それに答える。
「すぐに演習準備に入ります」
絶句。
この死にぞこないは今なんと言った?
「あ、あほー!アホ、バカ、オタンコナス!療養よ療養!アンタ絶対安静よ馬鹿!」
背後から古鷹の腕をつかむ。握った腕は、今にも根元から抜けてしまいそうなほどに弱々しく衰弱していた。古鷹は青白く変色した顔を丁嵐に向けた。
「高速修復剤の使用許可を…」
「何言ってんのよばかちん!アンタ重体なのよ、死んじゃうのよ!」
両肩を抑え込んで無理矢理正面を向かせる。血の気を失った顔の中で、いっそう落ち窪んだ瞳だけが虚ろに丁嵐を見上げた。唇が、まるで震えるように動く。
「艦娘は、重体の時ほど修復剤を使うものです」
声はかすれ、完全に生気を失われている。それに反して、丁嵐の怒声はますます勢いを増していった。
「そりゃフツーならそうでしょうが、アンタなんかが使ったらショックで死んじゃうわよ!」
「古鷹は、「普通」では無いのですか?」
死んだ魚のような眼がわずかに動く。丁嵐も負けじとその目と向き合うが、すぐに諦めたように肩を落とした。
「…【命令】よ古鷹。棄権なさい。あなたが出撃(で)なくたって、榛名たちは負けやしないわ」
「お断りします」
「古鷹っ!」
丁嵐の悲痛な叫びが司令室にこだまする。両肩をつかむ力を強め、枯れ枝のような古鷹を強く揺すった。
「言ってごらん、アタシの命令より大事な物ってのは何?自分の命を懸ける理由は何?」
「誠一…」
「答えなさいっ!」
古鷹の両手が丁嵐の胸の上に置かれる。小さな手は震え、握られた拳は弱々しく軍服をつかむ。深く顔を下げたまま、今にも泣き出しそうな声で古鷹は懺悔した。
「ごめんなさい。愛してる…」
「…っ」
弱々しく丁嵐の胸を押して体を離す。そのまま振り返らずに司令室を出て行った。
「ファンクラブに殺されそー」「少女漫画的展開…」
2重の嫌味も丁嵐には聞こえていなかった。呆然と後ずさりながら、机の上に腰を下ろす。
いったいなんだってんのよ、どいつもこいつも。
ふさぎ込みながら、再び出撃割に目を落とす。「雷雲戦隊」。そんな名前だったのね。連なる名前にふと目が留まった。「副艦 加古」。
大きな、大きなため息。空を仰ぎ、出撃割のボードを机の上に放り出した。
(言わなきゃわっかんねーでしょうが、あのバカ)
【どうでもいいこと】
丁嵐の私室は司令室の向かい。