立ち上る雲―航空戦艦物語―   作:しらこ0040

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【拾】死拳殺蹴

   

 長い廊下の中に、風を切る音が連続する。

 古鷹の足技は空間を裂く。松崎の正拳突きは重く鋭い。蹴り足をそらした肘は電撃が走ったように痺れ、拳を受け止めた掌は赤黒く変色していた。

 反動で相手に背を向けても互いにそれは隙にはならず、打ち込んでくる無警戒な拳に喰らい付かんと虎視眈眈と目を光らせている。

 

 古鷹の左が足元をすくう様に右へ薙ぐ。松崎は軽く足を上げてそれを受け流すが、振り切った足に体重を乗せ、そのまま左足を上から押さえつけた。松崎の懐に潜り込み、その胸に自分の背中を密着させる。この超近距離では得意の鉄拳も最高速度には達しない。

 松崎は両手の親指を突き立て、両側より挟み込んで古鷹の首を狙う。爪の先が首筋に食い込む瞬間に、松崎に体重を任せ軌道をそらした。

 後ろ手で軍服の襟をつかむ。左足を封じながら、右足をはじく様に蹴り上げる。190に届くかという巨体がふわりと宙に浮いた。

 豪快な一本背負いは頭頂部を下に、受け身不能のまま固い床に叩きつける。頭蓋骨がひしゃげる音が響く前に、松崎の両手が地面を支えていた。掴んだ腕を軸にぐるりと体を回し、拘束を逃れる。受け身を取った隙を古鷹は見逃さなかった。

 

 駆け寄って右のサッカーボールキック。松崎はこれを紙一重で左に躱す。軸足の左に手を伸ばすが、古鷹はその場でバレエ選手の如く一回転すると、回転の反動を利用して再度右足を蹴り上げた。松崎の顎につま先が刺さる。

 

 初めてのクリーンヒット。追撃に入りたいが、不安定な左の軸足と遠心力だけで蹴り上げた右。両手を使うにもタメが足りない。軸足のカカトに力をこめ、後方に跳ねる。体勢を立て直して前へ、しかし勢いを取り戻していたのは古鷹だけでは無かった。

 

 松崎は迫り来る古鷹の顔面に向け、水鉄砲の様に口内の血を噴き出した。右手で顔を覆いそれをかばう。腕を払った時には松崎の姿は視界から消えていた。

 視線を切った腕の先、古鷹の右前に屈みこんでいる。立ち上がるヒザのバネと肩から肘にかけての筋肉の収縮が、上方へ伸びるアッパーを戦艦の大砲へと変えた。

 空気がちりちりと焼けている。かすった頬に血の線が引かれていた。間髪入れずに返しの右が唸る。閃光の如き突きの拳は、古鷹の胸元をかすめ、肘の先をかすめて「ぽこん」と間抜けな音をたてた。古鷹の上体が後方に流れる。

 

 クリーンヒットはもらっていない。どちらも指の先が「ふれた」だけだ。

 古鷹はだらんと伸びた右腕の骨を、左手の親指で強く押し込んだ。ばぎんとはじける音がして、痛みに歯を食いしばる。ストレートが「ひっかかった」肘が脱臼していた。

 顔を流れる血も止まらない。あのアッパーは頬を切った訳ではなかった。古鷹の出血は耳の中から続いていた。

 鼓膜が破られた。アッパーがかすめた風圧が古鷹の聴覚を奪ったのだ。

 

 三半規管を崩され、全身のバランス感覚が崩れる。松崎は動かない。やはり本気ではないのか…。

 

「ふふふ…」

 

 ふらつく足を支えながら、それでも自然と笑みが漏れた。

 滑稽だった。人の身を捨て、耳障りな正義の為に戦う。使い古された人形。

 

「これが呉の亡霊か。よくできていますね。普通の人間ならもう30回は死んでいますよ」

 

「私は一介の軍人に過ぎません」

 

 白々しいにもほどがあるその言葉に、古鷹はやはり笑みを抑えて肩を震わせた。

 

「『旧世代』の敗残兵が」

 

 閉じたはずの瞳が動揺に揺れる。しかし松崎はすぐさま笑みの仮面をかぶり直した。

 

「…よく御存じですね」

 

「艦娘が生まれるずっと昔、対深海棲艦を謳って無謀な強化手術を受けた哀れな兵隊達がいたと聞いた事があります。存在をも消された闇の特殊部隊。その惨めな生き残りが、恥ずかしげもなく将官を気取ってるとは」

 

 施設の研究員たちが口走っていたのを耳にした事がある。戸籍を消され、存在を抹消され、死を偽装され。「お国の為」と言い聞かされて狂気に下った人形たち。古鷹は笑みの形のまま、口元を吊り上げた。

 

「貴方は人間じゃない」

 

「そんな貴女は「人間とは思えない」ですね」

 

 その一言がもたらすは、驚愕と恐怖。

 コインの表と裏が切り替わるかのように、古鷹の表情が怒りに歪む。噛みしめた唇から、押し寄せる怒りの波を表すかのごとく鮮血が溢れだした。

 

「私は「艦娘」だっ!「人間」じゃない!」

 

「「惨めに生き残った」のはお互い様でしょう?【Aの少女】」

 

 明らかに平静さを失った古鷹に、松崎は追いうちの如くまくし立てる。

 その表情はいつもと変わらぬ柔らかな笑みに包まれている。しかし、今この瞬間だけは彼の仮面の裏側にある残酷な月の輪郭が浮かび上がっているようにも見えた。

 

「生身の人間でありながら妖精と交流する力を持った「艦娘の祖」。それが貴女だ。全ての艦娘は貴女から生まれた。強化細胞も特殊筋肉も持たず、深海棲艦と渡り合い、それを狩る者」

 

 松崎の笑みは変わらない。深く、鋭く、深淵を啄む。閉じた瞳は瞼の裏。永遠の闇を見据えている。気が遠くなるほど、長い間。

 

「【(はじまり)】の少女」

   




「松崎城酔」のキャラクターは「僕と久保」様作、「艦隊これくしょん―木漏れ日の守護者―」からお借りしています。
本編↓
http://www.pixiv.net/series.php?id=693268

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