バンっ、バンっ。再び海上で空砲が上がる。
公開演習午前の部の艦娘達が声援を浴びながら次々に海に滑り込んでくる。物々しい武装を背負った少女たちの表情は皆一様に高揚に震えている。あれが武者震いというやつか、と松崎は感心したようにそれを眺めていた。
松崎は演習場から離れた、建物の日よけの中から海を眺めてた。入口の壁に背をつけ、腕を組んで風を感じている。
その足元で、セーラー服の少女がぺたりと地面に座り込んでいた。
「ほら大淀さん、公開演習が始まりますよ」
秘書艦の大淀は松崎の声も聞かず、空のジョッキを恨めしそうに睨み続けている。
「あーんジョッキが空ですよー、困ったよー」
ゆらゆら揺れながら飲み干したビールを求めて、大淀はこつんと松崎の足に寄りかかった。
「城酔さんの、ビールが…お、おっぱげた」
「大淀さん、大淀さん、お仕事ですよ」
ゆさゆさと肩を揺らすと、顔を青ざめて重い頭を押さえた。
「お慈悲、お慈悲をください…」
「自覚はあるんですね…」
やれやれと頭をなでる。辛口な秘書艦殿は、そんな普段の行いなど忘れてしまったかのように、気持ちよさげにごろごろと喉を鳴らした。
「顔を洗ってきてください、演習場の端に手洗い場がありますから」
「にゃーん(猫)」
のそのそと歩を進める大淀の後ろ姿を、松崎はぼんやりと見守った。
「まったく、デートに来てるんじゃないんですから」
ため息をつきながら、重心をやや前に。轟音と共に放たれた手刀は、背後から襲い松崎の頬をかすめた。左手でそれをつかみ、素早く振り返る。一瞬の邂逅の後、空中で視線が交差した。
「貴女もそう思うでしょう、古鷹さん」
ぎっと古鷹が歯を剥き出す。掴まれた腕の引かれる力に逆らわず、肘を松崎の顔面へ。上体を大きくそらしてそれを躱すが、その隙に左手で握られた手刀をつかみ、握力で強引に振りほどいた。
素早く距離を取り対峙する。松崎は動かない。古鷹は腕を抑えながら、向かい合う「標的」を睨みつけた。
護衛がいなくなった瞬間の完璧なタイミングだった。奇襲は成功していたはずだ、なのに何故奴の首はつながっている。
震える右手を胸の前で小さく構え直す。掴まれた右の手は赤く腫れあがっていた。ほんの一瞬握られただけだ、だが力が入らない。骨まで達しているだろうか、そんな考えにまで至るほど先の邂逅は強烈だった。
「私も、貴女と話がしたかったんです」
松崎は警戒した様子も無く話しかけてくる。無造作に歩み寄ってくる右足を狩るように、素早く足を振り上げた。
松崎の足に重心が乗り切る前に、眉間を狙ったハイキックが襲う。ちょっと屈むようにしてそれを回避し、松崎はさらに歩を進めた。古鷹は反動に沿って素早く松崎に背を向け、キックのスピードを殺さぬように今度は左の足を背後側へ突き出す。蹴り足は松崎のわき腹をかすめ、松崎はやっと歩みを止めた。
ぐんと勢いで腰が回る。背中が正面に、振り返った古鷹の眼光が松崎の薄ら笑いを照らし出した。
蹴り出した左足を素早く引き、上半身を大きく回転させる。それにつられる下半身の筋肉が、ゴムように柔軟な伸縮力を余さず蹴り足に注ぎ込む。右足が垂直に上がり、松崎の鼻先をかすめる。ひっかけた前髪がはらりと宙に舞った。
左足を地面につけ重心を縦に。激しい横回転の運動エネルギーを全て縦方向に湾曲させる。びきびきと全身が悲鳴を上げるが、力とバランス感覚でそれらを強引に押し込める。連撃のパワーの全てを乗せた渾身のカカトが空間を縦に裂いた。
松崎が今日初めて後退する。叩きつけられた床には小さなクレーターができていた。
「古鷹さんはぜひ呉にいらっしゃってください。きっと仲のいい友達が沢山できますよ」
意味不明な事をのたまう松崎を無視して、古鷹は再度構えを作り直した。
一度両手をだらんと流して右肩を前に、上げた右足を空中で制止させ、フラミンゴの如く片足で安定した。両手は広くフリーにとり、やや重心を下げてメインの右足に「遊び」を持たせる。
「これも、丁嵐少将の命令なのですか?」
古鷹は答えない。右足をひざから先で素早く打つ。松崎との間にはまだ距離がり、蹴撃が届く事は無い。しかし、ジャブを放つようなその細かい打ち込みに、松崎は初めて構えを取った。
右手は握り拳の形に、手の甲を下にして腰に沿える。左手はやや体の前に出す。指先は握りきらず、柔らかく手の中に隙間を作った。
「ケンカは本業ではないのですがね」
構えを取れども軽口は止まらない。本気じゃないのか、それとも本気じゃないと思っているのか…。
古鷹が足をおろしローを放つ。しかし深くは打ち込まずに、膝を素早く引いてミドルに打ち直した。松崎はガードを揺さぶられ、一瞬体勢を崩す。
左足に切り替え蹴り上げるが、これもフェイント。そのまま地面に足を付き前へ。大きく右足を「する」がこれも打ち込まず、低くなった体制のまま、無警戒の左の拳を松崎の腹に打ち付けた。
フェイントにフェイントを重ねる、流れるような連撃。これを続けられると、次第に視覚も聴覚も反射神経ですら信用できなくなる。徹底的にゆさぶり疲弊させ、最後に「折る」。
「艦娘の戦い方ではありませんねぇ」
古鷹の戦い方は深海棲艦への戦略として軍が教え込んでいるものではなかった。圧倒的物量と火力。先手必勝。奇襲による一撃離脱。海の戦いとはそういうものだ。海では相手に依存しない。事前準備が8割の世界だ。今の古鷹の様に相手の能力を推し量り、裏をかく様な戦い方はしない。そんな事をしている時点で2流なのだ、そんなものは対深海棲艦では必要ない。
彼女の戦い方は明らかに対人間、対艦娘を想定されていた。
「さすが丁嵐少将の暗殺者ですねぇ」
ぴくりと、初めて古鷹が松崎の言葉に反応した。
「去年あなたが殺した左官は、元々は私の部下なんです」
古鷹が目をひそめる。
「私は今回ただ派遣されたわけではありません。私には、「復讐」の理由があるんです。私は事件の「当事者」なんですよ」
「私を捕まえるんですか…」
初めて古鷹が声を発した。松崎は優しい声でそれに答える。
「安心してください、罰せられるべきは丁嵐少将です。貴女の「類稀なる」境遇は十分に情状酌量の余地がありますよ」
「そう、なのね…」
古鷹は安心したのか、ため息のような声を漏らす。
そしておどけたように笑った。お茶会の時ですら見せなかった、少女らしい柔らかな笑みだった。
「お前は殺す」