【らいうんとぽんぽここーん】
「こんな所で…諦められるかよ…!」
重巡洋艦「加古」は額の汗をぬぐいながら、大きく息を吐いた。拭った手のひらは煤で黒く汚れている。迫り来る熱気と焦燥の中、ただひたすら苦しみに耐えていた。立ち込める煙と息苦しさに、むなしくも目頭が濡れる。
「加古、立てるか?」
寄ってきた日向が崩れ落ちた加古の腕を取る。膝がガクガクと震えていたが、太ももを叩いて無理やりにでも喝を入れ直した。
「へばってなんかられねぇよ。あたしは、雷雲戦隊の副艦「加古様」だぜ…」
日向の肩をつかんで体を起こす。それと同時に自分の後ろの缶が甲高い悲鳴を上げた。日向の表情が曇る、加古は急いで缶を覗き込んだ。湧き上がる煙に手でとっさに顔をかばう。こんな時に限って缶の不調が続いていた。状況には一刻の猶予もない。
「初霜、コイツはあたしに任せろ。お前は表に出てくれ」
弱々しく頷いて走って行く初霜を見送り、加古は故障した缶と対峙する。予定の補給隊がかなり遅れていた。あちらの状況も大方把握しているつもりだ。苦しいのはどこも同じだ。
「旦那、瑞雲からの情報は?」
日向は加古に背を向けたまま小さく首を振る、
「すまん、二人を見失った。ただ、反応自体は依然動かないままだ」
くそっ!
初霜が表と合流すれば少しは時間稼ぎになるはずだ。しかし、こちらから動きださなければ結局はじり貧である。こちらに次弾が無いと知れれば奴らは容赦無く雪崩れ込んでくるだろう。そうなる前に、内側だけで決着(ケリ)をつけなければ…。
「姉御っ!」
「加古さんっ!」
驚いて顔を上げる。遠くから走ってくるのは神通と江風、補給隊の二人。間に合ったのか…。
「遅くなりました!」
二人がどかんとドラム缶を下す。素早く中を確認して、加古は安堵のため息をついた。
「どこから持ってきた?」
神通と江風は顔を見合わせて、小さく舌を出す。
「お隣さんの補給から」
「バカ野郎!最高だぜお前ら!」
ドラム缶の一つは日向が抱える。その背中は、大群が待つ最前線へ。加古は奥歯を噛み締めた。雷雲戦隊はまだ終わらねぇ、ここから快進撃だ!
「はいよー!バターとキャラメル販売再開!押すな押すな押すな!アツアツできたて!ポップコーンは逃げないよ!」
「初霜、表の商品全部さばいていいぞ。できたて直ぐ準備できるから、10分で新品と入れ替えられるように列調整しとけ」
「神通はキャラメルの様子見てくれ、固くなってくるようなら一度火を入れ直す。タネも足していい」
「江の字は売り歩き始めるぞ!準備しとけ」
「おう!」
「さて…と」
てきぱきと指示を出し、加古は再度ポップコーンの缶と向かい合う。
現時刻一一○○。観艦式が始まったのは朝10時からだが、皆9時近くから騒ぎ始めるので、実質もう開店から2時間が経過した事になる。
売り上げは上々。
オードソックスなバターを先頭に、甘味のキャラメルも延びがいい。そして加古の目の前にあるコイツ。加古はこつんと缶の端を指の背で叩いた。
コイツの中身は今日の新作チーズ味。ポップコーンのタネと一緒にチーズを溶かして、表面をコーティング。あつあつとろーり、食欲をそそる香りで集客万歳!の予定だったのだが…。
「すげーコゲるぞ、コレ。どうなってんだ」
缶の底には真っ黒に変色したチーズがカチカチにこびりついている。
どうなってやがる。初霜が作ってた時と火力は変わってねぇ。使ってる缶も同じ、環境も同じ、材料も同じ…。頭を抱える。焦りと、むせ返るポップコーンの香りで頭がおかしくなりそうだ。
「日向様っ!一度に作る量が多すぎますっ!」
自分の隣で初霜が声が上がった。今日向が対応しているのは、一番人気のバターである。
「し、しかし、タネの量は予定通りだぞ」
料理に不慣れな日向は、とりあえず量!という事で一番サイクルの速いバターを延々と作り続けている。分量は全て初霜持参の可愛らしいメモ用紙に綿密に書き綴られているはずだ。
この二時間延々とバターを作り続けていた旦那が、このタイミングで分量を間違えるなんて事があるだろうか?これは、まさか…。
「旦那悪りぃ、ちょっと味見!」
日向の缶から熱々のポップコーンを拝借し口へ。
熱っつ、じゃなくて…。
ゆっくりと噛み締め、味を確かめる。
(やっぱりだ…)
歯の裏についたバターをなめまわしながら頷いた。
わずかな違いだが、あたしの舌は騙せねぇぞ。塩辛いぜ、予定より。そして謎の分量の増量。
「旦那、全部の分量を1割ずつ減らして作ってくれ。味が落ちてるぜ、人気NO.1がこれじゃダメだ」
「お、おう」
旦那が確認しているメモを取り上げて、カウンター裏で素早くそれを書き直す。その際にちらと集客のリストを覗き見た。
(売り上げは時間がたつごとに増えるばかりだ。対応は早いに越したことはねぇ)
「初霜」
名取と共に表で客をさばいている初霜を呼び寄せる。
販売に関しては艦隊の皆が兼用しているのがこのポップコーンテントだが、商品の味に関しては初霜が頷いた物しか客には出さないというのが絶対のルールになっていた。
「この炎天下で予定の分量に微妙にズレが出はじめてる。バターは早く溶けちまって塩辛いし、チーズはバターが溶けるのが早いせいでコゲ付いちまう。キャラメルも固まりが悪いかもしれねぇ」
初霜は目を丸くする。
商品に関しては事前に鎮守府の施設を借りて念入りなチェックを行っていた。しかし、テントでの販売という当日の状況、そしてこの記録的猛暑がその計算を狂わせた。
加古が指でつかんだポップコーンを初霜の口の中に押し込む。ごくりと喉が動いて、まるで毒でも飲まされたかの様に、その表情がみるみる青ざめた。
「この短時間でこんなに味が変わってしまうなんて。バター補給隊が決死の覚悟で死中に活を見出してくれたのに。なんて愚か、なんて未熟…」
がくりと膝をつき、うなだれる。
「駆逐艦如きが給糧艦の真似事をしようとする事が、傲慢なる知恵の林檎だったというのですか…」
わなわなと両手を震わせ、自らを抱きしめる。小さなその体が、いっそう小さく縮こまって見えた。
「立ちやがれ!初霜!」
力なくうなだれる初霜を無理矢理立ち上がらせ、ばちんとその頬を叩く。初霜に現実を突き付けてなお、加古の目はまだ死んでいたなかった。
「しおれてんじゃねぇっ!お前が挫けたら全員おしまいなんだぞ!今すぐ全部味見して回れ、チーズはあたしが仕上げるから」
「し、仕上げるって…」
初霜の瞳に光が蘇る、視線の先の横顔はただまっすぐに、純粋にポップコーンと向き合っていた。
「なめんなよ」
風が、吹いた。
「あたしは、雷雲戦隊副艦「加古」様だぜ…!」
【どうでもいいこと】
幕間なのでゆるゆる。しばらく更新します。