丁嵐は気苦労の多そうなメガネの秘書艦と、その向かいで退屈そうに話を聞いている自分の秘書艦とを見比べた。
「このコは古鷹。アタシの秘書艦。怖がらなくても噛み付いたりしないわ」
古鷹が小さく頭を下げる。
そんなやり取りをしている間に、丁嵐はシェルフの下からドリッパーと真っ黒な瓶を取り出した。瓶は不透明で中が見えないが、流れ落ちる砂のような音からどうやら砕いた珈琲豆のようだった。
「古鷹もたまには珈琲にする?」
「頂きます」
そう言って古鷹がサーバーとドリッパーの合わせ目を手で押さえた。布製のフィルターに粉を入れようとしていた丁嵐が、それを見て苦笑する。
「アタシにも格好つけさせてよ」
「いえ、提督はいつも豆をこぼされるので…」
「恥ずかしいじゃない、もう」
古鷹の抑えたフィルターの中に丁嵐が砕いた豆を注いでいく。
提督と秘書艦の微笑ましい光景。そう見える。この二人が、
大淀は出かかった舌打ちを噛み殺して、苦々しくその光景を見つめていた。
異様、異質、悪質で醜悪。吐き気がする茶番。何もかも
(今目の前にいるコイツが軍人殺しの実行犯。丁嵐が黒かろうが白かろうが、コイツが直接手を下したのは紛れもない事実)
「冷めないうちにどうぞ」
松崎と大淀、そして古鷹の前にカップが置かれる。最後に自分のカップを持って丁嵐が席に着いた。
コーヒーを淹れる所はもちろんチェック済みだ。怪しい動きは無かった。私たちのコーヒーにだけ何かを入れるようなしぐさも、ここから見る分には問題なかったはずだ。しかし、カップそのものに細工がされていた可能性などはわからない。
大淀が思案していると、テーブルの中央にふわりと一枚のハンカチが置かれた。レースがひらひらと喧しい、とても男物とは思えないハンカチ。取り出した本人の丁嵐は、それを薄く広げた。
彼の指がハンカチの上に置かれ、ゆっくりと離れる。ハンカチの上に残ったのは砂糖で形作られた「妖精さん」の人形だった。
「か、可愛い。
大淀の素直な意見がこぼれる。それに丁嵐は困ったように笑った。
「大したものじゃないのよ。
「しょ、少将がご自分で作られたのですか!?」
小さく手を振ってそれを否定する。
「まさか、妖精達が作ってるのよ。シュガードールって、アタシが元々こういうのが好きだったからかしらね。
そう言いながら砂糖人形を並べていき、話し終わる頃にはずらりと20体ほどの妖精がテーブルの上でポーズをとっていた。人形の服装はひとつひとつに違いがあり、ディフォルメのきいた表情や動きはとってもキュートだ。
大淀はまるでショーケースの中の宝石を眺めるように、キラキラと目を輝かせた。
「あの妖精にこんな繊細な作業をさせるなんて…」
「妖精達は好き勝手やってるだけよ。彼女たちは「技術の神様」なんだから、「芸術の神様」にもなれるとアタシは思ってるわ」
そう語る丁嵐の表情からは妖精達への慈しみが感じられる。軍が利用している妖精に対し、あくまでも神聖なものとして扱うその精神は軍人としては特異な物だといえる。反して、正面に座っていた松崎はあくまで現実的だった。
「妖精さんの制御ですか…。誠さんは根っからの「提督」ですねぇ」
「何よそれ、嫌味のつもり?」
鎮守府の「作業」を行う技術者たち。その実動隊とも呼べるのが「妖精」である。身長10cm程度の人型のそれは、人外の生物であり、人知の及ばぬ「上位」の存在であると定義されている。記録では深海棲艦よりずっと昔から地球上に存在していたとされる「神」の片鱗である。
妖精たちは人外の技を用いて、「創造」と「制御」を行う。深海棲艦という敵性生物が現れた時に、真っ先に人間が目をつけたのが妖精であった。妖精の技術力を使って深海棲艦と戦わせようとしたのだ。しかしその計画は失敗に終わる事になる。
妖精たちは人間の命令を聞く事が無い。彼女たちは自らの能力を自らの望むように使うだけだ。それが兵器製造であれ、飛行機の操縦であれ、彼らは人間の命令に従って動く事は無かった。
その代りとして「仲介役」が作られた。人間と妖精の中間の存在。すなわち「艦娘」と呼ばれる人間兵器。人間と上位の存在とを掛け合わせたハイブリット。その完成の為に表に出せぬ裏の実験が何度も繰り返された。軍部の二大派閥のどちらもが技術者達の系統を源流とするのは、つまる所こういう理由が大きい。
「妖精の制御」こそ、今の海軍に求められた最終目的であった。
もちろんこれは、とびきりなスピリチュアル思考を持つ「大島派」の意見であるという事だけはつけ加えておく。
「いやあ、可愛いらしいですねえ」
並べられた妖精をつまみあげて松崎がつぶやく。そして言葉とは裏腹に、何の惜しげもなくそれをコーヒーの中に放り込んだ。人形が熱に溶け、カップの中で体が二つに砕ける。その姿が完全に溶けきる前に、松崎は新たな人形をつまみあげて、折り重なるように投下した。
「ちょ、提督…」
大淀の制止も聞かず、松崎は次々と人形をコーヒーに溶かしていく。10秒もしないうちにテーブルの上を彩っていた妖精たちは、黒い泥水に浮かぶ泡粒へと代わってしまった。溶けきらなかった砂糖の塊がコーヒーの上に白い幕として浮かんでいた。それを美味そうに喉に流し込む。
「こんの男…」
眉をしかめる大淀に対し、丁嵐は気に留めた様子もなくコーヒーに口をつけていた。