「重巡の枠が決まったらあたしに教えてください。そいつから力ずくでもぎ取ってやりますから」
加古はそう言って医療の仕事に戻って行った。
加古が所属する「医療」は軍が所有する緊急医療チームの事である。正式名称「軍事医療情報技師第二部隊」。医療は直接負傷者を助けに出撃する現場部隊であり、負傷者の搬送やとっさの応急処置を担当する。大がかりな手術や特殊な薬品を扱うものが第一部隊。彼らは「医師」と呼ばれる。艦娘の健康管理や維持は第三部隊の仕事で、彼らは「医事」と呼ばれている。
医療は軍医部隊の中でも最も行動的で、戦線を離れたが体力を持て余している元艦娘が務める事が多い。千歳は医師の所属だが、チームの命令で動いている訳ではなく、「技師」と呼ばれる艤装管理者達と艦娘とをつなぐ仲介役を主な仕事としている。
対して日向は仕事が無かった。
いや、演習大隊旗艦というこれ以上ない大役があるのだが、緊急出撃から帰投した今、早急に対応を求められる任務などは負っていなかった。
「腹減ったな…」
だらしなくおっぴろげた腹をなでる。
最近ずっとこの繰り返しだ。
昼間の間は陽向でぼうと過ごし、朝なのか昼なのかよくわからない食事をとりながら、一日のスケジュールを考える。
ぼんやりと演習の事を考えながら食堂へ向かう。
元初霜の職場だが、今彼女がいない事がわかっている。むしろ他の場所よりも偶然出会う事が無くて気が楽だった。
時間はちょうど12時を回ったところだ。モーニングは終わっているが、昼食にはまだ早い。観艦式前で忙しい鎮守府なら人は少ない時間だ。
暖簾をくぐると、早速給仕をしていた伊良湖にじろりとねめつけられる。それを軽くかわしてカウンターへ。中で調理を担当していたのは日向の思いもしない人物であった。
割烹着を来た大柄な少女が、カレーの大鍋を覗き込んでいる。その背中に向け、カウンターに肘を置いて声をかけた。
「比叡」
「なっ!」
熱心にカレーと向き合っていた女性は、日向の声に気付くと大仰な動作で振り返る。割烹着に包まれていても目立つ長い脚。スポーツ選手のような研ぎ澄まされたスタイルを持つ彼女の名は「比叡」。高速戦艦姉妹の次女。榛名の姉にあたる艦娘だ。
彼女は全身割烹着姿の恋女房スタイル(命名江風)で、ご自慢のツンツン髪は丁寧に三角巾で包まれていた。
「出やがりましたね、日向コノヤロー!」
比叡は日向に向き直るなり、手に持っていたおたまを勢いよく突き付けてきた。飛び散ったカレーが周囲に散乱する。
「貴女にふるまうカレーは無いわ!帰りなさい!この鉄クズ」
早々な物言いに、日向は腹が立つどころか困惑の色を見せた。それでも、彼女がどうやら自分を嫌っているという事だけはわかった。
鉄クズ、鉄クズね。榛名に言われ慣れてるからな、もう憤りを感じる事も無いさ。
日向は冷静な頭で努めて紳士的に口を開いた。
「食い殺すぞ雑魚…」
「ヒエッ…」
一瞬にして比叡の顔が青ざめる。
ぷるぷる震えるおたまの先をかろうじで抑えて、気を取り直したように、フッとニヒルに笑った。
「な・ん・てー。ビビる訳無いじゃん、ビビる訳無いじゃん、ビビる訳無いじゃーん。バーカ!アホ!死ね!帰れ、帰りなさい!シッシッ!」
「お姉様うるせぇ」
「げぇっ!榛名」
気が付けば、自分の隣にトレーを持った榛名が並んでいた。
比叡は榛名の顔を見ると、すぐさま口撃の照準を自分の妹艦に定めた。
「何しに来たのよあんたっ!」
「何しにって…、そりゃあアンタの不味いカレー食べに来たのよ」
比叡は怒りにまかせて持っていたおたまを激しく上下させた。
「不味くないもん、不味くないもん、不味くないもーん。そんな事言う榛名は霧島の作るよくわからないヌードルでも食べて一生おなか壊してろバァーカ!」
「ハラワタ食い散らかすぞ豚が…」
「ヒエエッ…」
青ざめた比叡がおたまを抱きしめながらぶるぶると震えている。
なるほど。
どうやら金剛型の二番艦は、妹である三番艦とは似て非なる性格の持ち主のようである。
「あら、大隊演習旗艦殿。早退組は暇でいいわね」
一通り遊んで満足したのか、榛名が思い出したかのように日向に矛先を向ける。普段ならすぐカッとなる日向であったが、先ほどのやり取りを見ていたせいか頭は驚くほど冷静であった。
「暇なのはお互い様だろう。大隊演習〝副〟艦殿」
「ぐぎ」
榛名が奥歯を噛み締める。
彼女の事だから「自分がお姉様の上に立つなんて~」などと言い出すかと思ったが、どうやら演習の『副艦』に任命されたのが腹に据えかねているらしい。敵とはいえ相手方の『旗艦様』相手に大きく出れないのも彼女の苛立ちに拍車をかけていた。
珍しく榛名を言い負かした快感に浸っていると、突如どこか懐かしい方向から声をかけられた。
「鉄クズっぽい。鉄クズひゅうがっぽい!」
突如向けられた中傷に、びきびきと日向の顔面が歪む。声のした方―榛名の足もと―を見ると、初めて見るちんちくりんが榛名の背中にしがみついて顔を覗かせていた。
長い金髪を左右に跳ねた髪型。血のように真っ赤な瞳が、興味深そうに日向を見上げていた。
「なんだ、その無駄に躾の行き届いた犬コロは」
榛名は日向の声には答えず、さっさとカレーを受け取って踵を返した。
「行くわよ、夕立」
「むぎー、ハルナ待つっぽいー」
夕立と呼ばれた少女はカレーを受け取って足早に榛名の背中を追う。まるで左右に振られる尻尾でも見えそうなその後ろ姿は、どこかあの初霜を思わせた。
「ぽい」
榛名がテーブルに着いたあたりで、犬の足が止まる。そして、ふいと日向の方を振り返った。ルビーのような赤い瞳に、金色の髪がかかる。まるで宝石のように美しい少女だった。
べー。
日向に見せつけるように舌を出す。いや、実際見せつけているんだろう。日向が軽くにらみを利かせると、速足に榛名の下へ帰って行った。
前言撤回。
初霜の方が100倍可愛い。