立ち上る雲―航空戦艦物語―   作:しらこ0040

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【なつのひ】

 私達は姉妹である事を捨てたんだ。

 

 私達は「日向様」と「初霜」になったんだ。

 

 伊勢が居なくなったあの日。雨が降りやまなかったあの日。みんな死んだあの日。私達は「対等」になったんだ。血の繋がりを捨て、命を賭して戦う為に。

 

 でも、それでも。

 

 もし貴女が私を呼んだ時。その時はいつでも、私は貴女の「お姉ちゃん」に戻るから。

 

 だから…『私を呼んで』

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん、か…」

 

 日向は中庭のベンチでひとりごちた。

 

 結局司令室での別れから初霜には会っていない。会いたくもなかったが、何より会えなかった。胃を痛めながら食堂に顔を出してみた事もあったが、いつものウェイトレスの姿はない。伊良湖曰く「なんか辞めて大変困っている」との事。会話中に厳しすぎる視線を向けられていた為、大方の事情は察しているようだ。

 

 私はと言えば、観艦式までの残り少ない時間をただ無為に過ごしていた。演習を諦めている訳でも、解体を受け入れている訳でもない。

 

 ただ、初霜の事ばかり考えていた。

 

 「離れてみて大事さがわかる」なんて稚拙な事を言うつもりもないが、初霜の事にふと考えが及ぶと何をする気にもならなくなってしまうのだった。あの日以来初霜に会えない事もそれに拍車をかけているのだろう。

 せめて初霜が私の側を離れ、誰かと仲良くやっているのなら気もまぎれる。しかし、以前付き合っていた誰もが初霜の姿を見ていないというのだから謎だ。

 

 今でも目を瞑るとあの足音が聞こえてくる気がする。

 私の後に続く、あの足音が。

 

 ほら、今日もまた…。

 

 脳裏に響く土を踏む音。幻の中の足音は、徐々に私に近づいてくる。パキンと木の枝を踏んだ時に、やっと幻でないと気が付いた。

 

「浮かない顔だねぇ、大将」

 

「…加古か」

 

 目を開けると見慣れた寝癖頭が目の前にあった。

 ベンチに寄りかかって空を見上げるその眼前に、覗き込むように首を伸ばしている。以前誰かにこんなことをされたような気がするが、うまく思い出せなかった。

 

「初霜にフられたんだって?」

 

「フったんだ。勘違いするな」

 

 加古は背もたれに手をついて、日向の隣に腰を下ろした。

 

「何にしろいつも側にあるもんが、急に見えないと心地が悪いもんさ」

 

「…ふん」

 

 「何をしに来たんだ」とは聞かなかった。邪険にするような間柄でも無かったし、気は立っていたが本心ではきっと誰かと話がしたかったのであろう。

 

 そのまま二人は何も言わずにいた。

 声の代わりに波の音だけが聞こえる。日向は再び目をつむり空を仰いだ。

 

「観艦式の、演習はどうすんの?」

 

 沈黙に耐え兼ねたかのように加古が切り出す。隣に座る日向は目をつむったまま答えた。

 

「…どこまで聞いている?」

 

 驚くべき事ではなかった。

 丁嵐に大隊旗艦を言い渡された後、鎮守府全体に大演習の詳細が告知されたのだ。演目の時間や当日のスケジュール。そして各大隊旗艦の名も。

 

「どこまでって、旦那が航空戦艦の【お披露目】をするって」

 

 今年の大一番に航空戦艦が見世物にされるのは周知の事実であった。

 

「…そうか」

 

 日向は軽く息を吐いて目を開けた。広がる青い空は、忌々(いまいま)しいほどに高く澄み切っていた。その横顔を不安そうに見つめる加古が、小さな声でぼそりと呟いた。

 

「あたしを、つれていっちゃあくれないか?」

 

「なんだと」

 

 驚いて頭を上げると、加古のまっすぐな瞳と目があった。

 

「艦隊が決まってないんだろ。あたしを重巡の枠に入れておくれよ」

 

 艦隊旗艦は提督の指名によって決定するが、艦隊編成は旗艦の自由に任されている。榛名と金剛の部隊に限っては、その類では無いようだが。

 

 加古は胸をたたき懇願するが、向けられた瞳の奥は言い様の無い不安に揺れている。自分を奮い立たせてはいるが、声の端が無意識に震えるのを隠せているとはとても言えないありさまであった。日向は首を横に振った。

 

「…だめだ。お前は「医療」が長い。昔の勘が戻っているわけでもないだろう」

 

 無理を推した出撃は甚大な事故につながりかねない。何より加古の様子を見るに、自分に自信があって出撃を望んでいるとはとても思えなかった。

 

「ただの【お披露目】じゃないんだな。勝たなきゃならない【勝負】なんだな」

 

 加古の瞳の色が変わった。日向はそれに気づかぬふりをして続けた。

 

「【決戦】だ」

 

 言葉の重みに、深い沈黙が広がる。その中で加古は日向が直接語らぬ何かに気付いたようだった。

 

「初霜には?」

 

「言える訳がない」

 

 即答する日向に、加古は苦笑した。

 

「たまには甘えなよ」

 

「初霜にはいい薬さ。あいつは「いい気」になってるんだ。私の悩みも苦しみも、全部ひっくるめて肩代わりすれば、私が自由に飛べると思っているんだ」

 

 日向が笑う。

 二人は気付いていなかった。

 

 重く、自らの生き死にの話をした後でさえ、初霜の名を口にすると自然に頬が綻んでいる事に。二人は気付く事はない。

 おそらく、永遠に。

 

「初霜は、本当に旦那が戦艦の新時代を切り開くと信じてるよ」

 

 加古の声に沿うように、一陣の風が舞い上がった。

 

「…」

 

 揺れる夏草を眺めながら、日向は再び目をつむった。

 

 風に乗ってこすれる葉の音に、過去の自分を想起させる。色褪せ、風化した過去。愚かで稚拙で未熟で、純粋で強かった自分。

 

 

『よく聞け初霜』

 

『はいっ!』

 

『この鎮守府で戦艦の新時代を築き上げる』

 

『私と、お前でだ!』

 

 

「旦那、初霜は…」

 

 日向は目をつむったまま手を挙げた。加古の言葉を遮るように伸ばしたそれを、小さく左右に振る。

 

「わかってる」

 

 ずっとあの少女といたのだ。

 そこまで、もうろくしちゃあいない。

 しかし…。

 

「わかっているさ…」

 

 吹きすさんでいた風は、いつの間にか降り注ぐ光の中に溶けている。凪いだ風と焦げた大地が、迫り来る夏の季節を感じさせた。

 


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