立ち上る雲―航空戦艦物語―   作:しらこ0040

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【おもいでのそら】

 頭の裏側で、ごうごうと風が舞っている。その音は深く深く、精神の奥から骨を伝わって体の中に響いてくる。ゆっくりと目を開ける。すると音が消える。

 不思議な気分だ。

 

「作業中はずっと目を瞑っている事」

 

 千歳はそう言って作業場の奥に消えて行った。それが今から約二時間前。日向は一人狭い部屋の中でずっと風の音を聞いていた。飛行機が風を切る音、カタパルトがはじける音、滑走路を走るタイヤの音。波と風。揺れる視界。大声で合図を出し合う男達。目を瞑るとあらゆる光景が瞼の裏に写り込んだ。

 

 日向は音も光も遮断された部屋の中で、小さな椅子に腰かけていた。しかし、音も景色も見えている。目を瞑ればまるで目の前に広がっているかのような鮮明な光景が移り込む。音も間近に聞こえる。しかし、本当は何もない、真っ暗な部屋の内側でただ座っている。

 不思議な気分だ。

 

 この部屋は千歳曰く只「暗室」と呼ばれている部屋らしい。近代化改装を控えた艦が艤装の改装がひと段落つくまでの間、この部屋で精神統一を行う。らしい。

 千歳から聞いた事が全てなので詳しくはわからない。何故私の頭の中にこんな記憶があるのか、この部屋は何故それを増長させるのか。知らされていないし、きっと千歳も知らないのだろう。

 私は2時間前に暗幕の外に消えて行った友人の事を考えていた。

 

 

 

「航空戦艦になるぅ!?」

 

「ああ」と日向が改めてそう告げた時、そんなのお構い無しとばかりに千歳は声を荒たげた。

 

「あんたねぇ、あたしの言った事まっっったく聞いてなかった訳!?」

 

「もちろん聞いていたさ。その上での結論さ」

 

 千歳の狼狽ぶりに比べ、ベッドに腰掛けた日向は落ち着いている。よほど気に入ったのか手のひらで瑞雲を弄び、指でプロペラをくるくると回した。

 

「…何か思いついたのね。言って見なさい」

 

「これさ」

 

「瑞雲?」

 

 手の中で光る鈍い緑色の輝きを、窓から差し込む夕日に透かす。満足そうにうなずいて、日向は続けた。

 

「そうだ。爆弾を詰める水上機を中心に航空隊を組む。それなら甲板に着艦できなくても、海面に着水した直後に僚艦に拾わせられる。トンボ釣りの要領だな」

 

 航空戦艦の短い甲板では、艦載機を着艦させる事はできない。それは今まで何度も議論してきた事だった。しかし水に浮けるフロートをもつ水上機なら、甲板に着艦しなくても安全に着水ができる。それを後から回収すれば、飛行機の消耗なく作戦行動を行える。

 もちろん随伴艦は必要になるが、空母でなければいけないなどという縛りは無い。駆逐艦や巡洋艦、戦艦だって水面の飛行機を拾い上げる事ならできるはずだ。

 

「それで?」

 

 千歳はまったく納得した様子無く先を促した。いくら落水の心配がないからと言って、広い海の中で長時間水上機を浮かべている訳にはいかない。作戦も回収もスピード勝負。編成や作戦状況によっては多くの水上機が犠牲になりかねない。いや、水上機ならともかく回収の為に艦娘そのものが危険を冒す可能性だって出てくる。

 しかし、日向はなんでもないといった風に首を横に振った。

 

「それだけだ」

 

「おい」

 

「そう怖い顔をするな」

 

 向けられた視線を軽く受け流し、日向は唇を尖らせる。

 

「やれる気がするんだ、瑞雲(コイツ)とならな」

 

 日向は暗室の闇の中で、深く息を吐いた。

 しかしあの千歳が自分の立会人を買って出るとは意外だった。

 

 彼女は医務室で日向の申し出を聞くと、手に持った一升瓶をぐいと呷った。豪快に瓶を持ち上げ、ぐいぐいと中身を減らしていく。口の端からあふれ出た一筋を豪快に拭い取り、大きな音を立て一升瓶を床に叩きつけた。

 

「馬鹿、馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿!バッカバカよアンタ!この大馬鹿!」

 

 千歳は思いつく一通りの罵声を日向に浴びせると、急に冷静になって唇に手を寄せた。しばしの思案の後、告げる。

 

「アタシが面倒見るわ。すぐに準備なさい、技師達の気が変わらないうちに」

 

 そう言って病み上がりも気にせずここまで連れて来られてきた。提督の許可は要らないのかと聞けば、工員達はすでに提督から指示を受けて作業の準備を進めていたという。てっきり彼に言われてここに来たのだと思ったと笑われてしまった。

 あの男の思惑通りに動かされていると思うと癪だ。そういえば千歳によれば、医務室の瑞雲はあの男が日向が目覚める前に置いていったものらしい。ますますあの男の得意面が目に浮かぶ。瞳を閉じてため息をついても、頭に浮かぶのは見知らぬ空の光景であることだけが唯一の救いであった。

 

 青い空と反射し合う甲板の上、軍人と思しき男達が巨大な布の塊のようなものを運んでいる。船は基地に停泊していた。甲板の上に戦闘機の姿は無く、波も穏やかだ。男達の表情もどことなしか陽気な色が目立つ。そんな光景を見渡せる甲板のど真ん中に、ぽつんと佇んでいる。

 ぐるりと世界を見渡すと、遠く海岸線で何かがきらりと光った。ふと、視界が陰る。上空を一機の飛行機が通過していった。

 戦闘機だ。驚くほど薄い羽と、しなやかなフォルム。飛び去っていく後姿は山の合間に消えていく。ぼうとその余韻を眺めていると、突如背後でテーブルをひっくり返したような騒音が響き渡った。

 

 大勢の足音が響く、爆発と悲鳴。熱気と友に、体内からぞくりと広がる悪寒。背後を振り向く事ができない。そうしよう力を込めても、足が棒のように固まって動けない。ガラスがはじけ、何か棒のようなものがメキメと音をたてて倒れる。悲鳴と共に水に飛び込む音、そして最後に「カチリ」ととても嫌な音が煙の中から聞こえた気がした。

 

「ぅが…、日向っ!」

 

「……!」

 

 目の前にはあの狭い暗室と、勢い良く肩をゆする千歳の姿があった。

 

「少し、眠っていたみたいだ…」

 

 額の汗をぬぐい、びっしょりと手を濡らす。千歳の肩にもたれかかるようにして、ゆっくりとタラップを降りた。暗い部屋の外が震えるほど寒く感じる。よろよろと工廠内を歩き、むき出しの鉄塔に寄りかかりながら、ずるずると床に腰を下ろした。

 

「相当参ってるわね」

 

 千歳が水の入ったペットボトルを差し出す。日向はうつむいたままそれを受け取った。

 

「何なんだあれは。夢か幻か、それとも…」

 

 日向は暗室で見た光景の一部始終を話した。見知らぬ土地、場所、船の上、泥だらけの男達、青い空、飛行機、爆発、騒音、狂騒、死。黙って話を聞いていた千歳は加えたタバコの先に安物のライターで火をともした。

 

「それが、「航空戦艦」なのかねぇ」

 

 鉄塔に寄りかかったまま、千歳はワンカップのふたを持ち上げた。

 

旧戦(かこ)の記憶…」

 

 日向がうなだれたまま返す。あごから滴った汗が、床の上に落ちて水たまりを作っていた。

 

艦娘(あたしら)が過去の軍艦を元に設計されてるのは、今更言うまでも無いわね?でもね、その再現の為には当時の資料や生の情報が沢山必要なの」

 

「そんなの軍の資料を漁ればごまんと出てくるだろう」

 

 今の世の中、情報なんてそこかしこにあふれている。軍事資料館や相応の専門機関など、過去の遺産を残す専門の施設だってある。日向だって、提督の話を聞いてから、鎮守府の図書館で何度も日向(じぶん)の事を調べた。しかし千歳は渋い顔をして手に持ったカップを揺らして見せた。

 

「そうでもないのよ。当時は情報管理もびっくりするくらいずさんだったし、しかも日本は敗戦国で隠蔽や証拠隠滅の為に沢山の資料を破棄している。現代で確認できる事なんて上っ面だけ、生の情報となると尚更よ」

 

 日向は千歳の特異な言葉遣いに目を細めた。

 

「そもそもお前の言う「生の情報」とはなんだ?」

 

 日向が問う。千歳は言いずらそうに、肩をすくめた。

 

「それが「暗幕の中の世界」よ」

 

「航空戦艦の記憶?」

 

「あんたが見たのは戦艦や戦闘機の姿だけ?」

 

 日向は少し考えた後、首を横にふった。

 

「いや、武器を取る人々の姿や戦闘機に乗り込む兵士達。それから…」

 

 日向は苦虫を噛み潰したような顔で、忌々しげに吐き捨てた。

 

「気持ちの悪い精神」

 

「戦争で戦った人達を侮辱したくなるでしょう?」

 

 千歳の言葉が、ずしんと胸にかかる。

 嫌になるくらい健全で、堂々とした「殺しの精神」。それが戦争の記憶。

 何故ああも簡単に人を殺し、そして死ねるのか。いや、簡単なはずが無い。しかし彼らは殺しも死も「戦争」として受け入れ、驚くぐらいそれに納得している。重圧も恐怖も全てを内に秘め、勝利の名の下に結託している。日向のような何の思想もない餓鬼だって、上っ面だけで「そんな気」にさせられる。国、思想、勝利、敵。国を守り、殺し、殺される。まるでゲームのストーリーみたいな光景に、大の大人が躍起になって命を賭けている。やはり、異様だ。

 

「人間同士っていうのは実に歪だ」

 

 日向の呟きに呼応するかのように、工廠の天窓から風が抜けて行った。走り抜ける風が日向と千歳の間の淀みを連れて、二人の髪を揺らした。

 千歳は気持ちよさそうに風を受けながら、日向を見下ろし唇をゆがめた。

 

「そこまでにしときなさい。命は尊い、戦争は悲しい記憶。それでいいのよ。思い出しすぎるのも考え物よね」

 

 吐き出した紫煙が風に乗って流れていく。

 

「で、あの記憶を資料にして艤装に反映するのか」

 

「そこから先は妖精達の仕事だから詳しくは無いけどね。大方間違っていないと思うわ」

 

 


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