半端者   作:ろあ

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再会

「それじゃあ、始めるね」

 

 妖夢は闇の中に自分の声を聞いた。

 

「うん」

 

 それに答えるはあの娘の声。しかし、その姿はどこにも見えない。

 

「時は元弘。えっと、まあ今から何百年も前の話だよ」

 

「やめて!」

 

 妖夢は自分の声に割り込みながら、必死で暗中をまさぐり続けた。

 

「その年は流行り病でたくさんの人が死んでしまった年でした。人々が悲しんでいると、都の御殿に一羽の鳥がやってきます」

 

 覚えている。この会話が続いたとき、自分が何を言うことになるのか。その言葉を飲み込ませるため、妖夢は声の主を探し求める。

 

「ふーん。ねえねえ、お姉ちゃんも妖怪退治とかできるの? 剣でズバーって!」

 

「やめて!」

 

「もちろん……」

 

「やめて! やめてやめてやめてやめてやめて!」

 

「……悪い妖怪はお姉ちゃんがみんな斬っちゃうよ」

 

 途端、立ちのぼる火柱によって視界が与えられた。火柱の中には娘の姿。炎に焼かれて爛れた娘の顔が、次々と形を変えてゆく。娘の父親の顔、魔理沙の顔、幽々子の顔、幼い頃の自分の顔。

 ごうごうと燃えさかる炎の中で、娘の唇が言葉を紡ぐ。「ウソツキ」と言っているように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 見知らぬ天井。布団の上。衝立で区切られた空間。金属音。多分耳鳴り。窓から差し込む強い光。脳に刺激。フラッシュバック。頭痛。眩暈。胸のムカつき。胴の蒸れ。痒み。腹に包帯。鼻を刺すような薬の臭い。

 

「……最低」

 

 身を起こす。刺痛。窓から見える風景。日常の光景。定食屋の店主が看板を裏返す。

 

「……最低」

 

 妖夢は吐き捨てるように繰り返した。

 

 

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、中年の男が入ってきた。

 

「気がついたかね?」

 

 男は妖夢の傍に静かに腰を下ろす。

 

「私は医者だよ。君がここに運び込まれたのは、昨日のことになるね」

 

 妖夢は僅かに顔をしかめた。

 

「ああ、すまないね。きっと怖い思いをしただろう。安心しなさい。もう騒ぎは収まっているよ」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 それから軽い診察があった。医者が体温や心拍数の低下を症状に加えそうになったので、妖夢は自分の体質について説明した。それを聞いた医者はしばらく悩んだ後、結果を告げる。症状は肋骨の損傷。折れてはいないがひびが入っているようで、常人であれば安静にして全治二週間ほどになるという。

 そこまで伝えたあと、「さて」と言って医者は腰を上げた。

 

「実は君に会いたがっている人がいてね」

 

 頭にいくつかの顔が浮かぶ。魔理沙やあの娘の両親、あるいは結界が破れた今では幽々子の可能性もある。どれも今は会いたくない相手だった。

 

「はあ。えっと、どなたでしょうか?」

 

「君をここまで運んでくれたお侍さんだ。昨日から一晩ここで君の目覚めを待っているんだが、通しても構わんかね?」

 

 妖夢は内心でホッとした。

 

「はい。お願いします」

 

 医者が下がり、別の男がやってくる。衝立を回って目の前に現れた男の姿を見たとき、妖夢は反射的に背筋を伸ばした。

 男の見かけは中年から初老といったところだろうか。蓄える髭も束ねた髪も、一本残らず全て白。土色の肌に見える乾きはその年輪を物語るが、一方で広い肩幅と逞しい肉づきは若者のような力強ささえも感じさせる。頬の出張った、武骨な長面。眉間に皺。その下で冷たく光る青い瞳。苛烈さに満ちた眼光に、周囲の空気が張りつめる。

 男が腰を下ろしたのを認めると、妖夢は体が痛むのにも構わず深々と頭を下げた。

 

「お久しぶりです、お師匠様」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 この男こそは魂魄妖忌。妖夢の祖父であり、妖夢に剣の道を示した恩師である。

 白玉楼を去ってから五年、妖夢にとっては想像以上に早い再会だった。

 五年ぶりに見る師の姿は立派なものだったが、しかしどこか物足りなさを感じた。自分が大きくなったためか、あるいは師の肩の荷が降りたためか、五年前に比べて放たれる覇気の総量が減っているように思えるのだ。ただ反対に、その刺すような鋭さは確実に増している。それは決して五年の月日を隠居者として過ごした者に出せるものではない。

 

「またこうしてお会いすることが……」

 

「黙れ」

 

 妖忌が口を開いた。重々しい声が、妖夢の言葉を断ち切る。

 

「お前の話など聞きとうない。儂はお前に用があって目を覚ますのを待っておったのじゃ」

 

 妖忌は妖夢の枕元に置かれた二刀に目を遣りながら続けた。

 

「その剣、返してもらう」

 

「そんな!魂魄家の今の当主は私です。この剣はあのとき確かに私にお譲り頂いたはずです。それをどうして今更?」

 

「昨日の戦い、見させてもらった。何とも無様なものじゃ。あのような雑魚に後れを取るなど、笑止千万。この五年、一体何をしておった?何も変わっておらん。ちょいと体が大きくなったばかりで技の冴えは昔のまま、いや、昔の方がまだマシじゃ。煮え切らぬ太刀筋、迷った足捌き。それで魂魄家の当主じゃと?面汚しも甚だしいわ。五年前にお前に家督を任せた儂の目も、とんだ節穴よ」

 

 妖忌が目を細める。

 

「お前はその剣を握るに値せん」

 

「あ……」

 

 突きつけられた。弁明もできないほどに。叩きつけられた。反論の余地もないほどに。

 当然だ。誰に言われずとも分かる。妖夢はあらん限りの醜態を晒した果てに、ここにいる。

 

「嫌です……お願いします……」

 

 ただの懇願。玩具を取り上げられる幼子のような無力さ。

 妖忌は苦虫を噛み潰したような顔で妖夢の前髪を掴みあげた。

 

「ええい、やめんか。みっともない」

 

 溜め息。妖忌には似合わない仕草。

 

「とはいえ、儂とて一度弟子と定めた者をこの様で放り出すわけにはいかぬ。お前がまだ剣を握ると言うのであれば、鍛えなおしてやるのも吝かではない」

 

「では、また白玉楼で……」

 

「いや、儂は戻らん」

 

「え……」

 

「お前が儂と共に来るのじゃ」

 

「それは、一体いつまででしょうか?」

 

「いつまでも、終わりなどない。儂が死のうが、お前が白玉楼に戻ることは許さぬ。あの屋敷に残したお前は堕落した。帰せばまた同じことを繰り返すのは自明の理。儂と共に来るのなら、白玉楼には戻らぬ覚悟で来い」

 

 白玉楼を去る。主人と別れる。考えたこともなかった。

 自分にとってあって当然の、そして無くてはならないものだった。外の世界を知って初めて分かったそのありがたさ。絶対的な安心が約束された、心の拠り所。全てをかけて仕えるべき存在。

 今回の一件についても、自分の気持ちに整理がついたら必ず戻るつもりだった。二人の間に知らず生じていた綻びを繕い、よりよい関係を作る。この孤独はそれに至るための試練だ。これまでの時間をあの別れで終わらせることだけは、絶対に許せない。

 

「できません。私には白玉楼を……幽々子様を捨てることなどできません。お師匠様も一度は幽々子様に忠義を誓ったはずです。どうしてあの日、何も言わずに行ってしまわれたのですか?」

 

「高みを目指すためじゃ。剣と忠、二君に仕えることはできん。剣とは力とは、ときにそれそのものが目的となることもあるのじゃ。あの日白玉楼を去ったのは、お前に務めを任せて己の道に生きてもよい頃合いと思うてのこと。それがこのような結果になるとは思うてもおらなんだがのう」

 

 妖夢は驚くほどの符号を感じた。謎の失踪の答えは、今の自分のすぐ近くにあったのだ。ともすれば自分が師と同じ答えに辿り着いた可能性も否定はできない。

 

「お師匠様の仰ることは理解しているつもりです。ですが私が白玉楼を去れば、誰が幽々子様をお守りするのですか?」

 

「知ったことか。儂は忠の道を退いた身。義などと説かれたところで、痛む心など持ち合わせておらんわ。たとえ修羅に堕ちたと謗られようが、構いはせん」

 

 そんな馬鹿な話があるか。そう思った妖夢だったが、自分もまた主を己の妨げとして斬り払おうとした身である。師の行いを責めたてることはできない。修羅は己の中にも住んでいる。

 

「お師匠様はそれでよいのかもしれません。ですが私は何があろうと白玉楼に戻る所存です」

 

「であれば、剣は返してもらおう。その白楼剣は我が至宝。覚悟の無い者が握ることなど、儂が許さん。お前は良き担い手になるかと思うておったが……口惜しいが、儂の間違いと諦めるよりほかあるまい。剣を捨て忠に生きるのがお前の道というのなら、その剣と魂魄家当主の名は再び儂が担うまでの話」

 

 剣を失う。家督を手放す。考えたくもなかった。

 これまでの人生を捧げてきたもの。これからの道を示すもの。自分の誇り。自分の在り方。敗北を重ねる度、悔しさを知った。同時にそれだけ自分が執着していることも。

 剣を失いただの庭師として白玉楼に戻る。どれだけ熱心に仕事をこなしても、きっと残る。あの悲劇の引き金となった、飼い犬のような居心地の悪さ。

 時が経てば慣れるものかもしれない。しかしそれに順応して生きる人生は、少なくとも今の自分にとって不幸せな人生だ。

 

「できません。それも、できません」

 

 恥も外聞も無かった。我儘に過ぎないと分りながらも、それが今の妖夢の心情だ。

 目を合わせて数秒、沈黙を破ったのは妖忌の方だった。妖忌はまた一つ、溜め息をついた。孫娘の駄々に辟易する、ごく普通の老人のように。

 

「まあ、そう言うとは思っておった。ぜんたい、この場で決めろというのも無理な話じゃろう。これも儂の早計が招いたこと。お前が儂の轍を踏む必要もあるまい」

 

 妖忌は妖夢の腹に目を落とし、続ける。

 

「怪我のことは医者から聞いておる。お前なら数日で治るじゃろう。それまでは待ってやろう。この里を出て道なりに進んだところに、儂の家がある。一週間後の日没までに、訪ねてこい。答えはその時に聞かせてもらうとしよう」

 

 妖忌はそう言って立ち上がると、最後にもう一度だけ刀に目を遣った。そしてそのまま何も言わずにその場を去っていった。




第二章「広有射怪鳥事」はこれにて終了です。
近いうちに活動報告を更新しますので、よろしければご一読ください。



挿絵 借用データ(敬称略)

MikuMikuDance:樋口M
MikuMikuEffect:舞力介入P
PmxEditor:極北P
Aviutl:KENくん

魂魄妖夢:アールビット
魂魄妖忌(妄想):閑杉

飯屋修正:那由多

Godray:ビームマンP
Adjuster:Elle/データP
かっつりトゥーンシェーダー:ビームマンP/less
Diffusion:そぼろ
Croquis改:less

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