半端者   作:ろあ

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さくらさくら

「ここまでは大体あっちから聞いた通りだねえ。それで、そっからはどんな具合だい?」

 

 霧立ち込める三途の川。小町が漕ぎ手を務める船には、妖忌の姿があった。彼岸帰航の舟唄に、死者はその生を振り返る。

 

「白玉楼に連れ戻されてからの時間は、儂の人生で一番の苦節じゃった。残してきた妻にも、心からの忠を尽くせぬ幽々子様にも申し訳が立たん。自らを歪な立場へと追いやったそれまでの愚を何度呪ったことか」

 

 漣のしじまに櫂が軋む。

 

「義に人に縛られ生きる苦しみが、儂には耐えられなんだ。お前が妖夢を連れてきたとき、儂にはあれが罰に見えた。儂の過失が一人の人間となって歩いている。青白い顔で、魂を漏らしながら、何も知らずに儂を祖父と呼び慕う。すぐにでも叩き殺してやりたい気分じゃった」

 

 魂が洗い流されるのを前に、妖忌はいつにない多弁を見せた。穏やかな目で、晴れやかな面持ちで、妖忌はすべてを打ち明ける。

 

「じゃがあれは長じるに従い妻に似た。鍛えるに従い儂に似た。師として弟子の先を歩くとき、儂もまた己を高めることができた。儂は次第に妖夢を愛し、育てることに生きがいを見出した。後悔ばかりの過去は意味あるものに変わった。儂の人生は妖夢によって救われ、赦されたのじゃ。あの日の選択さえ、認めることができた。迷いは、幽々子様への未練は容易く断たれた。そして儂は全てを妖夢に託し、妻と過ごした家で骨を埋めるまでの余生を剣に捧げた」

 

 霧の向こうからぼんやりと赤。船旅の終わりを告げる花の色。

 

「最後にひと悶着あったが、なに、見るべきものは見た。あれならこの先も上手くやるじゃろう。未練があるとすれば、せいぜい嫁入りくらいの物かのう」

 

「ははは。爺さんあんた、そりゃ流石に贅沢ってもんだよ」

 

 やがて船は岸へ着き、妖忌は彼岸の地を踏んだ。

 

「のう死神。最後に一つ、頼まれてくれんか?」

 

「最期ならごまんと見たよ。いまさら一つくらい、安いもんだ」

 

 妖忌は小さく肩を上げた。

 

「妖夢のこと、これからも気にかけてやってくれ」

 

「なんだい。そんなことなら頼まれなくたってやってるよ」

 

「そうか。恩に着る。では、行くとするかの。何から何まで、世話になったな」

 

「いいってことよ。お互い様だ」

 

 小町は船を出すと、離れてゆく背中を見送りながら呟いた。

 

「やれやれ、今日はこのくらいで終わっとくかねぇ」

 

 

 

 

 

 

 

 あれから十日ほど経った。

 妖夢の傷は快方へと向かい、まだ稽古にこそ戻れないものの既に起居には支障が無い。今は軽い作業で少しずつ体を慣らしている状態だ。

 妖忌の遺体は人里の墓地に葬られたという。墓参りは、もう少し具合がよくなってからになるだろう。その折には形はどうあれあの少女の両親とも顔を合わせておこうと、妖夢は心に決めていた。

 それを告げた小町は相変わらず、しょっちゅう仕事を怠けては白玉楼へ顔を出す。紫もまた相変わらず、毎日のようにやってきては他愛もない話を長々と続ける。

 幽々子はというとこれもまた相変わらずで、むしろしばらく会えなかった揺り戻しか、以前にも増して妖夢を可愛がるようになっていた。この一件を招いたすれ違いはどこへやら、何の遠慮も無く妖夢を撫でまわす幽々子であったが、妖夢はそう悪い気分でもなかった。

 この隔絶から分かったのは、自分にとって幽々子や白玉楼という居場所が欠かせないものであるということだ。ゆとりを失った心はみるみるうちに渇き、擦り減り、ささくれていった。あのまま帰らなかったら、妖夢はきっと大きな欠落を抱えた人間になっていたことだろう。

 それに何より、もうあの飼い犬のような不快感が妖夢を苛むことは無かった。妖夢は確かに幽々子の従者としての務めを果たした。幽々子がそれを知っていることを、妖夢は知っている。そして何より確かにそれを成し遂げたという実績が、自分の中に一つの自信として根付いたのだ。

 やったことといえば、妖忌を不意打ちで倒した妖怪を三人がかりで討っただけだ。師の域に至るまでの道はまだまだ長い。だが今は未熟なりにも戦い抜いた自分のことを、少しは認めてやることができた。

 結局のところ、禍根の正体は自尊心の不足から生じた承認への不安である。終わってみれば馬鹿馬鹿しく、可笑しくさえ思えた。きっとまた後から小町あたりが笑い飛ばすのだろう。そんな光景が今からでも想像できる。それも変わりない、白玉楼の日常だ。

 どこか劇的な変化を期待していた妖夢にとっては拍子抜けなほどに、本当に何もかも変わりない。まるであの日々が夢だったとでも言わんばかりに、妖夢の周りの全ては出ていったときからそのままだ。

 だがそれでも一つ、目に見えて分かる変化があった。

 

「おーい! 酒、まだかー?」

 

 それはこの白玉楼が幻想郷住民らの知るところとなったことである。

 巫女の一存により宴会が決まったのがあの翌日。紫づての宣告は同意すら求めず、果たして本日、白玉楼には名も知らぬ人妖が大挙した。幽霊楽団が演奏をはじめ、はしゃぎまわる氷精から世にも珍しい吸血鬼まで、どこで繋がったともつかない面子が庭で馬鹿騒ぎしている。妖夢はその中に混じりながら、給仕として次々と空いていく酒瓶のために廊下をもう何往復もしていた。

 ひとひらの花びらが舞いこんだ。冥界の長い春も終わりを迎え、桜散る中庭には眩しいほどの光が差している。

白い光の中に、妖夢は巫女の姿を見た。

 

「あ、この前の」

 

 巫女が歩み寄る。

 

「私は博麗霊夢。巫女さんよ。あんた、名前は?」

 

 失ったものは大きく、代わるものなど何も無い。選んだのか、選ばされたのか、辿りついたこの今は、完璧とは言い難い。それでもなお新たな彩りを得て続いてゆくこの日常に少しの幸せを期待しながら、妖夢は屈託の無い笑みで答えた。

 

「私は魂魄家の当主。この白玉楼の庭師にして剣術指南……」

 

 いつもよりほんの少しだけ、胸を張って。

 

「魂魄妖夢です!」

 

 

【挿絵表示】

 




 『半端者』はこれにて完結です。
 この後は長く沈黙することになると思いますが、気分によっては軽い戯作や本作のスピンオフでも流すかもしれません。まあ積もる話はまた活動報告でも書くとして、ひとまずはお別れです。
 原作者のZUN様、お借りした各種ツール・素材制作者の皆様、この作品の血肉となった言葉や思想の数々、そして最後までお読みくださった読者の皆様に感謝いたします。



挿絵 借用物(敬称略)

MikuMikuDance:樋口M
MikuMikuEffect:舞力介入P
PmxEditor:極北P
Aviutl:KENくん

魂魄妖夢:アールビット

白玉楼:鯖缶

桜吹雪エフェクト:ビームマンP/ロベリア

かっつりトゥーンシェーダー:ビームマンP/less


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